ブログ

  • お気楽なお話 その2

    ずーっと前の事です。
    まだ僕が20代でプロの格闘家として試合を始めて
    まだ僕が若手だった頃の話です。

    プロの練習はミットという練習をします。

    皮の中に布切れを小さく切ったものやスポンジを小さく切ったものを沢山パンパンになるまで詰め込んだ物を
    トレーナーが持って。

    選手がそこにパンチやキックを叩き込む。

    時間は僕のジムは5分1ラウンド。
    それを試合の前には5ラウンド以上やる。

    その他にサンドバックやスパーリング色んな練習をするんです。

    5分と言えば短そうです。

    朝もう少し寝ていたい時の5分なんかあっという間に過ぎてしまいます。

    でもミットの5分は朝の1時間に匹敵するんじゃないのかな。

    真剣に僕は思ったことがあるくらい、ミットの5分は大変な時間です。

    20代の頃のある日僕は気がついた事があるんです。

    その日はたまたまあんまり調子が良くなくて、試合もすぐにはないしジムを休もうかな。

    何て思いながらもジムに行った、そんな日でした。

    ミットを蹴る時に、僕はこんな事を考えたんです。

    悪魔が降りてきたのかな。
    どうせ試合もないし、適当に軽く蹴っちゃおう。

    いつもよりも遥かに力の抜けた蹴りでミットを蹴る僕。
    パスーンって間の抜けた音でもするんだろうな。

    いい加減に蹴った僕の足は。
    スパーンと良い音でミットから離れたんです。

    力が抜けてもやっぱりミットを持ってくれてる人がいるからそれなりには蹴る。

    そうすると面白いんですよね。
    力が抜けた分、身体がバランス良く上手に動いてくれるんですね。
    力が抜けてるから押す力と引く力がバランス良くなってる。

    蹴る時でも何でも力が入り過ぎてると押す力だけで良いのに引く力も一緒に出しちゃう。

    そうすると結局意味が無いんですよね。

    自分で自分にブレーキをかけてるだけ。
    アクセルを踏み込んでブレーキをかけてる。
    それじゃあんまりスピードが出ない。

    そんな蹴り方をしてたんでしょうね、若かった頃には。
    頑張って無駄な力をいっぱい出す。

    その時でも下手な人は頑張って力を出してる感覚しかない。
    だから苦労して無駄なエネルギーを消費してるだけ。

    それではミットに力は行かない。
    行かない力は何処かに消える事は決してない。

    その無駄な力は自分の力んで歪んだ身体のバランスを保つ為に消える。

    そして自分の身体に負担をかけてるだけ。

    汚いフォームは力がない。
    余計な努力してるから反応も鈍い。

    何よりも毎日そんな無駄な事してたら無駄な力がいずれ自分に帰ってくる。

    何度も何度も繰り返した無駄な力は自分の腰や肩やなんかをいずれ痛めてしまう。

    楽に蹴って良いんです、同じ力が蹴りにあれば
    楽に蹴ったほうが良い。

    楽に同じ事が出来れば相手に対して余裕が生まれるから。
    スパーリングなんかも楽しくなる。

    楽だと楽しいんです。
    間違って頑張りすぎて余計な事をしても強くはなれない。

    そんな事に気がついた日でした。
    だから降りてきたのは本当は格闘技の神様なんです。

    ありがとうございます、本当は感謝の日だったんです。

    調子が悪くてもジムに行ったからプレゼントが貰えたんでしょうね。

    格闘技って頑張るのが美学的な部分があるから。
    間違って頑張るのはよくないって思うんです。

    間違ってるのって、勘違いしやすい。
    身体に負担をかけてるのを、ただの辛さを頑張ってるって勘違いしやすい。

    そんな事に少しだけ気がついたのが。
    20代前半の頃で

    ようやく最近少しだけ
    なんであれだけ違ったのか分かるようになってきました。

    だから僕は道場で楽を教える。
    サボるんじゃない楽を、工夫して楽しさに繋がる楽を教える。

    それは気持ちが良いって事と同じ。
    僕はそう思う、人はサボりたいものだから。

    そのくせ楽して良いってあんまり良いって感じないみたい。

    質の高い良い楽は無駄な努力よりずーっと良い。
    無駄な努力の方が多分楽をしてる。

    ただ適当に身体を動かせば良いんだからサボってる事になる。

    変な楽をしてるのが変な頑張り。
    間違った動きで欲張っても力は無駄になるだけ。

    そんな風に僕は最近思う。

    楽って言葉は楽しいと同じだから。
    サボるんじゃない楽があるように感じる。

    楽にして良いよっていうとみんな変な顔になる。
    それで説明すると面白がってくれたりする。

    そんな変化が僕には面白い時間。
    若輩者だからお気楽に楽しみながら、色々と遊びながら考えてます。

    まだ間違っても良い時間は凄い楽しい時間。

    若手だった頃に格上の選手との試合は楽しかったな。
    負けて当たり前の試合の出来る時間はいつまでも続かない。

    やがて試合に勝って上のランクになると。
    取りこぼしは許されなくなってくる。

    大物を食うのは若手の特権。

    そんな時間が懐かしかったりしたな。
    プロでメーンとか張ってた頃僕はそんな事を感じてた。

    取りこぼしの出来ない時間はあんまり僕は好きじゃないな。

    またそんな時間がやって来て嬉しさを感じてる。
    (まあ年齢は若手じゃ全然無いただの若輩者なのですが。)

    失敗できる時間に色んな事を試せる時間って素敵な時間。
    あとでアチャーって思い出すような事はいつまでも出来ない。

    そんな時間は凄く大切な面白い時間。
    その時間は面白い時間。

    僕はそんな素敵な時間を40代になってまた感じてます。
    ありがたい楽しい時間を過ごしてます。

    許される範囲で暴れたいな。

    もちろん本当に暴れるんじゃなく、どんどん無鉄砲に学びたいなですよ。(笑)

    平直行

    東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
    人気ブログランキングに参加しています。
    にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

  • お気楽なお話

    佐伯さんから続きまして今週ブログ担当の平 直行(たいら なおゆき)です。
    ブログは2順目になります。

    操体との関わりは、三浦先生の元で学ばせて頂いて3年半ほどになります。

    このメンバーの中ではまだまだ若輩者です。
    佐伯さんヒーローじゃなくて、若輩者なんですよ、実は。

    いつも皆さんのブログや、学びの場では、関心しきりで、少し焦りを感じたりもします。

    僕は操体は専業ではなく柔術という格闘技を毎日夜道場で指導しています。
    格闘技イベントのレフェリーをしたり格闘技雑誌に記事を書いたり。
    その合間の空いてる時間に臨床をさせて頂いています。

    この感じでやってると。
    どうしても他の操体専業のメンバーに遅れをとってしまうのかな。
    そんな気分になったりして少し焦る気持ちが偶に顔を出します。

    でもこんな風にも思います。
    お気楽な僕は、すぐにこんな事を思ってにやっとしたりします。

    どうせ、ずーっと操体と向き合うんだから。
    遅れはどうせ取り戻せる。

    どうせ操体だけじゃないなら。
    その時間を他の人が経験出来ない時間にしちゃおー。

    格闘技も同じだな、みんな操体とか知らないんだから上手くミックスすると。

    僕にしか出来ない、良いもの、僕だけのものが出来る。
    その方が面白いな。

    いま他の人が出来ない事をやっておくと面白いな。

    そうやって楽しんで時間が経てば、きっと自分にしかない物が手に入る。
    他の事をやってる時間には、そんな事をお気楽に考えてます。

    お気楽に日々を過ごしています。
    最近お気楽とか、楽が、僕の中で気になる言葉なんです。

    お気楽って気が楽、気が楽しい。
    楽って楽しい、楽を極めれば極楽。

    そんな風に考えてみると、何となく気持ち良さが広がる気がするんです。

    気持ち良さが広がってゆくと、身体が気持ち良さで元に戻っていく。

    お気楽に楽しく日々を過ごしてると、それが広がって僕のところにやって来る。
    そんな事を思いながら、面白き日々を過ごしてます。

    今日はDVDの撮影です。
    お気楽にしてると、良い事がやって来るんです。
    僕はそんな事を操体を通じて学んでます。

    身体だけじゃないんです、気持ち良さを味わって広げてると
    良い事が日常にも来るんだって僕は学んだように思います。

    そんな訳で、若輩者である僕が、操体のDVDを作ります。

    実行委員の先輩方や三浦先生にご迷惑をかけないきちんとしたものを作り。
    若輩者である自分が出来るチャンスに感謝して
    同士の皆様にも感謝して望もうと思ってます。

