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  • 生命エネルギーと感覚(2日目)

    前日の続き
    クンダリニーやチャクラに関しての知識が障害物になる理由は、クンダリニーという宇宙エネルギーの神秘的な知識は一般化してしまったからである。そういったものには個人差があり、その根元は必ずしも同じであるとは言えない。内なる生命には個人差があり、理論上の知識を通して何かを身につけようとしてもそれは役に立たないどころか、かえって邪魔にさえなる。何故なら、その知識は自分自身に関するものではない、それは自分に関するものではあり得ない。自分自身について知ることができるのは、自分の内部に深く入っていき、感覚として捉えることができたときだけに限られる。
    また、チャクラの存在やその数についても個人によってそれぞれ違っている。ある人にはチャクラが七つ、ある人には九つあるかも知れない、またある人にはもっとたくさんあるかも知れないし、別のある人はもっと少ないかも知れない。だからこそ世間には多くの異なった伝統が発達してきたという理由なのである。密教系の仏教徒は九つのチャクラについて語り、ヒンズー教徒は七つのチャクラについて語り、チベット密教の人たちは四つのチャクラについて語るが、それらはすべて正しいと言える。
    潜在的な宇宙エネルギーであるクンダリニーが通り抜ける通路も各個人によって違っている。内部に入っていけばますます個人的になってゆく。たとえば、からだの中では顔がもっとも個性的な部分である。その顔の中では眼がさらにもっと個性的になる。顔はからだの他のどの部分よりも生き生きとしており、顔はもっとも個人差を強く帯びている。そして、ある特定の年齢になるとほぼ一生続くような顔つきになるということに気づいているだろうか。特定の年齢とは性的成熟の年齢ということであり、性的成熟以前には顔が色々変化していたのが、性的に成熟すると個性が定まって一定の型ができ上がり、顔はだいたい同じままになる。その顔の中で眼はもっと生き生きしており、とても個性的で絶えず変化している。
    精神性の頂点である解脱に至らないかぎり、決して眼が固定することはあり得ない。解脱に至るというのは、もう一つの成熟なのである。性的な成熟に伴って顔が固定し、眼が固定してくるようなもう一つの成熟というのは解脱に至った者の眼にはどんな変化もよぎらないということだ。むろん、肉体は老い、やがては朽ち果てる。だが解脱した者の眼は永遠に変わることはない。このことは指標のひとつになってきた。誰かが涅槃を成就したという、その人が本当に成就したのかどうか第三者が判断できる唯一の指標が眼である。もう眼は決して変化することはない。何もかもが変わっても眼は依然として同じままであり内面世界における永久不変の表現なのである。しかし、クンダリニーはそれよりなおいっそう深い。

    操体でもこの「眼」を重視しており、目線を動診に大きく活かしている。目線は全身への連動を促すものであるが、目線そのものもからだの動きとして捉えている。「目指す」という言葉があるように、局所に目線を置いて全身連動という「目当て」に至るのである。
    明日につづく

    日下和夫

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催

  • 生命エネルギーと感覚

    今回は「瞑想」において切り離すことができない、クンダリニーとチャクラについての真相に迫ってみたい。日本でも幾度かのヨーガブームにのってクンダリニーやチャクラという言葉を耳にしたことがあると思う。それゆえに誤解されていることが少なくなく、その誤解を理解へつなげてみようと試みるものである。一週間、お付き合いいただきたい。
    クンダリニーやチャクラに関する経典によると、ハタ・ヨーガにはチャクラ(輪)と霊的資質の開発との関係について独自の理論があり、チャクラとは超心理学に属する生命エネルギーの中枢であるとしている。それには、チャクラは人体の中に七か所あって一連の体系をなしている。それは単なる生理的な肉体組織ではなく、エーテル体、あるいは幽体というからだの組織であり、肉眼では確認することはできない。しかし、熟達したヨーギはチャクラの存在をはっきりと実感することができるというのである。また、そのチャクラがクンダリニーという宇宙エネルギーの働きで活性化されると、肉体と精神の両面に色々と超能力が具現してくるのだと経典では記されている。
    超心理学的に言うと、人体の中には生命エネルギーであるプラーナ(生命素といわれる気)が流れるナーディ(管、経脈)が7万2千本ある。古代アトランティス文明を受け継いだアーリア民族が、5000年も昔にヒマラヤの奥地に住みついてあみだしていった英知であるとされている。このナーディーという経脈に関して、プラクティー・ヨーガでは中国医学で行う鍼灸療法の経穴・経絡の原点となったものや、ヴィアヤーマ・ヨーガはナーディース治療法(幽点刺激法)というものがあり、人体の急所的部位を探求し集大成したもので指圧の原点となったものがある。これらのナーディーの内、最も重要なものが背骨の中央を流れるスシュムナーという中央の気道、左側を流れるイダーという月の気道、右側を流れるピンガラという太陽の気道の三本の管(経脈)である。
    中央の気道であるスシュムナーは背骨の下底に始まって頭上に達しており、その周りをイダーとピンガラが交互にとぐろを巻いて上がり、それぞれ左と右の鼻孔に通じている。この三つの管が背骨の最下底のところで合流している場所に「三回転半とぐろを巻いて眠っているヘビ」として象徴されるクンダリニーという潜在的な宇宙エネルギーが未活性の状態で存在している。
    このクンダリニーがヨーガの行法によって活性化すると、その潜在的なエネルギーが、あたかもヘビが目覚めて立ち上がるように、スシュムナーの気道を上昇し、六か所のチャクラを次々と打ちつらぬいて、最後に男神シヴァが鎮座している頭頂のサハスラーラチャクラに到達するのである。このようにチャクラが最下底から上に向かって打ち破られていくにつれて、次第に霊的、精神的物質が発現し、サハスラーラチャクラに至った時、究極的な「解脱」であるエンライトメント(光明)を得るといわれている。
    クンダリニーはもともと、女身シャクティの分身であって、それが男性神であるシヴァ神とサハスラーラチャクラで合一するときに初めて人間存在の完成が実現する。つまり、人間に内在する地の霊である陰の原理と、天の霊である陽の原理との結合を将来するのがチャクラ理論のねらいであると、経典は綴っている。
    しかし、このような理論的な知識が役に立ったということは未だかってあったためしがない。クンダリニーをどんなに解剖学的に視覚化してみたところで、実際のところ瞑想にとってはどんな意味ももっていない。何もクンダリニーやチャクラの存在を否定しているのではない。クンダリニーもチャクラも確かにあるだろう。ただし知識としての理解は微塵も役に立ちはしない。むしろ知識は邪魔にさえなる。それは多くの理由から障害物にならざるを得ないのである。
    こんな理論的知識を追い求める傾向は操体を学ぶ我々にも同じように言えることである。知識なら書籍やビデオからでも得られるが、「百聞は一見にしかず」である。実際に「見て感じる」という心構えが求められている。この「見て感じる」というのは、本当の意味において、その時、その場にいなければならないということを理解する必要がある。
    明日につづく

