投稿者: karib_sotai

  • 真菌感染症を防ぐ暮らし方

     我々の身の回りにあるものはバスルームやキッチンのような水回りの高温多湿の状況下では、真菌の一種であるカビが発生する。 食物にもカビが生えるし、同じく真菌の一種である酵母菌によって発酵するかも知れない。 当然、ヒトのからだも真菌に感染していろんな症状を引き起こすことになる。 このように我々の住むあらゆる環境に真菌が蔓延しており、その真菌から逃れることはできず、否が応でも真菌とともに暮らさざるを得ないことを理解する必要がある。

     

     ヒトのからだがカビ菌や酵母に感染して症状が出ると、真菌感染症が成立する。 真菌感染症は多種多様で、いんきん・たむしや水虫のように皮膚表面に感染する浅在性皮膚真菌症もあれば、クリプトコッカスのように深在性真菌症もある。 感染経路もヒト、動物、空気、土壌、衣服、スリッパ等からヒトへ感染することが知られている。 こういった経路からヒトのからだには真菌が常在菌的に元々感染している可能性もあり、それが長期間症状を呈したり、宿主の免疫不全状態において感染が顕在化する場合もある。

     

     特にカビについては生命力が強くて、湿度と僅かな栄養のみでどこにでも生える。 そのうえ、カビはそこらじゅうに散在している。 ヒトの湿った皮膚はカビにとって絶好の生え場所であり、真菌感染するのは至極当然のことである。 ただヒトはカビが皮膚に付着してもそれが定着する前にシャワーで洗い流したり、免疫力で抵抗するから真菌感染症にまで至らないのだ。 ところが、免疫不全状態に陥ったらカビが増殖して日和見感染症になる可能性もある。

     

     真菌は間違いなく感染症を誘因するものであり、生活空間全体が真菌で汚染されている状況といえる。 そしてこの感染を防ぐワクチンは存在しないので、ウイルスや細菌感染対策とは事情が異なる。 また、寄生虫感染の公衆衛生対策をそのまま利用できるわけでもない。 ではどのような衛生対策が考えられるのであろうか?

     

     まず考えたいのは、屋内で靴を脱ぐ日本人の生活習慣だ。 すなわち、真菌の中でも白癬菌感染の予防である。 屋内では靴を脱いで上がることの良い点としては、靴に付着したバイ菌を含んだ土が屋内に持ち込まれるのを防止できるという長所がある。 しかしその反面、水虫という足白癬の感染拡大を増長させるという大きな短所もある。 たとえば公共の場所でスリッパを共用するというのは確実に白癬菌感染の機会を増やしてしまう。 さらに家庭内では素足で歩く習慣があるが、高温多湿な気候環境の日本では畳や床を介して足白癬の蔓延につながっている可能性もある。 

     

     そこで皮膚を清潔に保つ日常の生活習慣を見直したい。 皮膚表面に感染する足白癬の感染を防ぐ最も有効な手段は、皮膚を清潔に保つこと以外ほかにない。 風呂に入ってシャボンで足の皮膚をよく洗い、その日の汚れをその日のうちに洗い流すことである。 足白癬の感染経路は、感染者から直接に、また間接に白癬菌が運ばれることになる。 

     

     日本では足白癬の患者数が非常に多いため、スリッパを共有することや銭湯の浴場出入口のマット、それにプールの床を素足で歩くことは自分の足が白癬菌に汚染される確率がとても高い。 こういった菌が付着した状況が多湿環境で長く続くと感染が成立し、白癬症となる可能性が極めて高くなる。

     

     操体臨床家の立場から言うと、患者の足白癬病変部に直接触れた場合には、早めに洗浄することが求められる。 特に操体では足趾の操法という施術を施療するが、私は足趾操法の施療の都度、早めの手洗いを励行している。 また昨今の感染環境における臨床では、サージカル・マスクではなくN95マスクを私は使用しており、これは院内感染防止と同じ考え方をしたものだ。

     

      日常の暮らし方として、毎日足を清潔に保ち、乾燥状態を保つことは、白癬菌が付着しても感染を成立させないために最も有効な手段である。

  • ウイルス感染と免疫力

     昨日は細菌感染に特定した内容だったので、今日はウイルス感染について述べてみる。 

     

