カテゴリー: 岡村郁生(おかむらいくお)

  • 何のために学んでいるか④

    (続き)

    何を学ぶのか。

    それは「どんな問いに答えていくのか」という事でもあります。

     

    「操体」を学び「操体法」の存在する意義や、

    その「学びを進めた先にあるもの見つめていくこと」

    これは、「間=マ」を読めるように学び取ることです。

     

    「間=マ」というものは、豊かな情報。

    つまり、「アナログ」と言うものを読み取る能力を示します。

     

    本質的に、表現とは「間=マ」の「マ」を図る能力のこと。

    「アナログ」から「デジタル」への相互交換性の高い能力を、

    コツコツと磨いていくことでもあります。

     

    これから学ぶところ。

    それは、そのプロセス途上にあり、成し遂げようとしてきたこと。

     

    師と「同じ景色が見えてはいない」のであれば、

    それを訂正していただき、同じ方向性の景色を見ているかどうか。

     

    そのうえで「操体・操体法」の進めた先を共有する事になります。

     

    創始者橋本敬三師の見たかった景色。

    そこに拡がって見えていた景色を想像しながら、学んでいるのか。

     

    アナログのような問いに、どのような答えを導こうとしているか。

    それをデジタルで、常にイメージしていくことです。

                            (続く)

     

     

  • 何のために学んでいるのか③

    (続き)

     

    長い間かけて学ぶ事は、

     

    「解決すべき問いかけを持つ」ことです。

    「自分事として認識できる」ことです。

     

    その設定方法が、「何のために学んでいるか」になります。

    それはワタシにとって「操体」を学ぶ理由の一つ。

     

    かの、レオナルドダヴィンチは何かに取り付かれたかのように、

    晩年まで「水」のスケッチを続けていたといいます。

     

    おそらく、「水」と言う究極のランダムを掌握すること。

    この無限の情報量を有しているアナログを、アナログのままに

    取り込み、自然環境を豊かに取りいれたのではないでしょうか。

     

    これも自分に学ぶ意義を伝える簡便で、効果的な方法であり、

    愉しみながら続けていくための理由となっている事は確かです。

                              (続く)

  • 何のために学んでいるか②

    (続き)

     

    「操体・操体法」を、自分の学ぶべき理由したこと。

    「何のために学んでいるか」が無ければ、所詮は他人事です。

     

    自然や、生命現象から情報を十分に取り込もうとするのです。

    この経験を積んでいくことで、生命現象の雰囲気というか、

    生命現象の気持ちを、ききわけていける能力も高まるのです。

     

    それをせず「操体」を、本気で学ぶ気にならなかったとしても、

    他人事なら、自分自身で責めても仕方が無いような気もします。

     

    故に「何のために学ぶのか」を問いかけるのも、生き方の問題。

     

    学ぶことが、「どのように生きてくるのか」なんですよ。

     

    学びを通して「自身の生き方に働きかけるか」を示していくのです。

     

                                (続く)

     

  • 何のために学んでいるか①

    石田さんからバトンを受けた、今週の担当する岡村です。

    テーマ「何のために学ぶのか」で、よろしくお願いいたします。

     

    では早速。

    操体・操体法を「何のために学んでいるか」については、

    意図、目的の存在証明として、内容を正確に示せるかどうか。

     

    自然環境とは、ランダムでアナログです。

    人として同じ瞬間がないということは、ランダムです。

    同じものがなく、水の流れのように同じ瞬間もありません。

     

    「何を学んでいるのか・何を身に付けるべきなのか」

    考える前に、この疑問を持つ。

     

    豊かな情報とはアナログです。

    例えば、5センチといっても拡大してみれば数ミクロンずれている。

    ナノメートル単位まで拡大しなくても、必ずズレ(ユガミ)がある。

     

    つまり、この世の事象は全て「アナログ」であり、

    すべて「端数」である、そういっても過言ではないワケです。

     

    この段階こそ、継続する学びに通じているのです。

    今現在も継続する「何のために学ぶのか」という問いです。

     

    当然ですけれど。

    そもそも、問いかけに対して自分自身で答えを見出せないことには、

    「操体」を学ぶことの、ホントの理由も生まれてこないのです。

     

                           (続く)

     

  • ここからの操体&これからの操体⑦

    (続き)

     

    最終日になりました。

     

    今週のブログを見て「はじめての操体」じゃないよ!と思った方。

    その方々には、謹んでお詫びいたします。ゴメンナサイ。

     

    それでも、「操体法はシンプルです」と、言いたいのですよ。

    そこで、創始者、橋本敬三師の語りを紹介します。

     

     

    「人間は誰が創ったのか。

     知らなくともつくられたものだ。

     すると、法則が在ってつくられた。

     その法則知らないから、みんな生きていくのにケガをする。

     だから、

     気持ちの良い方に動かすことが「操体法」だと

     思ってるかもしれないけど、そうではなくて、

     わけがあるってこと」

     

