カテゴリー: 三浦 寛(みうら ひろし)

  • 「がんばらない」と「がんばるな」(1)

    こんにちは。

    今年の7月から三浦先生(おとーちゃん)のところにいる、凜(りん)です。

    「りんちゃん」とか「りんりん」って呼ばれてます。

    2019年の女の子の名前で、一番多かったのが「凜」らしいけど、流行の名前らしいです。

     

    おとーちゃん、最初は、保護してどこかいいところに養女にあげようと思ったらしいけど、今はもうあたちのことは、可愛くてどこにもやらないって(笑)

     

    あれは夏のこと。

     

    あめがふっていて、ベランダでおなかがすいてないていたら、おとーちゃんがお皿にミルクをいれてくれました。

     

    そのうち、お皿に「ちゅ~る」っていう、すごくおいしいやつをいれてくれるので、夜になると、ベランダのところで「ちょうだい~」となくことにしました。

     

    でも、つかまるのはいやなので、逃げていたんだけど、お皿に入ったちゅ~るを食べていたら「バタン」という音がして、箱の中に閉じ込められちゃった。

     

    そこから病院に連れて行かれて、検査されて、ノミもいないし、虫もいなかったけど、耳ダニがいたので、耳に冷たい、へんな水を入れられました。

    痛い注射もされたっけ。

     

    その時は500グラムだったけど、今は2.5キロくらいになりました。

     

    「がんばらない」っていうけど、猫ってそもそもがんばらないし。

     

    お外でお腹を空かしているよりは、ちょっときゅうくつだけど、おうちのなかであったかくして寝てるほうがいいもんね。

     

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    ★トラップに入ってるあたし。

     

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    今はこんな感じ。おおきくなったでしょ?

  • 7日目

    私ごとではあるが、五十数年、学び続けている学問ではあるが、その学びにはスジがとおっていると思う。

     

    今、私が問いかけ続けている展望も、新たな操体、行く先々の道筋に導かれているようだ。

     

    私が取り組んでいる操体とは、そんなものじゃないだろう。

    まだ、その先があるだろう。

     

    あるなら、その先も貪欲にみてやろうという気持ちなのだが、その貪欲さも、あの世にいくまでの一時のことである。

     

    一週間ありがとうございました。

     

    三浦寛

     

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  • 6日目

    すでに学びの道筋は、通っているのですから、まずそれに従って教え導いていけばよいのです。

     

    私の修業当初、何があったのかというと、まず言葉ありで、操体ウンヌンというものではなかった。

     

    「哲学」的なことばかりであった。

     

    生涯問い続けていかねばならないことであった。生命、このいのちのこと、人生のこと、学びのこと・・・・・・。

    後々それが身についた操体への理解となって実ってきたのだと思っている。

     

    それは操体の学びが日々の生き方と無関係ではない、ということで、切り離しては、考えられることではない。

    日々の生き方のなかで、どう操体と向き合っているのか、その日々の努めが、必ず、あからさまになる。

     

    それは当然なことなのかもしれないが、こわいことでもある。

     

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  • 5日目

    どんなご縁あってのことか、とにかく、私は操体を学びにくる人達とは、すごい人だなあと思っているんだ。

     

    すごいと思っているけど、まだ磨かれていないのだと思う。

     

    今まで生きてきた中で、また学んできた中で、また実践してきた中で何かが不足しているな、何かがおかしいなと気づいている人達だと思う。

     

    一人一人が、色んな情報をもっている。今までどんなことを学んできたのか、そうした中から、ヒントを得ていく。将棋のコマを進めていくようなものだ。

     

    いろいろ手がある。
    自身が学んで身につけてきたことを、洗いざらい、明確にくだいていくしかない。

     

    有頂天になる必要もない。

     

    学んできたことを伝えていけばいい。

     

    どう受け取るかは、本人のことだけど、よく味が染み透るように伝えていけばいい。

     

    写し鏡と同じで、習ったことを写すわけだから、身につけておくべきことはちゃんと納めておくことだと思う。

     

