投稿者: karib_sotai

  • 臨床と生活にいかす「操体法」⑤

     

    操体臨床でみているものは、症状・疾患を生みだしている火元であり、さらにその火元を生みだしている火種です。

     

    その火種とは何を指し、そもそも、なぜ火種は生まれるのでしょうか。

     

     

    アプローチ以前に、その問いにつながる目線と意識をもつことは必要です。

     

     

    例えば、歩くときや靴を履くときに踏み出す足、荷物に手を伸ばすときの手、話しているときのジェスチャーなどといった何気ない動作。

     

    また、わたしたちが指導するにあたって大切にしている「立ち」の作法。

     

    こういったうごきの中で、ゆるむところはゆるんでいるのか、のびるところはのびているのか、浮くところは浮いているのか、接するところは接しているのか。

     

    つまり、「自分」のうごきになっているのか、「からだ」のうごきになっているのか、ということも火種につながってきます。

     

     

    臨床の変化としてみているのは、いかに「自分」から「からだ」へのスイッチが入り、「からだ」のうごきになっているかどうか。

     

    それは、正当なからだの使い方にかなっているかどうか、ということでもあります。

     

    こういった変化も「息がしやすい」という感覚と同様に、「からだがききわけている快」として、「自分」にとっても「快」であると感じられてくるものです。

     

     

    臨床空間においても、生活空間においても、基準は「からだがききわけている快」であること。

     

    それが基準となれば、臨床空間と生活空間を分ける必要はなくなり、からだがききわけている健康空間として捉えられるようになってくると感じています。

     

     

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  • 臨床と生活にいかす「操体法」④

     

    鼻腔をとおして、十分に息が吸え、呼吸が循環していくこと。

     

    「息がしやすい」という感覚は、空間とからだをつなぐ呼吸からのメッセージでもあり、「からだ」にとっても、「自分」にとっても「快」であると感じられてくるもの。

     

    臨床においては、操者自身がまずそのことを感じ取れているかどうかが重要です。

     

     

    前回のブログでは一つの例として、頭の向きによっては「感じがいい」とからだにききわけられる向きがあり、その向きは「息がしやすい」向きでもある、ということを書きました。

     

    これは、臨床の場でこれからやろうとしていることがほんとうにからだの要求にかなっていることなのか、という問いに応えていく一つの姿勢でもありますし、生活の場にもつながっていることでもあります。

     

     

    こういったことは、症状・疾患だけに意識を向けていてはみえてきません。

     

    操体臨床でみているものは、症状・疾患を生みだしている火元であり、さらにその火元を生みだしている火種です。

     

     

    火種に気づいていくこと。

     

    火種が解消されていくこと。

     

    なるべく火種をつくらないこと。

     

     

    臨床空間から生活空間に戻っても、「からだ」がやってほしいことと、「自分」のやっていることが重なっているかどうか。

     

    呼吸に意識を向けてみれば、「息がしやすい」ということも一つの目安となるのです。

     

     

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  • 臨床と生活にいかす「操体法」③

    呼吸はわたしたちが生きるうえで欠かすことのできない営みだけれど、同時に環境とからだをつないでくれているメッセージでもある。

     

    そんなふうに受け取ることができるのも、「自分」の呼吸ではなく、「からだ」の呼吸に気づけるようになるからです。

     

     

    今月末に開催される春季東京操体フォーラムでは発表の機会をいただいており、「アプローチの前にできること」というテーマで準備を進めています。

     

    どうしてこのようなテーマを設けたのかといいますと、一つには臨床において常に問い続けていることがあるからです。

     

    それは、臨床の場でこれからやろうとしていることがほんとうにからだの要求にかなっていることなのか? という問いです。

     

    操体法は、被験者(患者さん)のしてほしいことや、操者(施術者)のやりたいことで臨床が成り立っているわけではないんです。

     

    操体臨床を成り立たせてくれているのは、臨床空間という環境そのものと、からだの要求にかなうこと。

     

    そして、その基準において、「息がしやすい」という感覚が大切になってきます。

     

     

    操者自身が鼻腔をとおして、十分に息が吸え、呼吸が循環していくこと。

     

    それによって被験者自身も鼻腔をとおして、十分に息が吸え、呼吸が循環していくこと。

     

     

    臨床空間という環境の中、呼吸の変化を感じとっていくことに必要なことは、特別なアプローチやテクニックではありません。

     

    環境とからだをつないでくれているメッセージとして、呼吸そのものの「性」を「からだ」の呼吸として素直に受け取ることです。

     

     

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  • 臨床と生活にいかす「操体法」②

    臨床や生活の場で、わたしたちを生かしてくれている法則性を感じとっていくこと。

     

    その姿勢は健康維持増進そのものである、と強く感じています。

     

     

    昨日は師や同志たちと学ぶ機会があり、先ほど久慈に戻ってきました。

     

    帰りのバスの中で改めて思ったことは、操体法は感覚的なことを大切にしているけれど、その感覚とは「からだ」がききわけている感覚、ということです。

     

    「自分」の感覚ではなく、「からだ」がききわけている感覚を基準にしているから、臨床や生活の場はそれぞれ違っていても、そこで感じとっていることはちゃんとつながっているし、重なっていると共感できるんです。

     

     

    これは「環境」の捉え方にもつながってくることです。

     

     

    前回のブログで、「からだがききわけている環境」という捉え方になってくると、環境がよりシンプルに感じられるようになってくるのでは、ということを書きました。

     

    それは、「からだ」がききわけている感覚が基準になると、今まで分けて考えていたことが、分けて考えなくてもよくなってくるという実感によるものでした。

     

    「からだ」がほんとうに要求していることはなんだろう?

