カテゴリー: 寺本 雅一(てらもと まさかず)

  • 「山崎晴美のこむらがえる夜 初夜」

    昨日は「ご褒美」の夜を味わった。
    新宿歌舞伎町の地下2階。
    ロフトプラスワンというイベント空間にて、山崎晴美氏のトークイベント「山崎晴美のこむらがえる夜、初夜」が開催された。
    幸運にもそのイベントを知る機会を得て、チケットを手にすることができた。

    これも先述のシマジ先生メルマガと同様、当フォーラム常任理事の畠山先生からご紹介いただいたもの。
    それには理由があり、記念すべき「初夜」の特別ゲストはあの松岡正剛氏であったのだ。

    松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。

    松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。

    「これは行かねば」

    とアンテナが働いた。
    昨日の夜はその畠山先生と、実行委員先輩であり、一緒にいると「純粋センス」のようなものを補給していただけるT氏と、3人での参加となった。

    私は18時半の「開場」を少しすぎたあたりから「異空間」に突入した。
    すると最前列が一列、丸ごとキレイに空いていたので、思いきってカブリつきで堪能させていただくことにして、陣取った。
    開演19時半からの3時間あまり、特別な時間は余韻を残して、いつの間にかの終演となった。

    この日は面子がとにかく豪華だったと思う。
    司会は工作舎編集の石原剛一郎氏。

    オデッセイ1971‐2001―工作舎アンソロジー

    オデッセイ1971‐2001―工作舎アンソロジー

    そして、後半の2部からは、80年代初頭に結成されたファンクバンド「EP-4」の佐藤薫氏と、1974年から活動を続けている岡山のライブハウス「PEPPERLAND」の主宰、能勢伊勢雄氏の2名も加わり総勢5名でのトークとなった。

    昭和大赦-リンガ・フランカ1

    昭和大赦-リンガ・フランカ1

    正直に言うと、恐縮ながら私は松岡さん以外のこの4名の方を、この日になるまで、深く知ることは無かった。
    しかし、トークの最中に「今日は本当に来て良かった」と何度も感じた。
    「今日知ること」ができて本当に良かった、と思えた。
    昨年末のヒカシューライブでも同じような感覚を味わったことを思い出した。

    万感

    万感

    「こむらがえる夜」も第4夜まで企画されているらしい。「要チェック」である。

    操体の「臨生家」を目指して未だ修行中の私であるが、今自分が学んでいることと、昨日の夜語られていたことばの間に、私なりに繋がりを見出すことができたように思う。

    その一つは、「蓋」をされてしまっている「可能性」のようなものに、眼差しを持つことだと感じる。
    その対象は「人間」、「生命」、「宇宙」、「音」、「言葉」、、、
    解像度を変えて、好きなように。「概念」もその「線」をズラしたり、消してみたり。行ったり来たりしてもいいよ、と。

    そしてその「可能性」の存在を信じること。
    信じたことを「自らのからだ(自身)」をもって探求していく中で、この「現象」の世界に生かしていくこと。

    橋本敬三先生の語られた「自然法則の応用貢献」という文脈。
    自然法則の存在を信じ、探求し「やってみて」掴んだ者は、それを「応用」し
    さらに「貢献」に繋げていく義務がある。

    分野は違えども、「自然法則の応用貢献」という使命から、たくさんの人と語り合える気がする。
    操体の魅力には「ジャンル」という固定概念を越えていける、学びの寛容さもあり
    カテゴリーに関係なく、学び合える悦びがあると思う。

    日本に、こういう人たちが存在しているということが、本当に嬉しい。
    4月27日の当フォーラムも、分野に関係なく
    「アンテナ」の働いた方に、是非来ていただきたいと思っています。

    
2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催されます!

会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。



    テーマは「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」

是非お越し下さい。

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    明日からは友松さんが担当されます。どうぞ、お愉しみに。

  • 本人にしか、受け取れないものが在る

    日常の中の一コマから。

    誰かと話をしている時。
    特に、少し「悩み」を抱えているような人と話している時。
    気付くと、その人に対して、「良かれ」と思って
    何か助言的なことを、「言葉」で伝えていることがある。

    決して大きく「的外れ」なことを伝えているわけではないようにも思える。
    寧ろ「核心」に響くような言葉を感じ、伝えようと心がけた結果の「言葉」を
    どうにかこうにか、紡ごうとしている。

