カテゴリー: 友松 誠(ともまつ まこと)

  • 環境・・・4

    おはようございます。

     

    私が操体臨床を営む店舗のまわりは、田んぼや畑ばかりです。

    道路も舗装されてはいますが、農道がちょっと拡がったような道で、車の往来はほとんどありません。

    その為か、犬の散歩コースにしている人も多い。

     

    そこで問題となるのが犬の糞。これも環境問題ではないでしょうか。

    最近はそれ程でもないのですが、以前は酷かった。

    最初のうちは、出物腫れ物所嫌わずだからしょうがない、という気持ちで掃除していました。

    しかし、来院者の車を止めるところに糞が落ちていたり、玄関の前に落ちていたりで「何で、わざわざこんなところにさせるんだ」と怒り心頭の時もありました。

     

    見つけたら文句を言ってやろうと、いつしか犬の散歩をしている人を、犯人捜しみたいな目で見る事も多くなってしまいました。

    自分でも、そういうのは嫌な気持ちになるのですが、腹の虫が納まらないという気持ちもある。

     

    そんな時、一匹の野良猫が駐車スペースで用を足しているのを見かけた。

    これを見て、私は何故か凄く「ほっ」としてしまいました。

    飼い主が居て、飼っている動物にそうさせて、他人の迷惑かえりみず糞も放置したままならば、それは頭にくる。

    しかし、自然に生きている動物が生理現象としてやってしまったのなら、それは仕方がない。

    野良猫を捕まえて文句を言ってもしょうがないし、手間でも綺麗に掃除するしかない。

     

    掃除するのは面倒だが、それでも私の心は晴れ晴れしていた。

    被害妄想を拡大させていた事にも気づけたし、疑心暗鬼になっていた事にも気づけた。

    この一場面で、心底が「ほっ」と安心出来たのを感じた。

    人間の妄想苦ほど怖ろしいものはないのだから。

     

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  • 環境・・・3

    おはようございます。

     

    普段はあまり意識していなくとも、私たちは自然環境によって生かされて、生きている。

    この自然環境が著しく汚染されたり、破壊されたりすれば、生身の私たちは生命活動を営み得ない状況に陥ってしまう。

     

    かつて日本でも公害問題が、大きな社会問題となっていた時期もあった。

    利己的な側面だけで、皆で共有すべき自然環境を著しく汚染、破壊する。

    そのような事をするのは人間だけであり、他の生物はしない。

     

    人為による自然環境の汚染や破壊。これは公害問題だけでなく、戦争はその最たるものだと思う。

    刀と鉄砲で人間どうしドンパチしていた時代だったら、他の生物からしてみても「また人間がバカな事をしている」で済んだかもしれない。

    しかし、今はもう地球そのものが存続の危機を迎えてしまう。

     

    アインシュタインは「第三次世界大戦がどのように行われるかは私にはわからない。だが、第四次世界大戦が起こるとすれば、その時に人類が用いる武器は石とこん棒だろう」と言っていたと聞く。

    もし、もう一度大きな戦争が起これば、人間が今まで築いてきたものは勿論、空気や水、大地は汚染、汚濁され、国と国がどうこうではなく全ての生体系が破滅するかもしれない。

    そこで生き残れたとしても、まわりには破壊の残骸として残る石ころやこん棒ぐらいしか存在しないだろう。
    材料がないのであれば、どんな知識をもっていても武器など作れない。

    また、そんなもの作っている場合ではないだろう。

     

    今ある自然環境だから、様々な物が作れ、便利な暮らしが出来ている。

    しかし、それは人間の考え方、行い一つで脆くも崩れ去る危険も孕んでいる。

    人間どうしで殺し合う戦争などしてはいけないのは勿論だが、自然環境によって有難く生かされて生きているという事も忘れてはいけないと思う。

     

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  • 環境・・・2

    おはようございます。

     

    私たちをとり巻き、一人一人に影響を与えている環境。

    この環境には、自然環境、社会環境、人為的環境があります。

     

