(からだにとって、自分にとって)
からだ、にとって自然なことが、
自分、にとっても自然なことだと、
からだ、にとって不自然なことが、
自分、にとっても不自然なことだと、
感じられるようになるまで、見届けてくれる。
からだは急かさない。
からだの声を、
繊細に受け取ることと、
過敏になることは違う。
ゆっくりと、
その違いに気づいていく。
快。
(からだにとって、自分にとって)
からだ、にとって自然なことが、
自分、にとっても自然なことだと、
からだ、にとって不自然なことが、
自分、にとっても不自然なことだと、
感じられるようになるまで、見届けてくれる。
からだは急かさない。
からだの声を、
繊細に受け取ることと、
過敏になることは違う。
ゆっくりと、
その違いに気づいていく。
快。
(主体が変わる)
からだ、にとっての自然と、
からだ、にとっての不自然。
その違いに気づくこと。
メッセージの背景に意識が向くと、
主体が変わる。
快。
(ベクトルが変わる)
自分があって、
からだがあって、空間があるのではなく、
空間があって、からだがあって、
自分がある。
調和して、健康維持増進にかなう。
快。
(体調はメッセージ)
ふかい感謝は眠りとなり、
今日の体調へと姿を変える。
体調というメッセージをそのままいただく。
どんなメッセージであったとしても、
思考意識で色をつけない。
快。
(メッセージを背景の空にして)
からだからのメッセージ、を受け取り、
からだ、にゆだねる。
ゆだねるだけでは、
解決しないことはあるかもしれない。
けれども、
ゆだねることから、はじまることはある。
感じることから生まれる意識で、
素直に、からだ、と向き合ってみる。
快。
おはようございます。
岡村さん、
一週間のメッセージありがとうございました。
今週引き継ぐ瀧澤です。
よろしくお願い致します。
「からだからのメッセージ」
(重なる感覚)
息と共にいただく性と生はふかい感謝です。
お蔭さまで、くうかんと、からだと、重なり、
メッセージをいただくことができます。
眠りの間から醒めて、
何度となく書いていることが、
毎回新鮮に感じられる。
快。
(重心の適正)
立ち、
からだのうごきがとおる。
呼吸を味わう。
今日の空間と出合う。
空腹感を味わう。
今日の内臓と出合う。
今日も皮膚を介して内外を感じている。
メッセージは届いている。
意識は、かるい。
快。
初日にこんなことを書きました。
「まるごと操体」と向き合うことは、「いのち」や「宇宙」、「真理」といったものと向き合うことに等しい。
健康たらしめているものは、わたしたちの意識行動だけではなく、それを支えてくれているからだや、わたしたちを生かしてくれているものがあってこそ。
操体を学び続けていくうちに、それまでの健康のイメージが更新されてきました。
学びの中で師からいただいたメッセージがあります。
「自然法則っていうものは誰がやってもその通りになる。善人、悪人、関係なしだ。それが自然法則の法である。あとは、その応用貢献だ。そのなかから自身をつかんでいくことだ」。
「自然法則」が何を指すのか、まだ十分な理解には及んではいませんが、実践していく中で「そうなるようになっている」と感じられたとき、自分は「自然法則」に貫かれた存在なんだ、という意識になっていきます。
健康法というやり方を越えて、自然法則に貫かれた健康学として、そこに根づいているものを「からだからのメッセージ」として受け取っていけるのが操体。
普段当たり前のようにやっていることを、からだの正当な使い方にかなっていくように、立ち方にはじまる日常動作を見直していくことが、そのまま「からだからのメッセージ」を受け取る「うつわ」づくりなっていく。
最後に、「まるごと操体」にふれる学びの中から、教えていただいていること。
「うつわ」に入ってくるメッセージの中から、「からだが悦ぶ」ことを素直に感じとっていくと、その中には感謝の素が入っている。
健康学の中心には感謝がある。
一週間ありがとうございました。
明日からは寺本実行委員の「まるごと操体」です。
どうぞ、おたのしみに。
開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum
それぞれの営みの中で、はじめに位置する息。
この空間から空気をいただくいということにおいては、選択の余地がないほど、環境そのものをいただいているといってもいい。
操体は呼吸の生かし方もそれぞれの分析法において変化している。
楽に問いかけた運動分析においては呼気を生かし、快に問いかけた感覚分析においては自然呼吸を生かす。
運動優位、感覚優位では呼吸の生かし方も変化する。
さらに、息と意識によって、その場にいない相手(からだ)との臨床が可能となることも学んでいる。
にわかには信じられないことも、不可視なものに意識を向けていくことで現象化してくる。
当たり前のように営んでいる呼吸も、この空間との循環において、生命全体で共有していると捉えれば、「からだ」の範囲はさらに広がってくる。
目に見える肉体現象の中にだけ「快」があるのではなく、わたしたちは内部感覚の範囲を越え、呼吸をとおして、からだがききわけている空間の変化さえも「快」としていただくことができる。
からだがききわけている空間の変化や感覚が意識となっていく。
空気が在ることの有り難さ。
吸気が入ることの有り難さ。
吸気が抜けていくことの有り難さ。
自分ごととからだごとは、空間との循環へと重なっていく。
