カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「しゅぎょう5 ~叱られたことと向き合う中で~」

    社会人になってから現在に至るまで「叱られてきたこと」というのは常に意識に残り、生きることの糧となっているように思います。

     

    操体を学ぶ以前の話になりますが、洋服屋で働いていた頃は毎日のように上司から怒られていました。

     

    その理由のほとんどは自分のミスで納得出来るものでしたが、時に「なんで?」と思う不条理な叱られ方をし、ストレスになっていたこともありました。

     

    それが重なってきた時に自分の中の仕事に対する向き合い方が「愉しくするもの」から「怒られないようにする為の仕事」になり、やがて職場に行くことが苦痛になってきたことを昨日ことのように覚えています。

     

    しかしそれから操体の学びを通じ、現在になって思うことは「叱ってくれる人がいることはありがたいこと」だということです。

     

    特に自分が「しゅぎょう」をしている身であることを認識することが出来てからは足りないことを指摘してくれる存在とその言葉を大切にしてこれたように思います。

     

    「なぜ叱られたのか?なぜそのように言われたのか?」を突き詰め、自身の行動を見直していく。

     

    それを繰り返し、積み重ねていくことの作業が私にとっての「しゅぎょう」であり、悦びでもあり、とても「おもしろい」ことなのです。

     

     

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  • 「しゅぎょう4 ~学び方を学ぶ~」

    子供の時は「修業」と聞くと強くなること、または何かを上手くなることをイメージしていました。

     

    例えば私の大好きな孫悟空は強い敵と戦い勝つために強い人の下で修業をしていますが、彼の目的は敵に勝つ為ではなく、強くなるために修業をしているように見えます。

     

    そのために亀仙人やかりん様、神様という人の下で修業をするのですが、この中で彼が掴んだことは強くなったという結果ではなく、一人でも強くなるために必要なノウハウを学んだのだと思います。

    そんな孫悟空の修業する姿を見ると、私自身もこの学びの中で本当に掴まなければいけないことは何なのかと考えさせられます。

    当然師が掴んできたこと、成してきたことを学び習得するが大前提としてあります。

    しかしその先の見据えていることを成していき、そして自分の力で学問していくためには「学びかたを学ぶ」ということが大切なことだと最近は強く感じています。

     

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  • 「しゅぎょう3 ~からだからの言葉~」

    先日久しぶりに共に学ぶ同志達と実技の場を共にすることが出来ました。

     

    ここ2年の間はコロナの影響でそういった場を共にすることが出来ませんでしたが、私にとっては実技を共にする場も最高のしゅぎょうの場だと改めて感じました。

     

    私にとってその空間はそれまでの学びの中でからだから受け取ったことを一つの形にする場であり、また同志達とそれを共有する場でもあります。

     

    そういった貴重な場のありがたみを感じながら、思ったことがあります。

     

     

    それは最近自身が話すことは「私の言葉ではなく、からだからの言葉」であったことです。

     

    それまでは実技をやることにおいて、またはモデルとして受けることにおいてもからだから頂く言葉を選択しながら口にしてきました。

     

    自分が思うことや感じたことを自分の見ている景色で判断し伝えていました。

     

    しかし最近はからだ受け取ったことを素直に伝えるようになってきました。

     

    自分で言葉に飾りを付けずに伝えることで、その言葉は少ないですがシンプルになってきたように感じています。

     

    きっとからだが伝えたいことって「シンプル」なことで、私の「しゅぎょう」はその言葉を素直に受け取り伝えることなのと思う。

     

     

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  • 「しゅぎょう1 ~からだと動きと感覚と共に~」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

    今週から三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。

     

     

    今回のテーマは「しゅぎょう」になります。

     

    このテーマが決まってから自身がこれまでやってきたことは「修業」なのか、もしくは「修行」なのかと考えていました。

     

     

    他の実行委員のブログと重複するかもしれませんが

     

    修業→学術・技芸を身に付けること

     

    修行→仏教において悟りの境地にいたるために精神的・肉体的な苦行を積み重ねること

     

    このように記されていますが、この13年の月日で操体で学んできたことはどちらの意味もあてはまりますがあまりしっくりしないので今回は「しゅぎょう」と平仮名で書いていきます。

     

    私の「しゅぎょう」

     

    振り返ると最初の頃はただひたすら師から教わったことを真似、そして繰り返す。

     

    それがある程度「型」になってきたら臨床と日々の生活に落とし込む。

     

    そんな日々の中でやってきたことは師のやっていること「トレース(再現性)」していくことが目的であったように思います。

     

    師の教えを忠実に守り、やっていることを真似だけしていれば操体の本質を掴めるものだと思っていました。

     

    しかし真似事は真似事でしかないのだと近頃は思うのです。

     

    「師から教わったことをゴールにするのではなく、学んだ先に何があるのか?」と常々考えています。

     

    自分で考え実践していき、その中で掴んだことを修めていくという先にあるものを見据えて掴んでいくことが大切なことのように思います。

     

    そして何より重要なのは「しゅぎょう」は自分だけでしているではないということ。

     

    常に「からだ」と「動き」と「感覚」と共に歩み続けているということを肝に銘じていかなければなりません。

     

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  • 「植物の世界7」

    本日で最終日になりますが一週間のブログの中で「植物的な感覚」「植物的な動き」「植物的な呼吸」ということに触れました。

     

     

    言葉を持たない生き物達に意識を向け、少しでも彼らの感じていることを共有していくと慎みを持って生きることが大事なのだと感じます。

     

     

    慎みを持って生きていくためには言葉を統制していくことも大切なことです。

     

     

    人間社会の中では言葉の選択とその受け取り方の間違いにより生き方が間違った方向に向くことが多い。

     

