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  • 尖っちゃダメ

    うちに来る人のなかには、来てからひとしきり喋らないと落ち着かない人が結構いる。仕事の事。家族の事。嫌な人の事。
    最初は軽い挨拶程度だったものが、どんどんエスカレートしていってしまう。

    昨日いらした60歳代の女性もひとしきり喋った後、ベッドの上で一番くつろげるポジションで休んでもらった後もまた仕事の事や嫌な人がいるということを喋りだしたのですが、「でも、この歳までまだ元気に仕事ができているんだからありがたいことなんだよね〜」と言った。

    この言葉を聞いて、こちらもなんだか嬉しい気分になってしまい、見えていなかったもの、見よう見ようと頑張っても触れることができなかった部分に自然に手が伸びたのを感じた。
    そこには飛び上がるほどの圧痛があり「痛いよッ!」と一瞬怒られてしまった。

    自分自身が緊張し、神経を尖らせていたのでは解らないような小さな硬結だった。
    相手が痛みや不快症状で気持ちが尖っている時に、こちらも何とかしなければと過剰に緊張して気持ちが尖ってしまうと、相手も尖っている、こちらも尖っているで調和がとれなくなってしまう。尖っているものと尖っているものがぶつかれば火花も散るしお互いが傷ついてしまう。
    相手のからだはもうこれ以上傷つきたくないと願っているだろう。だから一番安楽なポジションをとっても、こちらの気持ちが変に気負って尖ってしまっていれば、自身のウィークポイントを素直にさらけ出してくれないのだと思う。
    相手のからだは不快から快に向かおうとしており、この快は刺激的なものではなく、ゆったりだとか、くつろぎ、リラックスに通じる快なので、こちらがそれを妨げるような緊張を表していれば、相手のからだも快に向かおうとはせず、これ以上痛くされないようにと身構えてしまい、ウィークポイントを見せてくれないのだと思う。

    からだは、どうやってこちらの緊張を感じとっているのだろうか。
    相手のからだとこちらとの間には必ず空気があり波動が存在する。
    尖った荒い波動、やさしい波動、おだやかな波動。相手のからだは、こちらの波動を感じとっているのではないかと感じます。
    尖った荒い波動を発していれば、相手のからだは閉ざされるでしょうし、おだやかな波動を発していれば相手のからだは開放してくるのではないでしょうか。

    自分の波動をおだやかにするには、「ありがとう」という感謝の気持ちを持つことだと思います。
    そしてそれを言葉にすること。
    昨日来た60代の女性は「ありがたい」と口にしたことで自分自身をおだやかにし、こちらの気負った緊張も解いてくれ、私の手を自身の病んでる部分に導いてくれたのではと思います。
    この人なんだかすごい人なのかも。

    友松 誠。

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  • 卓球

    今回の北京オリンピック日本選手団の旗手を務めていたのが卓球の福原愛選手ですが、この愛ちゃん小さな頃によくテレビにでていて、当時幼稚園児ぐらいだったと思いますが、明石家さんまや、とんねるずと卓球の試合をして負けたり、ズルをして点を入れられると泣き出してしまったりしてたのが思い出されます。しかし今は中国リーグでも活躍し中国でも人気者で、世界的な選手に成長しています。

    この卓球についてなのですが、橋本敬三先生の著書「万病が治せる妙療法」にも、からだの調子がおかしいと治療を受けに来た卓球選手を診させてもらった時のことが書かれており、この卓球選手は右ききでありながら、右足の親趾に重心をかけて打っていると言っており、本人はそれが正しいんだと頑張るので、それでもよしとしておいたが、からだのあちこちに歪みがあり、痛めていたとあります。少し写しになりますが、右手を動かすときは左足に重心をかけるとらくに動けるように人間のからだはつくられています。四つんばいになって歩くばあいは、右前足(右手)を前に出すと左後足(左足)が前に出、逆に左前足(左手)が前に出るときは右後足(右足)が前に出ます。このように左右の動きと重心のバランスがとれるようになっているわけです。また、かまえたときと、行動するときとでは重心が移動しますが、それには一定の法則があります。この重心移動の法則にしたがって動かないと必ずからだにむりがかかり、歪みの原因になります。動きもスムーズにいきません。先日の卓球選手が本当に逆の動きをしているとすれば、この法則をしらないままにむりな動きを繰り返し身についてしまったものと考えられます。そして、動きにむりがあるのでからだもあちこちわるくなったのだと思います。と書かれております。

