
投稿者: karib_sotai
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南会津の山(6)
山と言えば、数年前まで毎年開催され、我々も参加していた「伝統療法カンファレンス」。開催場所は、南会津の「会津アストリアホテル」。冬場はスキーで人が大勢集まるところです。夏は色々なイベントで人を集めているのです。スキーというかスノボは、主催団体の一つである「筋整流法(腱引き)」。筋整流法の小口先生、色々ありがとうございました。最初は小さなレンタカー、次は電車でしたが、参加者が増えるに従って、ワゴンを借りて10人体制で行くようになりました。そして九州博多の新部健太郎相談役も易者さんとして参加。考えてみると、スキーもしなきゃキャンプにも行かない私なので、山に行くといったら、南会津しかないわけですよ。三茶で借りたレンタカーに乗って、南会津まで実行委員某氏の安全運転でのんびり行って、温泉入ってイベントで足趾の操法やって、会津の美味しいものを食べ、あれは私にとっての夏休みでした。また、筋整流法の皆さんとの交流も非常になりました。芸風は違えど、互いに「プロ」として、受けたり施術したり。他の治療法を受ける機会ってあまりないですよね。そう言う点においても非常に勉強になりました。なによりも「合宿的」な面があったので、それも良い効果があったと思います。会津高原尾瀬口という駅があり、そのあたりから山に上がっていきます。途中で、サンショウウオの黒焼きを三浦先生が買いだめし、のちに松岡正剛先生にプレゼント?していたのもなんだか懐かしい話ですが、本当に美しいところでした。またこういう機会があるといいですね。会津アストリアホテル。日本じゃないみたいですね 2022年秋季東京操体フォーラムは11月23日ハイブリッド開催致します。 -
富士山(5)
三浦先生に聞いたことがあるのですが、橋本敬三先生から「一度は富士山に登れ」と言われたことがあるのだそうです。富士山で思い出すのが「徐福伝説」です。(中国は秦の時代。始皇帝の命により、不老不死の仙薬を求め、日本にやってきたとされる人物)続神代文字考 橋本敬三 より一九六二、一二、(医家芸術)(仙台市・開業ー内科・神経科)「徐福 秦の始皇帝の命を受け(BC二一九)日本に不老不死の霊薬を求めて数百人の童男童女を引きつれて渡来したが、富士山麓に住みつき、富士古文書を書き紀州に墓もある。その後も秦族はたびたび集団渡来帰化しているが、これがみなユダヤ人であるという。橋本敬三先生が「富士山には一度は」とおっしゃったのは、もしかすると徐福伝説?と思ったりします。私自身は、新幹線から三島辺りで「おお、富士山だ」と、写真を撮り、銭湯で富士山の絵を見るくらいです。
駒の湯さんのフロントの富士山
2022年秋季東京操体フォーラムは11月23日ハイブリッド開催致します。 -
須弥山とかシャンバラとか(4)
ヒマラヤ山脈からアンモナイトの化石が見つかったという話があります。
ヒマラヤは大昔、海だったということです。どれだけ地盤が動いたのだ!っていう感じですよね。須弥山(しゅみせん)この須弥山は、ヒマラヤ山脈だと言われています。あれだけ高いと、神仏が住んでいるとこなんだろうと思ったりするでしょう。シャンバラ(多分ヒマラヤにある地下都市。一種のユートピア)の伝説も、面白い。須弥山はスメールとも言われますが、スメールというと、シュメール、メソポタミア文明を想像してしまいます。現在、スメールとシュメールの関係性は明確になっていないそうですが、何だか関係はありそうですね。また、日本の「スメラミコト」(天皇のみを指す尊称)も、実はシュメールから来ている説(はまると大変な古代文明)もあるそうです。こう言う話って、なんだか引き込まれますよね。2022年秋季東京操体フォーラムは11月23日ハイブリッド開催致します。
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金時山の金時娘(3)
” data-en-clipboard=”true”>金太郎由来の金時山です。めちゃくちゃ疲れて、へとへとになった記憶があり、金時茶屋の金時娘はほぼおばちゃん(今はどうだか知りません)でした。下りはみんなスイスイ降りていきましたが、その後「山登りは登りよりも下りのほうが膝に来る」ということを身をもって知りました。思い起こすと、私の登山経験って、これくらいしかありません。
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やま(2)
