カテゴリー: 岡村郁生(おかむらいくお)

  • 山で野宿①

    石田さんに続いて「山」をテーマにブログを担当します。

    どうぞ、一週間のお付き合いよろしくお願いします。

     

    前回のテーマ「海」と今回の「山」を例に取ってみても、

    自然界は繋がっています。

     

    すべての中に繋がりを感じ、「山」に行けば、繋がりの

    働きかけを「皮膚」に感じます。

     

    テーマを考えたとき、単独登山が趣味の方を思い出しました。

    その方は、ワタシにこう語っていたのです。

     

    「可笑しいかも知れませんが、誰もいないところで静かに座り、

     樹木が語るのを聞いたことがあるんですよ」

     

    不思議なことに樹木同士は、どうやら話をするというのです。

    どうやらホントに、お互いに会話をしているらしいのです。

    その話は、ふざけた話でトンデモ話かもしれません。

    しかし、その方が私に伝えてくれたイメージは伝わりました。

     

     

    ワタシ自身、空間の中に耳を傾けても、樹木が話しかけてくる

    なんてこと考えも及びません。

    ・・・・・・が、そこに自然の声があり、その自然の声に心を開き、

    自分が意識を向けていたなら、言葉になっていないメッセージ

    で、「樹皮」と「皮膚」で語りあえるのかもしれません。

     

    壮大なスケール。

    量子的素粒子から、あらゆる細胞に至る連携。

    「サムシング・グレート」の概念。

     

    自然界に至る想いも山々。

    話を聞いて「Great Spirit」を、なんとなく感じたものです。

  • 海で調う⑦

    「からだ」を操ろうとして、重心を決めるのか。

     

    その、流れに任せて、中心と重心を感じるのか。

     

     

    海で裸となり、息を吐いて、相手と語りあう。

     

    相手とは目の前にいる、誰かではないかもしれない。

     

     

    息を吸って、相手と感じ合う。

     

    相手とは目の前にいる、誰かではないとわかってくる。

     

     

    さて一週間のお付き合い、有難うございました。

     

    明日は、海の近い久慈から、瀧澤副実行委員長の担当です。

    どうぞ、今日も快く調いつつ、お待ちください。

     

  • 海で調う⑥

    操ろうとして、中心を決めて使っているのか。

    重く、感じるときは、ソレに乗ろうとする。

     

    流れに任せて、重心を感じて使っているのか。

    軽く、感じるときは、ソレに、乗れている。

     

     

    どうしようもなく重い想いを抱くなら。

     

    海岸で裸足となり、「からだ」の重さを感じてほしい。

    感じていると、通っている流(なが)れは、ある。

     

    見ていないと、見えなかったものを感じるようになる。

    そこには自在して通る(循環する)、流れはある。

     

     

  • 海で調う⑤

    波の音には、リズムがある。

    潮の風には、言の葉がある。

     

    流れという大きな循環に、瞬間で抵抗していた自分を恥じ、

    それでもいいんだよと、大肯定で、息を吸い込む。

     

    遡っても、憂いでも、からだは許容する。

    その器の大きさに改め、すべてを器で受けとる。

     

  • 海で調う④

    「からだ」が、つながりを感じる。

    優しさも、ぬくもりも、冷たさも、強さも、全てつながっている。

     

    ちゃんと感じることができる。

    感じることで記憶され、つながったホントのこと。

     

    沖から岸に、波が届いている。

    熱の偏差により、風が興(おこ)し、見えてくる。

     

    そんな空と海のバランス現象は、

    ホントのこと言えば、目には全て見えていない。

     

    ずっと、遠い追憶の狭間から伝わってくる。

    そう気付かせてもらえるときに、涙も溢れてくる。

     

  • 海で調う③

    (続き)

    そもそも、大きな波の海に入らない方が良いのは当たり前で、

    分別を知る、まともな人には、決して勧められることではない。

    人様に迷惑を掛ける可能性もあり、勧めてはいけないのである。

     

    しかし、波乗りは自己責任であり、危険極まる環境に遭遇した場合、

    鍛錬と「からだ」を信頼して、生涯に忘れない経験も味わえる。

     

    それも、自然の中に「からだ」一つ。

    本当に原始感覚で、全ての感覚を一つにできる。

    海と、感覚でつながっている時の「からだ」も素晴らしい。

     