    発売元は(株)クエストという格闘技専門の会社です。
    多分クエスト初の身体のものになります。
    気楽にお話をしてすぐに決まったお話です。

    お気楽に過ごすと、なんか良い事が、お気楽にやって来るんです。
    ツイテル事がいっぱい、お気楽に、来たりするんです。

    同じような感じで、いま本も書いてます。

    お気楽にDVDと合わせて本を出すと面白いですね。
    こんな感じで言ったらお気楽に話が決まったんです。

    こちらも格闘技、武術関係の出版社。

    お気楽な僕はお気楽に楽しく 良い感じを広げるのが得意技なんです。

    身体を我慢して辛さに耐えて鍛えぬく。
    これが大体の格闘技のイメージ。

    格闘家の大体の常識として
    格闘家で気持ちが良いといった感覚は
    あんまり良いイメージないんです。

    楽をするのは、良くない事。
    これが大体の格闘家の格闘技に対する接し方。

    僕は楽に、楽しくで、良いと思います。
    楽と気持ちが良いは別物じゃないかもしれないな。
    気持ちが良い楽があるように僕は最近思うんです。

    楽と楽しいは同じ字。

    だったら楽しい楽もあるのかな。
    楽を極めると極楽だったら、楽って良い言葉。

    僕はこんな風に考えたりもするんです。

    楽の種類を、間違わなければ大丈夫。

    目的を下げない、レベルを下げない。
    それで楽をするんなら、こんなに良い事はない。

    決してサボるんじゃない楽、作業効率を上げる楽がある。
    楽して同じ事をやれるんなら、その方が良い、そんな風に僕は思うんです。

    試合で勝つには、人と同じ事をやっても勝てない。

    みんな2倍努力しなさいとか言うけど。
    相手が素人じゃないかぎり、相手も真剣にやってるんだったら。
    本当は2倍努力出来る訳がないんです。

    だから楽をして半分で同じようになる事を工夫する。
    それが上手く行きだすと、楽しくなってくる。

    半分で同じだったら、ホンの少し頑張ると相手よりやってる事になる。
    現実にはそんな選手が試合では勝ってるんです。

    同じ事を違った事に、変えることが出来る選手が、勝ってるんです。

    どうしても根性とかの方が見えやすいから、そんなイメージがあるけど。
    実際はあんまり関係ない、楽しんで工夫する選手が勝つんです。

    それは凄く質の高い楽なのかもしれない。
    同じ事を量じゃなく、質を高める事で差を付ける。

    それは工夫すれば出来る事。
    ただ2倍やる事は工夫しても出来ない事。

    だから質を高める、そうやって勝つと、工夫する事が楽しくなってくる。

    身体もそうなのかな、楽にサボるんじゃなく、同じ事を楽にする。

    それが運動効率が高く、身体操作的にも正しい事。

    同じ事を楽にする。
    サボる楽と違った楽、それは言葉を変えると工夫にもなるし
    道をそれないって事にもなる。

    僕はそんな楽を考えて楽しんでます。
    楽しいと楽、楽だと楽しい。
    それを極めれば極楽。

    僕は楽に楽しく進みたいです。

    それでは撮影に行ってきます。

    今週はお気楽な僕の楽で楽しい話を書きたいと思います。

    お気楽に読んでいただければ幸いです。

    平直行

    東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
    人気ブログランキングに参加しています。
    にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

  • 操体庵ゆかいや物語(14)

                  祇園祭
                                

    「佐伯さん、あのアドバイスはホンマに助かりました。」

    7月14日の祇園さん(集落の祭り)が無事終了し、お宿(舞いの練習をする家)で宴が行われている時のことです。

    私に話しかけてきたのは、Dちゃん。
    Dちゃんのお父さんは、私のようなIターン移住者と地元の方々との共存を積極的に推進した方です。
    その地道な活動のお陰で、今では祇園さんの役者6人の内、4人までは移住者。お囃子の笛吹も半数は移住者、私のような手伝人にも移住者がかなりいます。

    Dちゃんは、今回初めてお多福の役を演じました。

    この祇園さんと呼ばれる祭りは、京都の祇園祭とは関係ありません。300年の歴史がある地域の祭りで、3人の奴(やっこ)とお多福、ひょっとこ、爺(じい)が神社の舞台で大太鼓を叩きながら、舞います。
     

    奴の顔は、白塗りに墨と紅で大胆に描きその他の役者はお面をかぶります。
    笛にあわせて太鼓を叩くため、叩くことより舞うことの方が重要。

    地元の人は、それぞれの舞いにあわせた笛の旋律を幼い頃から憶えているので流れが分かっています。しかし、移住者にとっては一から憶えなくてならないので、祭りの一週間前から特訓が始まります。

    私は、仕事の都合で練習に参加できたのは一日だけでした。
    練習といっても、私は子供達と役者の練習を見るだけです。そこで、操体的視点からじっくりと観察しました。

    役者は、1m位の高さに置かれた直径1m位の太鼓を、30cmくらいのバチを両手に持ち叩きます。

    叩き方は、右足を踏み出しそのあと、右手首を外旋しながら軽く捻るようにしてたたきます。そのあとに左足踏み出し、左手首捻り。いわゆるナンバと呼ばれる動作になります。
    この基本動作を身につけた上で、それぞれの役にあわせたしぐさの舞をするのです。いずれの役も、身体運動の法則に従った動きをすることで、美しく表現されます。

    特に重要だと感じたのは、運動作用点の足心(第一趾、基節骨骨頭)と床との微妙な角度。それに役柄に応じた目線と呼吸でした。
    つまり、足心と床との微妙な角度で重心移動が決まり、それぞれの役に応じた舞になり、それに目線をつけることで表情、動きが豊かになるということでした。

    Dちゃんは、奴の男性的な役から、今年はお多福という女性の役に代わった為、大変そう。

    しかも、お父さんは、お多福の名役者。どうしても、地元の人はお父さんと比較してしまいます。
    父親に教わりながら必死で舞うDちゃん。微笑ましい光景ではありますが、Dちゃんにとっては、相当のプレッシャーです。

    その日は、お父さんの師匠であるYさんと二人でDちゃんの指導。

    「舞うときは、肩を上げたらあかん。こうやって、下げなあかん。」

    と二人は大ちゃんの前で見事に舞います。
    ますますプレッシャーのかかる大ちゃん。意識をすればするほど、肩は上がってしまいます。

    この舞いは、上肢を1/2屈曲位にし、手関節を掌屈位にとった状態でバチを持ちます。
    丁度、幽霊がバチを持った状態です。そして、その場で、右足を軸として、右回旋し元の位置に戻る舞です。この足の動きに準じて同側の上肢を内旋するのです。
    本来、手関節を掌屈位にとると、肘が上がりそれに連れて肩も上がります。これは、からだの正中線から遠ざかる遠心性の動きです。その肘を無理矢理1/2に折り曲げしかも、舞うときは手関節を内旋させるのです。
    内旋の動きもまた遠心性です。

    当たり前にこの動作をとれば、肩は上がります。それを下げろというのですから、、、、Dちゃんも大変です。

    Dちゃんはバチをしっかり小指を使って持っています。これは、『手は小指、足は親趾』という重心安定の法則に一致しています。

    しかし、この舞いにおいては不都合がおきます。たとえば、右手の小指だけで握ろうとすると手関節は外旋していきます。しかし、大ちゃんは手関節を内旋しなくてなりません。大ちゃんがしっかり小指で握ろうとすればするほど窮屈になっていくのです。

    Dちゃんの二人の師匠は、からだを通して実感できているのですが、その方法を指導するまではいってないようです。
    このことを、感じながらも、その日にはアドバイス出来ずじまいでした。

    7月12日(祇園祭の2日前)、東京の操体勉強会出席のため、上京。
    三浦先生に助言を戴くことにしました。
    すると、

    「親指に呼気を通すだけでよい。」

    と明快な解答でした。そこで、早速、携帯電話でDちゃんに助言。

    私は夜行バスで、祇園祭の当日京都まで帰り、朝10時からはじまる式典には参加することができました。

    Dちゃんを見つけ出し、
    「どうだった?」

    「バッチリ!」と笑顔で指OKサイン。

    一安心です。

    そして、宴会の席に戻ります。

    「えっっ、あの電話、東京からやったんですか?
    ホンマ、あの助言で安心してやれました。今度、佐伯さん、それぞれの役の舞やバチさばきのポイントを教えてくれませんか?
    そしたら、憶えやすいし、みんなが色々な役を出来るようになるし、、、、」

    Dちゃんが安心できたのは、私からの助言を通して身体運動の法則を体感できたからです。からだの凄さ不思議さを感じたのだと思います。

    祇園さんの舞を操体の視点から捉え、理にかなった舞を明確に美しく表現するためのアドバイスをおくる。

    まあ〜、そのようなおこがましいこと、私にはまだ早いと思います。
    ただ、操体の視点で、このような伝統芸能を見ることの面白さ、そして操体の広がりとその深さをしみじみと感じることが出来る一日でした。
                                   

    おしまい

    随分、ローカルな話になってしまいましたが、一週間のお付きあいどうも有り難うございました。
    まだまだ、猛暑は続きそうですが、体調には充分気を付けて、無理をなさらないで下さい。

    来週からは、おまたせしました、時代の寵児、われらがヒーロー格闘家の平直行さんの登場です!
                                

