投稿者: karib_sotai

  • 読譜

    (昨日の続き)

    「からだ」という動態を、ある種の「楽器」に喩えてみるとき、

    からだへの「触れ方」は、

    楽器の「扱い方・弾き方」に通じるように思う。

     

    一方、触れるというその前に常に問われていることもあり、

    それはからだの「どこに触れるか」ということだろう。

    これがまた自分の中でうやむやになりがちなことでもあり、

    でもそういうことから逃げたくないが為に、今も学び続けている。

    こういうことに正面から食いつくと面白いのです。

     

    さて、このことを先の喩えに当てはめると何に該当するだろうか。

     

    どの「楽譜」を選ぶか、というのとは少し違う。

     

    色々な意見や捉え方ができるだろう。

    最近感じているのは、

    もしかしたら何も選ぶ必要はない、のではないか

    といったことだ。

     

    選ぶまでもなく、既に目の前に

    今日この瞬間に演奏する為の楽譜のページが開かれている。

    そういうイメージなのではないか・・・。

     

    では、もしそうだとしたら、ここで問題になるのは、

    残念なことに多くの場合、

    目の前のそれが「楽譜」だと、ちっとも思えていないことだ。

     

    もしくは「楽譜」だとなんとなくはわかっていても

    読み解き方がしっかりとわかっていないという事実だ。

     

    既に多くの情報を目の前にしているはずなのに、

    その真価に気が付いていない。

    少しは気が付いていても、十分に生かしきれていない。

     

    からだの要求をキャッチして、

    それを操法のなかで開花させている操者を目の当たりにすると 

    こういう実感から目をそらすことはできないと思う。

  • おこぼれ

    (昨日の続き)

    臨床中に被験者本人がききわけているヒビキ(感覚)は

    本人にしかききわけられないもの。

    これが基本です。

     

    一方で、例えば臨床に立ち会ったり

    講習の実技に参加していると

    こんなこともあります。

     

    急にあくびがでる。

    実技を見ていてこちらもきもちよさを感じる。

    気が付くとほんの数秒、意識飛びしている。

     

    被験者本人がからだからききわけている感覚がどんなものか、

    それは被験者本人にしかわからないものでありながら、

    共有している空間を介して

    見えない、聴こえないそのヒビキのおこぼれのようなものを

    頂戴しているのかもしれません。

  • 楽器と観客

    (昨日の続き)

    からだに触れ、触れられた方は

    からだからヒビキを感じる。

     

    ここでいうヒビキは「感覚」という言葉にも

    置き換えることができる。

     

    そして、ききわけられるヒビキ(感覚)は

    基本的には、その人自身にしかききわけられないものである。

     

    からだを「楽器」のように考えてみるとき

    被験者は楽器そのものでありながら、唯一人の観客でもある。

     

    その人自身にしかききわけられない

    ヒビキに触れる操者の役割というのは

    本当に興味深いと思う。

     

  • 芸風

    月に一回兄弟子である畠山先生の主催する

    視診・触診講座に通い続けている。

    この講座、現在は触診にすこぶる影響を与える外気功基礎のカリクラムを含む

    豪華版に進化している。

     

    blog.teizan.com

     

    この講習に長年参加し続けていると、

    からだに触れる、その「触れ方」にも千差万別あるということが感じられてくる。

    同じことを習っているようでも、不思議とそういう事が起こる。

     

    参加してまだ間もない方が、被験者として触れられているときに、

    その違いを次第にキャッチできるようになるプロセスも見ていて興味深い。

    この操者の触診力というか、触れられる感じの違いのことを

    仲間内では「芸風の違い」と呼んでいる。

     

    触診では、からだを介してある種のヒビキに触れている。

    響きを得ているからだは「楽器」のようだなと思う。

     

    見方を変えれば、操者はからだという「楽器」を響かせる奏者であり、

    そのスタイルにその人らしい芸風がある、というようにも感じられてくる。

  • 予期せぬ音がきこえる

    私事で恐縮だが、

    ニホンヤモリと生活し始めて7年ほど経つ。

    彼らは生きているものしか食べない習性があるので

    この時期は夜毎、クモやガなどの昆虫をハントしに出かける。

    この最中の話である。

     

