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  • 「手入れ」を考える 5

    経験者はなんとなく
    頷いていただけるかも知れませんが
    「手入れ」を続けていると
    そのモノに「愛着」が芽生えてくることがあります。

    逆の発想で「愛着」があるから
    「手入れ」をする
    ということもあるかも知れません。

    これは私の仮説ですが
    この「愛着」というのは
    モノの相対的な価値に
    依らない類いの「意識」ではないかと
    考えています。

    周りの人にとって一見して
    価値のないものであっても
    自分自身にとって
    確かな価値がある。
    そういった関係性が生まれたとき
    それは「愛着」という意識へと
    繋がってくるのかも知れません。

    そして
    誰かが「愛着」を持って
    何かを大切にしている。
    その「姿」を見ていると
    なんだかとっても
    魅力的に見えてくることがある(笑)

    そんな不思議な「意識」の循環
    を感じることもあります。

    これは人間
    誰でもが持っている
    「秘技」なのではないでしょうか。
    大袈裟ではなく
    それくらいスゴいことなんじゃないかと
    感じるのです。

    人が何かの「手入れ」をする。
    そうすると
    目に見えないナニカが「変化」する。

    その目に見えないはずの変化を
    周りにいる人は
    意識的に

    また「無意識的」に
    ちゃんとキャッチしている。

    からだにも同じことが言えるのだと
    感じています。

    からだの「手入れ」を通して
    自分自身に「愛着」を持てるようになる。

    そんな人間の生きている姿は
    その空間にもきっと
    魅力的なヒビキを
    奏でていることでしょう。

    「2014年秋季東京操体フォーラム
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
    ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?p=813

  • 「手入れ」を考える 4

    操体はよく「自力自療」と称されることがあります。
    しかしこの「自力自療」という言葉、
    もう少し噛み砕いて、受け止めていく必要があるのではないでしょうか。

    ちょうど、このことのヒントになるような
    「扇子職人」の本があったのでご紹介します。

    江戸のセンス -職人の遊びと洒落心 (集英社新書)

    江戸のセンス -職人の遊びと洒落心 (集英社新書)

    この本を読むと扇子職人に弟子入りしたような
    気持ちになれます。
    学ぶことがダイスキな人にとっては「ご褒美」みたいな本ですよ(笑)

    この本に登場する「師匠」
    浅草文扇堂四代主人の荒井修氏は
    あの「坂東玉三郎」の扇子も手がけている職人さん。
    いとうせいこう氏が絶妙な「聞き手」となり
    普段知ることのできないような職人の「中身」を
    引き出し尽くして、まとめあげている極上の指南書です。

    その冒頭に弟子入りして間もない頃の
    こんなエピソードが書いてあります。

    「驚きましたね。最初からいろんな仕事を教えてくれるのかと思ったら、親方が使っている道具を渡されるんです。たとえば「中ざし棒」なんていう、骨を通す道を空けるための竹の棒があるんですけれども、普通の竹を割ったものをポンと渡されて、「これで、俺の使っているのと同じものをつくれ」。道具からつくれというわけです。」

    なるほど。職人に弟子入りして、まずすることは
    自分がこれから仕事をする上で日々使っていく
    「道具」を自分自身で拵えることなんですね。

    これは操体三浦寛理事長の元で学んだことのある人だったら
    「そうだよな」と深く納得できることではないかと思います。

    この職人がたどるプロセスを
    「からだの手入れ」と重ねて考えてみるとどうでしょう。
    実は私たちもまず、手入れするための「道具」を
    拵える必要があるのではないでしょうか。

    操体は自力自療」と言っても
    その「方法」も
    ましてや「手入れの道具」も
    自覚できていない状態では
    自力自療の本領は十分に発揮され得ない。

    そこでまず最初に「指導者」のもとで
    自分自身で一生モノの「道具」を拵えていく。
    その「プロセス」が必要なんだと思います。

    「2014年秋季東京操体フォーラム
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
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    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?p=813

