カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「操体・操体法を薦める理由2 ~足し算から引き算の学びへ~」

    私は操体を学び初めてから今年で13年の月日が経ちました。

     

    何事にも長続きしなかった私がこれだけの年月学び続けることが出来たのかと改めて問いかけてみると「損か得か」を基準に操体と向き合っていなかったことが大きな要因のように思います。

     

    何にでも当てはまることだとは思いますが、この基準で自分がやっていることと向き合うと長続きせずに飽きて投げ出してしまうことがほとんどだと思います。

     

    もしかすると操体を学ぶ以前の私は何事もこれを基準にしていたのかもしれませんね。

     

    それが学びを重ねていく中で、いつしか「好きか、嫌いか」という基準に変化し、今では呼吸をするのと同じように自分の命の営みの一部になってきたような感じさえします。

     

    シンプルに「好き」だからやってこれたことで自身に必要なものが自然に身に付いてくるというのが実感としてありました。

     

    それまでは必要なものを足していく足し算の繰り返しでした。

     

    それがある時から引いていく引き算の学びに変っていき、その変化の中で掴んできたのが「快か不快」かを選択する原始感覚を磨くということに繋がってきたのです。

     

    こういう段階を得て現在も尚、橋本敬三先生から操体をお借りし学び続けることが出来ています。

     

    本日書いたことだけでも人が生きることにおいても大切なことですし、操体をお薦めする十分な理由だと思っています。

     

     

  • 「私のセルフケア7 ~痛みとの向き合い方~」

    本日で最終日になります。

     

    先日仕事中に久しぶりに腰を痛めました。

     

    部位でいうと中殿筋付近だと思いますが、とにかくやった後の一日~二日間は何をしていても激痛が走り、大事にしている背中、首の感覚がマヒしているような感じでした。

     

    とにかく痛みをどうにかしたいという思いを抑えて自分なりに色々試してみましたが、個人的に一番効いているなと感じたのは呼吸のバランスを整えることでした。

     

    具体的にいうと痛みが出た時から呼気と吸気の間が短くなり、健康の時と比較すると荒い呼吸になったような感じです。

     

    吸気の入りが少なく、呼気も一変に出し切ってしまおうというような呼吸になっていました。

     

    これはからだを壊すとほとんど呼気と吸気のバランスが崩れるように思います。

     

    それを二日間かけて空いた時間を使い呼気と吸気を細く長いイメージで行い、その間を作ってからだの感覚と向き合うことをしていました。

     

    時には痛みが強くなったり、時には軽減したりすることもありましたが、直接患部に手を加えるようなことをしていた時よりも「痛み」に対する意識が自然に消えていきました。

     

    このような経験を通して「痛み」とは何のかを考えるようになりました。

     

    痛めた部位を治すことが大切なのではなくて、痛みと向き合う中で何を得るか、何に意識を使うかが本当に大切なことのように思います。

     

    「痛み」に対し「ありがとう」と「ごめんなさい」と言える自分いることがからだが悦ぶセルフケアの本質を知ることにおいて必要だなと感じました。

     

    一週間ありがとうございました。

     

    明日からは半蔵さんの出番です。

     

    お愉しみ。

     

    www.tokyo-sotai.com2021年春季東京操体フォーラム開催

    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
    テーマ「操体法クロニクルズ2~呼吸とセルフケア特選~(仮)」

     

  • 「私のセルフケア6 ~空腹から得られること~」

    今月から生活リズムが大きく変わったことで意識的に食事の回数も一日一回から二回に変えてみました。

     

    そこで感じたことを書いておきます。

     

    ・食事をストレス解消の一つにすると、逆にからだにとってはストレスになる

    ・食べないことで得られる快もある

    ・食するもの一つ一つの意味も考えなければ食事をとらなければならない

    ・食はその有難みを感じなければ、ただのストレス解消となる

    ・食のコントロールも重要なセルフケアの一つである

     

    からだとの対話の中でこういったことを感じながら生活をしていましたが、からだの調子が良いと感じる時は適度な空腹感がある時でした。

     