    日下和夫

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催

  • 御神輿〜人間合格〜

    ここにある私達人間を優しく見守り、生きている実感を味わえる。

    公平に俯瞰的に観察することが出来るのは・・・なんでしょう。

    見ようと思っても見えてはいないけれど、感じることが出来たら感(み)えてくるもの。

    操体で言えば、「太極」の意志であり「自然法則」でしょう。

    ハイ。なんだか幸せに少し、似ているような気もしますね。

    受け入れる「自然の法則」を丸く、まるく・・・・納めていく。

    「快」をききわけて「イノチ」そのものを体感している ”マ” にはミソがあります。

    つまり、橋本敬三先生の言葉 「間に合っていればいいんだ」 とは、学んでいくたびに変化していくのです。

    ある時、この”間=マ”について、畠山常任理事は熱く語って教えてくれたのですが、

    「自分にとって都合のいい解釈して満足したら・・・・操体のプロとしては失格!!(バッサリ)」

    その姿をパッと見た時の印象と違って?操体に関して断然、畠山常任理事は熱い!!(永井豪ダイナミックプロ系?)

    大切なこと、本物の操体を伝えていくのだという強い意志、操体に対する熱き血潮がほとばしっている。
    (見た目は少女漫画系でも80年代の少年ジャンプ並に熱いのです!カシラの風格漂います)

    三浦理事長と共に「操体」に向かう姿勢は半端ではない。

    同志を超えた真摯な存在に、向かい合って学ぶことができるからこそ、本気でなくてはつとまらないこともある。

    先人の知恵として伝統的に受け継がれてきたものを、更に磨き上げながら道をつなげ、次の世代へ責任を持って伝えていく。

    操体」その為になら・・・と、自分の「イノチ」を捧げていく人生も在るのだ。

    話は変わりますが、・・・さ〜て、皆さん間近に迫ったワールドカップ。

    「ガンバレ日本」の代わりに「OOO日本」で応援するならば何を入れますか?

    橋本敬三先生の言葉の中にある、「バルの戒め」

    このなかにある「頑張る」ってことは、なぜ、戒めなんでしょうか。

    「縛る」 「威張る」 「欲張る」 そして、「頑張る」

    「言葉の統制」を大切にされていた橋本敬三先生の言葉をかみ砕いていく。

    一般常識という表現、普通という比較に、人間がつくった現実をどの程度信用してで良いのか。

    戒めの理由その理由とは、一つのシンプルな答えに導かれているように感じます。

    人間が科学・医学・様々な研究の進歩によって出来るようになったこと。

    僕が小学生の頃、夢に見ていたこと。それは人間に良く思えても、

    便利なことは「イノチ」に良いことばかりではない。

    可能性を追求して可能になったことは、すべて許されても良いのではない。

    大自然とは、どんなに人間が努力して抗っても、すべてを飲み込んで「無」にかえしてしまうのだから。

    海は浄化作用を司る象徴であり、全く交わらないとされる油と水さえも時間と共に、融合してくれる。
    (勿論、人為による災害は責任を持つべきであるが・・・)

    そして、明日行われる「臨床家による操体セミナー」その記念すべき第一回に参加する前に、

    その下見を兼ねて、千葉に行ってみたとある場所。。

    谷津干潟

    朝早くの美しい干潟。そこは散歩する人、運動する人が多い、のどかな憩いの場所。
    野鳥が多く集まるバードウォッチングの名所。

    そして、世界でも保護されている「ラムサール条約」の湿地としての姿があった。

    ここの場所は、埋め立て予定地だったが、たった一人のある「意識」により、
    一人の人間が様々な「心」を変えていく。

    埋め立てを進める地域住民の「意識」を変え、腰の重い行政をうごかし、

    ある「意識」で世界の条約に繋げた、僕の一つの理想がそこに現場となって存在した。

    簡単に言ってしまえば、ゴミ捨て場と化していた不衛生な干潟を、
    ”たった一人の人間、森田三郎氏”が毎日、毎日ゴミを拾い続けた結果なのだ。

    それは、たった今をも生きていた。

    「我が青春の谷津干潟〜ラムサールへの道〜本田カヨ子著」

    人間の「心」とはいったいなんだろう。

    「余計なことをするな!」「お前がそんなことをするから埋め立てが遅れてるんだ!」

    森田氏は、変人扱いされ、度重なる罵倒を受け、肉体的にも追い詰められながらのゴミ拾い。

    「ゴミも一杯見てきたけど、人の”心”もいっぱい見てきたよ」

    たった一人で悪臭漂うゴミの干潟に入り(残飯、医療廃棄物、魚・動物の死骸、鉄骨に木材・自転車に家電など)
    雨風でも夏の悪臭漂う中、ゴミ拾い。
    早朝の新聞配達の後、毎日昭和49年からずっと・・・ゴミ拾い。それを何十年も続け、交通事故にあっても杖を突いてはゴミを拾い。
    若い頃に貯めてきた貯金が減っても、明日の食べ物の心配をしながらゴミを拾い。結婚できなくても、車を買えなくても、テレビもクーラーも冷蔵庫さえも買えなくとも、自分の給料の中でゴミ袋・長靴・手袋・スコップを買い足しながら、延々ゴミを拾い続けた。

    「何故そんなことをするの?」という質問には、意味がない。
    そんな理由を陳腐な言葉にすれば、「真理」が霞むだけだ。
    感じない人間に無益な説明したくないし、できるはずもない。

    森田氏は言う。

    「ゴミを拾い続けた理由?オレにもわかんねえよ。このヘドロとゴミの下に、オレがちっちゃい頃チンポコ出して遊んでた干潟と砂があるんだっていう思いじゃねぇかなあ」

    「最初から汚いところなんてないんだよ。自分たちが汚しておいて『臭い汚いから埋めろ』それはおかしいんじゃねぇのと思った。

     オレたち大人が汚しておいて、臭いから汚いから埋めろっていうんじゃ子供たちにどうやって弁明するんだ」

    「子供たちに残さなきゃいけねぇものってのは、考えや理論じゃねえ。現物そのものでしょう」

    私は、森田さんの行動意識は操体だと感じている。

    「病気はネェんだ!って 何べん言って聞かせてもわがんねェ」(橋本敬三氏語録)

     「いい”からだ”してるんだから・・・」(DVD橋本敬三の世界より)

