カテゴリー: 友松 誠(ともまつ まこと)

  • スケートの思い出。

    子供の時のことですが私が小学校の時は、冬になると体育の授業はいつもスケートでした。

    学校の裏庭に教室2つ分くらいのスケートリンクがあり、スケートリンクといっても裏庭にコンクリートを敷いてその上に水を撒き、まわりをかき氷の様な氷で田んぼの畦のように固めただけのシンプルな青空スケートリンクで、この時期になると学校先生や用務員さん、世話役の大人が夜中の3時頃に交代でバケツの水撒きをして少しずつ氷が厚くなって完成する手作りのありがたいスケートリンクでもありました。

    この時期に洗車とかホースで水を出す作業をしていると、あの時のスケートリンクのことをふっと思い出すのですが、あのスケートリンクの氷はホースで水を撒くと氷に段差が出来てしまうのでバケツで一回一回水を撒いていると当時、体育の先生から聞き、小学生の私はそんな面倒な事しなくてもホースから水を出しておけばいいじゃないかと思っていましたが、今になって思えばホースを使ってしまえば、端から水を入れるにせよ、上から散水式に水を撒くにせよ、温度差や時間の都合、圧によりどうしても段差やムラができてしまい、滑っていて危ないので一回一回バシャー、バシャーと水平にバケツで撒いていたと理解することができ、今になって感謝の念がジワ〜と湧いてきます。
    最近、なんだかこんなふうに、その時は別段気に留まらず理解しようともしなかったことが、ふっと思い出されて今では理解が出来て、ありがたみがわかって一人でジーンとすることが多くなったように感じます。
    操体を学んでいる中でも、その時見落としていることや、その時ピンとこなかった御師匠の言葉、心配りなど何年か経った頃にふっと思い出して、ありがたみでジーンと感動している自分がきっと居るのだろうなぁと思います。

    スケートの授業といっても遊びの延長のようなもので、みんなそれぞれおもいおもいに滑って止まる、滑って止まるを繰り返していました。
    もっとも、滑って止まると普通にできるようになったのは自分の場合5、6年生になってからで、低学年の頃は立っては転び、前に進んでは転びでズボンはいつも氷がつきっぱなしで尻はビショビショ、膝は破けてつぎはぎだらけという感じでしたが、それでも3年生頃にはなんとなくコツがつかめてきて片足ずつ体重を乗せながら、それなりに滑れるようになったと思います。
    それなりに滑れるようになってきてスピードも出るようになったら、今度は止まり方がうまくいかない。
    横向きになりながらザーッとカッコよく止まりたいのですが、そうはいかず、ザッ ドテッとか、ザッ ゴロンといつも転がってしまう。
    結局いつまでたってもビッショビショのつぎはぎだらけ。
    上級生の止まる姿を見ていると止まる時に氷のしぶきがブワァーとあがり格好良く止まっている。中には片足立ちで氷のしぶきをあげて止まっている人もいる。
    よしっ俺もと、力めば力むほど、ブレーキはかからずもっと勢いよくドッテン ズザ〜。
    そのうちヤケになってライダーキック状態(仮面ライダーの必殺技)。全然ダメ。
    それでも、4年生か5年生頃には低学年の時の上級生がやっていた片足立ちで氷のしぶきをブワァーとあげて止まるようなことも出来るようになっていた。

