カテゴリー: 三浦 寛(みうら ひろし)

  • 医道の日本誌 『新年のことば』

    おはようございます。今週担当になりました三浦です。一週間よろしくお付き合い下さい。

    この時期、私の担当がフォーラムの日に重なってしまいますので、ブログの日付は少々前倒しにして11月11日(水)から書き込み進行させていますので、ご了解下さい。

    ブログに取りかかる前に、毎年恒例になっている「新年のことば」(医道の日本誌 2010年新年号)を字数の範囲に収めてみました。400字以内に収めるのが至難の業ですが、思いのほか、すんなり収まりがついたようです。
    内容については、近々ホームページで公開しますので、チラッと目を通して下されば幸い。
    かなりショッキングで興味をそそる内容です。

    医道の日本 新年のことば 2009年

    なにか、又新たな臨床の世界が展望できそうですネ。このことは、時空感覚を臨床の中でいかに克服していくか、という問題なのでしょう。時間、空間、距離感のとらえ方です。これを克服できれば、視診・触診・動診をとおさなくともそれらの診断が一瞬にして可能になる訳ですね。又、患者が遠方に存在していても、臨床がとおせる、それが当然のこととしてできるように成る。想念(心)は時空を超えて一瞬に伝わる、というのは確かなことでした。私は臨床においてその確信を得た訳です。

    その方法はわかってしまえば、なんだ、こんなことか、となるのです。とてもシンプルな問いかけによって可能なのだということがわかりました。今、そのレクチャーを一つ一つまとめています。この時空感覚をいかに克服していくか、臨床家にとっては、必須のことと思いますが、興味のある方は学んでみてはいかがでしょう。臨床観そのものもそうですが、人生観そのものも大きくかわりますよ。同じ自分でありながら自分自身の内容が、かわってくるのですから、味わってみるのもよろしいのではないでしょうかネ。

    三浦寛

    『医道の日本』2009年8月号 『自慢の一品&コレクションを拝見』より。

  • 「稲翠先生」

    おはようございます。土曜の朝を迎えました。アッと言う間の一週間、ブログも今日で最終回です。お世話になりました。昨夕、最新の出版情報が飛び込んできました。皮膚皮部の情報です。皮膚の新書は入手しましたが、皮部はこれから発注の予定です。私たちが取り組んでいる皮膚の診断、臨床に何かヒントになるのではと期待しています。僕の方も、「要妙パート2」のゲラが少しづつ手元に送られ、いよいよ校正の段階に入っています。出版元に原稿を提出して一年余り、その間、皮膚へのアプローチも少しづつ内容を満たし、新たな問いかけや気づきが掘りおこされ、その追加の原稿も書き添えながら、より内容の充実をはかっています。ブログの最終回は、「稲翠先生」と題して最終回を締めくくりたいと思います。

    南画の稲翠(とうすい)先生、南画も水墨画も見境いのない私は、かなり失礼な対応をして来たようだ。私自身学生の頃から美術部に席をおいて油絵を描いていた時があった−特に中国の霊山秘境を描く水墨画には興味があった。ただ僕の興味はその美だけであり、歴史とか、水墨画そのものを追求するものではない。私は1973年の冬、下北沢の書店で現代日本美術全集全18巻が目にとまり。どうしても欲しくて、ローンを組み全巻を買ってしまった。かなり立派なもので、一巻でもかなり高価だった。かなりの重量で、全巻一度に持ち上げることなどできない。この美術全集は一巻の富岡鉄斎に始まり、第二巻が横山大観と続き、十八巻が萬鉄五郎、熊谷守一で終わる。私は特に富岡鉄斎の淡彩画に心を打たれ、よく鉄斎の全集に見入っていた。鉄斎の作品は、水墨画でもなく、淡彩画というらしい。南画にも似ている。色彩が入り、書体が入る。圧巻は寒霞渓図(かんかけいず)、富士遠望図(ふじえんぼうず)、百衣観音図(ひゃくえかんのんず)、普陀落山観世菩薩像図(ふだらくさんかんぜぼさつぞうず)などは心にのこり打たれる作品であった。

    鉄斎は天保七年(1837年)に生まれ、1924年89歳の生涯をとじる。私が稲翠先生の作品にひかれるのは、鉄斎の影響なのだろうかと思う。

    私の手元に、中国の秘境・霊山を描いた淡彩画とも南画とも私には判断つかぬ、巻物がある。額に納めようとするならばゆうに200号以上の大作である。何故そんなものが手元にあるのか、話せば長くなるのでやめるが、それだけ私が魅了されているからであろう。
    南画に興味があるが、先生の全身全霊で飛び込んでいる厳しさを感じとれば、心無くしては土足で踏み込む無礼さに等しい。私が稲翠先生と向かい合っている時は、息をとぎすまして神経を集中しないと先生の話の中に入っていけないのだ。真刀で向かい合い、武士であれば動いたら即切られるほどの霊線を感じる、南画そのものが稲翠、そのもの、私から両腕を切り落とされようが、両足をもがれようが、それでも耳穴を使ってでも鼻穴を使ってでも「南画の稲翠」をつらぬくのであろう。それがほとばしる稲翠先生の霊線なのだ。血火(ちばな)を散らすような向かい方ではなく向かいあふことで共に響きあえる霊的共感を感じとっているのだ。稲翠先生も私も、そのものを見つづけてきた。南画の最高峰を師にいただき、操体の祖に学びを得てその頂点をみすえられる境にあるそのもの同志が共有できる(響き得る)学び得るところの生命線を感じあっているのだ。5月の連休に稲翠が腰に激痛を覚え寝込んでしまった。私は呼ばれもしないのに自宅に足を運んだ。ただ急場しのぎである。稲翠先生の力になれると思ったからだ。その状況を診て、左目の酷使からくる腰痛だと本人に告げた。左目に何かあるとわかったのは、三茶を出る時すでにわかっていたことなのだ。そしてこの腰痛も今にはじまったことではなく、一度併発してしまうと一ヶ月は寝込んでしまうひどさらしいのだ。しかし今回は三日ほどで再起できたのだ。稲翠先生はシカゴでの講演を間近に控え、体調云々とは言っておれない多忙のさなかであった。六月の期間、週一度私の臨床を受けに三茶に通ってくれた。稲翠先生の右目の視力低下が気になっていたが、のしかし治療の期間に著しく回復してきたのであった。

