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  • 「やりたいことをやる」

    幼い時の記憶を辿っていくと、自分の意思に反して周囲の悪い空気に流されてしまうことが多かった気がします。

     

    服装にしても、遊びにしても「自分らしさ」を出すことが仲間外れになることだと思い込み、自分の意に反して、周りの人達にひたすら合わせる。

     

    結果として何が「自分らしい」のかが良く分からないまま自分のやりたいことも半分位しかやれずに学生時代が終わってしまったように思います。

     

    そういった学生時代の影響からか大学を出てからは学生時代に出来なかったやりたいことをとことんやってきましたが、それは私自身の人生、または身を護ることにおいても、とても良かったことだと思っています。

     

    そういった経験をしてきた自分からしてみると、現代の若者達は自分達の時代よりも窮屈で周囲の空気に流されるような生き方をしている人が多いように見えます。

     

    私の周りにも「やりたいことがない」「何をして良いのか分からない」という人が多いです。

     

    そういった自分の意志がしっかりしていない生き方は、その意志が悪い方向に流れてしまう可能性もあり、先日に書いたような薬物や自殺に繋がってしまう可能性にも繋がりかねません

     

    最近、本でよく書かれていますが、老後から自分のやりたいことをやっていくのも一つの生きがいとして良いのかもしれませんが、やはり一度しかない人生は若い時からやりたいことを学びながら生涯やり通す方がより深みのある豊かな人生のように思います。

     

    そのように捉えていくと若い時からやりたいことをやっていくことも自分の身を護ることにおいても、とても大切なことだと思います。

     

    それには子供の時からやりたいことをやらせてあげる環境を作ってあげる親の配慮もとても大切なのではないでしょうか?

     

    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。
     
     
    テーマは「上手い下手について」
  • 「自分とからだのリズムを保つ」

    「あれ?今日は何かおかしいぞ。いつもと何か違う…」

     

    心にしても、からだにおいても、普段と感覚が異なる日が誰にでもあると思います。

     

    不思議とそんな日ほど体調を崩してしまったりして、何か嫌なパワーを受け取ってしまったりします。

     

    私の場合、それが起こる原因の一つとして思い当たることは、起床時間が普段と異なったりする休みの日が多いです。

     

    普段と違う生活リズムの日ほど、いつもやっていることをやり忘れていたり、何か抜けてしまいがちです。

     

    それは先日書いた「なでしこ」のように、ほんの少しの歯車の狂いが自分の生命リズムの波長をブラしてしまっているように感じます。

     

    こういった日ほど、経験からトイレ掃除にしても、服を畳むにしても、外出時の橋本先生の挨拶にしても、日々欠かさず行っていることを忘れずにやるように心がけているのですが、これは習慣というより、自分を護る儀式に近い感覚です。

     

    こういった儀式を日々わずかな時間でも続けていくことが心とからだが悦ぶ生命リズムを形成し、己の身を護っていくことに繋がっているのではないでしょうか?

     

    それは臨床においても同じだと思います。自分の生命リズムが狂うと相手にもそれが伝わってしまうのです。特に操体の臨床の特徴でもある「からだの内部感覚」を聞きわけることにおいて、クライアント以上に診る側の心とからだのリズムというのは非常に大切になっています。

     

     その為、日常生活においてからだのケアと同様に生活リズムというのには人一倍気を使うようにしています。

     

    そういったことも外からの悪いものから身を守る一つの手段だと思います。

     

    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。
     
     
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  • 「愉しむこと」

    昨日に引き続き、スポーツ選手の話題から話を進めていきたいと思います。

     

    リオで開催される女子サッカーオリンピックアジア予選を観ました。

     

    予選通過とならず残念な結果となってしまいましたが、チームの不振の要因として澤選手の引退、チーム戦術のマンネリ化、世代交代のミス等、マスコミで色々上げられています。

     

    しかし私自身は一度狂った「歯車」を立て直せなかったことが大きな要因のように感じました。

     

