投稿者: karib_sotai

  • 般若身経(3)習得のコツ

    自分自身の講習でも、東京操体フォーラムでも「般若身経」というと「あ、あのラジオ体操みたいなヤツね。楽勝楽勝」となる。
     
    というのは、ラジオ体操を難しいと感じる人はいないからだろう。
     
    しかし、実際やってもらうと、殆どの人が頭を捻る。
     
    つまり、できないのである(武術などをやっている人は、できることが割とある)。
     
    からだを動かす時に、重心が移動するとか、母趾球(末端)が支点になるということは、考えたことがないのだろうと思う。
     
    1.無意識にできるようになるまでやる
     
    自然体立位の基本だが「足は腰幅、つま先と踵は平行に」と、指示しても、大抵は前屈ワンセットをしただけで、つま先が開いたり、形が崩れている。
    最初は今まで生きてきた「クセ」があるので仕方が無いことなのだが、時を経るに従って、崩れなくなってくる。
    これは、車の窓拭きとか床拭きではないが、普段の行動の賜物である。
     
    2.ゆっくり
     
    操体法を指導する場合、一番気をつける点は「ゆっくり」表現してもらうことにある。
    というのは、早く動いて「うごきをごまかす」場合があるからだ。
     
     
    繰り返しやっていると、いつか、できるようになる。
     
    私はこれを「Fコードの法則」と呼んでいる。
    Fコードというのは、ギターのコードのことで、人差し指で一弦から六弦まで押さえるバレーコードの中でも、一番難しいヤツだ。
     
    最初はどんなに力を入れても音が出ないのだが、練習を続けていると、ある日、力をいれずとも音がでる日がやってくる。
     
    ダニエルのように、とっさの時に受けられる。シャオドレのように、無意識のうちに上着をハンガーにかけるように。
     
     
    なお、蛇足だが、東京操体フォーラム実行委員のメンバーは(家ではどうだか走らないが)、三軒茶屋ターミナルビルの玄関では、靴を揃える。
    「靴を脱いだら揃える」というのがクセになっている。
     
    以前、ある武術の先生が「私はサムライだから、草履を脱いでも揃えない。武士の家には下男がいるし、道場にも下足番がいるから」とおっしゃっていたが、
    我が家は武士の家ではないし、道場でもないので、靴(サンダルでも下駄でも)脱いだら揃えるようにしている。
     
    無意識にできるようになるまで、繰り返しやることが、習得のコツである
     
     

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  • 般若身経(2)型か。養生法か

    私が「般若身経」に正面から取り組んだのは、三浦寛先生のビデオを撮った時だった。
    あの時は、三浦先生と頭を捻った。
    「般若身経、楽勝」だと思っていたら、ものすごくディープだったのである。
     
    また、自分の講習会やフォーラムで「般若身経できる人」という人にやってもらっても、殆ど出来ていないことが分かった。
     
    「あ、あのラジオ体操みたいなヤツね」と、甘く見られていたのだ。
     
    三浦先生の姿勢は「健康体操」や「養生法」ではなく「身体運動の法則」だった。
     
    からだの使い方、動かし方の基礎であり、あらゆる動作の基礎となるものだ。
     
    なので、東京操体フォーラムでも「健康体操」「養生法」という意味ではなく「からだの使い方、動かし方の基本」と、捉えている。
     
    そして私自身は、般若身経を
     
    1. 型(基本、ルール)であり
    2. 診断法であり
    3. 治療法である
     
    と、捉えている。
     
    1は、例えば左に側屈する場合だが。腰が右に移動し、右の母趾球に体重が乗る。
    左の母趾球は支点となり、左の踵は軽く浮く。
    これは、左側屈する際の、ベストなからだの動かし方であり、型である。
    (ラジオ体操とは違って、重心の移動が行われる)
     
     
    2は、診断法であるが、側屈の場合、左右ためしてみて、やりやすい方とやりにくい方の差がある場合がある。
    これが「どちらがスムースで、どちらがひっかかるか」という、二者択一の(第一分析)の診断分析法になる。
     