    本人に聞くまでもなく、私は右目のこともわかっていた。右目の視力の回復も、腰の激痛も、どうすればよいのかわかるから、自宅まで押しかける。稲翠先生も三浦にかかればこの右目も回復することが予測できるから三茶に足をはこんできたのだ。

    診させてくれとも先生に頼んだ訳でもない。ただ、わかりあえるというヒビキを共有できるからこそなせることなのだ

    六月のある週に、稲翠先生は「宙」という書体をしたため、私に贈って下さった。宙といわれてみれば宙だが、宙といふ書体には見えない。宙といふより宙といふ創造のアートである。宙という命の細胞、その生命想像のアートである。

    やっとブログが終わりました。一週間のお付き合いありがとう。また21週後にお会いしましょう。森田さんにバトンタッチします。

    ※田中稲翠先生は、2009年、秋の東京操体フォーラムにて講義をしていただく予定です(畠山裕美)

    水墨画家イスラエルを行く―それでも好きさ バラガン王国

    水墨画家イスラエルを行く―それでも好きさ バラガン王国

  • 「診断を超えた新たな診断」

    おはよう。皆さん。午前中四時三十分です。この朝の時間帯でも、かなり蒸し暑いですね。風がある分助かります。
    草階、どうだ体調は。急に姿をくらましたので、おまえのことだから地球の裏側で、昼寝でもしているのかなと思っていたが、活字に目を通す位はからだにさわらぬか、君の復活を願い心をこめて、ブログにかたりかけています。水、木と長いブログに皆さんお付き合い頂いて感謝です。少しは暑さを忘れて気分を変えていただけましたか。書くことにおいては全く苦にならないし、かなり楽しく集中できるのですが、この原稿を打ち込んでくれている畠山女史には頭が上がらない、あと二日よろしくお願いします。
    今日の内容は「診断を超える新たな診断」を題して書いてみます。ところで昨夕上島珈琲のテラスでウトウト仮眠をとっていて、ふと気づいたのだが、点の渦状波の最中、操者側が感じて見ている色光現象について少し話してみたい。
    ウトウトと仮眠しているにあると眼中に色を感じ見せられることがあるけど、臨床での色光現象とは、何か違うなと気づいたのだ。何が違うのかと云うと、テラスで感じて見ている色は流動的変化がなく、そうだな、複写したカラーコピーの色だけが写され残っている、そんな感じなのである。つまり、眼中に写し出されている色彩に動きの変化、形の変化、光の変化が無ということなのだ。何故、臨床中において、それらの変化がおこるのか、ということに注目してみたのである。その変化には、温感や熱感覚を伴う体液、リンパ液、血液の流れが関与する為に起こる現象なのではないかと、それは患者自身が感じみせられている色光現象も同じである。色光の変化とは、熱感覚をもって循環し、流れている存在があって変化するというのが私の考えなのだが、これは八割方、間違ってはいないだろう。なぜ、色を識別し、彩色の変化を与え、形を変え、流動しては消え、又再度くり返し点滅して消えていくのか、更に味わっている快感度が増すにつれて、色光がより明るくあでやかに写し出されてくるのか、その謎の一端が少しづつ解けてきたように思う。この快感度が質的要因を考えると、血液、体液、リンパ液の他にホルモンの分泌、働きかけがあることも考えられるのではないか。たとえば、セロトニンドーパミン、ノル・アドレナリン、アドレナリン・ATCH、ベータエンドルフィンなどである。この中で特に快感度の質と関与していると思われるのが、セロトニン、ドーパ−・ATCH、ベータエンドルフィンと、それらの快楽、快感神経と、脳の各中枢であろう情報伝達を司るこれらの神経と連結、関与しているのが、全身に張り巡らされている自律神経であり、この自律神経とキャッチングボールしているのが皮膚である。又その皮膚も、皮膚独自で快感物質を合成することがわかってきている。皮膚はからだのあらゆる情報にアンテナをはっている、その細胞にはケラチナ細胞、この細胞を無数の毛細血管や無数の束をなす自由神経終末が存在する。この自由神経終末に関しては、面の渦状波及び点の渦状波においても皮膚接触としての皮膚関与であるから交感神経に作用し、興奮をもたらすものではなく、この二通りの皮膚接触においては、副交感神経に作用してくるのではないか。副交感神経が作用することにおいては、脳がアルファ波のくつろぎを得る。血液は筋肉よりも皮膚により流れ、熱感覚としての原始的体性的また、働きを伴ってくる。その際、錐体外路系にスイッチが入り、不随意筋が刺激される。その際、ホルモンの分泌において、肉体的ストレスに関与するATCHの分泌と、精神的ストレスに関与しているベータ・エンドルフィンの分泌を促す。
    点の渦状波でみられる「意識飛びの現象」はまさにそれである。からだは眠り脳は覚醒している現象が意識飛びその眠りの現象である。
     横森、どんなもんだろうな。横森はどうとらえる。おおおそ昨日私の脳裏に浮かんできたことを急ぎ文章にしてみたのだが、読んでみて、補足、補充すべき点があるはずなので、その気づきがあれば教えをこいたい。よろしくお願いします。