  • 「手入れ」を考える 3

    「からだ」の手入れを行なう「専門家」であり「プロ」は
    他でもない「自分自身」。

    「ワタシにも、からだのメンテナンスができるんだ」

    生まれた時から、「からだ」という「器」をいただき
    あちらの世界に行くまで、その「器」を手入れし続ける。
    なんだか何かの「職人」のようですね。

    否、
    正確には、職人の「素質」が在るということでしょうか。
    そのことに気がつくことができたら、人生はハッピーです。

    「からだ」という器をいただいた時に
    ハコの中に「取扱説明書」も同封されていたら
    良かったこと、なのかもしれませんが。

    「ホッ」

    でも、「操体」を学んでいると
    実は「目に見えない」だけで
    「取扱説明書もちゃんと受け取っているのではないか?」
    という「人生へのプレゼント」のような気付きをいただける瞬間があります。

    さて、その『説明書』
    読んでみたくないですか?

    もし、「読んでみたい」と思った方は
    その「素質」がすでに
    「動き」始めているはず。

    操体」を味わう上で
    基本中の「基本」でありながら
    どこまでも底の見えない「問いかけ」があります。

    『感覚』を「からだ」にききわける

    とってもシンプルな問いかけの中に
    からだの「手入れ」に通ずる
    ほとんど全てが詰まっていることを
    身をもって、知る機会を得たならば

    「ワタシにもできる」
    という意識は、いつの間にか
    「ワタシにしかできないことが在る」
    という意識へと変化しているかも知れません。

    「2014年秋季東京操体フォーラム
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
    ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?p=813

  • 「手入れ」を考える 2

    例えば、トイレがつまってどうしようもない時
    そんな時は、水回りのプロ「水道屋さん」を呼びます。

    また、急に電気コンセントが使えなくなってしまったら
    電気のプロ「電気屋さん」を呼ぶ。

    『餅は餅屋』というように
    その道のプロを呼んで、なんとかしてもらうのが一般的です。
    専門家に頼むと、ひとまず大抵の問題は解決することでしょう。

    これは「住まい」の話です。

    昨日に引き続き、私たちの「からだ」に置き換えてみると
    私たちもからだの不調を感じた時に
    その対応をその道の専門家に頼むことが多い。
    西洋医学の分野を例に挙げてみれば
    病院に行けば「○○科」という場所で、その道のプロが待っている。

    ここで、もう一度
    先ほどの「建物」の方に、目線を移してみます。
    住まいの「水」というのは、「水道管」を通じて
    建物全体を廻っています。

    また「電気」も「電線」という道筋を通して
    建物全体を廻っている。
    だからどの部屋に行っても「パチッ」と灯りがつく。

    住まいにしても、その基盤には「循環系」の支えがあるんですね。
    そして、その循環系は単なる閉鎖系に終わらず
    そのまま建物の外へとつながり
    水道局や電力会社という
    「源流」を通しての大きな循環の一部となっている。

    ちょっと堅苦しく言ってみましたが
    そんな「当たり前」の話です(笑)

    でも、そんなことを考えていると
    わたしたちの「からだ」。
    このからだも「水道管」や「電線」のような循環系のシステムによって
    実に精巧に奇跡的に支えられていることを感じます。

    そして、それは単純な閉鎖循環系に終わらず
    からだの外とも繋がっているもっと視野の広い循環系。
    こんな奇跡のようなシステムを前に
    果たして丸ごと「手入れ」することなんて
    できるのでしょうか?

    それが「できる」
    という凄さが、「からだ」にはあります。

    そして、もっと有り難いことに
    その手入れの本来の「プロ・専門家」
    他でもない
    アナタ自身なのです。

    「2014年秋季東京操体フォーラム
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    メインテーマは「操体進化論」。
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  • 「手入れ」を考える

    おはようございます。
    瀧澤さんからバトンを受け取り、今日から一週間寺本が唸ります。
    どうぞ宜しくお願い致します。

    さて、早いもので、今年も11月を迎えました。
    散歩をすれば目に入るのは来年の「年賀状」の準備を知らせる広告。
    季節感を追い越して、意識は前へ前へ、という感じがします。

    ちょっと早い話題ですが、年の瀬が近づいてくると
    なんとなく意識に上り始めてくるのが、「年末の大掃除」。
    これを年が変わる前に、いっぺんに片付けようとすると、なかなか大変なものですね。

