睡眠の大切さは、家庭でのしつけや学校教育で、何気なく教えられてきたように思います。健康について調べると睡眠のことは必ず書いてある当たり前のこととして、私は捉えていました。しかし、実際になぜ大切なのか、自分ごととして観察してみると、はじめて実感することが多いのが事実でした。知識として知っていると体験するは全く別物だと思います。自分の就寝時間や睡眠時間、翌日の食欲、むくみなど一つ一つを観察するとからだの調子がよい(ととのう)に睡眠時間や就寝時間の関与を無視することはできないと感じます。
投稿者: karib_sotai
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味噌汁の味
今日から香が担当します。よろしくお願いします。
昼食で時々行くお店で、味噌汁を一口飲むと、「おいしい」をいつも感じます。具材はとてもシンプルなのですが、ほっとします。何度行っても、落ち着く場所だとかんじます。
過ごした時間が同じ1時間であっても、なんとなく忙しなく感じるお店と、とてもゆっくりできたと感じるお店があります。
場所の環境によって、感じている感覚の違いに注目してみると、場所という環境が与える影響は計り知れないなと感じます。
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からだと心をつなぐ調息
「調身・調息・調心」 というものがそれぞれ直接、あるいは間接に繋がっているということは初日から述べてきた。 そして、肉体と精神の間にあり、その両者をつないでいるのが神経系であることもすでに述べた。 この神経組織は精神により密接な繋がりをもっている。 というのも、神経と精神の間には不可分の相互関係があるからだ。 そして、その神経を支配しているのが 「呼吸」 であり、それをバランスよく調えるのが 「調息」 である。
心が動揺すれば呼吸は乱れ、呼吸が乱れている間、心は平静にならない。 また、呼吸を司る自律神経の働きによって、呼吸は自動的に行なわれている。 だがしかし、他面において呼吸は意識を以ってある程度支配することも可能である。
そのように呼吸を意識的にコントロールすることによって、呼吸器に関係する自律神経の興奮を調整するのが調息の狙いどころである。 そして呼吸に関与する自律神経の調整は精神の情緒の中枢に良い影響を及ぼすことになるが、やがてそれは情緒の平衡と全身の自律神経の調和をもたらすことになる。 それゆえに調息は健康にも大きな関係をもっているのである。
また、調息においては、心を落ち着け(調心)、肉体をくつろがせる(調身)ことも調息に欠くことのできない必須条件である。 「心」 と 「からだ」 と 「呼吸」、これらを調えることが調身・調息・調心というものであり、操体における 「調える(ととのえる)」 ということの説明としたい。
明日からは、香実行委員が担当します。 どうぞお愉しみに!
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心身一体論③
心身一体論が、心からからだへ、からだから心へとなされる伝導と影響がどのようになされるのかということは昨日、記述したとおりである。 こういった心とからだの相互交渉の中で特に関係が深いのが深層心理と、間脳と、自律神経と、内分泌である。
心とからだの相互交渉の原理を推論すると、心の病気とからだの病気を引き離して考えて、一方だけを治そうとする療法は、そもそも、ものの道理に合わないことになる。 つまり、からだだけを治そうとする療法では、まともにからだを治すことができないという結論に至る。 一方、心に良い暗示を与えるだけで、からだを健康にしようとしても、その結果は同じ結論に導かれる。
肉体だけを考えてからだを治そうとすると、心に備わっている悪条件によって妨害されるし、心の治療だけでからだの病気を治そうとすると、通常の人間の働きにおいて、神経を通じて肉体に届くほどの力は持っていない。 少なくとも通常の人間の場合は、心とからだの両面からアプローチしていかないと、心の病も、からだの病も容易に改善するまでには至らないということだ。
そこで、最近発達した身体心身医学のねらいがある。 この療法の将来には大きな期待をかけることができるだろう。 ところが、これと同じような方法が、日本医学と云われる操体法に存在している。 それが動診・操法という快適感覚から導き出される心身一体の療法と言えるものである。
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心身一体論②
心身一体という理論を、心とからだという通常は大ざっぱに考えられているこの二つの結びつきは、実を云うと非常に複雑微妙な構造をもっている。 そのような心とからだの構造の中には、心ともからだとも云えない部分がいくつもある。