    昔と違って今は、ほとんどの人が病院で産まれ、病院で亡くなります。

    その亡くなり方も、まだ生きようと動いている臓器があっても、ある一定基準のもとに人為的に死亡の判断が下され、火葬されて遺骨になり、住民票も除票となる。

    その様な人為的、社会的環境が優先された環境に生まれ、そして亡くなっていく。

     

    その為か、生き方も社会環境への適応が優先されるようになってしまっているように思える。

    また、そのように子供の頃から教育されてしまっているようにも思える。

     

    日本には、かつて優生保護法という法律も存在していた。

    社会環境への適応能力が不良とみなされれば、子孫を持つ事は許されない。

    そのような法律が平成8年まで存在していた。

    それで民主主義といえるのだろうか。

     

    私たちは、単に社会環境の固定的なシステム構成要素の一員として、生まれてきているのではない。

    私たちは自然から生まれ、一人一人が大きな可能性を秘め、影響を与え合う。

    その影響の与え方は、縛りの無い無限の可能性を持つ自然からしたら、良いも悪いも、良も不良もない。

    すべて良し。生まれてきた、ただそれだけで既に良し。
    後は、その良しを、より良く、より良くする為に生きていくだけ。

    呼吸の仕方が良くなり、感じ方が変わる。それだけで表情や表現が変わり、まわりへの影響は変わる。
    そして、その良さは、より良く伝播するものなのだから。

    無駄なもの、不良なものなど元々ない。
    全てを肯定しているのが自然であり、その自然環境への適応こそが第一義であらねばならない。

    その為に、自然から学ぶ。
    高度に発展した今の文明社会も、元々は自然から学んで、その仕組みや法則性を応用したものなのだから。

     

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  • 環境・・・1

    おはようございます。

     

    実行委員リレーブログ、今週は友松の担当となります。どうぞ、宜しくお願いいたします。

    今回のテーマは「環境」ということでリレーしています。

     

    春を迎え4月になり、目まぐるしく環境が変化した人もいると思います。

    会社勤めをしている人であれば、本人が望む望まないに関わらず転勤、転属がある。

    今までやって来た仕事ではなく、新たな仕事を命じられる。

    今まで一緒にやって来た仲間ではなく、新たな人間関係も構築しなければならない。

    職場の社会環境の変化は勿論、転勤により引っ越しが伴えば、衣食住に伴う暮らしの社会環境も変化する。

    こうした変化は、色々と不安もあり大変だと思うが、それと同時に何か期待と希望、わくわく感もあると思う。

     

    そんななかで、何とかまわりから取り残されないようにと、必要以上に気を張り、気を使い、必要以上に頑張ってしまう。

    その為か5月に入る頃には、心とからだのバランスを崩してしまう人も多い。

    しかし、私たちは社会環境の影響だけを受けて生活しているわけではない。

    社会環境というのは、人間がつくり出したものであり、その元には人間が自然環境に適応して、より良く快適に共存共栄が成り立つよう生きていく、という目標があった筈。

    高度に文明化された社会に居るとそれが解りづらいが、自覚するしないに関わらず元には自然環境への適応がある。

     

    本人が自覚していなくとも、からだは自然環境に適応するよう働きかけている。

    その御蔭で、社会環境への適応が可能なものとなり、社会生活も営めている。

    その有難さに心を向ける事で、社会環境のなかで生じた精神的、肉体的ストレスも緩和、解消に向かわせる事が出来る。

    自分のからだが、自然環境とどのように調和をはかろうとしているのか。

    自分は、どのように自分のからだと自然によって生かされているのか。

    それを解明しながら、生かされている有難さを感じ、有難いという想いを基に様々な環境に適応できるよう呼吸や動きをはじめとする生活(生命活動)を少しづつ変えていく。

    これは操体の学びの根本でもありますが、そこで掴んだものというのは様々な面で応用可能なのです。

    臨床もその応用ですし、個人個人の生き方にも生かしてほしいのです。

    そうすることで、とかくストレスを抱えがちな今の社会環境のなかでも、健康で調和のとれた社会生活が送れると思うのです。

     

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  • 修行・・・7

    おはようございます。

     

    ♪どこまでも、まっすぐに進んで~

     同じところ、ぐるぐる回って~

     星も無い暗闇で~ ♪

     