    もともとの「からだ」はいい。それは「救い」の世界観(橋本敬三生の哲学思想)でもある。  

    そして自己責任分担(息・食・動・想・環境)の意味。そのものを感じさせてくれる。

    ・・・僕は・・そこまで出来るのだろうか。省エネ、エコロジーロハス、ナチュラルライフ・・・環境保護。

    人並みの生活を犠牲にしてできるのか。自分と同じ様に、他人を愛せるのか悩む日もあったけれど・・・。

    しかし、今なら言える。

    人間には”道=タオ”があってネ、ウンそうだよ。いわゆる”間=マ”なのかもしれない。

    それぞれの学びに、遣わされている役割ってのはあるかもしれないネ。
    それは一人一人の人間にあるからネ・・・。
    比べることはしないことサ。自分にもともと在ることを感じる瞬間こそ大切なんだ。
    大きな事は小さなことなんだ。狭いことは広いことさ。イノチはどこにでもあるよ。感じればわかるだろう。
    気がついた時に、身近なところからで良いんだよネ。
    (やっと・・・ききわけたな〜祝福ッ!いつも、ありがとうございます)

    操体は僕に訴えている。

    そのサインを求めれば、「宇宙意識」という「意識」は、大きく答えてくれる。
    三軒茶屋の仙人、橋本敬三師の想いを知る、私は学び続ける夢を抱く希望を感じる)

    答えてくれたことに感謝し、更に敢闘する。常に謙虚な心で受けとめる。

    つながっているのか。自己を磨いていけ。そして共に目を開いていこう。学ぶことに、受け取ることに、妥協するなよ。焦るな。無理をするな。

    一歩づつ進んでいけば、それは結果としてシンプルに納まっていく・・・「快」を学ぶ。 

    いや、長いブログになっちゃいましたぁ(汗)

    色々と愉しみなイベントが盛り沢山目白押しの東京操体フォーラムです。これからの次世界列車(アンドロメダ行き?)に乗り遅れないように、お付き合い下さい。

    と、いうことで、岡村に長々とお付き合い頂きまして、一週間本当にありがとうございます。

    明日からは、みんな待ってた日下実行委員の登場です。お楽しみに〜!!

    岡村郁生

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催

  • 乗るなら波、図に乗っちゃ・・・メよ。


    (とうとう甲長30センチになった近所のアイドル=ケヅメ陸亀、ちなみに溺れます、亀なのに・・・)
    昨日は朝早く起きて湘南の海に入ってきました。
    海が近いのは嬉しいっです!いやァありがとうございます。
    (ちなみに、オフショアで膝〜腰、セット腿。面ツルでロング向きの厚い波で乗りやすかったのです)

    亀と言えば、浦島太郎の物語、ドラゴンボールでも、亀は好意的に描かれたりすることが多いですね。
    寿命も長く、穏便なイメージがあるからでしょうか。

    ちなみに、ノコ(家のリクガメの名前)の甲羅には、六角形(オクタゴン)模様?があり、
    サッカーボールの模様のようになっているわけです。
    これはハニカム構造といわれて、ある特徴があります。

    強度を持たせやすく、”本来弱いものを強い構造に組む”ことが出来る。
    三角型や円に比べ、圧倒的に”少しの材料で最大の面積を埋める”ことが可能となり、
    これは現在も、紙からプラスチック、鉄骨などで応用されているそうです。

    自然界の代表的なもので言えば、ミツバチの巣ですね。
    圧力に強く、構成に材料が少なくて済むのでぴったりです。

    ちなみに、
    操体にご縁がある数字は”8=エイト”です。
    これとの違いは、考えてみると面白いのです。なるほどなァ〜とも思うわけですネ。

    使い勝手を決めて限られたものではなく、
    自由なものを構成する為の最低限度の単位・・・というのはいかがでしょう。

    そして、「操体」の「動」は、なんと言っても・・、
    からだの使いかた、うごかしかた(=般若身経といいます)は、基本中の基本です。

    それは、三つの法則に二つの相関性です。
    「重心安定の法則」、「重心移動の法則」、「連動の法則」
    「目線との相関性」「呼吸との相関性」であります。

    これは面倒ではありません。
    理にかなっているのからこそ「からだ」になじんでいきます。

    ですから、もともとはそうなっているのです(だ・か・ら・法則と言うのですネ)
    コツコツ学んで身につけてしまえば、ウ〜ンと自由になる。

    興味がある段階から、一歩踏みだす意思はあなたにあります。
    「からだ」はそれを静かに見守っています。

    自分に優しくて「イノチ」に厳しい生活の中では、
    小さなこと、大きなことのバランスを保つのが困難です。
    それでは”軸”がブレやすいのです。

    ちなみに、
    「図に乗る」とは、
    「思い通りに事が運ぶので調子に乗ってつけあがる」ことであり、

    「波に乗る」とは、
    時の流れに上手く乗って栄えること。調子に乗って力を思い切り出す」ことです。

    要するに、理に適っていればこそ。と言うことなのです。

    分かり易く、学ぶほどに
    ”シンプル”になっていくのは、「操体」を学びつづける醍醐味であります。

    さて今日は、昔話を一つ・・・。

    構造・構成にはミクロの世界においてマクロを含有している。
    小さなものは大きなものを写しだしてくれます。
    しかし、小さなことに囚われていては大きなものはみえにくい。
    大きな視点で小さなものを学ぶ意味。そんなことを感じます。

    東洋医学的発想の特徴として、局所を診て全体を診るのには、
    「脈診」「腹診」「舌診」「顔診」「足診」等がありますネ。

    十年以上前になりますが、東京の渋谷に柔道整復学校があり、祐天寺経由で目黒地蔵通りに住んでいました。

    当時、個人経営の整形外科・内科で働いておりましたが、鍼灸マッサージとリハビリ補助、ほかにも院長のお手伝いとして、
    レントゲン撮影の補助、漢方薬の処方補助、なぜか院長室の水槽で飼っている「ピラルクー」の世話もしました。

    その院長は台湾出身で中国では中医師でしたが、日本に来て医学部に入り直し(中国の医師では日本の医師になれない)
    晴れて日本の医師となり、生薬での漢方処方、中国針での治療も取り入れて、リハビリには特製漢方温浴をしていたり、
    一風変わった診療所でしたから、私は働きながらとても有り難く勉強させて頂きました。

    東京で社会勉強もしましたね。院内でも一番若かったからでしょう。面倒見のいい患者さんも多く、色々な意味でかわいがってもらえました。
    (そういえば、雅叙園と言うホテルの中にあるトイレで、スッテンコロリ腰を抜かしそうになったナア・・・)

