投稿者: karib_sotai

  • あずかりもののいかしかた4

    昨日に続き、モノの寿命について。

     

    人が生み出したモノにはいのちが宿る。

    宿ったいのちは辞書的に言えば、「物が使用にたえる期間」の寿命をもって全うされる。

    一方で、このモノのいのちというものは、人の手のかけようによって、伸びたり短くなったりするようである。

     

    まず第一に、そのモノにもいのちがあることを忘れていないことがミソだ。

    モノだって私たちが気づかないだけで、呼吸しているかもしれないのだ。

     

    そのうえで、モノの規格に理解をもって、適正に使用されること。

    そのモノの有している道理に適った使われ方をすることで、寿命はのびる。

    そして、その適正な使われかた自体がメンテナンスにも繋がっていたりする。

    結果、使い込まれたモノには「味」が宿ってくる。

     

    日常のメンテナンスで間に合わなくなってきたら、修理、修復、修繕を施す。

    そういう節目を越えて、モノのいのちはまた繋がっていく。

     

    当たり前のことながら、こういったことが人の健康と寿命にもそのまま重なってくるようで興味深い。

    そこでも大事なのは、このからだそのものにいのちが宿っていることを忘れていないこと。

    人の健康を考えようとするときに、このキーワードが抜け落ちていることが多い気がしてならない。

  • あずかりもののいかしかた3

    「寿命」ということばを辞書で引くと、

     

    (1)命のある間の長さ。命数。齢。生命。

    (2)転じて、物が使用され得る期間。

    (3)[理]素粒子・放射性元素・分子などが、ある特定の状態に存在する時間。

    (広辞苑)

     

    (1)生物のいのち。生命の長さ。命数。

    (2)物が使用にたえる期間。

    (3)素粒子や原子核、分子やイオン・遊離基などが、ある特定の状態にとどまっている時間。一般には平均寿命をさす。

    (大辞林)

     

    とある。

    寿命という概念は、(3)のように素粒子の領域にも及んでいて、最新の物理学ではいのちのことをどのように捉えているのか気になるところである。

     

    ところで、モノの寿命については昔から気になっていることがたくさんある。

     

    小さい頃から古書が好きだった私は、町の古本屋に足しげく通っていた(いまではこのような小さな古本屋は残念ながら消え去ってしまった)。

     

    ある日、店主に向けて以前から気になっていた素朴な疑問を聞いてみたことがある。

     

    「古本なのに、値段が全然下がらない本があるのはなんでですか?」

     

    「そうだね、そういった本は命(いのち)がながい本だね」

     

    この店主からの返答に、こども心に妙に納得してしまったことを憶えている。

    「本にもいのちがあるのか」と、意識し始めた記憶がしっかりとある。

     

    人が創り出したモノにもいのちが宿る。

    そのいのちの長さを決めているものは、いったいなんであろうと、今でも不思議に思っている。

  • あずかりもののいかしかた2

    操体を学んでいて出会い、影響を受けた言葉はたくさんあるけれど、

    そのなかでもいのちについてあげるならば、

    「このいのちを、何のために使うのか」

    が思い浮かんでくる。

     

    このことばをあじわっていると、「わたし」という存在がすーっと消えていく。

     

    「いのち」というものを、やはり一時的にお預かりしているようなきもちになってくる。きもちになってくるというより、忘れていたことを思い出す、といった方が適格かもしれない。

     

    伝統芸能の世界でも、演奏家でも、小説家でも、職人でも、尊敬を抱くようなひとは、自身の活動の陰で、自身の健康についての眼差しを持っている。

     

    いのちを使って活動をする上で、健康であることが大切であることを、決して忘れていない。その活動がハードであればあるほど、見えないところで健康には人一倍気をつかっている様子が伝わってくる。

     

    「このいのちを何のために使うのか」と問いかけ続けることで、

    自分から離れて、いのちがよろこぶことはどんなことなのか感じることができる。

    忘れそうになっても、思い出すことができる。

  • あずかりもののいかしかた

    おはようございます。瀧澤さん、間の投稿をありがとうございました。

    本日より一週間、テーマ「健康と寿命」をつないで寺本が担当致します。

    よろしくお願い致します。

     

    わたしたちは、この世に生きている間は「健康」というテーマと、いつもともに生きている。

     

    若い頃は「当たり前」だった健康。

    それがひとたび病気をするならば、当たり前ではなかったことに思い当たり、そして年齢を重ねれば、尚の事、身近な現象として迫ってくる。あまりにも近しいテーマではあるけれど、まだまだ未知数な要素に溢れている。

     

    言葉としては誰もが知っていて、

    でもその言葉が何を指しているのか、いまいちはっきりしない、

    不思議で壮大なテーマ。

     

    本当のところ、「あれがイイヨ、これがダメダヨ」の外部からの情報などに一喜一憂、色々と模索を続けながら、自身のからだを通じて健康と向き合うことが多いのではないか。

     