    そういえば先日、お昼の番組にお掃除の達人が登場し
    ズバリ、その「秘訣」をこう断言していました。

    「毎日少しずつでもいいから、必ず掃除をすることです!」

    そうすると、「年に一度の大掃除」をする必要がなくなってしまうのだそうです。
    日々の生活を通して、少しずつやっていれば、エイヤッ!と気合いを入れてやる必要もなくなるんですね。

    達人を見習って、このようにバッチリ計画を立てて実行し、継続していくのはなかなかやりがいのあること(笑)
    であると思う一方で
    この「日々の掃除」というのは、とても響くものがありました。
    「掃除」は言い方を変えれば「手入れ」とも言えると思います。

    今の話は「住まい」という「建物」の手入れの話でしたが
    実は操体とも大いに関係している感じがします。
    操体の土俵に移行してみましょう。

    操体にも「建物」に関しての有名な言葉があります。少しでも勉強した方は聞いたことがあるアレです。
    橋本先生の著書の中でも、度々登場する「人間-この動く建物」という名言。
    操体のバイブル「生体の歪みを正す」の中にも出てきますね。

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    そうか、からだも「住まい」と一緒。動く「建物」なのですね。
    ということは、日々の掃除を怠っていると
    年に一度、「動く建物」である「からだ」も
    「大掃除」が必要になってしまうということになります。

    でも「大掃除」の必要なからだって、どんな状態でしょう?
    からだにとっての大掃除は
    場合によっては生命に関わる一大イベントになりかねないのではないでしょうか。
    洒落にならない、一大事になってしまいかねません。

    ここで、先ほどの掃除の達人の言葉が光ります。
    大掃除で大変な想いをしないように………

    「毎日少しずつでもいいから、必ず掃除することです!」

    そう、これはからだも一緒ですよね。
    毎日少しでもいいから手入れをする。

    この「からだの手入れ」という営み
    実にステキなことではないか、と最近感じているのです。
    一方で、この動く建物を前にして
    「手入れ」ってどうやってすればいいのよ?
    というギモンを持つ方もいるのではないでしょうか。

    まさに!その答えは操体の学びの中に山ほどありますので、ご安心を。
    何故なら、人体は構造(ツクリ)があって動く(ウゴク)という「事実」から
    操体は決して目を背けて、逃げてはいないからです。

    というよりも。

    その「動く」という「土台」があって、その上に 「こそ」
    築かれ、積み上げられてきた学問だからです。
    「からだ」という動く建物を
    自分自身で日々、「手入れ」する営み。
    ちょっと、興味沸いてきませんか?

    「ホッ」

    ちょうどそんなからだの勉強ができる機会があるみたいですよ(笑)
    「実際にやってみて、どんなもんか味わってみる」
    そういうことでしか味わえない、からだとの対話。
    そんなアナタ自身で学ぶことができる機会となっていますので
    ピン!と来たら、足を運んでみて下さいね。

    「2014年秋季東京操体フォーラム
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」。
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  • 〜からだにききわける〜

    「よくわかりません」

    いいんです。初めのうちは。

    ですから、無理に探そうとしないでくださいね。
    見つかるものでもないですから。

    気を使って、あいまいな言葉を発するよりも正直に教えてください。
    「きもちよくなければいけない」というものではありませんから。
    今、その瞬間に感じていることを教えてください。

    私は青色が好きです。
    早朝の仄暗い青色も、抜けるような晴天の青色も、
    曇りの日の灰色がかった青色も、日が落ちかかった夕闇の青色も。
    一言で青色と言っても様々な表情を見せてくれます。

    感覚も一緒です。
    一言で感覚と言っても様々です。

    操体では「からだにきもちよさがききわけられますか」と動診を通します。
    それは「快(きもちよさ)」がからだを治しつけてくれるから。

    操体では「からだにきもちよさがききわけられますか」と動診を通します。
    「不快ですか、快ですか」と二極対比で聞いたりはしません。
    「不快じゃない=快」ではないからです。

    操体では「からだにきもちよさがききわけられますか」と動診を通します。
    けっして「探してみてください」とは通しません。
    いくら探しても、過去の検索履歴の中ではヒットしませんから。