      ウイルスはゲノム核酸とタンパク質等から成る20~300nmほどの大きさの粒子である。 宿主の生体細胞内でゲノム核酸を複製し、必要なタンパク質を合成して粒子を再生産する(ウイルスの複製、増殖)。 

     

      ヒトがウイルス感染によって病気を起こすまでの段階は次の三つのステップがある

      ①ウイルスと出会う → 

      ②ウイルスが宿主に侵入して標的組織・臓器に移動する → 

      ③ウイルスが標的組織で増殖して組織を障害する(発病)

     

     感染はヒトがウイルスとの出会いから始まるが、これを感染経路と呼び、以下の四つに分類している

      ①経口感染(水・食物感染、母乳感染)

      ②気道感染(飛沫感染、空気感染)

      ③性行為感染・血液感染(輸血・母子感染)

      ④動物(蚊・ダニ)媒介感染 、感染動物の咬傷感染

     ウイルスとこれらの感染経路の組み合わせが正しい時に限って感染が成立し病気が起こる。

     

     ヒトが生まれて初めてウイルス感染すると自然免疫が稼働し、次いで最終的に獲得免疫系がウイルスを排除する仕組みになっている(一時応答)。 この時に誕生した活性化リンパ球の一部が体内で生存し続ける。 これが免疫学的記憶で、この長期に生存する細胞をメモリー細胞と呼んでいる。 抗体を産生する形質細胞(B細胞)は一般的には数週間で死滅するが、一部は骨髄の中で長寿命な形質細胞として生存し続ける。 そして、同じウイルスが再び侵入してきた場合は、このメモリーリンパ球と長寿命形質細胞が迅速に活動し、効率的にウイルスを排除する(二次応答)。 このしくみを免疫機序という。

     

     近年の日本で深刻な問題となっているウイルスは、ノロウイルスとロタウイルスである。 ほかにもアデノウイルスやアストロウイルス等が原因となっている。 ノロウイルスは特に冬に多く流行し、カキ等の海産物を介して感染する。 ノロウイルスの感染力と発症力は、まな板や床やテーブル等に長期に持続して感染が広がりやすい特徴がある。 世界で発症する腸炎の最大原因でもあり、日本では食中毒の7割がノロウイルスを原因とするものだ。

     

     ノロウイルスでは通常用いる石鹸や消毒薬(アルコール系等)では死滅せず、まな板や床やテーブル等は希釈した次亜塩素酸(ハイター等)を用いて処理する必要がある。 また、血液型がO型だと発症しやすく、B型はかかりにくいという報告が示されている。 これは血液型の抗原によりウイルスの吸着のされやすさに差があるためであり、このことは血液型占いとは何ら関係なく、稀有な例外と言えよう。

     

     ノロウイルスにおいては、ヒトに何度でも感染し、ワクチンも治療薬も存在しない。 処置の対応が非常に難しいウイルスである。 ロタウイルについては、小児に多い腸炎の原因ウイルスで、ノロウイルスよりも重症化しやすいが、免疫ができるので大人はかかりにくい感染症である。 日本では5歳までにほとんどの小児が感染、罹患する病気であるが、経口ワクチンで予防可能である。

     

     現在話題になっている新型コロナウイルスについては、まだよく解っていないことが多く、コメントは差し控えることとしたい。 ただ新型コロナウイルスにおいても共通して言えることは、ウイルスが侵入して感染しても免疫力が強いと感染症にまで至らないが、弱いと、発症してしまう。 うじ虫でも生きている猫にはつかないが、死んだとたんに湧き出してくる。 ヒトでも生きている細胞には発症しないが、死の細胞ではウイルスも活動が活発になるためである。 やはり免疫力を高めるということに尽きるのだろう。

  • 細菌感染と免疫力

      感染に対する免疫力が強い弱いというのはどのように違うのだろうか? まず 「感染」 の意味は、細菌やウイルス等の微生物がヒトなどの宿主に侵入することであり、その微生物が定着して増殖することで引き起こされる疾患を 「感染症」 と言っている。 しかし、微生物が宿主に侵入しただけで増殖しない場合は、感染症とは言えず、感染が成立したものではない。

     

