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ブログ
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つれづれに 6
昨日の発言とは矛盾しますが、一方で、「操体」を形造っている部品―今では化学反応を起こして融合して「操体」となっているが、元来は橋本先生が拾い集めた宝の数々だったーを橋本先生の足跡を辿ることによって(時代を経て)時々は見直すことも必要でしょう。
それが2010年春の分科会のテーマ「橋本敬三のDNAを検証(顕彰)する」でした。
そういう見方をする事によって、新たな発見や気付きを得られるかもしれない。また、橋本先生の時代より進んだ現代医学や最新の知見によって「操体」を照らす事により、民間医療と現代医療の間の溝を埋める努力を怠ってはなりません。それを続ける事により両者は一足跳びに越えられる距離に近づくでしょうから。
しかし、繰り返しますが、最新鋭のPartsを集めても「操体」は創造できません。それは、自然、人間、生命に対する”想い”が桁外れに違うからです。
ゆめゆめ、橋本先生の「生き方」を疎かにしていけません!山野真二
2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
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つれづれに 5
『「茶の湯」は宗教や芸能や道徳などの影響を受けているけれども、そのものではない。独自の方法論が確率された、「茶の湯」というジャンルであって、それなりの時間的、空間的な広がりを備えています。これを別のジャンルに比定して考えようとすると、茶の湯の一面しか捉えることができず、かえって全体を見えにくくしてしまうのです。』茶ー利休と今をつなぐー千宗屋 著(新潮新書)より引用
「操体」も全く同様です。「操体」が紹介されるときに、殆どの場合、手技療法やボディワークの一種として扱われますが、(編集上のカテゴライズは仕方がないにせよ)橋本先生も三浦先生も、さぞかし不本意なことでしょう。
「操体」は「操体」だ。もっと言えば、橋本敬三は「名前なんてどうでもいいんだ。大事なのは真理だ。真理が真理として立つことだ。」と言っている。と三浦先生は常々繰り返し話されております。山野真二
2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
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つれづれに 4
(現代の)科学で説明出来ない事、というのがオカルトの意味です。そんなに怪しいものではありません。
「気」とか「波動」というものの科学的な説明は、最も急務なことですが、なかなか難しいでしょう。
それよりも、脳科学の進歩や皮膚の作用の解明は、より具体的な夢です。
橋本敬三先生は、「自分がやっている事は、50〜60年先を行っている事だから、いずれ理解される時が来る。」と言い遺して”祖神の里”へ逝かれたそうです。(ちなみに、野口晴哉先生も、増永静人先生も、同様な言葉を遺されていると聞き伝えられております。)
我々が為すべき事は、法統を守護する事です。少なくとも、時代が、適正に測る事の出来るパラメーターを用意できる日が来るまで。
その時代になれば「操体」は現代医学なのですから。山野真二
2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
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つれづれに 3
医療の世界は、どこもかしこもEBMの花盛りです。
でも、あまりにそれを押し進めていくと身動きがとれなくなるのでNBMという考え方もあります。
どちらも大事です。
学術の世界において、EBM、NBM、この両方共に追求していく事は、大変尊く、頭の下がる思いがします。
しかし、臨床においては、患者さんのからだの声を聴き、それにゆだねるという事が最も妥当なのではないでしょうか。
橋本敬三先生は、飽く事無く、そう言い続けて来られました。山野真二
EBM(根拠に基づいた医療)
NBM:Narrative Based Medicine(物語と対話による医療)2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
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つれづれに 2
皆さんは「操体」をどの様に学んでおられるのでしょうか?
私は、(1)師から学んだ事を自分のからだを通して感覚し、(2)納得した事を自分の言葉で表現し、(3)それが外部(他の分野)の言葉やもっと複雑な概念(学術用語など)として既にあるのであれば、それを使って表現してみる、(4)そして、それを師に確認する、というプロセスを経て学んでいます。
「操体」は自然法則の応用貢献である、と言われています。
ならば、自然法則は遍く世界に行き届いているはずですから、自分が握んた感覚を表現した言葉に相当するものは、他の誰かが別の形で握んて、その人の言葉で表現して残している可能性が高いと思います。
先賢や求道者の言葉には耳を傾ける必要があると思います。山野真二
2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
2011年2月から足趾の操法集中講座を開始します。
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つれづれに 1
皆さんの中には、もし現代に橋本敬三が生まれてきたら「操体」はどうなるだろう、と夢想した人はいないでしょうか?
橋本先生のパーソナリティーはそのままで、この現代の情報や技術を惜しみなく吸収して頂いて・・・・さあ、どうなるか?
