カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「私のズッコケ操体クロニクル5~呼吸との向き合い方~」

    私がちゃんとした形で三浦先生の触れない臨床を目にしたのは昭和女子大学で開催されたフォーラムが初めてでした。

     

    私達、実行委員はともかく一般参加者からすれば信じられない光景だったと思います。

     

    ただ確かにモデルになった女性も変化した実感がある。

     

    それがちゃんと臨床として成立していることに驚きと感動がありましたが、ただそれを遠い世界のものとしては当時の私は捉えていなかったように思います。

     

    もしかすると先日書いたような臨床の中でのきもちよさの共有が理解出来ていなければ自分が出来るものではないと思ったのかもしれません。

     

    しかしそんな臨床もこの学びで得られたことをものにしていれば可能になるという確かな自信と確信があったのでした。

     

    それから暫くし、私にもそれを実践する機会が得られたことで、また臨床に対する捉え方が変化していったのでした。

     

    その変化で掴んだことは、からだを通じてきもちよさを共有するための呼吸のやり方(通し方)です。

     

    それまで呼吸に関しては自身のからだの中での関わりという捉え方でしたが、それがからだだけでなく、自分以外のものとの繋がりを意識するようになったのでした。

  • 「私のズッコケ操体クロニクル4 ~正当なからだの使い方の中で~」

    昨日の続きになりますが、皮膚の学びの中で操者と被験者の「快の共有」をつかんだことで、動きを行う臨床の際にも同じ意識感覚で取り組むことにしました。

     

    その意識を第一に臨床に望んだことで大きく変わったことは、からだを主体にした臨床の組み立てが出来るようになってきたこと、そして臨床の中で自身のからだが大きく変化してきたことでした。

     

    そんな変化の中で臨床そのものとの向き合い方も気が軽くなったことも覚えています。

     

    それまでの自分の臨床の向き合い方は「やったらやった分だけ良くなる」という感じが心のどこかにあり、患者のからだの為に常に気を張っていたように思います。

     

    それが次第に臨床も自分の意識が変わったことで、自身のからだが臨床の空間を愉しみにし、癒しの場として望んでくれるようにも感じました。

     

    そういった意識とからだの感覚的な変化の中でわかったことは操者が正当なからだの使い方が出来なければ、きもちよさを、そして感覚を共有することは出来ないということでした。

     

    つまり般若身経の習得が出来なければ、患者に指導することはもちろん、実際に患者が動いて感覚を聞き分けることは出来ないということがわかったのでした。

     

    そんな操体の片鱗が垣間見えた時の感動は今でも忘れられません。

     

    この気付きは私にとってかけがえのない財産となり、それからの私は般若身経の習得と正当なからだの使い方の中での感覚の学習に軸にしていったのでした。

     

    そしてそれと並行し、次のステージである空間を介した臨床の学びに足を踏み入れたのです。

     

     

     

     

  • 「私のズッコケ操体クロニクル3 ~介助・補助の練習の中で見えてきたこと~」

    「患者が動けないのは操者が悪い」

     

    当時のこの三浦先生の言葉と向き合いながら、講習だけでなく、実際の臨床でも実践出来る動診の介助、補助を身に付けることを一つの目標にし、心機一転この学びと向き合おうと決心したのが3~4年経った時でした。

     

    介助の手の使い方をお風呂の中でもイメージ出来る位にいつもそのことばかり意識を向けていたように思います。

     

    畠山先生からいつも「三浦先生になったつもりで」という助言も力になり、実践でも出来るかなという手応えを感じ始めた時に、身近な人達を相手に練習を兼ねた臨床に望むようにもなりました。

     

    しかし自分の望んだ結果が出なかったことの方が多く、失敗の理由と解決策もずっと分からない中、講習では次のステージである「皮膚の操法」に移行しました。

     

    動きに対するもやもやした感じがぬぐえない中で、皮膚の学びは最初すんなり入っていけませんでしたが、この学びの中で掴んだことが後に動きの介助・補助の理解に繋がっていったことは鮮明に覚えています。

     

    そこで掴んだことは動きに対するアプローチの中で自分に足りなかったものとそれまでの学びの中で掴んできた点を線にしてくれたように思います。

     

    その足りなかったものの一つは臨床の中で「きもちよさの共有する」ことでした。

  • 「私のズッコケ操体クロニクル2 ~操体の臨床家としての壁~」

    昨日の続きになりますが、臨床家としてというよりも「自分の生き方を変えたい」という動機でこの学びの門を叩いた私にとってまず何を身に付ければ良いのかが当時全く分かりませんでした。

     

    操体に関する書籍はもちろん、医学書や他の手技療法の本も色々読みましたが、当時の私はこれから操体を学ぶことにおいて自分の武器になるものを必死で探していたように思います。