     宿主(ヒト)は微生物が体内に侵入した時に、これを認識して排除しようとするのであるが、それを生体防御機構、すなわち免疫系がその役目を担っている。 この時に感染しても発症しない場合は免疫力が強く、感染したあと発症してしまうのは免疫力が弱いからだと言える。 そして、微生物においても当然ながら宿主の免疫機序から逃れるようにして、宿主の中での生存をかけた対抗策を図ることになる。

     

     今日は微生物の中で細菌感染に特定して話を進めようと思う。 そもそも免疫系の働きについて生体は、どのように自己と非自己を区別して免疫反応を起こすのかという疑問である。 たとえば臓器移植の時に拒絶反応が起きるが、これも免疫機序によるものであり、生体が細菌を排除する機構と同じような免疫反応が起きている。 

     

     しかし、自分の臓器に対しては拒絶反応が起きない。 これは自己(自分の臓器)と非自己(他人の臓器や微生物)を区別して認識する機構を生体は持っているからだ。 そして、細菌や他人の臓器等の非自己に対してだけ攻撃、排除するメカニズムが働いている。 しかし、細菌の方もやられっぱなしではない、宿主の免疫機序から逃れるための免疫回避機構が備わっている。 それは毒素をはじめとしたさまざまな物質を作り、宿主の組織や細胞を破壊したり、免疫能を抑制したりするための対抗手段である。 

     

     ヒトのからだは皮膚や粘膜によって外界から隔てられており、細菌等の外敵の侵入を防いでいる。 皮膚は角化層に覆われていて、物理的障害となって細菌感染を防御しているので、皮膚への感染は本来、外傷等の防御機構の破綻がなければ起きない。 ところが粘膜については水分に富み、細菌の生育には好環境であるが、消化管等では常在細菌叢を形成しており、この常在細菌叢は外来性の細菌の定着を防いで、定着しても増殖を抑制する働きをしている。

     

     皮膚感染は本来、外傷等の防御機構の破綻がない限り起きないのは、皮膚には殺菌力があるからだ。 紙の上に置いたバイ菌はなかなか死なず、いつまでも元気にしているが、皮膚にバイ菌をつけておくと、数十分で死滅する。 このように皮膚は外菌を防ぐばかりでなく、外傷から身を守る働きもある、常に脂腺から油を出して、体表一面を強靭にし、毛髪や爪を生やして防御もしている。 また体温調節も皮膚の独占機能である。 他にも肺のような呼吸作用や腎臓のような排泄作用にも余念がないのが本来の皮膚だ。 そして皮膚は心臓と同じように働き者であり、24時間不眠不休の勤労愛好者でもある。

     

     ところが、野生動物と比較して、ヒトは家に住み、衣服を身に着けたりしているので、現代人では強健な皮膚を持ち得なくなってしまった。 皮膚は免疫力のうち自然免疫の部類に入るが、健康な生活を維持するためには皮膚の免疫力をアップする必要がある。 その皮膚の免疫力アップ法とは、

     

      ①摩擦法 ・・・ 皮膚をさする(体温調節力を高める)

      ②日光浴法 ・・・ 日光にさらす(骨を強くする = 日光 → ビタミンD → カルシ

                ウム → 骨)

      ③水浴法 ・・・ 水に浸す(汗腺を開けて毒物を排出する)

      ④風浴法 ・・・ 全身の皮膚面を新鮮な空気にあてる(副毛細血管の造成)

     

    この時代の暮らし方としてはこれら四つの皮膚浴を日頃の習慣とするのが望ましい。 これは私の免疫力アップ法でもある。

  • 感染症と日常生活

     昨日は感染症についてコメントしたが、その感染症を警戒するあまり、ヒトにとってバイ菌やウイルスが毒だ、というので過剰にそれらを殺すことばかり考えるようになってしまった。 そうすると、抗菌・除菌・殺菌ということに専念して力を注ぐことになる。 しかし、バイ菌たちも 「やられてたまるか」 ということになり、必然的に強くなって変身し、対抗してくる。

     

