カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「学びの力」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

     

    今週からは三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。

     

     

    テーマは引き続き「何を学んでいるのか」になります。

     

     

    いつも何かに追われているような日々の中で10年以上の期間、操体を学び続けている意味をいつも自分自身に問いかけています。

     

     

    「じぶんのため?」

     

    「からだのため?」

     

    「じぶん以外のもののため?」

     

     

     

    正直この問いの答えはあまりよくわかりません。

     

     

    しかしこの10年以上の期間で学んできたこと、そして現在学んでいることは確かに私自身の「悦び」に繋がっていて、生きることの柱になっているのは確かなことです。

     

     

    そして私自身が得られた悦びは臨床という場を通じて、または日常の空間を通じて周囲にも確かに広がり、目には見えない形で健康維持増進に繋がっているようにも感じています。

     

     

    それは目に見えるテクニックや言葉以上に大きな力を生みだし、からだを通じて共有し響き合っているような気もします。

     

     

    こういう目に見えない力を生み出すのも学びの生み出す力であり、もしかするとわたしの学びが途切れた時にはこの力も生み出せない気がしています。

  • 「はじめての操体法7 ~からだは答えを知っている~」

    本日で最終日になります。

     

     

    一週間を通じて「からだ」を強調してきたことには理由があります。

     

     

    それは私達が操体で知りたいことの答えはからだが知っているからです。

     

     

    そのからだからのメッセージを聞くために操体では作法やからだの動きを学習しています。

     

     

    そのからだからのメッセージを受け取れないとじぶんが知りたいことも見えてこないように思います。

     

     

    操体を求めてくる人達の動機は「治し方を知りたい」「健康でいるために必要なことを知りたい」という人が多いですが、それらの問いに対する答えは全てからだが知っているのです。

     

     

    「からだは答えを知っている」

     

     

    これを理解していくことが健康の維持増進、もしくは臨床の本質を理解することにおいても大事なことだと思います。

     

     

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。

  • 「はじめての操体法6 ~点を線にしていくために~」

    操体の学び始めた当時、大きく分けて3つ学ぶことがありました。

     

     

    ひとつは橋本敬三先生が提示された哲学。

     

     

    ふたつめは操体法の臨床に必要な介助・補助。

     

     

    最後はからだの使い方のルール法則(般若身経)※現在はからだの動き。

     

     

    当時はこの3つの学びを一つ一つ頭で理解した上で実践していくような学びをしていました。

     

     

    しかしこの3つがなかなか点が線にならずに四苦八苦していました。

     

     

    現在になって思うことは当時は思考統制の中でこれらを理解することは非常に困難であるということです。

     

     

    つまり実践の中でからだが理解したことを感覚を通じてキャッチし納得していくことが操体を知る最もよい学び方であると思います。

     

     

    そのことは操体の臨床をうけた患者のその後の姿勢を見ていても重なる部分があります。

     

     

    恐らくはじめて操体を学ぶ人、臨床をうける人は指導者から受ける指導、もしくは施術の中で味わう快適感覚に対しよくわからないという人が多いと思います。

     

     

    ただ最初はわからなくてもよいんです。

     

     

    からだが動きを、そして快適感覚を素直に受け入れ味わえば本人の理解は時間の経過と共に出来るのです。

     

     

    なので、はじめての操体に必要なことはからだが受け取っていることに対して素直に受け入れることです。

  • 「はじめての操体法5 ~うつわを作っていく~」

    振り返ると操体を学問にしていくことの中で学んできたことは「からだの本来在るべきありのままの姿」と「自然な動き」を感覚を通じて学んできたように思います。

     

     

    これは操体の臨床をうける人に言うことですが

     

     

    「操体法の臨床は3つのうつわを作っています。

     

     

    ひとつは正当なからだに必要なつくり(構造)といううつわ。

     

     

    ふたつめはからだの動きに必要な呼吸をするうつわ。

     

     

    最後はからだがききわけていることをキャッチしていくための感覚といううつわ。

     

     

    この3つのうつわが出来れば命の営みも自ずとからだの要求しているものに適うようになってきます。

     

     

    これらを作っていく上で大事なのは自分の思考でからだと向き合わないこと。

     

     

    からだが私達に教えてくれることは決して本や教科書には載っていないことなので、それを自分の物差しで理解しようとすると「むずかしい」と思ってしまうのです。

     

     

    なのでからだという未知の世界を知っていくためには自分の得たことを消していく「引き算」の学びも必要なのです。

  • 「はじめての操体法4 ~からだとの信頼関係2~」

    からだとの信頼関係を築いていくことにおいて大切なことの一つは意識のステージを変えていくことです。

     

     

    例えば自身の生き方の中で意識の土台となるものが「楽」というものになると、からだもそれに応じた動きとつくり(構造)になる。

     

     

    それは時間の経過と共に歪みという形でバランスをとっているのでその許容範囲を超えた時に痛みや苦痛となる。

     

     

    それを「快」を土台にした自身の生き方に変えていくと、からだはも自然にからだが要求する動きになり、病に繋がる歪みも作らなくなる。

     

     

    つまりからだは自分の生き方、意識の持ち方を忠実に表す通信簿であるということです。

     

     

    その通信簿は呼吸で表現され、動きでも表現され、言葉でも表現されてきます。

     

     

    そしてこれらは互いに同時相関相補する関係性にあるということ。

     

     

    なので操体法における臨床ではこれらを全て診ていくことが必要です。

     

     

    逆にこのいずれかをからだが悦ぶものにしていくことでからだとの信頼関係を深めることが出来、結果的に症状、疾患は改善してきます。

     