    うまく止まれるようになった時のことは今でも良く覚えている。
    なぜ良く覚えているかといったら、それまで何年も出来なかったことが一日で出来るようになったからかもしれないが、その時の天気やまわりの木々の風に揺れる感じまで良く覚えている。
    この前日に体育を教えている先生にスケート靴の歯を研いでもらったら、これがガッチガチにエッジがきいてしまい、今までのようにライダーキック状態でブレーキをかけていたら変な転び方をして、捻挫でもしてしまうような感じだったので、しばらくはスピードを出さず、ゆっくりとそしてブレーキをかけるときもスキーのボーゲンのように歯をハの字にしてゆっくり静かにブレーキをかけていた。
    それから歯のハの字を右足の方を余分に利かせることで左にカーブしながらブレーキが上手くかかる事が感じられるようになってきた。
    「あれっ?何だか出来てきた こんなんでよかったんだ〜」と小学生の自分は素直に喜び、うれしくて同じ事を何度も何度も繰り返して遊んでいた。
    休みの日だったので一日中やっていたら帰る頃には、右足をヒョイと持ち上げて左足だけでブレーキをかけ、氷しぶきをあげて止まることも出来てきた。楽しい、楽しい。 
    一緒にいた友達が「あれ〜 まこっちゃんかぃ?」と不思議そうに声をかけてきた。
    まこっちゃんとは自分の当時のあだ名だが、いつものジャンパーとつぎはぎだらけのズボン、毛糸の帽子をかぶっている、ドッテン ズザ〜のまこっちゃんが、片足で氷しぶきをあげて止まっているのだから不思議がるのも無理はない「オ〜ゥ そうだよ〜」と得意げな小学生の私。

     
    この頃のことを思い出すと、うまくできなかった頃は、一気に出来るようになろうという意識だけが先走り、結局長い間うまくできなかったように思う。
    不自然な欲を取り払い、少しずつ積み上げていけば、ちょっとしたことから理に適う方向へ導かれ、そこには快があり劇的変化があるのかもしれない。

    昨日は新年会があり、先生はじめ同志の皆様と楽しい時を過ごさせていただきました。
    寿司をいただいたのですが、スーパーなどで売っている機械で握った寿司は食べ進むにつれて、醤油を受ける皿にご飯粒が残ったり、箸で食べていると醤油をつけるときに崩れたりする時もありますが、さすが職人さんが握った寿司はそのようなことはなく適度な固さで、それでいて口の中に入れたときにパラリとほどけるという絶妙な加減でありました。
    長年少しずつ積み上げた精進の末、このような絶妙な加減になるのだろうなと思いながらありがたくいただきました。
    おいしかった。
    ありがとうございました。

    友松 誠。

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  • おはようございます。

    おはようございます。

    雪も降り、冷えますね。
    私の住んでいる地域は、金曜日の朝に降り3センチぐらい積もった後は霙に変わり、夕方までには溶けてしまいましたが、大雪や強風に見舞われている地域の人は色々と大変でしょうが、自然災害にはくれぐれも注意していただきたいと思います。

    このブログの記事は、土曜日に書いていますが、日本海側が大雪に見舞われているためかこちらも今日は、いつものからっ風以上の強風が吹いており、いつもは西側の窓になのですが、今日は北側の窓にドーンと突風がぶつかってきています。
    明日、明後日は成人式を予定している地域の方々もいると思いますが、路面の凍結も予想されますので十分に注意してください。
    新成人の方々の中には羽織袴、振袖などの和装で出かける人も多いと思います。
    せっかく足袋を履き、草履を履くのですから、足の親指側、足心を意識して、重心を安定させ、きらびやかな晴れ着を、転んで汚さないようにしてほしいと思います。
    そして足心で踏み出す一歩を、新しい門出の一歩としていただきたいと思います。
    また仕事などの都合で成人式に行けない人(私もそうでした)も心は錦でいてほしいと思います。

    今、土曜日の夜なのですが、朝起きた時は雪の降ったあと特有の空気の澄みかたで、遠方に見える山々の輪郭もクッキリして、うっすらとまだ少しだけ雪が残っている姿が幻想的でとても綺麗でした。
    写真に撮って載せようと思ったのですが、デジカメのバッテリーを充電しているうちに忘れてしまい、昼食後に思い出して撮ろうと思ったら、山々の雪は溶け、強風で朝の風景は一変してしまっていました。