    お楽しみに!!

    佐伯 惟弘

    東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
    人気ブログランキングに参加しています。
    にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

  • 操体庵ゆかいや物語(13)

                    お告げ?
                                

    私は、月に2〜3回、地元の小学校で絵本朗読を約15分(午前8:30〜45)行っています。
    この日の担当は6年生。
    70年程前に作られた『桃太郎』を再発刊したもので、著名な日本画家が、丹念にそしてリアルに描いています。

    ヘタウマに描かれた絵本が多い昨今、このような昔の絵本は、子供達にとって、新鮮なようです。

    6年生は、山村留学の子をいれて14名と、地元の小学校としては大人数。しかも、個性派集団のため、賑やかです。

    「むかし、むかしあるところに、、、、」

    私は、座ったり、立ったり、歩いたり子供達の前で結構派手なパフォーマンス。
    文章が長いため、しっかり1ページを読んだあとに、絵を見せるようにしました。

    そして、鬼の征伐をし、宝物を鬼から譲り受け、お供(とも)の犬、猿、キジと一緒に帰るシーン。

    「桃太郎は、宝物を車にのせ、、、」
    「えっ、えっー!車?」(全員が、目を丸くしてびっくり顔)

    何百年も前の童話に車(自動車)。子供達は、もの凄いギャップを喜び、想像力を豊かにしています。
    「そうやで、車。どんな車か想像してや!」

    「猿が、車を後ろから押し、、、」
    「えっ、えっー!車を押すの?」

    桃太郎がハンドルを握り、その自動車を猿が押すシーンを想像している子供達。

    「犬は綱をひっぱり、、、」

    子供達は、随分混乱している様子で、静かになってきました。そこで、おもむろに、
    「さあ〜て、一体どんな車?ジャン!(古い!)」

    子供達に話題の場面をみせました。
    そこでは、木製のおおきな車輪の荷車を、桃太郎はじめ、犬、猿、キジが押したり引いたりして運んでいます。子供達からすれば、昔々のリヤカー。

    裏切りと納得の表情を浮かべた子供達に、間髪入れず、
    「ここにある、この宝物は一体、何でしょう?」

    などと、隠れ蓑(みの)を指さし、話題をそらす私。
    車という漢字を横にすると、『十田十』こうなります。これは、この荷車の
    形を基にして出来ています、とでも言えばよかったのですが、、、、(次のクラスでは、そうしよう!)

    まあ〜こんな感じで絵本朗読終了。

    気持ちよく車を飛ばし家に向かっていると、
    野菜の無人販売所(新鮮野菜が100円)で、知り合いのご夫婦に出会いました。彼らは今日、我が家に来ることになっていたのです。

    「やっぱり、ここは涼しいな。音がないから落ち着く。」

    確かに、聞こえる音は、虫や鳥の声、前を流れる川のせせらぎ。そして、風の音。

    「たしかに、、、」などと、ちょっと自画自賛。

    奥様は、来月出産を迎え、おなかが大きくそり出しています。その彼女に操体施術。
    臨月を迎える女性には、皮膚に問いかける渦状波が一番いいようです。左右の足にある圧痛点に施術すると、お腹の赤ちゃんが嬉しそうに動きます。立法体の箱が胸の方まで動くときもあります。きっと、赤ちゃんが両足でキックしているのでしょう。

    操体施術も終わり、彼女が居間で昼寝をし、私もゆっくりしているとき、思いがけない人の訪問がありました。

    茅葺き職人のMさんです。

    「こんにちは、お久しぶりです。2005年から屋根の状態を見てないので、見に来ました。」
    「それは、どうも有り難うございます。どうぞお入りください。」

    Mさんは、我が家を1999年に葺き替えた時の職人さんです。大学を卒業後、サラリーマンからリストラ、茅葺き職人へ。現在は、地元の女性と結婚し美山に在住。
    大工のHさん同様、これからの茅葺き民家を模索しています。

    1999年、我が家で、イギリスから茅葺き職人を招き、イギリスの技術で日本の屋根を葺き替える実験をおこないました(1999年12月15日、テレビ東京で、『マギーさんちの茅葺き大作戦』として1時間放映されました)。

    その理由は、日本の茅葺き民家の衰退を留める一助となるきっかけを作りたかったからです。
    一万年以上前から脈々と続く茅葺き民家。これは、世界に誇る遺産であります。
    昭和30年代には、400万軒もの茅葺き民家が存在。ところが、高度成長を機に、年々衰退し現在では、100分の1にまで減少。もはや風前の灯火です。

    ところが、海外に目をやると、イギリスでは、茅葺き民家は、国の重要遺産として登録され減少することはありません。茅葺き職人を養成する学校もあり、茅葺き民家はイギリス国民の羨望の的であります。

    オランダでは、新築の茅葺き民家が年間2000棟建てられています。もはや、茅葺き民家はエコロジーを象徴する建物として、富裕層を中心にブームをおこしているのです。

    何故、日本ではこの素晴らしい文化財が守れないのか?色々要因がありますが、コストの高さが一因です。

    そこで、イギリス式の茅葺きに注目したわけです。
    50年も保ち、コストが懸からず、しかも明かり窓まで付けられる(日本の葺きかたでは、15年程度しか保ちません)こんな素晴らしい屋根なら、実験する価値があります。

    そこで、国際交流基金等の協力を得て、全国の茅葺き職人の方々を招き、技術交流を目的としたワークショップを行いました。

    あれから9年経ちましたが、東、西、南側の屋根は全く傷みがありません。北側に少し雪にやられた箇所がありますが、たいしたダメージではありません。

    最近になって、雪と屋根との付き合い方法が分かってきたので、私は、北側の一面も50年保つと考えています。
    もし、葺き替えが必要となっても、軒から2mほどの屋根下部。屋根上部は問題ありません。

    「もし、北側の面の一部を、葺き替えなければならなったら、また、ワークショップをしましょうよ!」
    尾坂さんは、ワークショップを随分気に入っている様子。

    それもそのはず、Mさんは、前回のワークショップで知り合った茅葺き職人の誘いで、アメリカへ行くことになったのです。
    当時、世界で二番目の金持ちが、日本の茅葺き民家を米国・カリフォルニア州で建てることになり5ヶ月滞在。たいへん貴重な経験ができたそうです。

    そんな尾坂さん、私の操体のチラシを見て、

    「佐伯さん、名前変えたんですか?」

    「変えたというか、佐伯惟弘というのが私の本来の名前なんです。」

    「私の戸籍の最初に書かれたのが、惟弘。ところが、1週間後に、役場から、惟という字は当用漢字にないので認めない、との通知があったそうです。それで、私の惟の字に×印が付き、私は、佐伯弘となったんです。」

    数年前、惟が再び当用漢字に認められたため、家庭裁判所に行き、もとの名前に変更しようとしたのですが、使用していないという理由で却下されました。
    そのため、現在、使用するようにしています。

    Mさんとの会話がはずみ始めると、私の生い立ち等を話す雰囲気になり、普段目にすることのない実家の資料を見て貰うことになりました。

    その中には、私が生まれ育った茅葺き民家(神社の社務所)のことや系譜等があり、簡単な歴史が綴られています。そのなかでも、松根東洋城に関する資料はかなりの量。

    松根東洋城の思想は、操体の思想と何ら変わることはありません。いずれ紹介したいと思いますが、今回は省略。
    実家と松根東洋城の関係を手短に説明いたします。

    一畳半ほどの空間に俳人・松根東洋城が2年近く住まわれたため、この社務所は、一畳庵と呼ばれるようになりました。

    松根東洋城(1878〜1964)は、宇和島藩地代家老・松根図書の長男権六の次男。母は、宇和島藩伊達宗城の次女・敏子。夏目漱石に俳句の教えを受け、終生の師と仰いだ。宮内省、式部官を歴任、1954年芸術院会員。

    ここで、実家と伊達藩の仙台、橋本敬三先生とも少し関係が出てきます。宇和島は、愛媛でありながら伊達藩であり、その伊達藩主と血の繋がった東洋城先生が、私の実家で生活しながら、俳句指導をされました。

    私の祖父は、東洋城先生の内弟子。東洋城先生が滞在されている間、厳しい指導を受け、俳人・佐伯巨星塔(本名:惟揚)として、地域の人々に俳句指導にあたりました。

    また、東洋城先生が東京に帰られた後も、我が家との交流は続き、私の叔母が最後まで、先生のお世話をしました。独身を通した東洋城先生は、我が家が家族も同然だったようです。

    そのため、物心ついた時から、「東洋城先生」という言葉が、私の頭上を常に飛び交っていました。私が母の胎内にいるころから、シャワーを浴びるように聞いていたと思います。

    そんな東洋城先生にとって、私は初孫のような存在。
    私の大好きな赤胴鈴之助の竹刀、胴、カツラ、お面等をプレゼントして戴き、はがきで文通までしていました。

    そんな資料をMさんに見せながら、

    「この実家の茅葺きも、トタンを被せてしまい誰も住んでいません。でも、いつか昔のような茅葺きの姿に戻したいですねえ。」
    ぽつりともらしました。

    「発願すればいいんですよ。」

    「、、、、、、、、、」

    「もしかしたら、東洋城先生がボクを通して、このように言わせてるんじゃないですか?」

    「、、、、、、、、そ、そうかもしれないですね。こんな資料、普通、他人に見せないですもんね、、、、、、何か不思議な感じ。」

    3年ぶりに突然、絶妙のタイミングで訪れてくれたMさん、、、、それって

    『一畳庵を東洋城先生が滞在されていた時のように戻して、伊達藩発祥の操体を、いずれ機が熟した時に、ここで普及しなさい。』

             
    というお告げなのでしょうか?

