投稿者: karib_sotai

  • 臨床と生活にいかす操体法・・・1

    おはようございます。

     

    実行委員リレーブログ、今週は友松の担当となります。

    どうぞ、よろしくお願いいたします。

    今回のテーマは「臨床と生活にいかす操体法」ということでリレーしております。

     

    臨床とは、病床に臨んで診療すること。

    操者(施術者)として、リンショウという言葉のヒビキには気が引き締まる感がある。

    しかし、漢字だけで見ると、床に臨むといったような穿った見方もできてしまう。

     

    臨床は新たな自分自身を生み出す場であり、生まれ変わりの場でもあると思う。

    新たな自分自身に生まれ変わり、新たな自分自身が営む生活(生命活動)もより良く変わっていく。

    臨床は臨生でもあると思う。

     

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  • 臨床と生活にいかす操体法 7

    今年度春季東京操体フォーラムのメインテーマは、今回のブログテーマにもなっている通り、「臨床と生活にいかす操体法」です。

     

    「いかす」または「いきる」ってどういうことだろうと考えていて

    思い浮かんだのは「点」と「点」だったひとつひとつの学んでいたことが、「線」によってつながる、そんなイメージです。

     

    こどもの頃に鉛筆でつないだことのある「点つなぎ」。

    順番につないでいくと、気が付いたら一つの像として浮かび上がってくる不思議さ、面白さがありました。

     

    以前、学習している時に気付けなかったことが、実技を通してからだで体験しているときに、急に「あぁ、このことだったのかも」と気付きのきっかけをもらえることなど、繰り返し繰り返しの経験の中で少しずつ味わえることがあると思います。

     

    臨床についてのあれこれとして学んでいたことが、日々の生活のなかでもふとした瞬間につながりをもって感じられることがあれば、それも点と点が線になってつながった瞬間といえると思います。

     

    点が線として感じられることとまた違った感覚で、学んでいることが「重なる・重なっている」のを感じることがあります。

     

    特に、操体はこの学んでいることが重なっていくことを感じられる、からだを介した学問だと思います。

     

    春季フォーラムでもこの点と点が線としてひとつのつながりを持って感じられることや、以前学習したことが、からだを介して感覚を通じて重なるような、そんなきっかけとなる空間となればと思っています。

     

    自分のなかで忘れていた「点」に

    灯って、宿って、繋がって、拡がって、重なって、

    またその先にいかせる学びの場になればと思います。

     

    一週間のお付き合いありがとうございました。

    明日から友松実行委員のブログがはじまります。

    どうぞ、おたのしみに。

     

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  • 臨床と生活にいかす操体法

    手でふれて確認する。

    足の裏でふれて確認する。

     

    ここ数日ブログで綴ってきた習慣のように、

    手や足の裏からの情報に意識が向くような生活を過ごしていると

    自ずと「感じる」機会をもつようになります。

     

    普段、何も考えず作業することもあれば、

    アタマを使って意識的に作業することもありますが、

    手や足の裏の感覚を介して作業をすると、

    感じながら作業をする機会がうまれます。

     

    昔ながらの手仕事の領域では、

    この「感じながら」の作業が豊富に含まれていたのではないかと思いますが、

    実際やっていると、そういう時は普段感じられない間(ま)がそこにうまれているような気がします。

     

    操体の臨床も「間(ま)」を大事にしていますが、

    生活のなかでも、ちょっとした日常習慣をきっかけに間を感じることはできます。

     

    その人なりの感じながらする作業がみつかれば、それも見方をかえれば「セルフケア」のような時間と空間になっていくかもしれないと感じています。

     

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  • 臨床と生活にいかす操体法 5

    昨日は「手」を使う「接触」の習慣について書きましたが、

    同様に「足」で接触することについても興味深く感じています。

     

    直立二足歩行の人間は立つ、歩く、座る、立ち上がるなど、生活の基本動作のなかで、足の裏を地面に着けて生活しています。

    そのなかで、「足の裏で触れている」という感覚意識をもつことは意外と多くはないのではないでしょうか。

     

