カテゴリー: 三浦 寛(みうら ひろし)

  • 師匠と弟子・続き

    大阪の秀樹さん、ブログに目を通してくれていますか。

    今回ももう少し「師匠と弟子」の続きを打ち込みます。

    赤めだか より

    『おまえさん(談春に向かって)、本気で落語家になりてェっていうのか、オレの弟子になりてェなら、まづ親を口説いてきな。親を連れてきて、親の前で頼むんだな。それができなきゃだめだよ。いいな』

    談志もすごいヤツだ。どんだけ、肝っ玉すえてオレの弟子になりてェといってんのか。その真意というのか、気骨というのか親にもオレにもきちんと、責任ある誠意を示せ、という訳である。

    私の場合、恐れ多くも師匠みづから私の父を神戸から呼び出し

    「ご子息なかなか将来有望、見込みあり、しばらくの間儂(ワシ)のところに預けて下さらぬか・・」

    と、そんな事を父に話したようだ。私はまさかそんな事があったとはつゆ知らずにいたのだ。それから5年の歳月、先生の元で修業に励ませていただいたのである。

    その間、私は一度神戸に帰ったことがあった。父は私を見るなり凄い剣幕で怒った。
    「修業の身でよくノコノコ帰ってきたな。とっとと戻れ。修業中は二度と家の門をくぐるな」一怒されてしまったのである。
    私は母親に詫びて、戻ることにした。これじゃ修業中何があっても親の死に目に会えないな、と覚悟した。
    その開業するまで父の顔を見ていない。

    甘かった、先生にも、父親にも悪い事をしてしまったものだと悔いた。
    仙台に戻り、先生の元に駆けつける。
    師匠は私を見、

    「佐助、どうした、もう戻ってきたか」
    「ハイ、父からこっぴどく怒られました。修業中は帰ってくるなと言われてきました」
    「ハハン、アァ、そうか、よく帰ってきたな」

    と、やさしく声をかけて下さった。
    僕は改めて遊びで修業してんじゃないんだ、自分の人生がかかっていると思い知った。

    マァ、そんなこんだ、だからね、故郷に帰った時は親に一言、こんな先生のところで、こんなこと、習っているってネ、話しておくんだよ。

    お・わ・り

    三浦寛

    注)『佐助』とは、橋本敬三先生が三浦理事長につけたニックネームです(畠山)

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  • 師匠とその弟子 師の想いとは・・・。

    師匠とその弟子 師の想いとは・・・。

    赤めだか

    そこから早く自分をつかめと、自覚せよと、そして自分の人生を越えて行くんだと談志は我が弟子に諭しているんだ。それ故談志師匠は一人の存在として、おまえさんの前で律して立ち続けているんだ。談志の存在は談志そのもの。何も談志になれと弟子に説いているんじゃネェ。せっかくのご縁だから、俺を通して早く自分自身になれと言っているんだね。僕は談志のきもちをそう理解するな。

    私の師匠だってネ、自分のロボットを数多く世に残そうなんてそんなケチな想いで愛弟子を育ててきた訳じゃないんだ。
    その証拠に、師匠の想いがたっぷりつまったエピソードがある。僕は、師匠を持たせていただくことができて、師匠のありがたさ、師がいることの誇りをも痛感したんだ。 あの時おれは一人号泣したね。うれしくってね。
    僕が開業して四、五年経ってかな。
    師匠から小包が送られてきたんだ。
    その中にA3ほどの大きさで、それは師の顔写真だった。写真とともに一枚の便箋がそえてあって、
    『愛弟子三浦君、何か思い余ることがあったらこの写真に語りかけてくれ、君の最高の幸せを願っている写真だと思ってな』
    と。辻よ、福田よ、中谷よ、畠山よ、そして同志のみんな、師匠というのは弟子一人一人の最高の幸せを願っているものなんだ。それが本物の師匠だよ。
    皆んな一緒じゃないんだ。一人一人の幸せを願っているんだ。一束まるめて皆んなの幸せじゃないってことだ。一人一人のだ。それは一人一人の弟子がいて、自分の人生を越えていく、そうしたなかで自分の価値観を磨いていく中での幸せを願うということなんだ。それがなくして皆んなの幸せには繋がってこないんだよ。それが一人一人のおつとめなんだ。

    赤信号皆んなで渡ればこわくない、これはウソ。一人一人がこんな集団になっちゃ困るんだ。こんな価値観がまかり通って幸せになったって、いつかはねとばされちゃうよ。人生、目的がわかっているのと、わからづのまま人の流れに巻き込まれ、人がそうするから、たゝついていこうじゃ、まったく自己責任がない。自己責任のない生き方に目的があるのか、それがみえるのかそんな自分からそんな手を繋いでいる集団から、社会から、一日も早く「一抜けた」しなきゃネ。自分を越えるっていうのは自立するってこと。己れの世界観を養っていくこと。自立なくして一人一人が手を繋ぐことはできないんだよ。仲良しごっこはできてもね。自立していく物同士が手を繋ぐから、すごいパワー、底力になるんだ。自立した一人一人の底力が一人一人の優しさ、あったかさ、真心なんだ。乗り越えていくことが自立なんだ。ただ厳しい力強さだけではない。そこに優しさ、まごころ、あったかさがにじみ出てくる。自分を越えていくことは自分に対する思いやり、人に対する思いやり、配慮ってこと。配慮とは自分の生を慎んで生きるということだ。オレがオレがの人生じゃなくなってくる。それはイノチに対する慎みに変わってくるものだ。それが、思いやりの生き方だ。

    師匠にも色々ピンからキリまで。弟子一人一人の最高の幸せを願っている存在が最高の師であると、僕は師匠からそう学んだ。だからこそ、師が成し、成さんとしてきた道をまっしぐらに歩むことができ、その意を継承し、掴み続けている。それも本望じゃないか。捨てたもんじゃないよ。おまえさん。だから学ぶことに貪欲で、サボることはしないな。学ぶことも、現役バリバリで自分に負けていないぞ、と胸を張れる。

    いつかは弟子に追いこされる時が来る。それも本望、うれしいことだ。その時というのは、間違いなく、来る。 その時というのは、手も足も削がれてまった時だろう。そこで西田、ニンマリするな。

    まだまだ当分先の事だから。それでもやれることがあったな。
    八十、九十になって、手と足を削がれ、持って行かれても、六十年、七十年思考しつづけてきた脳ミソと言葉があるよ。脳ミソが現役バリバリでいてくれりゃ、口が出せるという奥の手があったか。
    言葉で臨床を生かす快の本質を見極める生命観視ってこと。
    じゃあ、足っていうのはまごころ、合掌じゃ。
    手を削がれてしまって何が合掌だ。
    あわてるな。両足の顔(足のうら)をあわせて足合掌じゃ。
    足合掌はいいとして、それもアウトになったら師匠はどうする。
    こころして祈るしかネェだろうな。それが底力。
    それもありですか。
    その答えは自分に問いかけてみよ、西田!!