    なんだか初日から、あたふたしていますが
    一週間どうぞ宜しくお願いします。

    友松 誠。

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  • 床屋にて

    一週間どうもありがとうございました。
    週半ばに文字化けした記事を出したり、引っ込めたりしてすみませんでした。
    パソコンの扱いにいつも、おっかなびっくりの私は壊しちゃったかな〜と不安だったのですが、いつも講習でサブ講師をなさっている畠山先生に忙しいなか、丁寧にアドバイス、協力をいただき、何とか来週にバトンが渡せそうです。これまで私はパソコンのコピー、貼り付けという機能を使ったことがなく、その都度、手入力していたのですが、この機能を使うと大変スムーズで時間も短縮できることを知りました。感謝です。
    もっともパソコンをいつも使っている人からすれば基本中の基本なのでしょうが、この基本中の基本がわからずに苦労してしまうまたはちょっと頑張れば出来てしまう事なので基本中の基本に目が向かないということが、日常生活のなかにもまだまだ沢山あるんだろうなと感じました。苦労している中でなにかに気づくことも大事だと思いますが、苦労のなかに埋没して心とからだがカスカスに渇いてしまっては元も子もないのではと思います。

    このあいだ床屋にいったときのことなのですが、私が顔を剃ってもらっていると、隣の男性は整髪段階にはいっていて、店員さんから「なにかつけときますか?」と聞かれ、この男性は「じゃあ ジャルでおねがいします」と言っていた。
    ジェルのことをゲルとか言ってしまうのは、なんとなくわかるがジャルとは。
    盗み聞きしていたわけではないが、これは予想外だった。
    心の中では聴いた瞬間「うわはっはっひゃひゃ」大爆笑の満点大笑い状態だった。
    ジャルってなに?航空会社の事?ジャルはないだろう?やっちまったな〜と思うと、また、可笑しさが込み上げてきて口元が緩む。とても顔剃りどころではない。
    隣の男性にも失礼のないよう必死になって咳き込むふりをしてその場を取り繕う。
    どんな人かなとチラッと横目で見ると、ポッと赤くなっている。
    こんななにげない一瞬が私は大好きだ。

    ということで来週は、いつも短髪がきまっている中谷さんです。
    どのくらいのペースで床屋にいっているのだろうか。ん?床屋ではなく美容院かも。
    それはさておき来週もよろしくお願いします。

    友松 誠。

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  • 尖っちゃダメ

    うちに来る人のなかには、来てからひとしきり喋らないと落ち着かない人が結構いる。仕事の事。家族の事。嫌な人の事。
    最初は軽い挨拶程度だったものが、どんどんエスカレートしていってしまう。

    昨日いらした60歳代の女性もひとしきり喋った後、ベッドの上で一番くつろげるポジションで休んでもらった後もまた仕事の事や嫌な人がいるということを喋りだしたのですが、「でも、この歳までまだ元気に仕事ができているんだからありがたいことなんだよね〜」と言った。

    この言葉を聞いて、こちらもなんだか嬉しい気分になってしまい、見えていなかったもの、見よう見ようと頑張っても触れることができなかった部分に自然に手が伸びたのを感じた。
    そこには飛び上がるほどの圧痛があり「痛いよッ!」と一瞬怒られてしまった。

    自分自身が緊張し、神経を尖らせていたのでは解らないような小さな硬結だった。
    相手が痛みや不快症状で気持ちが尖っている時に、こちらも何とかしなければと過剰に緊張して気持ちが尖ってしまうと、相手も尖っている、こちらも尖っているで調和がとれなくなってしまう。尖っているものと尖っているものがぶつかれば火花も散るしお互いが傷ついてしまう。
    相手のからだはもうこれ以上傷つきたくないと願っているだろう。だから一番安楽なポジションをとっても、こちらの気持ちが変に気負って尖ってしまっていれば、自身のウィークポイントを素直にさらけ出してくれないのだと思う。
    相手のからだは不快から快に向かおうとしており、この快は刺激的なものではなく、ゆったりだとか、くつろぎ、リラックスに通じる快なので、こちらがそれを妨げるような緊張を表していれば、相手のからだも快に向かおうとはせず、これ以上痛くされないようにと身構えてしまい、ウィークポイントを見せてくれないのだと思う。

    からだは、どうやってこちらの緊張を感じとっているのだろうか。
    相手のからだとこちらとの間には必ず空気があり波動が存在する。
    尖った荒い波動、やさしい波動、おだやかな波動。相手のからだは、こちらの波動を感じとっているのではないかと感じます。
    尖った荒い波動を発していれば、相手のからだは閉ざされるでしょうし、おだやかな波動を発していれば相手のからだは開放してくるのではないでしょうか。