    佐伯 惟弘

    東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
    人気ブログランキングに参加しています。
    にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

  • 操体庵ゆかいや物語(12)

                3羽のヒヨコ
                                

    これまでの四日間、全て動物の話になりました。美山の山奥に住んでいると、動物との出会いには事欠きません。そのためどうしても動物の話が、多くなります。これは、これで面白いのですが、操体のブログらしくなくなるので、
    今日で打ち止め。
    次回のブログ週間(冬になるかな?)に改めて動物のことは書きましょう(と、いってはみたものの、、、、、もっと面白いことがあれば、書かないかも、、、)。

    さて話は10年前のことになります。
    まだ私が3人の子供、元妻、それに二匹の猫(白く美しく利口なミミちゃん♀・ミミちゃんの娘でトラ模様のお馬鹿なハルちゃん♀)と幸せに暮らしていたときのことです。
    長女の華(ハナ)は当時7才、長男の利武(トム)4才、次女の杜(モリ)2才でした。

    ここで、ふたたび『セドのおばさん』に登場していただきましょう。

    「佐伯さん、ニワトリをここでは、飼えんど。キツネが来て食べてまう。やめとき。」

    セドのおばさんは、諭すようにいいました。
    これは、子供達がニワトリを飼いたいといい始めたとき、それを聞きつけたおばさんの答え。

    それでも、元妻は近くの養鶏所から3羽のヒヨコを貰ってきたのです。
    子供達は、ピヨ、ピピ、ピーと名前をつけ、段ボール箱を家にして、板張りの台所で飼うことになりました。
    この新しい家族を喜んだのは、子供達ばかりではありません。猫のミミちゃんも、ヒヨコ達を家族として受け入れてくれました。
    頭のいいミミちゃんは、子供達の大切なヒヨコを決して食べ物とは思わなかったようです。

    そんなある日、仕事から帰るとひよこが一羽いません。どうしたのかと聞いてみると、外で散歩させている時、カラスにさらわれたそうです。
    やはり、カラスは強敵です。

    それからは、外に出さないように心がけました。
    台所の板間は、二羽のヒヨコと二匹の猫、そして3人の子供達が共存する不思議な空間。
    子供達は、大きくなってきたヒヨコを頭や肩に乗せ本当に楽しそうです。最初は、手のひらに乗る位の大きさだったのが、肩に乗ると重く感じる位まで成長しました。ニワトリならぬニワヨコという感じです。

    ニワヨコまでになったピーとピヨにとって外の世界は魅力的です。オオバコ、ナズナ、スイバ等の草木、ミミズ、毛虫、ダンゴムシ等の昆虫の宝庫。

    ピーとピヨが「ピー、ピー」と「カッ、カッ」の中間くらいの声で、(あるいは、もう「カッ、カッ」といっていたかも知れません)足とくちばしを使い、楽しげに餌をついばんでいる様子は見飽きることがありません。

    いつの間にか、子供達もピーとピヨを外に放す様になっていきました。もっとも、私が子供の頃、愛媛の実家では、ニワトリの放し飼いは当たり前で、夕方になった頃に捕まえ、小屋に入れていたものです。

    そんなある日の夕方、突然「ギャー」というニワヨコの叫び声。あわてて外に出てみると、キツネがピーをくわえています。
    それを見た猫のミミちゃんが、果敢にもキツネめがけて突進。前足でキツネにパンチをくらわそうとしています。

    ミミちゃんの勇気とけなげさに胸が熱くなりつつも、その感慨に耽ってはおられません。私は目の前にあった発砲スチロールのフタをキツネめがけて投げつけました。

    思いっ切り投げたつもりでしたが、軽いためフワーと飛んでいきました。真っ白い直方体がムササビのような飛行。キツネは驚き思わず口を開き、その瞬間、ピーは逃げ出すことができました。

    「ああよかった!」と胸をさすると同時に、もの凄い危機感に襲われました。やはり、セドのおばさんが言ってようにこのあたりは、キツネの縄張りのようです。愛媛の実家と同じように考えていてはいけません。

    早速、養鶏場を経営している知人に小屋の作り方を教わり、小屋を建てることにしました。
    キツネは小屋に入るための穴を掘る習性があるそうです。そのため、小屋の回りに深さ30cmの外堀を作り、そこへ2段重ねのブロックを塀(へい)のように並べ土をかぶせます。こうすることで、キツネが穴を掘っても小屋に入れなくなるのです。

    我が家の庭に1m以上の高さで石垣があります。これを後ろの壁面にして、残りの3面を金網でおおい、小屋にすることにしました。
    教わった通りブロックの外堀を作り、廃材を利用して少しずつ小屋が出来てきました。

    そんなある日、
    「おとうさん、ピヨちゃんがおらんなった(いなくなった)。」
    長女の華が寂しそうに言います。
    どうやら、あのキツネにやられたようです。油断も隙もありません。もうこうなったら急ピッチで小屋を作り上げるしかありません。

    やっと、完成し、ピーを小屋に入れました。たった1羽になってしまいましたが、もうこれで安心です。

    それから数日たち、子供達が寝静まった夜のことです。

    「ギャー、バタバタ」
    小屋から凄まじい悲鳴と物音。
    私は、懐中電灯を持ち出し、小屋の方へ走り出しました。
    金網を照らし出すと、奥のほうに黒っぽい生き物。

    もうすでにピーは、地面に横たわり動いていません。その黒っぽい生き物が金網に近づいてきました。生臭く荒々しいケモノの吐く息とその体臭。

    「あれ、タヌキ?」

    私は、ピーの命を奪われた怒りとやや諦めの感情に、キツネではなくタヌキだったという意外な感情がない交ぜになった気持ちで、小屋の前に立っていました。

    それにしても、どこから入って来たのでしょう。私は、小屋の周りを懐中電灯で照らしながら入念に調べました。ところが、どこにも穴らしきものは見あたりません。全くないのです。
    私はまだ、目の前の現実を理解しがたい状態です。しかし、もうどうすることも出来ません。いまさら、タヌキに折檻(せっかん)しても始まりません。

    夜も更けたことだし、このままの状態にしておくことにしました。
    そして翌朝を迎え、小屋に行くと、

    「あれ?タヌキがいない?!」

    ピーの白と薄茶色の散乱した羽が残っているだけです。改めて、小屋の周りを調べてみました。やはり、穴は見つかりません。
    一体どういう事なのでしょう?

    昔から人里にやってきては、悪戯(いたずら)をするタヌキ。
    『タヌキに化かされた』という表現は、今回のような不思議な体験を通して人々が、作っていったことがよく分かります。
    それにしても、いまだにあれが、本当にタヌキだったのかどうか、不思議な感覚に陥ることがあります。

    実は、我が家を舞台に、キツネとタヌキが化かし合いをしていたのかも?
                           なんてね、おしまい。

    佐伯 惟弘

    東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
    人気ブログランキングに参加しています。
    にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

  • 操体庵ゆかいや物語(11)

    昨日のカラス話に続いて、、、、もう一度カラスの小話。

                  小話
                              

    もう20年も前の話です。

    霧に覆われた記憶が、笑い声と共に徐々に浮かび上がってきました。
    我々は、丸いおおきな鉄板焼きを前にビールを酌み交わし、イルカのステーキを焼いています。イルカは白身(しろみ)のマグロ。
    分厚いステーキは、ジュー、ジューと音を立て、勢いよく煙りが立っています。

    「昔は、イルカなんぞ、しょっちゅう喰ってたよ。」

    日焼けした白シャツの男性は50才前後。海が見える窓は開けっ放しで、すっかり日は落ちています。裸電球が心地よい夏の夜。

    しかし、私はその男性の名前を覚えていません。顔もぼやけています。そして男性と私以外に誰がいたのか?それすら、覚えていません。

    イルカがあっさりとしたマグロ味で絶品だったことは、間違いありませんが、それ以外は霧の中。
    ところが、そんなときの会話は、霧の上に強烈なイメージを描き出し、記憶として留めるものです。

    私が、『喋るカラスの話』をすると、その男性は、ニコニコしながら、

    「俺もカラス飼っててね〜。しかも、犬と一緒に。それが、毎日だよ、毎日。
    同じ事をするんだよ。

    洗面器にメシ入れるだろ?これをカラスと犬が一緒に喰うんだけど、、、、、、
    まず、犬が先にくるだろ?そして、喰ってるだろ。

    そこへ、カラスが後ろからピョンピョンとやってきて、犬の後ろ足を、
    つっつく訳よ。
    そしたらさあ〜、怒った犬は、『この野郎!』とばかり、カラスの方をふり向く。そこでカラスは、低空飛行で逃げる訳よ!