     
    第二分析、第三分析、第四分析、第五分析の診断分析法もあるが、ここでは割愛する。
     
    3の治療法について。第一分析の場合は、やりやすい方、スムースな方へ、数回側屈を試してみて、その後、改めてやりにくかった方を試してみる。
    大抵は先程よりもスムースになっており、左右のバランスがとれている
     
     
    「型」と考えるのは、空手など、武術の型に通じるところがある。
    道場では、最初からいきなり自由組み手はさせない。
    まずは型を習得させる。
     
    ここでよく話題にあがるのが、映画「ベスト・キッド」である。
     
    オリジナルの映画では、ミヤギ先生がダニエルに車を拭かせる。車を果てしなく拭くという練習はつまらないし疲れるが、それが身についた時、それは技となる。
     
    なお、ベスト・キッドの「正式な続編」として「コブラ会」というドラマがあるが、こちらにも初心者の男の子に床を拭かせるシーンがある。
     
    そして、ジャッキー・チェンとジェイデン・スミスの「ベスト・キッド」では、ジャッキー演ずる「ハンさん」が、少年ドレ(小さいドレ、ということで「シャオドレ」と呼ばれている)に、脱いだ上着を拾わせて、着せて、脱がせて、床に置き、また拾わせて、着せて、脱がせる。
     
    というのは、ドレはいつも帰宅すると、上着を脱いでハンガーにかけずに、床に置きっぱなしにして母に注意されていたのだ。
    しかし、ハンさんのところで毎日これをやっていたら、家でも自然に上着を脱いだらハンガーにかけるということができるようになっていたのだ。
     
    型は、それが意識せずとも自然にできるようになるまで、練習することなのだ。
     
     
    ちなみに、操体を勉強する場合にも、いきなり介助補助ではなく、最初は「般若身経(からだの使い方、動かし方)を習得するのがベストである。
     
     
    標題の「型か、養生法か」というのは、どちらか一方だと決めつけるよりは、柔軟に使い分けができるほうがよい、と考えて頂ければよいだろう。
     
    型が上達すれば、それがすなわち、診断法になり、治療法になるからだ。
     

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  • 般若身経(1)膝の力をホッと抜くことの重要性

    こんにちは。畠山裕美です。
    友松さん、一週間ありがとうございました。

     

    般若身経とは、身体運動の法則(重心安定の法則:からだの使い方 重心移動の法則:からだの動かし方 連動の法則 と呼吸との相関性)を、操体の創始者、橋本敬三医師が
    真実を語る短いお経、般若心経になぞらえて(ユーモアを交えて)命名したものである。
     
    しかしご本人も書かれているが「このユーモアは理解されず」とあったので、「般若*心*経」と勘違いされたとか、あったのだろう。
    私自身も「冗談やユーモアで使うとは、般若心経に失礼だ」と怒られたことがある。
     
    そして、関西地方では多分「般若心経」系のとラブルがあったのだろう。この名前をあまり使わず「基本運動」とか、後述する、中味を変えた「基本動作」という言い方をしているようであるが、
    実際のところ「般若身経」という言葉は、インパクトがあるので、使われ続けてきたし、操体実践者の間では、ポピュラーな言葉である。
     
    なお、この「般若身経」自体は、橋本敬三先生によって、バージョンアップされている。
    「中心集約運動」の頃はどちらかというと「鍛錬」のきらいがあり、年月を経るに従って「からだの使い方、動かし方の基本法則」の色が濃くなってくる。
     
    般若身経は生きているのだ。
     
     
     
    私が初めて「操体法」という言葉を知ったのは、高校二年の時、別冊宝島「東洋体育の本」を読んだ時だった。
    その時は「なんか体操?」みたいな感じで、それほど興味はそそられなかったのだが、その後すっと経ってから「操体法治療室」を読んで、「操体法」という名前が甦ってきた。
     
    25年前の自分を考えてみると、般若身経に対する理解もまだまだ甘く「基本運動」と、文字通りに受けとっていたのだと思う。
    まず、膝の力をホッとゆるめると言う話は、私自身も習っていなかった。最初は、後屈の時はつま先に体重が乗ると書いてあったので、前屈の時は、逆になるので、踵に体重が乗るのかと思っていた。
    しかし、前屈時、膝の裏筋が伸びたままだと「おへそを覗く」ことができないことがわかった。
    色々しらべてみると「からだの設計にミスはない」に「膝のちからをホッとゆるめる」という記載があることがわかった。
     
