投稿者: karib_sotai

  • 操体感随想⑤

    (続き)

    基準は、「希望」の側に立っていること。

     

    「スイッチを入れる方法は確かにあり、

    その一歩は人生の変容を始める」

     

    実践してみよう

     

    目線で空を見上げよう。

    ゆっくりと雲を眺め、星を眺め、

    宇宙空間と自分をつなぐ「感覚」で、

    重心の意識を吸い込もう。

     

    実践してみよう。

     

    重力が示す「エネルギー不変の法則」を、

    生活のなかで、座り・立ち・歩くことにも、

    今から感じてみよう。

     

    空間を、重力の本質を、「からだ」本来の

    「全体一体一つの総和」で感じてみよう。

      

    実践してみよう。       

    短時間でも深く呼吸し、

    内なる声「からだ」の体腔内の振動を、

    皮膚で、耳奥にある重力感覚の名残に、

    耳を澄ませて受け取ろう。

    空間に満ちる大気を、

    吸い込める情報として受け入れよう。

    呼吸をゆっくり深く、からだの皮膚感覚で、

    「流れ」を内から「動き」を受けとろう。

     

    実践してみよう。

    片脚立ちで重心を支えてみる。

    ふらついても構わないから、今のからだの

    バランス現象を、左右の軸を感じてみる。

    重力にも能力、その適性があり、

    その適応力が故に「心」はあり、

    からだは、感覚で受けとることが出来る。

     

    気づかなければ、

    見えなくとも、ある感覚の視界を閉ざすだけ

                     (続く)

    故東本昌平氏RIDEX

     

     

  • 操体感随想④

    (続き)

    「重力」とは物理学的に「空間の歪み」です。

     

    この巨大エネルギー貯蔵庫の全貌が解明される

    のは、もう少し、先の未来かもしれません。

     

    「不文律的な判断基準」とは、いったい。

     

    ですから、今からその想いを受けとりたいのです。

     

    重力の「心」という適性を感じるように、

    できるだけ遠くの一点に馳せるのです。

     

    生活の中心にガッチリ固まって縛っていた、

    社会常識のフィルターを外して観るように。

     

    生命が共有する、生命感覚を置き去りにして

    いたこと。人間だけを特別視して、宇宙から

    切り離していたこと。

     

    「からだ」を置き去りにしていたから、

    時と重力の狭間で不安定を感じている。

    つまり、不安とは囚われではないか、と。

    素直に想いを馳せ、不自由に囚われていた

    「からだ」に纏ってしまったフィルターを、

    外してみるのです。

     

    すると、共鳴して共振したからだには、心へ

    繋がったメッセージも伝わってきます

     

    社会の在り方、現代の共生社会に必要なのは、

    過去に言われたような、人種の「るつぼ」的ではなく、

    それぞれの味わいを認め、

    個性を活かした共生の「サラダ」的な未来でしょうね。

     

                    (続く)

  • 操体感随想③

    (続き)

    心・からだ・宇宙の不可分性。

    重力の真実 ~マクロとミクロの一体感~

     

    古来、東洋では人間を、

    大宇宙(マクロコスモス)から分離できない

    小宇宙(ミクロコスモス)と捉えてきました。

     

    私たちの「心」と「からだ」と「宇宙」は、

    不可分で、その証明となる「重力」により

    繋がっている「流れ・動き」は、宇宙空間に

    保存される「エネルギー不変の法則」に伴った

    変化になっているようです。

     

    故に相対的な観念に止まらず、絶対的であり、

    全て貫通されている、バランス現象そのもの。

     

    重力のエネルギーも共生に繋がっていて、

    その繋がりを感じるには、努力が必要です。

     

    まだ名前のついてない『倫理』みたいなもの。

    それは、いったい。

     

    そもそも、大宇宙の空間には計り知れない

    エネルギーが満ちています。

     

    宇宙にも貫通される重力は目に見えない。

    その流れと動きは、マクロコスモスと一体で、

    ミクロコスモスである私たちをつなぐ鍵です。

     

    ですから、これから操体を学び、これからも

    操体を学び続けるならば、「重力と重心」に、

    より一層注目しておいて欲しいのです。

     

                   (続く)

     

  • 操体観随想②

    (続き)

    老いや死は重く感じるテーマではあります。

    しかし誰もが平等に老い、必ず死は訪れます。

     

    では、加齢しても自由に選択できる、その役割とは、いったい何なのでしょう。

     

    それは、未来を生きる希望を伝授すること、

    指導できることではないでしょうか。

                          

    加齢はしても、希望を抱き、志ある人は、

    「サムエル・ウルマン」の青春が如き意識にあ

    り、若い命にも共鳴を呼び、共感し、伝達可能

    な良心を通じて、未来志向を生み出します。

    青春とは

    青春とは

    Amazon

    日々の暮らしで悩みを解消し、

    生かされている有り難さを感じることも、

    生まれながらにして、感覚として伝授できてこ

    そ、味わえたから、伝えることのできる「快」

    なのです。

     

     生・老・病・死を超えて、つながる。

     

