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  • 臣下 六日目

    他の実行委員メンバーとネタが被ってもなあ、と色々考えている畠山です。

     

    「真価」とか「真花」というのはもう出てしまいましたし(笑)、あまり説教臭いネタは書きたくありませんのでお許しを。

     

    今年の大河ドラマは「真田丸」です。

     

    連続ドラマが苦手(連続して見ることができない)な私も、ちょいちょい見ています。

     

    今回、草刈正雄真田昌幸役ですが、とっても破天荒なお父さん役で、改めて注目されています。

     

    脚本が三谷幸喜なので、やはり脚本なんだな、と思います。

     

    清須会議

    清須会議

     

     「清洲会議」。

    この辺りを見ていると、臣下って大変だ!と思います。

     

    それにしても、日本人(私も含めて)って、戦国時代が好きですよね。

     

    『戦国鍋TV〜なんとなく歴史が学べる映像〜』番組ホームページ

     

    このような番組があることを教えていただき、びっくりしました。

     

    毎年、必ずといっていいほどドラマになりますし、結果はわかっているのだけれど、脚本や演じる役者、解釈によってまったく違って来ます。

     

    ここ最近のブームは一体?

    (ちなみに、歴史探訪や古代史探訪も結構なブームです)

    と、考えてみましたが、社会がテクノロジー化すればするほど、歴史が人気を呼ぶのではないかと。

     

    これからますます、歴史をみなおすという風潮が大きくなるかもしれません。

     

    しかし、人間というのは、歴史に学ばないというか、繰り返し繰り返し同じ事をするものですね。

     

     

     

     

     

     

     

     

  • 深化 五日目

    先日テレビで「ブラック部活」というのを見ました。

    ブラック企業やブラックバイトというのはよく聞きますが、中学や高校の部活にまで「ブラック」とは?

     

    部活というのは本来自主性を育てるものです。

    それが変わってきているというのです。

     

    体罰が禁止された代わりに、言葉で、例えば些細なミスで、生徒の人格を否定したりするとか、長時間土下座させるとか、より陰湿な方向に向いているのだそうです。

     

    また、練習時間が一日九時間とか、辞めたくても辞められないとか。

     

    深刻化しています。

     

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  • 神化 四日目

    神化といえば、もう、しつこいようですが(笑)、1999年、全国操体バランス運動研究会の打ち上げで、嫌煙家の某山陰地方の操体の先生に、

     

    「橋本先生はタバコを吸っていたんじゃなくて、ふかしていたんだ」
    「ご自身はタバコが嫌いだったけど、患者さんで吸う人がいたから、吸う振りをしていた」

     

    と、言われたのは、私の貴重な(笑)人生経験です。

     

    嫌煙家にとっては、先生が喫煙者であっては困るからです。

     

    現在の状況からみると、昨日ご紹介したDVDが絶版になっているのは、多分喫煙シーンがあるからではないかとか、妙な推測をしてしまいます。

     

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  • 進化 三日目

    先日、改めてNHKで放映された、橋本敬三先生のドキュメンタリーを見てみました。

    DVDにした際、ちょっとお手伝いをしました。

    時代を感じさせるのは、先生がタバコを吸いながら診療にあたり、アシスタントが灰皿をもって灰を受けている、と言う場面です。

     

    これ、今だったら超NGですよね。

     

    また、先生がタバコをくゆらしている有名な写真がありますが、スペインでのセミナーでビデオを作った際、タバコの絵を加工するのに困ったそうです。

     

    これは進化というよりも、社会的事情の変化でしょう。

     

    操体法/橋本敬三の世界[DVD]

    操体法/橋本敬三の世界[DVD]

     

     

  • 二日目 進化論

    考えてみると、ダーウィンの進化論などは、今だに反対している人達がいるようです。
    アメリカなどでは、やはり人間はアダムとイブの子孫であり、サルから人間になったのではないと考える人達もいるようです。

     

    また、地動説と天動説なども面白いものです。

     

    私が子どもの頃は、体育の授業中には「水分摂取禁止」というのが常識でした。
    今なら禁止の「うさぎ飛び」もありましたっけ。

     

    島地勝彦先生のサロンで「今日の異端は明日の常識」というコースターを頂いたことがあります。

     