    空腹時に得られるからだの感覚というのは「からだが何を要求しているのか?」「どれだけの量を摂ればよいのか?」というのが凄く鮮明にわかります。

     

    その感覚に従っていると、からだが必要としている以上の食事はストレスになり、からだの感覚が鈍っていくような感じがしました。

     

    そうした中で「お腹が鳴る」という現象にとても興味深かったです。

     

    今まではこの現象を「快か不快」どちらかで捉えているかで答えると不快の部類で捉えていたように思います。

     

    お腹が鳴ることで「食べなきゃいけない」「鳴るのが恥ずかしい」というような感じで、それを一つの指標にして食事をしていたことが多かったです。

     

    しかし、そういった時に暫くそのマを味わっていると、それまで聞き分けられなかったからだの情報が入ってくるようになりました。

     

    特に呼吸の変化というのは面白く、特に吸気を取り入れた時に入る量と質がいつもと違う感じがして呼吸そのものにも味があるような感じがしたのでした。

     

    こういった体験をすると、もしかするとそれまでの自分は「食」の営みの間違いからからだの声を聞き洩らしていたことが大いにあるように思いました。

     

     

    何かからだのことで悩まれている方がいましたら、あえて空腹感を愉しみ、その中で得られるからだの情報に素直に委ねてみることを試してみてほしいです。

     

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  • 「私のセルフケア5 ~「目には見えないからだの部位~」

    最近は日常生活の中で足底と背中の感覚を大事にしています。

     

    特に足底は家を出た時の最初の一歩が母趾球を使えているか、小指側、踵に体重をかけていないかというような操体における動作の基本となっていることの他にも足の指一本一本(特に指の裏)のその日の状態にも気を遣うようにしています。

     

    これらのチェックポイントは臨床の中でも重要な診断ポイントとしていますが、足底全体の形状や皮膚の状態が柔らかくきれいな形を保てている人はからだに対する感覚が鋭く、動作やフォームも美しい人が多いように見えます。

     

    そういった人達を見習い、自身も日々の生活の中で足底の状態に気を遣ってケアをしてきましたが、それに伴い背中の感覚も今まで以上に鋭くなってきたように感じます。

     

    一昨日書いたように膝の裏筋の状態も含めて、これらを動きの中で視界に入れることが出来ないからだの部位です。

     

    視界に入れることが出来ないからこそ、感じ取っていかなければなりません。

     

    背中や首、膝の裏筋にしても、そういう目には見えない部位は見える部位に比べると日常生活、動作の間違いが著明に現れるからだの部位です。

     

    創始者である橋本敬三先生も臨床の中で患者の意識がいき届きにくい部位を重要な診断ポイントにしていました(特に膝の裏筋と首)が、それにも重要な意味があるように感じます。

     

    そんなことを想いながら最近は「なぜからだには見える部位と見えない部位があるのか?」ということを考えています。

     

    神様は人を設計する上でそういう構造(つくり)にしたのも「視界では捉えられない部位は感覚しなさい」というような意図があるように思っています。

     

    そんな神様の意図することをセルフケアの中に取り込みながら、自身のからだ、命の営みと向き合っていくことも今までと一味違った味わいがあって良いなと思いながら日々の生活を送ってみたりしています。

     

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  • 「私のセルフケア4 ~からだのリズムと生活リズム~」

    今月から夜メインの仕事から昼の仕事に変えたことで、自身のからだにも大きな変化が起こりました。

     

    まず生活リズムが変ったことで睡眠の過不足がなくなってきたこと(寝不足や寝過ぎがなくなってきたこと)

     

    それに伴い食事の回数が一日一回から二回に増えたこと。

     

    そして「だるい」と感じることが極端に減ったこと等が自身の実感としてあったことです。

     

     

    そうしたからだを通じて実感したことから「からだのリズム」と自分が行っている「生活リズム」とのズレも体調を崩す原因の一つなのだと思うようになりました。

     

    今までは自分が好きな時に起きて自分の都合で寝て再び起きて仕事に行く。

     

    その中で自分は「からだの意思」を置き去りにしてきたように思います。

     