    学び続けることで解放される。

     

    本質的な意識変容が当然のように起こる。

     

    それこそが「操体」を継承し、

     

    自然法則の応用貢献を成し、

     

    指し示していける道なのです。

     

                   (続く)

  • 操体観随想①

    今週のブログ担当は、実行委員の岡村郁生です。

     

    テーマは、「操体を通し、宇宙との繋がりを

    見つめ直す視点」として、綴って参りますので、

    一週間どうぞよろしくお願いいたします。

     

     

    AI科学技術の飛躍と私たちの分離感

     

    「操体法」創始者である、橋本敬三医師が現役

    だった頃から、もうすぐ半世紀。

     

    現在、科学技術は飛躍的に発展し、想像できなかった情報的な豊かさをもたらし、人工知能=AIの進化は、更に拍車をかけています。

     

    現代は、インターネット・スマートホンの普及により、情報は瞬時に届き、出かけずとも世界中と繋がる便利な時代となりました。

     

    しかし、半世紀前の日本には珍しかった核家族は多く、共働きは当たり前、少子化に高齢化は進み続けており、身近に「老い」と「死」に遭遇できる機会は激減してしまっているのです。

     

    ここで、想像して欲しいことがあるんです。

    それは、老いし、死を迎える役割が何だったのか、誰もが平等に老い、死と向き合うのはあたり前だったことを。

     

    現代のメンタルストレス社会、青少年の不登校増加、理由の漠然とした将来の不安、独居世帯の孤独、等々。

     

    食で例えるなら、24時間営業のお店は増えて、以前より豊富に食べ物が溢れていても「あぁ、おいしくって幸せ」という実感は薄まっているように感じませんか。

     

    その解決策に出来ないか、と考えてみたのは「生かされている」役割を伝えていくこと。

     

    日々、人間味ある生活を味わい、その実感をいただいても、素直に感謝することを、忘れていないだろうか、と。

    定刻で動き、この時間だからと栄養補給するだけの食事、まるで、ロボットにガソリンをいれたり、脳に充電するだけのような、「食」をしてはいないでしょうか。

     

     

    南アフリカ共和国、初の黒人大統領、

    ネルソン・マンデラ氏の語った言葉。

    「わが魂の指揮官になる」。

     

    普段の日常。

    「魂」から響き、伝わる意識で動けること。

    内なる「からだ」の声を、空間からのヒビキを、無視してもなぜ、気にならなくなっているのでしょうか。

     

     

    それこそ、このままではいけない。

    自分たち本来の、生命の本質に適った生き方を伝えたい。

    もう、私たちは、この問いに、真摯に向き合わなければいけない。

                                        (続く)

  • 七日目

    動物性器官が植物性器官をしだいに支配するようになる

     

    それは、

     

    生の中心が、心臓からしだいに脳へ移行していくという出来事

     

    「ヒトのからだ」(39p)

     

     

  • 六日目

    ひとことで表現するとすれば、”動物とは、胃袋と生殖器に目と手足がついたもの”ということになる。そして血管と神経が、それぞれ両者のすみずみにまでいきわたり、植物的ないとなみと動物的ないとなみを推進することになるのであるが、この場合心臓と脳は、それぞれの一部が極端に発達したもので、おのおのの中心の座をしめることはいうまでもない。

    われわれ人間のなかで、いわば対立の関係にある”こころ(心情)”と”あたま(精神)“は、この心臓と脳に由来したもので、それぞれ人体を二分する”植物的ないとなみ”と”動物的ないとなみ”を象徴するものということになる。

    「ヒトのからだ」(38p)

     

     

  • 五日目

    植物性器官は、動物性器官によってとり囲まれ、その内側に隠される。したがって、われわれが”内臓”とよんでいるものは、じつは植物性器官のことをいっているのである。

    この内臓を動物性器官が、体壁という殻をつくって内部に保護し、これをたいせつにもち運ぶ関係になっている。

    「ヒトのからだ」(32p)

     

     

  • 四日目

    一般に”陰”が内臓、すなわち植物性器官を、”陽”が動物性器官を、それぞれ象徴するものであることは、東洋では古くから認められているようである(内経)。

    「ヒトのからだ」(23p)

     

     

  • 三日目

    動物の生活をこのようにながめると、そこには、生活の主流となる栄養―生殖のいとなみと、これを助ける感覚―運動のいとなみと、たがいに性格の異なる二種のいとなみが識別されることとなる。

    動物のいとなみを、このように二つに分けて考えることは、後で述べるようにはなはだ歴史が古く、ギリシアの昔からこの二つのいとなみを、それぞれ”植物的”および”動物的”と形容していたのである。そして、動物のからだをそれぞれにたずさわる植物性器官と、動物性器官の二種の器官群に大別して考えてきたのである。

     

    したがってそれによれば、われわれ人間のからだも、やはりこの二つの器官、すなわち植物的なものと、動物的なものとに分けることができるのであって、いってみればこのからだには、たがいに性格の異なった二種の生物が、いわば”共生”していることになる。

    「ヒトのからだ」(19~20p)