投稿者: karib_sotai

  • 私のズッコケ操体体験(6)チッチと呼んで

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    昭和生まれの方ならば、知っているかもしれません。
     
     
    むかしむかし、私が小さい頃に大流行し、そして今でも継続して人気があるマンガがあります。
    それは「小さな恋のものがたり」というもので、うちの母(80歳越え)なども、マンガは「ベルばらとちい恋だけは読む」というくらい、人気があったマンガです。
    確か一年に一度単行本が出ていて、私は自分では買わずに、友人の家で読んでいました。お母さんが読んでいるという人も多かったような気がします。
     
    また、超大昔、若い頃の三浦先生がそっくりな沖雅也と岡崎有紀のドラマもありました(私はオンタイムではなく、再放送で見た)。

     

     ↑

    Amazonで売ってました。

     
    どんな話かというと、高校生(チッチ)と、ボーイフレンド(サリー)の話です。
    チビでドジなチッチと、背が高くてハンサムはサリー(愛称。多分「のっぽのサリー」から来てるんだと思います)のマンガで、昭和の香り漂う四コママンガです。
     
     
    それはどうでもいいんですが、この「ちい恋」ファン、結構いるんです。
     
    アナタのお母さんとかお姉さんも読んでいたかもしれませんが、ファンの中には「自分のことを『チッチ』って呼んで」という人が結構いるんですね。
    私の小学校の同級生にもいましたっけ。誰も呼んでなかったけど。
     
    私が高校生の時「ジュンコちゃん」という子が「ジュンコって、平凡だから『ニャンコ』って呼んでくれない?」と頼まれたことがありますが、どうにもかけ離れていたので、やはり「ジュンコちゃん」と呼んだような。
    あとは「由紀ちゃん」と言う子が「未久(みく)ちゃん、って呼んで」と言ってきて、手紙にも「未久ちゃんより」とか書いてありましたが「自分で未久って書くなよ(笑)」というような。

     

    さて、これとチッチと操体と何が関係あるかというと、
     
    ある時、母よりも少し若いくらいの既婚の女性が見えまして、何度か操体を受けてくださったのですが、何かの時に
    「チッチ、って呼んで下さらない?」と言われ
     
    「へっ?」となったことがあるからです。
     
    驚きますよね。驚きましたよそりゃ。
     
    (あ、「ちい恋ファンの人」かっ??)
     
    その時は焦って「あははは」と、ごまかしましたが、その後、何かでメモを貰った時に
     
    「チッチより」
     
    と書いてあって
    「うわ~。真性ちい恋ファンだ」
    「もしかして、ダンナさんにも『チッチ』って呼ばせているのか??」
    「ダンナにも呼ばせてるんだろうなあ」
     
    と、かなり焦りました。
     
    その後、世の中にには、その人の他にも「チッチって呼んでほしい」女性がかなりおり、親しい人に「チッチ」と呼ばせていることもわかりました。
    「チッチと呼ばれたい」元祖少女は結構多いようです。
     
    しかし、今考えると、女性はヨメに行くと名字が変わったり「○○さんの奥さん」とか「○○さんのお母さん」のように、自分の名前を失い、役割語(奥さんとかお母さんとか、○○ちゃんのママとか)で、呼ばれます。私はこれを結構ゆゆしいことだと思っているのです。
     
    「呼んで欲しい名前」で臨床をやるのも良いかもしれません。
     
    今なら「チッチさん」でも何でもウェルカム?です。
     

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  • 私のズッコケ操体体験(5)

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    ” data-en-clipboard=”true”>すごく昔のお話です。
    私がある操体の講習に参加していた時の話です(操体法東京研究会以前)。
     
