投稿者: karib_sotai

  • さわる が ふれる になるときは2

    「さわる」と「ふれる」。

    本人の意識が変わるだけで、大きな違いが生まれてくることがあります。

     

    「さわられた」、もしくは「ふれられた」対象にとっても、

    まったく異なる情報として伝わります。

     

    わたし自身、その違いとして興味深く感じているのは、

    「さわる」から「ふれる」へ意識が変化すると、

    「ふれる」のときには、それに伴ううごきに、

    ほどよい「間(ま)」が生まれることです。

     

    普段、何かと忙しくしていると、

    この「間」というものが

    どんどん切り詰められてしまうところがあります。

     

    一日のなかで、例えば植物でも、かわいがっている生きものでも、

    大好きなモノでもいいでしょう。

     

    何かに「ふれる」習慣を取り入れると、

    「間」にもふれることにつながると感じています。

     

    生活のなかのそういった「間」が、

    からだにとってもわたしにとっても、

    うんと大事なのではないかと思うのです。

     

    www.tokyo-sotai.com

    秋季東京操体フォーラム開催決定

    2023年11月23日(勤労感謝の日)

     

    今季は久しぶりのルーテル市ヶ谷センターにて開催予定です。

    プログラムの詳細等は追ってお知らせ致します。

     

     

  • さわる が ふれる になるときは

    瀧澤さん、一週間の投稿ありがとうございました。

    バトン「タッチ」で本日から寺本が担当致します。

    テーマは引き続き「ふれる」です。

    よろしくお願いいたします。

     

    普段意識することもなければ、気にもならないことですが、

    私たちは実に様々なものに接しながら生きています。

     

    物、人、言葉、生き物、情報、自然、環境、空間、重力

     

    挙げればキリがありませんが、常に何かに接しながら生きているので、

    言い換えれば常に何らかの情報の影響を受け続けているのでしょう。

     

    それは、わたしにとって、またはからだにとって、

    どんな作用をもたらしているのか気になるところです。

     

    「情報」にもいろいろな質があると思います。

    操体では「ふれる」と「さわる」は似ているけれど、

    全然違うものとして識別しています。

    漢字にすると「触れる」と「触る」で、近しいもののように感じられますけれどもね。

     

    わたしたちが普段接し続けている情報も、実に「ふれる」と「さわる」の入り混じっている状態だと感じています。

    そして、私たち自身が日常生活で接しているものに「ふれて」いるのか、「さわって」いるのかというのも、多くは意識すされることもなく行われているように思います。

     

    でも、このあたりのことが、私たちの健康、そして健康維持増進にとっても、

    決して無関係ではないように思うのです。

     

    (つづく)

     

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    秋季東京操体フォーラム開催決定

    2023年11月23日(勤労感謝の日)

     

    今季は久しぶりのルーテル市ヶ谷センターにて開催予定です。

    プログラムの詳細等は追ってお知らせ致します。

  • ふれる⑦

    直接何かに触れる以上に、「からだ」をとおして感じたり、「からだ」をとおして気づいたときに、「ふれる」という実感が湧いてくる。

     

    操体の、「からだ」をとおした学習は、今まで何の疑問も持たずにやってきたことを、これまでとは違う角度から「ふれる」機会を与えてくれる。

     

     

    「からだの要求にかなう」という目線。

     

     

    その目線を持ち合わせていれば、健康維持増進に必要な情報は、「からだ」やわたしたちが生きている環境の中に、すでにあることに気づかせてくれる。

     

     

    わたしたちは、宇宙に放り投げられることもないし、地面にぺしゃんこになることもない。

     

    場所によって差異はあるものの、充分に呼吸していけるだけの空気もある。

     

    その環境の中で生かされている「からだ」がある。

     

     

    普段は意識することもない当たり前のようにある環境も、当たり前のように使っている「からだ」も、「からだの要求にかなう」という目線を持ち合わせられるようになれば、呼吸やうごき、立ち方などの生かし方は変わってくる。

     

     

    当たり前のようにふれていることを健康維持増進に生かしていけるのが操体の学び。

     

     

    臨床の場でも、生活空間でも、それは一緒。

     

     

    その中で、ふっと湧いてくるような「感謝」を感じられること。

     

    それも健康維持増進にかなう「ゆたかさ」につながっているとおもう。

     

     

    一週間有難うございました。

     

    岡村さんから渡ったバトンは寺本さんに渡ります。

     

    明日からよろしくお願い致します。

     

     

    ※2023年11月23日(勤労感謝の日)

    オンサイトで東京操体フォーラム開催予定です。
    詳細は追ってお知らせ致します。

  • ふれる⑥

    今まで経験してきた運動指導の中では教わってこなかった(感じたことがなかった)「からだのうごき」を、操体の学びの中で体感し続けている。

     

    膝に焦点を当ててみると、「立つ」ということも、立った状態での「動き」においても、これまで体験してきた運動指導の中での膝の動きは、ほとんど曲げるか、伸ばすか、だった。

     

     

    操体の学びの中で、はじめて「膝をゆるめる」ということを教わり、曲げるのとも、伸ばすのとも違う感覚をとおし、「膝をゆるめる」ことで、「うごき」がつながり、「構造(つくり)」もつながってくることも体感してきた。

     

    そういったことが、からだをとおして学習されてくると、普段わたしたちは「運動」として「動き」を身につけるとき、意識的に筋肉を動かしすぎているのかもしれない、とも思えてくる。

     

    それが局所の「動き」を際立たせ、つながりのない「運動」によって、つながりのない「構造(つくり)」ができあがってしまうのではないか。

     

     

    「からだのうごき」の学習は、後天的に身につけてきた「運動」の要素が引かれていくことで、本来「からだ」に備わっている先天的な「うごき」が現れてくるようにも感じる。

     