    操体では「からだにきもちよさがききわけられますか」と動診を通します。
    「からだにきもちよさがみわけられますか」とは通しません。
    感覚は目に見えないからです。感覚は声です。響いてくるものです。

    「ききわけのいい子」は無垢です。大人の顔色を窺っているわけでは
    ありません。素直に耳を傾けます。私たちも昔は子供でした。
    大人になった今でもからだは「素直さ」を有しています。
    さらに大人の愉しみも享受できるようになりましたが(笑)

    ですから素直に「からだにききわけて」みてください。
    慌てずに、力まずに、ゆっくりと。

    それでも「きもちよさ」がよくわからないときは、今その瞬間に感じている
    からだの変化、反応を教えてください。

    操体にはバルの戒めという教えがあります。
    「頑張るな」、「欲張るな」、「威張るな」、「縛るな」。

    「きもちよさ」という言葉が一人歩きして
    操体=きもちよくなければいけない」と縛ってしまっては本末転倒です。
    「きもちよさ」は縛りではありません。

    治療の前には必ず診断が入ります。
    「感覚のききわけ」は診断です。
    そこでその動きを通すのか、通さないのかを診断しています。

    「きもちよさ」がよくわからなければ、まずはからだの変化、反応と
    向き合ってみてください。

    探す必要はありませんから。きもちよさの回路は徐々に出来てきますから。

    橋本敬三師が「きもちよさをからだにききわけさせればいいんだ。
    きもちよさでからだは治るんだから」とおっしゃっているんですから。

    まるごと受け取るための検証のプロセス。
    「楽」から「快」への変化のプロセス。分析法の変化のプロセス。

    この進化のプロセスを是非、東京操体フォーラムで味わってみてください。

    一週間ありがとうございます。
    明日からは感性に響く唸りが持ち味の寺本実行委員です。お愉しみに!

    「2014年秋季東京操体フォーラム」 開催決定
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」です。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
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  • 〜健康寿命を延ばすなら〜

    小さい頃から早起きが習慣づいていたので夏休みの
    ラジオ体操なんかは張り切って行っていました。
    体操の内容はともかく、皆勤賞なら最終日に花火がもらえたので、
    せっせと町内会のお兄さんに出席スタンプをせびっていました(笑)

    今ではすっかりラジオ体操とはご縁がありませんが、現在も学校や企業で
    実施ししているところもあるようです。

    早起きすることに意義がある。
    朝からからだを動かすことに意義がある。
    作業効率を高めましょう。

    それぞれに意義があるようですが、もし「からだを動かすことはいいことだ」で
    終わってしまっているのであればもったいないような気もします。

    からだには使い方、動かし方の法則があります。
    すなわち「身体運動の法則」です。

    例えばからだを前に倒したとき(前屈)、体育の授業や、運動前の準備体操
    などで、皆さんご経験がおありでしょうが、ほとんどは膝を伸ばしたまま
    踵に体重をかけて行います。あれはふくらはぎやももの裏を伸ばす、ストレッチ
    的要素が含まれているのでああしているわけです。つまり「ストレッチをする」と
    いう目的に適ったやり方です。しかし、それが「からだを前に倒すときはこうやる
    のが当たり前」になってしまうと、落ちているものを拾うときや洗面台で顔を洗う
    ときなど、普段意識して行わないような動きの中でも習慣で通してしまいがちです。
    「ストレッチをする」という目的であればこのやり方を通せばいいのですが、
    日常的に繰り返されると、ふくらはぎやももの裏が突っ張るだけではなく、腰や背中
    の筋肉にも牽引の力が加わり、知らず知らずのうちに負担を蓄積させてしまうことに
    なります。

    身体運動の法則に従ってからだを前に倒せば、膝は緩んだまま両足の
    母趾球(親趾の付け根)に体重が乗ってきます。作法を通して行えば
    ふくらはぎやももの裏も突っ張ることがありません。故に腰や背中に牽引力が
    加わらず、負担なく動作を通すことが出来ます。試しにやって頂くとその差を
    感じられる方が多いようです。
    この差を体感して「からだってありがたいな」と感じるのか、
    「めんどくさいな」と感じるのかは「想」の問題かとは思いますが…