    この半年、また急激に初診の患者が増え続けている。その理由の一つは、診立てが画期的に向上し、納得のいく臨床結果が引き出せているからだ。確実に患者の欲求を満たせているから、患者が患者を呼び込んでくる相乗効果が明らかに波動してきているのである・・。
    その診立てとは、例えばFAXや電話で治療の依頼を受けたとしよう。私はその時点ですでに、この患者のからだのどこを診なければならないのか、どこを診れば症状が改善されて良くなるのか、その的確な診断がとおせるのである。診断がつくということは、つまり、診方、治り方がわかってしまうので、おのずと驚くような結果を引き出してしまう。
    具体的に話すと、個々それぞれに患者が訴える症状や疾患が異なるにしても、疾患には必ずその火元になるボディーの歪みが存在している。その存在する歪みの中で、からだのどこの歪みが直接その症状疾患に関与しているのか、その火種になっている箇所も私にはわかるのだ。もちろんその火元や火種となる歪みの存在は患者が訴えている症状疾患のその部位でないことは明白である。その多くはまさか、と思うような部位に存在している。そのことは、橋本先生の言われているように、操体法には○○疾患、△△病を治すという発想はない、ということと一致する。症状疾患別にとらえて診てもわかるものじゃないということである。○○病、○○疾患といわれる病態変化とは警告反応としてのサインである。このサインを元(基)からキャッチしている火元、火種がボディーの歪みなのだ。だからこそ、ボディーの歪みの診立てが重要になってくる。臨床上、その着眼とからだのどこの歪みが、直接、その病態変化に関与しているのかという診立てそのものが大変重要になってくる。
    生前、橋本先生は話しの中で、「操体法には○○、△△とかの症状や疾患を治すという発想はないのだよ、操体法は生活の間違いからおこるからだの歪みを正し、健康の元を正すことにある」のだと。臨床の基にあるものは、症状、疾患そのものの現象ではなく、火元と火種にある。そのボディーの歪みへの着目、着眼は不可欠なので、火元がボディーの歪みとすれば、火種とはその症状、疾患に直接関与している、からだのある部位の歪みの存在ということになる。その判断が備わってこそ、確たる診断、診療の本筋なのだ。火種がわかれば無駄なく著しく効率的に流れ、著しい結果を引き出せるのだ。この診立ては、その症状によってはパーフェクトに近い確率で診断でき、結果が出せる。その火種の所在は、数年前の私であったら間違いなくハズしていただろうと思われる。からだの部位に存在する。本当にまさかこんな箇所がと思える部位に火種が存在しているのだ。たとえばそれが足底の一点であったり、人差し指の第二関節の内側であったり、下唇の正中の一点であったり、また、手首拇指球の一点が火種になっていたりするのだ。

    私のその診立てはかなり適確である。背骨の配列変位と、その周辺の軟部組織上の変化すら、胸椎の六番、その棘突起上の異常変化にしても、右背部のそこから約5センチ外側のその一点、とまで言い当てる。第三者に触診させながら、その周辺のここだという、その最大圧痛点のその一点まで指示、指導することができる。何をもってそのような診立てができるのか。その内その秘訣を同志諸君に公開するものである。私は、私の指導方針として、私にしかできない事は第三者に決して話さない。話して理解できることしか口にしない。ただ、公開するに当たっては、ある程度の基準を満たすところまで学んでもらうことが必要である。もったいぶって公表しないのではなく、意味がわからづ混乱させてしまうことがあるからだ。
    私の診断と、それに伴う臨床的効果は患者自身にも十分納得しうるものである。医者に訴えてもわかってくれない、からだの状態を、患者本人以上にわかって説明するものだから、本人がビックリしてしまう。「やっと私の言っていることを理解してくれる先生と巡り会えた」と、涙を流さんばかりに感動してくれる患者も少なくない。患者本人が納得できる診立てと、臨床を確立していくことも大切なことの一つであるが、それは、からだの要求に適うことが一番大切なことに変わりはない。私流に言えば、からだが歓ぶように、命の歓びに適するようにである。
    診断上、欠かすことの出来ない問診、視診、触診、そして動診であるが、その診断の前段階で、適確な診立てができてしまうその方法とは、種を明かせば、皮膚への接触と同様、全くシンプルな問いかけで診立てがつくことなのである。
    まさか、そんなことなんだ、と思うに違いない。余りにシンプルな問いかけの有様に臨床家はそれを見逃し、複雑な手段に手を染め、迷走してしまう。皮膚にかんしてもアカとなって皮脱する角層には診断と臨床の価値がないものとし、見逃してしまってきている。それが、自分の治療の壁になっていることも知らずにである。本来、問診においても、患者に聞かづとも、おおよそ検討がついていてわかっていての問診であり、視診も視診する前の前段階で形態上の歪みがわかっていて、それを実際、視診をとおし確認することが本来の視診であり、触診も触れてみる以前に、その部位に形態上の異常があるとわかっていて、その部位を確認するのが本来の触診なのだ。
    又、動診においても動診の前段階でその動きが不快なのか、又どの動きに快適感覚がききわけられるのかがわかっていて、分析することが本来望まれるのである。それは、そのすべてが一流、本物ということになる。動診分析してみなければ、わからないでは、本来まづいのだ。でも、それが普通なのだから、私の話していることは例外なのかもしれない。しかし、そうしたことが誰にでもできる、可能になる、ことなのである。今までの視診をこえていく、触診をこえていく、動診をこえていく診立てが古来数多くの先人達にもわかっていた。しかし他人に説明がつかない、その弟子に伝えようがなかったことであったのかも知れない。
    しかし、その診断の可能な道理がわかった。きっちり説明もできる。この診立てが出来てくると、全てが見通せる、ことになる。その見通し方も、個人個人それぞれに創造しうるものになる。