     たとえば、大腸菌は、私の子どもの頃には殆ど病原性はないものと知らされていた。 ところが、今やO157という恐ろしい大腸菌に変化してしまった。 腸炎を起こした患者にその菌を殺す抗生物質を飲ませると、病原菌は一応、死ぬことになるが、なかには抗生物質から何とか逃れ、生き残った大腸菌も存在する。 その生き残りの大腸菌に対して、死にゆく大腸菌が今わの際に、「俺はこれで死ぬ! けれども俺の仇をこれで取ってくれ!」 と言って、「ベラ毒素」 という毒素を生き残った大腸菌に渡すのだ。 この毒素はヒトを腎不全にして死に至らしめることになる。 このように強力なバイ菌やウイルスが出現してきたのは、抗生物質を使い、消毒液を使うなどして結局のところ人間がこういうモンスターを造ったのである。

     

     研究熱心な感染症の学者たちの間でも、いずれどうしようもないような、つまり、抗生物質はもちろん効かない! 消毒液も効かない! そういうどうしようもない原因もわからないバイ菌やウイルスが出てくるであろうと予想していた。 消毒薬がくれば、その中で生き残れるような強い菌が生き残りながら、自分を消毒液に強いバイ菌やウイルスに変化させるのである。 こうして原因もわからなければ治療法もないというような病気がその予想どおり生まれてくることになる。

     

     そしてついにその前ぶれとして 「環境ホルモン」 というのが出現した。 これは病気もせずに元気な身体を持っていたにもかかわらず、内分泌攪乱物質、すなわち、環境ホルモンのせいで体調不良になったり、からだの機能に不思議なことが起きてくる。 この環境ホルモンの代表例がダイオキシンと、PCBである。

     

     ここまで恐ろしい話ばかりしてきたが、昨日話した 「宿主の感受性(病気にならないようにする)」 にはどのような暮らし方が必要なのか? まずその原因であるが、それは病原菌が繁殖しやすいような体質をヒトが作り上げてきた結果として、その宿主に病原菌が侵入すると、感染症として成立するわけである。 いわゆる伝染病としての種々の症状が発現してくる。 

     

     ところで、操体医学の立場から言うと、症状は健康への道しるべであり、症状疾患が現れたからと言って驚くほどのことではない。 症状は、操体臨床での問診や動診で意思表示するからだの感覚ととらえることができる。 このように考えて、病原菌が繁殖するような体質を作った日常生活の誤りとは何かを考え、それを正せば良いということになる。 もちろん、正すということは免疫力アップに直結している。

     

     この免疫力というものについて特筆すべきことがある。 それは日常生活において、ヒトは紛れもない動物であり、動くことで発汗が起こり、体内から水分・塩分・ビタミンCの恒常性三要素を失ってしまう。 水分不足は便秘や消化器官に潰瘍、他に尿毒症の原因となる。 塩分不足は消化器官の障害、神経炎、運動器障害、心臓、腎臓、血管障害を招くようになる。 そしてビタミンCの欠乏は皮下出血や壊血病の血管循環器系等の障害原因となる。

     

     これらの原因は病原菌に対する殺菌力や抵抗力を減退させ、そこに細菌やウイルスが侵入し、感染が成立して発病するに至る。 しかし、症状・疾患をからだの感覚ととらえて症状に応じた適切な処置で回復に向かわせることができる。 また予防策として、活動後の発汗の際には水分・塩分・ビタミンCの恒常性三要素を適切に補給しておくことが必須条件であり、感染症から免れることも可能である。

  • 感染症

     今回のリレーブログのテーマは 「この時代の暮らし方・私の免疫力アップ法」  

     

     21世紀に生きる我々が健康に生活する上で 「感染症」 というものが重要な課題に挙がることに異議を唱える者はおそらくいないであろう。 感染症は人類の歴史において常に脅威の連続であった。 そんな中で人類は抗生物質や化学療法剤の発見とその研究開発、それに予防接種をはじめとする公衆衛生の進歩によって僅かながら感染症は制御されてきた。 医学の進歩や公衆衛生の徹底により、いずれ感染症は克服されるだろうと期待もされていた。 しかし現実には感染症はなくならなかったのである。

     

     従来からの感染症である結核等はいったん制圧できそうにも思われたが、今なお猛威をふるい続けており、人類の脅威となっている。 それどころか、エボラ出血熱等の新興感染症が登場し、新たな脅威となってしまった。 ほかにもSARSやエイズといったまったく新しい病原体が登場してきた。 その病原体の源は動物であることが多く、家畜や野生動物で無症候性に維持されていた病原体が、何らかの経緯でヒトに伝播・感染したものであり、動物由来の感染症がほとんどである。 故に動物との安易な接触には注意が必要だ。