    スーッと犬の目線で飛ぶから、犬は必死で追いかける。で、ある程度まで行くと、突然カラスはUターン。犬はというと、勢いが止まらないからそのまま、走りっぱなし!

    カラスは余裕でメシを喰うって訳。
    戻ってきた犬は、カラスを追い払ってメシを喰うはいいけど、また、カラスに同じことをされるってえパターン。

    これを、毎日、毎日繰り返すんだから、犬ってえ、バカだよ。というか、カラスはホントに利口だな。」

    男性の見事な喋りのお陰で、カラスと犬のやり取りが、鮮明なイメージとして焼き付きました。

    大笑いをしながら、私も負けじと、カラスの話をはじめます。

    「そういや、ラジオでこんな話を聞きました。
    その番組では、『カラスは遊ぶ』というテーマで、リスナーからの便りを紹介するんですよ。

    それで、こんなのがありました。
    電線に数羽のカラスが止まって、鉄棒の『大車輪』をするって言うんです。
    しっかりと足で電線をつかんで、羽をわずかに広げ前転。
    すると見事な『大車輪』になるそうなんです。
    これを見ていた他のカラスも『大車輪』。
    なんか、想像するだけで楽しいでしょ。

    それから、雪のスロープでは、カーカーとうれしそうに、羽を広げてスキーをするそうなんです。

    嘘みたい、、、だけど、カラスならやりそうですよね。」

    仙台の温古堂でも、火鉢を囲んで、橋本敬三先生がカラスにまつわるこんな話をされていたのでしょうか、、、、、、、、

       
    霧の彼方から呼び起こしたカラスの小話、おそまつでした。

    佐伯 惟弘

    東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
    人気ブログランキングに参加しています。
    にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

  • 操体庵ゆかいや物語(10)

                 カラスの話
                                 

    操体の創始者・橋本敬三先生は、「カラスは頭が良い」とよくおっしゃっていたと伺っています。
    実際その通り。そこで、私のカラス体験談を披露したいと思います。

    私の父親は鳥好きで、私が物心ついたときから、様々な種類の鳥、数十羽を飼っていました。大工さんに立方体、直方体のりっぱな鳥かごを作って貰い、玄関入り口横に、賑やかな鳥かごの積み木群。まるで動物園のようでした。

    毎朝これらの鳥にひえ、あわ、水、貝殻、ナズナなどの青葉を餌として与えるのが、私の仕事。それが終わると、庭の鉢植えに水をやらなければなりません。

    小学校6年になった頃、この玄関に新座者が入ってきました。カラスです。
    名前をクロといいます。

    私の実家は、茅葺き民家で平入り(玄関が長い一辺の中央部にあります)。カラスの小屋は玄関を夾んで、鳥かごの積み木群と対になるよう置かれました。まるで、狛犬ならぬ、狛鳥。
    そして、カラスの下にはニワトリの夫婦。この大きな小屋は二階建てになっています。

    もちろん、ニワトリとカラスに餌をやるのも私の仕事。
    ご存じの通り、カラスは人間が食べるものは全て食べます。特に卵が大好物。一階にいるニワトリの卵を私が取りあげると、クロは必ず目を白黒させながら、羽を半分ほど広げ、おねだりのポーズをとります。

    「ガー、ガツ、ガツ、ガツ、ガー」

    「クロさん、そんなにほしいん?う〜ん、あげよか?」

    取れ立ての暖かい卵を与えると、くちばしで1cm程の穴を開けはじめます。そして、くちばしの先を上手に使ってつまみ上げるように、すこしづつ黄身と白身を食べていきます。殻を壊すことなく最後の一滴まで丁寧に。

    こんな餌係りの私でも、餌を持っていない時、クロさんは私を無視します。何故かというと、クロさんは、我が家の家族構成とその上下関係をしっかり把握し、私が重要人物だとは思っていないからです。

    一番偉いのが、父親。続いて、祖父、祖母、母親。三番目は私。最後が5年下の弟。

    ですから、父親がクロさんの前を通ると、必ず目を白黒させながら、羽を半分ほど広げるポーズをとり、父親に媚びへつらいます。

    私も、そのポーズを取って貰おうと、父親の下駄を履いて威張ってみせるのですが、全然だめです。

    弟は、まだ小学校の低学年。
    クロさんは弟が前を通ると、金網まで飛んできて両足で金網をつかみ、弟めがけて激しくくちばしでつつくポーズをとります。
    弟は、半べそをかきながら一目散に逃げ去り、クロさんはそれを見て喜ぶのです。

    そんなクロさんがある日突然、
    「クワッ、クワッ、クワッ、クワッ」と妙な声で鳴き始めました。これにいち早く反応したのが、祖母です。

    「クロさん、ニワトリの鳴き真似しよるんじゃろか?」

    とクロさんの前に立ち、「ばあちゃん、ばあちゃん」と何度も話しかけ始めました。一週間程、祖母は続けたと思います。

    すると、今度はクロさんの方から
    「ばあちゃん、ばあちゃん」
    としゃべり始めました。それからは、「おはよう」「ただいま」「いってきます」を状況に応じて使い分けるようになりました。

    特に、父親が帰ってくるバスが着くと、「ただいま」と大喜びで羽を広げ鳴いていたことを良く覚えています。

    近所では、
    「お宮の坊(私のこと)が、いっつも、『ばあちゃん、ばあちゃん』言よるけんど、おばあさんは、家においでんのかいのう?(いらっしゃらないの?)」

    と祖母が外出し、私が祖母を捜し回っていると勘違いされる始末。

    やがて「お宮(我が家のこと)のカラスは喋る」という噂が広まりはじめ、わざわざ遠くから、お宮のカラス参りに来られる方も現れ始め、ついには、新聞、テレビにも出演するまでになりました。

    すっかり有名になってしまったクロさんの楽しみは散歩。

    父親が結婚する前に、2回もカラスを飼っていました。その時は、家の半分がカラス部屋だったそうで、放し飼いに近い状態だったようです。朝、父親の耳をつついて起こしてくれる「目覚ましカラス」だったと聞いています。

    父親は、そういうカラス経験から、どうしても散歩をさせてやりたいと思ったにちがいありません。

    また、散歩をさせる際、
    「カラスは、はな垂れ小僧を見つけると、つつきに飛んでくるけん、はなを垂らしたらいかんぞ!」と教わりました。
    当時の子供達は青くて長いはなを垂らし、それをふき取る服の袖口はテカテカに光っていたものです。
    そして、カラスはそんな子供を見つけると、からかいたくなるのです。実際、カラスの人を見抜く力は、想像以上のものがありました。

    また、散歩といっても、犬のように首輪やくさりを付ける訳ではありません。小屋の戸をあけ、外で自由に飛んだり跳ねたり遊んだり。

    夏の暑いときなどは、境内の手水鉢で水浴びをします。嬉しそうに羽を少し開き、バタバタと水しぶき。
    頭まで水がつかると、大きく強そうに見えていたクロさんが、小さく可愛くなります。

    そして、入念に羽繕い。
    「カラスの行水」と短い入浴のことをいいますが、カラスは決して短い水浴びはしません。長風呂です。しかも、きれい好きで、紫、紺色といった美しいカラス色になるまで羽繕いをします。

    また、遊びが大好きです。よくやる遊びが、父親の大切にしているサボテンの鉢から、サボテンを引っこ抜き、どこかに置き去る「サボテン隠し」。

    棚にならべた小さな鉢のサボテンが、父親の宝物であることをクロさんは知っています。そこで、この宝物を隠し、父親から目を引こうとするのです。まるで、小さい子供と同じ。

    そんな時、父親はクロさんをもう一度散歩させます。そのあとを私が尾行する訳です。よく隠していた場所は、大きな灯籠のウラ。杉の皮を被せて、サボテンが見えないように隠しています。
    こんな利口なクロさんを捕まえて、小屋に戻すのは至難の業です。クロさんはいつまでも遊んでいたいのですから、、、
    そこで活躍するのが、弟です。なにせ、クロさんは、弟を見るとどこまでも
    追っかけます。羽をわずかに広げピョンピョンと跳ねながら、家の中まで入ってきます。逃げ回る弟を楽しそうに追っかけ、、、、時には、座敷まで上がってくることもありました。