    三浦寛

    注)出て来る固有名詞は東京操体フォーラム実行委員のモノです。
    こちらをご覧下さい(畠山)。

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  • 師匠と弟子

    おはよう。三日目のブログは前夜の続きということでよろしくお願いします。今朝も雨、夜半の二時半に用をたし、そのまゝ着替え、モスバーガーに直行、四時間ほど原稿にむかい現在七時十分、これからブログにとりかかるところです。秋雨とともに、刻々と冬にむかいますネ。皆さん、風邪などひかないよう心のケアと、体調維持に努めて下さい。岡村、昨日手紙ありがとうネ。一人チビリチビリとウイスキーをなめ、読ませていただいた。返事はブログが終わった後で・・。

    秋穂、ハガキは着いたかい。いろいろ心づかいいただいて有難う。ブログでちゃっかり用を済ませるというのも便利ですね。
    本を書くこともそうだし、何かを身につけていくこともそうだと思うけれど、らくをして手に入れたものや身につけたものって、いつまでも続くものじゃなく、いつか自分の中から忘れ消えていくことの方が多いものだ。身につけても余り役に立つことが少ないし、そういうものほど中身がないから、あきがくるんだけど、そんな人生の時間、命の時間を使っちゃいけない。コツコツと日々静かな汗を流し、手に入れることのできる本物をつかんでいかないと。本物には身につけたことをさらに越えていく力がある。それが本物の生きた力、つまり生命力なんじゃないかな、橋本哲学に心酔しているなら、先生の「からだの設計にミスはない」か、「生体の歪みを正す」の一冊位は、書き写しながら読んでほしい。

    そんなことは面倒臭いし、時間もかかる。でも、面倒くさいことが自分の底力になっているんだよ。操体はネ、人生の総合学習の場なんだと私は思っているんだ。特に我々はそれを生涯の天職にもしているのだから、これは一人一人の人生にとって、スゴイ底力になってくる。人生の総合学習を生涯の天職にする。誰れにでもできていそうだけど、なかなかそれができないんだよ。生涯をつうじてコツコツ静かな汗を流せる学びをつかんだということは、スゴイことなんだ。
    日々コツコツ静かな汗を流す学習がないと、それは日々生きてはいるけれど、やることがない。生活のためだけの人生で終わってしまう。
    生涯学びつづけていけるものがあって、思考していけるものがある人生ってとてもとてもリッチな人生なんですよ。学びつづけていく糧がないってことはむなしい人生なのだよ。また。加齢していくなかで、人生そのものにあきてしまう。その人生は自分のものですから自分にあきてしまうってことです。なんとも背筋が寒くなりませんか。そんな人生の日々は毎日が長すぎるんですネ。学びのない人生って毎日毎日が退屈で長すぎる。命あって長生きさせられるだけの肉体生活って空虚ですよネ。健康でいられるという保証もないし、だからこそ今、若い内に人生の底力を蓄えておく必要がある。人生の本当のたのしみというのは生涯学んでいくことのたのしみにあるんだと思う。それは若い時から、その土壌をコツコツと構築していくことにある。

    フォーラムの同志の大半は青年ばかりで、そこまで人生の意識はないと思うし、考えることもないだろうが、若いっていうことは一瞬の時間なんだよ。そんなことも想像できないだろう?でも一瞬なんだよ。成人式を三回クリヤーするとネ、それが実感なんだ。50、60になって第二の人生、老後の人生なんて考えてももうおそいんだ。辻君よ、岡村よ、横森よ、君達は若い。夢も希望も、これからいくらでも適うだろう。それが若さだ。しかし静かな汗を流し学びつづけることを面倒臭がり、らくを決めこんではいけないよ。

    らくをいくら積み重ねたところで、その先にあるのは奈落なんだ。決して至福な人生が待っているわけじゃない。
    コツコツ学びつづけ思考するってことも。そうらくなことじゃない。人生の底力ってなにかって、おまえの未来につながる人生、そのものだよ。その未来につなげる人生を、今から充分仕込んでおく。それが人生一生の底力なんだ。おまえの人生は人のものじゃない。おまえ自身のものだ。おまえの人生はおまえしか味わえない、決して他人の人生じゃないんだ。親の人生でもない、おまえ自身のもののなかにある人生そのものが、そうなんだ。

    「赤めだか」読んだのか。
    談志師匠は弟子にむかって自分自身の生き方、人生を説教しているわけじゃないんだ。このオレのように生きろ、なんて言っちゃいない。おまえ自身の生き方、人生を説教しているんだネ。

    三浦寛

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  • 新作にむけてのこだわり・秋

    ブログ二日目。一日目は写真だけで済ませてしまったが、今まったくブログの準備にとりかゝかれない。やっと書き始めたのは昨夕からかな。言い訳はしたくないが、出版の原稿締め切りが間近となり、急ピッチでその校正をすすめている最中です。心中察して、師匠、最後でいいよ、とも声がかからず、マァ、少しは私のブログも期待して読んでくれる仲間がいるんだな・・・と思いとどまり、そして気合いを入れて書いています。
    校正の進み具合を少々書いておきますと、今現在、400字づめ原稿用紙241枚目まで終わりました。本書にするには最小限200ページから230ページはほしいところです。後六十、七十枚程度書きためておきたいですネ。この本書の元原稿は、2006年当時におおむね書き上げていたんですがね。それで今年の五月に出版が決まって、決まったのはいいんだが、改めて見直してみると、当初に比べ、かなりかみくだいて学んでいるんですね。元原稿のままだと提出するのは、サビついた釘を打つような気がして、改めて原稿を一枚一枚書き直していく作業から始めたのです。
    今回の出版は、私自身結構こだわりをみせています。こだわるついでに、銀座の文具店、伊東屋さんまで出かけていって、当店オリジナルの原稿用紙五たば、一たば100枚ですから500枚と、私愛用のドイツ製の鉛筆五本、とやはりドイツの消しゴム2個を調達してきました。