    いかに合目的にからだを使い、からだを動かし、健康を維持するか。
    これが「身体運動の法則」の目的です。
    そして操体の「般若身経」はそれを学習するためのものです。

    「からだを動かすことはいいことだ」とすること自体が悪いわけではあり
    ません。これだけ体操やらスポーツが普及しているのですから。ただ、良かれと
    思って行っていても、からだを壊してしまうケースが予想以上に多いのも事実です。

    問題は「からだを動かすこと=体操=ストレッチ=筋トレ=スポーツ」と
    一括りにしてしまっている状況ではないでしょうか。
    体操には体操の目的があり、スポーツにはスポーツの目的がある。各種健康法や
    トレーニングも一緒です。それを、本来は別々のベクトルを向いているものを
    「からだを動かすことはいいことだ」の一点に向けさせてしまっていることが
    かえって健康傾斜の歪体化を招いてしまっているのです。
    「たくさん食べて元気を出そう」として消化不良を起こしてしまっている
    ケースと構造的には同じなような気がします。

    筋力はあるに越したことはありませんし、関節も柔らかいに越したことはありません。
    スポーツをするのであれば専門的トレーニングも欠かせません。
    ただ、「鍛える」という発想と同時に「いかに負担をかけずにその動作を行うか」と
    いった発想も必要なのです。前者は「いかに負荷をかけて以前よりも強い状態にするか」
    といった足し算の発想です。後者は引き算の発想です。引き算の発想を理解し、からだで
    学習を通したうえで、さらに鍛えたいのであれば鍛え、専門的なトレーニングを行いたい
    のであれば行えばいいのです。日常生活の中でからだに負担をかけずに健康に暮らす範囲
    であれば引き算の発想で十分なんです。そのための法則が「身体運動の法則」であり、そ
    れが操体的「動」の営みなんです。

    そして、この「身体運動の法則」を「般若身経」を通して学習する。

    近い将来、「身体運動の法則」が様々な現場で取り入れられても何ら不思議では
    ありません。からだが要求していることですから。
    花火とは比べ物にならないくらいのご褒美なんですから(笑)

    「2014年秋季東京操体フォーラム」 開催決定
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」です。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
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  • 〜ため込んじゃ駄目よと、言われても〜

    「たまり」に必要以上にため込まないことが自然治癒力を発動させやすい
    からだの内部環境の条件だと書きましたが、「たまり」がないのに
    ため込み過ぎて健康傾斜の歪体化のプロセスを辿るケースもあります。

    特に「想」に関して、その傾向が強いように思われます。
    「想」という精神活動は言葉や思考、その人のライフスタイルに大きく
    影響し、またこの営み自身は周りの環境(対人関係)に大きく影響を
    受けています。

    ここ最近読み込んでいるアドラー心理学の本の中で、「人間の悩みは、すべて対人
    関係の悩みである」とアドラーは説いていると書かれています。

    嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

    嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

    「想」の営みは人と関わって生きていく環境において、摩擦を受けやすい
    営みとも言えます。

    「気の持ちよう」とか「病は気から」という言葉のとおり、
    「想」がからだに与える影響は非常に大きなものです。
    気持ちが沈めば首はうなだれてしまいますし、意気込み過ぎれば肩肘が張ってしま
    います。その時の精神状態に合わせてからだは反応します。
    放っておけば「ボディの歪み」から症状が発生してきてしまいます。

    何か事を成すときは腹を括って初志貫徹、言いたいことも腹に収めて事にあたる。
    そういう覚悟が必要な時はありますが、普段の生活の中で言葉にしたいことを
    ため込んで我慢していると調和していた健康状態が、「想」の営みから崩れていき、
    先に挙げた通り姿勢も崩れ、その他の営み(「息」、「食」、「動」)も崩れてきます。
    (便宜上「崩れる」と表現していますが、その状態に合わせてからだが何とか
    バランスをとろうとしている自然な反応の意です。)