    自分の波動をおだやかにするには、「ありがとう」という感謝の気持ちを持つことだと思います。
    そしてそれを言葉にすること。
    昨日来た60代の女性は「ありがたい」と口にしたことで自分自身をおだやかにし、こちらの気負った緊張も解いてくれ、私の手を自身の病んでる部分に導いてくれたのではと思います。
    この人なんだかすごい人なのかも。

    友松 誠。

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  • 卓球

    今回の北京オリンピック日本選手団の旗手を務めていたのが卓球の福原愛選手ですが、この愛ちゃん小さな頃によくテレビにでていて、当時幼稚園児ぐらいだったと思いますが、明石家さんまや、とんねるずと卓球の試合をして負けたり、ズルをして点を入れられると泣き出してしまったりしてたのが思い出されます。しかし今は中国リーグでも活躍し中国でも人気者で、世界的な選手に成長しています。

    この卓球についてなのですが、橋本敬三先生の著書「万病が治せる妙療法」にも、からだの調子がおかしいと治療を受けに来た卓球選手を診させてもらった時のことが書かれており、この卓球選手は右ききでありながら、右足の親趾に重心をかけて打っていると言っており、本人はそれが正しいんだと頑張るので、それでもよしとしておいたが、からだのあちこちに歪みがあり、痛めていたとあります。少し写しになりますが、右手を動かすときは左足に重心をかけるとらくに動けるように人間のからだはつくられています。四つんばいになって歩くばあいは、右前足(右手)を前に出すと左後足(左足)が前に出、逆に左前足(左手)が前に出るときは右後足(右足)が前に出ます。このように左右の動きと重心のバランスがとれるようになっているわけです。また、かまえたときと、行動するときとでは重心が移動しますが、それには一定の法則があります。この重心移動の法則にしたがって動かないと必ずからだにむりがかかり、歪みの原因になります。動きもスムーズにいきません。先日の卓球選手が本当に逆の動きをしているとすれば、この法則をしらないままにむりな動きを繰り返し身についてしまったものと考えられます。そして、動きにむりがあるのでからだもあちこちわるくなったのだと思います。と書かれております。

    テレビで卓球の試合を見ていると、動きが早くて、急にフォアハンドに速い球がきた場合など、右ききの人が右足に重心をかけたまま打っている場面もみられますが、ゆるい球をスマッシュする時などは左足に重心をかけて打っているのがよくわかります。ですから「万病を治せる妙療法」にでてくる卓球選手は、はやい動きのなかで、どこかでからだの使い方を勘違いしてしまったのではないかと思います。

    この卓球選手は時代的にもラケットをペンホルダーグリップで握っていたのだと思いますが、私の考えではどうもこの握り方は動きの勘違いを生みやすいのではと思います。

    卓球のラケットの握り方はシェークハンドグリツプとペンホルダーグリップがあり、インターネットにあった初心者の為の握り方を見てみると、シェークハンドグリップはラケットのラバーに人差し指を固定し、他の4本の指でグリップを握るようにもちますとあり、ペンホルダーグリップは、その名のとおりペンを持つように握りますグリップを親指と人差し指で囲むように握り、中、薬、小指はラケットの裏面にコンパクトにまとめる感じですと書かれています。この時点でシェークハンドグリップのほうが重心安定の法則の、手は小指側を使うということとマッチしているような感じがします。

    そして気になったのが、ペンホルダーグリップで握る時の注意点なのですが、裏側の3本の指を開くとバックハンドで打つときに手首が返しづらく打ちにくいのでラケットを持つのではなく添えるくらいで握るようにしましょうと書いてある点で、ここで今勉強している連動性とつながってくるのですが、人差し指を親指に寄せるようにして全指が開いてくるオープンをさせれば遠心性の動きとなり、人差し指を中指に寄せるようにして全指が閉じてくるクローズをさせれば求心性の動きとなります。

    連動性としては仰臥位で脚を伸ばした状態から、人差し指を親指に寄せるようにしてオープンすれば肩甲骨が上がり同側の下肢は伸展してきて、人差し指を中指に寄せるようにしてクローズすれば肩甲骨は下がり同側の下肢はちぢんできます。