    テレビで卓球の試合を見ていると、動きが早くて、急にフォアハンドに速い球がきた場合など、右ききの人が右足に重心をかけたまま打っている場面もみられますが、ゆるい球をスマッシュする時などは左足に重心をかけて打っているのがよくわかります。ですから「万病を治せる妙療法」にでてくる卓球選手は、はやい動きのなかで、どこかでからだの使い方を勘違いしてしまったのではないかと思います。

    この卓球選手は時代的にもラケットをペンホルダーグリップで握っていたのだと思いますが、私の考えではどうもこの握り方は動きの勘違いを生みやすいのではと思います。

    卓球のラケットの握り方はシェークハンドグリツプとペンホルダーグリップがあり、インターネットにあった初心者の為の握り方を見てみると、シェークハンドグリップはラケットのラバーに人差し指を固定し、他の4本の指でグリップを握るようにもちますとあり、ペンホルダーグリップは、その名のとおりペンを持つように握りますグリップを親指と人差し指で囲むように握り、中、薬、小指はラケットの裏面にコンパクトにまとめる感じですと書かれています。この時点でシェークハンドグリップのほうが重心安定の法則の、手は小指側を使うということとマッチしているような感じがします。

    そして気になったのが、ペンホルダーグリップで握る時の注意点なのですが、裏側の3本の指を開くとバックハンドで打つときに手首が返しづらく打ちにくいのでラケットを持つのではなく添えるくらいで握るようにしましょうと書いてある点で、ここで今勉強している連動性とつながってくるのですが、人差し指を親指に寄せるようにして全指が開いてくるオープンをさせれば遠心性の動きとなり、人差し指を中指に寄せるようにして全指が閉じてくるクローズをさせれば求心性の動きとなります。

    連動性としては仰臥位で脚を伸ばした状態から、人差し指を親指に寄せるようにしてオープンすれば肩甲骨が上がり同側の下肢は伸展してきて、人差し指を中指に寄せるようにしてクローズすれば肩甲骨は下がり同側の下肢はちぢんできます。

    この人差し指を寄せるようにしてのオープン、クローズを、例えば右手関節の外旋だったら外旋していく右手の動きにクローズをミックスしたり、連動により内旋してくる左手の動きにオープンの動きをミックスしたりと、より運動痛、運動制限のない開放された状態のなかで快適感覚が聞き分けられるような動診を今勉強しています。

    これをペンホルダーグリップで握る時の注意点にあてはめてみますと、グリップを親指と人差し指で囲むように握り裏側の3本の指を開くと、先程のオープンの格好になり求心性の動きと相反する遠心性の動きがミックスされることになってしまい、バックハンドを打つときに手関節にロックがかかってしまい、手首が返しづらく打ちにくくなってしまうのではないでしょうか。フォアハンドでも同様で右手で打っていたら右の脇が空き、重心も右足にかかりやすくなってしまうのではないでしょうか。

    「万病を治せる妙療法」にでてくる卓球選手も、このようなことも含めて右ききでありながら右足の親趾に重心がかかるようになってしまい、不自然な動きが身についてしまったが為、自分のやり方が正しいと言い張ってはいても、からだのほうは歪んでしまい動きにむりがあるので、あちこちわるくなってきてしまったとも考えられるのではと思います。

    ちなみにシェークハンドグリップの握り方の注意点は、ラケットの根元と手を近づけるようにしてくださいラケットの根元から手が離れてしまうと、人差し指でラケットを固定できなくなってしまいますと書いてあります。

    これも固定できなくなってしまうということの他にも、人差し指と中指、薬指、小指が近づくようにすれば、求心性の動きと求心性の動きがミックスされ、よりスムーズな動きになるのでラケットの根元と手を近づけるようにしたほうが良いということも考えられるのではと思います。