     

     また、既に存在していたインフルエンザウイルスが新しくヒトに対する病原性を増強した場合、「新型インフルエンザ」 という病原体にパワーアップしたものも登場してきた。 また、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌は不適切な抗菌薬剤によって耐性遺伝子を有する動く遺伝子を獲得し、医療の現場では治療において大変な問題となっている。 

     

     このようなヒトからヒトに伝播するタイプの特に新興感染症の特徴の一つに、パンデミック、すなわち世界的な大流行になりやすい点が挙げられる。 それは航空輸送の発達と人口増大が起因しているものと思われる。 また、昨今のパンデミックと言えば新型コロナウイルスであるが、2003SARSコロナウイルス(肺炎)が新型コロナウイルス(SARS-COV2)にパワーアップしたものに感染したことによって、SARS-COVID-19感染症となったものである。

     

     これらとは対照的に、かって存在した感染症で公衆衛生上ほとんど問題とならなかったものが、近年再び増加してきたもの、または将来的に再び問題となる可能性がある感染症を 「再興感染症」 とWHOは定義している。 我が国において主な再興感染症は、デング熱 ・ 風疹(@日本) ・ 麻疹(@日本) ・ 結核などである。 そして医療先進国といわれる日本の、その結核発症率は未だ中蔓延国のままである。

     

     しかし、こういった感染症が疾患として成立するには、

      ①微生物(細菌・ウイルス・真菌・寄生虫・原虫・スピロヘータ・リケッチア等の病

       原体)が存在すること

      ②その微生物に感受性のあるヒトが存在すること(宿主の感受性)

      ③そのヒトが微生物に十分に暴露する環境があること(感染経路)

      の3条件が揃う必要がある。

     

      なぜ、感染症成立の3条件が重要であるかといえば、感染症の予防には上記3条件のいずれかを防げばよいからだ。 感染を防ぐには、その相手である微生物をよく知ることが最も重要な事柄である。

     

     そしてその予防策として、以下のことが行われるべきだ。

      ①病原体 → 微生物をなくす

      ②宿主の感受性 → 感受性のあるヒトをなくす(病気にならないようにする)

      ③感染経路 → 感染経路を遮断する

     

     特に②宿主の感受性(病気にならないようにする)が、今回のテーマである 「この時代の暮らし方」 のヒントになると思う。 こういった内容で明日からは日常生活での宿主(ヒト)の感受性について、具体的な内容に入っていこうと思う。 またそれに関連した 「私の免疫力アップ法」 についても触れてみたい。

  • 空と輪に想いを重ねて⑦

    (続き)

    もう一度「正常性バイアス」について説明します。

    「バイアス」とは、認知心理学や社会心理学の分野で使われる言葉なので、

    日常使用される言葉で言い換えるなら、「傾向」とか「先入観」です。

     

    社会生活を営む上での正常性バイアスは、どのような人間にも、ある程度

    は存在していると言われています。

     

    およそ傾向的にですが、目の前に危険が迫った時、見聞きした情報に関し、

    「自分は大丈夫」だと思い込もうとする、この事自体は正常なんです。

     

    故に、本当に警戒してほしいときや避難してほしいときに、どう伝えるか。

    そして、人に危機を伝える際、どのような言葉かけが有効か知ることです。

     

    検証の結果わかったのは、「危険だから避難してください」と、言葉かけ

    するのは、効果が薄かったということ。

     

    重要な有効な言葉かけのポイントだったのが、「利他の心」に訴えること。

     

    「あなたの避難が周りの人を救います」

    「あなたが避難しないと、人の命を危険にさらします」

    このような呼びかけかたは、とても有効であったという事実なのです。

     

    自分の命を守る為に、という言葉かけで避難しなかった人も、人を救う為

    そして、人を守るためという目的ならば、率先して避難するのです。

     

    大げさに言えば、自分ではなく、他を利する事にこそ本質的な使命はある。

    言葉と行動をつなげ、自らの言動に責任を持つことを促すというわけです。

     