    置かれた状況でにっちもさっちもいかなくて辛い思いをされている方々は
    たくさんいらっしゃるだろうと思います。
    置かれた状況の中で何とか打開したいと思う方は「気の持ちよう」の中で一生懸命
    奮い立たせようとします。「私が頑張れば」、「私が我慢をすれば」…といった具合に。
    臨床家であれば何とか力になりたいと思うのは自然な気持ちですが、
    気を付けないと「オレがオレが」で返って干渉し過ぎるケースもあったり、
    わかったような口をきいて逆に白々しくなってしまったり。

    精神的ストレスを抱え込み、不定愁訴に悩まされている方々がたくさん
    いらっしゃるご時世ですから、臨床家としてどう向き合っていくかということは
    これからの必須課題です。

    環境をすぐに変えることが出来ない、「想」の枠組みの中だけで解決する
    ことが困難だという状況においても何とか打開したい時に他の営みから
    突破口をみつける試みがあります。四つの営みが同時相関相補連動性でつながって
    いるからこそ、操体臨床は「動」からアプローチを試みることが出来ます。
    「動」からからだの内部環境へのアプローチを試みるんです。

    先に「想」と姿勢の関連について触れましたが、良かれと思って姿勢を
    正させても、その姿勢自体が苦しく辛いこともあります。
    気が沈んでうなだれている人に「さあ、胸を張って」と言ってみたり、
    肩肘張って気張っている人に「肩の力を抜いて」と言ったところで、余計に
    苦しくなるだけ。それが出来ないが故に悩んでいるのですから。

    姿勢というとどうしても静的なイメージ(見た目)で捉えてしまいがちですが
    「生き方の姿勢」などというような場合には動的なニュアンスもそこには含まれます。
    つまり何かに対してアクションを起こすからだの動きそのものも姿勢の中には含まれて
    いるのです。

    動きを無視して見た目の姿勢だけを正そうとしても頑張れない状況の人に
    「頑張って」と声をかけるようなものです。

    操体臨床において「動」からのアプローチというのは無理やり動かすのとはわけが
    違います。ゆっくり、ゆっくり表現できる範囲で、からだで感覚をききわけて…
    少しずつ、少しずつ「ツクリ」(からだの構造)と「ウゴキ」(からだの動き)の
    バランスを快適感覚に身を委ねながら徐々に徐々にとっていくんです。

    自然と首がもたげてきた時、自然と肩の力が抜けてきた時、今までため込んでいた
    ものがスーッと口をついてくる、ガス抜きが出来てくる。からだの内部環境が変化
    し、「想」の営みが変化してくる…

    首や肩の筋緊張と精神活動は多分に関係がりますから、首や肩の状態が変化するに
    つれ「想」(精神活動)の在り方も変化するのは自然な反応です。

    操体とも相通ずる部分が多い「カタカムナ」の本の中で「首をクビ(クヒ)」にする
    ことの重要性が説かれています。

    カタカムナへの道―潜象物理入門

    カタカムナへの道―潜象物理入門

    進化の過程で人間は四足歩行から二足歩行になりました。当然首と頭の位置関係も
    それに伴い変化しました。首が頭(脳)を支えつつも自由度を獲得し、「ツクリ」と
    「ウゴキ」が見事に調和して初めて人間が人間である所以の「想」(精神活動)が
    営めるようになりました。言い換えれば「想」(精神活動)を健全に営むためには
    首の在り方が重要というわけです。

    現代は外的環境(対人関係)によるストレスが蔓延し、姿勢が崩れやすく、結果
    首がクビ(クヒ)として機能しづらくなっているとも言えます。
    そう考えると操体臨床において「想」の問題を姿勢(「動」)からアプローチし、
    からだの内部環境を整え、外的環境に適応できる「想」の営みへと変化させて
    いくことはある程度時間がかかっても意義のあることのように思うのです。

    「2014年秋季東京操体フォーラム」 開催決定
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」です。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
    ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?p=813

  • 〜食と環〜

    夜はかなり冷え込んできましたが、その分空気が澄み渡り、
    頭上の星たちは一層輝きを増してきました。特に今住んでいる
    家の周りには街灯がないので満天の星を満喫することが出来ます。

