投稿者: karib_sotai

  • 操体を初心者に説明する③ 「からだの声をきく」

     からだの感覚に意識を向けるというのは、英語ではアウェアネス(awareness)と言うが、他にも 「自覚する、知覚する、気づく」 という意味もある。 操体ではまた 「からだの声をきく」 という言い方もするが、これは精神と肉体が一つになったそのからだの声こそが、まさに自分自身であると捉えているのである。

     

     肉体は私という精神の現れでもあり、また精神も肉体に直接反映している。 このように操体では、「からだ」 という言葉を用いることで、精神と肉体を一つにした全面を強調するものである。 我々が夜空の満月を見上げるとき、からだはともに在り、心地よい潮風を感じるときにもからだは一緒にいる。 そして、何かに感動したときは、からだも同じように感動している。

     

     からだの感覚をききわける操体では、からだの声に耳を澄まして傾けてみることをする。 すると、どうだろう? からだのどの部位に意識が上って感じているのか、その症状は何と言っているのか。 このように自分の内面に意識を向けて感じることが、すなわち自覚することであり、からだの声をきくという意味になる。

     

     また操体においては、疾患を身体器官の機能の不調和であると捉えている。 そして、その部分に強く調和したリズムが共鳴すれば、その波長に影響されて身体器官が再び同調して機能し始めるという理論の立場をとっている。 操体ではこの理論を、からだの快適感覚が効果を発揮する理由であると仮定している。

  • 操体を初心者に説明する② 「からだの感覚」

     特に初心者が操体を学ぶ場合、 いきなり 「操体法」 ではなく、 「操体」 とは何か、を最初に知ることが求められる。 操体の理論は 「快適感覚につきる」 ということを論理的に知ることは勿論、さらにそれを、身をもって体験し、理解する必要がある。 それには 「からだの感覚」 というものに焦点をあてることが重要なポイントになる。

     

     ここで 「からだ」 と表記する操体における言葉の表示には、ひとつの決まりごとがある。 それは 「肉体と精神」 や 「身体と心」 というように、「肉体」 あるいは 「身体」 と 「精神」 あるいは 「心」 の二つに分けることを操体では基本的にしない。 

     

     我々の体で、生命全体の動きを司る側面を 「身体」 といい、思考をつかさどる側面を 「心」 と表現している。 そして、その両方を媒体しているのが 「呼吸」 であり、生命に含まれる一つのものが 「からだ」 である。 つまり、肉体と精神を一つのものとして捉えたものを、操体においては 「からだ」 とひらがなで表記しているのである。 

     

     そして次に 「感覚」、それは肉体と精神を一つにした 「からだ」 の 「感覚」 のことを言っている。 この感覚というのは肉体だけで、また精神だけで考えることでもなく、肉体と精神を一つにして感じることに意識を向けることなのである。 要するに考えることではなく感じること、それが操体でいう 「からだの感覚をききわける」 ということだ。

     

     

     

     

  • 操体を初心者に説明する➀ 「操体を説明するということは」

     今回のタイトルは 「操体を初心者に説明する」 です。 1週間にわたってお届けします。

     

     人に何かを説明するというのは意外と気を使うものである。 なぜなら、物事を正確に伝えることができたのかどうかということが重要であるからだ。 我々が何かの説明を受けた場合、大抵は誤解することになってしまう。 誤解することなく理解しているという人は僅か1%にすぎない。 それは実に95%以上の人が誤解している。 そして残り数%の人は誤解も理解もしない、ただ正直に 「解らない人」 である。 

     

     しかし、誤解するくらいなら何も理解していない方が断然、良いに決まっている。 この正直に解らない人こそが真に理解する可能性をもっている。 そして誤解している人というのは、永遠に理解することはないということを記しておきたい。 操体の臨床家が 「操体について」 の説明をすると、大概は誤解されてしまう。 まして初心者ならなおさらのことである。 

     

     「~について」 説明するというのは、その臨床家自身が本当に操体を理解していないからだと言える。 もし、真に理解していたなら 「操体について」 の説明をしたりしない。 操体を理解している臨床家なら 「操体について」 ではなく、「操体を」 すなわち操体そのものを説明するだろう。 

     