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  • コレクション 続き

     数多くのコレクションは、開業した当初からコツコツたのしみに収集してきた思い出深い作品である。収集した作品の中に、イカールの「ラブレター」という二点の作品がある。20数年前にアンティークのお店で偶然目にしたもの、これはエッチングによるもので、あわい色彩が実に美しい。納められている額そのものも、その時代のアンティークのもので、なかなか味わいがあっていい。イカールの作品集の中にこの2点が紹介されており、一度はその実物この目で確かめてみたいと思い続けていた。ある日青山に出かけ、西洋骨董のお店をのぞいてみると、この2点の作品が一緒に飾られていたのである。その店のオーナーにいつから飾っているのかと聞くと、今朝だという。まさに奇跡というのか、こんなことってあるのかと我が目を疑った。私はすっかり興奮してのぼせてしまった。骨董は瞬間瞬時の人と作品とのめぐりあわせとご縁の世界なのだ。この出会いが、収集家にとってたまらない魅力なのだ。その時の胸おどる感動は今でも忘れられない。探し求めていたイカールのこの二点の作品が二枚とも、東京の青山のこの店に置いてあったとは、東京とはすごい所なんだなあと改めて思うのだ。
     私のところには宗教的絵画を数多く残した画家の一人、ルオーのエッチングがある。これは額の大きさが30号ほどのもので、黒の色彩で描かれ、戦火で死んでいく我が子を抱いている母親の姿が描かれている。
     また、マリアがイエスを抱いている50号ほどのモザイク様の石画、これはヒスイと三種類ほどの小さな石をはめこんで作ったものである。そしてフランスの画家、ラールが描いた油絵が三点、圧巻は300号余りの油絵である。これはフランスのある画家自身が東洋思想にあこがれ、神を東洋人の形ある姿に似せ、我が子イエスを抱いている姿が描かれている。待合室の右手奥には、大小何体かの仏像が置いてあり、その仏像のまわりに、水晶玉が五、六個並べられている。水晶玉は直径が20センチの特大のもので、その透明度が99.8%の純度をもっている。玉色も透明のもの、グリーン、白色、ピンクとある。その右脇に50センチほどの黒柿(くろがき)の幹が置いてある。柿の木に、この黒柿があることを知ったのは、ごく最近のこと。この黒柿の特徴は幹の中が黒いことと、1000本に一本位しか生息してないということなんだ。最初目にした時、幹の中が黒く、ペンキでも塗っているいるのかと思ったものだが、そうじゃないのだ。樹歴とともに黒づんでくるのだそうだ。これらのコレクションのなかで、私が骨抜き状態に魅了されてしまったのが、アールデコアールヌーボー時代のガラス工芸である。ガレーと並ぶ天才天才ガラス職人だったルネ・ラリックのアートであった。ガラスとは思えぬその巧妙繊細なる技法は、当時の上流社会層にまづ受け入れられ、更に一般大衆にも絶大なる支持を得る。圧巻は、当時の車のボンネットの取り付けられている各種のキャブレーターである。風になびく後ろ髪の「女神」ひときわ目を引くガラス工芸の一つである。夜の走行中は車燈も黄金色に輝くのである。私はその女神を手にいれる。ある美術商が持ち込んできたのだが、この女神のガラスにはオチがついた。話せば長くなるようなエピソードがある。機会があったら話すこととして・・・・・。