    受講生の中に独特の表現をする年配の女性がいました。
     
    講習の際、モデルになると、
    「あ~ん、う~ん」とかいいながら表現するのです。
     
    当時はまだ楽と快の区別が曖昧時代の私でしたが、いや、この操法でそういう反応する??みたいな。
     
    例えば仰臥位で起床時に伸びをするような感じのポーズです(くねくねと言ったら良いかもしれません)。
     
    猫がくねくねするのはカワイイですが・・・・・・
    「あ、あ~ん」とか「う、う~ん」の連続です(想像しなくていいです。あ?想像しましたね??)。
     
    はたからみていて、いわゆる「あえぎ声」(すいません)を発しているようにも聞こえ、ちょっと赤面したくなるような。
    私はその場にいてかなり恥ずかしかった記憶があります。
    「人前で、そんな声出しちゃっていいんですか??」「そういう姿態を曝していいんですか」みたいな。
     
    注)この話は、すごく昔の話です。今は、私も修行を積んだので、これくらいでは驚きません。人には、色々表現の仕方がありますからね!
     
    そして極まると、その人は、鼻の下がぐーんと伸びるのです。
    ちょっと白目をむいたりします。
    何度か見ているうちに、私にはその人の表情が、オランウータンに見えてきました。
     
    オランウータンに見えてくると、だんだん平気になってきました。
    慣れたのかもしれません。
     
    講師の先生(男性)も、他の受講生(男性)も、全く普通にしていましたが、気にならなかったのか、気にならないフリをしていたのかはナゾに包まれたままですが、多分気にしないフリをしていたのではないかと思います。
     
     
     
    当時、クラス修了後、一緒に受講していた女子に聞いてみたら「あれはかなりまずいのではないか、そして以下自粛」と言っていました。
     
    「私だけじゃなかった」と少しほっとしました。
     
    今年はこれで失礼致します。
     
    皆様、よいお年をお迎え下さい。
     

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  • 私のズッコケ操体体験(4)ズラ

    一番思い出深いのは、操体専門で開業してまだ1年目か2年目のことです。
    ある会社の方々が、会社ぐるみで操体法を気に入ってくださり、よく来て下さっていました。
     
    そこから、取引先の会社の社長に、接待で操体を受けてもらいたいとのオファーを受けました。
     
    当時の私はまだ「第一分析」とか「連動操体」バリバリの時代でした。
    端的に言えば、首が痛いと言えば、首の運動分析をして、辛い方から楽な方に動かして、瞬間急速脱力を試みるという時代です。
    多分1994年頃でしょうか。
     
    その会社の方に付き添われてやって来た「取引先の社長」さん。主訴は「首を動かすと痛い」とのこと。
     
    当時の私は「首の運動分析ををして、楽な方に動かして、瞬間的に脱力させる」という動診操法か、今でもたまにやりますが(これだけは得意)、仰臥位で首を反らして頂き、脱力させるというのをやっていました。
     
    首は(受けた方はお分かりになると思いますが)、スコン!と入りますし、鼻がスーッと通ったりします。頭もすっきりしますし、首も楽になります。
    その会社の皆さんも、多分その威力?を知っているので、「取引先の社長さん」にもやって欲しいと思ったのでしょう。
     
    これについては、今でもやりますが、かなり難易度が高いのと、初心者が見よう見まねでやると危ないので、伝授する人は選んでいます。
    自分から「やってもいいですか」「やりたいから教えて欲しい」という人には、敢えて待って貰っています。

    「教えて欲しい」という時点で、まだ早いのです。
     
    私から「この人には教えてもいい」と思う人に伝えています。これは出し渋りでも何でもなく、その人の「操体度」を見ているのです。
     
    というのは、以前「プログラム通り」に教えていて、ある受講生に危ない目にあったからです。
    自分で首を保護しなければ、頸椎損傷とか、ヘタすれば、C1骨折で死んでたかもしれないのです。回転させるべきところを、思い切り引っ張られたのです。

     

    そして、私は一瞬焦りました。
     
    というのは、その「取引先の社長さん」は、
     
    自分では、周囲にはバレていないと思っているけれど、周囲は皆知っていて敢えて黙っている「ズラ」の方だったのです。
     
    これは、仰臥位で、床にアタマをつけて、首を反らせて、というのをやると、ズレる可能性があります。
     
    飛んじゃったりしたら、連れてきてくれた会社の人の首も飛びそうです。
     
    その時は、腰掛け位で頭部に触れる箇所は、指先二箇所というテクニック(これをテクニックというのだと腹の底から思いました)を駆使し、何とか満足して頂きましたが、あの時は本当に焦りました。
     