     

    その中で、「膝をゆるめる」ということもまた、「膝がゆるむ」へと変化していくことを体感する。

     

     

    「からだ」を自身が操るのか、「からだのうごき」に委ねている自身があるのか。

     

     

    「からだのうごき」をとおして、「からだ」と自分の関係性にもふれている。

     

     

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  • ふれる⑤

    新たな理論において、「立ち方」の基準もまた進化している。

     

    基準が変われば、「立つ」ということもまた、「ふれる」ことの一つだと感じられてくる。

     

     

    わたしたちを生かしてくれている環境があり、その環境の中で調和に向かう「からだ」がある。

     

    その環境の中、「からだ」が安定した状態で、「からだにとって」必要な呼吸やうごきが営まれる。

     

    止まっている「からだ」を自身が操るのではなく、つねにうごき続けている「からだ」に重なる自身がそこにある。

     

     

    「立ち方」が、「からだ」をとおして、生かしてくれている環境にふれさせてくれる。

     

     

    そういったことを感じとっていくことは、抽象的な話ではなく、からだをとおした学習で感じとっていくことができる。

     

     

    足底のどこで地面と接触しているのか。

     

    膝の裏スジや骨盤はどのような状態になっているのか。

     

    うごきから捉えたつくりになっているかどうか。

     

     

    「立ち方」が変われば、呼吸もうごきも変化していく。

     

    呼吸やうごきは、生かしてくれている環境と重なっていると感じられてくる。

  • ふれる④

    触診をとおして、「からだ」と本人の関係性が変わってきている、と感じられることがある。

     

    「からだ」にふれ、そこから伝わってくることが、ご本人やご家族が語ってくれる意識の変化と重なっている、と感じられることがある。

     

     

    周りから指摘されて、はじめて本人が気づくような無意識的な変化。

     

    臨床の場にとどまらず、普段の生活の中でも意識できるようになってくる変化。

     

    臨床の場で、「からだ」をとおして伝わっていることが、普段の生活の中でも生きてくる。

     

     

    健康維持増進は、「からだ」に任せっきりでも、「本人」だけでもかなわない。

     

    「からだ」と本人の歩調が合うように、「からだにとって」必要なことに意識が向いてくるような指導が、操体の臨床にはある、と学び続けている。

     

     

    臨床と生活空間をつなぎ、からだと本人を重ねてくれる呼吸やうごき、そして、立ち方。

     

    新たな理論にふれる機会をいただいている。

     

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  • ふれる③

    操体の臨床で感じていること。

     

     

    皮膚に触れながら、様々な「からだ」の変化を感じとっていく。

     

    それは、触れている「からだ」の変化を感じとっているだけではなく、自身の「からだ」の変化も感じとっているということ。

     

    診させていただいている「からだ」に触れながら、自身の「からだ」にもふれている。

     

     

    自身の「からだ」をとおして、「呼吸」や「感覚」が変化していくのを感じとっているとき、診させていただいている「からだ」もまた、その間(マ)を共有するように変化をみせてくれることがある。

     

    どちらの「からだ」も、健康維持増進の方向性にかなっている、と感じられる瞬間でもある。

     

     

    そこに、重心の適性が関与していることを、今学んでいる。

     

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  • ふれる②

    「からだ」に「ふれる」ことは、こちらからのはたらきかけだけではなく、ふれている「からだ」のほうからのはたらきかけもある。

    「ふれる」ことは、常に情報を発信している「からだ」が在ることに気づく、ということでもある。

    先に「からだからのメッセージ」がある。

    操体の臨床では、皮膚に触れる際、刺激ではなく接触となるように、と指導を受ける。

    刺激で伝わっていくことと、接触で伝わっていくことは、その伝わり方も、何に伝わっているかもまるで違ってくる。

    それと同時に、「からだからのメッセージ」を受け取れるかどうか、ということでもある。

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  • ふれる①

    岡村さん、一週間の投稿ありがとうございます。

     

    バトンを受け取った今週担当の瀧澤です。

    引き続き、テーマは「ふれる」で一週間よろしくお願い致します。

     

     

    「ふれる」というテーマをいただいたとき、まずふっと浮かんできたこと。

    毎日色んな「もの」や「こと」にふれているんだなあ、という「感触」。

    その中には、わたしたちを生かしてくれている「もの」や「こと」にふれている感触もある。

     

    「からだ」が在るお蔭で、それを感じて意識し、気づくことができる。

    操体を学び続け、いただいている実感。

     

    操体の臨床においてもそう。

    皮膚に触れる。

    「からだ」にふれる。

    触れ方一つで、「からだ」から受け取る情報の質はまるで変わってしまう。

    「触れ方」は、触れている手に限ったものではなく、「からだの中心と重心」に関わってくる。

    今はそういうことまで学べる環境がある。

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  • 触れる⑦

    操体の臨床とは「触れる」こと。

     

    目に見えるものだけではない。

    目に見えないミッシングリンクを感じる。

     

    例えば、大気や重力の関係。

    私たちは、それから離れることはできない。

     

    食べていても。

    呼吸していても。

    動かしていても。

    考えていても、それに触れている。

     

    生きているのだから、その責任を負う。

     

    「操体」を学習し「操体法」を通し、

    様々な機会において、操体の臨床をする。

     

    その時触れるのは、自分の人生なのか、相手の人生なのか。

    それは、何か遠くの意識であり、すべては繋がってくるのだろう。

     

    故に、「操体」の臨床の際。

    何が一番大切なのか、まずは明確にする。

    本当の重心、本当の重力、本当の呼吸、自然法則に触れること。

     

     

    さて、一週間のお付き合い有難うございました。

    明日からは、瀧澤副実行委員長のブログです、お愉しみに。