ブログ

  • 「動」について

    臨床を行っているとこちらの指示する通りに動ける人と動けない人がいる。

    これは私が操体の臨床を行う上で、ずっと頭を抱えていた問題で操体の臨床家にとって一度はぶつかる壁だと思う。

    果たして動ける人と動けない人の違いは何なのだろうか。体の動きを知らないからだけでは済まされない何かがあるのではないだろうか。

    この問題の要因は被験者の「意識」が大きく関与しているのだと思う。

    それは自己責任を全うするという意識とも言えるが、己が使わせて頂いているカラダなのに使い方が分からない、手入れの仕方が分からない、壊れたらお医者さんに治してもらえば良い、こういった意識にカラダが反抗し、動けなくさせているように思う。

    こういった意識で生活している患者は、カラダを治してもまた病を作り、治しにくるという繰り返しになる。

    それを繰り返さない為にも患者自身の思考や意識を変え、自分のカラダやイノチと素直に向き合えるような臨床と哲学が操体にはある。それを成す一つの栄養となるのが「快」なのである。

    快を味わい、自分の心と意識の中にそれを受け入れることで己の生き方が変化し、カラダもその意識の変化に素直に反応するのである。

    こういったことを理解してきたので私自身、自分の臨床のテーマに「患者の生き方を変える」という目的を持つようになった。

    とても壮大なテーマかもしれないが、ただカラダを治すだけの臨床家にはなりたくない。

    患者の心とカラダ、そして意識が快のベクトルに向かい、その先に自分の生き方に責任を持つようになる、そんな臨床が出来る臨床家を目指している。

  • 皆さんは一日何回食事をとるだろうか?

    最近の私は食事をすることがカラダのちょっとしたストレスになることがある。特に食後にカラダがだるくなることが多いため、一日三食はとらず仕事がある時は朝と晩の二回、休みの日は昼食だけの生活サイクルになっている。

    大抵の人は子供の頃から一日三回食事をとることが日本の規則正しい食事回数とされてきたが、この食事のとり方は本当に正しいのだろうか?

    12月13日号の週刊現代に「一日1食派vs一日5食派」という記事があった。

    この記事は一日1食の南雲吉則医師と一日5食の林田康隆医師による対談なのだが、ここで南雲医師は興味深いことを言っている。
    「私はあらゆる若返りの医学的効果を検証してきましたが、満腹の時に活性化される因子は何一つありません。
    逆にお腹をグーと鳴る時こそ、若返りホルモンである成長ホルモンが肌や消化管を若返らせるのです。また、「サーチュイン遺伝子」と呼ばれる遺伝子は、空腹によって活性化し、人間の体内に存在している傷ついた細胞を修復してくれる。
    これにより、がんや脳卒中、心臓病の予防にもなります。
    実際、あらゆる動物実験で食事の量を4割減らしたほうが、1.5倍長生きすると証明されました」
    サーチュイン遺伝子→長寿遺伝子

    この記事で南雲医師は「極度な満腹」状態を作らず、常に適度な空腹感にすることでカラダは覚醒状態になると言っている。
    つまり自分の私利私欲で食さず、「間にあっている」範囲内で食事をとることがカラダが悦ぶ食事のとりかたなのだと言っているのではないだろうか。

    実際、南雲医師の食事のとりかたは一日一食以外にもちょっとしたものをつまむことで「極度な空腹状態」は作らないようにコントロールしているのだという。
    また林田医師の「一日五食」の食事のとりかたも少しの量を五食食べる「細切れ食」なのだと言っている。

    この2人の対談の読んで今まで私達が当たり前の行っていた「食」の概念を一度見直す必要があるのだと思う。
    本当に一日三食食べなければならないのか?
    それをカラダが要求しているのか?
    自分が無意識の習慣として行ってきたことは命が悦んでいるのか?

  • 「フォーラムで学んだこと」

    今回のフォーラムでは初めて人前で自分が学んできたことを発表する機会があった。

    今まで人前で何かを話す機会といえば大学の論文の発表位なもので、全くこういった機会とは縁がなかったのだが、この経験でとても大きな気付きを得ることが出来た。

    まず人前で自分が取り組んでいることを話すということは自分自身の「試験の場」だということ。

    それは学生等の試験とは少し勝手が違い、ただ答えを覚えれば良いというものではなく、取り組んでいることの本質をどこまで理解しているのかが問われるのである。

    日々自分がどれだけそれと向き合っているのか、どこまで実践し、日々の生活に生かしているのかが問われ、その空間は誤魔化しの効かない場なのだと実感したのである。

    今までの自分は学校の試験にしても、資格等の試験にしても「その場しのぎ」の学びであったように思う。それは「自分」の頭で理解しても「自身」の身に付いていないということである。

    特に操体においては「実践哲学」である以上、人前で話すことにおいては紙の上で答えを書くのとは違い自分が経験、体感したこと以上のことは伝えることは出来ない。つまり理論や計算では自分が相手に伝えたいことを伝えることが出来ないのである。

