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  • 分科会開催します!

    三浦先生よりバトン受けとりました。
    森田珠水です。
    池上本門寺は八重の桜がたわわです。
    一週間よろしくお願いします。

    三浦先生がフォーラムの一週間前にブログ担当になるということは
    私がフォーラム当日の担当になるわけです。
    ああ、今週はどんなことを書いたらよいのか、またもや悩みます。

    しかし先週の三浦先生の忙しさといったら私の何倍になるか‥その一端をきいていると何倍とか計算できないほど。

    それは先週のブログを読んでいただくとわかっていただけるかと思います。

    二十名近い人数をまとめて一つの目標にむかって率いていくにははかりしれない苦労があるのですよね‥。

    というわけで(?)、今日(4月25)日は北青山のコンフォートにて分科会が開催されます。

    いつもの東京操体フォーラムとは異なり、理事長、理事ではなく、実行委員が中心になって準備するという新しい試み。

    これが毎日顔を合わせて打ち合わせできる会社のような状況だったらもっとスムースに進んでいたかもしれませんが、そうではない。そんな中で進行されていきました。

    途中で動きやすいように役割分担がかわったり、
    理事長、理事のお力に頼ることになり、すったもんだしてようやく今日という日を迎えました。

    日頃いかにも理事と役員の方々にお任せしていたか、よくわかりました…。
    特にフォーラム事務局で全体をとりまとめ、かつ細部に渡って交渉、手続き、作業までしてくださる畠山裕美先生の大変さを肌で感じました。

    三浦先生のフォーラムへの熱い情熱をみんなにうまく促してくださっているのです(涙)。

    それに応えて実行委員、はりきって分科会をもりあげていかないといけません。

    橋本敬三先生のなしてきたこと、
    また、なさんとしてきたことをいかに我々が耕していくか。
    その成果が表現出来たらいいですね。

    森田珠水

  • 操体を学ぶことにおいて

    操体を学ぶことにおいて、橋本敬三先生の人となりをその想念の世界観からじっくり学びとる必要性を特に感じるなァ。橋本哲学といふのか、そこから入っていかないと、操体の臨床も生きてこず、一人よがりの楽しみに枯れ朽ちてしまう。じゃ、その想念の世界観が書き残されている著作のどこに描写されているのであろうか。私がこれだと言うことは避けたい。一人一人の生命観、その感性で一人一人が気づいていることが違うのであるからである。一人一人が自分で見い出していく以外にない。自己の責任において、自分の感性がその言葉に光をあてることだろう。この我が師匠がただ者じゃない。生涯私は師匠の人となりを学びつづけるだろう。

    三浦寛


  • 新宿に住んでいる住人の60%が一人暮らしの住人だという

    新宿に住んでいる住人の60%が一人暮らしの住人だという。それが30代の若者にも蔓延しているのだそうだ。定職もなく、結婚できる、したいという希望もなく、このまま生涯一人ぼっちで生きて行くことを余儀なくされている。自分がない人生を続けて行く・・・。そうした人生しか見えてこない人達が命が尽きるまで耐えられるのか。貯えがないことも、身にしみることだが、心のよりどころがない、家族がない、友人もいない、話せる人がいない、これほど不安な自分はないという。本当にその人達は孤立、孤独を余儀なくされている。極度に人生の孤独を、さびしさを背おい、生きているのだ。ある小老は、故郷で死を迎えたいと言った。しかし現実に帰れるアテは全くないのだ。この小老は、毎日その孤独にたえきれづ、新宿の街をひたすらあてもなく、ただ歩き続けて、孤独と戦っているのだという。そうでもしないと、自分を忘れ、人生を忘れてしまうのだという。生きているのに生きていけない、生きているのに自分が消えていく。心が消えていく。心が痛まないか。同じ人間として、そんな人達より少しでも余力のある人よ。この人達と会話しないか。言葉をかけ、なにか、できることをしてあげられないか。人の生き方にはこれほどの温度差があるのか。報いの報酬にはこれほどまでの落差があるのか。第三者が介入できないほどのものなのか。神の手が、力が及ばぬところのものなのか。いや、人ごとの無神経さ、オレには関係ないことだという。他人事のこころ。自己責任にしても、皆が幸せじゃないと息苦しいのだ。無関心ではいられない。この現実に目をそらすな。目をそらすな。自分がもしそうだったらと、少しは感じて生きること。