不可視なるものにも、可視なるものにもつながり、重なっていくのが操体の健康学。
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日々の営みの中で他人に代わってもらうことのできない自己最小限責任生活として、操体では息、食、動、想の営み、環境との関わりを重視してきました。
それぞれの営みは同時相関相補性でつながっていて、この営みをどう営んでいくかということが、日々の生活の中で健康維持増進のために自分でできること。
臨床だけでなく、それぞれの営みにおいても快適感覚をからだにききわけ、生かしていくことができる。
健康維持増進は自分ごとであり、からだごと。
操体の健康学では、臨床においても、生活空間においても、からだと自分がつながってくる。
また、快適感覚以外にも、わたしたちは様々な感覚をからだからいただいています。
操体を学ぶきっかけになった三浦理事長の第三分析(皮膚へのアプローチ)。
動診・操法を行えなくても、皮膚に問いかけていくことで可能となる操体法。
はじめて皮膚にふれる臨床を受けたとき、今まで体感することのなかった感覚、動き、呼吸、意識などの変化を味わう。
感じていたのは、快とも不快とも判別できない、からだがききわけている「変化」そのもの。
今にすれば、皮膚にふれることで、からだがききわけている内部感覚の変化をまるごと受け取る「うつわ」になっていたのだと思います。
快や不快も含めた内部感覚の変化をまるごと「からだからのメッセージ」として受け取っていくとき、感じ取れる「感覚」の範囲も、感じ取っている「感覚」の生かし方も変化してくる。
息も感覚そのものとして、食も感覚そのものとして、動も感覚そのものとして、想も感覚そのものとして、ふれている生かす力の環境から、からだと共にいただいている。
自分の意識制御だけではない、「からだ」ごとあっての営み。
からだと自分が重なってくる。
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楽に問いかけた運動分析と、快に問いかけた感覚分析の違いには、意識の生かし方も含まれる。
からだに感覚をききわけるためには、からだに意識を向けていく。
思考意識から意識感覚へ。
そこで重要なことは、「ゆっくり」動きを表現すること。
からだがききわけているリズムがあり、からだがききわけている間(マ)がある。
「ゆっくり」動きを表現することで、そのリズムや間(マ)において、からだがききわけている快適感覚の有無をからだにききわけることができる。
生活空間においても、からだは様々なメッセージをわたしたちに届けてくれている。
生活リズムの中では見過ごしがちな「からだからのメッセージ」を、「ゆっくり」というエッセンスによって受け取り、からだがききわけている感覚を共有していく。
「ゆっくり」とは、ただゆっくり動くということではなく、からだのリズムや間(マ)と重なっていくこと。
わたしたちを生かしてくれている環境をからだと共に感じ、
からだと共に息を営み、
からだと共に食を営み、
からだと共に動を営み、
からだと共に想を営む。
「ゆっくり」と「からだが悦ぶ」ことを感じとり、日々の営みが健康維持増進につながっていく。
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生体のバランス制御が楽から快に変わり、運動分析から感覚分析へと操体法は進化してきました。
一つ一つの動きをとおして「快適感覚」をからだにききわける動診・操法。
「からだの動き」を表現し、からだに意識を向け、「快適感覚」の有無を確かめる。
からだ主体の意識感覚の「うつわ」になっていく。
「動きより感覚を重視する」
橋本敬三医師晩年のメッセージ。
快適感覚を味わい、委ねることで、生体のバランス制御にかなっていく。
自分の思考意識以外に、からだが感じていることがあります。
はじめにからだがききわけている感覚があり、わたしたちはからだに感覚をききわけていくことができます。
からだに意識が向いてくると、生活空間においても、からだがききわけている快適感覚を素直にいただくことが可能となってくる。
やりやすいか、やりにくいか、といった相対的な基準で判断するのではなく、「からだが悦ぶ」ことを基準にしていく。
意識の方向性、意識の生かし方が変われば、「うつわ」の中に満ちることも変わってくる。
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感覚という「からだからのメッセージ」を受け取る「うつわ」をつくっていくこと。
その「うつわ」に入ってくるメッセージの中から、「からだが悦ぶ」ことを感じとっていくこと。
メッセージが意識に響いたとき、自分ごとになっていく。
対になる動きを比較対照し、どちらの動きが楽なのか、辛いのか。
本人に運動を分析させて、楽な動きを選択させていた動診・操法の時代。
そこでの基準は、やりやすいか、やりにくいか、相対的な運動感覚差。
相対的な基準では、相対的な「うつわ」ができあがる。
書籍には残されていない橋本敬三医師晩年のメッセージがある。
「これからは楽ではなく快」。
快適感覚という「からだからのメッセージ」によって、相対的な世界から解放される。
「からだが悦ぶ」とは、比較しない絶対的な感覚。
その感覚がそれにかなう「うつわ」にしてくれる。
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