     

    この問いを持ち続けていれば、それぞれの場においても、向き合う環境はおのずと感じられてくるし、それは自分にとっても大切なこととして受け取れるようになってくる。

     

     

    その環境とからだをつないでくれているメッセージの一つに呼吸があるのですが、続きは明日にしようと思います。

     

     

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  • 臨床と生活にいかす「操体法」①

    岡村さん

    一週間のメッセージありがとうございました。

     

    今週担当の瀧澤です。

    引き続きテーマは「臨床と生活にいかす操体法」です。

    よろしくお願い致します。

     

     

    操体法の「法」は、方法の「法」ではなく、法則の「「法」。

     

    学びの中で何度となく耳にし、最近では強くこのことを感じるようになってきました。

     

    それもあって、春のフォーラムのテーマでもある「臨床と生活にいかす操体法」は、臨床と生活にいかす方法として操体法を身につけるというより、操体法をとおして法則を感じとっていくことが、臨床や生活をいかしてくれる、と捉えるほうがしっくりくると感じています。

     

     

    法則というと少し強い語感がありますが、操体法は特殊なことをしているわけではありません。

     

    初めて耳にしたり、体感していただく方の中には、特別なことのように感じられることもあるかもしれませんが、だれだって、呼吸はするし、ごはんも食べるし、からだを動かしたり、言葉(ジェスチャーも含めて)を発したりして生きているでしょう?

     

    そのだれもが当たり前のようにやっていることを掘り下げて、健康学として実践できると伝えているのが操体です。

     

    それも、橋本敬三医師から三浦寛理事長へとつながるながれがあって、操体という学問の中で操体法は進化してきています。

     

     

    呼吸一つとっても、随分と捉え方が変わってきました。

     

    健康にいかすということで、以前は鍛錬的な要素が強かったけれど、今は感覚的な呼吸として受け取れるようになってきている。

     

    「自分」の呼吸としてではなく、「からだ」の呼吸として感じとっていけば、健康維持増進につながるメッセージとして受け取ることもできるようになってくる。

     

     

    呼吸は大事。

     

    ずっと言われつづけていることだけれど、どんなふうに大事なのか。

     

    その中身を感じとっていくことが大事だとおもうんです。

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  • 臨床と生活にいかす操体法⑦

    「想念」とは、

    生きかたに直結している、と感じています。

     

    生きかたの中で、間(マ)をいかす。

     

    ふと『今の生きがいは何だろう』と考えたり、自己の存在意義について、改めて想いを馳せ

    意識するのも、いい間(マ)です。

     

     

    例えば、自分自身に問いかけ、間(マ)を

    聴き分けてみる。

     

    何のため誰かのために必要な、自分自身で

    あるか。

     

    生きていく「今」の目標とは、自分自身に

    とって何なのか。

     

    目標があるならば、それに忠実に生きている

    自分自身であるか。

     

    「良心」から判断し、自分自身生きている

    実感を伴っているか。

     

    自分自身の人生、生かされて生きるに、

    値するものであるだろうか。

     

     

    このような問いかけに、今、答えることが

    できているか。

     

    できなかった自分自身も、充分、生きがい

    を得られているか。

     

    「からだ」に問いかけて、ききわけて、感じとってみるのです。

     

    今わからなくとも、問いかけはプロセス。

    「生命エネルギーの入出力」として充分に

    繋がっています。

     

     

    以前、東京操体フォーラムの三浦理事長は、

    こう語ってくれました。

     

    「学んでいればもう一人の自分が、きっと

     本当のことを教えてくれるだろう。

     その時こそ君は、自分らしく自由になれる」

     

     

    「操体」につながって、続けていけること。

    それこそが、プロセスの価値。

     

    それは日々の臨床にも、日々の生活にも

    生かされて生きていくのです。

     

    それでは、一週間お付き合い頂きまして

    有難うございました。

     

    明日からのバトンを、滝澤副実行委員長に

    引き継ぎます、では、お愉しみに。

     

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  • 臨床と生活にいかす操体法⑥

    今日は「想念」をわかりやすく、

    脳の働きで説明してみます。

     

    脳のホルモンで伝える「快」神経のルート。

     

    それには、三つの幸福が考えられます。

     

     

    一つは、「セロトニン」によるもの。

     

    これは、減らない幸せと言われており、

    「太陽光」を朝浴びて、「リズム感」を

    感じる動きを通して、心とからだを繋ぐ

    幸福を感じとることができるものです。

     