俗に心とからだという両極の間で、心に近いものとからだに近いものがあり、それらが不離に繋がっているのが実状なのである。 常識でいう心とからだの中間には 「神経組織または神経系」 という分野が存在している。 この神経には、眼に見えるノイロンのような原形質と、眼には見えない電気性の波動をもったインパルスとが含まれている。
このような二重性をもった神経組織は、「眼に見えない心」 と 「眼に見えるからだ」 との繋ぎや仲介の役目をしている。 両極の一方にある心という 「意識」 は知覚や感情、それに思考や意志といったものが、潜在意識である深層心理も含めて神経系に繋がっている。
そして、この神経系は酵素や内分泌、それに淋巴や血液という 「体液」 によって、両極のもう一方にあるからだの骨格筋や内臓筋にも繋がっている。 これらの繋がりが重要であることは、「心」 と「神経」 と「からだ」 の関係が各部分の相互交渉という関係で繋がっているということである。 この関係のバランスが調った状態こそが 「身心一如」 というからだと心の調和なのである。
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心身一体論➀
昨日まで、ととのう(調う)ということを心とからだの調和という内容で話を進めてきたが、本当のことを言うと、心とからだという二つのものに分けることがそもそも間違いなのである。 心とからだは元来一体であって、これを二つに分けるのは、我々がものごとを考える仕方を便宜的に行なっていたからにすぎない。
我々の思考は、もともと一つであるものを二つに分けることによって、はじめてそのものごとを進めてゆくことができるものだ。 このように相対的な見方や分析的な方法が我々の思考の手段なのである。 一つのものを一つのあるがままに把握するという方法は通例の我々の思考には備わっていない。
故に、心身は元来一つのものであり、一体的なものとしてしか現実に生きてゆくことはできないものであろう。 だが、そういうことを仮に真理として認めたとしても、それだけでは我々は身心一体という理法を思考の上で理解したことにはならないのである。
しかし、今日の科学的知識の段階で、心身一体や心身双関という常識的な真理を、どのように理解することができるのであろうか? 最近目覚ましく発達した深層心理学や精神身体医学のおかげで、この心身双関の内容をかなり知ることができるようになってきたことは、心身を理解する上で非常に役立っている。
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自律神経の調和
自律神経は、内臓の働き、血液、リンパ液の循環、ホルモンや酵素の分泌などを司るものであり、まさに生命の根本といえるものだ。 自律神経には、交感神経と副交感神経の二種類があり、この二つがバランスよく興奮することでからだの営みは調ってくる。
また、交感神経と副交感神経という両神経の興奮の力が弱ければ、生命現象が衰えることになる。 そこで自律神経を強くする一つの方法として肉体からアプローチする操体の動診・操法という調身を提唱するものだ。 そのような操体で行う調身は、からだのバランスを調える上において、精神のバランスも同時に保てるわけである。
心身ともに調和のとれた人間こそ、健康で心がひろく、愛に満ちた人間であり得るものと思う。 よく心身は一体であると言われているが、この言葉の含んでいる真理内容が本当に理解され、そして心身一体が本当に実行されたならば、人間は心もからだも健康であるはずなのである。
ところで、心とからだが完全に分離するというのは生命の死を意味する。 心とからだが融通自在に交流し合っているところに生命は成り立つのである。 心の調和が乱れると、その結果は必ずからだに現れてくるし、からだに故障があれば、これもまた必ず心に影響が及ぶことになる。
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緊張感と快適感覚
操体の動診・操法には 「緊張感」 と 「快適感覚」 の調和が存在している。 そして、動診・操法の生命は快適感覚の方にあるので、緊張感は快適感覚の補助といえる。 操体がほかの整体と違って健康療法として段違いの効果を発揮する理由は主としてここにある。
操体の動診・操法によって緊張感と快適感覚が調和するということは、ある動診・操法を行なっているあいだ、そのからだの動きと快適感覚を味わうのに、直接関係する筋肉の緊張は避けられないが、そのほかの筋肉は、弛緩している。 これはからだの動きに 「連動性」 がなければ起こらない。
ところで、からだを動かす筋肉や背骨、関節などをつなぎ支えている靭帯は、歳月とともに自然に硬化してゆくものであるが、これこそが老化の最も大きな要因であり、目立つ特徴でもある。 また人間は、直立二足の構造形態にあるために、骨格は非常に歪みやすく、特に現代の社会生活では骨格の歪みや狂いを生ずる要因が非常に多くなっている。
そのような骨格の歪みは、病弱の根本要因であり、これを修正しなければ健康を得ることは難しい。 その骨格のなかで最も狂いやすいのは、「骨盤」 と 「背骨」 である。 この両方の歪みは内臓神経の異常を生じさせ、内臓の営みに悪い影響を及ぼすことになる。