    臨床での院長は西洋東洋のミックスであり、診察でも視診・脈状診が得意でした。
    現代の投薬のみならず、漢方や鍼、棒灸、をおこなった上で経過を観察しながら、患者の片腕を取り、

    「オウ、ずいぶんいいネェ、これならダイジョブよ〜」

    「ウ〜ンッ、それじゃこれ飲んでみて、甘いもの控えて〜」と、言う具合なのです。

     変に童顔な院長ですが、ある時、急ににまじめな顔をして患者に、

    「あなたは一回精密検査をしなさい」 と、言ったときがありました。

    あとから不思議に思い、どうしてですか?と、尋ねてみました。

    「それはネ〜こんど分かるよ〜」

    患者さんが再度来院し、検査結果を見せています。悪性腫瘍の初期だったようで、お礼に来たのでした。

    なぜ?私はマンマルに目玉を丸くして、「どうして?わかるのですか?教えて下さい」と、矢継ぎ早に尋ねました。

    その時、教えて頂いた言葉は、未だに忘れられません。

    「これは教えられるものじゃない、これは私にしか分からないヨ〜」

    「そう感じたから、間違いないと思ったから伝えただけだからネェ」

    その後結局、種明かしをして教えてくれたのですが、(もう時効なので院長、書いちゃいますヨ)

    中国で医者をしていた時代に、本気で伝説の名医がが出来たのであれば、私にも可能性があり、
    脈状だけでも、何かつかめるはず。それに挑もうと決め、後はひたすら患者にお願いしては脈を取り、
    疾患別に、年齢別に、入院患者の共通している脈状を、必死に感じ取っていたそうなのです。

    「だからできるんであって、感じていたことの経験は、言葉だけじゃ教えられないネ」

    その時はわかっておらず、言葉だけでそうなんだ・・・残念!と、あきらめかけていました。

    それが、どのくらい大切なのか。

    それこそが、どんなに大切なことなのか。

    まだまだその時は、「知識の詰め込みでも何とかなるさ」と高をくくっていた私。

    大きな低気圧がやってきて、気圧配置が東低西高になり、稲村ヶ崎に大きな波(稲村ジェーン?)がやってくるように、

    満を持して三浦理事長に出会うのは、それから3年後のことでした・・・。

    歴史に意味を持たせるのは、知識ではない。

    それはおまえ自身の”意識”によって始まるのだ。

    人から教わって何となく伝わったように感じても、自分で感じられなければ感じていないのだ。

    自分で伝えたいことが、じぶんでやっていることに繋がっているかい?

    ぬむう・・・。この声は誰だ?(でたな〜祝福ッスね〜)いつもありがとうございます。

    岡村郁生

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催

  • 足元をみるのは・・・

    「土踏まずの役割とはなんですか?」

    ちょっと皆さんも考えてみて下さいネ。
    3〜〜〜〜〜2〜〜〜〜〜〜〜1〜〜〜〜〜〜ストン。

    では、一回立ってみて下さい。それで足踏みしてみて下さい。それがヒントです。

    橋本敬三先生は、NHKのDVD「操体法 橋本敬三の世界」のなかでも、患者に足踏みをさせています。

    バランスを感じてみるには、こちらは勿論、患者本人に自覚させる必要がありますね。

    「健康を足元から考える会」と言うのがあるそうです。

    その方達は足元は勿論、履き物にも意識の高い方々だと想うのですが、

    数ある質問のなかで「衝撃吸収」と回答した人は最も多かったそうです。(115人中、108人)

    でも、「衝撃吸収」以外はあまり・・・知らなかったらしいのですネ。

    確かに衝撃吸収とは、足の土踏まずの役割のおおきな一つです。

    私たちの日々の生活は、立つ・歩く・走る、さまざまな動きを無意識にしています。

    あるデータによると、

    何気なく歩いている状態で、体重の約2割増。
    例えば、体重65kgの人でなら、一歩あるくごとに約80kg近い重さが足にかかっています。

    しかも驚くことに、アスファルトの固い面を歩いたり走ったりした場合は、
    1歩で体重の約5〜7倍(体重65kgの人で、300kg〜450kg)の重さが足にはかかっているそうです。

    それが人体の基礎構造であって「土台」となっている「四関」であり、
    操体法」でも、「操体」でも、かかすことのできない「ヒカガミ」の重要性にもつながっているのです。

    「衝撃吸収」・・・でもね〜それだけではありませんよ。

    土踏まずにはあまり知られていないとても大切な役割があるのです。

    操体を学んでいる皆様ならばご存じでしょうが、

    立位における、全身の重心安定を感じさせ、重心を移動するときの調整、つまりバランスをっている根っこということです。

    2本足で歩くことになる私たちには、”感覚”というセンサーが絶対に必要なのです。

    分科会の時、「ヒカガミについて」では、佐伯実行委員と小松実行委員、それから私で発表させて頂きました。

    “ヒカガミ”って知っていますか?操体法のイメージって、どういうものですか?と聞いていると、

    よくある答えですが、「膝の裏にあるぐりぐりをチェックする」という答えがあります。

    確かに橋本敬三先生は、「ヒカガミ」の触診を大切にしています。

    そして、ほとんどの患者さんの「からだ」を診せて頂きながら、「ヒカガミ」をみていたようです。

    何故、ヒカガミの触診をしていたのでしょうか?

    それは、残念ながらどの操体の関係書にも詳しく書いてないのです。

    あまりにも大きなテーマなので、基本中の基本をしっかりと、お手本でありえるようにできるだけ丁寧に発表させて頂きましたが、

    その途中、シナリオにない(笑)飛び入り参加し三浦理事長の「ヒカガミ」チェックを生で拝見できた方々は、本当に勉強になったことでしょう。

    実に面白いのは、フォーラムの発表において、連続性のないことはナイということなのですね。

    常につながってくるのです。

    毎回行われる「般若身経」ですが、他の発表を踏まえて感じ取ればまた格別!なんですよ。

    夏の乾杯にビール、梅干しに焼酎、

    牡蠣に白ワイン、お刺身に日本酒、

    赤い色にコーク、ホルモン焼きにほっぴー、

    三茶の仙人にコーヒー、そして日本代表にエール!!

    「落ち」がつきましたところで、ちょうど私の持ち時間が過ぎました。
    ここからは残業とさせて頂きます(笑)
    あら〜、そこのあなた!ちょっとその笑った姿が素敵なアナタ!
    どこぞのテレビの一流モデル俳優さんに似ているとおもったら・・・、

    「般若身経」のマッ最中だったからなのねェ〜。(道理でかなっているから自然、そして美しい)

    〜〜臨時ニュースです〜〜

    と言うわけで、オンブレ・オカムラさーんいまはどこですか〜?

