カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「うらとおもて2 ~からだの意志と意識~

    日々からだと向き合っているとからだにも意志と意識があるように感じています。

     

     

    例えば「歩く」という動作を細分化してみる。

     

     

    左足を一歩を踏み出すという自分の意識と同時に右足の踵は自ずと浮く。

     

     

    そして両膝の裏筋が自ずと緩む。

     

     

     

    そんなことをいちいち本人は意識していない。

     

     

    しかしからだは自然にそういった動作を表現してくれている。

     

     

    その理由はからだにも私達と同じように意識と「正当にからだを使う」という意志があるからだと思う。

     

     

    そのからだの意志の下、からだの意識は私達がからだを使う動かすことにおいて足りないものを補完してくれている。

     

     

    からだからのメッセージとはそういったからだの意志から発せられるものであり、正当なからだの使い方をするために必要なメッセージが裏に潜んでいる。

     

  • 「うらとおもて1 ~からだからのメッセージを受け取るために~

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

     

    本日から三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。

     

     

    今回のテーマは「うらおもて」となります。

     

     

    先日臨床の中で疑問に思ったことがあります。

     

     

    からだの「表と裏」ではなぜ筋肉や皮膚の厚み、そして表情が異なるのかということです。

     

     

    胸、腹部と背中、足背と足底、手背と手掌、膝と膝の裏・・

     

     

    これらの様々なからだの部位は表と裏でひとつなのにそれぞれ全く異なる性格と表情を持っている。

     

     

    これらを触診してみると表側よりも裏側の方が難易度が高いようにみえます。

     

     

    それはからだの裏と呼ばれる部位には圧通、膏血を「隠す」という性格があるということが理由のひとつとして挙げられます。

     

     

    それが時間の経過と共に私達施術者、そして本人が自覚出来るように顔を出してくれる。

     

     

    そういったからだの表情や表現してくれることもからだからのメッセージのひとつです。

     

    そのメッセージに気が付くことがからだと良い関係を築いていくことにおいて大事なことのように思います。

  • 「環境の自然とからだの自然 ~その7~」

    本日で最終日になりますが、私がこれまで操体の学びの中で掴んできたことは「学び方」であったのだと現在強く実感している。

     

     

    その学び方とは積み重ねていくことではなく、これまでの自身の思考や癖を削ぎ落していくことでもあった。

     

     

    その中で変わってきたのは視点の切り替わりであり、意識の転換なのだと感じている。

     

     

    昨日の山の見方にしても、何を基準に表と裏を見るのか。

     

     

    自分から見た世界(景色)とからだから見た世界(景色)は異なるということ。

     

     

    そのからだから見える景色を感覚というフィルターを通して意識に落とし込み言葉にしていくことがこの学問の本質であると実感している。

     

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。

  • 「環境の自然とからだの自然 ~その5~」

    からだには幾つかの山と呼べる部位があります。

     

     

    例えば肩甲骨、胸椎12、母指球。

     

     

    これらの山はからだの動きにおいてとても大事な役割を果たしています。

     

     

    それらを上手く使えないと谷となる部位には圧通・膏血が生じる。

     

     

    つまりからだそのものは自然と同様に流れがあり、その流れが滞るとからだの歪み(ひずみ)に繋がる。

     

     

    大切なことは自身では目にすることの出来ないからだの部位を意識していくこと。

     

     

    そこにちょっと意識を向けることでからだ(うつわ)には循環に必要な風(吸気)が自ずと入ってくる。

  • 「環境の自然とからだの自然 ~その4~」

    自分が意識しなくても自ずと呼吸がからだが必要としている分だけ自然に入ってくる。

     

     

    自分が意識しなくてもからだが調子のよくない部位を教えてくれる。

     

     

    自分が意識しなくてもからだが必要な食事を教えてくれる。

     

     

    自分が意識しなくてもからだが物事の判断をしてくれる。

     

     

    自分が意識しなくても環境との向き合い方を教えてくれる。

     

     

    自分が意識しなくてもからだがからだの真理を教えてくれる。

     

    これが私の捉える自然体です。

     

    2022年秋季東京操体フォーラムは11月23日ハイブリッド開催致します。

    2022年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

  • 「環境の自然とからだの自然 ~その3~」

    よく「自然体」という言葉を使いますがこれは一体どういうことなのかを考察していきたい。

     

    一般的には

     

    • 気負いのない、自然な態度
    • 無理のない形で立った姿勢

     

    とありますが、いまいちピンとこない人も多いようです。

     

     

    以前によく聞かれた「ありのまま」という言葉がありますが、一般的にはメンタル面から捉える人とからだから捉える人と分かれるようですね。

     

     

    では構造力学的に見てみて左右均等に歪みのない状態が「自然体」なのかと言われるとそうでもないように感じます。

     

     

    ここで自然体について調べていると面白い捉え方をしている記事がありました。

     

    振付家・ダンサーの鈴木ユキオさんのインタビューでこのようなことを言っています。

     