     

    動診の介助、補助のやり方、操体の哲学、般若身経。

     

    学ばなければならないことは沢山ありましたが、いずれもよく理解が出来ていない状態が続き学んでいても収まりが悪い日々が続いたのです。

     

    そんな手探りの状況の中、一番手応えを感じたのが足趾の操法でした。

     

    なぜ手応えがあったのかを今になって振り返り思うことは、足趾の操法の上達は般若身経と操体の哲学、世界感の理解度と比例していたからなのだと思います。

     

    最初は受講者の中でもぶっちぎりに下手な自分も、この反復の中で少しずつ上達し、そして夢中で取り組んでいる中で、動診の介助、補助も自然に身に付いていったのでした。

     

    自身の中ではそんな良い感じの流れの中で着々とステップアップしていった感じがしていたのですが、そこで今となっては失敗だったと思うことがあります。

     

    それはいざ実際の臨床の現場に立った時に被験者に対しやれることが足趾の操法ばかりになってしまい、操体の一番の旨味である「動き」からのアプローチが全く出来なかったことでした。

     

    これは割とほとんどの人が頭を悩ますことかもしれませんが、この問題は当時の私にとってかなり深刻な問題でした。

     

    操体の臨床家という看板を背負って患者を診ることにおいて、動きの診断、操法が出来ないことに不甲斐なさを感じる日々が続くのでした。

  • 「般若身経の解説7~点を線にしていくために~」

    本日で最終日になりますが一週間を通じて一日ずつテーマを設けて般若身経を理解するために大切なヒントを書いてきましたが、これらは全て繋がっています。

     

    それを一つの線にしていくことは自身のからだを通じて学習していくことが一番の近道ではないかと思います。

     

    般若身経も生き物ですので、これからも進化してきますし、その進化に適応していくために私達は日々からだとからだの動きと向き合っています。

     

    その過程の中で感じたこと、気が付いたことを学びの中で共有していくことが般若身経の栄養になり、新たな学びの種にもなっていくのです。

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

    来週からは半蔵さんの出番です。

     

    お愉しみに。

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

    www.tokyo-sotai.com

  • 「般若身経の解説6~からだの正常な感覚をききわけるために~

    操体を学んでいく中で重要なキーワードとなるのが「感覚のききわけ」です。

     

    橋本敬三先生はこの感覚を「勘」とも言われていましたが、人間が本来持ち合わせる感覚を原始感覚といい、この感覚には本来「快か不快」しかないと操体では説いています。

     

    操体の臨床の中ではこの感覚との繋がりを重要視し、それを成すために「からだにききわけて」というキーワードを施術者は用いますが、これも般若身経がベースとなっています。

     

    もちろん一人一人のからだ(つくり)も違えば、動きも、それまでの生き方も変ってくるので感じる微妙な感覚の違いはあるかと思いますが、臨床の中にしっかりと般若身経が土台にあれば自ずと「からだにききわける」ということも可能になってくるように感じています。

     

    その下地になるものがあるからこそ、操体の臨床は患者の症状・疾患に捉われず、橋本敬三先生の言われていた「治すことまで関与しない」臨床も成立するのだと思います。

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

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  • 「般若身経の解説5~指導することにおける注意すること~」

    先日ある占いの学校を運営している先生がこんなことを言っていました。

     

    「大抵の先生は占ってクライアントが満足したということに満足してしまっている。これから何をすれば良いのかという具体的なアドバイスが出来ない人が多い。本当にその道を究めようとしている人はそれが出来るのよ。自己満足せず相談を受けた後のことも含めてアドバイス出来る人が本当のプロよ」

     

    この話を聞いて私も操体の臨床も全く同じことだと思います。

     

    患者自身が同じことを繰り返さない、または病気にならないようにするには予防が必要で、それを指導することも臨床の一つです。

     

    その指導することにおいて般若身経は大きな武器になる。

     

    自身がからだに行っていくことにおいて、自ずと「からだと動きを見る目」も培われてきますので、般若身経は自身の「型」であるのと共に診断、そして治療にも繋がってくるということになります。

     

    そういった繋がりがわかってくると、臨床はただ患者が訴える症状・疾患を治せばよいというものではなくなってきます。

     

    その後の指導も含めた予防となるものを臨床の付加価値として付けていくことが一流の臨床家になることに不可欠なことではないでしょうか?