    三浦寛


  • 変化は必要である

    変化は必要である。変化とは、つねに流れている、更新していけるそんな意識活動をいふ。心が止まってしまったのでは水たまりの水で、いつかよどんで腐ってしまう。浄化し、濾過していく為には、つねに、意識にといかけていくことが必要だ。これでいいのか、という妥協を許さぬ意識をもちつづけていることだ。つねに危機感、危機意識を根底にもちつづけて、今を真剣にとらえていく。今なくしてこれからの展望発展はない。気をめぐらせ危機管理を徹底することである。どこから水がもれるかわからない。

    三浦寛


    伊勢にて


    猿田彦神社の「地中神社」


    猿田彦神社の「御神田」


    伊勢神宮内宮から続く通り。「おかげ横丁」に向かう途中

  • 写真撮影

    先々週の土曜日の夕方、東京操体フォーラム実行委員のうち有志が集まって写真家のプロ、白井氏に一人一人写真を撮っていたヾいた。公私用に使える、写真である。プロの目で撮る、撮っているのだから、最高のものを撮るツボを心得ているから、さすが、撮られているその対象の緊張をほぐすのもさすがである。たヾ、意識して作られる表情には、どこか硬さや無理がある。どうしたら納得いくような写真を撮ってもらえるのかを考えてみると、顔や、からだの緊張をほぐすことを考えてみればいい。細胞そのものをほぐす手段がある。細胞フェイスをつくる。それが生きた被写体となる。僕がこころがけることは、尊敬している人、一番愛せるものをイメージすること。それをイメージしながら、撮れたものは最高に表情が生きているのだ。表情がゆるむ。又しまる。その無意識がつくり出す。つくり出せる表情とは、このイメージが大切なのだ。このイメージを描くことによって、細胞そのものが最高でステキな表情を生み出すのである。ですから、自分の人生の中で、尊敬する人がいない、一番愛せる存在がない、ということは、いくら美人でもその表情には写し出せるものがないのである。ゆたかなものがないといふことになる。つまり、これという表情が自分に無いってことになる。ですから、自分の美しさ、かわいらしさというのは自分の生き方にかかわってくる。尊敬しうる存在を育ててきたか、ご縁を持たせていただいたか、最も尊敬でき愛せるものが自分であるのが最高である。会ったことがなくても、本をとおして、それらの存在を見いだせることだって可能である。それによって細胞が輝いてくる。生き生きとしてくる。そこにこんなステキな自分が写し出されていたんだと新たな気づきをもつであろう。

    三浦寛

    二見興玉神社夫婦岩

  • 近頃というより

    近頃というより、ブログを書きはじめてこの方、小生の順番がまわってくる頃になると、必ず何かと重なり、ワタワタ、バタバタさせられてしまう。例えば今回は分科会の一週間前だったり、それにたにぐち書店の連載の校正が重なったりするのだ。まあ、クリヤーできないことではないけど、気ぜわしくて落ち着かない。せわしいのだ。好きじゃないけど・・・・・。
    たにぐちの連載で思い出しだけど、お陰様で『シリーズ操体』は、四月号の連載で100回目となりました。100回の連載を毎月重ねると、8年と4ヶ月かかる訳ですネ。これも継続していくことの重みでしょう。重みだけではなく充実です。息を吹きかけていくことで、命を持つ、といふことです。同志の協力、ありがとうございました。一昨年から同志の協力を得て、連載を続行していました。1回目は山野、そして日下、中谷、秋穂、福田の順でふっていきました。かなり一人一人の原稿の校正には苦労させられましたが、その分、私も勉強させていただきました。かなり私からお灸をすえられ、もうこりごりと思っているのなら大間違い(大間違いだよ)。
    いつ、なんどき、そのような依頼が舞い込んでくるかもしれないという可能性を真っ向から否定することができるのか。そうしたことは全くないとイメージすらできないのか?
    何故己れの可能性をイメージできないのか。創造できなければ何一つ可能になることはないのだよ。