    また今年の春の東京操体フォーラムでやりましたが、ONの固定とOFFの固定というのがあり、人差し指の指背に親指を重ねるとOFFの固定となり、この固定をすると動きにロックがかかり
    極端に動きの可動域が制限されてきてしまいます。ペンホルダーグリップでラケットのグリップを親指と人差し指で囲むように握る時、もし人差し指の上に親指をのせているとしたら、この場合も不自然なからだの動きにつながるのではと思います。

    ペンホルダーグリップとシェークハンドグリップ、競技においては、それぞれ一長一短があり、どちらのほうが有利なのだということは一概に決め付けられないと思いますが、からだにとってどちらが身体運動の法則に則った動きが表現しやすいかといったらシェークハンドグリップのほうが表現しやすいのではと思います

    友松 誠。

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  • 水中に立つ

    先週の平さんの話で思い出した事があります。

    幼稚園か小学校低学年だかの頃、夏休みの地域のイベントで、市営プールへ行ったことがありました。

    すぐ隣は海だったような気がするのだが…

    一般用のプールと子供用のプール、大きな(と思っていた)すべり台がある。

    子供用の方でひとしきり遊んだあと、やや飽きてきていたので、大人の目を盗んで姉と一般用のプールの方へ行ってみた。

    子供用のプールは、当時でも浅く感じ、泳ぐという雰囲気ではなかったのだ。

    大人用のプールは広く、人口密度も低かった。

    嬉しくなって来たので、ちょっと入ってみることにした。

    姉にはやや止められたような気がしたが、子供用のプールで強気になっていたので、はしご?からやや離れた位置(縦側の方)で足から(静かに)飛び込んだ。

    プールは予想外に深いものだった。
    別に溺れたとか、焦った覚えはないのだが。

    幸い、母譲りの脳天気さのゆえか、焦って溺れるということはなく、落ち着いたものだった。
    (おかげで、姉も助けを呼ぶのを一瞬忘れたようだ)

    溺れたというよりは、沈んだといった方がいいか。
    あれっ?届いてないや、くらいの感覚だった。

    印象に残っているのは空の青さと、覗きこんでいる姉の顔と、水の中で目を開けられるという感動だった。(どうも苦手だったようだ)
    後から姉に「すごいね」といわれた覚えがある(それより誰か呼んで来て(笑))
    姉も脳天気だったようだ。

    その後の記憶はないのだが、トラウマにもなってないし、たいしたことはなかったようだ。

    まあ、そんなところでオチもなく次週の友松さんに繋ぎます。

    ありがとうございました。

    辻知喜

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  • 立つ

    みなさんは立つというとどんなイメージをお持ちですか?

    辻は立つことが好きである。
    電車に乗るときなども、どんなにすいていても座席に座ることは殆ど無い。
    同行者には、「変わってるね」と言われたりするが、性分である。

    最近は若い人でも平気で座る人が多いし、立っている人でも吊革に頼って足下が不安定なのをよく見掛ける。
    自分の足で立つということができていないように思われる。

    立ち姿というのは大切な文化だと思うのだが。

    今でも学校などで廊下に立たされるというのはあるだろうか。(初めて立たされたのは幼稚園の頃だったな…)
    本屋なども基本的に立ち読みである。
    おかげさまで、立つ事には慣れっこである。
    長時間立ち続ける為には無理の無い姿勢でなければいけない。

    操体ではまず、理に適ったからだの使い方を学ぶ。
    般若身経と呼ばれ、次回のフォーラムのテーマでもある。
    これは、誤解されがちな、単なる健康体操や施術後の運動指導のようなものではなく、操体を学ぶ者にとっては必要不可欠であり、これの理解無しには先へ進めないものである。

    その中の一つ、重心安定の法則をご紹介したいと思う。

    1、両足を腰幅に開く

    2、つま先と踵を平行させる

    3、軽く背筋を伸ばす

    4、正面の一点に目線をすえる

    5、両膝の力を抜いて緩める

    この時大事なのは、手は小指(尺骨側)、足は親趾(脛骨側)を効かせるということである。
    からだの正中に力が集約され、腰を要としたからだの使い方ができるようになる。

    立つというのは止まった状態ではないと思う。
    動きを前提としての働きを持つ基本姿勢である。
    そこに無駄な力みがあってはいけない。
    この力みを抜いてくれるのが親趾であり、腰(の中心)である。
    体重を乗せるのは親趾の付け根(足心)だが、趾自体が使えるともっと活きてくる。

    この秋のフォーラムでは、テーマにある通り、般若身経三昧です。
    臨床の中での般若身経、般若身経から操法へなど、様々な角度から味わえると思います。

    お楽しみに!