    相手も、その話を「うんうん」と聞いている。
    「たしかにそうだ」という納得感が伝わってくることもある。
    時には「助言」のようなものを、積極的に聞いてくる人もいる。

    「少しは役にたったのだろうか」

    一部始終を終えたあと、そんなことを考えながらも
    ぼんやりと「モヤモヤした感じ」を抱えている自分自身に気付くことがある。
    「少しは役にたったのだろうか…」

    あることを境にして、自分自身の中で
    「本人にしか、受け取れないものが在る」
    ということを痛感した。
    そのことがいかに「尊い」ことであるか。

    どんなに、「もっとも」なことであっても
    他人の口から語られたことと
    自分で「そうだ!」と感じたことの間には
    大きな差がある。

    その人自身が受け取り
    その結果として、本人の口から「言葉」が生まれ
    また、本人のからだから「表現」されてくるものには
    他力的な向き合い方では決して届かない、領域が広がっている。

    その「領域」を味わう時間と空間を実現していくこと
    「芽」を摘み取るのではなく、「芽」が育つこと。
    操体の最前線の歩みの、その先の先にも
    豊かな学びの領域が広がっているのが見えてくる。

    ↓まさに操体の最前線を体感できる機会となるでしょう!
    
2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催されます!

会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。


テーマは「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」

是非お越し下さい。

  • 眠りの旅、意識の旅

    4月27日(日)に千駄ヶ谷津田ホールで開催される2104年春季操体フォーラム。
    今回のテーマは「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」です。

    操体の眼差しが、ついに「眠り」の世界にも及び始めている。
    これは、大きな一歩に繋がるのではないかと、何か予感するものがある。

    「快適感覚」のスペシャリスト達が提唱する「快眠」、そして「快醒」。
    どんな時間と空間になるか、愉しみは広がりゆく。

    27日の日を、味わう為の「プロセス」として、自分自身もここ数週間、「眠り」について意識を持ち、色々と実践している。
    その中で、「眠りに意識を向けること」は、それだけでもとても面白い!
    ということが段々わかってきた。

    そして、今まで「睡眠」を、単なる「休息」としか捉えていなかったことを実感し、反省した。
    私、個人の感覚であるが、「眠り」を単なる「休息」だけにしておけないような気がしている。

    私の中で「旅」というイメージが、そこに当てはまる。
    「眠り」は「旅」でもあるのではないか、という実感が芽生えてきている。
    それは言葉を変えれば「意識」の旅。
    明らかに覚醒時と眠っている時とで、働いている「意識」が変化しているように感じることがあるからだ。

    「旅」に出ると、大抵の人はそこでの「思い出」や「経験」、「民芸品」、「郷土のお菓子」など
    旅先から「お土産」を手にして帰ってくる。
    そしてちょっと、意識の次元をかえてみる。
    「眠り」の旅にも、「お土産」があることをご存知だろうか。
    私は師匠から、そのことを教えていただいたことがある。

    「快眠・快醒」、そして「入眠儀式」。
    「眠りの旅支度」をしっかり整えておくことは、旅先での「経験」や「お土産」の豊かさに、きっと繋がっているはず。
    と、そのように意識を向けてみると、「眠りの世界」がまた一段と愛おしい営みに感じられてくる。

    ↓日々の「眠り」を通して、「お土産」を受けとるヒントも感じられるかも!
    
2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催されます!

会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。


テーマは「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」

是非お越し下さい。

  • 「週刊 SUPER Shimaji-Holic」!

    今年に入って、本フォーラム常任理事の畠山先生より貴重な情報を得る。
    あの「シマジ先生」がメルマガをされているらしい。
    即、登録し、1月から噂の「週刊 SUPER Shimaji-Holic」を愛読するようになった。

    https://mall.ismedia.jp/category/select/pid/8994

    ちなみに「シマジ先生」とは、このブログに目を通されている方なら、お馴染みの名前だと思います。
    言わずもがな、元週刊プレイボーイ「伝説の編集長」、島地勝彦先生のことです。

    異端力のススメ―破天荒でセクシーな凄いこいつら (光文社文庫)

    異端力のススメ―破天荒でセクシーな凄いこいつら (光文社文庫)

    「月額¥1,080」を納めれば、毎週火曜日にシマジ先生からのアツいメッセージが届く。
    そのテーマは「神々にえこひいきされた男たちの物語」。
    「後光」を纏った、「怪物」のシルエットが脳裏に浮かんでくる。