    三浦寛


    鳥羽湾の日の出

  • ふとした思いつきや気づきが大いなる進化を生むことがある。

    ふとした思いつきや気づきが大いなる進化を生むことがある。しかし、その進化には思いつきや、気づきに、どれだけ意識をむけてその現象をみつづけ、意識を刻みこんでいくか。その積み上げられていく心、いや魂の問いかけが必要だ。己れ(おのれ)のイノチとして、息をしつづけていける思いなのか気づきなのか・・・・という、自分への問いかけがあるかということなのである。
    瞬間湯沸かし器であっても、3日坊主のテイであってもならない。
    それは自分にとってたのしい事かも知れないけど、人様(ひとさま)がどれだけ、その気づきを共有して生かすことができるのか。人生のよろこびにかえられるのか、である。人様(ひとさま)とそのよろこびを共有できないことこそ、つまらぬ楽しみはない。
    一人よがりのたのしみに終わらぬように、その気づきを、思いを育てていくことです。
    そのことに息を吹き込み続けていくことです。

    三浦寛

    おかげ横丁で一服

    伊勢神宮門前の猫。

  •  近頃、自分の影にドキッっとすることがある

    近頃、自分の影にドキッっとすることがある。都会の生活のなかで「影」を意識させられることが少ないからだ。「ドキッとさせられる」というのは、誰れの影が写っているのだろうかという、ドッキリ感でもある。そう云えば自分にも影があるんだとその時気づくんだね。姿、影なき亡霊でもあるまいし生活している中で、自分には影があるんだって、すっかり忘れて過ごしていたんだなァ〜ってネ。だからと云って自分の存在を忘れている訳じゃないけど。たとえ影がないからといって今あわてることもない。影がなくても十分存在して、たのしめる余裕がある。意識感覚は存在しているわけだから。

    私もずい分、ツラの皮が厚くなったなァ。5年〜10年前の自分、どこがかわっているのか、意識のレベルが変わっている。5年〜10年前に存在していなかった自分が居るってことだな。かなり、そんな自分がいるようだ。だからといって違和感があろうはづはない。過去の自分を引きづっている訳でもない。今ここの自分を生きている。今ここの自分が最高であるように、生かさせて頂きたいと、そうある自分を今生きている。

    どうしてですか、どうしてですかといちいち説明を求めてくる者がいる。子供でもあるまいし、どうしてですかと聞く前に、自分で考えるのが大人である。こうした人間は、へりくつばかりを口にする。自分で考える、大人になれ。

    人は今、想いの中で生きる。今の想いを語り生きている。それは今の想いの中に未来があるからである。しかし現実は、老いたものは過去を語り、若者は未来を語る。その老いたるものにも、その若きものにも今がない。今を語るコトバがない。今を見つめる心がない。

    この歳を迎えて、自制していく生き方の中に、なにかしっくりと納まりがついてくる。味わい深き、快適空間が己れの中にあることに気づくのだ。ワクワク、ドキドキ感の快ではなく、しっとりとなじんでとけ込んでくるような、やすらぎというのか癒されてくるおちつき、である。それが静寂と沈黙の我の空間にあるようだ。足がすわるというか、腹がすわるといふのかな・・・・。自分そのものを、自分の次元を越えた観の世界からみれる、みている、それが四次元、五次元なのかはわからないけど、不可視な次元から自分をみるとかなり自分がわかってくるものだ。

    三浦寛

    写真:伊勢神宮にて

  • 同 志

    いやぁ。。今週も長かったぁ・・毎度のことながらブログの順番が回ってくる週は妙に長く感じます。最後までお付き合いを願います・・・
    今年はNHK大河ドラマがご存じ龍馬伝ということで高知・長崎・京都は軒並み観光客が増加しているようです・・・
    私がこの様に?歴史マニアになったきっかけは以前のブログにも書いたように、司馬遼太郎先生の竜馬がゆくでした。文庫本で全八巻だったのですが、一気に読み切ってしまったのを覚えています。
    読後に感じたのは“竜馬のような生き方がしてみたい”ということでした(現在は高杉晋作の様な生き様に憧れているのですが)。
    それからというものは取り憑かれたように司馬遼作品を次々と読みました。花神」「世に棲む日日」「翔が如く」「坂の上の雲などなど、スッカリ司馬遼ファンになってしまいました。