    辻知喜

    <補足 2008.08.25>
    重心安定の法則について簡単な説明を。
    理解の進みにより、随時更新します。

    1、両足を腰幅に開く

    まず一つ目、腰を要としたからだの使い方という点で、狭すぎず、広すぎず、腰を基準に真っ直ぐ下ろした位置がこれに当たる。
    足の幅は、重心の位置に関わる大事な要素である。

    2、つま先と踵を平行させる

    つま先の向きは膝の納まりの角度となる。
    ということは、からだの進行方向につま先を向ける必要がある。
    学校などで教わる気をつけの姿勢のような踵をつけた立ち方だと、体重が後ろに掛かり、背中が必要以上に反りやすくなる。
    膝の柔軟性も保ちにくい。
    つま先が平行だと、膝を緩めたときに正中を向いてくるので安定した姿勢となる。

    3、軽く背筋を伸ばす

    背筋が伸びていると、姿勢がいいと思われがちだが、行き過ぎると窮屈になる。
    ゆったりと脊柱の弯曲を保ち頭の重さを支えるようにする。

    4、正面の一点に目線をすえる

    この目線というのは、連動において重要な役割を果たしている。
    からだの外側の動きと内側の動きを繋ぐものである。
    より質の高い動きを求めると内側からの動きが必要となってくるのだが、この時、目線が助けてくれる。

    5、両膝の力を抜いて緩める

    膝を伸ばした状態は不安定である。
    呼吸の際、重心は前後に揺れが生じるが、膝が伸びていると影響を強く受けてしまう。
    親趾の付け根(足心)に体重をのせる為には、この膝の緩みが必要となってくる。

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  • 大地に立つ

    今週担当の辻です。
    二周目行きます。

    さて、高校を卒業して上京して来ましたが、直接この世界に入った訳ではありませんでした。

    高校はHRの前にも授業があり、夏休みなんかも返上で通うとこでした。
    大学に行かないことに決めた辻は異端というか問題児であり、「人生真面目に考えんか」と言われたもんです。(懐かしい…)

    そして、音楽学校に通う訳ですが、そこでもう一人の”師匠”に出会うことになります。

    初めての授業でおそわったのは歩くこと。

    音楽と歩く (インタビュー)

    音楽において、歩くということがいかに大事なことか。
    音楽の基本は歩くこと。きちんと歩けないということはからだに歪みが存在する。
    からだの歪みはリズムの歪みであり、音の歪みにつながる。
    歩けるようになるにはどうしたらいいか。
    からだのバランスを整える必要がある。

    その日から、歩くことを意識する日々が始まった。
    しかし、意識すればするほど歩くことの難しさを実感させられる。
    ひとのからだとはままならないものなのだなと。
    リズムと音に関してはそれなりに評価をして貰っていたようなので、そこそこ歩けていたのだろうが、自分自身では全然しっくりこないのだ。

    からだをつかうということに興味を持ったのは、この時からだったのかも知れない。

    いや、10年経った今でもさっぱりわからないのだが。

    からだをつかうということを極限まで追求しているのではなかろうかと思えるものが操体であり、あるいは武術であったりするのかなと。

    そういえば、操体と武術が似ている?と言われることがあるらしいがどうなのだろう。
    個人的な印象は半々かな。
    似ているような似ていないような。

    現在のイメージでは、
    操体は円の動き(曲線?の動き)
    武術は円に見える直線の動き
    かな?と思ったりする。
    共通するのは、それが柔らかいものであるということ。