私の母方の実家は、気仙沼駅の二つ先の上鹿折(かみししおり)という所にありました。昔は大船渡線の駅でしたが、震災後不通になり、大船渡線のバス路線駅となっています。東京の品川戸越で生まれ、2歳から8歳までは、千葉市のいわゆる団地で育った私にとって、この上鹿折の母の実家は、異次元空間でした。今は新しい家が建っていますが、私が幼い頃は、茅葺き屋根の大きな家でした。(母方の実家は、江戸時代は庄屋的なところだったそうです)そして、家の周囲は山でした。茅葺きの家で、五右衛門風呂があって、トイレ(と言うか厠)は外にありました。お風呂の電気は蛍光灯ではなく、電球でした。トイレは当然ながら水洗ではありませんし、薄暗い電球です。夜、風呂やトイレに行く時に、空を眺めると、気分は「まんが日本むかし話」でした。勿論電信柱などないので、月明かりみたいな感じで山が見えます。はっきり言ってかなり怖かった記憶があります。
私がホンモノのタヌキを見たのは、東北道のSAと、三茶です。 2022年秋季東京僧体フォーラムは11月23日ハイブリッド開催致します。 -
やま(1)
” data-en-clipboard=”true”>こんにちは。畠山裕美です。1週間よろしくお願い致します。今回のテーマですが、瀧澤さんと「次回のテーマはどうしようか」「海の次は・・」「山?」のように、流れに任せて?設定しました。三浦先生には「海の次はって」って、多少呆れられましたがまあご愛敬。私にとっては、山というのは「森」というか「木が茂っているところ」「里山」が思い浮かびます。人が踏み入ることができる高いところ、くらいでしょうか。操体発祥の地、仙台は「杜の都」と言われています。これは仙台市の雅称及び愛称です。これを調べてみると、1909年(明治42年)に、公文書に「森の都」というのがみられるそうです。その後1916年(大正5年)に「杜の都」という記載がみられ、昭和になってから「杜の都」と、呼称を統一したそうです。子供の頃は、毎年夏休みに宮城の気仙沼の両親の実家に帰省したものですが、当時はまだ東北新幹線は通っていなかったので、東北線の特急で、仙台の先、一ノ関まで行くわけです。7時間くらいかかった気がします。一ノ関からは、大船渡線で、気仙沼まで行きます。一ノ関というのは、海岸線から離れており、比較的山側にあります。そこから、海に向かってくねくね走っているのが大船渡線です。2011年の震災で、バスに変わったり、色々変化がありましたが、私が「ヤマ」というと思い出すのは、この大船渡線から見える山だったんです。
2022年秋季東京操体フォーラムは11月23日ハイブリッド開催致します。 -
テーマ山・・・7
おはようございます。
日本は四方を海に囲まれた島国であり、その国土の大半を占めるのが大小の山々。
そして、大小の山々それぞれが宝の山。
宝の山といっても、そこに埋蔵金が埋まっているわけではない。
(埋まっているかもしれないが)山は、その気候風土に相俟った植物、森林を携え、川を生じさせ、清らかな空気や水を育んでいる。
そこから受ける恩恵は、埋蔵金の比ではない。
森林と一体化した山、そこに生じる生態系からの採集、狩猟は、いにしえの人達にとって貴重な食料源であったであろう。
いにしえの人達は、やがて稲作をはじめるが、稲作にとって重要なのが水の確保。
水にしても、雨や雪を山が一旦蓄え、土の中で浄化させているから清らかでおいしい湧き水となる。
湧き水は、山の傾斜により所々より湧き、それが川を生じさせる。
そうして出来ている川であるから、川は平地で大きくなっても水の流れが保てている。
その御蔭で、稲作も盛んになっていった。
そして、時代が進むにつれて稲作だけでなく、平地での水の流れは物流の流れを生じさせ、様々な産業の発展にも寄与していった。
そうした発展も、元々をたどっていけば豊かな山々となる。
また、世界の文明の発祥には大河あり、とよく言われるが、その大河も山々がなければ生じない。
こうして考えていくと、山の恩恵はすそ野が広がるように広く、大きなものに思える。
日本には、山に感謝する風習が地域ごとにそれぞれあるが、素晴らしい事だと思う。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
来週は畠山裕美先生の担当となります。
どうぞ、おたのしみに。友松 誠。
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テーマ山・・・6
おはようございます。
私は、月に何度か湘南新宿ラインを利用して、東京まで出かけている。
大抵は日曜日で、朝の7時10分ぐらいに新宿駅で3分ぐらい停車してから渋谷方面に向かう電車を利用している。
新宿駅でよく見かけるのが、登山服姿のシニア世代の人達。
けっこう登山服がきまっている。
高尾山にでも行くのだろうか?
