カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「間(マ)と意識の変換」

    臨床空間における「間(マ)」の使い方、生かし方は技術やテクニック以上に大切なものだと思います。

     

     

    操体の臨床でいうならば動診、操法が終えて次の動診に移るまでの間(マ)の中で様々な情報を得ることが出来る。

     

     

    例えば色を見ている人もいますし、本人の意識は飛んでいるのにからだが動きを表現していることもあります。

     

     

    そういった現象の中でからだは自然治癒力を引き出しているように見えますし、様々なことをメッセージとして送ってくれています。

     

     

    そういった現象を目のあたりにすると強く感じることは快をききわけ味わっている間(マ)の中で意識の変換が行われているということです。

     

     

    日常の生活空間では表には顔を出さないからだの意志と意識。

     

     

    それが本人の意識がきもちのよさを介して飛ぶことで表面に現れてくる。

     

     

    例えそれが一時的なものだとしても時間の経過と共にそれがからだの記憶として刻まれ本人の意識と重なっていく。

     

     

    その記憶はやがて本人の意識にも遡り、思考意識を薄め、からだがききわける感覚に素直に従うじぶんがいる。

     

     

    そういった意識の変換も健康維持増進には必要な要素だと最近は思っています。

  • 「命の営みと4つのかん」

    昨日の続きになりますが、私達がからだを使わせて頂く中で昨日書いたような様々な「間(マ)」とどのように生かして向き合っていけばよいのでしょうか?

     

     

    それを考えていくことにおいて1つヒントになればと思うことがありますので、本日はそこに触れていきます。

     

     

    私達の生きていくことにおいて4つの命の営み(息・食・動・想)があります。

     

     

    この中で私達の意識とからだは4つの「かん」を営んでいます。

     

     

    その4つの「かん」とは

     

     

    ・考えること(考)

     

    ・感じること(感)(勘)

     

    ・循環させること(環)

     

    ・間(マ)を作ること(間)

     

     

    私達が生きていくことにおいて、この4つは必ず営まれているものであり、これが上手く調和していないと命の営みのバランスが崩れてしまいます。

     

     

    大抵、人が「病む」ことにおいては「感覚」が抜けてしまい、一番最初の「考えること」が先立ってしまった結果が原因であることが多いように見えます。

     

     

    それを簡潔にいうならば考→環→間→感という順番で流れていっているように感じます。

     

     

    つまり思考優位でからだと向き合っていては病を引き起こす可能性が高いということです。

     

     

    なので操体では「感覚」、それも「からだがききわけている感覚」に優位性を持たせているのです。

    それは感→環→間→考という感じになります。

     

     

    このように4つの「かん」をどのように流していくかで人の命の営み、そして生き方自体が大きく変わっていくということが本日皆様にお伝えしたかったことです。

     

     

    明日に続きます。

  • 「間(マ)を生かすために」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

     

    今週から引き続きテーマは「フリー」で一週間、三浦寛幸が担当致します。

     

     

    連日暑い日が続いているので先週までは自宅でパリオリンピックや甲子園等をTVで観戦していました。

     

     

    勝敗や選手の技術やテクニックだけでなく、じぶんが学んでいることがどう生かせるのかを照らし合わせながら競技を観ていました。

     

     

    その中で強く感じることがありました。

     

     

    それはどういった競技においても「マ(間)」というのがとても大切だということです。

     

     

    確かに技術的なことや戦術、また筋力といったことも勝敗を分ける重要な要素だと思います。

     

     

    しかし培ってきたものを最大限に生かすためには「間(マ)」の使い方が非常に重要になってくるように感じます。

     

     

    その「間(マ)」には

     

     

    じぶんとからだとの「間(マ)」

     

     

    空間との「間(マ)」

     

     

    環境との「間(マ)」がある。

     

     

    その「マ(間)」の中で意識と呼吸を動きに繋げていかなければならない。

     

    このわずかな間の中で行っていることは非常に感覚的なもので言葉にするのは非常に困難なものかと思われます。

     

     

    一流と言われるアスリート程、その感覚的なものを調和していくことに長けているのでないでしょうか?