    このドイツの鉛筆、一本いくらすると思います?一本二千円ほどするんですね、少々値上がりしたようですけど。その上一本一本買えないんだ。五本セットになっている。マア、それでも書き味がいいんで、どうしても欲しかったから仕方ねーェです。この鉛筆、黒と茶色があって、写真にのっけてあるので興味のある方はちらっと見てよ。原稿用紙にすべるように書け、疲れないので格別に愛用させてもらっている。この消しゴムのこだわりも、すべるように消えてくれる。いくら消しても消しても原稿用紙がすり切れてしまわないことだ。
    このこだわりの理由は、本書が皮膚に関する診断と操法にしぼられていること、本格的な皮膚への問いかけ第一号の記念の出版だからです。皮膚へのアプローチだけで200ページの内容となると、かなりの落とし込みがないとかなりシンドイ!!今回かなり自信をもって挑戦してみました。読者のヤジ馬心に火がついてくれゝば、有難いと思っています。それにこんな新ネタ、おいそれと見かけないし、臨床家にとってはとってもおいしいと思うんです。皮膚のこと、理解すればするほどホホ笑むのはおまえさんなんだよと、僕は言いたいんだな。改めて真剣に原稿に向かう自分の姿があって・・・僕自身が一番皮膚に感謝してホホ笑んでいる。かなり心酔しているな。
    ・・・・というのは、かなり、かなりわかって書いていることだね。各章ごと、かくれ味、つまり私自身のメッセージがつっこんである。どう文章に表したらいいのか、なかなか難しいことだが、自分のメッセージを自分の言葉で話すっていうことが難しい。そんな時は何度も検読する。それも日をおいて、検読すること。それに黙読するんじゃなくて、声に出して読むんだな。すると、まとまってくる。もう一つの気づきは、文と文とのつなぎに使う言葉が「か」にするか「に」にするか、「を」にするかによって、文章の流れが止まってしまったり、急に流れだしたりする。
    活字はまさに生きもの、呼吸してますね。著者の呼吸が伝わってくる流れを生かせればいいんだが・・・・。
    また、本書に症例がいくつかのっている。これも今までもう少しなんとかならぬものかと苦心させられた。操者と患者のやりとりを、どうつないで結んでいくのか。今回はやっとわかってきたよ。参考にしてもらえれば、うれしい。三日目につづく。

    三浦寛

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  • 私との対話「希望」5月24日土曜日 午前5:10分 モスバーガーにて。

    いよいよ最終回を迎えました。ブログにアクセスしていただいた皆さんに感謝します。一週間どうもありがとうございました。ブログとは自由日記の書き込みと聞かされていましたが、それはブログを打ち始めて後に知ったことで、内容的には、どうも大づれしてしまったようです。しかし、そのままぶっ飛んでいます。一週間の感想はというと、結構自分の世界のなかで十分たのしませていたヾきましたよ。それも総勢20人バトルのなかで、味あわせていただヾける醍醐味でもありました。
    日曜日から森田さんが担当ですね。 よろしく・・・。

    私との対話「希望」
    「希望」という私の問いかけに、ゲーテ、シュタイナーが、そしてフロイトユングの先人達が答えてくれる。ゲーテは「人は希望を失おうとしない精神をもっている」と答えています。希望とは信念にまさる、ゆるぎのないもので、その信念は不快から生じてくるものではなくて、快という生命の本質にある意志そのものから生み出されてくるものだと、私は思う。
    人は信念を失ったとき、老いて枯れ朽ちるものである。それは加齢を重ねて肉体がおとろえることではない。若さも信念を失ったとき、枯れ朽ちるのである。希望とは信念そのものである。
    信念は希望とともに、若く、朽ちるものではない。
    橋本敬三医師は、自然法則の中に真理があると言います。真理のなかに、生かされし救いの生命観が貫通しているという、それは無極無限の太極の意志であるというのだ。その救いの生命観をさとることによって、人は人として最高の至福を得る、という。それは人としての自由を手にする、ということである。この自由こそ、希望なのである。

    しかし、日常性のなかで、人は自分が抱く思いというものが、いったいどこに繋がっているのかはっきりとしないまま、何処(いずこ)に、これから先繋がっていくのかわからないままなのです。この私の、残された時間も、これから何が私に出来るのか、どうこの生と向かいあおうとしているのか、死後どうなるのか、どこへ行くのか、みんなはっきりしないままです。
    そして、問題が起きてしまうと、大きな直面にぶつかってしまいます。まづ、その問題というのは、病気とか、人生の苦悩とか、苦痛を余儀なくされ、痛みを伴うものという意味で、そうなったら、もう自分一人の胸にしまい込んでおけもせず、自分の手に負えるものでもなくなってしまう訳ですね。しかし、それは何か大きく自分を取り巻く力を感じはじめようとする転機の時が来たのだと思います。もし、不幸にも人生のあきらめと絶望とがやってきた時、人は、あぁ、なぜ自分ばかりがこんな目に遭うの、と思い、自分の不幸を嘆きます。つい希望を失ったと思い、否定的になってしまいます。しかし、有難いことに人は口では何だ、かんだと言ってみても、100%自分を否定しきれる存在ではないってことなんです。
    それは、もう人が生きてやがて死を迎えるという、はっきりとした現実と同じ位にはっきりしていることだと思います。というより、人には否定しきれない自分を感じるからこそ、苦しい思いをするのだということが、本当はわかっている筈ですしね。問題が起きてみてはじめて、この思いに直面して、自分の本音に気づく訳でしょうけど、ところで、自分の本音というものは、きっと自分の意志というものから、大きくはみ出しているものなのかもしれません。もし、強引に否定を強めていくと、自殺か殺人しかありませんし、それが出来なければ、観念的虚無になる、と思います。虚無とは恐ろしさの体験、そのものと思います。ここに否定する事の問題がある訳だと思います。しかし人はやはり大きな力(自分以上の)を感じてる訳です。人がもし、目覚め、自分以上の大きな力、自分の意識を越えた、さらなる力を得ていることにふと気づくのはこの時からじゃないかと思う。