    私は家の中では靴下を脱いで素足で生活しているのですが、素足でいると足の裏で触れている感覚が味わえてとても面白いです。

     

    例えば、台所の空間に入ると、床に落ちているチリやほこり、ゴミなど大小さまざまなものに触れているのを感じます。そんな風に足の裏から情報が入ると、パッと見綺麗に見えても、ほうきでさっさと掃いてみると、チリが結構集まります。

     

    これを一日に何度かすることがあるのですが、毎回同様の量が集まるのが本当に不思議です。

    ヒトが生活して動いているから、空間の様々なものもうごいているんだなと感じます。

     

    足の裏から感じる世界。

    これも、目でみてもなかなかキャッチできない、接触ならではの情報だと感じています。

     

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  • 臨床と生活にいかす操体法 4

    昨日「接触」についてのことを書きましたが、私自身も身の回りを見渡してみれば「接触」の機会を失っているように感じています。

     

    こどもの頃は、あそびのなかで何にも考えず色々なものに触れてみていました。

    全身でそういった経験を味わっていたように思います。

     

    そんな感覚世界に比べれば、あぁだいぶ触れることから離れているなぁと感じるのです。

    そんななか仲間のライフスタイルを参考に、生活のなかに取り入れるようにしているのは、道具を使わず、手を使って掃除をすることです。

     

    台所の流しや洗面台など、スポンジを使わずに手で触れながら掃除していると色々発見があります。

     

    目で見て「綺麗かな」と感じた場所でも、

    触れてみると、結構ざらついた感じが残っているのがわかったり、手で磨いていると僅かな汚れが頭で考えなくても伝わってくる感じがあることです。

    これは、頭を使わなくてもできるぞと思い、試しています。

     

    手で見て、磨き終わった後は、視覚よりも触覚が生き生きとしているのが感じられるようで、それがとても感じがいいのです。

     

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  • 臨床と生活にいかす操体法 3

    生命活動は「接触」を伴う現象に溢れているように感じます。

     

    対して、人間の営みは刺激的なものの割合が増えてきて、

    気が付いたら生活の多くを占めるようになってきたようにも思います。

     

    操体を学んでいると、度々この「接触」と「刺激」という捉え方について考えることに帰ってきます。

     

    からだに触れていると、「呼吸」という動きそのものが、非常にダイナミックなからだのうごきとして伝わってきます。

    普段意識していないだけで、からだの営みは様々な表現によって成り立っているのを感じ、目では捉えることのできないうごきの世界があることに驚きます。

     

    目にみえる動きや、目にはみえないうごき。

    そういった「動き(うごき)」をからだを介してを学んできたのが操体です。

     

    生命活動も日常生活も、こころとからだの動きが重なって成り立っています。

    この動きについて学習することは、そのまま臨床と生活にもいきてきます。

     

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  • 臨床と生活にいかす操体法 2

    操体を通して学ぶことは、臨床と生活、そのどちらにもいきてきます。

     

    自分自身も操体を学びながら気が付かないうちに、その恩恵を受け取ってきたことを、改めて感じています。

     

    臨床に必要なことを学んでいると、それが自然と自分自身にもかえってくる。

    また、自分自身のことを学んでいることが、臨床にも影響しているのを実感してくる。

     

    からだとこころを介して、学んでいることが循環していること、またそれを感じられることが、操体の面白いところです。

     

    生活と臨床の循環がつながり、

    それが空間を介しても伝わっていくように感じられます。

     

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  • 臨床と生活にいかす操体法

    瀧澤さん、一週間ありがとうございました。

    本日から直近に開催される春季フォーラムのテーマ「臨床と生活にいかす操体法」を引き継いで寺本が担当します。

    どうぞ、よろしくお願い致します。

     

    これは10数年前の私自身の話になりますが、当時は慢性的な片頭痛がひどかったり、

    肩こりが気になったり、つねにからだがだるかったりと、日常生活のなかで不調を感じることが多くありました。

     