     

     

    明日からはこういったことをもう少し踏み込んで書いていきたいと思います。

  • 「からだとじぶんの自由 ~その6~」

    昔からずっと思っていることですが、操体、操体法の一番面白い所はからだへの問いかけ方が一人ひとり異なるということです。

     

     

    診断の中で診なければいけないところはほとんど一緒であるが、それを改善していくためのアプローチの仕方は人それぞれで面白いなと感じます。

     

     

    アプローチが人それぞれ異なる理由も挙げればキリがありませんが、その時、その空間のからだとからだとの相性や状態、呼吸の通り方等が挙げられます。

     

     

    こういった様々な要素が全て摩擦を起こさずに「快」に繋がるように診立てを行い、結果的に「重心の適性化」に繋がっていくのが操体の臨床の姿である。

     

     

     

    そこに行き着くには動きだけでなく、呼吸、想念、言葉、意識、様々なものが診断の要素になり、それをどういったアプローチでからだの要求に適うようにしていくかが操者の腕の見せ所になります。

     

     

    そういった操体法の臨床の姿を見ていくと、とても自由な姿だと感じます。

     

     

    「じぶん」と「からだ」を生かしてくれているもの全てを臨床応用し、選択出来る自由がある。

     

     

    しかしその自由もからだの要求に適うというルールの中での自由になる。

     

     

    つまり「勝手」は許されないということです。

  • 「からだとじぶんの自由 ~その5~」

    操体を学び始めてから15年近くの歳月が経ちましたが、年々自身の学びの姿が自由うになってきているように感じます。

     

     

    動き、呼吸、動診における介助・補助。

     

     

    その問いかけが自由になってきているのも、からだが要求していることが瞬時に感覚的に理解出来るようになってきたからなのだと思います。

     

     

    これもじぶんの操体、またはからだの理解度が深まってきたというよりも、自身のからだが教えてくれているように感じます。

     

     

    学び始めた当時は教わったことを何度も繰り返し、自分の思い描くイメージをからだで再現していくことをゴールにしていました。

     

     

    それはからだの学習よりも脳の学習が先立って、どこか不自由さを感じていたのを覚えています。

     

     

     

    しかし、ある時からそういった不自由さが消え、からだと向き合う中で自由な発想が生れるようになってきました。

     

     

    教わったことをそのままやるのではなく、からだを通じて、感覚を通じて生れてきた発想を形にしていくような感じです。

     

     

    そういうじぶんに変化してこれたのも、正当なからだの使い方をしていく中でからだとの信頼関係が築けたからなのだと思います。

     

     

     

    生きることにおける主導権はからだに委ねるのは決して簡単なことではありません。

     

     

    しかし重心の適性化の中で正当なからだの使い方をしていけば、からだは私達に絶対的な安心感を与えてくれる。

     

    その安心感は「自由」を与えてくれるように思います。 

  • 「からだとじぶんの自由 ~その4~」

    からだが自由を得るためには学ぶことと同じように動きも点を線にしていく必要があります。

     

     

    例えば操体でもからだを使う・動かすことにおいて重視している母指球や肩甲骨等もただそれを意識して使えばよいわけではありません。

     

     

    そこを意識し動かすことでからだのどの部位がよりよく活きてくるのか学習をする必要があります。

     

     

     

    指の末端から足のつま先まで動きが表現出来る部位全てに繋がりがあり、そこには「ながれ」がある。

     

     

    そのながれが呼吸と共にスムーズに流れれば、からだの動きは自由な表現の世界になる。

     

     

    その中でききわけられる感覚こそが本人の思考が関与しない「からだがききわけている感覚」ということです。

  • 「からだとじぶんの自由 ~その3~」

    そもそも人が有している「感覚」とは一体何なのだろうか?