    淋しいと見える否定も、実は激しい自分への肯定を含んでいるのだと思います。本音は希望を見失いたくない!ということなんじゃないかと思うのです。その希望の内容を具体的に規定することは出来ませんけど。
    「もう希望を見失いたくない」というのは私自身への本音です。もし実現の希望が直接的にある訳でなくても、希望という快のランプを見失うことだけはイヤなのです。
    希望というのは、単なる言葉上の概念ではなくて、人と希望との関わりは、つまり、人は希望を実現したいんだと思っていることなんです。人は、また希望に対して実現するというかかわりを望んでいるんですね。

    それは、ゲーテの問いかけにシュタイナーが「人間にはその希望を失おうとしない精神を実現しようとする心の働きがあるのだ」と、答えている。つまり、その心の働きを霊的意識として捉えているのである。

    フロイトは希望について、「人間はセックスをとおして無に帰りたいという根源的な希望を満たしている」というのである。

    しかし私は、このフロイトの考えに反論する。セックスは人間の意識的行動意欲の中で、快感をもたらす最高の行為の一つであることは、間違いのない事実である。しかし、フロイトが云うように、セックスが無に帰りたいという人間の根源的希望を満たすのであろうか。
    私が思うに「人間は無意識に帰りたい」という希望なのでないかと思う。無意識の空間、無意識の世界である。その無意識とは表層意識を越えた潜在意識空間であり、又、それを越えた民俗意識、さらにその意識は宇宙意識、イノチの根源にヒビキをもたらすもの、波動するものがセックスなのだと考える。

    そのフロイトに、反論といおうか、逆の問いかけをするのがユングであった。ユングはこうだ。・・根源的な快の欲求は無に帰りたいと思うことではなく、「まだ実現されていないものへの実現を望む心」なのだと・・・・・。
    つまりもっと高く崇高な心であって、それが希望を失わない精神と云うのだそうである。私はユングの考えに賛成だ。快の欲求は希望なのだ。
    からだにとっても快は大調和のバランスである。それは大生命の意志であって、大生命の生みの親の、親の創造のなかにあるものであって、その創造への設計にミスはないのである。それが救われしこの命の生命観なのである。

    このことは、希望を見失うかどうかに、つながっていることなのです。日常生活のなかで、必ずしも満たされていなくても、また、いつの間にか「快をつむぐ」ことができるのは、希望をもっているからなのだと思います。又、快をつむぐから希望が持てるのかもしれません。
    それは、私にもよくわかりません。この程度のことしか・・・・。いったいどうなっているのかこれからも問いかけていきたいと思います。希望は永遠のテーマですから・・・・。希望はそのままでは、ただのアクセサリー、求めるという行為のなかで枯れ朽ちることなく私の生と共に、その信念の中で育っていくものですから・・。

    希望について、沢山の人がその考えを残しています。ゲーテもシュタイナーも、フロイトユングもそうでしたね。

    私はね、ユングでもゲーテでもいいですけど、私自身の三浦流なのです。それは自分への問いかけなのですから。それは何人といったって希望を得て再々に励ましを得る、自分とめぐりあえたことにまず、感謝しているのです。
    それは誰にでも出来る、ということじゃなくて、物事、事象の本質をとらえようとする素直さやそのひたむきな情熱に私自身目を見はるのですけど、その、ゆるぎのない精神力の強さで、大きな生命力を人に感じさせています。私のように本質の目を持って人を見ると、その人が透けてみえてしまうのかどうか、とにかく私を見ていると、ガラスの中のガラス、そのまた奥のものをちゃんと見ているような視点を感じます。
    きっと私は自分の根源が、その奥にあることをはっきり気づいているからなのでしょうか。それは、私にとって快の領域、いのちの意志のエリアです。その一時、その一瞬にして、未来、そして自分の意志をはるかに越える世界に踏み込んでいるような感じを実感できることもあるのです。

    でも、それは別世界のことというよりも、長い間、ずっと訪ね歩こうとしていた、つまり命の記憶に少しづつたどり着いたような感じのする世界です。まったく違和感のない親しみわく世界観です。そうして、この世界観から私が描けるものをなんとか表現してみたいと思っていました。それが描けることも、わかってきましたし、今私はそのことを実践しているのです。
    まあ、そうだと思いますが、それにしても私自身の厳しさにも私は支えられてもいました。
    その厳しさは優しさでもありましたが、それは私独特のものです。私の美意識であると共に、生命力そのものだと思います。
    表現方法はいろいろあるでしょうが、私に言えそうなことは、人は同じ道を二度と歩まない、というようなことを感じるのです。私を見ていると・・・・。
    でも、それは日常的には違います。外から見ていると、同じ生活リズムのくり返しで、ほとんど同じ道をたどっているように思います。でも、何遍も同じ道を歩いてもいつも初めて来たような感じがします。としたら、まるで赤ン坊のように一日一日が新生です。生き生きと、初めて通る道、そして自分は二度とこの道を戻る事はないであろうという予感・・・。人が本質と向き合い、その本質の道を歩むという人生、実はこれを選ぶことは実際には厳しいです。が、でもそれは快の領域であって、快の深層なのですね。

    あんまり真剣に集中していると、チト疲れました。
    貴方はちゃんと、私と向かいあっていますか
    ものごとへの根源に心を向けていますか
    ステキな自分と向かいあえるように、
    今日も 明日の自分を描き、
    自分に帰っていく一日でありますように。
    そして、自分という自由を手にする一日であり、
    この一瞬は明日の自分を夢みるような
    時であるように・・・・。

    三浦寛

  • 「あんた、もしや オカマさま、オカマさん?でしたの・・・。」

    おはようございます。皆さん、今日も元気ですか?今朝もここ東京はすがすがしい朝を迎えています。天気も上々、あったかです。5月23日金曜日、午前4:50分です。

    私のブログも今日と明日の2回となりました。金、土とブログの内容をグーッと、くだけたものに配慮してみました。きっと、肩の力が抜けて、おかしさがこみ上げてくるもの、も、まざってくるのではないかと思います。では6日目の第6話、今日もブッ飛びます。
    追伸:週末に入ると、朝起きの時間帯が少しづつズレてまース。生身ですから、気力がもちません・・・。明朝、ブログの書き込みが終わったら、一人ビールでカンパイです。1口、2口、なめる程度の、ことです。が・・・。