     

    意識のステージを変えていくことも含めて現在の操体はどうすればからだが悦ぶのかを誰にでも出来る非常にシンプルな問いかけを行っています。

     

     

    とりあえずは自分と同じようにからだという意思を持った人格者の存在を認めてからだが悦ぶことを実践してみてください。

  • 「はじめての操体法3 ~からだとの信頼関係~」

    操体を学びの中で一番苦労したことは「からだにききわける」ということを理解することでした。

     

     

    自分がからだにききわけていることが果たして自分の本位のものなのか、からだ本来の声なのかがよく理解出来ていませんでした。

     

     

    これはきっと操体を共に学ぶ同士、もしくは操体の臨床を受けたほとんどの人が通る問いかけだとは思いますが、私は他の人以上にこれを理解出来ないことに深刻になっていたように思います。

     

     

    そして学び始めてから数年間は自分自身の中でこの問いかけに対しわからないまま曖昧にしていましたが、ある時からその識別が出来るようになったのです。

     

     

    その識別が出来たのも一言で言うならばからだに対し自分が「素直」になったからです。

     

     

    その素直さというのは正当なからだの使い方を学習していく中で自分がからだを認め、そしてからだが自分を認めるという信頼関係を構築することで生まれてきます。

     

     

    操体の学び、そして臨床の根底にあるものはからだと自分との信頼関係を築くきっかけを与えるものだと思っています。

     

    明日に続きます。

  • 「はじめての操体法2 ~じぶんごととして~」

    わたしがはじめて操体に興味を持ち始めたのは28歳かその位の時でした。

     

     

    その前から腰痛や肩こり等で悩んでいたので近隣にあるマッサージ店に通っていましたが一時的な改善はあるものの2,3日すると元に戻ってしまうことを繰り返していく日々。

     

     

    その日々の中で少しずつ気付いてきたのは健康を人任せにしてしまっている自分の生き方の間違いでした。

     

     

    「治らない、改善しないのは医者や施術者のせいではなく、自分の生き方や意識の使い方に間違いがある」

     

     

    そんな思いを持ち始めた時に橋本先生や三浦先生がやっていることに興味を持ちこの学びの門を叩いたのです。

     

     

    そんな当時のことを振り返りながら現在になってこの学びに最も必要なことは意識を変えていくことのように思います。

     

     

    自身の健康を人任せにせず、「じぶんごと」として受け止めていく。

     

     

    そういう意識に自然となってきた時に操体の世界観というのは少しずつ理解出来てくるのように感じています。

  • 「はじめての操体法1 ~操体を理解するために必要なこと~」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

     

    今週からは三浦寛幸が担当致しますのでよろしくお願い致します。

     

     

     

    今回のテーマは「はじめての操体法」になります。

     

     

    私がはじめて操体を学ぶ、操体法の臨床をうける方にお伝えしていることがあります。

     

     

    ひとつは操体はからだと向き合う学問であるということ。

     

     

    もうひとつは臨床に必要な技術やテクニックを学んでいるのではないということ。

     

     

    最後に自身を生かしてくれているものとどのように向き合うのかを知っていく学問である。

     

     

    ということを伝えています。

     

     

    操体の学び、または操体法における臨床の中で行っていることは全てこれらを学習するためのものでもある。

     

     

    まずはからだがしてくれていることを感覚を通じて理解すること。

     

     

    そして自身は何に生かされ、何と向き合わなければならないのかをからだ

    から教わること。

     

     

    それには何事も素直に受け取る素直さが非常に大事なことだと実感しています。

  • 「健康と寿命と向き合う中で ~その7~」

    本日で最終日になりますので「寿命」について少し書いていきたいと思います。

     

     

    私達が現在学んでいる操体は「命の使い方」を学ぶ学問でもあります。

     

     

    「からだの正当な使い方」にしても、「意識の使い方」にしても全て生き様と命の在り方に繋がる。

     

     

    その使い方次第で当然自身の健康や寿命も大きく変わってくるのです。

     

     

    そして何より大事なことはそれが空間を通じて人や物に伝わり連鎖していくということ。

     

     

    だからこそ与えられた命、そしてからだは自分だけのものではないということを肝に銘じなければならないということです。

     

     

    最近よく耳にする「健康寿命」も自分だけのものだと考えずに共有するものだと考えれば真剣に向き合っていかなければならないものですよね。

     

     

    一週間ありがとうございました。

  • 「健康と寿命と向き合う中で ~その6~」

    最近はいつも「からだにとっての健康と不健康」とは何なのかを常に自分とからだに問いかけています。

     

     

    正直、わからないことだらけなのですが、一つだけ確かなことは私達が定めた健康とは明らかに異なる基準でそれを捉えていかなければならないということです。

     

     

    そしてもうひとつ大事なことは「自分がからだにききわけている感覚」と「からだがききわけている感覚」は全く異なることを認識して見ていかなければならないということです。

     

     

    しかしそのふたつは表裏一体の関係性であり、どちらかが変化すれば、もう一方も変化する。

     

     

    例えば私自身も経験があることですが、痛みがあるとそれから逃れようとする自分とそれに捉われてしまう自分がいます。

     

     

    そうすると正常なからだの声と感覚は聞けなくなり、それに応えることが出来なくなってきます。

     

     

    しかしそんな自分とは裏腹にからだは快のベクトルに向くように動きや呼吸を私達の意識の外で行ってくれているのです。

     

     

    そういったからだがしてくれていることへの気付きや意識が向けられなくなった時こそが「からだにとっての不健康」の始まりのように感じています。