    司馬遼作品はビジネスマンにも非常に好まれており、以前、プレジデント誌で多くの経営者・管理職の方達が好きな司馬遼作品ということで、アンケートに答えていました。

    1位 坂の上の雲
    2位 竜馬がゆく
    3位 翔ぶが如く
    4位 この国のかたち
    5位 街道をゆく

    という結果でした。やはり組織者として社会の第一線で活躍されている方達が選んだのは坂の上の雲であったり翔ぶが如くといった“組織”を題材とした作品であるのは頷ける。竜馬がゆくに関してはビジネスマンの仕事に対してのモチベーションを上げるのには最高の作品ではないだろうか。
    個人的(幕末好き)には1位「世に棲む日日」「峠」花神とかも好きですけどねぇ。。。

    司馬遼作品は人物評には、かなり偏った部分も有りますが、そのぶん魅力もあり、特にビジネスマンにとって、組織とは如何に運営すべきか!組織の中での個人の役割といった部分で特に勉強になる部分があります。

    私も今は臨床家として日々活動している訳ですが、18歳で高校を卒業し、この業界に入るまでの約18年間はサラリーマンとして、社会の波に揉まれていました。18年間の殆どを“営業職”という業種で過ごし、中小様々な企業で仕事をさせて戴いたのは今の私の宝だと思っています。
    その中で強く感じたのは「強い組織」「弱い組織」の違いでした。入社当時はどちらも同じ規模の会社であったにもかかわらず、一方は倒産、一方は株式の店頭公開をする企業にまで成長と、勤めた会社で雲泥の差が出てしまいました。
    その違いはと言えば、「リーダーの意志」「厳しさの中での成長」でした。
    伸びていく組織の共通点はリーダーをはじめ、組織内に甘えや妥協が一切ないという部分でした。

    前者の社長は信長の如く妥協ない果断の人で、平社員の時は怖い社長だなぁ位にしか思いませんでしたが、役職がついてきて、管理職になった時にその厳しさを改めて味わうこととなりました。
    平均年齢も若い会社で、社長・専務自体も私より一つ上という中で、年下の上司の下で毎日怒鳴られながら、営業したのを覚えています。
    「年齢や性別で人を判断するな!」「年上でも部下は呼び捨てで呼べ!」が口癖でもあり、それまで上司だった人を管理する立場になった時でも、ためらっていると「降格したら悔しいとか、何故、自分が部下になったかを理解さす為にも遠慮をするな!ハゲって呼んでやれ!!」と言われていました。
    「組織を管理する人間に変な優しさは要らない!!部下を正しい方向に導き、稼がせてやることがお前の役目であって、友達作りが目的ではないんだ!!勘違いするな!!」と甘い顔をするのを見るといつもそう言いながら殴られていました。
    ビジネスの基本である「報・連・相」を特に重視する社長で、どんな手柄をあげても報告や連絡がなければ、実績を一切認めず、支店長でも当月の給料半額などは当たり前でした。
    人事も朝一番で営業所の所長付けのFAXが全社に送られても、報告がないからと夕方には一般社員に降格というのも当たり前の光景でした・・・
    逆に実績を上げた社員に関しては入社歴にかかわらず昇進させ、重要なポストをどんどん与えていき、やり方を見ながら適材適所に配置をして行くやり方でした。女性社員でも月収100万以上の社員が何人もいました。
    社長は常に「俺らの目標は日本一だ!絶対!日本一になるぞ!」と管理職や一般職にも顔を合わすと大声で言っていました。
    その言葉の元、気が付けば松江市で一番、島根県で一番、中国地方、西日本と徐々にその売り上げを業界の中で着実に伸ばして行きました。
    “組織は厳しさの中にこそ磨かれ強くなる”がその会社で学んだ教訓でした。
    因みにその会社は株式の店頭公開をして、当時、社長は資産数百億の億万長者になり、島根ではじめて平成12年度の全国長者番付20位内に載る快挙となりました。総従業員数40名の時に入社していた身としては何となく嬉しい感じでした(退社時に持ち株を手放したので恩恵には与れませんでしたが。。)・・・