     

    「自然体は社会や他者などの外側の枠組みに合わせながら作っていく」

     

    「誰からも影響を受けない脱力しきった状態は、人間の身体にとってはすごく『不自然体』とも言えるんです」

     

    「『周囲に対してどう見せるか』を考えるのではなく、自分がこうありたいと思う身体の状態を決めて、そこに自分を近づけていくんです」

     

    ※振付家の鈴木ユキオさんと一緒に、自分らしい「居方」を考えるより」

     

     

    私が操体の学びの中で掴んできたことを踏まえ、この言葉から思うのは人の自然体とは私達を生かしてくれている環境との関わり合いの中で自分とからだの意思で生まれてくるものだということです。

     

    それは決して目に見える姿・形でなく、感覚を通じて実感していくもので全てからだが教えてくれるものなのです。

     

    2022年秋季東京操体フォーラムは11月23日ハイブリッド開催致します。

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  • 「環境の自然とからだの自然 ~その2~」

    最近は「自然が形成してきたもの」と「からだ」を重ねてみるようになりました。

     

    自然が作り出してきた姿、形は生き物と同様に地球という環境に適応してきた結果のものであり、何らかの意味があるように思います。

     

     

    地球という命の意思の下、そこに生きる生命に必要な進化と変化であったのかもしれませんし、もっと大きなものの働きかけかもしれません。

     

     

    私自身はあまりサイエンス的なことはよくわかりませんが、この学びの中でからだを通じて感じていることは物事の本質にはその環境に応じた「動きと流れ」があるということです。

     

    それは決して目には見えるものではないのですが、誰もが感じ取っていけるものです。

     

     

    その動きと流れに反するものが歪み(ひずみ)となり、不自然な現象となっていくのだと感じています。

     

    では人の「自然な姿」とはどういうことなのでしょうか?

     

     

    2022年秋季東京操体フォーラムは11月23日ハイブリッド開催致します。

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  • 「環境の自然とからだの自然 ~その1~」

    三浦先生、ありがとうございました。

     

     

    今週から三浦寛幸が担当致します。

     

     

    今回のテーマは「山」です。

     

     

    これまで山には縁がない生活でしたが、20代の前半の夏に一回だけ富士山に登ったことがあります。

     

     

    そこでの思い出はとにもかくにも「きつかった」ことです。

     

     

    五合目から登ったのですが、道中に何度も呼吸と足腰の辛さに耐えられず、休憩を適度に何度もとっていたのを覚えています。

     

     

    自分の思い通りの呼吸が出来ない。そして足が全くついてこない。

     

     

    そして自分よりもはるかに後から来た年配の人達に追い越されていく様を目のあたりにし不甲斐なさを感じたことも覚えています。

     

     

    現在になって当時のことを振り返るとそれも当然だなと思います。

     

     

    当時の私は山という過酷な環境に適応していくためにからだが必要としていることを何一つ知りませんでした。

     

     

    呼吸であり、歩くリズムも然り、登山に必要な「からだの動き」もそうです。

     

     

    きっと当時目にした人達はそういったことをからだで学習していたのだと思います。

     

     

    操体で学んできたことを踏まえてもう一度登ってみたらきっと当時とは違う景色が見えるのではないでしょうか?

     

     

    2022年秋季東京操体フォーラムは11月23日ハイブリッド開催致します。

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  • 「自然から学ぶ ~その7~」

    本日で最終日になります。

     

     

    このテーマを頂いてから海に関わる様々なブログを読んできましたが、そのほとんどの人達は海に対し「なつかしさ」や「癒し」というものを一つの感情として抱いているように見える。

     

     

    その要因は私達の遠い祖先の記憶や長い年月をかけて地球という命が作り出した美しさがそのような想いを呼び起させているのだろう。

     

     

    私自身も海に足を運ぶとまずは潮風に当たり、波の奏でる音を聞きながらそういった感情に浸る。

     

     

    その感情の中で向き合うからだは自然に力が抜け、自身の目では確認出来ないからだの部位にスイッチが入る。

     

     

    そんな時に思うのは環境から受け取るからだからのメッセージなのである。

     

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。

  • 「自然から学ぶ ~その6~」

    からだに潜む圧通・膏血は色々な形があり最近注目している。

     

     

    球状のものや筋張ったもの。時にはゼリー状のものもある。

     

     

    それらは主に首や背中、膝の裏筋、足の裏等にあり、動き、呼吸、心の状態で様々な形に変化し、からだのバランスをとってくれている。

     

     

    そして面白いのがその人自身が目では確認出来ない部位に静かに潜んでいるということ。

     

     

    目で確認出来ないからこそ臨床では大事な部位であり、またからだを使う、動かすことにおいても 

    その部位の感覚を育てていかなければならない。

     

     

    そういったことを日々の中で感じていると私達のからだはまるで海そのもののように見えてくる。

     

     

    その海の世界で生きているものを生かすのは呼吸と動き、その流れと循環だと思う。