    今は、首に痛みがあっても、首に触れずに、ズラにも触れずに動診操法を行えますので、大丈夫です。
     
    なお、余興に?銀魂の桂さんの「ズラじゃない、桂だ」の特集を貼っておきます。
     

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  • 私のズッコケ操体体験(3)

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    初期は、三浦先生と私の他にも色々な先生がいましたが、何せ皆社長なので、全くまとまりがつかなかったのですが、私はこの間に、三浦先生の実技を見て
     
    「今まで自分がやっていたのは『快』と言いつつ、実は楽か辛いかだったのだ」
     
    ということに、愕然としました。
     
    そして、当初?の予定通り、三浦先生に改めて弟子入りしたいと思ったのですが、当時の私はすでに受講生はじめ一門を抱えており、当時のパートナー(私の影響で操体をはじめた)には、猛反対されました。
     
    その時の私の悩みは
     
    私が院長であり、私のほうが先に操体の勉強を始めたのに、どうして『何でダンナさんが院長じゃないの?』とか『ご主人のマネして操体をはじめたの?』とか『○○さんの奥さん』と言われるのが、めちゃくちゃ苦痛だったのです(笑)
     
    「三浦先生の講習に参加するなんて、絶対に許さない」とも言われたのも我慢できませんでした。
     
    なので、離婚届けを書いて、母にもハンコを押して貰って「ハタケヤマに戻ります」と言いました。(かなり割愛していますが、背後に壮大なドラマを想像してください笑)
     
     
    損か得か
    正しいか正しくないか、
    で考えたら、損だし、正しくないといった方がいいんでしょうが、
     
    私は「原始感覚」に従ったということです。
     
    「このまま相手の言うことを聞いて、一生我慢するつもりか?」という、自分自身への問いかけに答えを出したということです。
     
    多分、そのままだったら、精神を病んで死んでいたような気もする(原始感覚です)のです。
     
    それが8月。私は9月から開講の、三浦先生の定例講習に参加したのでした。
     
    また、操体には、それだけ自分の情熱をかける価値があることもわかっていました。
     
     
    その前から「塾SOTAI」に来ていいよ、と三浦先生には言われていたので、何回か参加させていただきましたが、そこ(塾)で出会ったのが、半蔵さんと岡村さんでした。
     
    それから2年後、三浦先生と私とで、定例講習とは別に、プロ向けの「臨床講座」というのを開催しましたが、その第一期生として入って来たのが友松さんです(先週のブログ参照。テープレコーダーを回していたのは私です)。
     
    こうやって考えると、今、フォーラムの実行委員をやってる人は、かなり「ふるい」にかけられた、厳選されたメンバーだということがわかります。
     
     その後、改めて三浦先生と私とで、新生「東京操体フォーラム」を立ち上げたのです。
     

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  • 私のズッコケ操体体験(2)

    私が最初に操体を習ったのは、三浦先生ではありませんでした(岡村さんしかりですが、他の操体を知っているからという利点もありましたし、操体の色々な面をみることが出来ました。これも大事な修業の一環だったと思っています)。
     
    当時通っていた整体の学校(秋葉原)の通学路に「操体法」という大きな看板を出しているところがあったり(津田温古堂)、学校でも操体法の特別授業があったりして、わりと勉強には良い環境にありました。
     
    私は当時「操体法治療室」は読んでいたものの、秋葉原の「津田温古堂」には行く気にならず(毎日前を通っているのにね)、三浦先生に連絡しようかと色々考えている時に、その学校で操体法の特別講義が開催されることを知り、早速申し込みました。
     
    この時、教えてくれた先生はK先生と言いましたが、熱心な先生で、仙台の温古堂に行ってみたりしていたそうです。
    後で聞いたところ、三浦先生のところに行って治療を受けたそうですが(勿論どんなことをやるのか偵察)、渦状波を受けて寝てしまい、気がついたら寝ていて何をされたのかわからず、という話でした。
     