    この人差し指を寄せるようにしてのオープン、クローズを、例えば右手関節の外旋だったら外旋していく右手の動きにクローズをミックスしたり、連動により内旋してくる左手の動きにオープンの動きをミックスしたりと、より運動痛、運動制限のない開放された状態のなかで快適感覚が聞き分けられるような動診を今勉強しています。

    これをペンホルダーグリップで握る時の注意点にあてはめてみますと、グリップを親指と人差し指で囲むように握り裏側の3本の指を開くと、先程のオープンの格好になり求心性の動きと相反する遠心性の動きがミックスされることになってしまい、バックハンドを打つときに手関節にロックがかかってしまい、手首が返しづらく打ちにくくなってしまうのではないでしょうか。フォアハンドでも同様で右手で打っていたら右の脇が空き、重心も右足にかかりやすくなってしまうのではないでしょうか。

    「万病を治せる妙療法」にでてくる卓球選手も、このようなことも含めて右ききでありながら右足の親趾に重心がかかるようになってしまい、不自然な動きが身についてしまったが為、自分のやり方が正しいと言い張ってはいても、からだのほうは歪んでしまい動きにむりがあるので、あちこちわるくなってきてしまったとも考えられるのではと思います。

    ちなみにシェークハンドグリップの握り方の注意点は、ラケットの根元と手を近づけるようにしてくださいラケットの根元から手が離れてしまうと、人差し指でラケットを固定できなくなってしまいますと書いてあります。

    これも固定できなくなってしまうということの他にも、人差し指と中指、薬指、小指が近づくようにすれば、求心性の動きと求心性の動きがミックスされ、よりスムーズな動きになるのでラケットの根元と手を近づけるようにしたほうが良いということも考えられるのではと思います。

    また今年の春の東京操体フォーラムでやりましたが、ONの固定とOFFの固定というのがあり、人差し指の指背に親指を重ねるとOFFの固定となり、この固定をすると動きにロックがかかり
    極端に動きの可動域が制限されてきてしまいます。ペンホルダーグリップでラケットのグリップを親指と人差し指で囲むように握る時、もし人差し指の上に親指をのせているとしたら、この場合も不自然なからだの動きにつながるのではと思います。

    ペンホルダーグリップとシェークハンドグリップ、競技においては、それぞれ一長一短があり、どちらのほうが有利なのだということは一概に決め付けられないと思いますが、からだにとってどちらが身体運動の法則に則った動きが表現しやすいかといったらシェークハンドグリップのほうが表現しやすいのではと思います

    友松 誠。

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  • 今週の水曜日に50代の男性を診させて頂きました。この男性、一週間前にギックリ腰を起こし、ギックリ腰そのものの痛みはなくなったが、まだ歩いたり、立っているのがツライという。
    立っている姿を見ると左足に体重をのせ 左斜め前方に傾くようにして立っている。動作的には前屈と右回旋で腰に痛みが出るという。
    一番落ち着ける体勢で休んでみて下さいと言うと仰向けで脚を伸ばした状態が落ち着けるという。この体勢を見ると骨盤が全体とかみ合っていないように感じる。
    骨盤をみさせてもらうと、右腸骨陵の下に「その辺がどうも気になるんだよね」というところがあり そのまま、触れている手の平で、皮膚に動きをつけていくと 外側に動きをつけられるのが一番良く感じるという。
    外側に動きをつけ面の渦状波を行い、2、3分後、感覚を聞き分けてもらうと「あたたかくて気持ちが良い」と
    言っている。しかし、なにかが足りないような感じがする。快感度の質的なものだろうか。本人は気持ち良いと言っているが、なにかからだから伝わってくるものが感じられない。「もう少しこうしていたいですか」と聞くと
    「もういいかな」との事。みたて違いかなとも思ったのですが、枕の有無を確認するのを忘れていたことに気づきました。「ちょっと枕をしてみてください」と枕をあててもらうと「高いな〜」との事。
    そこでバスタオルを四つ折したものをあてると
    「これ いいね〜」との事。
    再度、この状態から先程と同じように面の渦状波を行う。すると今度は、手の平にからだの内側から伝わってくるものが感じられ、こちらとしても心地がよい。
    お腹も「グッキュ〜 グッキュ〜」と鳴り出した。
    「どうですか さっきとくらべて気持ち良さ、心地よさは?」
    「なんか今度は全体があたたかくて、今ス〜と右脚が軽くなってきてるけど脚が悪かったんかね〜」
    「う〜ん どうでしょう 左の脚はどうですかね〜 さっきは太ももがカチンカチンで押すと痛かったですよね〜」「・・・・・」「くぉ〜 くぉ〜」いびきが聞こえてくる。
    しばらくして左太ももがビクン、ビクンと痙攣したように動いてきて、またしばらくすると両手がパタンパタンと
    手の平が上になったり、下になったり、横を向いたり関節のクラック音が4回聞こえてきた。首も動いている。
    面の渦状波を再開して、20分ぐらいしてから眼が覚めた様子。
    そして「なんか手が鳴ってたね〜」との事。寝てたと思っていたのに、解っていたようです。
    「まだ気持ち良さ続いてます?」
    「もういんみたい 手もいっぱい使ってるからね〜もともと左利きなんだけどさ〜 最近、忙しくってさ〜。わかっちゃいるんだけどね また来てみるよ」との事。