    私が思うに彼女らの最大の強みはどんな苦境でも笑顔を絶やさず、愉しみながらプレーをすることだと思います。それが今回は予選を通じて「なでしこ」らしい笑顔がなく、一人一人がプレッシャーを良い意味で愉しめていなかったように見えました。

     

    いくら1人1人が一生懸命に取り組んでいても、周囲との歯車が噛み合わなければ、それが一つのチームとして機能しないこともあります。

     

    その歯車を噛み合わせる大事な要素の一つとして全員が愉しむことだと思います。それが周囲からのプレッシャーを良い方向に循環させ良い結果に繋がるのだと感じました。

     

    それはスポーツだけでなく私達の日常生活にも同様の事が言えて、ちょっとした歯車が狂うといつもの自分らしいパフォーマンスが発揮出来なかったり、結果もついてこなかったりして、何をするにしてもつまらない心理状況に陥ってしまいます。

     

    そうすると負の連鎖が生じ、外界からの悪い気をもらいやすい状態になってしまうように感じます。

     

    このように周囲の空気に左右されず、「自分らしさ」を出していくには、どういったシチュエーションでも愉しむことだと思います。Wカップやオリンピックの時の「なでしこ」のようにプレッシャーが掛かる時でも、それらを丸まる愉しむことが出来れば、自分が取り組んできたことが自ずと出来るようになるのではないでしょうか?

     

    最後になりますが、結果は残念でしたが、私は彼女らから沢山の感動をもらったので、これからも彼女達を応援していきたいと思っています。

  • 「自分を知ること」

    先日、yahooニュースでダルビッシュ選手の日本ハムファイターズに所属する大谷選手を語っているインタビューを見ました。

     

    その記事で、彼は自分のトレーニング方法や食事に関すること、そして大谷選手の印象等を語っていましたが、彼は自分の意思や考えが確立されていて、自分の軸がとてもしっかりしているのが記事からも伝わってきました。その中でとても印象に残る言葉がありましたので本日はこれをキーワードにして話を進めたいと思います。

     

    それは「(現在彼の行っているトレーニングや食事の方法が)これが僕の思う正解」というフレーズです。

     

    よくニュースや雑誌で「~がからだに良い」という記事を目にしますが、例えそれが一般的に認められ、科学的にも証明されたことだとしても、自分の心とからだが実践していく中で納得しなければ、それは自分にとっての正解にはならないからです。

     

    これは操体を学ぶことにおいても、身を護ることにおいても、とても大切なことだと思います。

     

    ただ教えられたことを全て自分にとっての真実だと信じて鵜呑みにしていくこと程、恐ろしいことはありません。もしかすると、それが自分にとって悪いものかもしれないからです。

     

    やはり自分と自分が使わせて頂いているからだを知り、それが自分にとってよい物も悪いものを自分の思考で判断するのではなく「からだ」を介して納得することが悪いものから身を護る最大の手段なのだと思います。

     

    操体の学びにおいても私達は実践していく中でからだが納得したことだけをクライアントや学びに来ている人に伝えています。

     

    それは操体の学びを深めていくだけでなく、自分の身を守ることにも繋がるのです。

     

    その中で自分が掴んだ事をダルビッシュ選手のように「自分のやり方」、つまり「自分の中の真理」として実践していければ、人生がより豊かになるように思います。

     

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  • 「言葉を正すこと」

    ポジティブなエネルギーを生み出すのも、ネガティブなエネルギーを受け取ってしまうのも日頃から自分が発している言葉が関係しているように思います。

     

    私自身も生活空間の中でついつい不平不満を口にしてしまうことがありますが、普段のちょっとした言動が自分の身を護ってくれている波動を狂わせているように感じます。

     

    特に普段から注意して使わないように意識しているのが「ムカつく」「めんどくさい」という波動の荒い言葉です。

     

    操体を学ぶ以前の私は仕事でのストレスがピークに達するとこういった言葉を無意識に使ってしまっていましたが、ある日、母親から「そういった言葉ばかり口にしているとからだが病むよ」と言われたことを憶えています。