    この先生の勧めで、橋本敬三先生の本を熟読し、教えて頂いた「いわゆる基礎」と「応用(連動操体っぽいもの)」を修練しました。私の場合、実際に人様のからだを借りて練習を積むことができたので、K先生に習ったことは、ほぼ完璧に再現できるようになりました。
     
    この時私が習得したのは、「快方向に導く」とはいうものの、やっぱり後で考えると、二者択一の楽な動きだったんだなあ、と思いますが、ピンポイントで痛みを取るとか、即効性はものすごくありました。
     
    そこから開業までは省きますが、当時「オンナが院長の操体専門?」だからどうか知りませんが、結構「お手並み拝見」とか「道場破り?」っぽい感じでやってきて、その即効性に驚いて「教えてください!」ということになった人が結構いました。
     
    というわけで、私は三浦先生に操体を学ぶ前に、自分で講習を持ち、また、1998年には既にHPを持っており、操体のポータルサイト的な情報を流していたので、書籍を書く幸運にも恵まれたのでした。

     

    結局は、三浦先生の臨床を目の当たりにして「快を問いかける操体臨床とはこういうものだ」と、ズッコケた挙げ句、目からウロコが落ちまくり「痛みがとれるとか、即効性があるのがいいわけではないよね、と、こちらは10年以上封印していました(後に、D1’として、甦らせました)。
     

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  • 私のズッコケ操体体験(1)

     こんにちは。畠山裕美です。

    今回は「私のズッコケ操体体験」ということで(すいません。発案者は私です)、お送り致します。
     
    まず、最初に操体関係でずっこけたと言えば、高校二年の時、別冊宝島「東洋体育の本」を読んだ時です。
    私はすでにその頃、足裏反射とか、エドガー・ケイシーとか、太極拳とか気功とか、ヨガとか、手技療法ワールドに足を突っ込んでいました。ムーとかも読んでましたね(って、今と大して変わりません)。

     

    東洋体育の本 (別冊 宝島)

    東洋体育の本 (別冊 宝島)

    • メディア: ムック
     

     

    私は中学から大学まで、某女子大付属の学校に通っていたのですが、とにかく本を読んでいました。
    「学内で年間一番本を借りた人」になったこともあります。
    本と言っても、何でも読む派で、マンガはもとより、ミュージック・ライフとかロックショウとか、図書館にあったアメリカのティーン向けの雑誌から、池波正太郎から、とにかく何でも読んでいたような気がします。図書館は、最後のあたりは「棚の端から読む」とかやっていました。
     
    というのは、今のようにネットがなかったので、情報源が限られていたこともあるのかなと。
     
    また、昔は今のように、テレビが一家に複数台あることは珍しく、チャンネル権は両親にあり、私はテレビと言えば、時代劇か、洋楽番組か、親が寝てから(爆)「必殺」シリーズや「チャーリーズ・エンジェル」とか(今と趣味が全く変わっていないことに今更驚愕)見ていました。テレビよりも本だったのです。
     
    また、今もありますが popeye というのがありますね。今は若者向けファッションマガジンですが、昔は、「アメリカ西海岸のカルチャーを紹介」的な雑誌でした。何故、知ったかというと、KISSのポール・スタンレイがpopeyeの創刊号を持っている写真を見たからです。
    今でもそうですが、ポールのファンの私は「すわ、ポールが持ってるなら買わなきゃ」とpopeye誌を買いました。そうなると「宝島」とかも買うわけですね。糸井重里さんとか、あの辺りが活躍していました。
     
    「別冊宝島」は文章型部ムックというか、一冊一テーマというのが特徴です。
     
    私はその前からヨガの研究と独習(どんな高校生だ)をしており、太極拳にも興味があったので「東洋体育の本」を手にとったわけです。そこで見たのが、気功家の津村喬氏が書いていた、操体法についての説明でした。
    数ページくらいの短いコラムで、イラストで「基本運動」が紹介されていました。
     
    最初の私の印象は「じじくせ~」「抹香くさ」でした(すいません)。
    (また、津村氏が100キロ越える巨漢だったことを知っていたことも関係しているかもしれません)
     