    三軒茶屋に勉強に行くと、先生は気持ち良さが聞き分けられない90パーセントは操者に原因があるとおっしゃっていたが、これは技術、テクニックのことを言っているのではなく 相手が気持ち良さを聞き分けられるよう、どのような気配りお手伝いが出来るかを言っているのではないかと思えその中には、からだにとって一番くつろげる体勢が聞き分けられるよう、気配りすることも入るのではと感じられます。
    一週間どうもありがとうございました。
    文章下手なため、見苦しいところ、解りづらい点など多々あったことをお詫びします。

    来週は中廣さんです。
    よろしくお願いします。

    友松 誠

  • 雨があがって

    今週に入ってから随分と雨の日が多い。
    昨日も一日中、雨が降り肌寒かったですが 今日は、朝から晴れて日差しも眩しく気温もぐんぐん上がってきました。ただ、風が時折ドーンという感じで吹いてきます。普通は風がビュービュー吹いているとか言いますが この地方はドーンと吹き飛ばされる感じで吹くのです。でも2月、3月のからっ風と呼ばれる冷たい風に比べれば心地がよい。

    よく上州名物「かかあ天下とからっ風」といいますが この、かかあ天下というのは諸説ありますが 女性が怖いとか、威張っているという意味ではなくて しっかり者だということのようです。

    むかし、この地域は養蚕や製糸が盛んでしたが これらは、もともと農家の副業であり 奥さんが家計を助けるため、蚕を飼ったり糸を紡いだりしていたのですがこれが農家にとって、なくてはならない収入源に変わってきて 旦那さんからしてみれば、こうして生活できるのも働き者で、しっかりしていて、やりくり上手な奥さんがいるおかげと「うちの、かかあは天下一だ」と皆々が言っていたのが、はじまりのようです。

    なんだか題名から、随分とそれてしまった感じですが
    ワンポイント雑学でした。

    友松 誠

  • 木曜日

    私のところでは木曜日は定休日とさせて頂いております。
    朝、いつもと同じ時間に来て、タオルやシーツの洗濯をして 10時には、膝を悪くしてしまい、こちらまで来ることができないという一人暮らしの80歳になる女性の家へ伺い、診させて頂くということを2年以上続けており
    これが木曜日の習慣になっておりました。

    しかし、今日からはこの習慣が変わってしまいます。診させて頂いていた方が先週、亡くなられてしまいました。
    いつも可愛がって頂き、花の名前やいろんなことを教えて頂き、最近ではよく出歩いていたようで 梅林がきれいで、そこから見える浅間山もきれいだったよと話してくれ、桜の花も楽しみにしていたのに残念です。