    そんな当たり前に40年以上してきた自分の生活も実はからだがそれに合わせてくれている。

     

    からだの意思や思いをわかっているようでわかっていなかったのだと思います。

     

    しかしこれだけ操体を学んでいてもからだが要求している意思や想いというものの全てはまだわかっていません。

     

    少しでもからだの意思に寄り添っていく為にも、「からだのリズム」に意識を向け少しでも合わせていくことがからだへの恩返しになるのだと思っています。

     

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  • 「私のセルフケア3 ~どんな時でも正当なからだの使い方をするために~」

    今月から昼間の時間を使いリサイクルショップの商品管理の仕事をしています。

     

    現在はまだまだ使える家電や雑貨をメンテナンスし商品化していくことがメインです。

     

    入社してまだ日が浅いですが、操体の臨床と通ずる点が多くあり、勉強になることが多いので日々愉しみながら仕事とからだと向き合っています。

     

    職場の上司に聞いた話ではこの仕事は腰を痛める人が多く、中にはそれが原因で辞める人もいるみたいです。

     

    確かに冷蔵庫や洗濯機等の重い物を持つことが多いですし、私がやっていることも一つからだの使い方を間違えると直ぐに壊れてしまうようにも思います。

     

    そういう職場環境に身を置きながら最も注意していることは「足のポジション」です。

     

    まだ慣れていないので目先のやることだけに捉われ過ぎてしまうと両足を揃えた状態で立ち位置を取り、結果的に「棒立ち」で仕事をしている時があります。

     

    そのポジションでは時間の経過と共に疲れやすいからだの使い方になってしまい、腰や背中を痛めてしまうことが多いです。

     

    そうならないように一つ一つの作業の間を使って「左足を半歩内側気味に出す」ということをし、膝の裏筋を緩ませるようにしています。

     

    以前は仕事の最中にこういった「からだへの気遣い」は全くせず終わってから手入れをするサイクルでしたが、最近はどんな時でもからだと向き合う「マ」を作るようにしています。

     

    その「マ」の中でしていることは呼吸を意識し、心のゆとりを作ることです。

     

    全ては常に正当なからだの使い方をするためにものであり、からだの意思を置き去りにしないために必要なことだと思っています。

     

    こういった日常の何気ないことに意識を向けることもセルフケアの一つではないでしょうか?

     

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  • 「私のセルフケア2 ~「セルフケアと命の営みとの境界線~」

    昔から体調管理が全くといってよい程出来ていなかった私にとってセルフケアとは「からだへの借金」を返しているような感覚がずっとありました。

     

    「日常生活の自分の間違いはセルフケア、もしくは最悪医者に行ってどうにかすればよい」

     

    「寝る前にその日の疲れを取れば、次の日は自分の都合でからだを好き勝手に使ってよい」

     

    そんなきもちは心のどこかで確実に持っていて、自分の間違いの根底を正していこうという努力をしてこなったのが操体を学ぶ以前の私でした。

     

    結局は好き勝手にからだを使ってきたツケを作っては返していくの繰り返しだったように思います。

     

    現在になって思うのは「自分の健康をからだに任せきりにしていた」ということです。

     

    それが少しずつですが、からだへの借しがなくなりセルフケアと日々の命の営みとの境界線がなくなってきたように感じています。

     

    それは「自分が日々の中でやるべきこと」と「からだに任せること」との識別をはっきりさせ、自分がやっていることとからだが要求していることとの差がなくなってきたということです。

     

    セルフケアとはその差を少しでも補うことであり、それに頼らない命の営みを責任を持って全うしていくことが大切なことだと思っています。

     

    私達がからだに対し出来ることはそんなに多くはありませんが、明日からは私が日々からだとの付き合いの中で大切にしていることを書いていきます。

     

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  • 「私のセルフケア1 ~自分とからだの世界を超えて~」

    猫ちゃん達、一週間ありがとうございました。

     

    今週から三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。

     

     

    今回のテーマは「私のセルフケア」になります。

     

    猫ちゃん達と同じように現在では当たり前のようにやっているセルフケアですが、その質や問いかけ方も日に日に変わってきています。

     