    もしかすると、「東洋体育の本」の、操体法についてのコーナーを、三浦先生が書いていたら、操体法についての世の中のイメージは少し変わっていたかもしれません。
     
    若い頃は、昔なら沖雅也、今なら岡田将生似だったからです(笑)
    (NHKの朝ドラ「なつぞら」を見た人からの情報です。。)
     
    私も、もし「東洋体育の本」に、三浦先生の写真が載っていたら「じじくせ~」とは思わなかったでしょう。
     
    次に私が操体に出会うのは「操体法治療室」です。
    表紙裏に、おじいちゃん(橋本先生)を囲んで、若者が二人写っていました。
    それが、今先生と三浦先生です。
     
    この辺りが、ずっこけどころです。

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    左 三浦先生、真ん中 橋本敬三先生 右 今昭宏先生

     

     

  • 私のズッコケ操体クロニコル7

    おはようございます。

     

    一部が分かったところで、勝手に全部をわかったとしてしまう早とちり。

    誰でもそういうところはあるものだし、それでズッコケても自分の間違いに気付けるのだから、まだいいと思う。

    しかし、自分の思い込みが強すぎて、固定観念で凝り固まってしまっていると、なかなか自分の間違いに気づけず、自分自身を変えていく事が出来なくなってしまう。

    こちらの方が問題だと思う。

     

    黒いものだって、光の当たり方次第で、白く見えたりもする。

    メッキを施した綺麗な装飾品も、手入れせずに放っておけば、時間の経過とともにメッキは剥がれ、中身の金属も錆びついてくるだろう。

    存在には、必ず時間、空間の関わりがある。

    固定されたものなんてない。常に動いて状況に応じて何かしら変化している。

    だから、その変化に対応して自分自身も、より良く変わっていく必要がある。

    その過程では、ズッコケる事もあるだろうが、様々な関わりによって有難く生かされて生きているという想いがあれば、そんなに大きな失敗にはつながらないのではと思う。

     

     

    話は変わりますが、年末から大型の寒気が襲来するようです。

    雪が降ってなくても、朝方は路面が凍っていることもあります。

    慌てていて、ツルッと滑ってズッコケないようにしたいものです。

    寒いと布団から出るのも億劫になりますが、時間に余裕をもって生活空間の変化に対応していきましょう。

     

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。

    来週は畠山裕美先生の担当となります。

    明日からも、おたのしみに。

  • 私のズッコケ操体クロニコル6

    おはようございます。

     

    今回のテーマは「私のズッコケ操体クロニコル」ですが、ズッコケと聞いてからブログの執筆にあたっていると、子供の頃によく口ずさんだオバケのQ太郎のテーマ曲が、度々浮かんくる。

     

    ♪あのねQ太郎はネ~、から始まるこの曲の2番目の歌詞の中。

    ♪ズッコケなんだ あわてん坊なのさ

     いつも 失敗ばっかりしてるんだよ~

     だけど カッコいいつもりなんだってさ~♪

     

    私などは、何か親近感を憶えてしまうが、あわてん坊や早とちりだと、ズッコケやすくなったり、失敗しやすくなるのは確かだろう。

    ズッコケや失敗も周囲の許容範囲であれば、ご愛敬とも成り得る。
    しかし、同じようなミスを繰り返してばかりでは呆れられるし、許容範囲を越えた失敗は時に周囲に迷惑をかける事となってしまう。

     

    特に注意しなければならないのが早とちりだ。

    早とちりとは、一部が分かったところで、勝手に全部がわかったと思い込むことをいうようだ。

    これは、相手の言わんとしている事を理解しようともせず、自分の知識や考え方のみで相手の言っていることを勝手に決めつけて、行動してしまう事にもつうじる。

    これでは失敗や間違いにつながりやすいし、からだとの関わりも含めれば勘違いにもつうじる。

    まずは、相手やからだの事を尊重する気持ちが大切と思う。これは、操体の学びにもつうじる事でもある。

     

    橋本敬三先生は、よく「野次馬でなければダメだ、嘘か本当かまずやってみよ」と言われていたと聞く。

    しかし、野次馬見物も己の経験や知識からの上から目線で見てしまうと、その人の行っている事の真意は解りづらくなってしまう。

    まずは、己の知ったかぶりを捨て去り、尊敬する気持ちが大切と思う。その上でやってみる。

     