    このメルマガ、週に一回シマジ先生から「手紙」をいただいているような気持ちになる。
    それがまた、芯に響いてくる手紙なのだ。
    大抵は火曜日のお昼休みに読むことにしている。
    職場の中で、独り、心が洗われるようなひとときを味わっている。
    なんて言えばいいのか、「純度が違う」と思う。
    しみわたる言葉に、静かに涙してしまうときも、ある。

    シマジ先生の「物語」を拝見していていつも感じる。
    そこには「人の魅力」が溢れかえっている。
    「なんて、世の中には魅力的な人間がいるんだ!」と教えてくれる。
    人間に対する眼差しの深さなのか。これが「愛」なのだ、と感じ入る。
    人が輝いて見える文章。そして、そんな文章をみているとその人に「会いたく」なってくる。

    「週刊 SUPER Shimaji-Holic」は、それ単体でもエネルギーを注入してくれる有り難い贈り物だと思っているが
    加えてもう一つ、このメルマガを面白くしている要素がある。

    それは「サロン・ド・シマジ」の存在である。
    これも言わずもがな、新宿伊勢丹メンズ館8階。
    シマジ先生のお目に適ったアイテムと出会うことが出来る、「異空間」のことだ。
    そして、そのフロアの一角に、「より濃厚な異空間」が存在する。

    そう、名物の「バーカウンター」である。
    ほぼ毎週、土曜日と日曜日。決まった時間帯にそのバーを訪れると
    異空間の「極まり」であり「核」である、シマジ先生ご本人に“じかあたり”できるのだ。

    「物語」の中にも時折、この「バー」での出来事が語られている。
    (師匠も「物語」の中に出て来てびっくり、感激した)

    「メルマガ」というと、「一方的に送られてくるだけのもの」、という認識が今まであったが
    「週刊 SUPER Shimaji-Holic」はそれだけではなかった。
    この「サロン・ド・シマジ」の存在が、メルマガ読者にからだを伴う「物語への参加の機会」を提供しているのだ。

    ちょっと勇気を出して、伊勢丹のエレベーターに乗る。
    そして、重厚感のあるバーの扉を、思いきって開けてみれば、「物語の世界」がそこに在る。

    操体的に捉えてみるならば、「メルマガ」と「バー」はたしかに「連動」している。
    そして、自分自身の「意識」が変わり、行動することで、あの「物語」にも連動するものを感じられるはずだ。
    「決して、他人事ではい。自分事だよ」と、シマジ先生の生き様から教えていただいているような気がする。

    ↓こちらの「異空間」にも、”じかあたり”をオススメします!
    2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催されます!

会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。


テーマは「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」

是非お越し下さい。

  • ろうそくの灯り

    最近、夜中にふと目が醒めて、孤独時間を味わうときに、もっぱら「ろうそく」の灯りを使うようにしている。

    電気の灯りに比べると、だいぶ暗い。
    いつもの「夜中」が、「夜の、闇の中」という感じに変化する。
    それがたまらなく好きだ。

    どこか「火を使う」ということも、味わっている感がある。
    変な話、間違っても「火事」にならないように。
    普段の「スイッチの灯り」では使わないような意識が、つねにうっすらと働いている。

    それは
    炎が大きくゆらいだ時の、少しの緊張感であり
    火を見ている時の、何とも言えない安堵感であり

    そんな、ろうそくの炎には、ついつい見入ってしまう不思議な魅力がある。
    いつまででも見ていられるような感覚になる。
    なにも特別なものではなく、100円で3本の世界。
    なんでこんなに魅了されるのだろうか、本当に不思議だ。

    見ていると、完全に静止しているわけではなく、微妙にゆらめいている。
    周囲の影響をしっかりうけとっているのがわかる。
    例えば、ほんのかすかな呼吸の営みまでも。

    それが単なる人間の「呼吸」だけではなく
    冷えたすきま風や、植物の静けさや、冷蔵庫のうねりや。
    そんな空間に存在するものすべてを
    「空間の呼吸」を受けとっているように見えてくる。

    そういうものを
    「蛍光灯」の灯りでは隠されてしまうような微かな現象を
    ろうそくの灯りは浮かび上がらせているのではないかと思い至る。

    そういえば
    操法を味わっている「からだ」を前にしても、そうだ。
    そのからだが見せてくれる世界も、時に見入ってしまうような
    吸い込まれていくように魅力的に感じる時がある。

    この「魅力」には、きっとつながりがあると思う。

    「現象の質」を想う。
    その源は、何処に。

    ↓この日も、その「ヒント」を感じられると思います!
    
