カテゴリー: 寺本 雅一(てらもと まさかず)

  • 「手入れ」を考える 6 〜メキシコ古代ピラミッド篇〜

    先月末、NHKスペシャルにてメキシコにあるピラミッドに関する
    かなり最先端の発掘研究調査の内容を紹介する番組が放映されていました。
    「謎の古代ピラミッド〜発掘・メキシコ地下トンネル」
    http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/1026/index.html#hosogo

    昔から「遺跡」や「考古学」と聞くと
    どうも好奇心のスイッチが入ってしまう性分で
    この日もまんまと最後まで見入ってしまいました。

    その中で
    古代人からの「エール」を受け取ったような
    そして「嬉しく」なってしまうような
    研究内容が紹介されていました。

    愛知県立大学大学院 国際文化研究科 
    特任教授 杉山三郎教授が出演されていました。
    これからの人類にとって財産となるような
    研究をされている方だと感じます) 

    どうやらメキシコのピラミッドは
    単なる「権威の象徴」ではなかったようなのです。

    その証拠のひとつに
    とあるピラミッドの真西に夕日が沈む日が
    年に2回だけあって

    その「特別な日」がちょうど
    「雨季」のはじまりと
    「乾季」のはじまり
    その日と重なっているというのです。
    つまりピラミッドは
    古代人にとって「暦」そのものであったという説です。

    この時代の人は「ピラミッド」を通して
    自然界からの情報を正確に受け取り
    それを自身の作物栽培に生かしながら
    生活していたんですね。

    これは
    「自然法則の応用貢献」
    そのものではないだろうかと私は感じました。

    古代人は自然の中にある法則性を発見し
    それをピラミッドという「見えるカタチ」にして
    そこに住む人々の営みに生かしてきた。

    何だか時を越えて
    自然法則を学んでいる「同志」の存在を
    感じるようです。

    もうひとつ発掘がすすんでわかってきたのは
    このメキシコの「ピラミッド」。
    最初はもっともっと小さい規模で
    暦を伝える建造物だったようです。

    それが数回の「増築」を経て
    私たちのよく知っているあの大きさになった。

    それが今の見解では
    「300年」という年月を通して
    「7回」増築されたのではないかというのです。

    そういう意味では、このピラミッドは
    300年かけて育まれた
    自然法則の応用貢献の
    「結晶」のようなものだったのだと感じます。

    そしてそれは文字通り
    「結晶」のように色褪せることなく
    1000年以上経った
    現代に生きる私たちも
    こうして目にすることができる事実。

    これはスゴい!
    と感動してしまったのです。

    ここで、
    若干こじつけっぽくもありますが(汗)
    このピラミッドの「増改築」も
    見方を変えれば

    自然法則を学び、
    その学びに「手入れ」を続けている
    ようなものだったのでは
    ないかと思うのです。

    「土台」からしっかりと
    「真理」に根付いた学びを続けなさい
    世代を越えてもいい
    何百年かかろうが、いいではないですか
    その分
    数千年後の人にもしっかりと伝わる様な
    「学問」にしていきなさい

    古代人からそんなエールが送られているような
    気がしてきませんか?

    「2014年秋季東京操体フォーラム
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
    ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?p=813

  • 「手入れ」を考える 5

    経験者はなんとなく
    頷いていただけるかも知れませんが
    「手入れ」を続けていると
    そのモノに「愛着」が芽生えてくることがあります。

    逆の発想で「愛着」があるから
    「手入れ」をする
    ということもあるかも知れません。

    これは私の仮説ですが
    この「愛着」というのは
    モノの相対的な価値に
    依らない類いの「意識」ではないかと
    考えています。

    周りの人にとって一見して
    価値のないものであっても
    自分自身にとって
    確かな価値がある。
    そういった関係性が生まれたとき
    それは「愛着」という意識へと
    繋がってくるのかも知れません。

    そして
    誰かが「愛着」を持って
    何かを大切にしている。
    その「姿」を見ていると
    なんだかとっても
    魅力的に見えてくることがある(笑)