    私の場合、幸いにも操体を本格的に勉強する前に、太極拳を習っていた(日本チャンピオンになった先生である)。
    その時に習ったのが「含胸抜背」(がんきょうばっぱい)という言葉だ。
     
    これは、平たくいえば、腰を反らさずに、膝を緩めつつ、背筋は軽く伸ばすというイメージである。
     
    腰を反らす→ 膝の裏筋が伸びる →骨盤が後弯曲(恥骨が後ろに行き、背骨が反る。腸骨稜が前傾)→ 胸を張る
     
    という、いわゆるよい姿勢である
     
    逆に
     
    腰を反らさない → 膝の裏筋はゆるむ → 骨盤が前弯曲(後傾)→ 背中が丸くなる → 姿勢悪い
     
    となるが、含胸抜背は、膝の裏筋がゆるみ、腰が反らず、なおかつ背筋は軽く伸びるという姿勢になる。
     
    実際、太極拳を習っていた時、一番注意されたのは「お尻を出さない」(出っ尻にしない)ことだった。
     
    長くなったが、私は太極拳を習っていたお陰で「膝のちからをホッとゆるめる」ということが理解できたのである。
     
    なお、日本の伝統芸能や武術などでも、膝の裏筋をぴんと伸ばすものはない。
     
     
     
    そして、後に知ったのだが、関西地方では「からだの設計にミスはない」が出る前の「膝の力をホッと抜く」という一言が加わる前の「般若身経」が広まっていた。
     
    つまり、膝の裏筋を緩めないものが広まったのである。
     
    それがよく分かったのが「基本動作」の「脇伸ばし」である。
    これは、「側屈」に該当する。
     
    関西の方に聞いてみると「側屈は股関節に負担がかかるので、側屈ではなく『脇伸ばし』になった」とのことだった。
     
    確かにやってみるとわかるが、膝の裏筋を伸ばしたまま、側屈すると、股関節付近に負荷がかかる。
     
    しかし「からだの設計にミスはない」にあるように「膝の力をホッとゆるめて」行うと、股関節には負担がかからない。
     
    そして、膝の力をホッとゆるめる、という言葉が「般若身経」に加わったのは、昭和50年代の太極拳ブームもあったのだろうと考えている。
     
     

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  • 般若身経の解説~身悟りからの進化。

    おはようございます。

     

    操体は、からだから学ぶ学問でもあります。

    自然法則を究明するとは、並大抵の事ではないのです。

    今現在明らかになってきた様々な分野からの知識だけでなく、昔の人の智慧から書物をつうじて学ぶ事も大切。

    それに加えて、昔の人が書物にしていなかった事柄や文字に出来なかった事柄、今も昔も全く手が付けられなかった事柄も学んでいく必要がある。

    自然の一員であるからだから学ぶ。

    感覚をとおして身悟りしていく。

     

    その身悟りで、自分自身が真の自然体(健康体)に近づき、より良く変わっていく程、それまで究明してきた自然法則も見直して、修正を加えてより良いものにしていく必要が出てくる。

    橋本敬三先生もそうやって、般若身経を幾度となく修正してきた様子。

    それは、橋本先生が近しい弟子の人達に語った「体系づけてはきたが未だ確立されたものではない」という言葉からも想像できる。

    それだけ自然法則の究明というのは並大抵な事ではなく、人一人の生涯だけでは時間が間に合わないくらいに大変なことなのだと思います。

     

    その自然法則の究明の遺志を継いだのは三浦寛先生でした。

    三浦先生は、それまで深く究明されていなかった連動の法則について細かく究明し続け、からだに気持ちよさをききわける操体臨床の第2分析につなげていった。

    この道のりも平坦ではなかったと思う。

    なにせ、どこを探してもからだのバランス制御に係る連動について研究している人など居ようはずもなく、古今東西の書物にも書き記されたものが無いからだ。

    原始感覚を鋭敏にして、からだから学び、身悟りしていくしかない。

    そうして身悟りしたものを、臨床ともリンクさせ、被験者のからだとその感覚からも学ぶ日々だったと思う。

     