高尾山だったら京王線で1時間くらいだろうか?
東京都といっても山はある。
銀座に山を買おうとしても山は無いが、都心を離れ西の方に行けば風光明媚なところは沢山ある。
高尾山もそのひとつであり、高さはそれ程でもないが、頂上まで行けば色んな風景を見ることができる。
今の時季であれば、晴れていれば空高く空気も澄み、富士山も良く見えるだろうし、都心のビル群も綺麗に見えるだろう。
生で見て、味わうという事は必要な事だと思う。
その景色と、一体化してつながっている空気を、網膜、皮膚をはじめ全ての感覚器で触れて、味わう。
心の奥底に、優しくヒビクなにかがある筈だ。
これは、デジタルデータの光の点滅画面を見るのとは、違う筈なのだ。
電車に乗っていた登山服の人達は、新宿駅に着くまで、にこやかに窓の外を眺めており、スマホを見ている人はおらず、これから味わう風景に期待を膨らませているようでもあった。
しかし、それ以外の車内の大抵の人達は、スマホの2次元の世界に夢中になっている。
どちらが、心の豊かさにつながるのだろうか?
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テーマ山・・・5
おはようございます。
日本三大奇景の一つとされている妙義山は、今日もゴツゴツとした岩肌をさらしつつも、やさしく周囲を見渡しているように感じられる。
以前、操体の学びの同志の方が、こちらに尋ねてこられたことがあった。
その時に妙義山を見て、鋸のような山と形容していたのが印象的だった。
確かに、山のてっぺんがギザギザしている。
それが、ちょうど私の家の方から見ると、ギザギザの高さが平均して鋸のように見えるのだ。
実際には、いくつもある山のてっぺんは均一ではなく、見る角度が違えば随分と違ってくる。
実際の高さはそれぞれ違うのだけれど、私の家の方からは平均して鋸のように見える。
そう見せてもらっている事に、何かを教えてもらっているようにも感じる。鋸は、歯が一つでも欠ければ、他が切れ味鋭くとも、途端に切れ味が無くなってしまう。
また、ギザギザした歯が均一ではなく、高さを主張したり、小さく萎縮したが歯があれば、鋸の用は成さなくなってしまう。
人間組織もそうだと思う。
個人それぞれは個性があって良いが、何か目標や目的があるならば、個性の良い面や悪い面を互いに尊重して補い合い、全体が調和しながら合目的となれば、より良い成果がもたらされる。
また、縁あって同じ目標を持ったのだから、欠ける事のないようにしなくてはならない。
鋸のようにギザギザに見える山は、そう教えてくれているようにも感じる。
そう気づかせてくれた同志の方にも、感謝であります。
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テーマ山・・・4
おはようございます。
まわりの、なだらかな山々を見渡すと、鉄塔や送電線が増えたと感じる。
スマホも5Gの時代だというし、自動車だって電気自動車が増えてきているし、電波や電力の供給の為には、それだけ必要なのかもしれない。
山の景色を写真に撮ったりする場合は、鉄塔や送電線は邪魔に感じるが、案外、地域の風景には溶け込んできている感じもする。
あまり乱立するのはいただけないが、目印になるとか、人間の手が入っている安心感のようなものはある。
低山といえども、舐めてかかるとえらい事になる。
奥に分け入れば、方向が分からなくなって、迷ってしまう事もある。
事実、迷って歩き回っているうちに、足を滑らせて滑落して動けなくなってしまい、そのまま何日も発見されないという事故が、度々起きている。
手つかずの自然の中では、一人の人間など無力なもので、今の時季は陽の傾くのも早く、道に迷えば大の大人だって心細くなってしまうのだ。
そんな時、鉄塔なり道標なり人の手が加わったものや場所に着けば、ほっと胸を撫で下ろせる。
また、助けを呼ぶにしても、鉄塔に記してある情報は役に立つ。
乱開発による自然破壊はいただけないが、自然の立場を尊重し、自然から学ぶ。
そして、自然と共存共生する為の智慧を出し、自然に手を加えるのは必要な事だと思う。