     

    これからも、正しい生き方とは何か、臨床を通じて学びながら、

    「からだ」は寿命もあるけれど、御縁があってこそ現在がある。

     

    今まで寿命を迎え亡くなられた方も、未来と一体になっている。

    「からだ」は、過去から現在へ流れを、生命循環として流れる。

     

    そうであるのなら、この生涯で、何を一体、支えているのか。

     

    「よくおいで頂きました。

     お会い出来て、有難うございます」と。

    (来れば、治る可能性があって来ている)

     

    はじめての操体に触れて「からだ」に響いた「御縁」に感謝。

     

    それでは、一週間のお付き合い有難うございました。

    明日からは、岩手の久慈より、瀧澤副実行委員長の登場です!

    どうぞ、愉しみにお待ちください。

                           

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  • ここからの操体&これからの操体⑥

    (続き)

     

    はじめて操体法を学びたくて、三浦理事長を訪ねた最初の日。

    講習会で強烈なボディブローを喰らった(気がした)のです。

     

    操体の臨床講習なのに。

    操体法の指導を受ける前に。

     

    「死生観について考えてみなさい」と言われたからです。

     

    操体法の技術を習得する、そう意気込んだワタシは分解します。

    当時想像しなかった、橋本先生の哲学思想の意味を味わうこと。

     

    死ぬまでの寿命。

    生きている間の寿命。

    生かされている寿命。

    なんとなく、醸し出される寿命が違う。

     

     

    生命とは一体、何を支えているのか。

     

     

    操体法はシンプルです。

     

    自然の法則に適うこと。

    自然法則を学び続けること。

    自然法則の応用貢献を成すということ。

    そのために、

    生き方の正しさとは何か、学び続けること。

                              (続く)

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  • ここからの操体&これからの操体⑤

    (続き)

     

    「ホスピスに入院してるからに出張に来てくれないか?」

     

    操体&操体法を学びつつ、臨床をしているワタシに向かって、

    本人から直接、頼まれたときがありました。

     

    当時のワタシにとって、少し心の重くなるお願いでしたから、

    三浦理事長に相談してアドバイスを頂きました。

     

    「御縁があるということは、行ってあげればいいんじゃない」

     

     

     

    何を一体、支えているのだろう。

     

     

    操体法はシンプルです。

     

    とりあえずやってみること。

    やってみて続けていくこと。

    やって、感じていけばいいってこと。

     

                              (続く)

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  • ここからの操体&これからの操体④

    (続き)

     

    終末期医療に携わる、ベテラン医師の方が教えてくれました。

     

    「医学的に意味がなくても、患者に何かをしてあげたいと言う

     想いから来る行動は、立派な医療です。

     この想いが医療として確立し、形になったのが緩和ケアです。

     QOL(=生命の質)の改善というと伝わりにくいですが、

     その方の幸せや、想いをなるべく考え医療を提供するのです」

     

     

    世の中には、治らない(完治しない)病態変化も数多くあります。

    治らないのに、何を一体、支えているのでしょう。

     

     

    操体法はシンプルです。

     

    すべてに、わけ(ワケ)があるってこと。

    すべてに、わかって欲しいことがあるってこと。

    「からだ」と向き合い、感じることを受けとること。

    それを、ゆっくり、丁寧に、自分の意識に記していくこと。

     

                              (続く)

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  • ここからの操体&これからの操体③

    (続き)

     

    ある医師の方が教えてくれました。

     

    「臨床医の仕事の基本は、2千年前から何も変わらない。

     話を聞き、一緒に考える。

     人間の苦しみと無念を引き受ける」

     

    このような臨床に向かう考え方は、とても「からだ」に響きました。

    ワタシだけではなく、「からだ」に響いたのです。

     

    三浦理事長は「操体」&「操体法」の基本を丁寧に指導してくれます。

    今でも、何かに支えられているかのように、三軒茶屋に向かうワタシ。

     

     

    そう、操体法はシンプルです。

     

    本来の生命、

    いのちの力を忘れがちな、

    慌ただしい日常の時間に、

    静かに、ゆっくりと、「間(=マ)」を取り戻す。

    そのきっかけにしていくこと。

     

                              (続く)

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  • ここからの操体&これからの操体②

    (続き)

     

    臨床経験の年数だけは、今年で31年になりました。

    按摩する、指圧する、マッサージする。

    鍼を打つ、灸を据える。

    整復する。

     

    それでも昨日書いたように、一体、何を支えているのか明確に出来ません。

    そんなことを年頭に置きながら、三浦理事長に尋ねています。

    見て聴いて頂いて、語り合う操体&操体法を味わっています。

     

     

    では今日の、操体法はシンプル。

     

    「からだ」のメッセージをききわけること。

    「からだ」のうごきを受け、感じとること。

    「からだ」で変わっていく自分を意識していくこと。

     

                              (続く)

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