    からだから学ぶ。そうして三浦先生は第2分析を体系化させ、更に動きがとおせない人や感覚のききわけが困難な人にも対応できるようにと、皮膚へのアプローチである第3分析も体系化させた。そして、操体臨床はその後も進化していく事になる。

    その根底には、身体運動の自然法則をつうじて、真の自然体(健康体)が成り立つ理り事を、感覚をとおしてからだから学んできた経緯があった。

    からだから学び、細かく且つ深く掘り下げて究明し、身悟りしていく。

    それまで究明されてきた自然法則も、修正すべきは修正し、付け加えるべきは付け加え、より良いものへと体系化していく。操体の進化は深化を伴った進化だという事。

     

    操体の進化は、第2分析、第3分析に留まらず、第4分析、第5分析と進化していく事となるが、特に第5分析への進化は、橋本先生の時代から当然として受け入れられてきた身体運動の基本を根本から見直す事となった。

    しかし「真の健康体とはどうあるべきか」という真理への求道精神は、橋本先生も三浦先生も同じであり、橋本先生も祝福してくれているのだと思います。

     

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。

    明日からは畠山裕美先生の担当となります。

    どうぞおたのしみに。

  • 般若身経の解説~真の自然体(健康体)の追究。

    おはようございます。

     

    「ー橋本敬三論想集ー生体の歪みを正す」に載っている般若身経の身体運動の法則その1だけで、般若身経とはこういうものだ、というふうに思ってほしくはないのです。

    身体運動の法則その1は、多分にエクササイズ的な要素がありますが、本来の般若身経の身体運動の法則というのは、自然法則の究明という壮大な背景があるのです。

    だから、ある程度バランス状態が間に合っている人が、健康維持、増進の為にエクササイズ的に取り組むものとしてしまっては、勿体ないのです。

     

    根底には、どんな人が行っても健康の基礎を調整して健康の回復に向かえ、そこから底上げしていき健康の増進に向かえるということがあるのです。

    その為の自然法則であり、誰のからだでも自然環境に適応する能力を元々もっているわけですから、究明した自然法則を手引きにからだの感覚をききわけながら身体を操り、より質の高い快適感覚をききわける。

    そして、その感覚を味わう時空に於いて自然環境と身心の調和が密になり、バランス制御に向かうという事で、バランス制御が成されるほど健康になるという事なのです。

    これは臨床につうじる事でもあります。

     

    では、バランス制御が成され、最も自然環境に適応した真の自然体(健康体)とは、どのようなものなのでしょうか。
    その例を一つ、橋本敬三先生の文章からお借りすれば

    人が正しきにおれば容姿はおのずから端正となり、

    骨格は整い、筋肉も拘筋するところなく、内臓もその地位に安んじ、

    機能は互いに相調和して、健康である。

                   
             「ー橋本敬三論想集ー生体の歪みを正す」より 

    という事が挙げられます。

    文章にすると、姿かたちの止まった状態が想像されやすいですが、動いていても上記のような全体のバランスが崩れることなく、所作は奇麗であり、それでいて身体能力は発揮されやすくなり、疲労や消耗とは無縁になっていくという事です。

    それには、自然環境と全身の調和に欠かせない重力との関わり方が重要になってくる。

    それを究明し体系づけてきたのが、身体の使い方、動かし方の自然法則であり、重心安定の法則、重心移動の法則、連動の法則と呼吸との相関性だったのです。

    般若身経もこれらの法則に準じて身体を動かし、からだの感覚をききわける事が大切。

     

    からだの動きというのは前屈、後屈、左右側屈、左右捻転、牽引、圧迫と8つきりしかない。

    この8つのうちの牽引、圧迫を除いた6つだけでも、毎日何回か自然法則に則ってからだに感覚をききわけながら般若身経を行じる事で、より自然体(健康体)に近づいていく。

    回数の問題ではなく、じっくり自分自身と感覚をとおして向き合う事。

     