    ワタシ自身も「マスクは、もし自分が感染者であったならと考えている」、

    このようなことを考え、義務感を外していくことに繋がっていったのです。

     

    「それにつけてもおやつはカール」ではありませんが、理由は無くとも、

    なんとなくそうしてしまった、というような本質で受け入れたいものです。 

     

    そんなことを考えつつ、そして今も続くニュートラルの散歩は気持ちいい。

    というわけで私的たわごとの如き一週間、お付き合い有難うございました。

     

    さて明日からは、日下実行委員の登場ですよ!お愉しみに。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

  • 空の輪に想いを重ねて⑥

    (続き)

    「マスクをして入店をお願いします」と書いておく入店制限。

     

    公共性の高い場所でも行えるように、首長のお墨付きを出す。

    全国初として神奈川県大和市で条例化して疑問視されている。

     

    「大和市思いやりマスク着用条例、推奨」

    これに関しては、罰則がない。とはいうものの、強制力のない

    理念にとどまる程度のお願いでは何故いけなかったのだろう。

     

    災害心理学、社会心理学だけでなく、最近は医療用語に用いる

    こともある「正常性バイアス」は一種の自己防衛の仕組み。

     

    何か起こるたびに、過敏に反応していてはすぐに疲れてしまう。

    人の脳には、心の平穏を守ろうとして防衛する仕組みがある。

     

    それは時として、先入観を植え付けたり偏見を持たせてしまう。

    ではなぜ、人は、正常性バイアスに囚われてしまうのだろう。

     

    しかし、それを考え、その理由を見事立派に説明したとしても、

    それは「正常性バイアス」から解き放ち、現実的に人々を行動を

    変化させることに繋がるかどうか、はなはだ疑問は残ってしまう。

     

    昔からある逸話では、このようにあります。

    からだに矢が刺さって弱っている人がこう言いました。

    「いったいこの矢は、誰が撃ったんだ!」

    「どんな奴が、一体何の目的で、なぜ私にこんなことをしたんだ!」 

    それを見ていた人は、「そんなことより一刻も早く矢を抜きなさい」

    そういって、速く手当てをしなければ命が危ないからと諭しました。

    しかし矢が刺さったまま「誰がやったのか」とそれに囚われてしまい 

    何よりも大切な、自分自身の命を落としてしまう、そんな逸話です。

     

    いま、やるべきことを、やる意味を、行動にすぐさま映し出せること。

     

    前述した行動経済学者の大竹文雄氏は実際に、県民の方と共同で避難

    させるとき、本気でどのような呼びかけが有効なのか、調べたのです。

     

                               (続く) 

     

     

     

     

     

     

  • 空の輪に想いを重ねて⑤

    (続き)

    人種や身体的特徴を理由に入店を拒否すれば、差別や人権侵害

    に相当するけれども、事業の特殊性を維持するために、ドレス

    コードで入店の可否を決めるのは、事業者の自由となっている。

     

    ただ、高い公平性の求められる金融機関とか、許可制の事業者

    においては、マスクも「新しい生活様式」として政府が推奨し

    ているから守るべきだと、他人を過剰に非難するのはおかしい。

     

    それはともかく、マスクをしていると顔面の半分は皮膚の感覚

    そのものに、常に刺激に近い干渉を受け続けることになる。

     

    散歩中に、ふと考えてみる。

    この世が闇でおおわれていたならば、他人のマスクは見えない。

    それではマスクをどのように識別しているのだろうか、と。

     

    既に実験では成功しているオンラインによる皮膚感覚の再現。

    9枚の膜に振動が生じるように作られたものを、皮膚に置けば、

    離れていても実際に皮膚に触れられた感覚は再現できるらしい。

     

    からだから言えば散歩はリアル、脳ならバーチャルもあります。

    私もその実現の可能性をスカイリムに入り、散歩だけしてみる。

    視覚のみで空は揺れ、地面も揺れ、大きな地響きさえも感じる。

     

    そこで、ふと自分のメモ帳を開いてみると地震、台風、豪雨で

    思い出し読んだのは、行動経済学者の大竹文雄氏のメモでした。

     

    それは今から六年前の夏、広島県で豪雨による土砂災害が発生

    したことにより、70人以上の方が亡くなりました。

     

