そこには、18才~60才の老若男女達が居て、毎夜が異文化交流会でとても楽しかった。人生で一番面白く充実した学生時代だった。講師陣も個性が強く、今では望んでも得られない懐の深さと多様性が在った。
昭和鍼灸の残り香が漂っていた。
そこでの様々な情報交換の中で、「操体法を学ぶなら、三浦先生のところで」という線が浮び上がって来た。
理学療法学科に入学し、勉強を始めると、色々と疑問が浮んで来た。
2年生の時の夏に、評価実習というものがあり、実習先の病院で最初の「操体法」との出逢いがあった。
実習生の私を担当して下さったスーパーバイザーのU先生の粋な計らいで、リハドクターD先生とお話をさせて頂ける時間を設けて下さった。(D先生は、西洋医学のみならず、東洋医学や民間療法にも造詣の深い方であった。)
そこで私は、日頃の疑問をこの先生にぶつけ、また、東洋医学についても話が及んで盛り上がった。1時間余の話しの終りに、先生は机の引き出しから3冊の本を取り出された。当時、農文協から出版されたばかりの操体法3部作だった。(私は、既にその本を読んでいた。)
「君は、これを知っているか?」
「はい、知っています。」
「ほう、知っていたか。それで、どう思う?」
「大変素晴らしい治療法だと思います。」
「そうか、君は将来必ずこれを勉強しなさい。それと、鍼灸学校に行きなさい。」
「はい、わかりました。」
一週間、自身の操体の歴史を辿ってきましたが、最近学びの中で感じていることは
操体の学びは臨床学だけではなく、「人生学」にも繋がっているということです。
10年以上の学びは常に「わからないこと」と向き合う日々でしたが、わからないことをわかるようにしてきたことは自分の人生に足りなかったものと繋がっているのだと思います。
そして、それ以上に大切なことはわかった先にあるものとの繋がりです。
割とわかったことはわかったつもりになり、そのままにしてしまいがちですが、後に振り返ってみるとわかっていなかったと感じることが多いです。
そういったことは自分の人生でも同じことが言えます。
無意識に同じ失敗を繰り返していたりするのも、「~したつもり」でいる自分がいるからだと思います。
操体に限らず、学問にしていくということは、この「つもり」にならず、何度も見直し、振り返り、わからないことを編集していくことであり、それは誰にでも共通した人生学なのだと近頃は感じています。
一週間ありがとございました。
来週からは半蔵さんの登場です。
私の操体の歴史を辿っていく中で自身を変えてくれた3人の先生がいます。
その先生達は操体の学びを豊かにする様々な情報を提供してくれましたが、それ以上に操体との向き合い方を示してくださいました。
一人の先生は私に学びの愉しさを、もう一人の先生は操体の奥深さを、そして短い間しか学びの場を共に出来ませんでしたが、もう一人の先生はこれからの私の学びの方向性を示してくださっていたように思います。
振り返ると3人の先生と出会う前までは自分の学びに自信が持てず、臨床もどこか迷いながらしていたような気がしますが、現在はその時に生まれる自分の発想やアイデアを自信を持って体現出来るようになってきました。
そういう自分自身になれたのも師から与えられたものの活かし方を3人の先生達から学べたからだと思っています。
学びにおける師以上に大切な存在はありませんが、先生と呼べる存在を持つことも非常に重要なことです。
そういった点において私は最高に恵まれた環境に身を置き学べていることが私の操体の歴史の中で一番の幸運なことだったように思います。
毎日同じことのサイクルを嫌い「日々冒険をするような人生」にしたいという願望を昔から持っていました。
社会人になってからは色々な人達と出会い、刺激を受けながら成長していけるような職場を求め販売の仕事をしてきましたが、そんな私だからこそ操体の学びの場は自分の生き方に合っていたのかもしれません。
師も今回のブログで書かれていましたが、日々独りで臨床に追われている生活では私自身も10年以上この世界に身を置き続けていられなかったように思います。