2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催されます!
    
会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。


    テーマは「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」

    是非お越し下さい。

  • 自分で汗をかきなさい

    今日一日、という時間を過ごすなかで、以前、師からいただいた、この言葉が響いてくるようだった。
    「自分で汗をかく」とはどんなことだろう。

    本を読んだり、人から話を聞いたり。
    そういうことを通して、日々多くのことを学んでは、いる。
    けれども、よくよく振り返ってみれば
    それは先人が汗水たらして学んで来たことの「恩恵」に寄りかかっているだけ。
    その段階で、立ち止まってしまっているのではないか。

    師や先輩と時間を共にして思う。
    なぜ、あんなに対応していけるのか、応用していけるのか。
    答えは、シンプルなこと。
    「自分で汗をかいてきた(かいている)」からだろう。

    今、自分が教えていただいている「操体」、「操体法」にしてもそう。
    体系化されているものを見せてもらっているから、忘れてしまうことがある。
    この学びが今の段階まで確立されるまでに、いったいどれだけの時間と、積み重ねと、試行錯誤と、「汗」が流されてきたのかと。

    未開拓の、手つかずの、野放しにされていた土地。その地を、何年、何十年と汗をかいて耕して、種をまいて、失敗もして。
    少しずつ少しずつ「実り」も大きくなって。

    急に木村さんのりんごのことが思い浮かんでくる。

    奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)

    奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)

    その、まさに「結果」。文字通り「収穫物」を、今はいただいているにすぎない。
    そういうことを忘れて学んでいては、いつまでたっても自分の畑を耕すことなんてできない。

    自分自身、汗をかくことを通して、自分自身の畑を作っていくことをしよう。
    先人の汗をかいてきた、その姿をこそ、今のうちに学びたい。

    
2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催されます!
    
会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。


    テーマは「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」

    是非お越し下さい。

  • 消しゴムの有り難さ

    寺本雅一です。今日から一週間ブログを担当させていただきます。
    どうぞよろしくお願い致します。

    早速ですが、みなさんに質問です。
    持ち物の中に入っている筆記用具入れ。「ふでばこ」や「ペンケース」を想像してみてください。
    その中に「消しゴム」や「修正液」は入っているでしょうか?

    ちなみに、僕のふでばこには、今どちらも入っていて、毎日大活躍しています。
    実は、以前はこのどちらもほとんど使うことなく、ご縁のない存在でしたが、操体をとおして学ぶ愉しさ、その味わいを知ってしまってからは欠かせない「相棒」のような存在となっています。
    そんな相棒的文具について、今日は書きたいと思います。

    ふと気になって、改めて、その理由を考えてみたところ、
    大きくわけて、二つのことが浮かびました。

    1、一度「わかった」と思ったことを繰り返し学ぶようになったこと
    2、間違っているとわかっているものをそのままにしておけなくなったこと

    この二つです。

    1については、学ぶということの「極意」だと感じています。
    言葉にすると、至極当たり前なのですが、でも実践し、継続してみるとその妙味を味わうことができると思います。

    例えば、仕事のノウハウや、勉強していることや興味のあること。
    「わかった」と思い、書き留めた記録を、時間が経ってからもう一度見てみる。からだに入れて、感じてみる。すると、必ず「あれ?」という点が見つかるはずです。「ここは、こんなことにも繋がってくるんじゃなかろうか」というプチ発見や「あ、ここ間違っているかもしれない…」と見えてくるものがあると思うのです。どうでしょうか?