    自分自身がより自然体(健康体)に近づく程、臨床に於いても被験者のからだの動きの要求が感じとれるようになってくる。

    操体の臨床は、病みを病みとして診断してパターン的な対応をするのではなく、自然体からみて被験者の(ボディの歪みをはじめとした)からだのバランスがどうなのかを診る。

    そのバランスの崩れが病みにつながっているからだ。

    そして、そのバランスの崩れからは、同時に本来のバランスに回復しようとするからだの動きの要求も表現されている。それを感じ取る事が臨床上、非常に重要となる。

    それを、より的確にスムースに行うには、自分自身で真の自然体(健康体)が成り立つ理り事を、感覚をとおして身悟りしていく必要がある。 

    操体は、からだから学ぶ学問でもあるのです。

     

  • 般若身経の解説~健康体操とは違う。

    おはようございます。

     

    創元社から発行された「ー橋本敬三論想集ー生体の歪みを正す」には、般若身経〔健康の自然法則〕が載っている。

    ここに載せられた般若身経は、その1の身体運動の法則と、その2の生き方の自然法則からなる。

    改めて読んでみると、その1の身体運動の法則は、図解入りで親切に説明しているが、何だか体操の教本のような印象を受ける。

     

    広く一般向けに身体運動の法則を知ってもらう為に、解りやすく、それでいて効果が現れるように工夫したのだと思うが、却って法則の奥深さが分かりづらくなっているように感じる。

     

    確かに、ここに記されている基本運動と称した運動を毎日、左右、前後と比較して、やりやすい方を多めに行うという運動をしていれば、他のエクササイズよりも安全だし、身体も柔軟になってくるだろう。
    きちんと行えば、健康維持、増進につながる事は確かだ。

     

    しかし、一つ一つの基本運動を3~5回おこなうとか、そういう決めつけをしてしまうと、エクササイズ的な要素が多分に感じられるようになってしまう。

    義務感のようなものが生じたり、動きも早くなってしまうだろう。

    それでは感覚のききわけが疎かになってしまう。

    これでは、ある程度バランス状態の整っている人が、健康維持、増進の為に行うものというふうになってしまう。

    それでは身体運動の法則を自然法則として活かせない。

    感覚のききわけを疎かにすれば、般若身経も単なる運動と化してしまう、とはよく言われている事である。

    ゆっくり動いて、感覚をききわけながら行うから、バランスを崩して症状、疾患を抱えている人でも活用でき、健康の基礎の調整から健康回復に役立てられる。続けていけば、更に健康の底上げが期待できる。

     

    橋本敬三先生の悲願は、全ての人が健康で快適に十分に満足して一生を全うできるように、という事であり、身体運動の自然法則の究明もその為だった筈です。

    ですので、どんな人でも活用できる健康への手引きであるべきなのです。

    だから、操体臨床(治療)も根本には身体運動の自然法則があり、それを臨床で応用して快適感覚のききわけにつなげられる。
    また、快によってバランス制御に向くからだの動きをサポートするにしても、身体運動の法則あったればこそなのです。

    「ー橋本敬三論想集ー生体の歪みを正す」に載っている般若身経の身体運動の法則のその1の取り組み方では、自然法則の奥深さが伝わらず、勿体ないと感じてしまうのです。

  • 般若身経の解説~愉しく生きるために。

    おはようございます。

     

    この世に生を受けたからには、身がなければ自分の存在は無いのであり、身心のバランスを保ち、様々な環境に適応しながらも、自分なりに愉しく満足して生きていかなければならない。

    ここでいう「愉しく」とは「楽しく」ではない。

     

    「楽しい」というと、テーマパークに行った時のような、与えられた枠の中で楽しむような、どちらかというと受動的な意味合いがあるという。

    対して「愉しい」のほうは、自分自身の気持ちや想いから感じ生まれるたのしい状態の事で、自分の意識、気持ち、考え方次第でどうにでも変化できる能動的な意味合いがあるようです。

     