    それを踏まえた上で改めて私の考えるセルフケアとは何のかを書いていきたいと思います。

     

    今まではセルフケアと聞くと「自分とからだとの対話の中でからだが悦んでくれることをする」というような「からだとのキャッチボール」という捉え方でケアに努めていました。

     

    しかし最近はその捉え方の幅を少し広げて、自分とからだを取り巻く環境から頂くエネルギーというものにも目を向けるようになりました。

     

    一言でいうならば、自分とからだ以外のものとの繋がりを意識し、きもちのよさやエネルギー等を共有しようという感じです。

     

    例えば臨床の中で患者が味わうきもちよさを共に味わうことや公園で散歩してみたりすることもそうですし、自分の部屋を掃除したり模様替えをしたりするというようなことも自身のセルフケアの一つとして取り入れてみたりしています。

     

    そういったことをするだけで自身の心とからだが呼吸を通じてきもちよさを共有し悦んでくれているようです。

     

    実はからだが本当に悦ぶこととは自分が邪魔をしていることもあったりし、自分以外のものから不思議な力を頂いてからだの治癒力を引き出していることの方が大きかったりするようにも近頃は感じています。

     

    そんなことを思っていながらも日々のメンテナンスは欠かさず行っていますが、最近はからだに対して「オレが、オレが」という意識はなくなってきたように思います。

     

    きっといくつ歳を重ねてもエネルギーが満ち溢れている人や体調管理に長けた人は我を消していくことやからだのやってくれていることに委ねること、そして周囲からもらえるエネルギーを大切にすること、このバランスを上手く取っているのだと思います。

     

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  • 「私のズッコケ操体クロニクル7 ~ありがたいものに気付いていく~」

    これまで書いてきたような自身の操体の歴史を振り返ると、学び始めた数年間の間はずっと臨床に活かせる技術の習得に意識が向いていました。

     

    それがいつからか自分がいかに健康に生活出来るか、そしてそれをどのように指導していくかに意識が変ってきたのでした。

     

    現在の私にとっての操体は「健康学」であり、「人生学」でもあります。

     

    操体の中の「操体法」のように私にとっての臨床はこれらのほんの一部分になってきたのです。

     

    そういった意識の変化の中で掴んできたことは当たり前に出来ている命の営みに対するありがたさだったと思います。

     

    今になって感じていることは「呼吸」にしても「動く」ということにおいても、それらを知れば知るほど、そのありがさを感じることが出来るということです。

     

    そしてそのありがたさを臨床の中で患者に気付かせていくことも操体の務めだと最近は強く感じています。

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。

     

    お愉しみに。

  • 「私のズッコケ操体クロニクル6 ~触れない臨床の中で起こったこと~」

    呼吸の重要性とその深さは現在も私の学びのテーマとなっていることですが、触れない臨床を学び始めた当時の私はまだその深さを知る由もありませんでした。

     

    ある程度教わったことの範囲内でただ思い付きに任せて様々な問いかけをしていったのですが、果たしてそれが本当にからだの要求に適っているのか?あの時見た三浦先生のものに近づいているのか?

     

    そんな葛藤と向き合う日々が続いていたのですが、それも次第に「この方向性で間違いない」と思える臨床の機会に巡り合えたのでした。

     

    それは2年位前だったと思いますが、2,3回診たことのあるリュウマチ持ちの患者から遠隔での治療を依頼されたことがきっかけになったのです。

     

    その患者にはそれまでの臨床の中で様々なアプローチをしましたが、何をしても「何をされているのかよくわからない」ということを言われていたので依頼自体にも驚きがありました。

     

    しかし当時の私は触れないということを患者のからだが望んでいると思い、触れない臨床を引き受けることにしたのでした。

     

    その時に私が問いかけた内容は割愛致しますが、結果的にその後の実際に触れる臨床の中できもちよさを聞き分け、自然にそれを口にするようにもなったのでした。

     

    こういった経験が出来たことでそれからの私の臨床、そして学びの中でも「呼吸」というものを大切にすることが出来たのだと思っています。