    「あんた、もしや オカマさま、オカマさん?でしたの・・・。」
    診療所には風呂もシャワーもあるのですが、愛犬?いや愛猫のシモン君が浴室を占領していて使用することができません。飼い猫のシモン君はトラ猫で、アメリカン・ショートヘアと日本種がかかっています。この種のネコちゃんは額にMのマークのまだら毛と、皮膚ガワが日本種と違い、かないブ厚いのです。高い所を好まず平地に住む猫で、ヘビなどの外敵にかまれても軽いケガですむようにブ厚い皮膚ガワで身をつつんでいるのです。

    猫は3歳児程度の知能があるようです。なかなかうちのシモン君も利口で人なつっこく、私の言葉もかなりわかっています。飼い主にはいたづらされてもガブリと歯を立てません。そしておもしろいことに視線をあわせつづけていると、必ずシモンの方から視線をそらせることです。誰れにエサを与えてもらっているのか、つまり飼い主が誰れかを知っているんですね。

    そして、私と二人きりでいる時はすごく甘えてきます。甘ったるい鳴き声にかわり、すりより、さかんにあのザラメ舌で服から露出している皮膚をなめづり、感極まると軽く咬んでみせるのです。私がシモンにカミつくことがあります。カミつくといっても、腹を立てることがあります。それはあたりかまわず吐くことです。一番腹が立つのは、居心地のよいベッドの上や、毛布の上で思い切り、ゲボ、ゲボとやるんですよ。患者用のベッドや毛布の上でやられるんで、何枚もシーツをストックしています。書いている内にも少々腹が立ってきます。
    コイツは、わかっているんです。吐いた途端、私の手の届かぬものの陰でスーッとかくれてしばらく姿をみせません。猫のヤツは意外とケロッと記憶が消えるんですね。知らぬ存ぜぬの顔して、姿を見せ、すりよってくるのです。私の怒りはまだ、おさまっていないとも知らずに・・・このバカ猫が・・・

    私に尻尾をつかまれ、さかさづりの刑に処せられます。しかし、コイツ余りいやがらんのです。さかさづりにされてもおとなしい。きもちよさそうにしているんだ。でも1分間くらいが限度、上体を起こそうとする。そこでさかさづりの刑はおしまい。もう一つ、昼寝をしていると、ベッドに飛び乗り腹の上にタタタと乗っかって私の脇腹の側にスリ寄ってくる。その腹の上に乗っかってくる足のハコビが絶妙で、ドシ、ドシと乗るんじゃなくてポンポンポンと何かはづむような感じなんですネ。人間のからだで言う膝の力をうまい具合に抜くのか、足首の力を抜くのか、まるで伊賀の忍者が水面を走り抜けるような。そういっても、コイツはエサにイジきたなく、よく食べる。腹八分目ということを知らない。食った途端、今食べたことをケロリと忘れてしまっているんじゃないかって・・・。

    そんな訳で、コイツの体重は7キロもある。一年前からダイエット中で、少しは細身になったと思うのだが、新患の患者さんは「なんてデカイネコチャン」と、たまげてしまう。コイツを飼うようになったのは、子猫の時に車道を渡って、車の後輪に腰から下をひかれ、一ヶ月動物病院に入院してました。その獣医さんが、コイツをまたノラチャンにするには可哀想だからといい、里親を捜していたところ、実行委員のメンバーの一人鵜原さんが「三浦先生、飼ってくれないかなァ」と持ちかけられたのでした。そんなコイツなら飼ってもイイかと承諾したのだが、最初自宅で飼うつもりで、家族の同意を求めたが、下の娘は子供の頃から喘息で苦しんだ体質を持ち、成人になっても軽い喘息がでることがある。下の娘も動物が嫌いなわけでもないが、少々腰が引けている。コイツは自宅では飼えないなとサッして三茶で飼うことになった。

    当初は動物が好き、であるということと、飼うこととは大違い、すっかり私が面倒みなければならないことをケロリと忘れている。近頃のコイツは、私に要求することが二つある。一つは「飯を食わせろ」と、いう要求と、「外に出せよ」という要求である。コイツの声色でわかるのだ。そして、コイツは私を親だと思っていることだ。めんこですね(めんことはめんこい可愛いヤツの意)

    すいません、飼い猫の話しで、タイトルのおかまさまの話ですネ。
    そんな訳で浴室をコイツに占領されてしまってシャワーも風呂も使えない。でも、こんなちっぽけな風呂に入るより私は街の銭湯が大好き。三茶には周囲1km範囲に三軒の「せんと」があるんです。一番のお気に入りは水風呂とサウナがある、とある一軒、フォーラム開催時ターミナルビルに雑魚寝した同志と共にかよったあの「せんと」です。番台のオヤジが、ぞろぞろ列をなして入ってくる我々に、目をまんまるくして、このお客さん、みんなあんたのツレ?と聞く。番台のオヤジは私がしょっちゅう利用させていたヾいているので、顔見知りなのだが、私は名前も職業もあかさない。しつこく聞かれるのだが、一切答えたことがない。名前はともかく番台のオヤジは私に興味をしめすのだが、いったい何をなさる人なのか見当がつかぬようだ。「絵描きさん」「執筆でも?」「大学か高校の先生?」挙げ句の果てに「芸能関係の方?」「どっかの親分さんで?」とも。お医者さん?と言われたことは、ない。医者といわれず私はホッとする。なかなか当たらない。それでいいんだ。○○臭くなくて。それが一番、と思っている。

    4,5日前の夕暮れ、この「せんと」の暖簾をくぐる。広々とした水風呂にザブンと入る。ここの水風呂は冷却水で水を冷やし、かなりの冷水である。フォーラムの理事、京都の佐伯さんは、当初膝下までしか入れなかったな。私が平気で何分もつかっているのに、目玉をまんまるくして、驚いている。理事兼実行委員長の岡村君は決して近づこうとしない。

    水風呂に数分つかった後に温水浴で、十分からだをほぐす。これを3回ほど繰り返し、からだを洗って、又水風呂と湯風呂を往復して、出る。浴衣室で服を着ていると、私のそばでやはり同じように服を着ている人の下肢が目に入った。ところがですよ、その人、ピンクのパンティーをはくところを目撃しちゃったんですよ。ウン?????なんでピンクのパンティーはくんだ、そしてやはりピンク色のブラジャーを胸にあてている。ウン????いったいどんなことが。ワシは女湯と間違えたのかと、イヤ、そんなことはない。入浴中の人達は全員立派なオ○ン○ンをぶらさげていた。この人、立派なイチモツもついていたし。と、胸をみると2つのオッパイ、女性のオッパイがついているのニャ、ではないか。

    ひょっとして、あんた、オカマさんでしたの?