     

    次に「オキシトシン」によるもの。

     

    これも、減らない幸せと言われており、

    「共感」の「絆ホルモン」なのです。

     

    つまり、友情などの人間関係や環境、

    コミュニティー等の繋がりによって、

    愛という温かみを感じて幸福を受け取

    ることができます。

     

     

    そして、もう一つのものに「ドーパミン」

    があります。

     

    これは、減る幸せと言われてしまっており、

    気持ちよくとも、中毒性を浴びやすいので、

    お金や、名誉、富、地位など「欲」による

    幸福が感じられた際に、多く分泌されます。

     

     

    ここで考えてみたいのは、

    「からだ」の意識で幸福とは何かですね。

     

    「からだ」が、重く感じているのか。

    「からだ」が、軽く感じているのか。

     

    「からだ」の意識が、どこに伝わって

    繋がって変化していくのか。

     

    そして、

    その時の「呼吸」はどうなっているのか。

     

    このことは、生命エネルギーがどのように

    流れているのか。

     

    正当なからだの使い方をしているのか、

    につながってくるのですよ。

     

                    (続く)

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  • 臨床と生活にいかす操体法⑤

    生命エネルギーの入出力。

    そのバランス現象でいえば、操体で語る

    「想念」も、それは大きく、自分の健康増進

    に関与しています。

     

    操体を学んでいるとよく聞く、「言葉は運命のハンドル」。

     

    これも実践すると、周りを見て感じとることになるでしょう。

     

     

    「想念」は、普段そのヒトの言っていることが人生になのです。

     

    いつも話題にしていることは、そのヒトの人生そのものなんです。

     

     

    そのヒトが、インプットが多く、知的で素晴らしく見えていても、普段の言葉や、メッセージのアウトプットはどうなのか、ですね。

     

    そのヒトが生み、具現化した人生に、

    「言葉」を解き放つ覚悟も必要です。

     

                    (続く)

     

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  • 臨床と生活にいかす操体法④

    「力を抜いて」とよく聞きますが、力が

    抜けない方も臨床上よく見受けられます。

     

    このような力が抜けない方は、

    常に力が入っていることを自分で認識

    できていないので、

    本人の意識と「からだ」の意識にズレ

    がある状態とも言えるでしょう。

     

    臨床上、前回までにお伝えしていた呼吸、

    もしくは「からだ」の正当な使い方を

    学ぶことで改善することは多く体感します。

     

    力が必要以上に入っていないときには、

    あるルールがあります。

     

    それは「からだ」のある働きを感じて、

    その働きが、より摩擦が起こらないよう

    に感じる、その意識があるかどうかです。

     

     

    例えば、膝の裏筋が緩んでいること。

    後方に重心が乗りすぎていないこと。

     

    また、体側面にどのような意識を向けて

    いるか、にもつながってるのです。

     

    これらは、他人に代わってもらえるもの

    ではないため、自力自療の分野になりま

    すよね。

     

    他人といえば、「想念」。

    そもそも自分で治ろうとしているか。

     

    治ろうとしていない患者は時間もかか

    りやすいことが、臨床では多く見受け

    られるので、臨床は生活の表裏一体で

    すから、厄介なパターンに陥ります。

     

    「想念」に繋がる生活の自然法則は、

    バランス現象そのものなんです。

     

                  (続く)

     

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  • 臨床と生活にいかす操体法③

    吐く息(呼気)を通しながら体を動かすことは、あらゆるエクササイズ

    でも、当たり前のように指導されていますよね。

     

    これは、体一つ一つのパーツが意識しやすくなることによって行われて

    いると思うのですが、逆に、全身のつながりは意識しないと、もしくは

    訓練しないと、動きの糸をたるませた状態の部位別になってしまうよう

    な感覚になりがちです。(理解し、それを狙う訓練なら、いいんです)

     

    それを、吸う息(吸気)を通しながら「からだ」をうごかすことにする

    と「うごき」はゆっくりになりやすく、そのゆっくりとなったうごきは、

    常に、緩みすぎることなく、張りつめずのような状態でつながります。

     

    それは、「吸気」と「うごき」が、全身につながってくる固有感覚です。

     

    四肢末端から、全身のつながりを感じながら、流れるうごきをつなげる。

    そんなことが可能となってくる、ということに気がつかれるでしょう。

     

    このように「操体」の臨床と生活における生かし方とは、呼吸一つとっ

    ても、感覚をきき分けること。

     

    自分の意識というよりも、「からだ」そのものが感じているものを受け

    とり、自身の感覚としてのスイッチも入りやすくなるのです。

     

    いたいうごきや、つらいうごきが、不快なうごきなのでなく、そのもの

    の感覚を、シンプルにきき分けている、「からだ」の、もともとの働き

    によって、「快」つまり、不快が消えることは、臨床でも多く感じます。

     

    生活にこれを活かすときには、様々な工夫を覚える必要などありません。

    なぜなら「からだ」には、ある一定のルールが存在しているからです。

     

                               (続く)

     

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