カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「からだと対等な関係であるために」

    本日で最終日になります。

     

     

    一週間、今までと少し視点を変えて感じたことを書いてきました。

     

     

    現在素直に思うことは病気や怪我もしてみて初めてわかることが多いということです。

     

     

    それは健康な状態ではわからないからだからのメッセージがあるということで、それを理解するには自分の主張を貫いてばかりではいけないと痛烈に感じています。

     

     

    そして病になって何より大事だと感じたのが健康でいるためには日々の中でからだと対等な関係性をいかに構築していくかということ。

     

     

    からだにじぶんの要求を呑んでもらったら、必ずからだの要求も聞き、そして返していく。

     

     

    そういう関係を築いていければ、きっとからだは間に合うようにしてくれるように思います。

     

     

    わたしは今までからだに対して「借り」作ってばかりだったので、これを少しずつ返していきます。

     

     

    その借りが無くなり、対等な関係になれた時にじぶんの要求も聞いてもらおうと思っています。

     

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。

     

     

    お愉しみに。

     

     

    2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日(土)勤労感謝の日、、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。

    2024年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

  • 「からだに対して負い目を持つと・・」

    体調を崩してからの約一ヶ月の間、からだに対してどのように向き合ってきたのかをずっと考えていました。

     

     

    ここ数年の間、じぶんの都合をからだに押し付けてきたようにも思いますし、なによりじぶんの負うべき責任の多くをからだ任せにしてきたツケが回ってきたようにも感じています。

     

     

    医師に病名を言い渡された時に真っ先に思い浮かんだことは「やっぱりな」というきもちであったのも、じぶんがからだに対してずっと負い目を感じていたからだと思います。

     

     

    からだに対して負い目のきもちや後ろめたさがあると、からだは皮膚や呼吸に何らかのメッセージを送ってくる。

     

     

    そして時間の経過と共にからだのうごきにも何かしらの障害が起こり、重心の偏差に繋がってくる。

     

     

    そういったプロセスの中でからだは様々な変化をメッセージとして私達に伝えていますが、大抵痛みや苦痛に捉われ、裏のメッセージに気付けないように思います。

     

     

     

    その点においてわたしは痛みと向き合いながらも、それに捉われ過ぎずにからだからの本当のメッセージに気付けたことが本当にありがたいことだと感じました。

     

     

    お陰様で最近は体調もだいぶ良くなり、少しずつですが以前の生活に戻せてきています。

     

     

    操体の臨床家として、または操体を学ぶ者として、今回自身の身に起こったことは反省しなければなりません。

     

     

    しかし、それと同時に患者のきもちやからだのきもちというのも今までと違う角度で見ることが出来るようになりました。

     

     

    この経験を今後の臨床に生かしていこうと思っています。

     

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  • 「操体の臨床の可能性」

    本日は操体の臨床の事について少し書いていきたいと思います。

     

     

    最近、体調を崩してから週に1回のペースで三浦先生の治療を受けさせて頂いています。

     

     

    主に皮膚に触れる渦状波が中心の臨床ですが、体調が良くない状態で改めてうけてみるとおもしろい気付きが幾つかありました。

     

     

    1つはからだの左側に反応が多く、時間の経過と共に右の意識が薄れていったこと。

     

     

    もう1つは臨床後のことになりますがじぶんを取り巻く空間や周囲の環境の変化に意識が向けられるようになったこと。

     

     

    最後は日常の動作の怖さが時間の経過と共に薄れていき、それまで痛みによって出来なかった重心の適正に適った動きが出来たことです。

     

     

     

    今まで皮膚に問いかけた操体の臨床というのは、日常の中ではききわけられないからだの内部感覚(からだの声)を聞くことが出来るというのが大きな特徴でした。

     

     

    そのからだの声を基にからだと向き合い、じぶんの意識と感覚、生き方のベースを「きもちのよさ」にしていくことで少しづつ健康維持増進に繋げていくことを目的にしていました。

     

     

    それは人によって多少の違いはあるかもしれませんが、やはり日常の中での主体となるのは「じぶん」であったように思います。

     

     

    それが現在はその特性を生かしながらも、正当にからだを使うために必要な情報を皮膚に学習させていくような問いかけになってきているように感じました。

     

     

    その情報とはからだの動きに乗っ取った「ながれ」であり、それは日常に戻っても皮膚の記憶としていつまでも残るものです。

     

    その皮膚の記憶を頼りに生活していければ、きっとからだと良いお付き合いが出来るのではないかと思います。

     

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  • 「からだの良き理解者になる」

    昨日の続きになりますが、治るプロセスにおいて私達はいったいどういったことをからだから学ぶ必要があるのでしょうか?