橋本先生がインターネットで検索している姿を検索すると、私は何となく可笑しくなってしまいます。
結論から言うと、「操体」は出来上がらないと思います。
あの時代に、仙台という地方都市に、稀有の意識感覚を持ち合わせた医師が居て、時間的空間的制約の中で掻き集めた宝の山を、自身の中で化学反応を起こさせ、ゆっくりと発酵させ醸成していった。そのプロセスは、橋本敬三の生きた時間と場所とに限局して共に在ります。Never Againなのです。それと、蛇足ですが、橋本先生の様な鋭敏な人が現代に生まれたとしたら・・・・医学の道に進まなかったかもしれない・・・・と思います。
山野真二
2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
2011年2月から足趾の操法集中講座を開始します。
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「どう過ごす?」
東京は、昨日から春を思わせるような日和でした。
早いもので、今年ももう一ヶ月経ちました。
ここ一年くらい、フォーラムの中だけでなく、どこへ行ってもほとんどの人が「最近時間が経つのが早く感じる」と言っているような気がします。もしかしたら、世の中自体がなにかせわしないムードになっているのかもしれません。
確かにぼーっとしていても、何かに夢中になっても時間はあっという間にたってしまいます。世の中の忙しムードに追い立てられても、自分なりのペースでうまく波を乗りこなしていきたいもの。
私たちは常日頃、三浦先生に「自分と向かい合う時間をつくりなさい」「自分とのご縁を大切にしなさい」と教えをいただいております。それは日記を書くことや、こまめにからだの感覚をききわける(感じる)など、ちょっとした時間でできることなのです。
生活に追われていても、この時間はおさえておきたいなと思うワタシ。
時節到来も、浮き足だって焦っていては感じられることはないでしょう。
…あ、今「生活に追われていても」と何気なく書きましたが、
家事ひとつとっても、無心に没頭したり目標を作って楽しめば、それはその時間は無駄ではないはずです。その中で見えざる発見をするかもしれません。「家事が多くて忙しすぎてやだ」と思うのか、「きれいになって気持ちがいい」と思ってやるのかはその人の選択の自由なのでした。できれば生活時間も楽しく過ごしたいです。
三浦先生が毎日何か発見して進化していく姿に、実行委員はいつも驚かされています。それはきっと、先生が「一億数千匹の精虫、その一番元気がいい一匹の精虫」の自覚があって、楽しんで自分とつながっているからです。
ワタシも負けちゃいられません。色気と好奇心を持ってスケベーに食らいつく人生を送りますよ〜。もちろん調和することも忘れずに。
それでは、4月29日の分科会でお会いしましょう。
果たしてお色気虫(混ざっちゃってますね)として皆様にお会いできますでしょうか。チェックよろしくです。
それでは、一週間おつきあいありがとうございました。
山野さん、よろしくおねがいいたします。
森田珠水
2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
2011年2月から足趾の操法集中講座を開始します。
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妻と最期の十日間
私が写真家の桃井和馬さんに初めて会ったのは、10年ほど前だったろうか。友人の旦那さんが経営する、新宿歌舞伎町のバー、エポペだった。
エポペはフランス人神父ジョルジュ・ネラン神父が始めたバーで、「美しい旅」を意味する。遠藤周作も通い、ネラン神父は小説『おバカさんの』モデルにもなった。
キリスト者だけでなく、いかなる思想、宗教の客ももちろんウェルカムの店。私も友人とイベントの帰り、誕生日にと、区役所通りのバーに通った。ここではキリスト教の話ばかりではないが、たまに聞く常連さんの話に耳を傾けると、キリスト教徒でも、信仰の考え方の微妙な違いがあり、洗礼を受けた理由など人それぞれで、キリスト教のイメージを変えてくれた場所である。
桃井氏とは、出身地が近所だったのと、からだの話に興味があるということで、何度か話をさせていただいた。エネルギッシュな飲み仲間の兄さんというムードで、初めて会う人にも気さくな、弱気を助け強気をくじくイメージの魅力的な存在だった。ただし、飲んでいる時は基本的にくだらない話で盛り上がり、戦場や紛争地域での仕事の話はあまりきかなかったのだが(当然かもしれないが)。覚えているのは、機材を抱えた過酷な旅でつらくなったからだの養生について。また、操体や鍼灸(鍼があれば、薬の不足する地域でも治療ができるから持っていきたいなと言ってましたっけ)、家族の話だ。綾子さんについての話を聞くたび、1本スジの通ったカッコいい面白い女の人だと思っていたので、いつか会ってみたいな、と思っていたのである。
私のエポペ通いが間遠くなって数年後、友人から綾子さんの訃報を聞いた。桃井氏にとって私は多くの知り合いの中のひとり。私のことは覚えていないかもしれず、厚かましいか?と思いつつ、なぜか綾子さんに会いにいかなくてはと教会に足を運んだ。理由はわからないが、行かなければ自分自身が後悔するような気がしたのだ。