     僕はそんな訳で数々の一流、本物(人、物)をこの目で見てきたので、私の「目利き」は確実に実習されている。それは臨床にも通じている。先日畠山氏の紹介で、松岡正剛氏関連のISIS編集学校の大師範、川崎さんを診せていただいた(畠山氏はISIS編集学校の師範代経験者)。昨日デーブ川崎氏のmixiの日記「操体受療日記」が送られてきたのだが、その中に「芸能の世界には下手がウツル」という言葉があって、芸を磨くには本物から習う、本物をお手本にして習ふのが一番」という書き込みがあった。それはまさに納得。そうなんだ。
     僕はある種、臨床も芸、アートじゃないかと思っているフシがある。私の臨床観の世界にあるのだ。それを私は「そんな高貴な遊び心」と名付けている。どんな世界に身をおく、超一流人、名人達人は必ず、この高貴な遊び心を身につけてしまっている。そう、身につけてしまっている人達なのだ。僕も少しづづ、少しづつはわかる。それが超一流人の芸、アートなんだね、この遊び心とは、事象物象「神象・仏象」の理に適う霊性的な遊び心(つまり、神技ごときのもの)である。勿論、その素材なるものの命をとことん知り尽くし、その素材に生といふイノチを与えて行く努力をおしまない。寝ても覚めても問いかけている、まさに自分の命を越えた、命超えをなさっているはずである。一流のその作品は、芸術家、その主たる霊的な命超えなる美でもある。そうでないとこの高貴なるというのか、豊かなる遊び心は生まれてこないのだ。ここにも我が師、橋本敬三の名訓、「ヤジ馬の心」がダブってくる。それもただのヤジ馬じゃダメだよ、というズルいヤジ馬になるのが本物のヤジ馬だとー橋本はそこで、カラスを引き合いに出す。あんなちっぽけな図体で、脳みそだってほんの申し訳程度のもんだろうけど、あの悪ガキ以上の悪知恵は見上げたものである。
     そう云えば、ノミのジャンプも師の原稿にあったなァー。それはともかく、「ズルいヤジ馬ごころ」が大切だと。俺にはデキネェなどと、投げてはいけない。ともかく、デキの悪い頭で考えるんじゃなく、「のるかそるか」つまり、「やってみるか、みねぇか」、それだけのことなんだよ。「やってみないでつべこべ言うなッてんの」ここんところのこのセリフ橋本先生のとっておきの名セリフだったのだよ。
     やるか、やらねェか、やってみての話だ。そこから高貴な遊び心が育ってくるのだ。
    ところで、昨日、先週島根の坂本龍馬のあのブログ、さっそく畠山氏が文章にとじて届けてくれる。ドッサリある。いったいこれは何だと聞くと、福田さんのブログだと言う。一年分かと聞くと、先週のブログだけだと言うのである。一体何ページあるんだ。「50枚以上です」
    エッ50枚、一週間で・・・・。一日3000字は打ち込んでいるな。あの華奢な体力で、高見山のような・・???いったいなにを書き込んでいるのか。龍馬の世界はハッピーだな、これも65年つきあっている奥さんといつもできたてアツアツ、ついでのおまけのホッカホカのたい焼き君なのだな。
     ともかく、とにかく一息に読ませていただいた。すごいものだねー。なんでこんな書き込みができるのか、人は好きなことならそのことに集中できる。興味があるから集中するのだ。その上、興味のあることには全くの無防備、つまり自分そのものでいられるってコトなのだ。あのガキの頃の、自分のオモチャ、一心不乱で遊びに興じている、あの頃の自分の姿、アレがアレなんだ。芸(ゲイじゃないぞ)アートの登竜門なのだよ。まさに遊び心がソレ、みんなもっていたもの、ただ、いつの頃かすっかり忘れてしまっているだけなのだ。龍馬、みんなもそうだろう。しかし、50ページとはな。ところで龍馬、三茶にたい焼き屋さんがもう一件増えた。今度上京したら、たい焼き100枚ご馳走するよ。奥さまにも土産に、と思ったけど、冷えたタイ焼き君は口にしたくもないよなァ、何か考えておく。今日はこれでおしまい!

  • 「コレクション」

     おはようございます。ブログ書き込みの週の朝はどうも目覚めが早くなるようです。今朝は、朝と言っても夜中の二時半。それでも四時間余りは熟睡しているし、近頃は昼間でも眠いなと感じると20分ほど上手に仮眠できるし、寝不足ということはない。仮眠をいかに上手にとるかによって、大切な時間が使えるんじゃないかとと思う。とにかく、一日24時間しかないのだし、いかに活用していくかは、人生一生のテーマかもしれない。
     今日は「コレクション」と題してブログを進めていきたいと思います。
    今週の月曜日、昼休みの時間を使って医道の日本社・編集部の赤羽さんが取材にみえる。医道の日本社の月刊誌も、いろいろあの手この手と企画を立て、機関誌の内容を充実しようと試みている。去年八月は、「風鈴随想」の企画に執筆を頼まれ、原稿を送った記憶がある。今夏は「自慢の一品、コレクションを拝見」という企画の中での取材であった。僕の治療室は自慢じゃないけど「収集品の宝庫」になっている。待合室も治療室も収集した骨董、コレクションで埋まっている。その上、猫のシモン君もいればルーパァウーパの黒子もいる。ところで最近のシモンは患者様の見送りを覚えるようになった。治療後、玄関先まで見送ったり、外に出て見送ったりするのだ。玄関先まで見送る患者さまと、戸口の外に出て見送る患者さまの区別をどうシモンは感じ分けているのか、謎である。ご主人に似て、少しづつ賢くなっている。ふと、シモンのやつは私の助手のつもりで患者様の接待をしてくれているのかなと思ったり、猫嫌いな患者様でもなぜか、このシモンには抵抗がないみたいだ。人間は猫をみて猫と表現するけれど、当の猫はネコと思っていないのだから、何か変ですネ。患者の中にはアレルギーを持っている人もいるけれど、かといってこのシモンにはアレルギーを感じないようである。僕の躾は厳しいけれどコイツはめげることがないし、とっても性格がいい。都会じゃえさを探すのも大変だし、猫同士の縄張りもあるし、飼い主のご主人がいてくれれば、飢え死にする心配もない(そう思うのは私だけか)。シモンのヤツもこのご主人には逆らわないほうがいいと思っているのだろう。野良ちゃんであっても、品性があって性格がいいヤツがいると、愛情をもって接してあげれば、性格もかわるのは確かだな。元々ヘコんでるイノチなんてあるものか。イノチとはそういうものなのだ。
     一緒に同居していると、なんら人間と変わらないものネ。ですから可愛がる人間のきもちがよくわかる。家族なんだな。そのうちに私の表札の横に「ニナ・シモン」の表札も作ってあげようと思う。ひょっとしてハガキや手紙が舞い込んでくるかもニャ。「おいシモン、お前にラブレター届いているぞ」と言ってあげても全く違和感がないんだな。
     ハハハ、脱線しちゃいました。ついでにもう一つ、近頃、このシモンは「マンマ」(食事)という言葉を覚える。シモンはそれだけじゃないよ、お前さんのことは全部お見通しだよと言っているようだがネ。