    たまげた。初めてですよ。オッパイがついてオ○ン○ンをぶらさげた、オカマさんの生々しい全裸をみせていただいたのは・・・。生々しい、その裸体にふきだすおかしさを、ドーンととおりこして「あ」です。つまりア然としてしまいました・・・・です。私はとんでもないものをみてしまいました。足のツメには真っ赤の、なんていったっけ、アイシャドーじゃなくて、そうそうマニキュアでした(あせってしまいす〜ゥ)マニキュアで染めて、手の爪も真っ赤なマニキュアでした。髪は肩までのびて女風。両耳にピアス。指にはなんとなく輝くヒスイのようなルビーの指輪。まったく身振りからだつきは女性になってますネ。相当女性歴長そうでした。どうみても60歳はいってましたよ。どうせならピチピチの若いオカマさんのらたいがみたかったねェー。

    いやはや、ドッキリ昇天するところでした。又、思い出して?もしかして、女性だった彼女が男性に性転換したのかも知れませんね。顔をみても、中性的で、男性なのか女性なのか、判断できませんでしたが、年齢からみて、その当時性転換手術そのものがそこまで進歩していたのかしらん・・・
    やっぱり男性でしょうか

    ハイ、そんなところで6日目のブログはおしまいです。

    三浦寛

  • 言葉の力

    おはようございます。5月22日午前4:30分
    私のブログも中日5日目、残すところ後3日間となりました。今朝もモスバーガーからの発信です。東京の朝の日に日にあたたかさが増して、半袖姿でも寒さを感じません。私達も日々意識のころもがえができるようつとめていきたいものですね。

    「言葉の力」
    その問いかけには必ず目的がある。先回代田文志著「鍼灸の基礎治療学」を書き写す経緯(いきさつ)を話しましたが、もう少し書きたしてみます。

    先生は満足げに「よくやったな」と言われ「佐助、ごほうびだ!」と代田先生の「鍼灸の基礎治療学」を贈って下さったのでした。「無条件に受け入れそれに答えようとすれば、その報いは喜びとして必ずかえってくるものなのだな」ということを私は学んだのでした。

    コツコツと静かなる汗をかき、つかんでみなければわからないもの・・この手でつかんだ喜びとはそのようなものなのではないだろうか。師の言葉に素直に、すばやく反応する。その最初の直接的な働きかけは「ハイ」という言葉だと思います。まづ、言葉で反応すること。「ハイ」という言葉は、わかりました、そのようにします、そうさせていただきます、という肯定の意志の伝達です。その意志は力です。「ハイ」という言葉には否定がありません。条件つきということでもありません。無条件に受け入れる、ということです。相対的でもなく、絶対的な意志の働きかけです。ですから「ハイ」という言葉には力があるのです。

    「そうさせていたヾきます。そうします」という肯定の言葉だけでは不十分なんです。そのコトバの前にまづ「ハイ」という二語が必要なんです。その言葉をより強力に決定づけるものが、「ハイ」の言葉にひめられた絶大なる力、貫ける意志(思)の力なんです。
    この命と共にある自分に目的を与え、それを成せる言葉が「ハイ」なのです。「ハイ」という言葉には生命力があります。言葉は言霊(コトダマ)ともいいますネ。言葉は力です。コトバにはイノチがあります。イノチがあるから力なんです。その言葉にどれほどの力があるかというと、人生をかえる、運命を変えるほどの力があるのです。

    言葉どおりにその人の人生が展開する。自分の言葉によって自分の人生、運命を決めているのは事実なのです。自分の人生をなげき、その責任を他になすりつける、親のせいだとか人のせいだとか社会のせいだとか、責任逃避してもだめ!
    自分のことばで自分の人生を決めているのだ。それだけ、言葉には力がある。力があるってことは、生き方に責任がある。
    言葉を統制する必要がある。言葉は人生そのもの、その人の生き方を明確に示すものである「人が正しい」とは「言葉が正しい」ということである。統制できるかできないか、人が正しく賢いとは言葉の方向性である。「そうなればいいですね」「そうあってほしいですね」という希望的楽観的言葉を口にする人がいるが、本当にそうなりたい、そうありたいのであれば「そう成る」「そうある」とコトバにすることなのだ。
    100%、そう言葉に言い切ること、言い切ってしまうことがとても大切なんです。このことは忘れてはならない。「ハイ」という言葉は無条件に受け入れます。そうします、そうさせていただきますという意志同意語なのです。
    「ハイ」という言葉が出ず、「でも」「でも」と必ず口にする人がいます。「デモ」は言い訳の言葉であり、そこになにがしかの見返りや条件がつくものです。
    「イヤァー」「アノゥー」「しかし」「ちょっと」そしてそれにつづく否定的な言葉が「でも」です。

    ・「でも」という言葉は否定の言葉です。100%拒むか、50%肯定するか、いづれにしても反、否定です。
    「でも」と言葉にした途端、力は働きません。力が働きませんから、やっていることも途中半端で思うようにことが進みません。得たいものが入らず、手にとどかないのです。カスばかり入ってきます。
    ・「でも」は又自己否定です。自己否定しながら何かを求め何かを得ようとしても、入ってくるもの得たいものはたかが知れています。それは人生への不平不満へとつながり、焼いても煮ても食えない、グチ、ヤキモチ、嫉妬やねたみ、そしてコンプレックスにつながってくるのです。

    「でも」と言いわけする生き方をする人は、自分に言い訳しつづけていることに気づきません。指摘されても、イヤ、あの人にこの社会にむけているんだと、それを認めません。しかし「でも」は自分の言葉なのです。そして自分の人生や生き方の言い訳なのです。自分に言い訳しながら生きているのです。生涯言い訳しつづけます。そんな人生は、本当にしんどいのです。