    一方で後者のケジメのない組織は社長が目標も明確でなければ、怒ることもなく、ニヤニヤと笑っている姿しか、記憶にありません。銀行回りが社長の仕事のような人で、ひたすら金策、仕事は現場の役職任せという人でした。
    現場の管理職も厳しさとはほど遠い、ぬるま湯状態でした。部下が実績を上げようが上げまいが、自分に火の粉がかからなければよいという感じで、ひたすら自分の生活を守る為の業務に勤しんでいる感じでした。ノウハウは教えると自分の業績に関わるからと有耶無耶にされるといった雰囲気で、共通目標などは存在せず、個人目標のみといったいわばバラバラの会社でした。
    結果として私が退社して数年でその会社は倒産し、別の会社へと吸収されてしまったようです。

    東京操体フォーラムは組織としてはいわば自営業者やそれに準ずる方達の集団です。当然雇用関係がある訳ではないので、企業とは違う訳ですが、操体を純粋に追求する人達の一つの組織です。学びとはどんな世界でも決して甘いものではなく、厳しくて当たり前、馴れ合いや妥協は後者の会社のように倒産や解散の憂き目にあうでしょう。

    これから操体を学ぼうしている人達は私達にとっては同じ学びの中にある「同志」です。楽しさは厳しさの中にあり、厳しさの中にこそ“成功”があるのだと固く信じています、いよいよ来週に迫った“東京操体フォーラム分科会ですが、そんな新たな”同志”との出会いを心待ちにしたいと思います。
    今週、一週間本当にありがとうございました。来週からは私達の素晴らしき師匠である三浦理事長の登場です、お楽しみに!

    福田勇治

  • スポーツ選手考

    先週、またもや悲しいニュースが届いた。。読売巨人軍木村拓也コーチ(37歳)クモ膜下出血でお亡くなりになりました。
    未だ37歳という早すぎる死に、ショックを受けた方もたくさん居ただろうと思います。
    皮肉なことに木村コーチがお亡くなりになってから、若い方達からの病院への脳ドックの申し込みが急増したそうです。

    巨人の一軍コーチということは、一般社会で言えば大手企業の中間管理職的存在であり、
    ましてや今年一年目のコーチということであれば、半端じゃないストレスがかかっていたのではないかと思われます。
    しかも、あの業界は「勝てば官軍負ければただの野球馬鹿」という世界ですので、リーグ優勝当たり前、
    日本一が与えられた目標の巨人というチームでは尚更、プレッシャーのかかり方は半端じゃなかったと思います。
    ご冥福をお祈りしたいと思います。。

    ところで、日本にプロスポーツ選手と呼ばれる人達がどれ位居ると思いますか?
    自称ではなく一応、公的に認められている?であろうと思われる、財団法人日本プロスポーツ協会なるものに登録されている団体からその人数を考えてみると。

    1. 財団法人日本相撲協会(700名強)
    2. 社団法人日本野球機構(約750名)
    3. 社団法人日本プロゴルフ協会(毎年上位50名がトーナメントプレイヤーとして合格)
    4. 社団法人日本女子プロゴルフ協会(毎年上位20名がトーナメントプレイヤーとして合格)
    5. 社団法人日本プロサッカーリーグ(約1,000名弱)
    6. 日本プロボクシング協会(約3,000名前後)
    7. 社団法人日本プロボウリング協会(男女計約1,000名)
    8. 有限責任中間法人日本ダンス議会(会員数約3,500名)
    9. 株式会社日本レースプロモーション(不明)
    10. 新日本キックボクシング協会(不明)
    11. 日本中央競馬会(約170名前後)
    12. 地方競馬全国協会
    13. 財団法人JKA(競輪)(約3,700名)
    14. 財団法人JKA(オートレース)(約1,000名)
    15. 財団法人日本モーターボート競走会(約1,500名位)

    多すぎてあくまでもこれはざっくりとした数字でしかないので、詳細はお調べ下さい。
    ざっと財団に加入しているだけでも、17,000人弱の方々プロスポーツ選手としてスポーツを職業として選択している計算となります。
    実際はこれに非財団系や自称プロという人々も入れていけば、もっと多い数字にはなるのでしょうが・・・

    その中でも一般的に知られているプロ野球選手で考えると、12球団の中でも年俸総金額が多い、
    ご存じ読売ジャイアンツを例にすると平成21年末での支配下登録選手数が73名球団年俸総額 約49億円
    最高年俸 イ・スンヨプ選手6億円最低年俸240万円平均年俸 約7千万円平均年齢26.5歳です。
    このうち年俸1億円を越えている選手は投手7名捕手1名内野手2名外野手3名です。
    ですから夢の1億円プレイヤーは巨人で13名だということです。