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  • 4日目

    師(橋本先生)は来る者をこばまず、去る者を追わずであった。

     

    遠方はるばる来訪する。目的があってのことだろう。

     

    その目的を遂げれば去っていくだろうし、居続ける者もいるだろう。

     

    私は、先生の指示で東京で開院したが、先生の側にいたくて、月に一度は仙台に足をむけ、至福の何日間を味わいつづけていたのであった。

     

     

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  • 3日目

    いつもながら私自身のことを語れば、五十数年前、チャリンコに乗った一人の初老の紳士に出会ったことが、この道に入った、きっかけである。

     

    その紳士が、たまたま医師であったこと、そこで学んだことが操体であっただけのことである。

     

    たまたまそうであった、だけなのだが、しかし、生まれて初めて学ぶことの愉しさを知ったのである。

     

    こんな愉しい学問の世界があったのかという思いである。

     

    人がどう思おうが、まわりがどう思うが、私にとって、とてもありがたい学びであった。

     

    それは生涯学んでいけそうだという、希望をつかんだといっていい。

     

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  • 2日目

    一風変わった変人、奇人。

     

    現代医学の医師なのにドロップアウトしてしまった橋本先生。

     

    一般市民なのだが、強い意志と信念を貫く生き方は、変人、奇人である。

     

    私自身も、どこか似ていないこともない。

     

    操体をなぜ学びにくるのか、何か惹きつけるものが操体にはあるし、学びにくる者にもあるのだろう。

     

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  • 1日目

    今日から三浦が担当します。

     操体を初心者に説明する。

     

    何から手をつけたらいいのか。

     

    しばらくの間、ペンを取らずに漠然考えを巡らせていた。

    初心者といっても、まったくの素人もいれば、医師でありながら、職業を明かさない人もいる。

    芸術家もいれば、多種の仕事をもつ人も、初心者である。

    私はなぜ、それらの人達が、学びにくるのか、その動機とか、きっかけに興味がある。

    どのようなところに興味を覚えて学びにくるのか。その人の人生とその生き方と切り離せないと思うのである。

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  • 七日目

    「楽と快はちがう」どう違うのか、そして動診と操法にどう快の問いかけを生かしていくのか、そして「感覚を重視しろ」と話されたこと、これは運動分析から感覚分析への転換を求めているのであった。そのことを書き示したのが、この処女作である。

     

    しかし、未だ多くの者は先生のこのメッセージに対応できずに混迷しているのである。

     

    感覚分析とは右脳的な捉え方である。

    思考的(左脳的)なとらえかたではなかなか理解できない。そもそも理解するものではなく感覚するものであり、からだにききわけてわかることである。

     

    年月をかけ学んでいくうちに、その都度、その都度、新たな課題をつきつけられる。それが操体の学びの深さなのである。

    妥協していられないんだね。

     

    操体を学びつづけて思うことは、操体とは人間(個人、人類)にとって、いつの時代も必要不可欠な智の財産だなと思う。

    智の財産に含まれるものは、何百年、何千年も前の先人達が残していた書物に触れても、ありがたく尊いことである。

     

    どうありがたく尊いのかは、一人一人の人生の中で、つかんでいくことですネ。

     

    つかんだものには、確かな意味がある。

     

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    一週間ありがとうございました。明日からは三浦寛幸が担当します。

     

  • 六日目

    それだけ予約が入っていたということは診立ても、臨床の腕も上がっていたのであろう。

    しかし、自分の時間は極端にそがれていた。

    まさに酸素不足のコイだ。

    では脳ミソが腐らぬ手段はと考える。そうか、自分が学んだことを本にすればいい。

     

    操体に関する作品を本にまとめていくこと、それが39歳で柏樹社の社主中山信作社長から「君が考えている操体法を本にしないか、橋本先生の承諾は得ている」という誘いであった。

     

    それが第二分析の問いかけをテーマにした「操体法治療室」であり、私の処女作である。当時先生が85歳、第一線から手を引いた年、先生は操体法の新たな認識(テーマ)をメッセージとして話されたのである。

     

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