カテゴリー: 岡村郁生(おかむらいくお)

  • ここからの操体&これからの操体①

    バトンを受けとってブログを担当する岡村です。

    一週間、どうぞ宜しくお願いします。

     

    地域の人々を支えるため、茅ヶ崎の湘南ライフタウンで鍼灸接骨院を

    開業して今年で25年になります。

    紆余曲折在っての25年とは言うものの、一体、何を支えにして今まで

    「操体」&「操体法」を学んできているのでしょう。

     

     

    そんな自分への問い掛けを掴みたくて、24年三軒茶屋に通っています。

     

     

    今回は「はじめての操体」と言うことを念願におきながら考えつつ、

    ふと浮かんできた、の操体&操体法の初学者に向けたアドバイスを、

    書き綴ってみたいと思います。

     

    では早速。

     

    操体法はシンプル。

     

    「からだ」の仕組みを、

    「からだ」の使い方を、

    出来る限り、理解すること。

     

                              (続く)

    www.tokyo-sotai.com

  • 結構な健康と血行な寿命⑦

    (続き)

    ある剣道の高段者の方から、愉快な実践を教えて頂いた。

     

    「一眼。二足。三胆。四力」

                     宮本武蔵の五輪書

    今週のお付き合い、有難うございました。

     

    明日からは、瀧澤副実行委員長の登場です、お愉しみに。

  • 結構な健康と血行な寿命⑥

    (続き)

    一つに、こころの安寧こそ「健康」に繋がるでしょうね。

     

    速く終わって欲しい!

    速く治って欲しい!

    速く、はやく、ハヤク!

    「速い」スピードで走っていく。

     

    でも、その目的は何でしょう。何のために速さを求めていますか。

    そうと訊ねたら、すぐには答えられないし、迷うものです。

     

    速さそのものが目的になってしまっているだけかもしれない。

    走らないと遅れる、恐怖心を抱いている印象さえ感じる。

     

     

    速いことばかり追い求めていると、息苦しくないですか?

     

    自分は、どこに向かって、何のために、走っているのだろうか。

    これを意識することは、いつも、最低限やっておいたほうがいい。

     

    そして、愉しくしていないと、質は際限なく落ちていく。

    愉しんで出来ているかどうか、これを忘れてしまっている人が多い。

     

    愉しい感覚は、寿命を永遠に導き、すばらしさを味わう実感。

     

    ゆっくりの間。

    流れを導く。

    味わいを感じる。

     

    健康を旅人とする。

    なんで生きてるか。

    何がおもしろいのか。

     

    それを実感できる余裕。

    こころの安寧を、からだに尋ねて、味わってほしいのです。

     

                            (続く)

  • 結構な健康と血行な寿命⑤

    (続き)

     

    質と量のちがい。

     

    若い頃は、量が欲しい。

    歳を重ねると、質が欲しい。

     

    質にも、さまざまな変化はあり、違いを認識できること。

    量にも、さまざまな大小はあり、違いを認識できること。

     

    同質の協力(量)は、足し算にしかならないけれど、

    異質な協力(量)では、かけ算になるのだから。

                      (続く)

  • 結構な健康と血行な寿命④

    (続き)

    生命体なんだから、変化していくことを前提にする。

     

    今の時点は、経過に過ぎず、未来から見た現在を、常に「意識」する。

     

    それを繋げてくれる空間、その変化に即して入ってくれる「息」。

     

    脳で感覚の統合を行っていたとしても、その過程で生じている変化の

    全てを感じ取れるかどうかは、ヒトにはできない。

     

    何故なら、血流の本質である新陳代謝によって、個体差を生じるから。

    脳波とは、波ですから粒子のことは捉えきれていないのかもしれない。

     

    現象変化は、粒子と波の起こしている結果。

    流れは動的で、目に見えない本質を含んでいて、見えるモノは一部。

     

    天然の法則性を汲みつつ、からだに真摯な意識を向ける姿勢。

    それは健康に直接結びついて、変化していく、その結果こそ寿命。

     

