カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「ふれる4 ~からだのありのままを受け取るために~」

    昨日の続きになりますが、ひびきの余韻を残せる「ふれ方」とはどうすれば実践出来るのかを書いていきます。

     

     

    ひとつはからだの動きとからだにとって自然な立ち方を学習すること

     

     

    ひとつはそれに適応した呼吸の生かし方を学習すること

     

     

    そしてもうひとつは皮膚の存在を学習すること

     

     

     

    これらと向き合っていくとからだは診てほしい部位とその触れ方を自ずと教えてくれる。

     

     

    なので(圧通を)探す、当てるというような思考意識でからだと向き合わないことが非常に大切になってきます。

     

     

    からだのありのままを診て、ふれていくこと。

     

     

    そして干渉しないことが大事なことだと思っています。

     

     

    開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

    www.tokyo-sotai.com

  • 「ふれる3 ~ふれるとひびき~」

    少し前の話になりますが、講習の中である実行委員の方に足を触れてもらったことがあります。

     

     

    そのふれ方はまるで私自身のからだをやさしく包むような包容力があり、その余韻は現在もからだの記憶として残っています。

     

     

    これは私自身の経験上の中での話になりますが、上手い人が行う触診は臨床後もその余韻がひびきとしてからだに残るように感じます。

     

     

    それはゆっくりゆっくりからだと意識に浸透し、呼吸も少しずつ緩やかに変化していく。

     

     

     

    そして本人の気が付かないところで少しずつ「からだに寄り添った生き方」に変化してくる。

     

     

    そういう臨床を「ふれる」だけで実際に行えるのは本当に素晴らしいことだと思う。

     

     

    開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

    www.tokyo-sotai.com

  • 「ふれる2 ~言葉と文字にすることで変わってくるもの~

    操体の学びではからだと良い関係を築いていくために大切にしていることがいくつかあります。

     

     

    言葉や文字もその一つで、例えば私達が体を「からだ」と表記しているのはからだが表現していること、そしてそのメッセージを受け取っていくために必要なことだからです。

     

     

    発する言葉や言語は伝達手段として正確に認識していかなければならないものですが、それをどのように表現していくかでその人の感覚の世界や考えていることが何となく垣間見えるような気がします。

     

     

     

    そして今回のテーマである「ふれる」というのも文字にしていくと、その人がどういった意識で身の周りのものを向き合っているのかが見えてきます。

     

     

    「からだに触る」と「からだに触れる」。もしくは「からだにふれる」

     

     

    この3つを文字にしてみると明らかに違いがあるように感じます。

     

     

    臨床の中でこれらの意識でからだと向き合い実際に触れてみてもからだがみせてくれる世界とそのメッセージ性も全く異なる。

     

     

    こういったことは些細なことかもしれません。

     

    しかしひびきが全然違ってくるのです。

     

    そのちょっとしたことが自分の思考のスイッチを変え、そしてからだと仲良くお付き合いしていくために必要な感覚の世界の入口のように感じています。

     

     

    開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

    www.tokyo-sotai.com

  • 「ふれる1」 ~ふれることから気付くこと~

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

     

    今週からは三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。

     

     

    今回のテーマは「ふれる」になります。

     

     

    このテーマを頂いてから日々の自身のからだと向き合う中で受け取っていること、ブログの中からの実行委員の言葉、そして臨床の中でからだから受け取っていることから私達は何にふれているのかを考えていました。

     

     

    その中でまず思ったことは「ふれる」ということは感覚するということでした。

     

     

    私を生かしてくれているこの空間、日常の中で常に聞こえてくる音、言葉。

     

     

    自分を取り巻くたくさんの命。

     

     

    目に見えるものから見えないものまで挙げればきりがない程のものとの繋がりに常にふれながら私達は生かされ生きている。

     

     

    その「ふれる」ということを感覚していくことが操体の学びを点を線にしていく過程において大切な要素になるように思っています。

     

     

    開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

    www.tokyo-sotai.com

     

     

     

  • 「からだのなぜ?を紐解く学び」

    本日で最終日になります。

     

     

    ここ何年間の間「スイッチ」という言葉がとても気になり、臨床や日常生活の中で常に問いかけていました。

     

     

    皆様もスイッチが入ることで、いきなりやる気が出たり、表情が明るくなったりしたことを経験されたことがあるかと思います。

     

     

    また病気の人が急激によくなったり、元気がなかった人が急に元気になったりする不思議な現象を臨床で何回も見てきました。

     

     

    そういった現象がなぜ起こるのか?と常に疑問に思っていたのですが、最近では「スイッチ」がこの現象に深く関与しているように感じています。

     

     

    わたしの捉えるスイッチは

     

     

    からだのスイッチ、こころのスイッチ、意識のスイッチ、呼吸のスイッチの4つです。

     

     

    この4つのスイッチを入れることでからだは劇的に変わるということが自身の経験でよく理解することが出来ました。

     

     

    これらのスイッチを入れる問いかけを操体の学問の中で学んでいるのです。

     

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

     

    明日からは半蔵さんが担当致しますのでお愉しみに。

     

  • 「何かに重ねていく学び」

    現在のじぶんの学びは何かとじぶんのしていることを重ねていくことをしているように感じています。

     

     

    例えば

     

     

    からだの動きとじぶんの動きを重ねていくことであったり

     

     

     