    そんな不思議な「意識」の循環
    を感じることもあります。

    これは人間
    誰でもが持っている
    「秘技」なのではないでしょうか。
    大袈裟ではなく
    それくらいスゴいことなんじゃないかと
    感じるのです。

    人が何かの「手入れ」をする。
    そうすると
    目に見えないナニカが「変化」する。

    その目に見えないはずの変化を
    周りにいる人は
    意識的に

    また「無意識的」に
    ちゃんとキャッチしている。

    からだにも同じことが言えるのだと
    感じています。

    からだの「手入れ」を通して
    自分自身に「愛着」を持てるようになる。

    そんな人間の生きている姿は
    その空間にもきっと
    魅力的なヒビキを
    奏でていることでしょう。

    「2014年秋季東京操体フォーラム
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
    ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?p=813

  • 「手入れ」を考える 4

    操体はよく「自力自療」と称されることがあります。
    しかしこの「自力自療」という言葉、
    もう少し噛み砕いて、受け止めていく必要があるのではないでしょうか。

    ちょうど、このことのヒントになるような
    「扇子職人」の本があったのでご紹介します。

    江戸のセンス -職人の遊びと洒落心 (集英社新書)

    江戸のセンス -職人の遊びと洒落心 (集英社新書)

    この本を読むと扇子職人に弟子入りしたような
    気持ちになれます。
    学ぶことがダイスキな人にとっては「ご褒美」みたいな本ですよ(笑)

    この本に登場する「師匠」
    浅草文扇堂四代主人の荒井修氏は
    あの「坂東玉三郎」の扇子も手がけている職人さん。
    いとうせいこう氏が絶妙な「聞き手」となり
    普段知ることのできないような職人の「中身」を
    引き出し尽くして、まとめあげている極上の指南書です。

    その冒頭に弟子入りして間もない頃の
    こんなエピソードが書いてあります。

    「驚きましたね。最初からいろんな仕事を教えてくれるのかと思ったら、親方が使っている道具を渡されるんです。たとえば「中ざし棒」なんていう、骨を通す道を空けるための竹の棒があるんですけれども、普通の竹を割ったものをポンと渡されて、「これで、俺の使っているのと同じものをつくれ」。道具からつくれというわけです。」

    なるほど。職人に弟子入りして、まずすることは
    自分がこれから仕事をする上で日々使っていく
    「道具」を自分自身で拵えることなんですね。

    これは操体三浦寛理事長の元で学んだことのある人だったら
    「そうだよな」と深く納得できることではないかと思います。

    この職人がたどるプロセスを
    「からだの手入れ」と重ねて考えてみるとどうでしょう。
    実は私たちもまず、手入れするための「道具」を
    拵える必要があるのではないでしょうか。

    操体は自力自療」と言っても
    その「方法」も
    ましてや「手入れの道具」も
    自覚できていない状態では
    自力自療の本領は十分に発揮され得ない。

    そこでまず最初に「指導者」のもとで
    自分自身で一生モノの「道具」を拵えていく。
    その「プロセス」が必要なんだと思います。

    「2014年秋季東京操体フォーラム
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
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  • 「手入れ」を考える 3

    「からだ」の手入れを行なう「専門家」であり「プロ」は
    他でもない「自分自身」。

    「ワタシにも、からだのメンテナンスができるんだ」

    生まれた時から、「からだ」という「器」をいただき
    あちらの世界に行くまで、その「器」を手入れし続ける。
    なんだか何かの「職人」のようですね。

    否、
    正確には、職人の「素質」が在るということでしょうか。
    そのことに気がつくことができたら、人生はハッピーです。

    「からだ」という器をいただいた時に
    ハコの中に「取扱説明書」も同封されていたら
    良かったこと、なのかもしれませんが。

    「ホッ」

    でも、「操体」を学んでいると
    実は「目に見えない」だけで
    「取扱説明書もちゃんと受け取っているのではないか?」
    という「人生へのプレゼント」のような気付きをいただける瞬間があります。

    さて、その『説明書』
    読んでみたくないですか?