    自分の人生は他人様から与えられるものではない。自分の人生なのだから自分自身で、自分なりに愉しくしていくものだと思います。

    その為に、全ての存在には快、不快を識別する能力である原始感覚が備わっている。

    だから、快をききわけ、快の方向へ向けて生きていけばいい。

    師がよく言われるところの「石ころにだってバランス感覚はある」という事なのだ。

    この世を創った創造主の真意は、みんなそれぞれ愉しく満足して生きろよ、という事なのだと思う。

     

    その真意に応える為にも、身心の健康は大事である。

    だから、操体では「からだにききわける」「からだにとっての快、きもちよさ」という事を重要視している。

    その為の取り組みも、体操のように動いて、からだにききわけても仕様がない。

    からだは自然環境に適応するように動く事を望んでいるわけであるから、その為のルールなり法則というものがある。

    それを表したのが般若身経であり、般若身経はからだの使い方、動かし方の自然法則を究明してきたものです。

     

    ルールに則って行い、身体を操り、からだの感覚をききわける。

    不快であれば、からだがそれ以上やってほしくないサインと受け止め、快であればからだと共に気持ちよさを全身で表現しながら、気持ちよさで身と心を調和させていく。

    感覚はその時々、バランス状態によって違いますから、快の感覚ををききわけるのが愉しみとなってくれば、身心の健康を基礎から調え、底上げさせていく事が可能であり、そこから人生を十分に愉しんでほしいという事なのです。

  • 般若身経の解説~心と身は別々ではない。

    おはようございます。

    橋本敬三先生はNHKのラジオ放送に出演した時、「般若身経」と名付けた狙いについて話されている。
    その中で、以下のようなことも話されています。

    般若心経のシンは仏教では「心」だけども、身体の身のほうは健康の問題に関係すると思うけれども、「心」と「身」は別のものじゃないんだ。表裏ですよ。だから、どっちでも同じことだと思っている。

    身体のほうが気持ちよければ、そんなにガメツク人をいじめる気にならないでしょう。身体が気持ちよくて自分が満足しているときは、そんなに悪い気を起こすことはしませんよ。ムゴいことする気にならないですよね。

    不満足だから、そいつを満たそうとすれば、人にご迷惑をかけるようなことになる。

    身心は裏と表ですから 

     

    読んでいて思い当たる節がある方は大勢いると思います。

    私は、経験的に思い当たる場面がいくつか思い浮かぶ。そして、反省や恥ずかしい気持ちも持ち上がってくる。

    誰だって感情というものがある。そこから起こる情動というものもある。

    これは身体と密接に関わっていると感じる。

    体調がよく気分も良くて、それが他人様に対して仏意のような慈悲やいたわりに向く場合もあれば、体調がすぐれず気分もどんよりしている時は、自分より立場の弱い人や心配してくれている人に辛くあたってしまう、という場合もある。

     

    後になって、気分がすぐれなかった時の自分の非礼に気づき、悔い改めようとする。そこまでは良い。

    しかし、ほとんどの人は自分の精神性は改めようとするが、その時のからだの状態に関しては忘れてしまっているか、端からからだの事などお構いなしだと思う。

     

    症状疾患を抱えていなくとも、その気分のすぐれなさ、何だか気持ちが悪いというのは、ボディの歪みをはじめとする身体のバランスの崩れと、それに伴う生命活動への影響が大きく関わっている。

    元々は気分よく生きられるようになっているのに、身体のバランスの崩れから健康の基礎がグラついている為に気分よくなれず、本来の自分自身として自然環境をはじめ人為的、社会的環境にも上手く適応できずにいるのだ。

     

    だから、自分自身で健康の基礎を正していく事が、自分自身の為でもあり、周りの人に対する最高の気遣いでもあるのです。

    では、どうやって自分のからだと向き合い、自身の健康の基礎を正していくか。

    それを表しているのが「般若身経」という事なのです。

  • 般若身経の解説~真意を汲んだ経典。

    おはようございます。

     

    「般若身経」を体系づけた橋本敬三先生の悲願は、全ての人が健康で快適に十分に満足して一生を全うできるように、という事だった。

    これは、人間をはじめ此の世を創造した神仏の真意にもつうじると思う。

    そうでなければ、此の世など存在していない筈である。

    本来は有難く出来ているのだと思います。

     