    またからだが自然としてくれる呼吸とじぶんがする呼吸を重ねていくことをしています。

     

     

     

    これらを重ねていくと命の営みに必要なものは全てからだが教えてくれるようになる。

     

     

    それが結果的にからだの要求に適うものを受け入れる「うつわ」(構造)を自ずと作ってくれる。

     

     

    なので臨床では「構造のうつわ」よりも「感覚のうつわ」作りを重視しています。

     

     

    それが健康維持増進への道筋だと信じて日々からだと向き合い学んでいます。

  • 「感謝に繋がる学び」

    昨日の続きになりますが、なぜわたしが山に登ったのかを考えていました。

     

     

    その問いかけの先にはきっと初日に書いた「なぜ学んでいるのか?」「なにを学んでいるのか?」の答えがあるように思えるのです。

     

     

    昨日ようやく見えてきたことは「感謝」という言葉でした。

     

     

    あの過酷に感じた自然の空間に身を置けたことで呼吸のありがたさ、地に足を付けて歩けることの悦び、食への感謝と様々なことを学ぶことが出来ました。

     

     

    そういったことを体感出来たことで日常にある当たり前にあるものがとても「ありたがい」ものだと感じられるようになったのです。

     

     

    つまり意識が変わるということです。

     

     

    それは操体の臨床にも通ずることであります。

     

     

    使わせて頂いているからだに対しての感謝。

     

     

    そしてからだを生かしてくれている目には見えないものへの感謝。

     

     

    この2つの感謝への気付きと学びが私達が生きることにおいて、また健康維持増進においては非常に重要なことだと思っています。

  • 「からだからのメッセージを学ぶ ~左右の役割~」

    昨日、山梨県にある八ヶ岳を登ってきました。

     

     

    早朝4時から登山し、雨や雷雨等のトラブルもあり、最終的には帰宅することが出来たのが23時とわたしとからだにとってはかなりハードな一日でした。

     

     

    その道中、現在じぶんが学んでいるからだの動きであったり、呼吸を意識しながらどうにか山頂まで辿り着くことが出来ました。

     

     

    しかしそれからは疲れから足や肩の痛みに襲われそれらを意識し行動することが出来なくなり、その後の行動のほとんどの時間をからだにお任せてしまうことになってしまいました。

     

     

    そういった時間の中で気が付いたことですが、からだは意識下でコントロールしている中でききわけている感覚と本人の無意識下でききわけている感覚は明確に違いがあるということです。

     

     

    まずその違いの一つはわたしの意識に上らない様々なことやってくれているということ。

     

    わたしが感じた痛みを緩和させるために全身の至る所に歪みを作り動きの制御をしてくれていたり、からだが必要としている呼吸も呼気と吸気を絶妙なバランスでその入出力をしてくれている。

     

     

    そしてもう一つの気付きは疲れてくるとからだは左右の優位性を持って動きを表現してくれるということです。

     

     

    今朝のからだの状態を確認してみると立ち上がることが出来ない程に全身筋肉痛になりましたが、その形状を確認してみると明らかに右よりも左半身が膨張しています。

     

    それは恐らく痛みを感じ始めた後にわたしの無意識の中でからだは左を使うことを選択し、右とのバランスを取りながらその後の過酷な環境を率先し行動してくれていたのだと思います。

     

     

    わたしが現在学んでいるはこういったからだがしてくれていることを健康維持増進学に繋げていくことだと思っています。

     

  • 「臨床に精通した生き方を学ぶ」

    これまでの操体の学びの中で掴んできたことの一つに施術者の生き方は患者のからだに必ず反映されるいうことです。

     

     

    操体法の臨床の特徴でもあるからだとからだとの世界で行われていることは本人達の意識下に上がらない様々なことが行われています。

     

     

    その中でも、動き、呼吸、意識の使い方は皮膚とその場の空間を通じ共鳴するのです。

     

     

    なので臨床効果や結果というのは施術者自身の生き方次第だと言ってもよいかもしれません。

     

     

    そういうことからも操体の臨床に携わる人間は臨床の技術やテクニック以上に自身の生き方を学んでいかなければならないということです。

     

     

    そういうことからもわたしが現在学んでいることは「人生学」と言えるかもしれません。

     

     

    その人生学を知るヒントはからだが知っているように思っています。

  • 「学び方を知る学び」

    以前のブログでも書きましたが、わたしが操体の学びで得ていることの一つは「学び方」です。

     

     

    その学び方とは「感覚の学習」でもあります。

     

     

    当時は創始者の哲学を学び、そして師のやっていることを真似ていくことで、それを少しでも再現することをゴールにしていました。

     

     

    それは学生の時の教科書の丸暗記みたいなもので、テスト前の一夜漬けのような「思考の学び」であったように思います。

     

     

    そういった姿勢では何も生まれないことと、その先に繋がらないことをからだが動きと呼吸を通じ感覚というフィルターを介して教えてくれたように感じています。

     

     

    その気付きからのわたしの学びは「感覚の学び」になりました。

     

     

    現在のわたしの学びの核にあるのは師が何を見て、何を見据え、何を感じているのかをからだと共に動きと呼吸を通じてキャッチし共有することです。

     

     

    それを繰り返す中で師が示している学びの方向性をからだが理解してくれて、そのからだからのメッセージを言葉にしていくことを学んでいるように感じています。