    未熟なのでわかってないだけかもしれないが…
    あるいは、本来近いものなのか。

    まあ、あと40年後くらいに少しはわかればいいかなと思っている。

    そうそう、立つということでした。
    なかなか本題に入りそうにないので気を取り直してまた明日、ということで。

    一週間よろしくお願いします。

    辻知喜

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  • お盆の終わりに。

    幼稚園に入った頃。
    自分の名前を書く時間があった。

    僕は、のんびりお婆ちゃんと一緒に過ごした子供時代だったから。
    なんと、この世の中に文字があると言う事を知らなかったのです。

    それで、未開人からの脱却を図った僕(幼稚園入園3日目位)
    は家に帰るとお婆ちゃんにその事を話した。

    その日、幼稚園で自分の名前が書けなかった子供は5人位いたのかな。

    その日のうちに僕は名前をカタカナ、ひらがな、漢字で書けるようになった。

    次の日幼稚園で名前を書く。
    今度は漢字で書いた。

    前の日、名前を書けなかった子供は5人位。
    翌日、漢字で名前を書ける子も5人位。

    僕はいっきにごぼう抜きでランクを上げた、子供の早期教育って
    多分この程度かもなんて事も思うな。

    早く始めて苦労させても。
    抜かれる時期にはきちんと抜かれる。

    それは苦労してるから。
    そこに苦しい教え方や変な義務感があったらその程度。

    僕はお婆ちゃんが大好きだったから。
    お婆ちゃんと楽しく自分の名前を覚えた。

    それは決して辛い勉強の時間じゃなかったな。

    お婆ちゃんがニコニコしながら
    僕に字というものが世の中にある事を教えてくれて。

    一緒に書いてたニコニコ時間。

    だから僕はもっと楽しい時間を過ごしたくて。

    ひらがなから始まってカタカナと漢字も
    その日に覚えたんだろうな。

    賢く学ぶって事は、楽しく学ぶって事でもあるのかな。

    そこにはきっと楽もあるぞって僕は思う。
    楽しく楽に僕は生まれて始めて字をマスターした。

    楽に楽しく学ぶそうすれば同じ事を面白く、早く沢山学んじゃうんだろうな。

    お婆ちゃんと一緒の時間は安心して、凄く楽で楽しい時間だったから。

    今週は調度お盆でした、お婆ちゃん、そしてお母さん、郁ちゃん、そしてご先祖の皆様方。

    お陰さまで、僕は楽しく、面白く、毎日過ごしてます。

    お陰さまで、感謝の気持ちと一緒に少しだけだけど、
    ご先祖様の事を考える時間が出来たりしてます。

    ありがとうを感謝の気持ちをようやく感じる事が
    出来るようになって来ました。

    自分の楽しい事をもっと広げるのに忙しいからお墓参りには行けなかったけど。

    いつの間にか僕は感謝の気持ちを、師匠や仲間の皆さん達から教えていただいてます。

    仏壇はないけど、お萩とビールとクッキーをお供えして手を合わせておきました。

    これでも大分、大人になったんですよ、昔から比べると。

    少しずつが良いんですよね、急に変わるのはすぐに終わってつまらない。

    じっくりと味わいながら楽しく行こうって思います。
    そんな事を、操体っていうのを学びながら一緒に学んでいます。

    今週ブログを担当させて頂いたから、きっとこんな風な想いが出てきたんです。

    このご縁に感謝です。

    楽しく、僕は操体を学ばせて頂いてます。

    来週は期待の若手 辻君です。

    平 直行

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  • スイッチ

    スイッチを入れると電源が入って機械は動く。
    テレビのスイッチを入れてチャンネルを合わせると画面の中に画像が現れる。

    それまではただの箱。

    スイッチを入れなければただの箱。
    テレビの電波はいつでも流れてる。

    テレビのスイッチを押した瞬間に出来る訳じゃない。

    テレビのスイッチが入ってない時にも
    いつでもテレビの電波は流れてる。

    だからテレビを見るって事はテレビのスイッチを入れるって事。

    スイッチに関係なく電波はいつでもどこでもある。

    身体にもスイッチがある。

    気持ちが良いスイッチを押せば
    そのスイッチの電波みたいなのが入ってくるのかな。