    からだと向き合う。

    これはいのちに意識を向けている瞬間でもある。

     

    この世に生まれ、預かったいのち。

    この預かりモノを、様々な生命力を受け取りながら、いただきながら、

    次のいのちにつないでいく。

     

    その、「いのち」のことと、我々が「健康」と呼んでいるものは切り離せない関係があるように思う。

     

    いのちのことについて、からだと向き合いながら模索することに、

    自身の健康を創造し、成していくヒントがある。

     

    次のいのちに渡していくまでに、まさに一生学べる学問の種がそこにある様におもう。

  • 「からだ」が育む感覚意識⑦

     

     

    「からだ」からのメッセージを感じ取ることは

     

    自然法則を感じ取ることです

     

     

    それは難しいことではありません

     

     

    「からだ」の学習をとおして

     

    ゆっくりと味わっていけばいいのです

     

     

    ゆっくり味わうというプロセスもまた

     

    「からだ」の学習なのです

     

     

    「からだのうごき」や「息」をとおして

     

    「からだ」が表現してくれていることを

     

    感じ取っていく

     

     

    変化し続ける「からだ」からいただく絶対的な感覚

     

     

    その感覚こそ

     

    「わたしたち」が自然法則に生かされている

     

    生命そのものであるという感覚意識の素なのです

     

     

    「健康」や「寿命」はそこからはじまっているのです

     

     

    一週間のお付き合いに感謝です。

     

     

    明日からは寺本さんです。

     

    お愉しみに。

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識⑥

     

     

    「からだのうごき」の学習と不可分なのが

     

    「息」の学習

     

     

    そもそも、目に見えないだけで

     

    一日に途方もない量の空気が

     

    空間と「からだ」を循環しつづけている

     

     

    目に見えないから意識にのぼらない

     

     

    そんなことはないのです

     

     

    「からだ」を介してもっとも繊細に

     

    感じ取れるようになってくるメッセージのひとつ

     

     

    それが「息(吸気)」

     

     

    「息」が「からだ」の必要としている「質」で

     

    入っているかどうか

     

     

    「わたしたち」は「息」をとおして

     

    空間と「からだ」を循環している「ながれ」さえ

     

    感じ取っていけるのです

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識⑤

     

     

    一日一日ほんの少しの時間でも

     

    「からだ」と向き合う

     

     

    ずっとつづけていると

     

    時間の長さではなく

     

    そのとき

     

    どんなことを「からだ」から感じ取って

     

    どんな意識になっているかということが

     

    大事なんだと「からだ」は気づかせてくれる

     

     

    時間ではなく「間(ま)」

     

     

    そのような「間(ま)」で育まれていく

     

    繊細な感覚や縛りから解放された意識は

     

    「わたしたち」の生き方を変えてくれる

     

     

    刻む時間とは違うもう一つの時間が

     

    生き方を変えてくれるのです

     

     

    生命そのものの「からだ」が感じている

     

    ことと重なってくるのです

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識④

     

     

    「からだのうごき」の学習は

     

    目に見えないことを感じ取っていく学習

     

     

    「からだのうごき」の学習をとおし

     

    普段意識にのぼらないようなところが

     

    感じ取れるようになってくる

     

     

    たとえば背中

     

    たとえば足底

     

    たとえば目尻

     

    たとえばひかがみ

     

    たとえば内臓

     

    そして皮膚

     

     

    目に見えないところや

     

    見ているつもりのところが

     

    「わたしたち」を生かしてくれている

     

    環境との接点であることを

     

    「からだ」は気づかせてくれる

     

     

    「からだのうごき」の学習は

     

    環境を感じ取っていく学習なのです

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識③

     

     

    「からだのうごき」の学習は

     

    新たに「うごき」を身につけるものではなく

     

    こびりついた本人の思考意識を

     

    そぎ落としていく学習

     

     

    お手本を真似することが目的ではなく

     

    実際にやってみてどう感じ取っていくか

     

    ということです

     

     

    「わたしたち」の動きが消えて

     

    「からだのうごき」と重なっているときは

     

    ほんとうに美しい

     

     

    「からだ」が表現されているから

     

     

    生命力が表現されているから

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識②

     

     

    日毎の「からだ」との対話

     

    随分と繊細になっていく「からだ」からのメッセージ

     

     

    いたずらに増幅させることもせず

     

    素直にそのままいただく

     

     

    そのメッセージにどんな意味があるのか

     

    「からだ」に応えていく日々がある

     

     

    からだが感覚意識を育んでくれているから

     

     

     

    「わたしたち」はつねに動いている

     

     

    その動きにも「からだのうごき」があることを

     

    学習しつづけている。

     

     

    「からだのうごき」を学習しつづけているから

     

    「からだ」からのメッセージをより繊細に

     

    感じ取れるようになってくる

     

     

    「わたしたち」はそういういきものです