     

     

    よく感覚の話をすると大前提として

     

     

    人それぞれ違うもの

     

     

    その時々によって変化するもの

     

     

    その時のからだの状態によって変わってくるもの

     

     

    として認識されている。

     

     

    つまり一般的には感覚とは無形なるもので常に変化し続けているものとして捉えられている。

     

     

    しかし見方を少し変えて主語を「からだ」にしてみる。

     

     

    からだが本来ききわけている感覚はひとりひとりに違いが生じるのだろうか?

     

     

    わたしが自身のからだや臨床等でみる限り、多少の誤差はあるかもしれないが、それらに違いはなく全てが快のベクトルに向いているように思います。

     

     

    なので、わたしたちはこの学びの中で「からだがききわけていること」に素直に従うことを重視しているのです。

     

     

    この素直さこそが、からだを自由にする秘訣なのかもしれません。

     

  • 「からだとじぶんの自由 ~その2~」

    昨日の続きになりますが「じぶんにとっての自由」、そして「からだにとっての自由」とは何なのかを常に考えています。

     

     

    本日はわたしが考える「からだにとっての自由」を少し書いていきたいと思います。

     

     

    この捉え方は様々な見方、捉え方があると思いますが、大抵の人は運動という枠の中で動かし、鍛えていくことで得られるものだと捉えられているように見えます。

     

     

    また別の問いかけ方としては運動ではなく、からだの歪みを正していくことで得られるものだとも考えられます。

     

     

    どちらも良し悪しはともかく、それを維持し、健康の増進に繋げていくにはかなりの労力が必要になる。

     

     

    そして何よりそれらを実践してことにおいて「壊れる」可能性も無視は出来ない。

     

     

    そのリスクを出来るだけ回避し、より信用のおけるものとは何なのかを自由を得るためには考える必要があります。

     

     

    操体ではそのからだの自由にしていく1つの問いかけが「感覚」なのです。

  • 「からだとじぶんの自由 ~その1~」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

     

    本日から三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。

     

     

    今回のテーマは引き続き「フリー(free)」となります。

     

     

     

    最近、周囲の人達との会話の中で健康に関する話がとても増えてきたように感じます。

     

     

    体調管理に必要な情報や食べ物、暑さ対策等、数え上げればキリがないほどの情報が身近にはあり、それを少しでも多く共有していこうという姿勢が伝わってきます。

     

     

    そういう会話の中でわたしにも何か健康に関する必要な情報を求められることがあります。

     

     

    その時に「こういうのを食べればよい」「こういう運動をしたらよい」等の一般の人達が求めている具体的なノウハウは答えられませんが、1つだけアドバイスをしています。

     

     

    「からだに問いかければよい」ということです。

     

     

    それを実践していけばからだにアプローチばかりしようとするじぶんの姿もメッセージを受け取るじぶんに変化してくる。

     

     

    このからだとの会話のキャッチボールをしていくじぶんの意識の持ち方で特別なことをしなくても自身の健康に必要なものが自ずと見えてくるようになります。

     

     

    それが「じぶんとからだにとっての自由」なのだと思います。

  • 「臨床と生活にいかす操体法7 ~自分以外のものとの向き合い方~」

    本日で最終日になりますが、最近はからだからのメッセージを受け取るためには空間、または存在している人、物との向き合い方も必要なことだと感じています。

     

     

    操体法の臨床では「極性」という診断法がありますが、人が何かと向き合うことにおいて、からだは必ず何らかの情報をキャッチしています。

     

     

    人と人が、人と物が向き合う中でそこには何らかの「圧」が生じています。

     

     

    その圧の変化をキャッチし、からだにききわけていくことも操体法の臨床には必要なことです。

     

     

    それはもの凄く繊細な情報ですが、その向き合い方によってからだだけでなく、呼吸も動きもリズム、発する言葉までもが変化してきます。

     

     

    それを理解することが出来れば、からだに触れなくても臨床として通すことが出来るのです。

     

     

     

    一週間を通じて皆様には臨床と生活に生かせる操体法のことを書いてきました。

     

     

    わたしが書いてきたことを踏まえ操体とはいったい何を操るものなのかを問いかけてみてほしいです。

     

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。