    また2については学ぶ人間の「自己責任」にも繋がってくると思います。「ここ、なんかしっくりきてないんだよな…」というような点。その違和感に「気付いている自分自身」をふと感じること、ないでしょうか。もし感じているならば、それは宝物です。その場で、その声に従う必要がある。

    なぜならその場で、そのことを知らんぷりしても、まわりまわって結局また同じことをちゃんと考える必要が生じて、もう一度向き合わなければいけなくなるからです。ちょっと抽象的な話になってしまいましたが、そんな経験はないでしょうか?僕はそのことを、ようやく身にしみて、学び知りました。

    そんな時に、必要になってくる「消しゴム」や「修正液」。
    線で消したり、もじゃもじゃっと黒く塗りつぶすのもいいですが、僕はあえて「消す」ようにしています。適当に消すんじゃなくて、「ちょっと姿勢を正して消す」という気持ちで。

    最初は抵抗もあるかもしれないけれど、思いきって消す。そして、今感じていることへと更新する、追加する。

    これがなかなかクセになってきます(笑)。
    言い方を変えれば、書いたり消したりというのは、自分自身との正直な対話でもあるはずです。
    不思議と、「書き直した部分」というのは愛着が生まれます。しかし、それもまた、必要を感じたら消して、更新していく。変化を受け入れていく。

    そんな、「消しゴム」&「修正液」というのは、「時間を越えてしまうツール」のようにも思えて来ます。
    なぜなら「記録」を消して、新たに書くという行為は、「過去」と「現在」が繋がることであり、もっと言ってしまえば、「いま」という次元で学びと向き合えるツールであるように思えてくるからです。

    そして例えば、「修正液」というものは特に面白くて、書いたことを消してしまったように見えますが、その裏側から見ればむかし書いたこともちゃんと読めてしまう(笑)。
    「時間」もいったり、きたり出来てしまう次元越えツールでもあるのです。

    
2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催されます!
    
会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。


    テーマは「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」

    是非お越し下さい。

  • 皮膚のこと

    操体と出会い、学ぶようになり「皮膚」のことを想う時間が増えた。
    こどもの頃からアトピーがあり、治ったかと思ったら大人になってまた現れたり。
    夏も冬も関係なく、「波」のように手の荒れや皮膚の荒れを繰り返す。
    振り返ると自分の皮膚に対して、無意識に、あまりいい印象を持てていなかったように思う。

    操体の講習や実技を通して、言葉や体感をもって。
    「皮膚」とあらためて出会ったように思った。
    今まで気が付かなかったことに気付き
    「包まれている」ことの凄さ、有り難さを体感した。

    当たり前だと思っていることは、決して当たり前ではない。
    当たり前が、当たり前でなくなった時の衝撃というのは
    なかなか想像できるものじゃない。
    いかに、頭の中に「常識」というレールが敷かれているかを認識する。
    そういうことを「皮膚」との新しい関係から、教えてもらっているように感じる。

    例えば、冬の寒さと乾燥。
    お風呂上がりにはなかなか堪える。
    「ひりひり」したり「じんじん」したり
    様々な表情を見せる。

    「いままで」を振り返ると
    そのことはとってもおっくうで、ただただ保湿クリームをぬり込むばかりだった。
    皮膚からの「声」に耳を塞いでいたなぁと思う。

    「いま」はこの風呂上がりのひとときが、大切な時間になっている。
    感覚してみたり、触れてみたり。
    色々試してみるなかで
    皮膚からの「声」が変化しているのに気付く。

    思考ではなかなか捉えられない「感覚の世界」が始まると
    どこまでも可能性があるのではないかと感じさせてくれる。
    そのことが、無性に有り難い。
    「皮膚」は、「細胞」は、たしかに生きている。
    ちゃんとみている。みられているんだと。。。

    穏やかで、静かで、充実した時間のなか
    「いままで、ごめんなさい」と
    いつの間にか、眠っている。

    一週間ありがとうございました。

    ここで一寸、告知をさせて下さい。
    来年2014年4月に春季東京操体フォーラムが開催されます!
    今回は4月26日(土)、27日(日)の2日間です。
    26日は三軒茶屋ターミナルビル、27日はいつもの千駄ヶ谷津田ホールにて行われる予定です。
    2daysの詳細は東京操体フォーラムHP等で追ってお知らせする予定です。
    気になっている方、いましばらくお待ち下さい。

    明日からのブログは友松さんが担当されます。お愉しみに!