様々な人や物事との繋がりを広げられるのも操体の魅力の一つであり、特に「同志」の存在なくして私の操体の歩みはなかったように感じます。
学びの中で切磋琢磨していける同志は私に新たな問いかけを与え、常に自分をそこに留まらせず、先に進ませてくれる存在でした。
こういった同志との信頼関係を築いていったことも私の操体史を語る中でとても重要なことでした。
これはどんなことにも繋がっていくことで、人独りで物事を深めていくには限度があるように思います。
自身の感覚と向き合う中で当初どうしても理解出来なかったことがあります。
それは「からだに聞き分ける」ことです。
からだが要求していることと自分の要求との識別し、理解していくことが私自身の操体を学び続けていくことにおいて重要なことでした。
現在になって振り返ると、これは自分のからだとの信頼関係を築いていかなければ一生かかっても理解できなかったことだと思います。
操体を学ぶ前までは意識を向けなかった些細なからだの変化にも意識を向け、日々の中でからだとの対話を繰り返すことで見えてくるのが感覚の世界です。
そういった言葉にしにくい世界観に身を置き、それを言語化、体現していくことの面白さが3~4年経ちようやく見えてきました。
こういったことが理解出来てくると、それまで分からなかったものが不思議と理解出来るようになったり、出来なかったことがいきなり出来るようになったりしたのです。
何事にも言えることですが、継続していくことが何よりも大切なのですね。
大きな決意と覚悟を持ち、操体の学びの門を叩いたものの、いったい何から身につければ良いのかわからず自分の学びの方向性を手探りで探す日々が続いていました。
そんな私に師はまず
・からだの歪みを正していくこと
・身の周りの人や物に意識を行き届かせること
・自分のやれることは何でもやること
こういったことを学びの場を中心に実践していくことを言い渡してくれました。
現在になって振り返ると、このような師が示してくれたことは私が操体の臨床家として生きていくために必要な基盤となるものであり、技術やテクニックの習得以上に大切なことだったと思います。
また師をはじめとした実行委員の方達も操体のことだけでなく、それに繋がっている様々な情報を教えてくれたことによって自身に何が必要なのかがはっきりしました。
まずは「感覚、感性を磨いていく」こと。
それが今後の自分の学びにおける大きな武器となるもので、そして最も信頼関係を築いていかなければならないものでした。
学び初めた最初の1,2年の自身の感覚と向き合う日々が続いたのです。
「自分のやりたいことをしなさい」という父の言葉から私は感じるがままに自分のやりたいことをしてきました。
自分の尊敬していた人達に囲まれながら好きなものを売る仕事に身を置き、それなりに自分の生き方に満足する生活の中で心の奥底では自分のやっていることに様々な疑問を持っていました。
「これが本当に自分がやりたかったことなのか?」
「このままでは父の背中がどんどん遠くなっていくのではないか?」
「これが父の言っていた自分に素直な生き方なのか?」
そういった問いかけを日々繰り返している中で、ある日、橋本敬三先生の著書が私の生き方を大きく変えたように思います。
その著書で書かれていたことは自分が父から言われてきたことだけでなく、自分が憧れた父の生き様の根底にある哲学が記されてあり、これを学べば父に少しでも近づけるような気がしました。
その衝動から直ぐに父に電話をし、相談に行ったことを昨日のことのように覚えています。
三軒茶屋の喫茶店で私は父にありのままの想いをぶつけたところ、少し間を置き
今まで見たことのなかった表情で「わかった。腹をくくれよ」と。
その時の私は操体が一体どういったことをやっているのかを全く知りませんでしたが、父と、そして父の師である橋本敬三先生がやっていることならば何でもやってやろうという気持ちでした。
しかし私の決意以上に父の覚悟は相当なものだったと想像出来ます。
その覚悟に応えていくことも当時の私にとっては大きな課題だったのだと思います。