     もし、操体の臨床家が 「操体について」 説明するとしたら、それは操体を理解していない証拠だ! つまり、「~について」 ではなく、「~を」 説明するということがその大きな違いだ。 このように説明する側の問題を解消すれば、誤解する率は半減するだろう。 このことを心にとめて操体を他の誰かに説明しようと思えば、まず臨床家自身、操体を理解していることが必須条件になる。

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  • 体操ではなく操体だもの⑦

    今日が最終日となります、よろしくお願いします。

     

    「橋本敬三師は、こんなことも語っていますよ。

     

    『人間は誰が作ったのかわからない。

     神様、仏様なのか知らなくとも作られたものだ。

     すると、ちゃんと法則があって作られた。

     その法則知らないから、みんな生きていくのにケガをする。

     

     だから、気持ちのいい方に動かすことが「操体法」だと思ってる

     かもしれないけど、そうではなくて、わけがあるってこと』

     

     なんというか、この、わけがあるってこと、ワタシは感じ入って

     しまったんです。

     おおらかで、包まれているような生命観っていう感じですよね。

     これは間違いなく一生勉強できる宝物なんだなぁ、と。

     

     いまだ頂には届かなくとも、一つの真実は腑に落ちているんです。

     

     焦っても、あがいても、もがいても、また繰り返すようなことは、

     わかってしまえば結局、味わう意味のないことも多いんです。

      

     積み重ねていくこと、シンプルな真実を伝えるのが操体法ですね」

     

    と、まぁこんな感じでしょうか。

     にんげんだもの。わからなければ失敗して当たり前。

    失敗すること自体は悪いわけじゃないですよね。

     

    それにしても、操体ってシンプルです。

     

    操体法は、操体あってのもの。 

    そんなとき、ご縁を通じて巡りあうもの。

     

    問いかけて、進み続ける道を決める。

    やるべきことは、するべきことなんだと、気づいていく道を行く。

     

    それでは一週間のお付き合い、有難うございました。

     

    明日からは、関西から真実を語りかける、日下実行委員の登場です。

    お愉しみに。

     

     

     

     

     

     

     

                          続く

  • 体操ではなく操体だもの⑥

    続きです。

     

    「実際は、受けるだけでなく、学ぶんですよ。

     感じているのは生命で、『からだ』はその為にあるのですから。

     

     それを『ききわけていく』のです。普段の仕事や日々の生活で、

     忙殺されている時は、『からだ』にききわけていないんですよ。

     

     そこで、アドバイスを一つ。 

     聞いたことと、理解することは違いますよね。同様に、知ってい

     ることと、腑に落ちたことは違います。 

     

     あなたの『からだ』に『ききわけた』全ては、循環ですから、巡

     り廻って、くぐりぬけて腑に落ちるのに、時間がかかります。

     

     私が操体の臨床を、とても魅力的に感じることの一つとは、その

     ききわけた『感覚』を、共有して受け取ることもできるからです。

     ええ、何も返しませんよ、きいて、ただうなずくだけなんです。

     

     私もあなたも、誰でも、人は失敗するもの。

     失敗は、普段の生活で生じてしまった、病態や症状みたいなもの。

     人は失敗すると、すぐに取り返そうとします。

     必死でそれを拭い去ろうとして、あわててしまうものです。

     

     早く、はやく、結果だけを急いで求めてしまいがちですよね。

     それでは拭えず、また同様の失敗を繰り返しているんですよ。

     

     操体は、人を空っぽにしてくれるんです。

     その語源から『からだ』ができているようにね。

     

     そうしてあがいているうちに、その経過も必要だったんだと、

     『からだにききわけて』あなた自身が気づくときはあります。

     結局、そういうことなんですね。と」

     

     と、まぁ、こんな感じですかね。

     厳しくも優しく暖かな真実を、橋本敬三師も残されています。

     

     ―生きる責任を知れ―

     

     

                         続く

  • 体操ではなく操体だもの⑤

    つづきです。

     

    「すべての、モノゴトには繋がりがあります。

     そのなりも、それなりも、やはりプロセスはあるのです。

     

     ですから、橋本敬三師はこんなことを語っています。

     

     『物事には、全(すべ)て、

      天然自然の法則が貫通している。

       知らぬと間違う、勉強すること』

      