    それで、間に合わなくなってくると、足裏マッサージやタイ古式マッサージ、また仲間うちで評判のいい手技療法を受けに行ったりして、助けてもらって、なんとかバランスを取り戻すというのを繰り返していました。

     

    その時の私は、自分自身ではどうすることもできない気持ちを抱えながら日々を送っていたことを思い出しました。操体の門を叩いたのも、そのことがずっと気になっていて、わたしにできることは何かないのか、ということが大きな動機となっていました。

     

    学んでいくうちに、この疑問点に応えてもらっているような感覚を味わいました。

    他人にからだを施術してもらう「臨床」と、私の普段の日常生活が、分断されたものではないことが感じられたのです。

     

    瀧澤さんのブログでも触れられていましたが、操体法の法は「法則」。

    臨床と生活に貫通しているものを、たしかに学んでいるんだと感じられた瞬間でした。

     

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  • 臨床と生活にいかす「操体法」⑦

     

    臨床の場ではいつも、その人の人生に関わらせていただいていると感じています。

     

    からだのご縁をいただいて、操者と被験者、それぞれの人生が交差しているその交差点で、からだがききわけている「快」を共有していく。

     

    実際にやってみてどんなふうに感じられるのか、続けてみてどんなふうに感じられるようになっていくのか。

     

    「自分」が基準では感じられないことも、「からだ」が基準になると感じられるようになってくることがある。

     

    それぞれの生活の場であっても、それは一緒です。

     

     

    初日に、だれだって呼吸はするし、ごはんも食べるし、からだを動かしたり、言葉(ジェスチャーも含めて)を発したりして生きているでしょう? と書きました。

     

    環境の捉え方をシンプルにして「からだ」を基準にしていけば、おのずと、これらの営みも「自分」の営みから「からだ」の営みになっていく。

     

    操体法をとおしてそのようなことを伝えられるのも、臨床の場で交差しているのはお互いの人生だけではないからです。

     

     

    操体臨床で交差しているもう一つの線、それは、「生命」の自覚につながる縦軸の線です。

     

    生活の場に戻っても、この縦軸の線とつながっていけば、そこは「からだがききわけている」空間となって、「自分」の意識と「からだ」の意識は重なっていけるようになる。

     

    「自分」と「からだ」の違いに気づくことからはじまり、「からだ」と「自分」のいい関係で続いていく健康維持増進が具現化していく。

     

     

    こういったことを日々、からだからのメッセージとしていただいていると、方法としての操体法ではなく、法則を感じとっていく操体法、と捉えるほうがしっくりくると感じられてくるのです。

     

     

    一週間お付き合いいただき、ありがとうございました。

     

    春のフォーラムでも、縦軸が交差する空間でお会いできますように。

     

     

    バトンは寺本さんに引き継がれますのでよろしくお願い致します。

     

    明日からもどうぞお愉しみに。

     

     

     

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  • 臨床と生活にいかす「操体法」⑥

     

    臨床空間と生活空間を分けずに、からだがききわけている健康空間として捉えてみること。

     

     

    法則性によって表現されている「からだ」の呼吸やうごきをとおして、その「リズム」や「間」を感じ、「からだ」と「快」を共有していくこと。

     

     

    「自分」の生活意識の中に、もともとあった「生命」としての意識が芽生えたら、立ち上がってくるまで育んでいくこと。

     

     

    「生かされている」という実感が生まれたら、発する「ことば」の変化を感じてみること。

     

     

    発する「ことば」の中に「感謝」の念を感じたら、何に対しての感謝なのか、想いを馳せてみること。

     

     

    空間や「からだ」に親しみを感じるようになったら、そこから届けられるメッセージを素直に受け取ってみること。

     

     

    ちょっとずつでも自分ごととして健康維持増進をつかんでいくこと。

     

     

    操体をとおして感じられることが未来につながるライフストーリーの中にいきてくる。

     

    そのきっかけになれたら幸いです。

     

     

     

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