    みんな同じ器で身体の造りも同じなのに
    入ってくる電波が違うのはスイッチが違うのかな。

    気持ちが良いスイッチが良いな。

    気持ちが良くないスイッチは身体に良くないんだろうな。

    そのスイッチは息、食、動、想で管理できる。

    全部自分自身でコントロール出来る。
    面白いな。

    最近変な事件が多い。
    武術の師匠がこんな事を教えてくださった。

    「相手がナイフを持ってる犯罪者。」
    「護身術が出来る、技が出来ても危ないですよ。」

    「相手は犯罪者だからスイッチいつでも入ってるんですよ。」
    「技の事考えるだけでスイッチが入ってないと。」

    「相手を目の前にして考えてるとそれで下がったら。」
    「刺されてしまいますよ。」

    「技だけだとかえって危ない事もある。」

    「ゴングで始まる試合と違ったものがあるんですよ。」
    「試合が全部だと考えると危ない目に合う。」

    「本当の危ない目は試合の比じゃないんですよ。」

    「だからスイッチをいつでもすぐに入れる練習をしないと。」
    「武術ってそんなもんなんですよ。」

    全部が、きっと同じ。

    身体にはスイッチがある、健康になるスイッチが入ってると。
    同じ場所にいて風邪をひく人ひかない人。
    身体が強い弱いもあるけど、身体が弱くてもひかない人もきっといる。

    身体にはきっとスイッチがある。

    そのスイッチを押すボタンの一つに
    気持ち良く過ごすっていうのがきっとある。

    操体を学んで僕はそんな事を思う。
    身体のスイッチを押してあげるお手伝いをするのが操体なのかな。
    僕はそんな事を思ったりもする。

    平直行

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  • 所変われば(夏休みの疑問。)

    子供の頃夏休みにはカブトムシとかクワガタとか飼っていた。
    小学生男子の憧れは昆虫なのかな。
    あの黒く光る硬い感じが良いな。

    彼らを手に入れる為には、家から相当遠くまで行く。
    自転車で3時間位かけていくと
    カブトムシやクワガタが取れる場所があった。

    子供の頃の大冒険だ。

    そうやって大冒険の末に手にしたカブトムシとクワガタは同じ場所で飼われたりしてた。

    ある朝見てみるとカブトムシがクワガタにやられてた。

    友達の家でも同じような事件があった。

    昆虫の王様であるカブトムシがクワガタに負ける。

    子供にとっては大事件。

    子供達はクワガタの方が凄いんだ。
    そう思ってなんでカブトムシが王様なのか考え抜く。

    「やっぱり名前がカブトだから兜と同じだから。」
    「王様なんだよ。」
    「形が良いよね、だから王様なんだよ。」

    全く意味不明の解釈は40歳を過ぎてもそのまま。
    ある日の事テレビを見てたら疑問解消。

    カブトムシは森の王様。

    だから広い樹の上ではカブトムシのツノが森の昆虫の中で最強の武器になる。

    さっと近ずいてツノでパッと押せばどんな昆虫も樹の枝からまっさかさま。

    優しい力の示し方で森の最強を維持するカブトムシはやっぱり森の王様だったんだな。

    ところが、これが虫かごの中だと話が変わってくる。

    別に押しても遠くまで行かないから。

    やがて、クワガタの鋏が強力な威力を出してくる。

    森だったら一撃で吹っ飛んでるのに。
    狭い場所では鋏は最強の武器になる。

    何でもそうなのかな、生き物って自分の生きる場所に
    一番良い状態で出来て生まれて来るのかな。

    それが生まれてくるって言う意味なのかな。

    生かされし命。
    それは生まれた場所でありがたく生きる事でもあるのかな。

    便利な物をありがたく受け入れつつも。
    あまり限度を超えない方が良いんだろうな。

    ありがたいっていう気持ちがその時のコツなのかな。

    何でもありがたく出来てる、空気、水、太陽。

    勝手に変えないでも十分ありがたい大切な物。

    そこを大切にありがたく使うのか、自分勝手に散らかすのか。

    身体だって同じように向き合うと間違いないんだろうな。

    多分その他の事も同じなんだろうな。

    平直行

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  • 夏休みその2(自分が小2だった頃のお話。)