    先日面白いと思ったのは、ビートルズのヘアスタイルが「ロングヘア」で、ビートルズエレキギターが「不良」の象徴だったこと。

     

    どう変わるかはわからないのです。

     

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    そして、今はペットボトルですが「お茶」が「缶」に入って発売された時は、殆どの人が「売れないよね」と言いましたが、今はポピュラーです。

     

     

     

     

  • 初日 進化

    畠山です。

     

    一週間よろしくお願い致します。

     

    二週間前ですが、7月18日に「操体マンダラ」が開催されました。

     

    まさに、操体は進化しているんだな、という内容でした。

    参加された方は、多少ショッキング?だったのでは??と思います。

     

    温故知新で、古いものを見直すというのも大事です。そこにはヒントがあるから。

    そして、古いモノを手放すことが大事な時期もあります。

     

     

     

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  • 真花へ。

    おはようございます。

     

    今回のブログのテーマは「シンカ」と聞いて、思い浮かんだものに「真花」というのがありました。関東甲信はやっと長い梅雨が明けたようですが、梅雨の季節の代名詞でもあるアジサイには装飾花と真花があります。はじめに大きな花びらのような装飾花が咲きますが、この装飾花がいくら派手に大きく咲こうと開花とは呼ばないそうですね。中心にある小さくて地味だけど生命力に富む真の花、真花が咲いてはじめて開花と呼ばれるそうです。

     

    アジサイの時節はすでに過ぎていますが、真の花という言葉は以前に三浦寛先生からいただいた言葉の中にあったと感じ、古いノートを辿っていくと、平成16年のノートに書き写したものがありました。

     

     その時の時流にのって時とともに枯れていく花(時分の花)となるのではなく

     年輪を重ねる中でみがかれ華をはなつ真の花になれ

     

    先生は、当時入門したての私達の為に、世阿弥の言葉を参考にわかりやすいように、これからの指針を示してくれていたのだと感じます。

    ノートを再度見直していると、この言葉の2行空白を空けた上に、このようなことが書いてあります。

     

     操体=命の営みと摂理を学ぶ。体系付けられたものではない。

     

    とありました。

     

    昔から本当にブレないですよね。その時々新しいものは取り入れても、それが主ではない。主柱は、生命の本質とかイノチの本質を学ぶという事であり、その時々に新しいものを取り入れても、必ず主柱に還っていく。主柱から真価を見究めながら、真理を求め年輪を重ねていくという事なんですね。

    創始者の言葉に「野次馬でなければダメだ」というのがあります。勿論、好奇心をもって学ぶという事は大切ですが、主柱や志柱のないまま、あっちが良い、こっちが良いと時流に流されてばかりだと、真の花にはなれないのだと思います。 

    進化という言葉は、なにか格好良さがありますが、時流にのった格好良さではなく、求められるのは地道な深化が伴なった真の進化だと思います。

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。

    来週は畠山先生の担当となります。

    来週もどうぞ、よろしくお願いいたします。

     

    友松 誠。

     

    2016年9月新規講座開講のご案内

     

     

     

     

  • その進化は深化より。

    おはようございます。

     

    なんだか最近、某週刊誌で手術や薬に関する記事を毎週のように取り上げています。その内容を詳しく書くつもりはありませんが、やはり、からだを治すのはからだであり、そのからだの要求に応える事を最優先しなければならない、ということを強く感じた次第であります。

    生命の本質に目を向けるという深化の仕方が、これから益々問われ、これからの人間の進化に関わってくると思います。

     

    医師であった操体創始者、橋本敬三先生は、昭和58年5月号の仙台市医師会報に載せた記事の中でこんなことを書いています。

    【現在一般に知られている以外に医学医療技術は歴史的に世界地域的にもたくさんある。しかし今のような現代医学の黄金時代はかつてなかった。伝染病は現代医学が抑えたが、自らの生活の営みからくる弱体化、疾病化は現代の方がわるい。生きて行くための自らの責任的営み、息、食、動、想の四つには自然の法則があり、自然環境、人為環境と関連し、バランスを崩せば健康は保持も増進もできない。科学的検査がいくら開発され、進歩しても、生命の本質に暗ければ治療の効果を挙げ得ないのが現実だ。生命の現象の展開のバランスのうちに本当の快適感覚をつかまなければ、どうにもならない。知識が進んでもカンが衰退しては生きてゆけない。野生動物には医者はいない。獣医は人に飼われた動物園と家畜のためにある。】