    今まで何気なく過ごしていた海の中、感じることはホンモノ。

    つながりは深くなり、生かされて、感じる「からだ」が尊い。

     

    考えているのではない、ちゃんと感じることに価値は生じる。

     

     

     

     

  • 海で調う②

    (続き)

    また、グルグルと全身を回転させられて、上下左右わからなくなる。

    もう一度、力を抜いて波に揉まれている。

    しかし、その時感じたコトは、今でもからだで覚えているのです。

     

    二回目は、一回目と異なり、波の力に巻かれつつもゆとりができた。

    ウソかホントかやってみて、瞬間で「からだ」が感じて教えてくれた。

     

    「間」が、心を満たしてくれたので、苦しいのに少し、愉しく感じた。

    アタマでは焦り、苦しいのに、何故か『あ~、きもちいいなぁ』と。

     

                                (続く)

     

     

  • 海で調う①

    今週のブログ担当は、茅ヶ崎在住の岡村です。

    どうぞ、よろしくお願いいたします。

     

     

    波乗りを始めて22年になりました。

    先日海に入りつつ、ふと想い出したことがあります。

    15年前のことです。

    波乗り初心者時代、台風の後で大波の残る海の沖へ向かいました。

    案の定、テイクオフしたものの、大波に巻かれて海水を大量に飲んでしまい、

    上も下もわからなくなり、息ができず苦しく死ぬかもしれないと感じました。

     

    その時に実践できたことがあるのです。

    「力を入れてジタバタと焦ってしまうと、余計に苦しくなってしまう。

     からだ全体の力を抜いたほうがいいんだぞ」と教えてもらったことを。

     

    (否応なしに)ウソか、ホントか、やってみた。

     

    ゆっくり、力を抜いて、残っている貴重な空気をほんの少しずつ吐き、

    浮力を大切に感じとり、海の中、ゆっくりゆっくり浮き上がってきた。

     

    浮き上がって沖を見ると、また大きな波がやってくるのがわかった。

    そこで、全身全”息”で、吸えるだけの空気をいっぱいに満たしてから、

    また波にグルグルと大きく巻かれ、沈んでいったのです。

     

                          (続く)

     

  • 快癒の本質⑦

    (続き)

    治すことは、「からだ」(生命)の仕事です。

     

    そして、それをどうこうする事はおこがましいと言うようなことを、

    手塚治虫氏の漫画、「ブラックジャック」でも語っていましたね。

     

    生命現象、私たちの感じる事は、様々な「もの」「こと」「なり」、

    これらが、仮に集まって出来上がったものではないでしょうか。

    何かの働きにより状態が変化したり、元の状態に戻ったりすること。

     

    「治癒」は、自分と思っていたものが主体ではなく、すべてのものが

    備わっている、「からだ」が主体となってこそ、本質なのでしょう。

     

     

    「間」に合っていればいいという、ゆとり。

     

    その「間」の豊かさは、空間における心身の調和をもたらしてくれる。

    生かされて生きていることも、理解できるようになる。

     

    「からだ」の仕事の美しさに、そのように感じることが多いのです。

    快く癒され、治ってしまうには、ワケもあるのです。

     

     

    そう、間に合うように生きていけるのです。

     

    感謝がわかる、それにもワケがある。

    ワケがあってなるようになる。

    いいですよね、私たち全員で、それがわかるといいですよね。

     

     

    では、一週間のお付き合い、有難うございました。

     

    明日からは岩手の久慈から、現代に生きる高村光太郎氏のような、

    間を使う達人、瀧澤副実行委員長の登場です。お愉しみに!      

                                

  • 快癒の本質⑥

    (続き)

    天然自然の法則性、真理とは何か。

    それが、治癒、快癒に関わっている事は確実だと思われます。

     

    例えてみましょう。

     

    雨が降らないで毎日毎日晴れていたほうがいい、と言う方がいました。

    しかし、雨は雨で必要なものです。

     

    同じように苦痛の種をまいた人は、自分の手で苦痛の種を摘み取らなけ

    ればならないと思うのです。

    そんな時は、苦痛に徹するのがよろしいのではないかと思われます。

     

    しかし、苦痛は戦って勝てるものでは無いのです。

    打ったからといって、砕けるものでもないのです。

     

    苦痛とは、抱きしめて初めて溶けるものです。

    そんなことを「快癒」の成立している過程に、見届けていたいのです。

                

                                (続く)