    もう20年以上経ちますが、操体と出会う前の手技療法を色々と模索しながらの修行中に流行っていたであろう曲の一部です。

    流行っていたであろうとしているのは、私はこの当時、暇さえあれば色々な本を読んでいた時期であり、テレビやラジオなど全然見聞きしていなかったので、どこでこの曲を聞いていたのか覚えがないのです。

    しかし、あの独特の魂が揺さぶられるような歌声と「どこまでも、まっすぐに進んで、同じところ、ぐるぐる回って、星も無い暗闇で…」という歌詞が心地よく耳に留まり、暗中模索の状態だった私の心を奥から癒してくれていたように思います。

     

    当時の私の心の表層には、いつも焦りがあったように思えます。

    真っすぐな気持ちはあっても、やっている事に自信がなく、あれもこれもと手を出しては「これでいいのだろうか?」と迷い、進捗のない状態に苛立ちと不安をかかえる毎日。

    暗闇で同じところを、ぐるぐるまわっているだけなのではないか?という思いも募っていました。

    しかし、それは自分の欲と表面的な理想意識がそう思わせていたのであり、同じところをぐるぐるまわっているだけに思える時間も、無駄ではなく大切な時間だったのだと思います。

    「なまじインスタントなやり方で成果を収めても仕方がない」心の奥底のからだとともにある自分自身は、そう思っていたのだと思います。

    その御蔭で、操体とも出会えたし、良き師や共に学ぶ良き同志にも巡り合えたのだと思います。

    もしかしたら、操体が迷える私にとって、光を照らす海神の木だったのかもしれません。

     

    真っすぐに強く進むには回転も必要。

    回転する事で、まわりの空間の力を借りて、もっと前に進めるようになる。

    回転するには軸が必要であり、それが操体の学び。

    そして、その空間には良き師、共に学ぶ良き同志の操体への想いがある。

     

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    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    来週は畠山裕美先生の担当となります。
    どうぞ、おたのしみに。

    友松 誠。

     

    2022年春季東京操体フォーラム
    2022年4月29日(金)祝日 
    ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)

  • 修行・・・6

    おはようございます。

     

    修行には、技術の習得、精神的な鍛錬の他に、身心ともに健康に導くような面がなければならないと思うのです。

    それでこそ長く続けられる。

     

    先ごろ行われた冬季五輪の女子フィギュアスケートでは、ドーピング問題がクローズアップされていた。

    新聞によると、問題の渦中にいた15歳の選手のコーチは、練習場を工場、選手を原材料と呼び、私生活まで徹底した管理指導をしていたという。

    また、若い選手たちを賞味期限のある消耗品と呼んでいたともいう。

    そして、テレビ局のインタビューでも「厳しく指導しなければメダルなどとれない。選手が私の思いどおりにパフォーマンスしないと、とても悔しく感じ叱りとばす」と話していたという。

     

    オリンピックでメダルをとるのは凄い事であり、その為の指導も厳しいものになると思われる。

    しかし、指導する側が練習場を工場、選手を原材料とか賞味期間のある消耗品とする考え方はどうかと思う。

    ドーピング問題も起こるべきして起こっているようにも思えるし、以前に指導を受けた選手の選手寿命が短いのも気になる。

    どういうやり方、取り組み方をしているのかは解らないが、修行というイメージには結びつかない。

    修行には、人間が人間をコントロールする面もあるだろうが、もっと何か自然とのつながりとか、自分自身の中の自然とか、自然の叡智を受け取りながら人間本来の能力を高めるものがあると思う。

     

    2022年春季東京操体フォーラム
    2022年4月29日(金)祝日 
    ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)

     

  • 修行・・・5

    おはようございます。

     

    修行とは、単に技術を身につけるだけのものではなく、精神的な鍛錬のようなものが伴い、技術を身につけた後も、何か精神的な支えになるようなものが残るものなのではないかと思います。

    その為に、良き師の指導を仰ぐ事も重要であります。

    技術を習得した後も、それをどう活かすか、応用するか、特定の一分野だけに限らず、生きている限り色々な困難というのはある訳ですから、そんな時、修行で得た精神的な支えのようなものは凄く役に立つと思います。