     

    当時はそんなことを気にも留めていませんでしたが、こうやって操体の学びを得て母親の言葉を振り返っていくと、確かに言葉とからだ、そして生き方は表裏一体の関係にあるように思えます。

     

    自分が発している言葉の波動を80兆の細胞は敏感にキャッチし、からだに歪みとなり表れる。逆にからだが自然な状態になってくれば、言葉も統制され、魂が悦ぶものを自ずと選択してくるということです。

     

    橋本先生も「言葉は運命のベクトル」という事を述べられていますが、自分が発している言葉は正に自分自身の生き写す鏡なのです。

     

    その鏡を常に綺麗に磨いていければ、外界からの悪い空気から身を護ることにも繋がり、また自分自身が本来望んでいる生き方にも繋がってくるのだと思います。

     

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  • 「自分を守ってくれているもの」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。今週からが三浦寛幸が担当致します。

    よろしくお願い致します。

     

    今回のテーマは「ネガティブなエネルギーから身を守る」ということですが、いつも強く感じているのは自分自身は様々なものから「護られている」ということです。

     

    友松実行委員のブログでも触れていましたが、最近は覚醒剤や自殺、不倫等のニュースをよく目にします。ネット等で薬物使用者の数を調べてみましたが、近年の日本では約40人に1人が薬物に手を出す時代になっているそうです。

     

    薬物や賭博等の自分の人生の歯車を狂わす誘惑が多い中で現在、身心共に健全で生活出来ているのは、常に何かに護られていることだと思います。

     

    それは家族であり、友人、恋人という現象界の存在でもあり、また目には見えないご先祖様との繋がりかもしれません。

     

    私の場合は特に師の存在が常に自分を護ってくれているように思います。

     

    学ぶことにおいても、臨床においても師を常に感じ、イメージすることで自分が身につけてきたことが上手く出来ているのだと感じています。

     

    いずれにしても、いつも意識の中で繋がっているものの存在が自分を生かし、護ってくれているということです。

     

    そういったものとの繋がりを切らさず、そして信じることが最大の護身であり、お守りの一つなのではないでしょうか?

     

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  • 7日目

    「鵞足」

    左膝の内側を重心軸としてとらえて診ると、その内側とは、どの位置で、どの部位に相当するのか?興味深いところだ。膝蓋骨より内側の脛骨骨頭のスグそばにガソクがある。このガソクを調べてみると、「ここが重心軸だよ」と判断しうる材料がそろっている。まず、ガソクに関与している筋肉は、一つは薄筋、二つめは半腱様筋、そして縫工筋である。タテにハミング(ラセン)している。これを診る限り、重心軸のポイントが鵞足にあることが検証できる。

    僕は岡村君のように生体の解剖学も生理学も病理学も免疫学もあまり知らない。必要に迫られ知るため、最低限の範囲のことしか知らないから困ったものだが、「この鵞足が重心軸と判明すれば」と思い、いろいろと情報を集め、集めた情報を照らし合わせていくと、ピーンとヒビクものがある。

    ヒビクことは、一つの直感の積み重ねによるものだが、あまりハズレたことはない。

     

    わかってくると、みかた、とらえ方がガラリと変わる。

    重心軸を従来どおり、膝の正中にとらえていたら、鵞足の存在には、生涯、気づかずであっただろう。

    まさに、「わかる」と「かわる」のだ。

    からだの垂直中軸(正中)の丹田を重心だととらえている限り、鵞足とは縁がなかったことである。

    左母趾球を重心点とし、その重心を支える軸が鵞足(点)で、この二点が左恥骨外側につながっていた。この恥骨についている筋肉が鵞足と密接に関与していたということ。それが大腿—坐骨結節—恥骨の“ホットライン”と連結している。