                               (続く)

  • 結構な健康と血行な寿命③

    (続き)

    例えば。

    日本は勿論、3年以上世界中を不安に陥れている、コロナ禍。

    まだ収束していなくとも、ウィルス共存方向に舵を切りました。

     

    現時点におけるコロナワクチンは残念ながら、確実な効果ではなく、

    インフルエンザウィルスのように、タミフルのような薬もありません。

    それでも、普段の生活と自分の寿命を両立させて、共存するのです。

     

    ヒトの寿命は、遺伝子的には120歳くらいだそうです。

    イヌは、平均12歳で寿命になりますが、最高年齢は40歳だそうです。

     

    ウィルスだけでなく、細菌、真菌、植物、昆虫あらゆる生命体を含め、

    全ての生命体は、それぞれに寿命はありますから、変化して当然です。

    (ウィルスに関しては、そもそも生き物と言えるか、異論もあります)

     

    不思議に思われるかもしれませんが、細菌にも健康と寿命はあります。

    そして、ウィルスの健康と寿命について、考えてみてもいいのですよ。

     

    新型コロナウィルスは、生誕三年少し余りとなりました。

     

    新型コロナワクチンの予防接種は、日本成人の努力義務とされました。

    当院の接骨院患者さんは、現在、五回目の接種をされた方も多いです。

     

    その間あらゆるワクチンで駆逐されそうになり、それでも動的に変化し、

    あらゆる攻撃に耐えて生き延びるため、様々な形態を経ています。

     

    宿主であるヒトの上気道、特に上咽頭に棲み着くまで、徐々に弱毒化し、

    感染方法も飛沫感染を経て、現在はエアロゾル感染になりました。

     

    元々の新型コロナウィルスは、飛沫感染すると言われていたのです。

    それは、水分を含み5μm以上の大きさの感染体を含む粒子ですから、

    しばらくすれば床に落ちるし、せいぜい1~2メートルしか飛びません。

     

    それが現在、水分を減らすことで、より小さな感染体となり浮遊し、

    大気中の粉塵や煙と合体できる、エアロゾル感染を可能としたのです。

     

    抗生物質の乱用により、細菌の耐性が生じてくることは周知の事実。

    細菌を抑えるのに、細菌も健康寿命を維持することを行っています。

    有名なMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)もその一つですよね。

     

    「健康」と「寿命」について考えてみるとき、ヒトから離れた視点で、

    俯瞰して捉えてみることも大切なのではないか、そう思っています。

     

    そうなればこそ、WHO憲章の「健康の定義」は不変では成り立たない。

    「からだ」を介してのメッセージでは、そのように感じます。

     

                              (続く)

  • 結構な健康と血行な寿命②

    (続き)

    健康の定義を「公益社団法人日本WHO」から引用してみましょう。

     

    「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、

     肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、

     すべてが満たされた状態にあること」(1947年制定)

     

    どうでしょう、健康の定義は良く考えられていると思いませんか?

     

    この健康の定義について、1998年に改訂しようとする案がありました。

    「spiritual(霊的)とdynamic(動的)」を加えた健康の定義にしよう

    じゃないか、とこの提案をしたのはEMRO(東地中海地域事務局)です。

     

    アラビアでは、ギリシア・ローマに由来する医学理論を体系的に整理し、

    長くヨーロッパにおいて、医学の教科書として使われていたのです。

     

    そのようなイスラム医学の伝統にのっとり、文化的かつ宗教的な背景に

    基づいた上での、健康観を提案したものと考えられているそうです。

     

    しかし、各国との本会議の結果、この案は正式にならず見送られました。

     

     

    ただ「霊的」と「動的」の言葉二つ、2023年の今となって考えてみると、

    とても大切な繋がりを示していたのではないか、と思えるんですよね。

     

                              (続く)

     

     

     

  • 結構な健康と血行な寿命①

    今週担当するのは岡村です、よろしくお願いします。

    テーマは「健康と寿命」。

     

    では、早速ですが皆様にとって、「健康」とはどのようなもの?