    そのような事が解かってくると、操体に限らず学ぶということ、人に指導することにおいて「インプット」よりも「アウトプット」の方が大切だということが良く理解出来る。
    食事等と一緒で入れたものを循環していかなければ新しい情報は入ってこない、身に付かないのである。以前のブログでも自分が新しく欲しいものを手に入れたいのならば、手にいれたものは潔く捨てることを書いたが、これは物だけでなく学ぶことにおいても同じことが言えて、本当に大切になってくる。

    今回のフォーラムでは私自身が本当に参加者に伝えたかったことはある程度伝えることは出来たが、それは決して一人では出来なかったことだ。
    黙って見守って下さった師・先生、先輩の存在、そして信頼する同志と相方の存在があってこそ出来たことで、改めて自分との向き合い方、操体との向き合い方を見つめ直さねばならないと実感した時間であった。

  • 「フォーラムを終えて」

    こんにちは。一週間よろしくお願い致します。

    先月開催された秋季東京操体フォーラムから実行委員長を務めることになった。

    前任の岡村さんからバトンを引き継ぎ望んだ初めてのフォーラムだったが、終わるまでの期間なぜ自分が指名されたのかをずっと自問自答する毎日であった。

    私は臨床の技術や知識にしても、操体と向き合う姿勢にしてもまだまだ学ぶことが多い未熟者で現在の実行委員メンバーで自分以上に実行委員長に相応しい人は何人もいると思っている。

    そういった実力者が多い実行委員メンバーの中で岡村さんからバトンを託されたことの意味が今回のフォーラムを終えてようやく少しずつではあるが分かってきたのである。

    一つ目はこれからの操体を引っ張っていくのは一人の実力ある人よりも皆で協力し合える人が良いということ。

    二つ目はもっと自分に「暴れろ!」と言っていること。

    三つ目は岡村さんの意思だけではなく、橋本先生や三浦先生の意思でもあるということ。

    振り返ると操体を学び始めて現在に至るまで沢山の人達に支えられ、現在の自分がいる。実行委員長を務めることはそういった自分を支えてくれた人達に少しでも恩返しをするまたとない機会なのだと思っている。

    また私自身岡村さんから使命を受けたことに特別な価値があった。
    少し恥ずかしい話だが、私は岡村さんと初めてあった時から「こういう人になりたい」というような憧れがずっと心の中にあった。

    臨床をする時でも常に「岡村さんのような」イメージで、いつも背中を追いかけていたように思う。

    その「憧れ」とも言えるような存在の人から強い意思と想いを託された嬉しさは自分の不安や迷い以上に責任感と使命感が勝る思いであった。
    そんな「意思」と「想い」をこれからの後の世代に継承していくことが自分の使命であり、責任だと重く受け止めている。

    そんな使命と日々向き合いながら精進し、東京操体フォーラムを盛り上げていこうと思いますので、皆さんこれからもよろしくお願い致します。

  • 生命エネルギーの法則

    生命エネルギーの入出力。

    Zの法則。生命エネルギー
    腰椎4、5番、仙椎1
    左脳覚醒報酬系

    Hの法則
    性エネルギー
    仙骨4番5番、
    右脳覚醒報酬系

  • からだの動きは腰主動から末端主動に移行して久しい。日々、末端主動がいかなるものか
    道理にかなうようである。それは、末端の動きをとおしてゆくことによって、重心移行という
    新たな法則性が誕生した。

  • 仙台での行動は滞在日数にかかわらず常に決まったパターンであるが、
    僕自身はとても満足だ。行けばいつでも四季の変化とかほりと色がある。今度はそろそろ紅葉と落ち葉の華がある
    橋本先生が眠る葛岡霊園に。あの街道沿いは紅葉が素晴らしかったね。

  • 先般、11月はじめ、予定がうまく空いたのでそれーっとばかり
    橋本先生のお墓参りに行って来ました。一端それっと決めたら行動は素早い。
    これも、一人で開院している強みなんだろうな。
    それに全て顧客の予約で収まっているのでいたって自由が利く。

  • 二日目

    四、五日前から「合気道神髄」(1990年柏樹社)を読み出した。読み出していると読んでいるだけで
    勿体ないという気になって写し出した。読書とは字の如くヨミカキである。
    ぼくは、これ、大切、少しは魂に刻んで置きたい本は写すことにしている。

    合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録

    合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録

  • 初日

    今週担当の三浦です。

    本年も残すところわずかになりました。毎年このようなコトバを残しているような気がします。
    一日24時間、一年365日、一年で8760時間。

    いったいぼくはこの一年何をやってきたのかと問いかけています。
    ぼくは毎日欠かさず日誌をつけています。
    時に一日何ページにもわたって書き添えることもあって分厚いノートが半月もたずに
    終わってしまうこともあります。今年は15冊にもなりました。この日記帳は人生まるごと本業ですから一日のまるごとをあからさまにしています。
    日誌をつけていますと一年間、ぼくが何を考えてきたのか、何をどのようにやってきたのか
    365日分の自分の言動が手に取るようにわかります。
    こんなご時世ですから、このめまぐるしさについつい自分の人生が見えなくなります。

    日誌をつけることも一つの豊かな愉しみです。
    小さな、小さなことですが、日々書けることがあることがあることに感動しています。