     

    それがあるか否かで患者とからだのちょっとした意識のスイッチの入り方が変わり、臨床後のからだとの向き合い方も変わってくるのだと思っています。

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

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  • 「般若身経の解説4~自然体立位の重要性~」

    般若身経を学習するうえで、その立ち位置を学習することはとても重要なことです。

     

    昨日書いたからだの使い方、動かし方のルールに乗っ取った動きも全て自然体立位から始まります。

     

    この立位のポジションも橋本敬三先生の時代から進化してきているが、なぜ進化してきたのかを考えなければならなかったのか。

     

    その中で「何が人間のからだにおいて自然な状態なのか」を考えなくてはならない。

     

    橋本敬三先生の著書「からだの設計にミスはない」の中で自然体を「ホッと一息はいて腰をちょっと落とし、膝をゆるめて全身バランスをとる」と記載しています。

     

    この捉え方も手は小指、足は親指を運動力点、運動作用点としたからだの使い方、動かし方を元に考えられたものでありますが、この記載の中にある「膝を緩める」ということが「からだにとっての自然」を理解することにおいて重要なことになるのです。

     

    自身の臨床の中でもこの「膝(現在は膝の裏筋)を緩める」ということの指導を行っているが、意外とこれが出来ない人が多いです。

     

    それが出来ない人の特徴として腰が反っている、肩が挙がっている、背中が固まっている人が多いですが、こういった人達に一番効果があるのが日常動作の中で意識的に「膝の裏筋を緩める」ということを指導することで病の原因となる日常動作も自ずとからだが悦ぶものとなってきます。

     

    それが自然に出来なければ手は小指、足は親指を運動力点、運動作用点にしたからだの使い方は出来ないということです。

     

    先日書いた腰の状態と共にこの膝の裏筋の状態も般若身経において非常に大切なことで、操体の臨床の技術を身に付けることにおいても、これらが出来ていないと身に付けられないように感じます。

     

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    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

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  • 「般若身経の解説3~腰を要とした動きから末端主導の動きへ」

    般若身経も橋本敬三先生が創案された時から時間の経過と共に日々進化しています。

     

    当時は「腰」を要としたからだの使い方、動かし方から「末端」(手関節、足関節)を主導にした動きへと進化してきました。

     

    その進化の背景にはからだの動きにおける「腰」の捉え方の変化があるように思います。

     

    橋本敬三先生は当時腰を中心に集約する動きを様々な著書で示されていて「からだの中心腰が動けば、全身が動く」という捉え方で般若身経を説かれていました。(※捻転のみ末端)

     

    しかし時間の経過と共にこの腰は「動かすもの」という捉え方から「動きを安定させるもの」へと捉え方が進化し、その流れもあって現在は動きは末端から表現するようになっています。

     

    この時の腰の状態は前彎曲(一般的には骨盤が後傾)した状態になり、この状態で動きを表現することが般若身経の基本になってきます。

     

    その状態で動きを表現することが理解出来てくると、からだの動きは腰椎を動かすのではなく、胸椎を作動させること、そしていかに背中を解放し使っていくことの重要性が理解出来てくるのです。

     

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

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  • 「般若身経の解説2~運動ではなく、動くことにおけるルール~」

    では本題に入りますが、般若身経とは橋本敬三先生が生前「般若心経」になぞってからだの使い方、動かし方のルールを説いたものです。

     

    からだの動きには基本8つの動き(前屈、後屈、左右捻転、左右側屈、自力では出来ないが牽引、圧迫)があり、その動きを行うには重心を安定させること(重心安定の法則、重心を移動させること(重心移動の法則)、連動の法則、そして一つの相関性(呼吸)があると示されている。

     

    橋本敬三先生の各著書ではこの般若身経を「生き方の自然法則 」(息・食・動・想)とし、その中の「動」の項目の中で身体運動の法則として様々なやり方を示されています。

     

    橋本敬三先生らしい実にユーモアなセンスで命名されていて、覚えやすい名称なのですが、これを理解する上で重要なのはからだの使い方、動かし方のルールであって、決してエクササイズ(運動)ではないということです。

     

     

    私が操体を学び始める前に参加したフォーラムで三浦先生が参加者に対し「般若身経はエクササイズではなく、からだの使い方のルール」だということを何度も説かれていました。

     

    当時は一般的に行われているラジオ体操との違い等を参加者に出来るだけ分かりやすく説明をされていましたが、私がこの般若身経を「からだの使い方、動かし方のルール」だということを理解するまでに膨大な月日がかかったのもこの違いを理解出来ていなかったからなのだと思います。

     

    般若身経をエクササイズとして捉えてしまうと、どうしても日常の限られた時間の中でしかやらなくなる。やはり普段の日常動作からからだに学習させ浸み込ませていくことが大切なことなのです。

     

    この違いを理解するためにも普段からこの法則性を意識してからだを使い、それを無意識に実践出来るように自身に学習させていくことが非常に重要なことなのだと思っています。

     

     

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

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