    そして、もう二度とこのような悲劇を繰り返すまいと、その際

    県民ぐるみで団結しようと、防災運動が展開されたのです。

    非常時の持ち出し品準備に、避難場所の確認など行い、県民の

    防災意識は著しく高まったそうです。

     

    ところが、その四年後の夏、再び豪雨が襲い、広島県で土砂崩

    れや浸水で、また100人を超える方が犠牲になってしまった。

    人々の防災意識は高まり、非常時の知識や備えもあったのに、

    避難勧告、避難指示が出ても避難しなかった人がいたのです。

     

    「自分は大丈夫」

    「すぐに避難しなくてもいい」

     

    そのような危機を危機と認めず、自分は大丈夫だと思い込む。

     いわゆる「正常性バイアス」に囚われ、妨げになったのです。

     

                            (続く) 

     

    (注:正常性バイアスとは、日常生活の心理的ストレスを軽く

     する為、無意識に行われるストレス軽減の仕組みとされる)

     

                          

     

     

     

  • 空の輪に想いを重ねて④

    (続き)

    「マスクも付けないで近寄るなって言ってんだよ!この野郎」

    この男性は、とっさにスマートホンを取り出し撮影を始めた。

    すると、恫喝した男性はそそくさと立ち去ったという。

     

    危機管理に過敏になれば、同調圧力は生じてくる。

    それは、とても不寛容な世の中を生み出してしまうのです。

     

    人に命令されて動くのは、ストレスになりやすいものです。

    私自身、人に命令され、強制的に行動するなんて苦痛です。 

     

    「手を洗ってください」

    「マスクを付けなさい」

    「ステイホームを厳守してください」

     

    指示されて従うのは、本意でなければ相当なストレスです。

     

    立ち止まる散歩中、浮かんでくる想いを空に描きつつ想う。

    嫌だけれど、我慢して行う訳ではない、意識感覚を変える。

     

    人類共通の危機を、力を合わせ克服する為に自ら行動する。

    その一人一人の意志を、どうしたら引き出していけるのか。

     

    皮肉ではありませんが、「自粛」という法による封鎖ではなく、

    御上の要請による「新しい生活様式」をお願いされていること。

    この、今年の流行語っぽい作られた言葉に、本質はあるのかと。

     

    私自身、それを本気で納得する為、その意識を本質を求めたい。

    ドパミンA10神経を介し、原始皮質から前頭皮質へ通る如く。

                            (続く) 

     

     

  • 空の輪に想いを重ねて③

    (続き)

    散歩中のある時、あえてマスクを外し、感覚の変化を感じていた。

    随分離れた場所で犬の散歩をしている方が、私を見つけて大きく

    迂回して道を変えていった。

     

    マスクは感染症対策に有効ではあっても、着用するかしないかは、

    個人の自由であり矯正されるのはおかしい、と私は考えている。

    しかし、とりあえずマスクを付けて散歩を再開してみる。

     

    右をけり、左の足に着地するのは、本当にただの足なんだろうか。

    足のどこから、歩いているという感覚は生まれているのだろう。

     

    ふと、世界を自分中心にみるのではなく、自然を中心にみていた。

    そんな自分に気付きつつ、左右という概念はなく、瞬間という感覚に

    しかない状態を、味わう呼吸のリズムから歩きはじめていくのです。

     

    家に帰ると自粛期間中は、COVID19における情報ばかり。

    対策もそれぞれ、世界の対策もあふれんばかりに報道されていた。

     

    このような時代、初めて人類が味わっている状態ともいえる世の中。

    世界もこぞって新ウィルスを観察し、研究し、対策を練っている。

     

    ただ、現時点で行われている世界的な政策に、どれが最も有効なのか。

    不安も感じるけれど、それは今後の状況を見届けないとわかりません。

     

    どの政策にも共通しているのは、人との接触を避け、自分が感染しない

    と同時に「他の人に感染させない」このことではないでしょうか。

     

    また 散歩していると、これに関してもふわっと前意識も浮かんでくる。

     

    個性豊かな一人ひとりのまま、本人の自由な意思に基づいて行われる時、

    この感染を抑え込める、本当の力、真の力に繋がるのではないか、と。

     

                                (続き)