また、操体の動診では末端の動きから最も狂いやすい骨盤と背骨を通じて連動を生じさせ、からだ全身へその動きとともに原始感覚を呼び起こして操法へと繋げていくものである。
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からだの調子と調和
今回は 「ととのう」 というテーマになっている。
「からだを操る療法」 として 「操体」 という側面から見た 「ととのう」 という言葉は、整体や整形外科の文字に使う 「整う(ととのう)」 と表示するものと思いがちだが、実は 「カラダの調子」 とか 「ココロの調和」 という意味合いで用いるときの 「調う(ととのう)」 の文字を使う方が理に適っている。
我々のからだにおいて 「調子」 や 「調和」 というものは、総合的、相互浸透的な結合のうえに成り立っている。 では、からだの調子や心の調和とは一体何なのか? それは、「肉体を調える」、「呼吸を調える」、「心を調える」、つまり 「調身・調息・調心」 という三つの部門から成り立っている。 そして、それらは互いに直接的、間接的に繋がっているので、その内の一つを欠いても、からだの調子や心の調和は存在しないということになる。
直接的に繋がっている 「調身」 は 「肉体」 と直接に関係し、 「調息」 は 「神経」 と直接に関係し、 「調心」 は 「精神」 と直接に関係している。 そして間接的に繋がっている 「調身」 は 「神経と精神」 に間接に関係し、「調息」 は 「肉体と精神」 に間接に関係し、「調心」 は「肉体と神経」 に間接に関係している。
これら三つの部門のそれぞれの中に他の部門の要素がすでに含まれていることを特筆しておきたい。 たとえば操体の調身とも言える動診・操法においても調息と調心が含まれている。 これによって施術が行なわれているあいだ、知らず知らずのうちに、調息と調心の下地の準備が調えられていくことになる。
このように操体の最大の特色は、「調身」 における動診・操法の中に他の二つの要素である 「調息」 と 「調心」 が含まれているということにある。
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アイム、カミングその⑦
最終日です、よろしくおねがいします。
(続き)
熱がないかどうか調べるとき、体温は何度か腋窩で熱を測ります。
体温は37℃(日本では36.5℃)が現時点での世界基準体温ですよね。
これは、ドイツの医師カール・ブンダーリッヒ氏により、19世紀
に何万人もの体温を測定して決定しているんです。
しかし現在において、この体温は適切ではないというのですよ。
米スタンフォード大学の、ジュリー・パーソネット博士の医学研
究によれば、過去1970年代の一万5千人分の体温データと、2000
年代前半の15万件もの体温データを比較検討した結果があります。
それによると、面白いことに過去と現代にはハッキリとした有意
差が認められたそうで、その結論から言えば......。
「人間の体温は19世紀以来、一貫して下がり続けている」事が判明。
博士曰く。
「人間の体温を維持しているのは、腸内細菌である」
「室内の温度、微生物との接触の度合い、食物の種類など、私たちが
生活している環境は大きく変わりました。
これらすべてのことは、私たち人間の進化は単相型だったかも知れ
ないですが、環境はそれを変える可能性があります。
今回の研究が示すように、人間は生理学的に変化しています」
これ、興味深い医学研究だと思いませんか?
ワタシは、膜を持って繋がる、脳と皮膚、そして腸内細菌叢の関わり、
このことを現代の医学と漢方医学、そして日本の医学としての学問を
すべての医療に通じる体温の秘密として、探求してみたいのです。
初めに形ありき。
形とはウゴキによって創られ、その形は、そのものがそのものらしく
あるように、悦ぶように、より自然であるが如く配置されています。
「からだ」は生命現象の現れであり「生命現象」はバランス現象です。
自然だからこそ、外からは色々と入ってくるので、適材適所に仕舞い、
そして出番によってその都度、使用後は片付ける「からだの無意識」。
どこかに出かけて帰って来て、馴染みある場所へ戻ってホッとする。
「からだ」が「ととのう」こと。
それは、素の自分自身に還る。有難みを味わうことなのでしょう。
私たちの日常と、「からだ」の非日常で、バランスをはかる。
元一(もとはじめ)の暮らし自体で、整っているものなのです。
それが失われているからこそ、乱されやすくなっていることに 気づく
のは、とても大切なことであり、工夫も必要となってくるのです。
さて、こんなところで終了と致します。
一週間のお付き合い、どうもありがとうございました。
また、機会があれば、直接お会いして語ることの大きさ、それだけで
「ととのう」不思議を機会を生かし、体感して欲しいと願っています。
明日からは、日下実行委員の登場です!お愉しみにッ。