     

     

    これはわたしが最近感じたことになりますが

     

     

    ①じぶんの生き方と生活の間違いを見直し、ありのままを素直に受け入れること

     

     

    ②現在のじぶんとからだとの関係性を知ること

     

     

    ③からだの良き理解者になること

     

     

    ④痛みや苦痛と戦わないこと

     

     

    ⑤本当にありがたいものとは何なのかを身をもって知ること

     

     

    ⑥からだの可能性を信じること、そして自己否定をしないこと

     

     

    こういったことをこの短い期間に学ぶことが出来ました。

     

     

    この中でも「からだの良き理解者になる」ことが特に大事なことだと最近は思っています。

     

     

    また病気や怪我をした時にそれと戦うのではなく、良いお付き合いをしていくという意識が何よりもからだが悦ぶ良薬のように感じています。

     

     

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  • 「からだの感覚を取り戻していくために」

    体調を崩してから一番辛かったことは痛みよりもからだの感覚がわからなくなっていったことでした。

     

     

    ここ数年の間で風邪や熱、コロナにもかかったことがありましたが、からだの感覚がわからなくなることはありませんでした。

     

     

    いついかなる時もからだに寄り添い、そのメッセージを頼りに自身の生活と向き合ってきましたが、その指標となるものが失われつつありました。

     

     

    その理由を自分なりに分析してみたのですが、四肢末端の動きが極度に制限されていたことで全身を使っての動きが表現出来なかったことが大きいです。

     

     

    それに伴い、目には見えないからだの部位(特に背中)に意識が向けられなくなったことがじぶんとからだの関係性を断ってしまっているような感じです。

     

     

    これらの部位の感覚はからだからのメッセージを受け取っていくことにおいては非常に重要な部位であり、その感覚が麻痺してしまうと命の営みも自分勝手なものになってしまうように思います。

     

     

    治るプロセスにおいて痛い箇所だけでなく、目には見えないからだの部位に意識を向けその変化を日々確認していくことも治療には必要なことなのではないでしょうか?

     

    明日はこのことについてもうすこし書いていきます。

     

     

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  • 「弱き心と強きからだの意志」

    おはようございます。

     

     

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

     

    本日より三浦寛幸がテーマを「フリー」で担当致しますのでよろしくお願い致します。

     

     

     

    最近はだいぶ良くなってきましたが先月から約2カ月間、少し体調を崩している状態が続いています。

     

     

    シンプルに言うと、常にからだのどこかかに痛みがある状態です。

     

     

    この期間に体感してきたことはなかなか経験出来ないことなので、今回は操体の施術者(操者)としてではなく、一人の患者の立場で感じたことを書き記していきたいと思います。

     

     

    二ヶ月の間に自身に起こったことを振り返ると、からだに何か異常が起こった時に人は何を思い、行動に移していくかが非常に大切なことだと感じました。

     

     

    これに至った経緯やその原因をいつも問いかけていましたが、結局は痛みが生じる病気や怪我に対し素直に受け入れることが一番の良薬なのではないでしょうか?

     

     

    確かに命の危険に関わるものであればあるほど、受け入れるのはムズカシクなるのかもしれません。

     

     

    しかし病気が起きた時に生まれる自身の弱き心はからだが本来持ち合わせている「自然治癒力」の妨げになるように感じます。

     

     

    からだには治そうとする強き意思と力があるのです。

     

     

    その力を発揮するには自身の間違いを受け入れて自己肯定感を高めていくことが大切なことだと感じています。

     

     

    明日に続きます。

     

    2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日(土)勤労感謝の日、、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。

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  • 「からだと時間」

    本日で最終日になります。

     

     

    一週間じぶんの考えている様々な「間(マ)」について書いてきました。

     