     

    操体の臨床ではからだを診ているが、それと同時に生きることにおいて必要なことを受け取る目には見えない器作りもしている。

     

    呼吸にしても、動きにしても、言葉にしても、インプットとアウトプットしているもの全てを診ていく必要がある。

     

    それは何もムズカシイことではなく、とてもシンプルなことだと思う。

     

    その統制がシンプルに誰でも出来ることを学んでいるのが操体なのです。

     

     

     

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

    明日からは半蔵さんの出番です。

     

    お愉しみ。

     

  • 「植物の世界6」

    東京の渋谷区から武蔵野市に住まいを変えてから約2年半の月日が経過しました。

     

    渋谷にいた時は比較的都心の真ん中にいたこともあり、人工的に作られたものの中で生活をしていましたが、現在住んでいる家は目の前に大きな公園もあることで常に植物に囲まれた生活を送っています。

     

     

    この環境に身を置いていると人は身を置いている環境によって命の営みのあり方が変化していくのがよく理解出来ます。

     

    私自身のことに関して言えば、この2年の間で肉よりも野菜が今まで以上に食べるようになりました。

     

    その理由も人が手を加えたものよりも、ありのままの自然の姿のものを頂く方がからだが悦んでいるように感じたからです。

     

    また植物に囲まれた生活の中で呼吸に対する意識も変わってきたようにも感じています。

     

    以前は自分が意識しないと入ってこなかったものが、現在は自ずと入ってくるようになり、呼吸にしても動きにしてもからだがより良いものを選択してくれている。

     

    そんな無意識に起こっている変化は周囲にいる言葉を持たない小さな命の大きなエネルギーに支えられて起こっている。

     

    私が操体で学んでいることはそんな命達に対する恩返しにも繋がることだと思っています。

  • 「植物の世界5」

    昨日の続きになりますが「植物的なリズム」というものは何なのかを考えていきたいと思います。

     

     

    植物は一般的には光のある昼に呼吸よりも光合成を優位にし、夜に呼吸を優位にしているとされいます。

     

    彼らには人間の作った時間という概念はなく、生かしてくれている空間と向き合いながら命を営んでいる。

     

    日と夜の空間の間に自身の命に必要なことをして生きることも植物のリズムの一つです。 

     

     

    またそれを行うために植物は彼らなりの「動き」の中で生命の入出力を行っている。

     

    それは私達の目には変化がわからないほどのゆっくりとした動きですが、その中で彼らは何を想い、何を感じているのかを想像してみるのも面白いことだと思います。

     

    ひとつ確かなことであるのは植物が感じ取っている時間は私達人間の生活時間よりも「ゆっくり」だということ。

     

     

    「ゆっくり」とした時間の中で自分とからだと向き合うことで植物の世界、そして彼らの命のリズムも見えてくるのではないでしょうか

  • 「植物の世界4」

    生命にはリズムがあります。

     

    健康でいる為には自身が使わせて頂いている「からだ」とそれをコントロールする「こころ」のバランスをはかっていくことが必要です。

     

    最近はそのバランスをはかる上でリズムというものを大切にしています。

     

    人間には心のリズム、からだのリズムというのが主にあり、もっというならば呼吸や動きにもその人自身のリズムというものがあります。

     

    普段は自分の生活リズムにからだが自ずと合わせてくれている。

     

    呼吸にしても、動くことにおいても何も意識しなくてもからだが自分のリズムに合わせて命のバランスをはかってくれているような感じがします。

     

    しかしからだにもからだの都合があり、いつも自分に合わせていられない時だってある。

     

    そんな時に思うのは「植物のリズム」です。

     

    植物たちがどのようなリズムで生きて、その中でどんなことを感じているのかを想像してみることもからだに寄り添って生きていく一つのヒントになるのではないでしょうか?

  • 「植物の世界3」

    植物的な感覚を学ぶ上で呼吸に意識を置くことはとても重要なことのように思います。

     

     

    特に息を吸うことを日々繰り返し意識していくと「ありがたい」という感謝のきもちが自然に芽生えてくる。

     

    そのきもちを体感すると不思議と生活レベルにおける自分の基準が変化し、それまで自分が観ていた景色も変わってくる。

     

    例えば生活レベルで言えば、今まで嫌いだったものが好きになったり、受け入れられなかったものを受け入れられるようになったりします。

     

    そのような自身のそれまでの基準が大きく変わっていくのも呼吸のバランスが命やからだの要求しているものに適うようになってきたからだと感じています。

     

     

    もしかすると橋本敬三先生や三浦先生が生かされていることに対して常に「ありがたい」という言葉を口にしていたのもこういった景色を観てたからなのかもしれません。

     

     

    私自身はまだまだそういった心境で常にいられるわけではありませんが、呼吸を味わう中で時折垣間見えるその景色は植物のような小さな命さえもとても大きく見えてくるようになるのです。

  • 「植物の世界2」

    感覚の学びを重ねていくと人の感覚には動物的な感覚と植物的な感覚があるということがよく分かります。

     

    私達が普段の生活やスポーツ等において必要とされているのは動物的な感覚で、若い時はこれで何とか間に合うようになっています。

     

    しかし肉体が衰えていくと少しずつ植物的な感覚が磨かれていくようになります。

     

    橋本敬三先生の生き様や三浦先生を間近で見ていると、動物的な感覚よりも植物的な感覚が優位になっているようにも見える。

     

    植物的な感覚が優位になると年齢を重ねていく毎に生命エネルギーが増していくのはなぜなのだろう。

     

    現段階で分かることは「生かされている」ことへの感謝のきもちを持つこと。

     

    そしてそれを橋本敬三先生のように言葉にしていくことが生命エネルギーの源のなのだと思います。