    その上で、困難な問題にも取り組み、それが、必然的にレベルアップにつながっていく。

    そうした事と行の積み重ね。

    だから、修行とは一生ものだと、よく言われるのかもしれません。

     

    2022年春季東京操体フォーラム
    2022年4月29日(金)祝日 
    ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)

     

     

  • 修行・・・4

    おはようございます。

     

    今回のブログのテーマは「修行」ですが、パソコンで「しゅぎょう」と入力し、漢字変換すると「修行」の他にも「修業」というのもでてくる。

    修業だとすれば、特定の技術を身につける為の意味合いが強くなってしまう。

    しかし、操体は技術だけ習得しようとしても、思いどおりにはいかない。

     

    見よう見まねでやってみたら、ビギナーズラックのようなかたちで凄い効果があったという話はよく聞く。

    しかし、いつも柳の下にドジョウがいるわけではない。

    操体法が優れたものであっても、技術・テクニックだけの習得を目指しても、そのうち行き詰まる。

    操体の臨床(操体法)は、独特の哲学、生命観を含めた操体というバックボーンがあってこそ真価が発揮される。

     

    技術・テクニックの習得だけを目指した業は、アンコの入っていないアンパンみたいなもので、それをアンパンと称して店頭に並べても、最初のうちは買ってくれる人はいるかもしれない。
    しかし、そのうち生業(なりわい)そのものが成り立たなくなってしまう。

    正しい行いを身につけてこそ、業が成り立つ。

     

    2022年春季東京操体フォーラム
    2022年4月29日(金)祝日 
    ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)

  • 修行・・・3

    おはようございます。

     

    修業とは、厳しくとも耐え忍ぶもの。
    修業には我慢が必要だとよく言われる。

    我慢が必要?

    操体を修行中の身としては、この「我」と「慢」がどうも気になる。

    我は自分本位の考えにもつうじるし、慢はあなどる、おこたることを指し、高慢や傲慢にもつうじ、他人と比較して思いあがる事をいうのだという。

    仏教では「俺が、俺が」「自分が自分が」という利己的な心を我慢と言っているとも聞いた事がある。

    本来は我慢が必要なのではなく、自分の心の中の我慢に気づく必要があるという事であり、気づくことで自分を律するという事なのではないだろうか。

    だから「我慢しろ」というのも「我慢を律せよ」と解釈すれば辻褄が合うように思える。

     

    しかし、我慢を律するといっても、具体的にどうしたらいいのか分かりづらい面はあると思う。

    そこで思い浮かぶのが「ばるの戒め」です。

    操体の教えの中には「頑張るな」「欲張るな」「威張るな」「縛るな」という4つのばるの戒めというものがある。

    この4つの言葉を自分の中に持っていれば、我慢を律する事にもつながると思うのであります。

     

    2022年春季東京操体フォーラム
    2022年4月29日(金)祝日 
    ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)

     

     

  • 修行・・・2

    おはようございます。

     

    痛みやつらさを識る必要はある。
    これは、昨日書いたことと矛盾するようですが、大切な事だと思うのです。

     

    今回のブログのテーマが「修行」と聞いた時、白装束で滝に打たれる場面が、ふと思い浮かびました。

    この滝行にしても、痛みやつらさが感じられるから意味があるのだと思います。

    もし、たいした事ではなく「こんなのへいちゃらだ」というものであったら、やっている事が次に、他の場面に活きてこないと思えるのです。

     

    感じる事が重要。

    自分の身体に痛みやつらさを与える経験をすればいいのではなく、それをどう感じるか。

    これは、臨床家には重要な事だと思います。

    人の痛み、つらさがわからなければ丁寧な接し方は出来ない。

    だからといって、同じ様な痛みやつらさを経験しようと自分自身を傷つけるような事をしていては、自分の身心が持たなくなる。

    大事なのはどう感じるかであり、どう感じ取れるようになるかも修行なのだと思います。

    また、感じ方に焦点を当てれば、特別なシュチュエーションなど設けなくとも、日常生活そのものが修行の場となるのではないでしょうか。

     

    2022年春季東京操体フォーラム
    2022年4月29日(金)祝日 
    ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)