    「ハ〜イ、オンブレ・オカムラです。今は千葉の行徳に来ています。駅を降りて歩いておりますが、
     なるほど〜線路沿い高架下を東に戻っていけば、行徳ゴールドジムなんですネ〜。
     オヤッここはあの、平直行相談役のホームなんですねェ〜。
     まさにワールドカップ同様、地元は勿論、各国からも参加者希望で盛り上がっていますよ〜!!オーッレ!!」

    〜〜ニュース終了〜〜

    はい、ありがとうございます。
    いや行徳も熱いですねェ〜これは梅雨入りしてもマイナスイオン浴びて気持ちが良いですし、
    6月13日におこなわれる「臨床家による操体セミナー」には是非とも出席しなくっちゃ!!

    それではごきげんよう!ありがとうございます。

    岡村郁生

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催

  • 意味は必要か

    ブログ週間に向けてコツコツ準備してきた。
    その中でも、「もしドラ」がベストセラーになった「ドラッガー」についてチョッピリだけ・・・学んでみました。
    (何回も著書を読み直し、熱心なファンのことを「ドラッカリアン」と言うらしい、私は「ネムタガリアン」になってしまいました)

    経営に関するマネジメント・イノベーションだけでなく、臨床にも生かせる言葉としても色々ありますが、例えば、

    「少ししか求めなければ成長しない。多くを求めるならば、何も達成しない者と同じ努力で巨人に成長する」

    これは自ら発した言葉で、自らを制限している者に対するヒントであります。

    「人の成長のために働かない限り、自ら成長することはない」

    「人に教えることほど勉強になることはない。人の成長の助けになろうとすることほど自らの成長になることはない」

    一つには利他主義であり、利益は販売の対極にある。利益を上げるための目標には意味が無く、結果として利益が生じているだけと言うことなんです。

    わかったうえで、自らをマネジメントできたらいいですね。

    では、何が生きていく上で最低限必要なのでしょう。

    橋本敬三先生は、それはこうなのですよ〜と、操体の基本理念でキチンと「息・食・動・想・環境」という基本を説いていますネ。

    さて、例を挙げましょう。

    第二次世界大戦中に、ナチス強制収容所に押し込められたユダヤ人は、

    不衛生な環境に加え、栄養不良、悪臭、極限状態の労働、による、

    「環境」・「食」・「息」・「動」の不自由を余儀なくされたといいます。

    そんな中では、絶対的とも思えること。つまり、若いという年齢的有利条件が役に立ちません。

    若くても関係なく、あきらめてしまえば、次々に死んでしまったそうです。

    それでも生き残ることができた人間には、何が与えられていたのでしょうか。

    それは、希望という目標であり、目標という意志でした。

    この収容所体験をした精神科医フランクルは、目立って元気だった老人を例に観察していました。

    その老人は、一人の娘とたった一人の孫が(旦那はいない)待っている、

    その孫に会いたい。その孫を立派に育てたいんだ!と、強く願っていたのです。

    はたして、

    人間には、何が必要なんでしょうか。

    何をもって健康を維持できる条件になるのでしょうか。

    この経験からフランクルは、「人間に生きがいとやる気を起こすには、意味が必要だ」と言っています。

    クラーク博士のように言えば、「少年よ、大志を抱け」となります。

    しかし、何に大志を抱くのか?・・・ここまでは言い残していないのです。

    そもそも「成長」とはなにをさすのか。

    「生長」とは何が違うのでしょう。

    成長とは肉体の成長を示し、生長とは霊的成長のことでもあります。

    以前、東京操体法研究会の講習会で三浦理事長が教えてくれたのが、

    「青春とは」  〜サムエル・ウルマン〜

    この詩が訴えてくる内容には、答えがいくつもあるように感じる。

    文章的には断定的でありながら、そう感じるのは、なぜなのだろうか?

    味わい深く、含みがあって、余韻があるからだろう。

    さて、その後強制収容所で生き残っていたユダヤ人たちは、戦争にナチスドイツが敗れたことを知り、

    自由になれたことを知った途端、急に死んでしまう者が増えたらしい。

    「いつか自由になる」と言う目標が達成されたからだろう。

    自由になって家に帰っても、家がなかったり、家族が亡くなっていたことを知り、廃人のようになってしまう者も多かったという。

    ただし気になることもある。あの老人がどうなっただろうか? それは、記載がなく・・・・わからない。

    三浦理事長に操体そのものを学ばせて頂きながら感じること。

    それは過去の私にはない、「想」の質的変化を感じることが非常に多い。

    決して、消えゆくことのない「意識」

    戦時中の日本ではない、戦後の日本ではない、高度成長期ではない、バブル時代でもない・・・、

    今だからこそ、感じ取らねば、未だ知り得ぬ、生かされている意味を感じたい。

    たとえ、死ぬまでにわからなくても、死ぬ前一日にわかるかもしれない。

    死ぬまで学びたい。本気でそう感じているのが、僕ではない。

    僕は逃げたくなり「もういいでしょう?」って聞いてみたら、「一生、臨床なんだヨ」・・・って。  いつもありがとうございます。

    岡村郁生 

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催       

  • 他力と自力

    (自力本願・・・他力本願・・・)

    患者さんに教えて頂く事は多い。
    臨床家にとって必要な・・・というより、人間として必要なことは「謙虚」であること。

    「生かされている」という、自然法則の基本、恵まれている事を忘れている。
    操体に限らず、すべての臨床はここから始まってここに終わる。
    昔はわからなかったことを知り、そう思っていたが、最近ではお陰様でそのように感じられる。

    それが不思議でなくなってくる過程の一つに、
    「可視」から「不可視」の変化を感じとること。

    「謙虚」と「感謝」は陰と陽の如く、二つで一つではなく、無限になる。

    操体を”学び続けていれば”わかることは多い。
    これを理解しないで、治療法の一つに並列しては勿体ない。

    〜〜臨時ニュースです〜〜
    オラ!オンブレ・オカムラです。
    サア気になって仕方ないあなた!
    今月13日の「臨床家による操体セミナー」に参加して見るのは勿論、
    講習会を受けての声、東京操体フォーラムの活動をこの後チェック!、
    オンブレも参加しますよ〜。
    〜〜ニュース終了〜〜