    もし、「読んでみたい」と思った方は
    その「素質」がすでに
    「動き」始めているはず。

    操体」を味わう上で
    基本中の「基本」でありながら
    どこまでも底の見えない「問いかけ」があります。

    『感覚』を「からだ」にききわける

    とってもシンプルな問いかけの中に
    からだの「手入れ」に通ずる
    ほとんど全てが詰まっていることを
    身をもって、知る機会を得たならば

    「ワタシにもできる」
    という意識は、いつの間にか
    「ワタシにしかできないことが在る」
    という意識へと変化しているかも知れません。

    「2014年秋季東京操体フォーラム
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
    ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?p=813

  • 「手入れ」を考える 2

    例えば、トイレがつまってどうしようもない時
    そんな時は、水回りのプロ「水道屋さん」を呼びます。

    また、急に電気コンセントが使えなくなってしまったら
    電気のプロ「電気屋さん」を呼ぶ。

    『餅は餅屋』というように
    その道のプロを呼んで、なんとかしてもらうのが一般的です。
    専門家に頼むと、ひとまず大抵の問題は解決することでしょう。

    これは「住まい」の話です。

    昨日に引き続き、私たちの「からだ」に置き換えてみると
    私たちもからだの不調を感じた時に
    その対応をその道の専門家に頼むことが多い。
    西洋医学の分野を例に挙げてみれば
    病院に行けば「○○科」という場所で、その道のプロが待っている。

    ここで、もう一度
    先ほどの「建物」の方に、目線を移してみます。
    住まいの「水」というのは、「水道管」を通じて
    建物全体を廻っています。

    また「電気」も「電線」という道筋を通して
    建物全体を廻っている。
    だからどの部屋に行っても「パチッ」と灯りがつく。

    住まいにしても、その基盤には「循環系」の支えがあるんですね。
    そして、その循環系は単なる閉鎖系に終わらず
    そのまま建物の外へとつながり
    水道局や電力会社という
    「源流」を通しての大きな循環の一部となっている。

    ちょっと堅苦しく言ってみましたが
    そんな「当たり前」の話です(笑)

    でも、そんなことを考えていると
    わたしたちの「からだ」。
    このからだも「水道管」や「電線」のような循環系のシステムによって
    実に精巧に奇跡的に支えられていることを感じます。

    そして、それは単純な閉鎖循環系に終わらず
    からだの外とも繋がっているもっと視野の広い循環系。
    こんな奇跡のようなシステムを前に
    果たして丸ごと「手入れ」することなんて
    できるのでしょうか?

    それが「できる」
    という凄さが、「からだ」にはあります。

    そして、もっと有り難いことに
    その手入れの本来の「プロ・専門家」
    他でもない
    アナタ自身なのです。

    「2014年秋季東京操体フォーラム
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    メインテーマは「操体進化論」。
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  • 「手入れ」を考える

    おはようございます。
    瀧澤さんからバトンを受け取り、今日から一週間寺本が唸ります。
    どうぞ宜しくお願い致します。

    さて、早いもので、今年も11月を迎えました。
    散歩をすれば目に入るのは来年の「年賀状」の準備を知らせる広告。
    季節感を追い越して、意識は前へ前へ、という感じがします。

    ちょっと早い話題ですが、年の瀬が近づいてくると
    なんとなく意識に上り始めてくるのが、「年末の大掃除」。
    これを年が変わる前に、いっぺんに片付けようとすると、なかなか大変なものですね。

    そういえば先日、お昼の番組にお掃除の達人が登場し
    ズバリ、その「秘訣」をこう断言していました。

    「毎日少しずつでもいいから、必ず掃除をすることです!」

    そうすると、「年に一度の大掃除」をする必要がなくなってしまうのだそうです。
    日々の生活を通して、少しずつやっていれば、エイヤッ!と気合いを入れてやる必要もなくなるんですね。

    達人を見習って、このようにバッチリ計画を立てて実行し、継続していくのはなかなかやりがいのあること(笑)
    であると思う一方で
    この「日々の掃除」というのは、とても響くものがありました。
    「掃除」は言い方を変えれば「手入れ」とも言えると思います。