    下の子供は小2。
    自分の小2くらいの記憶って飛び飛びだけど結構鮮明にある。
    それで、こんな事を思い出した。

    小学校の夏休みは毎日小学校のプールに行ってたな。
    小2の頃に僕は泳げなかった。

    小2の夏休みは
    プールでばちゃばちゃして遊んでた。
    そろそろ泳げる子とか出てくる時期。

    僕はのんびりとばちゃばちゃして遊んでた。
    もう夏休みも終わりになる頃に、ふと浮かんだ。

    何となく、頭に浮かんできた。

    小学校のプールの浅い部分だったら小2でも楽に頭が出る。

    だから別に怖くもなく、楽しくばちゃばちゃ遊べる。
    あっだったら息が出来る間に立てば、怖くないな。

    小2の僕の頭に、ふと浮かんだアイディア。

    とにかく浮かんでみよう。
    だめでも息が続く間に立てば大丈夫。

    それで、身体をプールで丸めてみる。
    そのまま浮かんでくる。
    おっ良いなって感じる小2。

    簡単に浮かんだのでビックリ。
    それまで恐々と泳ごうとしても。
    ぜんぜんダメだったからビックリ。

    一度浮かべば身体が覚えてくれる。
    怖さもないから、何度でも出来る。

    1回浮いたら楽しくなるから。

    今度は丸まった状態で浮いて、そのまま身体を伸ばしてみる。
    ばっちり成功、そのまま手と足をばちゃばちゃしたら前に進んだ。

    どんどん面白くなって、気がついてから約5分で僕は息が続く間、泳げるようになった。

    まったくの泳げない小2は一応泳げるようになって。

    残りの夏休みで少し息継ぎが出来るようになって僕は泳げるようになった。

    何でもホンの少しのきっかけで全部変わる。

    大概の事はホンの少しだけで全部変わる。
    大概の事を邪魔するのは恐れなのかな。

    僕は小2の次男がいる年齢になって、僕はそんな事を思う。

    余計な力を入れるから溺れてしまう。

    何もしないで良い、力を抜けば勝手に身体は浮くようになってるから。

    まずは、それを理解して身体に覚えこませる。

    そうすればそこから自分で楽しみながら進む事を覚えていけば良い。

    何でも同じなのかな。
    怖さって、凄く何かを押さえつけるのかな。

    楽しくやって構わないって気がつくと面白いように変わるのかな。

    何か面白い事に気がついたような感じ。

    平直行

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  • 夏休み

    夏休みって言う言葉には何か惹かれるものを感じる。

    大人になったいまは、別にそれ程夏休みが沢山ある訳じゃないけど。

    世の中が夏休み気分だと自分も何となく嬉しい。

    不思議だけど、みんなが嬉しい気分だと自分も何となく嬉しい気分を
    おすそ分けしてもらってる気分になる。

    子供の頃の夏休みは今でも覚えてる。
    夏休みは暑くて楽しい、スイカとかカルピスとかの美味しい思い出。

    ラジオ体操に毎日行って、朝に友達とその日の約束をする。
    小学校のプールに行って泳いで。
    友達と遊んで日が暮れたら家でテレビ見てずーっと楽しく過ごす。

    楽しい事がイーッパイの子供の頃の夏休み。
    宿題が溜まっても友達同士で助け合ってやってた夏休み。

    助け合いって良いな。
    5人でやったら5分の1だけやれば、残りは写すだけ。
    僕は勉強よりもこんな事から色んな事を学んだ。

    一緒に目一杯、遊んで、それで夏休みの〆は共犯者気分を味わって。
    僕は勉強や部活では学べない面白い交流タイムを味わった。

    小学生の頃の楽しかった思い出って良いな。

    いつの間にか僕にも小学生の子供が2人。
    子供の夏休みはタイムマシーンに乗れる日。
    一緒に遊ぶ時間は昔と同じ気分で遊んじゃう。

    それは昔に戻るんじゃなく今も楽しめる時間。
    だから、2倍楽しめる時間。

    時間の流れは大切に積み重ねてくと。
    本当に重なるのかな。

    操体とは関係ない話。

    でも僕は時間が積み重なって楽しい気持ちを味わってる時にも

    操体で感じる心地良さを感じる事がある。

    そんな時に操体って良いな、生まれてきて嬉しいな。

    そんな事を思ったりする。

    操体を学んでから僕は色んな嬉しい事に敏感になったような気がする。

    それは、きっと嬉しい事がいっぱいに増えたのと同じ事。

    僕は嬉しい気分の夏を過ごしてます。

    平直行

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