    これをみていた父親は、弟を餌食にクロさんを捕まえる方法を思いついたようです。
    充分な散歩が終わると、弟を呼びます。
    弟は父親の前で直立不動。しばらくすると、弟がいることに気付いたクロさんが、ピョンピョンと近づいてきます。
    弟にとってクロさんは、2mくらいの黒い化け物。
    父親を信じるしかありません。
    クロさんが、弟の足をつつこうとした瞬間、弟をふわ〜と横に置き、クロさんを捕まえます。
    首尾良く一回で捕まるといいのですが、何度か失敗することもありました。
    まあ〜弟もよく頑張ったものです。

    しかし、こんな楽しいクロさんとの生活も、徐々に終わりが近づいてきました。
    散歩を楽しんでいるクロさんを見ていると、やはり大自然に帰した方がいいと家族全員が思うようになってきたのです。

    弱っていた子ガラスを父親が譲り受け、成鳥になるまで育てたのですから、もう役目は果たしました。
    散歩をさせたまま、徐々に餌を与えなくしていくことに、、、、すると、それを察知したクロさんは、いつの間にか我々の前から姿を消していきました。

    そして、数ヶ月後、どこかで「ばあちゃん」と鳴くカラスがいたという噂が耳に入ってきました。
    クロさんは、元気にやっているようです。
                              

    めでたし、めでたし

    佐伯 惟弘

    東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
    人気ブログランキングに参加しています。
    にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

  • 操体庵ゆかいや物語(9)

                  大きな訪問者
                                 

    「きょうは、えらい天気いいし、美山へ寄っていい?」

    滋賀県の友人・砂川次郎さんから電話が掛かってきました。バイクで2つの峠を越えて2時間。美山町はバイク乗りにとっては、格好の場所のようです。土曜、日曜ともなると、ツーリングのバイクが20台も連なって走っていることもあります。

    私が、滋賀県の精神科病院で芸術療法士として働いていた時の同僚が砂川さん(薬剤師)。もう20年以上も前のことになります。
    その後、彼は市会議員としての道を歩み始め、ジーンズ議員として新聞でよく紹介されるようになりました。現在は、議員を辞め、第二の人生を歩み始めています。

    「砂川さん、あそこにあるホウノ木。随分、背(せえ)高いやろ!」

    私は、ウラ庭に生えているホウノ木を指さして、大声で言いました。ホウノ木は大きな長い団扇(うちわ)のような葉っぱをつけ、まっすぐ空に向かっています。

    その横では柿の木が横に枝を張り、二本が空を奪いあっています。その勢いに押されながら、小屋が建築途中。
    この小屋は、友人の大工・宮崎さんが廃材を利用して実験的に作っています。

    屋根の形は、西洋風の茅葺き屋根で、妻側(屋根を真上から見た長方形の短い一辺)の軒を、平側(同じく長方形の長い一辺)の軒より短くした『おかっぱ頭』。
    何故そのようにしたかというと、光が入りやすいからです。
    また、『屋根の上』からの見晴らしが気持ちいいので、見晴台も作りました。

    美山町の茅葺きは北山型。
    屋根のてっぺんに、2mほどの栗の木を2本バツ印のようにして置いたものを5組、あるいは、7組並べます。
    丁度、5〜7人が馬乗りをした格好なので、これをウマといいます。

    宮崎さんは、北山型のこの工法をうまく利用しました。小屋の上に小型のウマを10程乗せ、その上に、ほとんど勾配のない、なだらかな幅1mほどの屋根をウマの上に乗せ見晴台にしたのです。

    丁度、お相撲さんの頭が小屋としたら、ちょんまげの部分が見晴台です。

    ホウノ木から、いつのまにか小屋の話になってしましたが、寄り道ついでに、もう少し、宮崎さんのことを書いてみましょう。

    宮崎英寿さん35才位、独身。大学では言語学を専攻。180cmのがっしりした体躯にニコニコ笑顔がトレードマーク、読書家。
    伊勢神宮茅葺き屋根に感動し、茅葺き職人になろうと決心。新聞で『茅葺き職人見習い』の求人募集を見つけ、採用されるも、
    「あんた、体格がええから、大工になれ!」
    この一言で、大工の道へ。

    これが幸いし、日本古来の伝統工法の技術を習得。現在は、茅葺き職人の元で、茅葺きの技術を学び、時代の要求にあった新しく、創造的な茅葺き民家を模索、研究中。

    その実験台が、私の小屋なのです。
    これで、やっとホウノ木に戻れます。

    「佐伯さん、おまえんとこのよう〜、ホウノ木。あれ、切った方がええで。庭の木が、屋根より高なったら、あかん。屋根にようない。」

    会うたびに、『セドのおばさん』に叱られます。このおばさんは、集落の長老で野菜作りの名人です。このおばさんの言葉を無視することはできません。

    ところが、木を切るというのは大変なことなのです。一人で屋根より高い木をしかも、チェーンソーでとなると、危険です。
    同じ集落のある男性は、木を伐採中、倒れた木に巻き込まれ、川に転落。お亡くなりになりました。

    そこで、登場するのが砂川さん(多分、ブログを読まれている方には、ホウノ木を見上げたままの砂川さんが静止画像になっていると思います)。

    「ほな、一緒に切ろか。せっかく美山に来たんやし、何かしたいわ!」

    セドのおばさんの話を聞いた彼から、威勢のいい言葉がかえってきました。
    さっそく、梯子(はしご)を木に掛け、足場をしっかりと固めます。隣りの柿の木の枝を払いながら、私はなんとかホウノ木の中央部まで上りました。

    おばさんがいった通り、小屋の屋根は、木の枝を伝わった雨水で、緑色に変色しています。これでは、屋根が湿気で腐りやすくなります。

    縄を大きめの枝に結びつけ、砂川さんが、下からその縄をひっぱれる様にしました。これだと、私のような素人でも倒れる方向が決まります。

    チェーンソーのエンジンを砂川さんにかけてもらい、激しい振動音のチェーンソーを木の上の私に運んでもらいます。

    下から見るより、上ってみると随分高く感じ、足元が不安定で身がすくんでしまいます。しかし、ここまで来たら覚悟するしかありません。

    「ウィン、ウィン、、、ジャー、ジャー、ジャー、、」

    ホウノ木が絶叫し、必死の抵抗。「ゴメンな!」と思いながらも、心を鬼にして切り進んで行きます。しばらくして、

    「もういけるん ちゃう(もう、いいんじゃないの)?」
    砂川さんの叫ぶ声。

    「引っ張ってみて!」
    ギーギー、ベキベキと木は最後の抵抗をしています。徐々に空が揺れ始め、やがてポカッと青空から光。

    案外あっさりとホウノ木伐採が終了してしまいました。

    そして、チェーンソーを持ちゆっくりと下りて、木の根本を見たときの事です。
    なんと、粘土の表面を引っかいた様な、生々しい足跡が目に飛びこんできました。

    「砂川さん、 ちょっと来て、来て!これ見て!」


    何じゃこれ?これって、クマの足跡?」

    「そう。毎年、柿を食べに来るんやけど、ホウノ木にこんな足跡があるとは、思わんかった。」

    「しっかし、おっそろしいところに、住んどんなあ。じぶん(関西弁では、あなたの意味です)。」

    「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

    私は、砂川さんの言葉などうわのそらで、ただただ足跡を眺めていました。

    クマが木登りをするときの前足の運動力点は、どこになるのか?馬のような蹄(ひづめ)を持った動物の運動力点は?足のないヘビははたして?あひるが歩行するときは?飛ぶときは?

    ほとんど妄想のように動物の運動力点に思いを馳せる私。

    砂川さんが帰った後も、そのことが気になり、大学で動物学を専攻した友人に聞いてみました。すると、
    「冬、雪につけた足跡で動物を見分けることは、常にやっていたけど、運動力点などと考えてみたこともなかった。」とのことでした。

    雪の上ならば、足跡の深さを読みとることで、運動力点が分かるはずです。しかも、証拠写真を撮ることも出来ます。「動物の運動力点」というテーマで足跡を追っかけていれば、冬必ず私におとずれる軽い鬱状態を回避することができるかもしれません。

    もっとも、動物園に行って動物観察をすればすむことではありますが、、、、

    この大きな訪問者。
    実は、豊かな森が存在しているという証なのだそうです(物知り大工・宮崎さんの弁)。
    野生動物のトップに君臨しているクマが生きているということは、その生態系が守られている訳です。最も、オオカミがそのトップに冠していた頃の日本の生態系は完璧なものだったと思います。オオカミ=大神というのもうなずけます。

    木に残した足跡を見つめていると、アイヌの人々がクマを神の使いと崇め、共に生活していた頃のことを想像していました。

    神⇒クマ⇒クマ(神)の足跡⇒大胆な絵柄

    そして上記の図式が浮かび上がりました。
    案外、アイヌの美しく大胆な模様はクマという神がお作りになった足跡から来ている!などとまったく勝手な思いこみをするのも愉しいものです。
    クマさん、色々な想像力をありがとう!        