    自分に言い訳ばかりしているのですから、きもちよくない、楽しくないんです。いくら満たされていても満たされない、有難く生かされていることに感謝できないから、ああなんてすばらしいんでしょといいながら「でも・・」ここがどうのこうの、あそこが気にいらない、とグチを言います。
    ああなんておいしいんでしょうと言いながら「でも」。味つけが云々、肉のやわらかさが云々、野菜の盛りつけがウンヌン。スープの味がウンヌン。熱さ加減、塩加減がウンヌン、とにかく「でも」が口癖のように連発されるのです。ですから必ず「でも、幸せじゃない」「でも、たのしくない」「でも、納得できない」「でも、退屈で仕方がない」と・・・・。ああおいしい、すばらしい、なんて有難い、で言葉を納めてしまうことができないのです。それは満たされることのない不幸な人生です。「ハイ」とすばやく言葉に反応できる生き方って迷いがなくなってくるんですね。それに生き方がとってもらくになってくるのです。らくを感じる前にきもちがいいんです。それが「ハイ」の二文字なのです。

    そして「ハイ」は魂にヒビキを与え、相手の心を動かします。「ハイ」という言葉の力は素直に生きる、生かされる、つまり生き方に迷いがなく、たくらみのない生き方ができる、ということです。

    こちらが「でも」で答える限り、それは条件つきであり、その心には何か見返りを求める欲が働いていますから、相手も条件つきでそれに答えようとしてくるからです。ですから無条件で、できる限りの強力と理解をおしまないような心の働きができないのです。「ハイ」と無条件にうけ入れれヽば相手は心を開き無条件で受け入れあなたに答えようとして働きかけて下さるのです。

    三浦寛

  • 私が東京にでること、その師の心

    おはようございまーす。4日目のブログです。今日も真夜中の午前3時40分、モスバーガーから発信しています。
    4日目ともなると、みんな読み疲れてるんじゃないかな。100年後にふと、思い出して読んでくれてもいいんだよ。
    では、真夜中のヤミに溶け込んでぶっ飛びます。

    「私が東京にでること、その師の心」
    卒業を間近に控えて、何かと気ぜわしい三月を迎えていた。そんな昼下がり、「三浦君、君は東京で開業しなさい」と師の声が飛んできた。今、ブログを書き込みながら、四十数年前の記憶をたどって行くと、その言葉の意味に、どれほどの思いがこめられていたことか、手塩にかけて育ててきた弟子に何かを託そうとしている、師の想いの深さを知ることができる。それは意志の決断である。

    「こんなところにいつまでもいることはない」と、ものの見事に突き放す。師は私に「そうしてほしい」という願いを託したのである。

    私は託されたことに響いて(ヒビいて)いくこと、それが弟子の使命であったように受け止めていたのであろう。

    師は東京という固有名詞を使われている。ということは、どこで開業してもいい、と言っているのではなく、東京だと言っているのだ(なぜ、東京なのかも後にわかった)。大阪でも、福岡でもいいと言っているのではなく、私を東京に送り出したかったのである。
    それは絶対なる師の意志決定だったものと思う。私以外ではだめで、東京以外でも絶対ダメなのである。

    今、こうして書き込みをしながら、今にして全身に鳥肌が立ち、身震いがしてくる。

    私は師の目を直視して生きてこられた。今でも師の目を思い浮かべ直視する。いつも師は笑いかけるやさしい目をしておられる。
    人は自覚し、意識し続けることによって謙虚である。そして、師とのご縁を得て師の側にいさせていたヾける。そのような機会を得ればこそ、のちに縦的な霊性を得ることができる。師との学びの中で、物事(ものごと)の成せる成り立ちの本質を知り、真理を学んでいく、それが神性、霊性を実感していく尊い人生と云えるのだと思う。

    私はお蔭さまで、先生の云われることにすべて「ハイ」と言える青年でした。とても、とても素直に「ハイ」と言えることができたのです。先生のコトバに素直に「ハイ」と反応できる自分が、とても誇らしげで好きでした。

    この『ハイ』という言葉を考えてみると、全く私欲がないことに気づきます。そして、なに一つ疑わずに無条件に無意識に、受け入れていることにも気づきます。ですから、心がはづんでいるんです。ですから、先生の言いつけは素直に「ハイ ハイ」と言葉にでき、ワクワクするのです。

    鍼灸学校に在学中、先生の書斎の本棚から、代田文志著、「鍼灸の基礎治療学」を手にして見ていたところ、「三浦君、興味があるか」と、先生が声をかけて下さり、「ハイ」と答え、私が「この本、コピーしてもいいですか?」とたづねると、「おまえが興味があるっていうのは、そんなに簡単にコピーしてすむことなのか?全部書き取ってしまえ、その位のきもちがないとだめだー!」と一喝されてしまったのである。先生の、その言葉の力に圧倒され「ハイ、わかりました。写します」と言葉にしてしまった。『ハイ、写します』と言っても500ページを越す、ぶ厚い本なのである。
    パラパラとめくってみると、古い漢字が使われていて、初版何月何日発行、と印刷されていた。
    早速原稿用紙を何百枚も買い込んで無心に書き取った。何ヶ月要したであろうか、半年はゆうにかかったであろう。書き上げた原稿を持って(持ってというより肩に担いで、と言ったほうがいい。何せその量たるやかなりの重さにふくれ上がっていたのである)

    少々私は興奮して、やりとげたことに大満足していました(ただし、ただヾ無心に書き取っただけで、内容的には難しくって何一つとして頭に入っていなかったなァ。)

    先生は目の前に分厚く積まれたそれを見て、「よくやったな。おまえが興味あるんなら、その著者がどんな思いで書きつづったのか、その心を知れ。よーくわかったヾろう。著者にこたえる、とはそういうことだ」と、さとされ、私は先生の前で小さくなっていた。でも、先生の目はうれしそうに笑っていた。

    三浦寛

  • 人生の達人に学ぶ

    おッはようございます。

    皆さん、元気ですかン。今週も朝が早いんですよ。朝と言っても、真夜中の午前3:10分ですが、東京は夕方から雨で、この時間もかなり雨足が厳しいです。この雨のなか、BMをブッ飛ばして三茶に戻ってきました。今回もモスバーガーでブログの書き込みにトン走します。

    雨のこの時間帯でも、246号線はひっきりなしの車です。運送の大型トラックが多いですね。夜の暗(ヤミ)にはシーンとした静けさの中に、生命のうたげが静かに舞っている、踊っているようです。

    東京にもヤミがあるスか?
    ヤミの夜空スヨ。この時間には、お星さんもお月さんも輝いてんすから、(今夜は雨でおやすみしてんすけど)

    真夜中から大ブレしてますけど、生命のイブキとはこの真夜中のヤミの静けさにあるスね。夫婦のなすコト、恋人同志のなすコトも、このシーンとした、ヤミの世界が演出するんですね。どうぞ、アツアツ、ラブラブにおたのしみ下さい。