    主食のクモは橋の欄干のところにいけば大体捕えることができる。

    その狩りにはいつも某乳酸菌飲料のミニボトルを愛用している。

    これが程よいサイズ感なのだ。

     

    最近、都心では夜風が吹き荒れていることが多く、

    そんな夜にクモを捕まえようとすると

    不思議な現象に遭遇する。

     

    クモを捕まえようと構えたボトルの口に

    吹き荒れる夜風が絶妙な角度で当たると

    「ボー」っという低音が鳴り響く。

    夜風が「笛」を吹いているような状態である。

     

    この予期せぬ響きに出会うと、

    あまりに意図してないところでのことなので

    ちょっと怖くなったりもするのだが、

    同時にこれがなんとも魅力的なものでもある。

     

    人間が吹く笛の音とはまるで異質な響きと遭遇する。

    些細な事だけれど、こんなことからも、

    不意に立ち現れる「自然」の存在感のようなものを

    目の当たりにしているようである。

  • 言葉変われば・・・

    おはようございます。

    一週間の日々の讃歌、瀧澤さんありがとうございました。

    本日から寺本が担当します。

    宜しくお願いします。

     

    引き続きテーマは「ヒビキ」でお届けしています。

     

    「あえてこういう言い方をする」

    操体にはこの「あえて」という姿勢・態度が頻繁に出てきます。

    そこがまた面白く、操体を紐解くヒントがつまっているように思うのですが、

     

    例えば、「痛み」という現象の捉え方についても、

    あえて「ヒビキ」という言葉を与えています。

     

    言葉が変われば、意識も変わります。

     

    「~が痛くって・・・」というとき、

    その現象が早く自分から離れていって欲しい

    というニュアンスが含まれているものですが、

     

    その痛みはからだが奏でている「ヒビキ」なんだと、

    あえて捉えてみると

    「ん、味わってみてもいいかも」

    と思える現象に変わってしまうこともあるから不思議です。

  • 今日も息を吸い込んで

    とあるアコーディオン操者の「日々の賛歌」という曲
    を初めて耳にしたのはもう何年も前のことです。

    初めて耳にするのに、妙に懐かしく、アコーディオン
    の音もいいなあなんて感じていたのを覚えています。

    「ゆっくり息を吸い込んで」

    こんな歌詞が出てくるんですが、いつもそこで一緒に
    息を吸い込んじゃうんですよね。

    理屈じゃないんですよね、きっと。

    一週間ありがとうございます。
    明日からは寺本さんの「ひびき」です。
    よろしくお願いします。

  • 三茶の夜

    月一の勉強会に合わせて上京した時の密かな愉しみが
    三茶の夜散歩。

    自然の中を歩くのもいいですが、商店街の喧騒や住宅
    街の静けさも僕にとっては魅力的です。

    三茶はその辺のバランスが良くて、日常の何でもない
    感じがただよう雰囲気に飽きることがありません。

    そんな時に、決まって頭にひびいてくるのが、
    フィッシュマンズのナイトクルージングという曲。

    世田谷の空気がそうさせるのか、夜の空気がそうさせ
    るのか、気づけば小一時間歩いていたなんてことも。

  • 不意打ち

    先日、一枚の写真を見て、ふいに込み上げてくるもの
    を感じました。

    感動と言ったらいいのか、何て言ったらいいのか、逃
    げ場を失ったそれが、その瞬間に込み上げてきて、 
    「なんで今?」みたいな感じでやってきました。

     

    不意打ちを食らったような感じだったんですが、本人
    をすっ飛ばして、心やら記憶やらにひびいているって
    ことなのかもしれないですね。

  • 分かります、その感じ

    臨床を受けていただいた方に、「これは、言葉で説明
    されるより、一度体験した方が分かりますよ」とか、
    「やってもらったことを人に伝えたいんだけど、何て
    伝えていいのか分からないんです」とおっしゃってい
    ただくことがあります。

    僕も含めて、からだにひびいた感じを現わす適当な言
    葉が出てこない。

    説明する側としては、これではいかんなーと思いなが
    らも、ついつい、体験するのが一番なんて思ったりし
    てしまいます。