    おしまい

    佐伯 惟弘

    東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
    人気ブログランキングに参加しています。
    にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

  • 操体庵ゆかいや物語(8)

    今先生の心温まる操体話のあとを受け、京都の山奥から佐伯が一週間のブログを、お送り致します。
    猛暑が続くなか、ほんの少しでも涼風がとどきますように、、、

            
       操体庵ゆかいや物語(8)

     
                小さな訪問者
                              

    友人のデザイナー・小田切ゆたかさんが久々に我が家を訪ねてきました。

    まじまじと庭を眺めながら、
    「ここは、熱帯雨林みたい。豊かですね」

    お世辞にも我が家の庭はきれいとは言えません。近所のお家の庭は、砂利をひいて花や、植木を大切に育てています。畑の手入れも見事です。

    それに比べて我が家は、全くの放置状態。
    しかし、それはそれで、小田切さんのいう通りなかなか魅力的です。1mの積雪を耐えて、再び冬を迎えるまでの9ヶ月間に、我が家の庭を賑あわせてくれる植物の種類は、百を優に超えると思います。

    そんな思いで、あらためて庭を眺めると、まるでミニチュアのジャングルに迷い込んでしまったような錯覚を覚えます。

    今年は、その恩恵を受けて、ドクダミスギナゲンノショウコ、柿の葉、茶を陰干しして、炭を入れたビンで保存することができました。
    毎朝、それらをブレンドして、カナダ人の陶芸家サム・ユーリックさんの器で飲むのが、密かな私の楽しみになっています。

    そんな日のささやかな出来事です。

    我が家の便所は、玄関から4〜5m離れたところにあります。その道中に、勢いよく伸びたアザミがオオバコ、タンポポを征して仁王立ちしていました。その勢いは留まることをしらず、まるで青竹のようです。

    ところが、ある朝のこと、何者かによって倒されてしまいました。

    根元から2〜3cmのところにかじられたような痕が残っています。

    鹿にしては、かじられた場所が低すぎるし、食べることなくそのまま放置されています。いったい誰が何の目的で、、、少々不可解ではありましたが、別段気にすることもなく数日が過ぎました。

    しゃもじのように大きくなったオオバコの葉っぱ、牛の顔に似た葉っぱのミゾソバ、2m以上にまで成長したウドの大木、夏の終わりに花と実がなるミョウガの森など、生命の営みに圧倒されそうになります。

    そんなミニチュアのジャングルをぼんやり眺めているときでした、
    「ゴソゴソ、シュッシュ」
    とジャングルの草木が揺れました。

    「何だ?あれ?」

    黒い影が見えましたがよく分かりません。しばらくして再び
    「ゴソゴソ、シュッシュ」

    今度は、丸っこいお尻と5cm位の立った耳が見えました。どうやら野ウサギのようです。
    やや黒っぽい毛に覆われています。
    野ウサギにとって、食料となり、身を隠すことのできる草木が生い茂っている我が家は、居心地がいいようです。
    それからというもの、私が外に出るたびに出くわすようになりました。

    そんなある日、操体施術にこられた女性を我が家にお通しする際、

    「ウチでは、野ウサギを飼っているんですよ!」と冗談ぽく言うと、
    「野ウサギ?飼ってる?」

    都会からこられた方に、いきなり野ウサギの話をしても何のことだか分かる訳がありません。

    「いや〜、その〜ウチは、庭の草木が高くて、多いでしょ。だからどうやら野ウサギが住んでるようなんです。」

    と、野ウサギと私の関係を私なりの言葉で説明しました。
    二人で庭を見ながら、

    「ほら、ここに6株のオオシダが植わってるでしょ?このシダは、本来、杉林などの光が少ないところを好むんです。ただボクは、シダが好きなもんで、日の当たるこんなところに植えてしまったんですよ。だから、影のところのシダだけが元気いいでしょ?」

    などとちょっと自慢げに説明していました。
    すると、

    「ゴソゴソ、シュッシュ」

    小さな訪問者が様子を伺っています。ただ、彼女はまだ野ウサギの気配に気付いていないようです。
    いつまでも庭を眺めていたい気持ちになってしまいそうです。しかし、そういう訳にもいきません。操体施術をすることにしました。

    戸を開け放ち、そよ風が入ってくる空間で、動きの操法を通していると、

    「ゴソゴソ、シュッシュ」

    野ウサギも動きの操法

    そして、足底の渦状波(皮膚への操法)に移ろうとしたときでした。

    「ゴソゴソ、シュッシュ」

    大きく跳ね上がった様子が目に飛びこんできました。
    「ありゃ?やってきましたよ、野ウサギ。」

    操体法の最中に、私から話しかけるということはないのですが、よっぽど嬉しかったのでしょう、思わず声が出てしまいました。

    またそればかりでなく、野ウサギに出会えたことで、
    「ウチでは、野ウサギを飼っているんですよ!」という言葉の裏付けが出来たという喜びもあったようです。

    そして、渦状波(皮膚へ問いかける操法)。
    腰に違和感を覚えている彼女は、ゆったりした無意識の動き。30分以上は経過しました。その間ソケイ部が「ポキポキ」と鳴ること数回。
    随分、腰周辺が緩みました。しばらくの休息を取り、起きあがって戴きました。

    その瞬間、「ゴソゴソ、シュッシュ」

    何と、野ウサギが彼女と同時に動き始めました。
    渦状波の波動が野ウサギまで伝わったのでしょうか?
    どうやら、操法の一部始終を身動きせず見入っていたようです。

    その数日後のことです。便所の前に倒れていたアザミが無くなっていました。そして、それ以来野ウサギを見ることもなくなりました。

    どうやらあの野ウサギ、アザミ手弁当に、隣りの山へ引っ越ししたようです。
                                   おしまい

    (ここで、話は終わるのですが、2年前にアメリカ・ケンタッキー州のバーンハイム森林公園に滞在したとき、我が家の庭とアメリカの庭とを比較したブログを書きました。少々堅苦しい文章ですが5ページ程掲載いたします。)

    ‘06 10月27日
     
     
                   芝

    事務所に着くと、昨日から準備しているNASA関連の会議のため、賑わっている。バーンハイム関係者も参加できる。後ろの席に座り話を聞くことにした。

    会場は、知的な緊張感に溢れている。また、現在の典型的なアメリカ人体型の人がいない。みんな、中肉中背か高背。

    私が27年前にアメリカへ行ったときは、こういう体型の人が普通だった。そのため、昔にタイムスリップした感じである。

    ここに来ている人々は私を除いて、全員、高額所得者。食生活をはじめとした自己管理はしっかりしているようである。

    今回のテーマは、“地球温暖化。特に、北極圏(北半球)”内容は専門用語が多く聞き取りにくい。ただ、資料を大きなスクリーンに映し出し、コンピューターから様々な映像を映し出すため(NASAがやっているのだから!)大筋は分かる。

    二酸化炭素のことを、green house gasというのは知らなかった。
    green houseとは、温室のことで、温室効果の原因となる気体。特に二酸化炭素のことになる。

    しかし、資料なしで、しかも外国人の英語になると付いていけない。まるで“スタンレーおじさん英語”のような人もいた。さっぱり分からない。

    分からない英語を聞きながら、“この人は偉い。自分の考えを異国の言葉で堂々と述べている。オレも自分の仕事を英語でしっかり喋れるように勉強しよう!”と思った。

    人の表情と状況を見ながらの会話は、カンさえ働けば大丈夫。分からなければ、聞き返せばよい。また、日常会話のパターンは大体決まっているのでいつの間にか喋っている。

    英語の文章は辞書さえあれば、ほぼ読める。ただ、人前でしっかりとした英語を喋るには、勉強が必要。今回はこれを痛感した。こんなことは初めての経験で、それだけでも、意義がある。

    また、インターネット発達のおかげで、情報に関してわざわざこの会議に出席する必要はないと感じた。ここに出席した人々の本当のねらいは、“直接のコミュニケーション”だと思う。やはり、“人”の勝負。いい勉強になった。

    ただ気になることがある。この人達はりっぱな家に住んでいるのだろうと思う。芝の美しい広い庭の大きな家。そんな人が地球温暖化を説いても、説得力に欠ける。以前、日記にも書いたが、この芝があやしい。今回は芝に焦点を当ててみようと思う。