    興味があったので、患者さん達にも尋ねてみました。

     

    Sさん「普段どおりってことですかね」

     

    Tさん「人との御縁かしら。それが健康につながってるのよ」

     

    Jさん「からだを正しく動かすってことですね、間違えるからおかしくなる」

     

    Nさん「からだのどこも不自由なく動く事かな、ヘンな所あるとわかるから」

     

    Hさん「血行が良いこと。特に脳、変化のこと考えてると駄目ね」

     

    Kさん「自分のコトを、自分で出来ること」

     

    Mさん「普通に生活できること、どこでも歩けること」

     

    Nさん「リア充なヒト、特に不満が無いってことで」

     

    Dさん「楽しめることがあって、それによって喜ばれることがあること」

     

    Oさん「全ての事が関係して、それを知ることに繋がってるのでは」

     

    協力頂いた方々には、すぐに答えられない方も多かったです。

    改めて「健康とは、なんですか」と聞かれることもありませんからね。

     

    では、このブログを見て頂いている方に質問です。

     

    「あなたにとって、健康とは」さてさて、如何でしょうか?

     

                            (続く)

     

     

     

  • 表裏は、一体「=からだ」⑦

    裏と表。

    デザインをどちらにするかで全くイメージが違う。

     

    入る部位と出る部位。

     

    密な部位と疎な部位。

    鍛えられる部位とそのままの部位。

    薄い部位と厚い部位。

     

    ところどころ、裏と表は協力し、繋がって拮抗し、バランスする。

     

     

    表地と裏地。

     

    若い時は「見た目」、外見が気にして、気にする。

    齢いを重ねると「心」、内面が気になり、気になる。

     

    ホントは、生まれつき、表裏一体。

     

     

    皮膚を診る。

    接している皮膚。

     

    面とするか、軸とするか.

    一点とするか、空間とするか。

     

     

    目的があれば、どの考え方でもいいことはない。

    何故なら、理に適う生き方も、間に合う目的だから。

     

     

    「おもて」はわかりやすく、深い。

    「うら」はわかりにくく、シンプル。

     

    いままでも、いまも、これからも、繋がって味わえる。

    操体哲学を検証して実践し、表裏一体「環」を感じたい。

     

     

    ということで、一週間のお付き合いを感謝いたします。

    明日からは岩手より、瀧澤副実行委員長の登場です!

    お愉しみに!

  • 表裏「いったい」について⑤

    ゆっくり味わうこと、それはトイレの「間」。

    なのでトイレ話を続けてしまうけれど、食事中ならば申し訳ない。

     

     

    以前、三浦理事長からトイレ掃除について、含蓄ある実践語りを聞いた。

     

    自分の使っている便器。

    便器は汚いモノだろうか、と。

    そりゃそうだろう、と考えた後『なぜ汚いって考えるのか』を考察した。

     

    三浦理事長は、自分の中に入っている間は『汚い』なんて思わないのに、

    なんで自分の中から出た瞬間から、汚いって思うんだろうな、と。

     

    たぶん、ほとんどの人達は自分を「おもて」だと考えているんだろう。

    そして「うら」、「からだ」の内臓を全く気にしていないからなのか。

     

    それでも、内臓から外の空間に出た瞬間から『汚い』と考えるのを、

    全く考えずに自分の愛おしい一部である、とするのは若干厳しい。

     

     

    どうしたらいいのだろうか。

     

     

     

    その答え(に近い)実践を、三浦理事長は教えてくれたのである。

     

    ワタシ自身、ウソかホントか、それを愚直にやってみた。

    そうしたら、自分が考えた世界観は「ガラッ」と音を立て崩れた。

     

    やはり「うら」も「おもて」も、やってみないとわからないのだ。

    聞いただけ、知ってるだけ、情報を撫でただけでは、わからない。

     

    皆様も考えてもわからなかったら「からだ」に問い掛けてみては?