    今の話は「住まい」という「建物」の手入れの話でしたが
    実は操体とも大いに関係している感じがします。
    操体の土俵に移行してみましょう。

    操体にも「建物」に関しての有名な言葉があります。少しでも勉強した方は聞いたことがあるアレです。
    橋本先生の著書の中でも、度々登場する「人間-この動く建物」という名言。
    操体のバイブル「生体の歪みを正す」の中にも出てきますね。

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    そうか、からだも「住まい」と一緒。動く「建物」なのですね。
    ということは、日々の掃除を怠っていると
    年に一度、「動く建物」である「からだ」も
    「大掃除」が必要になってしまうということになります。

    でも「大掃除」の必要なからだって、どんな状態でしょう?
    からだにとっての大掃除は
    場合によっては生命に関わる一大イベントになりかねないのではないでしょうか。
    洒落にならない、一大事になってしまいかねません。

    ここで、先ほどの掃除の達人の言葉が光ります。
    大掃除で大変な想いをしないように………

    「毎日少しずつでもいいから、必ず掃除することです!」

    そう、これはからだも一緒ですよね。
    毎日少しでもいいから手入れをする。

    この「からだの手入れ」という営み
    実にステキなことではないか、と最近感じているのです。
    一方で、この動く建物を前にして
    「手入れ」ってどうやってすればいいのよ?
    というギモンを持つ方もいるのではないでしょうか。

    まさに!その答えは操体の学びの中に山ほどありますので、ご安心を。
    何故なら、人体は構造(ツクリ)があって動く(ウゴク)という「事実」から
    操体は決して目を背けて、逃げてはいないからです。

    というよりも。

    その「動く」という「土台」があって、その上に 「こそ」
    築かれ、積み上げられてきた学問だからです。
    「からだ」という動く建物を
    自分自身で日々、「手入れ」する営み。
    ちょっと、興味沸いてきませんか?

    「ホッ」

    ちょうどそんなからだの勉強ができる機会があるみたいですよ(笑)
    「実際にやってみて、どんなもんか味わってみる」
    そういうことでしか味わえない、からだとの対話。
    そんなアナタ自身で学ぶことができる機会となっていますので
    ピン!と来たら、足を運んでみて下さいね。

    「2014年秋季東京操体フォーラム
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
    ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?p=813

  • イノチ×操体×半歩

    イノチ。
    そのことに意識を向けると、モヤモヤしていたものがスッとする。
    「迷い」も、「躊躇」も
    それを握りしめていた手も、自然と緩んでしまう
    フシギなスイッチ。

    イノチの本質はどこにあるのかな
    「途方もないことだよ」と思っていたことは
    「とても身近なことなんだ」と感じられるようになる。

    その「身近で大切なこと」をこそ、学ぶことって、愉しい。
    操体はからだを通して、魅せてくれる。

    「身近なこと」
    そのことの裏側には、「本質」が潜んでいる。
    「本当に触れたかったモノ」に触れるような学びは
    時間を越えた「彼方」からの追い風を受けて
    イマまさに「加速」してきています。
    「人類」みんなで学んでいます。

    ふと、「半歩」という言葉が降ってきました。
    師匠がいつも言う
    「一歩でも半歩でも前に出ること」
    「一歩」はね、躊躇してしまうこともあるかもしれない。

    でも「半歩」なら

    「半歩」は周りから見れば、「気付かない」くらいの
    ほのかな動き
    でも、それで十分。
    自分自身の「意識感覚」は、半歩でも大きな変化を味わっているから。

    「ア、イマ、内動シテイル、、、」

    この感覚はドコからやってくるのカナ

    その「半歩」の
    「内動」の「源流」をたどる旅
    なんにももたずに
    ほのかで、かすかな
    イノチの声をききにいこう
    イマ、自分自身の感覚で。

    最近大切に感じている「イノチ」というヒビキをテーマにブログを担当させていただきました。
    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    明日からは友松実行委員のヒビキが始まります。
    よろしくお願いします。