     初診の患者様は、治療室のこの光景を見てア然とし、あっけにとられてしまう。ある患者さまは来る場所を間違えたとばかりに尻込みしてしまう。治療所とは似つかぬ、余りにも異なる別空間の世界だ。仰天するのも無理はない。僕自身が治療しているという意識感覚がますます薄れてきているから、こうなっちゃうのか、ホテルオークラの橋本保雄さん(橋本先生の三男の方)が、生前「あの治療室なんとかしろ」と再三僕にごしゃいていたなァ。言い訳はせづ、「ハイ、ハイ」と返事はしていたのだけれど、未だに実行に移されていない。生返事でとおし続けてしまっているところを見ると、しっかりと私らしさがしみ込んで馴染んでしまっている。私も相当なガンコオヤジである。あの世で「三浦のヤツはどうしようもねぇナ」と、ぶつぶつ小言を言ってるに違いない。
     保雄さんは、日本ペンクラブの会員でもあった。何冊もの著書を出版している。アマチュア無線の資格も持ち、大型のハーレー・ダビッドソンを乗り回し、車好きの方でもあった。愛車はBMWの5シリーズだ。私にBMWを勧めてくれたのも保雄さんである。「三浦君、トヨタセルシオもいいけど、BMもなかなかいいぞ − 良かったら青山の支店長紹介するから」と言ってくれた。2、3日も立たずに支店長から電話が入り、三茶に持ってきてくれたのが今乗っている7シリーズである。支店長がもってきた車だから、迷わず買ってしまう。この支店長というのが、世界で一番BMWを売った伝説の日本人、飯野氏である。ある日保雄さんから「BM購入したようだな、どれ、一度オレに見せに来いよ」と言われ、約束の時間、オークラに乗っていくと、車を見た瞬間、「おまえさん、7シリーズ買ったのか。オレでさえ5シリーズで手一杯なのに、とんでもないヤツだな」と、ご愛嬌にも一喝されてしまった。運転していいかとかどれどれと発進する。なかなかいいじゃないか、とニコニコされている。
    保雄さんが副社長職を退職される年に、かなり著名な画家から贈られたといふ、鳳凰の絵と、観音様の二点をいただいてしまった。それがベッドの上につり下げている絵なのだ。患者がベッドに休むと、顔の真上にその絵が見える。
     私のコレクションの中で、今でも心残りなものがある。それは濃い深みのあるグリーンの91年型のポルシェである。とにかくほれぼれする車であった。僕が49歳の時運転免許を取得したのも、このポルシェが手に入ったから。ジャジャ馬のポルシェであったが燃費がかかる。修理代もおどけじゃない。5,6年乗ってついに手放してしまったが、床の間のスペースがあったら廃車にして飾っておきたかったなと今でも残念に思う。これほど美を追究した車はない。

  • 「新たな原稿」

    橋本先生の原稿がまた新たに見つかった。
    その原文のなかに、「人生の極至」や「真正の快適感」などと目新しい言葉が飛び込んでくる。師の言葉の豊かさや(と)表現に感服してしまう。
    人生の極至といふ問いかけに師は、調和という二字を書き添え、こう述べる。「調和は波動の共鳴である。自らの波動を、天成の波動に近づけること」しめくくっておられる。これが、人として生きてゆく生き方を示しておられる。また「真正の快適感を体得する」とはいかなることなのか、臨床において、この快適感とは、現象がききわけてくる快があるのではないかと僕は思う。ならば、今ある快から、さらなる快へと次元を越えていくべきことが、真正の快を会得することなのか、それは全てによしとしてこの世を創造した天成の意志を知ることこそが真正なる快適感を体得する。この世に生を受けしこと、それは絶対なる現象以前の身分であり、救いである。この悟りをえることは人生の至福を得たものである。これこそが真正の快適感を体得することなのか。

    「一枚の写真」
    私が東京で開業し、数年後、橋本先生からA3の封筒が送られてきた。その封筒には先生ご自身の特大の写真と、それに一枚の便箋が添えられていた。それには「なにか思い余ることがあったらこの写真に語りかけてくれ、君の最高の幸せを祈っている儂の写真だと思って語りかけて下さい」と書き添えてあった。その写真は額に納め、今も自宅に飾られ、私と私の家族を見守ってくれている。

    「要妙パート2、やっとゲラ刷りがでる」
    いつかは誰かが書きのこしておかねばならないことがある。誰れが書いてくれるだろうと待望し続けるのだが、音沙汰がない。では取り敢えず今は自分しかいないなと、身をけづり出版すればツベコベと批判、批評する。そんなに言いたいことがあるなら、自分が書けばいいだろうと思ってしまうのだが、しかし誰かが・・・というその内容は実に尻込みするほど大変なものだから、誰も手を出そうとはしない。誰れかがやってくれるだろうと同じ事を他人も考える。今度の執筆は皮膚という(領域から)アングルで操体の臨床に切り込んでいくことになる訳だが、この皮膚に関しては、今まで本にできるほどの情報量を持ち得なかった。自分の言葉で語れるほど皮膚のことがわかっていなかった。皮膚と出会い、すっかり皮膚のとりこになって夢中で恋をして本気で惚れて手応えを得て、十数年プロポーズし続けるが、未だ一冊の本にも納めきれていない。診断としても臨床としてもこれほどエキサイティングなアングルはないのだが、しかし、臨床行為そのものが、皮膚に接触しているだけのシンプルなものだけに、本としての体裁を満たすことができない。こんなシンプルな問いかけ一つに百何ページもの空白を埋め尽くさなければならぬのだ。 人間が人間を創造できたであろうか。人間はその皮膚を創造することができたであろうか。神が人間を創造した時、このからだに皮膚という最高の贈り物を与えて下さった。その皮膚へ臨床上重要なをとおしてみても、皮膚はただ者じゃない。命そのものだ。その命にといかけていくことは、臨床の深き意味がある。
    何事も面倒臭いで放り出したら、それまでの話しなのだよ。そんなこと言ってたら生きて行くのも面倒臭くなる。どうでもいいような人生じゃないんだし、皮膚のことだってどうでもいいと放っておけない存在だから、この世に残しておきたい。
    どうでもいいようなことのために、やさしく、やわらかく、からだを包み込んでくれている訳じゃないんだ。皮膚に守られて、生かされているこの生なのだから、皮膚への感謝として、どうしてもこの一冊、この世に残しておきたい。