    以前は寒いのが得意な方ではなかったのですが、こういった
    愉しみを覚えてからは妙に冷え込んだ夜も心地いい。
    小学校の頃に読んでいた星の図鑑にはギリシャ神話と星座の成り立ち
    が載っており、夜空を見上げていると当時の記憶が蘇ってきます。

    宇宙にあって、私たちにとって身近な存在と言えば太陽と月でしょう。
    特に「食」のつながりで見ていくと太陽の存在はとても大きい。

    一昨日のブログで三木成夫先生の本を紹介し、そのなかで使われている
    「たまり」という言葉について書きました。

    さらに詳しく見ていきますと
    ・植物は宇宙と一体をなしている
    ・自分(植物)のからだの延長が宇宙そのもの
    ・動物は宇宙を自分のからだ中に取り込んでいる
    ・動物は宇宙(自然)からある程度隔離されている
    ということが書かれています。

    植物はご存知の通り自分で移動することはできませんが、太陽のエネルギーを
    用いてその場にいながら栄養を作り出すことが出来ます。光合成ですね。
    ですから日中は常に栄養を作り出し、自らの成長に用いることが出来ますから
    ためておく必要がないんです。だから植物には「たまり」がない。宇宙(太陽)
    からのエネルギーがある限り、宇宙と一体となった栄養摂取体系を築くことが
    可能です。「食」と「環境」が見事に調和しています。
    ※「植物は食事をするのか」と言われそうですが、エネルギー入力という観点から
    言えば立派な「食」です(笑)

    野生の動物に目をやれば、彼ら(彼女ら)はいつでも餌に
    ありつけるわけではありません。それこそ、「たまり」が必要でしょう。
    肉食動物が一週間獲物にありつけないのはザラですし、
    草食動物たちは家畜とは違い、その年の天候などで食べる量は変わってきます。
    にもかかわらず、一週間獲物にありつけなかったチーターの、いざ獲物を
    目の前にした時の瞬発力はどうでしょう?かたや、そのチーターに
    追われているガゼルの走行は2、3日餌となる植物にありつけなくとも
    落ちることはない。家畜をまる飲みした大蛇の消化力、冬眠で冬を
    越すクマなどを見ると外部の環境に順応しつつ、「食」という営みを
    からだの内部環境とともに見事な調和をとげています。

    宇宙(太陽)のエネルギー⇒植物⇒草食動物⇒肉食動物と連鎖していますね。

    「人間は植物じゃないし、野生動物でもないからね。同じことなんか
    出来ないよ」

    おっしゃるとおり。「真似をせよ」というわけではありません。
    ただ、もともとこの「たまり」がこのように進化発展してきたプロセス
    を理解すれば、いかに必要以上に「たまり」にためこまないような
    「食」を営むことが重要か気づくことが出来ます。
    つまり自らの置かれている環境(職種や生活パターンなど)とからだの
    内部環境(体質、現病歴、既往歴など)を考慮することが重要だということです。

    今は飽食の時代ですから、「たまり」に負担をかけやすい環境に
    我々は身を置いています。食べ物を食べれば当然胃腸は働き出します。
    お酒を飲めば肝臓も働きだします。消化器系統への血流量は増大し
    優先的に消化、吸収、分解に力を入れ出します。その分、抹消組織への
    血流量は一時的に減少します。
    このようにからだは優先事項に合わせてからだの内部環境を変化させます。
    ですから、食べ過ぎ飲み過ぎなどで常に消化器系統に負担が強いられている
    状態では、「疲労を回復させる」ところまでからだが働かず、いつまでたっても
    不定愁訴が抜けきらないということもあり得るわけです。

    よく自然治癒力を引き出すといいますが、
    いかに「息」、「食」、「動」、「想」とそれぞれの「環境」を調和させていくか、
    ということが鍵となりますので、治療は受けるけれども普段の生活は知らん
    ぷりではもったいないわけです。

    「快からのメッセージ」の中で三浦理事長は三大ストレスと称して
    「肉体的ストレス」、「精神的ストレス」、「美食なるがゆえの消化器内臓のストレス」
    を挙げております。それだけ「食」は「欲」の関わる比重が他の営みに比べ大きいの
    です。