  • イノチ×操体×半歩

    イノチ。
    そのことに意識を向けると、モヤモヤしていたものがスッとする。
    「迷い」も、「躊躇」も
    それを握りしめていた手も、自然と緩んでしまう
    フシギなスイッチ。

    イノチの本質はどこにあるのかな
    「途方もないことだよ」と思っていたことは
    「とても身近なことなんだ」と感じられるようになる。

    その「身近で大切なこと」をこそ、学ぶことって、愉しい。
    操体はからだを通して、魅せてくれる。

    「身近なこと」
    そのことの裏側には、「本質」が潜んでいる。
    「本当に触れたかったモノ」に触れるような学びは
    時間を越えた「彼方」からの追い風を受けて
    イマまさに「加速」してきています。
    「人類」みんなで学んでいます。

    ふと、「半歩」という言葉が降ってきました。
    師匠がいつも言う
    「一歩でも半歩でも前に出ること」
    「一歩」はね、躊躇してしまうこともあるかもしれない。

    でも「半歩」なら

    「半歩」は周りから見れば、「気付かない」くらいの
    ほのかな動き
    でも、それで十分。
    自分自身の「意識感覚」は、半歩でも大きな変化を味わっているから。

    「ア、イマ、内動シテイル、、、」

    この感覚はドコからやってくるのカナ

    その「半歩」の
    「内動」の「源流」をたどる旅
    なんにももたずに
    ほのかで、かすかな
    イノチの声をききにいこう
    イマ、自分自身の感覚で。

    最近大切に感じている「イノチ」というヒビキをテーマにブログを担当させていただきました。
    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    明日からは友松実行委員のヒビキが始まります。
    よろしくお願いします。

  • イノチ×操体×音楽

    イノチに響く音楽は、たしかに在る。
    そんなことを昨日、江戸川橋のホールで身をもって経験してきた。

    アーティストは南シベリアのトゥバ共和国からやって来た4人組。
    「Huun-Huur-Tu(フーンフールトゥ)」というグループだ。

    ORPHAN'S LAMENT

    ORPHAN’S LAMENT

    実はこのグループは一昨年の2012年にも来日公演をしている。
    「知る人ぞ、知る」世界をまたにかける「スーパーグループ」である彼らが、日本にやってくる。
    その年の10数年ぶりの来日は、「奇跡の来日」とトゥバ音楽を愛する人たちに囁かれていた。

    それが2年後に、再び生で見れるとは!
    奇跡は2度起こった。

    彼らが演奏するのは、トゥバ共和国の伝統的歌唱法「ホーメイ」と
    数種の伝統楽器の織りなす極上のアンサンブルだ。
    「トゥバ音楽のアンサンブルグループでは世界一」
    このブログでもお馴染みであり
    実は昨日の極上の公演をコーディネートしてくださった
    ヒカシュー」の巻上公一氏も、そんな風に彼らを説明していた。
    たしかに文句なしだ、と感じた。

    ヒカシュー・スーパー2

    ヒカシュー・スーパー2

    トゥバの「音」の世界は、そのまま「トゥバの自然」に根付いた音の世界だと言える。
    昨日に引き続き「言葉」の持つフシギな、見えないつながり
    「音(ネ)」が「根(ネ)」付いているということは
    こういうことを言うのか、というのをしみじみ感じてしまう。

    木のぬくもり溢れる会場に響き渡る彼らの演奏。
    それはスピーカーから、音の「刺激」を受け取るという感じよりも
    音の世界に「包まれている」という感じに近い。

    地平から吹き抜けていく風
    荘厳な山の気配
    そこに息づく生き物の音
    遠い原始の彼方から
    響き継がれてきた音

    気付くと目を閉じて、その世界を味わっている自分がいる。
    すると、どうであろうか
    自然に根付いた音の世界は、そのまま自然に包まれているような感覚に誘ってくれる。