  • 「生きていく生き方」

    橋本先生は、人の生き方について、こう問いかけてくる「どれだけの人が生きていく生き方に気を配っているのか」・・・と。「生きていく生き方」私はその言葉をくりかえし、くりかえし口にしてみる。人が生きるといふことは、その生き方が問われている。その生き方が問題なのに、どれだけの人が気を配って生きているのかと、私達に問いかけているのだ。この命ありきの生の営みになぜ無頓着、無関心でいられるのか、と問いかけている。先生は「生活」とは言っていない。生活には個々の工夫や楽しみ、潤い方がある。しかし自分の生にかかわる生き方とは、生活の中のシャンデリアとは訳が違ふ。

     「生き方に気を配る」、と言われるには、その生き方に適ふ営みがある、と言われるのだ。人は天然自然の現象に生きているし、それを左右することも出来ない。人も、また、その現象そのものなのだ。人はその生き方がわからなくなっている。その生き方を忘れてしまった。

    つまり、生き方の設計図を失ってしまったのだ。人は何とかこの生をしのいでいるのだが、全く生き方に責任が持てなくなっている。医学者も、わかっているようで、わかっていない。人間は豊かになり過ぎて、肝心なことを見失ってしまった。余りにもその代償は大きすぎる。

    「規制と制限」

     ビジョンSは今回の作品から字数に制限を設けることになった。規制と制限の中でいかに自分を語るか、なかなか勉強になる取り組みである。毎年11月の末になると、医道の日本社から「新年のことば」の依頼が入る。かれこれ十数年続いている。依頼の通知には、「800字以内に納めよ」と明記されている。字数がこのように決められている中でまとめていくのはかなり苦しいものだ。苦手と言えば苦手であるが、いかに言いたいことをしっかり埋め込むか、言葉の選択と表現が問われる。これも、毎年続けていく中で、コツコツと身につけていく。十数年関与している内に、一万五千字以上にふくれあがっているはずである。医道の日本からは、毎年執筆をお願いされているが、今から考えることでもないが、一年間活動しておれば、何か書きつけるものがあって、うまく納まりがつくものなのだ。ビジョンSも規制と制限の中で、期間に言葉の内容を吟味し、文面に生かせるように努めている。原稿にむかっている気分はとてもいい。つい勢い走って書き込み、その勢いで提出してしまうと、編集の段階で手に負えなくなる。担当者もお手上げ状態だ。そこで、2、3日その原文を塩漬けにして寝かせておく。再度、今の自分に帰って改めて再読してみると、かなり絞り込めてくる。表現のおかしさ、削除した方が良さそうな活字が見えてくる。その上で、もう一日塩漬けにして仕上げに入ると、作品にも息魂が入る。

    今僕は、たにぐち書店の「月刊手技療法」の執筆は休筆中だが、裏方に回って実行委員のメンバーを執筆者に加え、二ヶ月づつ連載をお願いし、その校正にあたっている。最初の4、5月号を山野氏にお願いし、6、7月号は日下氏にお願いした。人様の原稿を校正するのは意外に手がかかる大仕事なのだ。文面の内容そのものが読めてこない時、勢い余って文章がくどくなり、流れが止まってしまっている時、注釈を必要とする時、カギ括弧が多すぎて誰の話なのかわからない時などは、とてもとても神経を使い集中している。さらに作風を壊さずに手を入れることにも気を配る。私も勉強させていただいている。有難いことである。

    (畠山注:ビジョンS 「VisionS」秋季東京操体フォーラムで配布される小冊子。フォーラム実行委員の執筆による。なお、Vision Sotai と Visionの複数形をとっている)

  • 熱線

    おはようございます。今週からブログは三浦が担当いたします。福田さん、一週間ご苦労様でした。どうぞこれからの一週間、宜しくお願いいたします。庭の草木も梅雨の間、たっぷりと水を吸って、うっそうと茂っています。玄関先にはたわわに何房もぶらさがるブドウの木と、朝顔の花が咲いています。
    ところで、先般医道の日本社の赤羽さんが取材に見えました。取材の内容は、医道の日本誌上で「治療院を豊かにする遊び心を求めて − 自慢の一品&コレクションを拝見」コーナーを企画しているのだそうです。そこで今回は、私の所にあるコレクションを紹介させてもらえないか、との依頼でした。
    赤羽さんとは、二冊の連動の本の出版(※1)で大変お世話になった編集の方です。