    第二分析以降の「操体法」ではより鮮明に、「イノチ」の営みを感じる。
    「動診」で問いかけて「からだ」に教えてもらえるのは、本当に不思議なこと。

    操者側にある問題とは、「意識の変化」。
    「気持ちのよさで治るんだ」これを実際に感じてを生じなくては、
    「快の質」に臨床でも大きな差が生じてくる。

    患者さんは私でもある。

    自力とは他力との納まりにある。

    お互いに穏やかになり、気がつかなかったことを指摘してもらえたり、
    生活する糧を頂いて、お礼までしてもらえる。

    どんなに頭が良くても、お金持ちになっても、素晴らしい仕事が出来ていても、人のことをバカにする人は悲しい。
    なぜなら、なんで治るのか?なぜ成功したのか?そもそも自分の存在を、学びにフィードバックしていない。

    自然の一部である「からだ」を忘れてしまっている。
    神仏に、祖先に、自分に頂いた役割を忘れているのだろう。

    他人にも、自分にも、同じ事がいえる。

    僕はここが随分足りなかった。
    操体」を学ばせて頂くことで様々な悩みが丸く納まっていくのは、無理しないで納得できるからなのだ。

    ききわけてみると、私達を見守ってくれているのが、実は患者でもある。と、「からだ」に教えてもらう。

    (つながっていくイノチ)

    例えば開業以来、公私を超えて支えて頂いているのは、Nさん。
    一昨年から更に、私自身の臨床変化により、今までなかった関係になっています。

    それは、Nさんと書籍交換であったり、今に対して感じたこと、考えていることを率直に語り合うのです。
    色々お借りしましたが、その中でも・・・
    「岡村さんに読んでもらいたいのは、自力と他力についてのところなんだけど・・・」
    と、言われ読んでいるうちに引き込まれました。ありがとうございます。

    「運命の足音」〜五木寛之著〜・・・これは響きました。心にくさびのような重いものを感じました。

    五木氏のことは個性的で有名なので、ご存じの方も多いと思います。
    これは「大河の一滴」と同じように小説ではありません。それは、五木氏が満州にいた少年時代の出来事がメインなのです。

    本人が否応なしに、戦後の満州で実際に経験し、自分を徹底的に俯瞰して見つめていたことに苦しみ抜いたあげく、
    過去に幼かった時に感じてしまった、一つではない意識。
    ありのままの姿をただ、見つめ、正面から向き合い、決心から始まった現在を、
    忘れられないことを、生々しく喉元に昇ってくるような文章で書かれています。

    若い略奪者に胸を踏まれた病に倒れている母親、しかしそれさえも「赦しなさい」という声の実感として共感する意味。
    年を重ねていく強さとは、生き抜いていく弱さの裏返しであることを感じました。
    ある年齢になるまで、今まで書くことができなかった、思い出したくなかった事を、
    簡易な文章に淡々と綴られているのですが、母親、父親、そして現地のこと、自分の見てきたこと。
    その想いを書かれています。そして五木氏が仏教に興味を抱き、傾倒していくきっかけも述べています。

    なかでも「和魂洋才」の勧めは、なにかと「洋魂洋才」に傾きがちな私達に警鐘をを鳴らしています。

    大きな流れを感じていれば、”縁”はつながりあうのでしょう。
    つい先日、平直行相談役から一冊の本の推薦がありまして、早速取り寄せて(便利な世の中です)拝読しました。

    「たった独りの引き揚げ隊」〜石村博子著〜・・・これは私に響きました。意識に重さと軽さを巡るような感じでした。

    満州で日露ハーフの古賀氏に起こった戦後のこと、幼かったビクトル古賀氏の見てきたこと、体験したこと、感じたこと。
    その本質を見つめて生き抜く姿は、まるで悲壮感がなく、大きな自然のなかで祝福を感じて生きているように思えるのです。

    私は感想文を書くつもりはありませんし(amazonときいてギギの腕輪と解く、その心は?)内容についても詳しくは述べません。
    しかし、なんというか、とてつもない意識の変換を迫られたのです。 そこに救いはあります。
    亡くなった者は天を仰ぎ見るように手を開き・・・。それをうつぶせに弔うのに何が必要なのだろう。
    「イノチ」に感謝する姿勢、アミニズムとも感じられる、少年古賀氏の繊細なる信仰観。
    繊細であるからこその大胆。その移動距離に比例するような行動はあまりにも美しい。
    自然崇拝とは法則性にかなう者を祝福しているのだろうか・・・。偉業を成し遂げる法則を垣間見たように思える。
    略奪行為の末殺された者、それを笑って蹴飛ばす感覚。それを受け入れてなお生き抜く剛胆な優しさ。

    生きていることには、理由がいらない。生かされている理由があるのだから。

    そんなことを「からだ」をとおして教えてくれるのです。
    わかってしまえば、特別な準備は要らないのかもしれませんね。

    戦争の生み出す人間の「心」という、選択される残虐性に興味があり、惹かれている私もいる。
    その理由は、
    何故か・・・何かつかみきれませんが、私を”確実に救ってくれる”のです。
    勿論、一般的には逆の印象(不快)を感じるのかもしれませんが、
    変なこと書きますが、何故か、自分が関与している気がするのです。
    正確には言えません。ただ、自分が関与する宿題のようにも感じるのです。

    どうしてなんだろう?
    人ごとに思えないのです。「理由なき反抗」ではなく、理由なき肯定なのです。

    だから、操体を学ばせて頂いているんだろうな・・・。
    これからも、確実に、僕は学んでいく必要があり、その一瞬に祝福を感じるんです。

    それがなんであるのか、言葉にできないのが煩わしいのです。

    この僕の心にあり、渦巻いている「何か」とはなんだろう。
    それは消え去る喜びではなく、本来持っている幸せなのだ・・・と、今は感じます。ありがとうございます。

    岡村郁生

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催

  • 天道虫


    (何してるのかね?チミは・・・)

    某新聞の社説に書いてあったことですが、
    内閣の変化と日本国の関係を、ネクタイとスーツに見立てコメントしていました。(さすが上手いなァ)

    確かに、一部(局所)だけ変えても仕方ありません、変化とは生まれ変わることです。

    日本のみならず、世界全体を調和させていくように舵をとって頂きたい。

    背中を見られたら、な〜んだ・・ということのないように、私もバランス現象を感じてみます。

    つながりは感じるものです。

    「人生とは常に、世紀の一瞬」なのです。

    一人の人間の意識とは、おもいのほか、様々に関与してくるものです。

    そうはいっても、例外のないことはあるのでしょうか。

    ええ、ありますとも、あるのです。

    橋本敬三先生は晩年、「気持ちがよければいいんだ」と繰り返し、お話ししてくれました。

    「気持ちがいい」というコンパスは、青木ヶ原樹海でも通用するのです。ありがとうございます。

    それは今でも・・・いや私達の、”今”にこそ、なのです。

    (注:コンパスの例外をクリアする例です、遊歩道以外は立ち入らないようにお願いします)