     

    じぶんとからだとの間(マ)

     

     

    人と人との間(マ)

     

     

    じぶんを生かしてくれている空間との間(マ)

     

     

    わたし達は様々な間(マ)に囲まれ生かされ生きている。

     

     

    もし、これらの間(マ)の使い方にも法則があり、からだが悦ぶような生かし方があるのならば限りある命の時間というのも変わってくる可能性があるようにも最近は思っています。

     

    ここ数年のブログの内容はわたし自身が操体での学びで得たことを実践し、その中で感じたことを書いてきました。

     

     

    その中で常に疑問に思っていることのひとつが先程挙げた「時間」です。

     

     

    本当に人に与えられた時間というのは一緒なのか?

     

     

    刻む時間そのものは生命皆同じなのだろうけど、からだがききわけている時間は違うのではないのだろうか?とも思っています。

     

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。

  • 「2つの空間について」

    空間にはからだの外の空間と中の空間がある。

     

     

    この2つの間(マ)の変化を感覚的にキャッチしていくことが、からだからのメッセージを受け取り応えていくことには必要不可欠なことだと近頃は感じています。

     

     

    その2つの間(マ)にある圧の変化をキャッチしていけるようにすることが操体の学びの一つの目的だと思うようになってきました。

     

     

    操体の目的である「正当にからだを使う」ということも目的地は健康維持増進でもそのプロセスにはこの2つの圧の変化をキャッチしていくことが必ず関与しています。

     

     

    からだの中の空間の圧というのは何となくでもわかって頂けるかと思いますが、外の空間の圧というのはピンとこない人が多いかもしれません。

     

    ただ、わたしたちのからだは良くも悪くも人や物から何かしらの圧を必ず受けています。

     

    その圧をか快に繋げていくのがからだの動きとそれを支える「立ち方」というのがあるのです。

     

     

    立ち方と立つポジションだけでからだの内と外の空間が変化する。

     

     

    もの凄くシンプルだけど奥が深い。

     

     

    だからこそ操体を学び続けていくことが出来るのです。

  • 「姿勢と人の間違い」

    操体を学び続けている中で一つ習慣になってきたことが人の立ち姿と歩き方を見ることです。

     

     

    主に背面からが多いのですが、その人がからだとどのように向き合っているのかがぼんやりと見えてくる。

     

     

    姿勢の良し悪しで人の健康状態や生き方の全てを評価することは出来ないが、臨床家として教えてくれるものはとても多いように思います。

     

     

    特に背中や膝の裏筋、首といった人が自分の目で見ることの出来ない部位には健康に生きていくためのヒントが多く存在しているように見えます。

     

     

    操体の臨床において、なぜ首や膝の裏筋を重視して診ているのか?

     

     

    そこには人の生活のリズムの間違いや呼吸のバランスの崩れといった本人が自覚しにくいものの評価をからだがメッセージとして表現しているのではないでしょうか?

     

     

    そういった目には確認出来ないからだの部位を普段から意識していくことも人の間違いを正す一つのよい問いかけなのではないでしょうか?

  • 「間(マ)を作ることで」

    臨床の中で症状・疾患のある人達と向き合っていると「間(マ)」というのがなくなり、からだのリズムが狂ってしまっているように見えます。

     

     

    呼吸や動きも早くなりますし、それに呼応するように発する言葉も本来在るべきリズムから遠ざかり、早くなってしまっているように感じます。

     

     

    また自身の経験も踏まえると病んでいる時や疲れている時などは心が常に右往左往してしまい、常に何かに追われているような感覚になります。

     

     

    わたし自身はそういった時の対処法として食事や動きといったじぶんの意識でコントロール出来ることをとにかく「ゆっくり」行うことを心がけています。

     

     

    その「ゆっくり」という心掛けによって呼気と吸気のバランスがとれて、からだとじぶんの意識に少しずつ「間(マ)」が生まれてきます。

     

     

    こういう自身の経験から言えることは「間(マ)」がなくなるということは心とからだに必要以上の圧をかけているということです。

     

     

    逆に心とからだに適度な「間(マ)」を常に作ることが出来れば、過度なストレスを受けることはないということです。