  • 黄金螺旋

    からだのことを学んでいるうちに、「螺旋」というキーワードに対する興味が出てきた。
    このキーワード、あらゆる現象に密接に関わっている気配がする。
    「螺旋」は3次元曲線。
    これを2次元の平面に投影すると「渦巻」という2次元曲線になる。

    「螺旋」と一口に言っても、さまざまな種類があるらしい。
    インターネットで検索するだけでも「〜螺旋」と名のついたものが沢山でてくる。どれもその表情が違って見えて面白い。

    臨床に話を移して、介助/補助を受けている際のからだの動きのイメージ。ここにもこの軌跡が重なることがある。
    「植物的な動き」は言い換えれば螺旋の動きとも言えると思う。

    からだの動きの安定、充実感。
    操者として、また被験者として。
    動診、操法の中でいまいち充実感が足りないと感じる時。
    また、介助に「隙間」があるなと感じる時、抜けているなと感じる時がある。
    そういう時に目に見える動きも、目に見えない動きも。
    そのどちらも含めて、「螺旋」の軌跡が関わり、さらにその「質」を吟味するのが大切なのではと感じている。

    話はまた変わって漫画の話。
    中学生の頃から愛読している漫画に「ジョジョの奇妙な冒険」という作品がある。
    20数年続いている名作であるが、そのうちの第7部「スティール・ボール・ラン」にハッとする内容が書かれている。

    登場人物の中に「鉄球の回転」を扱う人物が登場する。
    この回転を駆使して、あらゆる現象を生み、妙技をもって目の前の出来事に向き合っていく。
    その物語の後半、回転の「質」に関わるやり取りが描かれるシーンがある。
    今までの回転とは違う、さらに質の高い回転を模索する必要性がでてくる。

    そのとき、その人物は「黄金比の長方形」から生み出される回転の存在に気付く。
    その「黄金長方形」から描き出される回転の軌跡は「黄金螺旋」である。

    すごいなと思ったのは、この人物が「黄金比の回転」を生み出す時。
    その原型となる「黄金比の長方形」を「自然界に存在するもの」から見出すことだ。
    それは時に、舞い降りる「雪の結晶」からも見出される。

    漫画の世界、フィクションの世界とあなどってはいられない。
    操体を学ぶことに大いに役立つ情報が詰まっているように感じている。

  • コーヒーの渦

    勉強するとき、独りの時間を過ごすとき、最近はもっぱらコーヒーを飲んでいる。
    以前はブラック派だったのが、日に何杯か口にするようになり、ミルクを入れるようになった。

    朝のぼんやりとしたひととき。
    コーヒーにミルクを入れ、スプーンでかきまぜる。

    ある朝、あまりにぼんやりしすぎて、ミルクを入れてからしばらくぽかーんとしてしまう。
    朝の新鮮な日差しが入り込んでいる。静かなひととき。
    ふと、放置していたコーヒーを見ると、ミルクがくるくると渦を巻いている。
    混ぜなくても勝手にミルクはコーヒーと溶け込む。当たり前のことだよなぁと思って見ている。

    とは言いつつも、その渦の感じ。
    お?
    当たり前だと思って漫然と見ていたけれど、なんだか面白く見えてくる。
    コーヒーの水面には次々に底の方からミルクが湧いてくる。
    それが大小さまざまな螺旋を描き、それぞれのスピードでくるくるしている。
    勝手な動きのように見えて、見えない歯車がかみ合っているように。
    全体一体の流れのごとく刻々と変化している。繊細でダイナミック。
    昔、美術の授業で習ったマーブリングのようなミルクの動態。

    なんとなく「脳の皺」のようにも見えてくる。
    あぁそういえば、脳のあの「皺」も熱対流が原動力になってできあがるという説を聞いたことがあった。
    ミルクの渦と脳の皺。まさに宇宙の神秘。

    そんな風に、ちょっと感動を味わった後、「ではそろそろ飲もうかな」と思った時。
    「水面下」に揺らめいているものを発見する。
    ずっとコーヒーの水面ばかり見ていたけれど、カップの中の目に見えない底の世界にも流れがあることを知る。

    ここにも渦があったのか。しかもこっちのはだいぶ立体的。
    この見えない流れがあって、水面の渦が見せてくれる世界があるのか。
    水面の渦は「氷山の一角」。
    コーヒー然り、裏側の世界にはさらなる神秘が隠されていることをここでも思い知る。

    コーヒーの世界では、わざわざかき混ぜなくても、ミルクとコーヒーはゆったりと調和していく。
    飲む人はミルクを入れただけだ。
    からだの世界でもそう。「からだ」と「快」が出会うきっかけを演出することだけ。
    あとはからだにおまかせすること。

    そうは言いながら、からだを前に「必要以上」のこと。
    例えば、スプーンでかき混ぜる様なことを自分はしていないだろうか。
    コーヒーとミルクが描くのびのびした螺旋の渦が、一際美しく見える。