    操体法入門―からだの連動のしくみがわかる 手関節からのアプローチ

    操体法入門―からだの連動のしくみがわかる 手関節からのアプローチ

    操体法入門 足関節からのアプローチ

    操体法入門 足関節からのアプローチ

    久しぶりの再会で、楽しい一時でした。出版の際は頻繁に会っていたのですが、治療室の方には一度も案内していなかったのです。もっぱら執筆でよく使用していた、ドトールのテラスで用件を済ませていたのです。治療室に案内し中を観賞していただきましたが、余りの収集の多さに腰を抜かさんばかりに驚いていました。赤羽さんは、例のクジラさんの○ニ○ね、あれをコレクションの一品に加えてもらえる?と注文したところ、見事にふられてしまったみたいでした。
    地方によって、昔は「子宝信仰」として、奉納していたのです。やたら滅多に実物を見ることなんてできないんですけどネ。マアそんなところで、月曜日に改めて取材が入り、八月号に載りますので、機会があったら目を通してみて下さい。それから、春のフォーラムに「月刊秘伝」の取材が入っていたでしょう。先日、編集の方からゲラが届き、あちこち校正を入れ、無事終了。ページ数も7ページに及ぶもので、なかなか手が込んでいて読み応えがありますよ。是非手にして下さればと思います(2009年7月15日発売分)
    さらに秋のフォーラムにも引き続いて「秘伝」の取材が入ります「秘伝」の方から依頼があり、承諾しました。医道の日本からも取材が入ると思いますので、心に止めておいて下さい。それからもう一つ、たにぐち書店から出ている「月刊手技療法」ですが、今年の四月から実行委員のメンバーに執筆をお願いしてあります。五月、六月は山野実行委員に、七月、八月は日下実行委員に依頼し、すでに連載され、九月、十月は秋穂理事にお願いし、私の計画では後数名の実行委員に執筆をお願いしようと考えていますので、大当たりのメンバーは、尻込みして辞退せぬよう喜んで承諾していたヾきたいと思います。次の十一月、十二月は再び畠山常任理事が担当しますが、その後、まだ登場できなくて今か今かと腰が落ち着かぬ島根の坂本”理事(副実行委員長)”龍馬と、お声がかかったらどうしようかと内心ドッキンドッキンしている岡村理事(実行委員長)、まさか俺がとポーカーフェースを決め込む西田実行委員、最近は釣りもできねェと、ストレス気味な埼玉の貴公子、中谷実行委員。よーし、畠山氏の後はストレス気味の中谷氏に決めた。中谷さん、読んでますネ〜。十三月号と十四月号の連載よろしく。
    ところで、現在92回目の連載中。中谷氏のところまで連載が進むと、99回か100回目となります。よろしくバトンタッチして続けて下さい。ポーカーフェースの西田実行委員は、今から原稿の準備をして、少しづつ書きためておくように。ボスからの要請です。そんなところで、ブログの本題に入ります。

    「熱線」
    先般、畠山氏に、ブログを何とか製本してもらえないかと頼み込んでみた。その願いが叶い、立派な小冊となって送られてくる。実行委員二十数名の二週間分のブログである。製本して再度手にしてみると、また格別な味わいがあるものだ。ワンクール一週間づつ、一人一人が書き込んでくれたブログを製本すると、400ページ以上にもなる。二週間づつの書き込みだから、400ページの本が二冊出来上がった。しばらく目をとおしていると、つい一人一人の作品に気もちが吸い込まれてしまう。その文面から息が漂ってくる。夢中で読み続け、つい溜息がもれてしまう。気軽に活字を拾うつもりが、その視線に熱を感じ(その視線が熱を帯び)、心の酔う響きを得る。熱とはヒビキなのだろうか。それが息として伝わってくる。ふと、この生に「感謝」といふ言葉が湧いてくる。一人一人が、この生に感謝している、そんな響息(キョウソク)が伝わってくる。このブログは私にとって熱線である。有難く、製本に納め保管し続けたい。ブログの書き込みが有難く続いてくれる限り私は一つの形宝として残し続けるだろう。ビジョンSも、一人一人の学びを育む「生命線」として生かしつづけて行くことを自願する。操体は人づくりなのです。執筆に関与することも人づくりです。自分を文章にしていくことも自分づくりです。自分の人生に参加することなのです。


  • 足底筋。第三の背屈。

    足底筋に少しは関心をむけていただけたであろうか。
    もう一つ付け加えると、足底筋は足関節の底屈を行う筋肉だということ。同志は分かっていたよネ。
    足関節の背屈では、拮抗的に作用する筋肉ですから、どう対応すればいいのか、改めて考えるチャンスだと思います。
    つま先から背屈させるってことは、拮抗筋にできるだけプレッシャーをかけないという配慮なのですネ。しかしつま先から背屈させても足首が反ってくるわけですネ。すると、足首の動きにブロックがかかりやすくなります。一番好ましいのは、足首が背屈しない、してこない背屈の仕方が一番の背屈なんです。そのために、どのような対応をすべきか。つまり、拮抗筋である足底筋に負荷をかけない背屈の仕方を考える。それが第三の背屈なのですネ。
    ともかく、足底筋にふれられるかどうか、。足底筋に触れたらその硬結にピタリと指尖が当てられること。それができぬようでは、ヒカガミ全体の異常緊張変化に対応できるとは思いませんね。

    一週間ありがとうございました。
    明日からは実行委員の森田珠水さんの番です。

    三浦寛

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  • 足底筋。第三の背屈。

    足底筋に少しは関心をむけていただけたであろうか。
    もう一つ付け加えると、足底筋は足関節の底屈を行う筋肉だということ。同志は分かっていたよネ。
    足関節の背屈では、拮抗的に作用する筋肉ですから、どう対応すればいいのか、改めて考えるチャンスだと思います。
    つま先から背屈させるってことは、拮抗筋にできるだけプレッシャーをかけないという配慮なのですネ。しかしつま先から背屈させても足首が反ってくるわけですネ。すると、足首の動きにブロックがかかりやすくなります。一番好ましいのは、足首が背屈しない、してこない背屈の仕方が一番の背屈なんです。そのために、どのような対応をすべきか。つまり、拮抗筋である足底筋に負荷をかけない背屈の仕方を考える。それが第三の背屈なのですネ。
    ともかく、足底筋にふれられるかどうか、。足底筋に触れたらその硬結にピタリと指尖が当てられること。それができぬようでは、ヒカガミ全体の異常緊張変化に対応できるとは思いませんね。

    一週間ありがとうございました。
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