    管総理大臣、新内閣の皆様、政(まつりごと)再出発ですね。
    日本の舵取りをどうか、よろしくお願いします。

    という話をした後で、こんな事を書くのもどうかと思いますが・・・。
     

    僕の好きなジョージ・マイケルの(懐かしいアルバムジャケット、FAITH)物真似?をしてみたくなり・・・、

    ただこのピアス風写真を撮るために、耳たぶにこれをぶら下げたのです(笑)かなり痛みを我慢(泣)してました。

    写真を撮って数十秒後、我慢していたイヤ〜な感覚を取り去ったのですが、ある現象が起こっていました。

    左側の頸部の右回旋制限に加えて、左の肩引きはガチガチになり、自発痛が生じてズンズンと気持ち悪いのです。

    確かに「不快」なことを好んでしていれば、痛みを生み出すんだナ・・・と。

    ちょうど左の「膏肓穴」なのですネ。納得と同時に驚きました・・が学ぶチャンスです。

    まず、肩胛骨内縁(膏肓穴辺り)の痛みのある部位を押さえ、痛みのない「楽な方向」へ頚を動かしたり腕を動かしてみました。

    あまりにも痛いので、それほど「楽に」わかりません。比較しても「楽に」なってはくれません。

    それよりも常に自発痛が優先しているのです。下手なのでしょうか。

    次に痛みがなくなるように動かして、気持ちの良さをグネッグネッと、「探して」みました。

    探してみると、押している部分は気持ちいいのと、ストレッチの気持ちよさは探せましたので味わってみました。

    押している部分は、楽になったような気がしますが、その周りは楽になってくれません。下手なのでしょうか。

    そして、現時点で「一番安楽」に感じるポジションを「からだ」にききわけてみました。

    椅子に座りながら、左に捻転してやや後屈したポジションが「一番安楽」な感じのようです。

    そこで、介助と目線に意識を加えて、更に「からだ」にききわけてみたところ、痛みが広がっていきながら気持ちよさがあります。

    この感覚を味わってみたいのかな?私の「からだ」にきいてみたところ、イェスだったので「快」に委ねてみると、

    いつの間にか意識がなくなっていました。

    数分後・・・目が覚めると、肩周辺に固さはありましたが、「膏肓穴」周囲の気持ち悪さとズンズンした感じが消えています。

    仕事を終え、家に帰ってお風呂に入った時確認してみましたが、何でもありません。

    要するに、「からだにききわける」とは、やはり「からだ」のことなんですネ。

    (無くならないものって?)

    病気が心配なあなた・・・。

    な〜んにも、心配することはありません。

    人間は誰でも死ぬんです。

    なぜなら、人間のの死亡率は100パーセントです。(綾小路きみまろ氏)

    さて、人間がいなくなっても、簡単になくなることのないもの。

    それはなんでしょうね。

    例えば伝統というのも、その一つではないでしょうか。

    要するに、「伝統(スタンダード)にはブレがない」

    「伝統」には本来の意味として、

    *昔から伝えられてきたこと。しきたり・制度・考え方、とあります。

    そして古い言い方ではありますが、

    「天道」=自然の法則、とありました。

    実は悩んでいたあるとき、ふと自分に問いかけたのです。

    「ねえ、僕教えて欲しいんだけど、僕にとっての絶対ってあるの?」

    その問いかけに、もう一人の私は答えてくれませんでしたが、

    夢の中で答えらしきものを与えてくれたのです。

    「それは”天”というんだ。君の学んでいる”太極”というものなんだよ」

    起き上がってすぐに日記にメモしてから、”天”というもの「からだ」を通じて感じてみました。

    それは、いわゆる東京タワーのように土台がしっかりしていて、末広がりになっています。

    しっかりしたモーメント構成を持ち、中心に軸があり、いつまでも上に続いています。

    ただひたすらに、「ジャックと豆の木」のイメージで登っていくと、

    いつの間にか私は”それ”でありました。

    ふと気がつくとそれはなく、素の私に戻っていたのですが・・・。

    そして「天」の意味を調べてみました。

    一、上方にはるか高く広がっている空間。空。

    二、神や霊がいると考えられている、はるか高くに存在する場所。

    三、人知をこえて、すべてのものを創造したり、支配したりする存在。神。

    とあります。

    ここでふと私に、三浦理事長に教えて頂いた言葉が響きました。

    ・・・橋本敬三先生の言葉に、

       「天成りの道を知ろう」というのがあるんだよ・・・。

    そうなんです。

    僕は天に属し、天に至り、天に帰す存在なのです。

    本当はどうなんだか分かりませんが、そう考えるとウンと有り難いのです。

    そうそうもう一つ面白かったこと。

    今の時期、花につくアブラムシ。

    この天敵とされているのが、天道虫。

    そうなんです、「虫」が付くとテントウムシになっちゃいます。

    それに「サンバ」が付くと、結婚式でよく聴くあの歌になっちゃいます(おっと脱線しちゃった)

    天ナリノ道ヲ歩ム、のは人間。それこそ、ヒトであるが由。

    夢の国の住人でも、現実の世界に生きる以上、人間は人間を創り出すことができない・・・ならば、

    それでこそ、「神は自分の像の如く人間を創造りたまえり」という言葉には・・・意味があるのでしょう。

    「神人合一」の立場における「人間である自分自身」には、人格がありそうですね。

    神の似姿(神の一部とすれば)として、人間に生まれさせて頂いた意味を知りたいのです。

    「からだ」と向き合い、臨床の中で感じられたことには嘘がない。

    だからこそ、操体の臨床には「大きな器」を感じ取ることができる。

    勿論、あなたも、ぼくも、「いかせる」生かせる・活かせる・行かせる・往かせる・・・。

    どこへ行くのにも心配ないよ。〜操体は全てを生かせる大きな器〜(三浦理事長語録より)

    今日はこんなところで失礼します。ありがとうございます。

    岡村郁生

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催

  • 愛しい相棒

    半年ぶりの登場を心待ちにしていた皆様(そんな人いるのか?)ようこそお越し下さいました。

    よほど私が待ち遠しかったのでしょう。

    つい先日も私の目の前で、一番蝉(造語)が鳴いておりまして、初夏だけに感激してしまいました。

    オオッ!しょか、しょか。。。。

    さてお立ち会い!!(ハイ、今転んだ方は、立ち上がって〜ハイ!)