    バーンハイム森林公園で自転車を走らせると、芝刈りの車とよく出会う。激しい音で、ガソリンをまき散らしている。

    そんな時、美山の我が家を思う。今年は草引きを随分した。その時の、植物の種類の多さに驚き、豊かさを実感した。

    多分100種類以上になると思う。梅雨明けからは草刈り機を使わなければ追っつけない。3回草刈りを行った。

    その後、すぐにバーンハイム森林公園に来た為、芝の単調さが気になり、すぐに飽きてしまった。そればかりか、様々な弊害を感じるようになった。
     

    芝の歴史を辿ってみると、中世ヨーロッパ、特にイギリスから始まる。イギリスは湿気が多く牧草としての芝は育ちやすい。

    修道院やお城のこもった雰囲気の室内から逃れるため、中庭に植えられ始める。

    1600年初頭に“英国芝”が生まれ、gentryという貴族のすぐ下の階級における地位の象徴になっていく。

    1700年初頭までにイギリスやアイルランド全土に流行する。その後、芝が庭から野外へと移っていった。

    しかし、植民地政策をとったヴィクトリア王朝(1819−1901年)になると、フランス、イタリアの影響を受け、庭の芝がテラス、彫刻などに変わっていく。

    アメリカでは、1830年に芝刈り機が発明されるまでは、今日のように芝を維持することは難しかった。

    資産家が時折、芝刈り人夫を雇い維持している程度であった。多くは、牧草地として、羊、馬、ウサギに食べさせていた。

    ところが、南北戦争(1860−65年)以降になって、中産階級の人々の庭に芝が現れはじめる。

    しかし、多くの人は、芝刈り人夫を雇うことが出来ず、芝を植えることは出来なかった。普通の人々は野菜を育て、雑草が生えていても気にしていなかった。

    19世紀末になり、郊外から現在アメリカの様相を呈してくる。特に、スプリンクラー、芝刈り機の急速な改良により、風景をも変化させていった。

    つまり、維持が大変なため、芝を植えることは金持ちの象徴であったが、機械技術の発達と共に、一般市民が芝を庭に植え始め、アメリカ全土に広がっていったのである。

    NASAの発表によると、アメリカ全土の芝面積は、128,000平方キロメーター(これは、日本の面積の34パーセントになる)。そのため、芝の管理、維持および、建築、園芸などと相まって“芝”が一大産業になっている。

    24,700,000戸の世帯に芝が植えられ、1世帯、年間1,200ドル(14万円程度)お金をつぎ込んでいる事になる。

    1戸あたりの水道利用の50−70%は庭、特に芝に費やされている。

    この芝に関しての批判が、Wikipedia, the free encyclopediaで書かれているので、列挙してみる。

    1:多くの芝は1種類で植えられているため、植物の多様性を損っている。広大な敷地ではそれが顕著である。それに加え、本来なら地方にはないはずの芝が根付いていまい、その地方独特の多様性をなくしてしまう。  

    2:芝は、環境に害を与える殺虫剤やその他の化学物質を使用する場合がある。
     

    3:緑の芝を維持するために、しばしば大量の水が必要となる。芝発祥の地、イギリスでは、十分な降水量があるため、緑の芝を維持するのに問題はない。

    しかしながら、芝の文化、風習を受け入れた世界の乾燥地域、例えばアメリカの南西部のような、水資源の乏しい地域においては、行き過ぎた水の供給システムを要求するため、水資源の妨害となる。
     

    4:芝は、寒い冬の期間は冬眠する。そして、乾燥した夏の期間は茶色に変色する。そのため、水の供給を減らす。ところが、多くの芝所有者は、“死んだ”ように見える状態を嫌い、夏の期間の水供給を一段と増やす。実際には、干ばつからでも十分回復できるのに。
     
        
    5:アメリカでは、芝に覆われた丘では、ガソリンエンジンの芝刈り車を使う。これは、夏の期間郊外のスモッグを生み出す。アメリカ環境保護団体は1997年ある地域で、典型的な小さなエンジンの草刈り機がスモッグの5%を生み出すことを調査発見した。1997年以降は保護団体の命を受けスモッグを減らす排気ガス規制が行われた。

    6:芝は穀物を生み出す広大な耕地を覆っている。

    以上のようにイギリス貴族から生まれた芝文化が、アメリカの一般市民に普及し、日本全土の34%までを覆うこととなった。そしてその維持のために環境を破壊している。私が最も気にしているのは、その精神性。
     

    美山の我が家の庭を考えてみる。春から秋にかけて一定の場所から、時期をずらしながら様々な植物が生えてくる。つまり地中には様々な種子、球根、株が共存し、それぞれが自分の出番を待っているのである。そして、種を蒔き枯れて土に帰る。これが自然の摂理であり、そのお陰で我々は生かされている。そこから、たくさんのことを学ぶことが出来る。

    現在のアメリカに於いては庭に芝が無ければならない。そして芝以外は雑草。非常に単純で傲慢な発想である。全く人間の都合でしか土地を見ていない。

    しかも表面的な見栄えのみ。勿論、芝の利点もある、道路の地固め、土埃の軽減、夏の気温上昇軽減。

    しかし、自然界の複雑な営みを、排他的しかも単純にみることの精神的な影響の代償は大きい。

    芝の庭で育った子供は、身近な庭で、地中の豊かな営みを体験できる機会を失う。

    そればかりか、芝文化を持たない国に意味のない優越感を覚える可能性がある。なぜなら、芝文化はイギリス貴族の流れをもち、アメリカでも150年位前までは金持ちしか芝の庭を持てなかったからである。

    現在、バーンハイムでは、この芝を少しずつ剥がし、元々アメリカ大陸にあったススキのような植物に植え代えている。全ての芝がこの植物に代わった時、再びバーンハイムを訪れてみたいものである。

    佐伯惟弘

    東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
    人気ブログランキングに参加しています。
    にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

  • うめぼしおばさん

    以前、腰椎スベリ症のおばさんの症例を何かに書いた
    のですが、何に書いたのか忘れてしまいました〜。
    それは、ま、いいかぁ。
    そのおばさんが昨日二年ぶりに来室しました。

    その後、調子よく過ごしていたらしいのですが、
    三日前から腰が痛くなり、ご主人に車で一時間もかけて
    連れてきてもらったのでした。

    「こんにちはー、ご無沙汰していましたー」
    おばさんが少し腰をかばうようにしてヨタヨタと治療室に
    入ってきました。

    「まーた畑かなんかで無理でもしたんでしょう」
    私はおばさんの手を見て、爪が土で汚れていたのでそう
    いったのでした。

    「んだでばー、んめぼす(うめぼし)漬けんので、がんばった
    のっしゃー」とにっこりおばさん。

    カルテを見ると、二年前は三軸操体の前後バランスを整えた
    と書いてありました。
    この時は後屈が不快でした。
    腰かけて前屈からねじって倒す三軸操体をやっただけで
    良くなってしまったと書いてありました。

    「前にやったのをためしてみましたか?」

    「少しやってはみだんだげっとも、なんだがねー」と首を
    かしげて微笑むおばさん。

    「なんだがねーでしたかー」と私。

    「ちょっとベットに腰掛けてみてー」

    「この辺が少し凝っているねー」私は背中の方で肩から背中
    、腰とさするように調べて、右肩のコリを押していいました。

    「この姿勢でちょっとおじぎをするように前にまがってみてー、
    今度は背筋を伸ばすようにー」と私は前後の動きを調べてみ
    ました。

    「前に曲がっと腰が苦しいなゃー、そらすのは大丈夫でがすぅ」
    おばさんはナマッテいいました。

    「はい、今度はこっちの肩を下げてみてー、次はこっちー」
    私は左右屈のバランスを調べます。

    「こっちがらぐ(楽)だねぇ」
    おばさんは左肩を下げていいました。

    私はこの二つの楽(後屈と左屈)を覚えておきました。
    これが後でとても役に立ちます。

    次に仰向けで膝を左右に倒してみてもらいました。
    おばさんは「右に倒すど腰が苦しぐなるねー」といい、
    「左に倒すのは楽だねぇ」といいました。

    これで左ねじりが楽だということがわかりました。
    軸で観て、さっきの楽だった動きをぴっぴっと合成すれば
    気持ちよくなることがわかります。

    三軸操体を知っている人は簡単に理解できると思いますが、
    知らない人は「なんのこっちゃ」と思うかも知れません。

    左にねじった楽な位置から、後屈して少し左屈すると
    心地よくなることが動く前からわかってしまうのです。

    (かといって、左屈してから後屈してはいけません)

    やってみたら、やっぱり当たりでした。
    気持ちがイイですぅ。とおばさん。

    この三軸操体のねじりバランスの動きを二回すると、
    膝を右にたおしても苦しさがぜんぜんなくなりました。

    これで起きていろいろ動かしてもらったら、
    「なおったねー!」とおばさん。

    そして、おばさんはなぜか帰り仕度を始めたのです。

    おいおい、もう帰るのかよー、まだ五分位しかここに
    いないぞー。と思ったのですが、おばさんは帰る気満々です。

    なので私は今日やったことを急いでメモして、
    「家でまた痛くなったら、これを見てやってみるといいです」
    と手渡しました。

    おばさんはメモをバックに入れて、ご主人と仲良く帰って
    行きました。

    あ、うめぼしをたのむの忘れた。

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    三軸操体については、ホームページ「そうたい操体
    か「今治療室」にリンクされています。
    また、医道の日本2008年1、3、5、7、9月号を
    参考にされるといいと思います。

    さて、来週は待ちに待った佐伯さんの番でがすぅ。
    みなさんお楽しみに〜。

    今 昭宏

    東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
    人気ブログランキングに参加しています。
    にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