    オバケのQ太郎の歌は3番で、こう締めくくっている。

    ♪わんぱくなんだ かわいいやつさ

     いつも とぼけちゃっているんだよ

     だけど とっても立派なオバケなんだってさ~♪

  • 私のズッコケ操体クロニコル5

    おはようございます。

     

    先日行われた秋季東京操体フォーラムでは、橋本敬三先生の現役時代のビデオの後に、三浦寛先生の20年以上前のビデオも上映されていました。

     

    その中の「操体臨床の要妙」のビデオの一部を見ていて、思い返されたことがある。

    操体臨床の要妙のビデオには、名医と名高かった耆婆や扁鵲の如くに先生が竹竿を持ち、視聴者に分りやすいように被験者の軸を診断するシーンがある。

    その竹竿が、私がはじめて講習を受けていた時には、まだ講習所の隅に置かれてあった。

    そして、その竹竿は違うシーンで活躍することとなる。

     

    はじめて参加した講習会も、何か月か過ぎた頃だったろうか。

    私たち感覚分析診断操法士の受講メンバーも、教えを受けるだけでなく、内容のチェックを受けながら修練を重ねる段階に進んでいた。

    その時、活躍したのが件の竹竿だった。

     

    介助、補助の練習の時に、座禅の警策の如くに竹竿で打っていただく。

    「ふん」という声とともに「ピシィー」と大きな音がするものだから、傍から見ていると凄く痛そうにみえる。

    しかし、実際に打たれてみると痛みは感じられない。そのかわり気持ちはシャキッとなる。

    「ふん」「ピシィー」…「早い、もっとゆっくりと」

    「ハイッ」…返事も濁りのない素直な返事が自然と出来、落ち着いて励めるようになる。

     

    これも不思議な感じを受けたが、それだけ全身全霊を込めて真剣に指導にあたっているという事なのだろう。

    中途半端な気持ちでやっても、あれほど大きな音は出ないだろうし、からだに痛みを与えることにもなると思う。

    からだの事を大事に想い、上達を後押しする気持ちがしっかり篭るから、からだに痛みやダメージを与える事なく精神をシャンとさせる事ができるのだと思う。

     

    はじめの頃は、どうしても技術的な面にばかり目がいきがちとなってしまうが、それ以上に大切な事を色々教えていただいていたのだと、今更ながら感じる。

  • 私のズッコケ操体クロニコル4

    おはようございます。

     

    はじめて講習に参加した頃は、それまでの日常では体験した事がないような事が多く感じられました。

     

    その当時、講習が始まる前に一分間の瞑想が必ず行われていた。

    私は、一人で瞑想するのは苦手だったが、三浦寛先生の「はい、それでは一分間瞑想」という号令の下、みんなで静かに目を閉じている時間は、何だか自分でカサカサさせてしまっている自分自身をリセットさせ、潤いを与えているような感じがして、好きな時間だった。

     

    週一で通っていて2か月くらい経った頃だったろうか。

    その日は講習が終わった後に、何年かぶりに整体の専門学校で同期だった人たちとの飲み会の約束があった。

    講習前の瞑想に集中できず、いろいろ考えを巡らせている自分が居た。

    「今日の飲み会は7時からだったよなぁ・・・

     久しぶりだけどみんな元気かなぁ・・・

     まずは生ビールで乾杯して・・・

     今の時期うまいんだよなぁ、へっへっへっ・・・」

     

    そのうち、先生の細く長い独特の呼気の音が聞こえてくる。

    正座して目を閉じていた私は、背スジにビクビクッと衝撃が走った。

    そして「瞑想やめ」の声が聞こえてくる。

    今のは、何だったのだろう?とキョロキョロしていると、先生と目が合う。

    こちらを見据えている。

    私は、何もかも見透かされているような気持ちになり「すみませんでした」と頭を下げる。

    先生は「ゥン」と一言だけ頷かれた。

    私は、ただただ恐縮するばかりだった。