    そこのおとォさん、彼氏さん、性急に自分の欲求を満たしてはいけませんよ。相手の欲求をまづ、十分にとろけるように満たしてあげなさい、されば与えられんです。いいですね。

    ところで、このブログ、1日400件から500件のアクセスがあると聞かされ、ビックリ、そんな多くの人々が読まれているのか?とても興味がありますね。後5日間よろしくお付き合い下さい。

    それでは本番に入ります(本題に入ります)映画の撮影シーンではカット、カットが付きものですが、儀式にはカットは不要。
    愛がある限り永遠に続きます。

    「人生の達人から学ぶ」
    橋本先生の三男、保雄さんにまつわるエピソードはつきることがないのですが、現役バリバリのホテルマン時代は、そのダルマさんのような大きな目は人の心を刺しこむような鋭さがあって、とても近よりがたいヨロイのオーラを全身から放っていたように思います。しかし、それは仕事への厳しい姿勢と、厳粛で研ぎ澄まされた精神性とゆるぎない信念に満ちた眼光であり、その眼光の奥にも人の心を大きく包み込んで癒してくれる、あったかな目をもっている方でした。人が大好きで、好奇心旺盛で遊びの達人でもありました。とにかく人生の描き方、その生かし方のスケールが大きくて、信念のもとに自由人。人を魅了する、生き方でした。そんな保雄さんと公私にわたり、ご縁をいただき、育てていただいたことも、私の人生にとっては大きな財産でした。

    保雄さんが定年退職を迎えられる年のある昼下がり「三浦君、オレの部屋に来い」と呼び出され、副社長室に入る。その姿はゆったりとされ、背広をはづし、ワイシャツ姿でデスクに腰掛けておられた。ぶっとく黒々としたマユゲにめがねがのっかり、ギョロリとした大きな目で私を見上げる。その目は妙にやさしく丸い。
    こんな笑っているおだやかな目をみるのは初めてでした。それもまったく全身から鎧が抜けた姿でした。
    なにか、なんて云ったらいいんでしょうね。年齢をこえ、立場をこえて、フーッと親しみの中に溶けこんでいるような、空気を、私は味わっていたんですネ。保雄さんも信念の人でしたし、私も、信念をつらぬく生き方、姿勢をとおしてきましたから、何かフーッと共感して飽和するような、やわらかな空気があったのでしょうか。「三浦君、一服つけていいよ、コーヒー飲むんだろう、うまいコーヒーがあるんだ、入れてやるから待ってな・・・。君に渡すものがあるんだ。ところで、これ、これ、ちょっと待ってな」といい、2枚の絵をもってきて下さった。

    一枚は、大きな羽をひろげて舞う鳳凰(ほうおう)、もう一枚はふくよかな笑顔をもつ仏画でした。(二枚の写真がそれです)。

    二つとも、診療室に飾ってあります。一枚の鳳凰はベッドの真上の天井に、ちょうど患者さまが、仰臥位に休まれた顔の真正面に見えるように、飾ってあります。(不思議ですね。患者さまの中にも、この絵に気づく方と全く気づかない方がいるんです。何回かの加療をつづけ、良くなってくると、気づくのです。先生、いつからこんな絵が天井に飾ってあったのですか、と・・・・。病んでいる患者さまというのは、心のゆとりも、こころの視野も狭まっているんですネ。目に入ってこないんです。)

    06年の盛夏、あっという間に保雄さんは天国に旅立っていかれたのですが、柩の中の保雄さんは、あまりにも小さくて小さくって、肉体の死とは、ちっちゃくなってしまうことなんですね。

    ふと、思い出しました。仙台から東京に出てきた当時、保雄さんからオークラに顔を出すように云われて初めて伺った時、いきなり門前払いをくらったのです。「おまえさん、そんな格好でくるんじゃネェ」と、ドスの効いた声で怒鳴られた記憶があるんです。そうやって保雄さんから人生のマナーを学んできたように思います。生かされて生きているという生へのマナーです。それが生かされて生きていく、自己責任なのではなかったのかなと思います。

    橋本先生と保雄氏のパワアの違いをふと感じます。先生の生命力は足の根っ子のパワア、保雄さんの生命は腰の根っ子のパワアのように感じます。

    ところで、私の人生に大きな影響を与えて下さったもう一人のご子息は、保雄さんの二つ年上のお姉さんでした。○木え○子奥さまでした。私は○木の奥さまと呼んでいました。

    私は先生の側で修業中、先生の奥さまを「おお奥さま」、ご長男の奥さまを「奥さま」そして先生のご子息の長女の方を「○木の奥さま」、と呼んでいました。

    ○木の奥さまにも、私は頭が下がるほど良く面倒をみていただき、可愛がっていただいたのです。お会いするたびに「三浦さん、しっかりやってる?学ぶということはネ、一気に階段を昇ろうとしてもだめなのよ。一段一段、ゆっくりと踏みしめて昇るんだよ」とさとして下さるのでした。
    この言葉はドッシリと身にしみましたネ。

    そしてもう一つ、心にのこる言葉がありました。保雄さんが副社長時代、東京都の石原知事から、ホテル業界の発展に多大な力となった業績が認められ、その記念のパーティがオークラの平安の間で盛大に行われたのです。
    その記念のパーティに「三浦君、君も顔を出すように招待状を送っておくから」と、保雄さんが声をかけて下さったのです。2000名を超す招待客でごった返すなか、その発起人になったのが、海部俊樹元総理でした。
    その招待客の中に○木奥さまも招かれ、久しぶりにお会いすることができたのです。保雄さんが壇上に立ち、元総理が祝辞を読まれるなか奥さまは感きわまったのでしょうか、弟の保雄さんにむけて「おじいちゃん、ステキ」と発しているのでした。姉の立場であれば「保雄ちゃん、ステキ」と声をかけるところでしょうが、何度も「おじいちゃん、ステキ」と発しているのです。あとで、何故「おじいちゃん」なんだろうと考えてみました。つまり、父親をほめることで保雄さんの労をねぎらって保雄さんを育てた父親が一番ステキだということなのです。本人をほめるより、父親をほめるのが一番のほめ言葉なのですね。自分がほめられるよりも、親をほめることが自分にとっても一番うれしいことなのだな、ということがよくわかったのです。
    オワリ・・・デス。

    三浦 寛