    その時に気付いた
    その包まれている中で
    からだが反応していること
    イノチが悦んでいるのを感じたこと
    ただ聴いているのではなく
    受け取っている自分自身にも「何かが起こっている」という実感であった。

    これは「刺激」にばかり傾いている、ただただ一方的に受け取るだけの音楽では
    なかなか味わうことのできない現象だと思う。
    そしてこれは何も音楽表現のことに限らず
    同じようなことは、からだを診るという臨床の世界にも重なってくるのではないだろうか。

    操体の臨床に関わっている方には
    是非一度この体験をからだを通して味わってみて欲しい。

    つい昨日、2度目の奇跡は起こってしまったが
    「2度あることは、3度ある」という言葉を信じて
    彼らがまた日本に
    「極上のヒビキ」を届けに訪れてくれることを、切に願う。

    最新のトゥバ共和国ホーメイ」情報を知りたい方は
    以下の巻上公一さんHPをオススメします。
    http://www.makigami.com/

  • イノチ×操体×音楽

    イノチに響く音楽は、たしかに在る。
    そんなことを昨日、江戸川橋のホールで身をもって経験してきた。

    アーティストは南シベリアのトゥバ共和国からやって来た4人組。
    「Huun-Huur-Tu(フーンフールトゥ)」というグループだ。

    ORPHAN'S LAMENT

    ORPHAN’S LAMENT

    実はこのグループは一昨年の2012年にも来日公演をしている。
    「知る人ぞ、知る」世界をまたにかける「スーパーグループ」である彼らが、日本にやってくる。
    その年の10数年ぶりの来日は、「奇跡の来日」とトゥバ音楽を愛する人たちに囁かれていた。

    それが2年後に、再び生で見れるとは!
    奇跡は2度起こった。

    彼らが演奏するのは、トゥバ共和国の伝統的歌唱法「ホーメイ」と
    数種の伝統楽器の織りなす極上のアンサンブルだ。
    「トゥバ音楽のアンサンブルグループでは世界一」
    このブログでもお馴染みであり
    実は昨日の極上の公演をコーディネートしてくださった
    ヒカシュー」の巻上公一氏も、そんな風に彼らを説明していた。
    たしかに文句なしだ、と感じた。

    ヒカシュー・スーパー2

    ヒカシュー・スーパー2

    トゥバの「音」の世界は、そのまま「トゥバの自然」に根付いた音の世界だと言える。
    昨日に引き続き「言葉」の持つフシギな、見えないつながり
    「音(ネ)」が「根(ネ)」付いているということは
    こういうことを言うのか、というのをしみじみ感じてしまう。

    木のぬくもり溢れる会場に響き渡る彼らの演奏。
    それはスピーカーから、音の「刺激」を受け取るという感じよりも
    音の世界に「包まれている」という感じに近い。

    地平から吹き抜けていく風
    荘厳な山の気配
    そこに息づく生き物の音
    遠い原始の彼方から
    響き継がれてきた音

    気付くと目を閉じて、その世界を味わっている自分がいる。
    すると、どうであろうか
    自然に根付いた音の世界は、そのまま自然に包まれているような感覚に誘ってくれる。

    その時に気付いた
    その包まれている中で
    からだが反応していること
    イノチが悦んでいるのを感じたこと
    ただ聴いているのではなく
    受け取っている自分自身にも「何かが起こっている」という実感であった。

    これは「刺激」にばかり傾いている、ただただ一方的に受け取るだけの音楽では
    なかなか味わうことのできない現象だと思う。
    そしてこれは何も音楽表現のことに限らず
    同じようなことは、からだを診るという臨床の世界にも重なってくるのではないだろうか。

    操体の臨床に関わっている方には
    是非一度この体験をからだを通して味わってみて欲しい。

    つい昨日、2度目の奇跡は起こってしまったが
    「2度あることは、3度ある」という言葉を信じて
    彼らがまた日本に
    「極上のヒビキ」を届けに訪れてくれることを、切に願う。

    最新のトゥバ共和国ホーメイ」情報を知りたい方は
    以下の巻上公一さんHPをオススメします。
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