    平均年俸だけ見ると高給取りのように見えますが、あくまでも平均ですので、最低年俸である240万円の選手でも
    6億円の選手と割れば、金額は上がりますから、実際、高給取りの選手はどのプロスポーツでも一握りでしかありません。

    華やかな部分だけが取りざたされるプロスポーツ界ですが、実際は一年ごとに訪れる契約更改に怯える日々であったり、
    どんなに素晴らしい選手でも怪我をしてしまえばお払い箱になってしまう明日の見えない道を歩いています。

    スポーツ選手はプロアマ問わず、真剣に日々競技に取り組んでいます。個人的にはもう少し、
    オリンピックを含めたアマチュア・スポーツ界に手を差し伸べても良いのではと思います。


    野球やサッカーなどメジャーな競技であればプロまでの道筋がありますし、最近はプロへの門戸を広げるようにとの配慮
    (当然それだけではないですが)で野球であれば育成選手制度”などというものも出来てきて、最低年俸の240万円から
    巨人の山口選手の様に1億円プレイヤーになるような選手もいますし。。。
    今では各地に独立リーグなども誕生し、地方からプロ野球へという門戸も広がってきています。
    Jリーグに関しても地方密着型リーグ等の誕生によりアマチュアからプロへの門戸がより身近に感じられるようになってきました。

    それに比べいわゆるマイナー・スポーツであるが故に大変な競技も山ほどあり、オリンピックの代表選手であるにもかかわらず
    練習よりも、食べる為に仕事を優先にしなければならない選手の方が多数を占めています。
    一方で現在の不景気な状況下にあっても、先日の冬期オリンピックスピードスケート代表加藤条治長島圭一郎選手
    所属企業である長野県諏訪市日本電産サンキョー株式会社の様に金メダルなら2,000万円銀1,000万円銅600万円といった
    破格の報奨金を支払う企業もある訳で、JOC等からの報奨金も合わせると臨時ボーナスとしてはモチベーションも上がると思います。

    スポーツ選手歌手俳優・女優などなどあげるとキリがないですが、人には持って生まれたものがあります。
    2m近い長身を持つスポーツ選手は神から選ばれた領域にいる人だと思いますし、こればかりは努力をしてなれるものでもありません。
    遺伝も含め人の意志を離れたところにいる人達です。これを生かすも殺すも本人次第ですので、
    素晴らしい出会いを祈るだけですが、プロアマ問わずオリンピック出場が可能な人材はまさに“人財”であり、
    可能な限りの援助等をするべきだと思います。


    国やマスコミをあげて散々持ち上げ、煽っておいて、オリンピック等が終われば潮が引くようにほったらかしといった
    余りの扱いに、憤りを感じずにはいられません。競技のバックボーンすら理解せず、服装が常識違いと一方的に人格までを叩いてみたり・・・
    中には「オリンピックに出るような人達だけを特別扱いするのはおかしい!」などと声高に言う人達もいますが、
    その一人の存在に数千万人の人達が歓喜し、勇気をもらうなんて、誰でも出来ないことであり、
    まさしく選ばれた人だからこそ出来ることであり、それに対し援助補助することは得はあっても損は無いと思います。

    国の施策としても訳の判らない○○公団とかに貴重な税金を年間数十億円も突っ込む位なら、
    この様な一国の代表として国を背負って戦う戦士達にこそ税金を投入してもらいたいと節に願います。
    民○党の「何で二番じゃ駄目なんですか!?」などとKYな発言をするとんちんかん事業仕分けをする位なら、
    「何で一番を目指さないんですか!」と言って数十億円の補助金を強化費に拠出する方がよっぽど支持率上がりますぜ・・・
    何だかどんどん毒吐き状況になって来ましたので、これ以上突っ込みませんが。。

    一流大学を卒業し、大手企業に就職した人だけが笑える社会ではなく、勉強は出来ないがスポーツでは誰にも負けない!
    オリンピックに出て金メダルを取って一生の補償を手に入れてやる!!みたいな話しがあった方が、
    夢があると思いますよ!「金を惜しむな!人財を惜しめ!」だう!

    福田勇治