    新聞で訃報を確認し、一昨日、告別式に参列してきました。ジュピターのBGMが流れるなか、在りし日の写真や行いが紹介されていて、九州の娘さんが主催されている児童合唱団をいつも支援しており、近々何周年かのイベントがあるので楽しみにしていたというのを、この時になって知った。
    思い返せば去年の11月頃に、みんなにはまだ内緒にしてるんだけど東京に行って来ても大丈夫かね〜と相談を受けたことがあり、心配だったが必ず携帯電話を持っていき、何かあったらすぐ人を呼べるようにしておいてくださいねと念を押しておいた事があった。
    後で聞いたら、息子さんのところで家族の集まりがあり一人で電車を乗り継いで、行って来たのだという。最近も、ちょっと楽しみにしてることがあるんだけどまだ内緒だよと言っていたことがあったがこのことではと思え、もうちょっとだったのにと思ったら不覚にも涙があふれてきてしまった。
    しかし、この世でのお勤めを立派に果たし
    一番気持ちが良いところへ帰っていったのだと思います。
    一番気持ちが良いところへ帰っていってくださいと祈りながら焼香してきました。

    この日のことは、頭の記憶ではしだいに薄れていってしまうのかもしれない。
    しかし、手のひらや中指、薬指の指先をとおして学ばせて頂いた、この方の気持ち良さの表現というのは自分のからだの細胞核にずっと刻み込まれていくんだと思います。

                      
    友松 誠

  • 緑は緑

    観葉植物に水をやり、葉っぱを皮膚にみたて指先の感触を楽しんでいると 以前、診させて頂いた人のことがうかんできました。

    その方は、皮膚に問いかけた操法後ベッドのふちに腰掛け この観葉植物をみて
    「みどりって、みどりなんですね」と言っていた。
    意味不明のようだが、なんとなく何を言おうとしているのかは伝わってきた。こちらに来たときとは顔つきも、声のトーンもまるで変わっていたからです。50代の女性なのですが、少女のように瞳がキラキラして なんだか感動しているように見えます。

    その人が言うには、今までは、のっぺらぼうな感じで 緑色のトタン屋根や看板も木々も緑も同じ みどりとして見えていたのだそうです。

    眼ではきれいに見えていても、常に心配事を抱えているが為 心にひびいていなかったのだろうか。
    それとも、からだからの感覚情報を無視し続け頑張りがすぎた、あるいはそのような状態に自分で追い込んでしまった為、心とからだのあいだに溝ができ いままできれいに見えていたものもきれいと感じられない それとは逆にからだを動かそうと思っても、今回の主訴のひとつのように、痛むとか違和感はないのに歩き出そうと思っても左脚が金縛りにあったように動かなくなってしまう時があるというような状況になっていたのだろうか。
    本人としても、除霊してもらったほうが良いですかねとも言っていたが。

    いずれにせよ、気持ちよさを聞き分け、味わうことで現象は大きく変わるようです。          

    友松 誠

  • 教習所で

    昨日、教習所でのことを書いて後から思い出したのですが 私はバイクに乗っていて、よく膝が開いている、膝があまいしっかりニーグリップしてと注意されていたのですがそれと同時に、つま先が正面に向けば、自然と膝が閉まりニーグリップもしっかり出来てくるよと教わりました。

    そのとき教官は地面で、足はつま先を正面に向け 腰幅で立ち、両膝がゆるむと同時に正中に閉まるという動作を何回か見せてくれました。
    「つま先が正面に向けば ほら 自然と膝がしまるだろ?ほれ ほれ でも外に開いていると膝もよってこないんだよ」
    と言っていた。今考えると経験的にそのような最小エネルギーで最大の効果をもたらすような、からだの使い方が自然に身につき実践されていたのだと思いますが 足は親指側を使うようにするんだよと、もう一言付け加えてもらえれば、もっと良いのではと思いました。

    私は、バイクに乗る前に般若身経をやっています。
    つま先を正面に向け、両膝をゆるめ基本ポジションをしっかりとってから、ゆっくりとからだに聞き分けながらやっています。バイクもからだも日常の手入れは大切だと思います。
    なにより、安全に楽しめるにこしたことはないですもんね。

    友松 誠