    しかし、人間の場合は他の生物と違い、なまじ知識があるものだから思考的にそんな有難さは当然なものとし、他の知識欲を掻き立てるものに目が向きがちとなる。

    そして迷いを生み、浮遊しながら悩みを抱えてしまう。

    心だって、元々の土台や軸を蔑ろにしたまま、あっち転びそっち転びしていては傷つきやすくなる。

     

    だから、仏教はじめ心の在り方の教えというのは、元々は有難く出来ているのだからそちらに目を向けて、そこに心の在り方を調和させていくように、というのが大方の教えだと思う。

     

    しかし、それが上手く行えないのも人間なのだと思う。

    だから、経典というのが必要であり、様々な迷いや悩みに対応しながら、より良い方向にと導けるようにしているのだと思う。

     

    では、健康に関してはどうだろうか。

    健康に関しては、心の在り方も大いに関わることは確かだが、この身体も元々自然から生じ、自然環境に適応できるように、元々は有難く出来ているという事に気づく事が大切。

    身体の設計にミスはなく、からだはそれを常に遂行してくれている。

     

    そんなの身体の恒常性だから当然、と、その時点で知識で切って捨ててしまえば、有難く出来ている事にも気づけないし、気づけないから自ら身体の土台や軸を崩すような事をしていても分からない。

    そして、分からないまま健康の基礎を害して様々な症状疾患を生じさせてしまっている。

     だから、神仏の真意を汲んだからだについての経典が必要であり、橋本敬三先生は「般若身経」の体系づけに邁進していたのだと思います。

  • 般若身経の解説~何故そう名付けたか?

    おはようございます。

     

    リレーブログ、今週は友松が担当します。どうぞ宜しくお願い致します。

    今回は「般若身経を解説」というテーマでリレーしております。

     

    創元社から発行された「ー橋本敬三論想集ー生体の歪みを正す」には、31ページから37ページにかけて小さな冊子みたいなかたちで、般若身経〔健康の自然法則〕が載っています。

     

    その最後に

    仏意を集約した一番短い経典「般若心経」になぞらえて、著者年来の主張を要約した一枚刷りのビラを「般若身経」と名づけ、みんなに配布してきたが、このユーモアは通ぜず、誤解されるので、最近はこの命名をはずしている。 

    と書かれている。

     

    仏意、仏の心は大慈悲であり、その心は無量寿なのだと思います。

    それだけでなく、その心は生きとし生けるもの全てが元々もっている心。

    元々あるのだが、その心は靄がかかるようにして、この娑婆を生きる自分の心によって隠されてしまっている。

    その靄を取り去り、本来の仏性を発揮できるよう導いているのが数多ある経典であり、般若心経はその中でも一番短く要点をついているものなのだと思います。

     

    般若身経を体系づけた操体の創始者、橋本敬三先生には「全ての人が快適に満足して一生を全うできるように」という悲願があった。

    その悲願達成の為には、人が健康であるという事が大きく関わってくる。

    この健康に関しても、元々は全ての人が生まれ落ちた環境に適応し、健康で満足して生きられるようにつくられている。身体の設計にミスはないという事。

    設計にミスはないが、自らの生き方で健康を害してしまっている。

    だから、その為の経典が必要となってくる。

    人間は地球の上で「呼吸」「飲食」「身体運動」「精神活動」といった最小限の生命活動を基盤に様々な生活を営んでいるが、特にこの中の「身体運動」が「自然環境」と上手く適応できていないが為、ボディに歪みを生じさせ、アンバランスなまま健康の基礎を崩してしまっているという事。

    そこから様々な症状疾患を生じさせてしまうし、事故も起こしやすくなってしまう。

    身体の使い方、動かし方にも自然環境へ適応して、快適に生活を営むためのルールがある。

    それが自然法則であり、究明した身体の使い方、動かし方の自然法則を一般の人にも知ってもらい、健康を基礎から調整できるよう役立ててもらいたい。広く一般に親しんでもらいたい。
    そういった意味で、ユーモアも交えて般若身経〔健康の自然法則〕と名付けられたのだと思います。