    これから一週間お付き合い頂きますのは、茅ヶ崎在住十二年目に入った龍の落とし子です。
    最後までお付き合い頂きますよう、よろしくお願いします。
    いやしかし!私が言うのもおかしいですが、この東京操体ブログってなんだか面白く学べますネ。
    同志で渡したバトンは、くるくる巡ってこちらへも元気を産み出してくれます。
    (私にはゲンキも、ノーテンキ、も共に必要です、おや、アナタも・・・)

    私の三軒茶屋通いも、お陰様で”道”に沿って歩んでおります。
    (あの番組風に)おやおや〜こ〜んなところで降りるんですか〜。
    どうやらここは、東京と神奈川を結ぶ田園都市線の駅のようですネェ〜。
    そうそう、渋谷からほど近い”三軒茶屋”に住んでいればみ〜んな知っていますヨォ〜。
    そんな三軒茶屋仙人のバディが、何回か紹介されている「シモン」君。

    三軒茶屋の階段を上り、グーグルのストリートビューのように歩き、たどり着いた先に、迎えてくれました。

    「しっかり学んでいるかい?」そんなまなざしを向けてくれる。

    脳天気・チェンジ!!
    階段を上る骨盤に呼気を通す。頭がきちんと切り替わっていく・・・。
    アーケードにとって、店舗がめまぐるしく変化していくのは、混沌ではない。
    ちょうどDNAを複製するために、前もって破壊して再生する、自然と同様のようだ。

    人呼んで、三軒茶屋の仙人。上島珈琲の有名人。子供たちの人気者。
    (空にそびえる〜鉄の城〜鉄筋コンクリート造)に住まう、三浦理事長の治療室はここにあります。
    構えてから延々と電話番号を変えていない、何故か看板が中にある「人体構造運動力学研究所」です。

    この”場”に集うのは、「からだ」をもった患者。操体を学び続ける同志。
    無条件の愛に支えられ、本来の「からだ」を取り戻し、自我を持ってまた娑婆へ飛び去っていく。
    学ぶものは自分自身を超えよと求められ、想いに揺さぶられ、心に、意識にじんわりと染みこむ。

    「ありがとうございます」

    〜〜ここで緊急ニュースをお送りいたします〜〜
    つい先日、案内がありましたように、スペインでの操体セミナーが開催されることになりました。
    スペインのオンブレ・オカムラさんそちらはどうでしょう?

    「ハ〜イ、こちらに飛んできたオンブレ・オカムラです、
     もうこちらでは指圧で有名な浪越先生、増永先生に続いて、
     操体の三浦先生が来て下さるということで、本当に心から好意的に伝えていますね〜、
     スペインの皆さん曰く、『本当にワールドカップのあとは操体セミナーだね』と言う具合です」

    はい、ありがとうございます。現地では=操体の神、今夏スペインに降臨〜ともちきりだそうですよ。
    〜〜ニュース終了〜〜

    実行委員は、毎月集まって学び合う。それが「東京操体フォーラム」の各人の学びにつながっている。
    その道を称えあうだけではない。お互いを生かしあうために時にぶつかりもする。
    そして、実際に検証し、自分で納得できるか実践し、また報告し学び、連絡できる”場”になっている。

    「本気で喧嘩できるほど、学んでいるか」(三浦理事長語録)

    操体の臨床とは、常に見つめる者に、次なる大志を抱かせてくれるのです。
    「ありがとうございます」

    ”幸せ”は、”感じる”ことと、同意のようですね。

    言葉は想念をうみだします。
    なので、感じたならば使わないほうがいい言葉もあります。

    「気持ちの良さを探す」

    「気持ちよさが出る」

    「気持ちよさが付く」

    これらを使っていると不思議なことに、操体の学びから外れて”ブレ”てくるのです。

    ウソかホントか、感じてみたらいいですよ。やっていなければしばらくやってみて下さいネ

    「気持ちの良さをききわける」

    「最高の気持ちの良さを味わう」

    その言葉、
    主語が「自分」なのか、「からだ」なのか。

    「ありがとうございます」はしっくりくるのか。

    「この世は極楽にできている」方向性なのか。

    それから、
    「でも・・・OOO」、「そうですが・・・・でも」という、打ち消しの言葉。

    どんな”道”を歩んでいたとしても、それを選択しているのは自身の”意識”は関与します。
    ですから、何かに付けて不平・不満を申したとしても仕方ありません。

    たとえ自分の相棒がどうしようもなくっても、ホンマにしょうもなく感じたとしても、
    それを愚痴っても始まらないのです。(三浦理事長もシモン君にそうしているとかいないとか・・・)

    同僚も、あの人も、この人もみんな同じです。(みんな同じ「からだ」をもっているのです)

    繰り返します、だってそれは、自分がいて、自身でそのように感じていることなんです。

    なればこそ、自分の感じ方を、受け取っている周波数をチェンジしてしまった方が気持ちが良いのです。

    ここで、ヒトに効く、自分に効く。
    どこかへに行かずとも、その場で降りかかった呪いを解く呪文をこっそりお教えしますネ。

    「でも」ではなく、とりあえずでも「ハイ」。

    頭で否定しかかっていたら「ハイ」と言ってみる。

    そうです。「ハイ」と言う言葉はマジックがかかっているのですよ。

    「愚痴や不満を8割方以上、解消してくれるのだ」(三浦理事長語録)

    不幸なんてないのかもしれません。それこそ「この世は極楽だな」でいいじゃないですか。

    娑婆ではイヤなことだと感じても、祝福されているのだナと感じていた方が気持ちが良い。

    とりあえずいろいろやる前に、自身で感じる前につべこべ言いなさんナ・・ということでしょうか。

    「ウソかホントかやってみなくちゃわからない」(橋本敬三師語録)

    ・・・・然り。いつもありがとうございます。

    岡村郁生

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催

  • 二人の娘?

    私には娘?が二人います。
    実は二人とも生んでくれた母が病没してしまいました。一人は、くも膜下出血であっけなく、もう一人は癌で。
    ティーンエイジャー、大人になりかけの頃でした。女の子にとって母親を最も必要とする時期に母の死を経験しました。
    その他二人にはいくつかの共通点があります。
    一人女の子であること、高校生の時海外留学していること、とてもとても母親に愛されていたことなどなどです。
    テニスが縁で、そんな境遇の女の子達と知り合い、子供がいない私に長女次女ができたことを感謝しています。

    二人は、お互いの存在は知っていますがまだ会ったことがありません。とても忙しいのです。いつかあう機会を作ろうと企んでいます。

    二人に今一番言いたいことは、「からだの声をよ〜く聴いてね」ということです。
    次女の亡くなった母は、仕事、親の看病と忙しく、からだの声を聴き損なってしまいました。

    忙しく忙しく毎日を過ごしていらっしゃるみなさん、たまにはからだの声をじっくりおききになってはいかがでしょうか?

    1週間のお付き合い、ありがとうございました。

    鵜原増満

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催