     ですから、私も一生勉強していくことが愉しいように、

     また、想で在り続けたいために、師匠のもと学問を通すのです」

     

    と、まぁこんな感じでしょうか。

     

    このような語りに、本音で反応を感じとり、共鳴していただく。

     

    ワタシもアナタも互いに「からだ」を通して語り、感じてみる。

    前も後も、たった今の、「いのち」満ちたる所以の妙身を味わう。

     

     

                            続く

  • 体操ではなく操体だもの④

    では、続きと参ります。

     

    「操体法って、ホント素晴らしいんですよ。

     なにが素晴らしいのかといえば、自力自療って言葉が

     ありまして、自分一人でも、できるんですよね。

     勿論、私みたいな、誰かに手伝って頂いてもできます。

     

      重要なポイントとしては「からだ」にききわけること。

     

     この感覚は、頭で考えるのではなくしつこいようですが、

     「からだにききわけて」いること、これが「操体」です」

     

    と、まぁこんな感じでしょうか。

    すると、勘のいい方は「からだ」って私じゃないんですか?

    こんなことを尋ねてくれたりします。

     

    もうこうなったら、実際に「からだ」と「あなた」と識別

    して頂く、つまり「操体法」を通してみるしかありません。

    さぁ、どうなさいますか。

                           続く

  • 体操ではなく操体だもの③

    更に続きとしてはこんな感じでしょうか。

     

    「今、お伝えした、あなた自身の生活環境の場で、いったい

     どうやって「からだ」そのものを使っているのかですよね。

     

     安心してください、私を含めてパーフェクトなんて取れません。

     誰だって、この社会の場で生きていれば、何かしらその使い方

     に無理を生じてしまうこともありますよ。

     

     ですから操体法では、何かしらの歪みを生じている「からだ」

     を、よく「からだにききわけて」気持ちのいい方向性に導き、

     先ほどお伝えした『動』の法則性に、できるかぎり則(のっと)

     った「感覚」を味わうことで操法とし、歪みを正す方法です。

     

     おおよそ、これを「操体法」と一般的に呼んでいるのですね」

     

    と、まぁこんな感じでしょうか。

    すると、面白いことにわかったような分からないような、妙な顔

    をこちらに向けてくれることが多いんですけれども、最高ですね。

     

                               続く

  • 体操ではなく操体だもの②

    前回の続きとしては、こんな感じでしょう。

     

    「生活の場には、あなたしか関与できないことがあるんですね。

     

     『息』は、”からだ”に通す、呼吸に関わること。

     

     『食』は、”からだ”に通す、飲食物に関わること。

     

     『動』は、”からだ”に通す、使い方・動かし方に関わること。

     

     『想』は、”からだ”に通す、言葉と心の使い方に関わること。

     

      そしてもう一つは、私達の生活の場で『環境』となっている、

     『息・食・動・想』という四つの「からだ」を通じた、自分。

     

     今挙げた貴方自身の「からだ」を取り扱う法則に関わること。

     これになる、というわけなんですヨ」

     

    と、まぁこんな感じでしょうか。

    このあたりになってくると面白いことに、自分ではみえない「顔」

    という素直で木訥な部位に、アリアリと本人の成績表が現れます。

                   

                               続く

     

     

  • 体操ではなく、操体だもの①

    おはようございます。

    今日からブログ担当する茅ヶ崎在住、岡村イクオです。

     

    一週間テーマは「あなたに操体を説明したら」になります、

    どうぞ、よろしくお願いします。

     

    さて、一般的にいう、「操体」ってなんですか?

    これは来院者にもよく質問されるので、

    一般的なスタイルから徐々にマニアックへとなる予定として、

    どういうものか説明してみますネ。

     

    「そもそも私達の健康状態とは、

     生き方や生活そのものの継続的な結果なので、

     まず、生活の間違いから起こる「からだの歪み」を正して、

     健康の”元(もと)”を調整して移行とする考えかたは、

     大変重要となってくるのですよ」

     

    と、まぁ始めに語りかけてみることでしょう。

     

    これでほとんどの方が、ギョッとしますね。

    なぜならば「からだ」は、当の本人の頭に 『思い当たるフシ』を

    なにかしら、感じさせるような問いかけになっているからです。

     

                         続く