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

    自然治癒力が発動しやすいからだの環境を整えていくためにも手始めに
    「食」から見直してみるとよいかもしれません。

    太陽の下で日向ぼっこしながらであれば、ひょっとしたら植物のように宇宙の
    エネルギーを受け取ることが出来るかも知れませんね。

    「2014年秋季東京操体フォーラム」 開催決定
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」です。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
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  • 〜落ち葉を掃きながら一考〜

    毎朝、通りに面した歩道の落ち葉をかき集めていると、向こう側から
    冬の足音が聞こえてきそうなほどに、日に日に季節の変わり目を
    感じています。東北は冬の到来も早いです。

    仙台には幼稚園から中学1年まで住んでいましたが、その後は4年前に
    友人の結婚式に出席した程度。その時もとんぼ帰りで仙台を懐かしむには
    至りませんでした。しかし、昨年実行委員メンバーと課外授業?で仙台を
    訪れ、久しぶりに通りのけやきを見ましたが、改めて見ると本当に大きい。

    三浦理事長は内弟子時代、定禅寺通りに面した外路地を竹ぼうき片手に
    掃除をされていたそうですが、昨年見たけやきを想像する限り、ちょうどこんな
    時節には落ち葉を相手に汗をかいていらっしゃったんだなと脳裏をよぎります。
    なんといっても落ち葉の量が尋常じゃないですから(笑)

    操体法 生かされし救いの生命観

    操体法 生かされし救いの生命観

    そういえば、子供の頃はよく早起きして家の前を掃除していました。
    朝起きるのがそれほど苦にならなかったので、嫌々やった記憶があまり
    ありません。時間があるときはそのまま友達と川に遊びに行ったりもした
    のですが(広瀬川がすぐ近くにあったので)、なにせ朝が早いものですから、
    家に戻ってきてもまだ6時半くらい。日曜日なんかは当然両親もまだ寝てい
    ますので、すぐには朝ご飯が出てきません。
    けれども、朝から散々からだを使っていたのでお腹の方は待ちきれず、
    両親が起きてくる前に台所でガッシャン、ガッシャン。昨夜のカレーを
    温めたり、パンを焼いたり…
    結局怒られる羽目になったのですが、その時食べたご飯はとても美味しかった
    と今でも覚えています。
    あれはきっと、「食欲」が「食」の範疇でからだを使うという外的「環境」と
    調和していたんではないかしらと思っています。

    翻って昨今。

    「あなた、会社に遅れるわよ!早く朝ゴハン食べて、食べて!」
    「昨日は遅くまで付き合いがあったから、お腹空いていないんだよ。」
    「何言ってるの!朝ゴハン食べないと元気が出ないわよ!早く食べて
    今日も頑張ってきて頂戴ね!」

    何気ない日常のやり取り、どこにでもあるような会話。

    しかし、奥さん、ちょっとお待ちになってください。
    今からご主人のお腹の中を透視してみますから(笑)

    むむ、昨日食べたホッケの開きやラーメンが未消化の状態でドロドロ…
    胃は大分お疲れのようですね。ややっ、こちらはアルコールの分解で
    大忙しの肝臓ですか。これは相当お酒を飲まれましたね。

    ここで朝ご飯を投入したら、頭が冴えるどころか午前中はぐったり、膨満感に
    げっぷに胸焼け…起きて間もない消化器系統がそれでもお尻を叩かれながら
    歯を食いしばって働かなければならない…

    いくら動物(人間)に「たまり」があったとしてもこんなふうに使ってしまった
    んでは目も当てられません。「たまり」は外部の「環境」とからだの都合を考慮
    してうまく調和させてこそ、旨みがあるというものです。
    良かれと思ってやっていることでも実際にはからだにとって負担になっている
    ケースが多々あります。
    ※「たまり」の説明は昨日のブログをお読みください。

    現在は職種も多様で、生活パターンもバラバラですから、画一的な慣習よりも
    個々のからだの要求に耳を傾ける方がごくごく自然のように思われます。

    「からだにききわけて」という操体的発想を時代が必要としているのは
    間違いありませんね。

    「2014年秋季東京操体フォーラム」 開催決定
    今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
    メインテーマは「操体進化論」です。
    特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
    ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
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