それから3年後、桃井氏が「妻と最期の十日間」を出版され、読みたいがためらっていた数ヶ月を経て、ようやく読みおえた。
*「 妻と最期の十日間」
- 作者: 桃井和馬
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/12/17
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これは41才にして、妻の綾子さんがくも膜下出血で倒れ、桃井氏が看取った10日間の記録である。フォトジャーナリストとして目にしてきた人間の死から、いま撮りたいもの、娘さんのこと、脳死判定、グリーフケアなど、人の生と死に関わる現実を魂を削って著されたものだ。
貧困、抑圧、暴力等、ショック状態など非日常の極限状態におかれると、人は簡単に狂うことできること。
信仰への純粋な気持ちから、善良な一市民が当たり前のように殺人を犯す可能性があること。
家族を養うためにイノチを削って売春宿で働く女性、また彼女らを人として扱わずに買っていく男性たち。
マフィアの狙撃手のもつ、指一本で他人の運命を左右できる快感、全能感について。
これらは日本に生活している我々が身につまされることのない話である。イノチの重さはその時、場所によって変わるという事実をつきつけられる。
私が訃報を聞いたずっとあとに足を運んだ彼の写真展。品川だったと思う。ギアナ高地、ガラパゴス、タンザニアの大自然の美しさと、紛争地区のその後の村に生き残る人々の閉ざされたこころ、また反対に小さくとも力強く生きる命を見た。以前と被写体が変化してきているようだった。
この本をよむと、現在の圧倒される美しさの作品は、桃井氏一人で撮るようになったわけではないのがわかる。こころが揺れ、折れそうになった時に、綾子さんの厳しくも熱い支えがあって成し遂げられたものなのだ。
綾子さんのような支え方が今の私にはできるとは思えない。「自分は綾子に気に入られたいから写真を撮り、文章を書いているのではないか」という(だけでない、随所にあふれている)箇所に愛と感謝がこめられており、この本はラブレターなのだとも思う。妻が倒れてからの十日間、何を対話したのか。
最後まで読むのは辛いかもしれないけど、読んでほしい。大切なものを大事にして生きているか。
大切にして生きるとは、どういうことか。を、まっすぐに胸につきつけられてしまう。
大切な存在を大切にして生きる。
それは人かもしれないし、形のないものかもしれない。当たり前なことだけど、いっぱいいっぱいの日常の中で
それを忘れている自分がいる。あなたにとって、たいせつなものはなんですか?
森田珠水
2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
2011年2月から足趾の操法集中講座を開始します。
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おりがみ
先日、姪っ子(3才)にせがまれて折り紙遊びをしました。
小学生の時に夢中になってやっていたので、良いところをみせられるだろうと思っていたのですが、1つか2つしか折り方を思い出せずショックでした…。
この時は彼女の持っていた「キティちゃん折り紙」の小冊子を参考に、顔とからだを折り、赤い紙でリボンを切り取って、それぞれをのり付けし、顔は彼女に描いてもらってできました。
冊子の通りに作るのは以外と難しいもので、あーでもないこーでもない、と大人2人と子どもの3人で時間をかけてキティちゃんを仕上げ大満足。周りの大人達は「よくそこまでつきあうわね〜」とほめられたような飽きられたような。帰宅してさっそく折り紙を購入し、図書館で本も借りて久しぶりに折ってみました。細かくて精密なのも素敵ですが、私はディティールは多少大雑把でも、見る側の想像力で「そう見える」感じの位のものが好きみたいです。
作りたくて思い出せなかった「カメラ」が、やっこさんの袴の変形だったり、記憶のピースがはまっていきます。面白そうなものを選んで黙々と作り始めると時間を忘れます。カラフルな色あわせも楽しいのですが、何も考えず集中すること自体久しぶりだな〜、と没頭してしまいました。「おりがみくらぶ」というサイトはアニメで折り方も紹介していて充実しています。
* おりがみくらぶ
http://www.origami-club.com/こころがざわざわする時にも、折り紙に自然に手が伸びて、折り始めると、こころがまとまったり落ち着いたりして不思議でした。
それは、折り紙の端をそろえて、たたんで重ねながら、指が紙の肌触りを読むのがここち良いからかもしれません。おりがみでこころが調和する、というのは言い過ぎでしょうか。
自分の好きな紙質を選ぶとさらに味わえるかのしれません。餃子の皮やうどんをこねる時も同じなのですが、指先の皮膚を通して、からだが喜んでるんだなあと思いました。しばらくハマりそうです。
まあ、姪っ子にモテようとしているのが目的のヨコシマな私ですけど。森田珠水
2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
2011年2月から足趾の操法集中講座を開始します。