    重心点の母趾球そのものも、進化の過程の中(退化も進化のプロセス)で、足底筋とアキレス腱と連結した存在だったようだ。

    膝窩に存在する足底筋は、膝外側側に起始部があり、下腿の内側を通る腱が、踵骨隆起まで伸びている。

    この鵞足と足底筋の存在は、あやしいかほりが、私のなかでただよっている。妙理なのだ。

    足底筋の位置と鵞足の位置は、最大にしても3㎝のスキ間に存在しているようだ。非対称だな。

    一週間、ありがとうございました。

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  • 6日目

    近日わかったことは、皮膚も非対称性のバランス感覚なんだなア〜ということだ。よく僕が皮膚への問いかけで「接触」と「刺激」について話をするけれど、その中で「皮膚のアソビ」と口にするだろう?この「接触」と「刺激」のスキ間の非対称性が、わかってきたのだ。

    皮膚のアソビは、最大2,5㎝のスキマの範囲内が「接触」であり、2,5㎝を越えると「刺激」として受信してしまうのではないか、ということなんだ。

    皮膚も感覚的意識のバイブレーションをもっているということだ。少しだけコアな話になったなア。

    皮膚と筋骨格系も非対称的な動きなんだ。

    皮膚は全体を包む、器なんだからネ。

     

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    チベットのシンギングボウル。

     

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  • 5日目

    「非対称性のバランス感覚」

    すべての現象物(ヒト、人間)は、非対称性である。地球(地軸)だって23,4度の傾きがあって成り立っているから、この大宇宙だって、非対称性のバランスで調和がとれているのかもしれない。(かもではなく、私はそう思う。)

     

    近頃、僕はつねに生体の動き(運動)から、生体の構造(つくり)を検証しつづけ、非常(とても)にこの非対称性の妙理に感心しているんだネ。非対称が、けっしてアンバランスな調和じゃないと実感しているってことだ。非対称性こそ、全体一体一つの総和(愛と調和の意志)であると思う。

     

    息診法ということに気づいて、数年ほどになる。これも非対称性の時空間の物理なんだよ。この非対称性にはスキ間がある。このスキ間の時空間によって現象が、かわるんだ。このスキマが非対称のバランスなんだね。つまりテキセイに定まるということなのだ。

     

    自分(テメエ)のことしか頭が回転していない自分の思考では、まとまりがつかなくなってくる。この思考が対称性のもの、つまり比較対象のもの、ジゲンの低いものだから、迷路に落ち込んでしまう。

     

    対称性の成り立ちじゃないと、性相は同じである。つまり、男女、オス、メス、メシベ、オシベの性別が分類できないんだ。分類できないと分析不能だ。カミさまは、自分一人じゃ淋しすぎると、自分に似せて、人間を創造したと…その上で、男だけじゃつまらないと思ったはずで、この世に、うめよ、ふやせよの創造にはほど遠い、性相のちがう女を創造してみせた。すべてのいのちをそのように分けたのであろう。まず創造にあたっては生命をうみだせるモノから創造した。女からである。カミからみれば、「私をうみだせるもの」は尊いのである。そして、そのもの、こと、なりのハジメは言霊(ロゴス)であった。このカミゴトに相対語はありえなかった。すべてが「善(よ)」しであった。罪とか悪という対称語はもちろんない。愛そのものの実相がカミだから。

     

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  • 4日目

    今、編集しているのは、身体運動のコアなところ、「般若身経」の改定である。かなりしつこく書き込んでいるので、斬新で、興味のある方にとっては、橋本先生からの最良のご褒美になるんじゃないかと思うよ。

    編集が完成したら、「新般若身経」として公表します。

     

    般若身経(般若心経ではない。からだの使い方、動かし方の法則を、世界で一番短い経典、般若心経になぞらえたもの)

     

    この編集が今年の頭からスタートできたことは、幸せである。

    今年1年でみれば、あと9か月残してあるってことだからネ。

    だからネ、急ぐけれど、巡る。急いでは、まわる。このくりかえしができるから、(編集の)味がしみこむんだよ。

     

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    秋保(あきう)大滝を見おろす