学んでいるなかで、その都度、
やっておかねばならないことが必ずあるなら、
それは誰かがやらなければならない。
もし、誰もやらないのなら、
喜んで自分がやることだ。
しかし、誰もやらないということは、
腹の底からの覚悟がいる。
大変だから誰も手をつけたがらないのだ。
しかし、あえてやってみる。
確かな手応えがあるものだ。
2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

学んでいるなかで、その都度、
やっておかねばならないことが必ずあるなら、
それは誰かがやらなければならない。
もし、誰もやらないのなら、
喜んで自分がやることだ。
しかし、誰もやらないということは、
腹の底からの覚悟がいる。
大変だから誰も手をつけたがらないのだ。
しかし、あえてやってみる。
確かな手応えがあるものだ。
2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

今日から7日間、三浦が担当します。
よろしくお願いします。
自分にとって最もつまらぬことは、自分との約束を破ることです。
自分の美学を破ってしまったら、一体、誰に向かってつぐなえますか。
人が本来、備えている力を本気という。
お前は、本気で生きているのか。
本気で学ぼうとしているのか。
誰かがやってくれるだろう…と人の目をうかがうのではなく
自分に向けること。
つまり、自分がやるという気構えだ。
それを誰かが、やり遂げたとする。
自分にも動機とチャンスがあったはずなのに、あえて避けてしまった。
やろうとしなかった自分に後悔しても、やった人には敬意を払うことだ。
批判してはならない。
やらなかったのだから。
批判する資格などない。
2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

松岡正剛先生の言葉に
「わかる」とは「変わる」ことで、
「わかったこと」が変化することだと…
私はその言葉をとても大切にしている。
「わかった」からといって
それで終わりということではなく、
始まりなんだネ。
「わかる」ということが「かわる」ということなら、
その何がどう変わるのかを
じっくりと、興味深く、学び続けていくことだ。
わかったことが変化して、とけていく。
わかったことが、さらにとけてくると
意識が変わる。
その意識の中から、新たな言葉が生まれる。
その言葉の先に、まだ何かがある。

今まで50年間、
読み取ってきた操体の景色が
一瞬に別の景色に様変わりしてしまった。
これだけ様変わりする展開をみていると、
学んできたことの筋道が明晰に捉えることができる。
よりあきらかに、クリアに、 スッキリ展望できるようになった。
ありのまんまの姿を見ることができた。
なぜ今までそのような解釈が平然と成り立ってきたのか。
成り立つ根底には、
何をみてきたのか。
何をみていたのかが、よくわかる。
今までの定義から離れ、
その解釈を新たに丸ごと、
生かす時代が
やっときたという思いがする。

味わい尽くそうとして、
甘さ、辛さ、酸っぱさ、塩辛さをいっぺんに口にしたところで、
かえって味わい尽くせない。
全てを聞き取ろうとして一度に五つの音(声)を聞こうとしても
聞き取れるものではない。
学びもそうだと思う。
内なるものを大切に目に見えるカタチや刺激に囚われないことだ。

精気に満ち満ちているとはどういうことだろう。
赤ん坊はセックスのセの字も知らぬのに
おチンチンは、ピーンと上を向いている。
まだ骨も弱く、筋力もないのにそれでも、ギュと握ってくる。
一日中泣き叫んでも、声が枯れることはない。
なぜだろう。
生命エネルギーの精気に満ちているからである。
人間は赤ん坊から元気をいただいている。

玄同とは、なかなか気安く近づけない。
かといって、むげに遠ざけ、よそよそしくもできない。
利益を与えることもできない。
危害を加えることもできない。
拝むこともできなければ、蔑むこともできない。
だからこそ価値を超えた価値がある。

あえて、あえて、困難や苦労に直面しないで済む生き方があるという。
それは、ことにあたり(1日の生き方)用心深く、
小さなことから真剣に取り組むことだというのだ。
安易に取りかかる人ほど面倒なことを起こす。
安請け合いをするから失敗する。信用されない。
なぜなら、余計な作為を持ち込んで無理をするからである。

今日から七日間、三浦が担当いたします。
今年もよろしくお願いいたします。
一年のはじめにブログが巡ってくるというのも、ありがたいご縁です。昨年はアッという間でした。「ッ」まで伸ばせぬほど、「ア」でした。
年の初めに目標を立てるということは、
この方やったためしがないが、
自分のやることを日々、積み重ねていくと
重ねていることが結果として、「これがそうだったのか!一年の目標だったのか!」とわかることがある。
その目標は、何年も継続することもある。
人生の目標は、
あとからついてくる、
ついてきてわかるということもあるんじゃないかな。
目標を達成したいとみんながそう思って、努める。
その努め方は、小魚を煮る時のように、いたずらにかき回さぬこと。
いたずらにつつくほど、形が崩れてしまう。
形が崩れると目標が見えなくなってしまうということだ。