     

    昭和58年というと30年以上前となりますが、創始者はもうこれだけの事を書いて先を見越していたんですね。改めて凄いと思います。これも、人間が環境に適応して、より快適により長く生かされて生きるには、という事を常に深化させていたからなのでしょうね。

    この中の【自らの生活の営みからくる弱体化、疾病化は現代の方がわるい】という文言。これは30年以上たった現在はもっとわるくなっていると思われます。弱体化とは、単に体力の弱体化と捉えられるきらいがありますが、環境との関わり方も含めたトータルバランスとしての生命力です。これはスポーツ的な、ある一定条件での記録や数値には表せないものです。体力がある、イコール健康ではないことは確かです。

    このトータルバランス的な生命力の弱体化で、なにが危惧されるか。ひとつには、はじめに挙げた手術や薬といった現代医学を象徴するものに、からだが対応しきれなくなってきているのではないかという事。これでは医療技術がどんなに進歩しても、暖簾に腕押しだと思われます。

    【科学的検査がいくら開発され、進歩しても、生命の本質に暗ければ治療の効果を挙げ得ないのが現実だ】という創始者の文言が浮かんできますが、これからは生命の本質というものに関して深化した研究が求められて然るべきと思います。その深化によっては、現代医学の在り方も変わってくるのかもしれません。

     

    操体も変わります。ただの変化ではありません。これからの時代に合った人間と環境との関わりを重視し、深く深化させ、客観的検証を繰り返しての進化です。これは創始者の遺志を継ぎ、生命の本質に対する学問を深化させてきた三浦寛先生だからこそ、成し得た進化なのでしょうね。

    2016年9月新規講座開講のご案内を見てみると、三浦寛先生は、受講ご希望の皆様へのメッセージとして「これからの操体法は、重心の適正化を目的とした医療分野への対応と、健康維持増進医学にお答えいたします」と明言しています。

    それだけ、からだにやさしいアプローチとなり、昔カックン療法などと呼ばれ、瞬間脱力がどうのこうの言われていた時代の面影はもうありません。臨床家はもとより、医療分野でもトータルバランス的に弱体化した生命力を、重心の適正化をはかる事で、からだから変えていき、医療を成功に導く手助けもできる、という事なのではと思います。

    これをやって上手くいったから大丈夫、ではなく、これにからだがどう応えてくれるかも重要なのです。最終的に治すのはからだであり、善くなっていくのもからだなのですから。からだが善く応えてくれるよう、負担をかけず、よりやさしく、調和に向けた生命エネルギーを呼び覚ましてあげる。そういう分野も現代医学には必要なのではないかと思います。

     

    2016年9月新規講座開講のご案内

     

     

     

     

  • 進化と深化の求め。

    おはようございます。

     

    生き方の自然法則を究明し、それを応用して、変化する環境に適応出来るようにしていくのも進化であると思います。そして、その進化には究明した自然法則を更に原究するという深化が伴います。

    つまり、時代背景やそれに伴う環境が変わったからといって、新たに自然法則をつくりだすというのでは、自然法則としてとおりません。また、ある人にはそれが適合しても、違う人には適合しないというのも、自然法則ではありません。

    自然法則にそのような矛盾はないのですから、究明した自然法則を更に細かく奥深くまで深化させ、その環境に適応するものとしていかなければなりません。

     

    なぜ自然法則を深化させていかなければならないか。それは、ここ数日書いているように、今を生きる人達に自然環境への順応性が薄れてきており、その為に様々な環境、空間にも上手く適応できずにアンバランスとなり、からだの不調を招きやすい状況となっているからです。そして、その状況は親から子へ世代が受け継がれるごとに顕著になり、ますます間に合わなくなっていく可能性があるからです。

     

    自然法則を深化させる。生き方の自然法則の中には、「動」の法則である身体運動の法則があります。これは般若身経とも名付けられておりますが、どうしてもそのやり方と効果の方にばかり目が行きがちです。しかし、大切なのはどういう目的で操体創始者・橋本敬三先生の頃より体系づけられ、研究がされてきたかという事です。

    やり方だけ覚えて、そこに自分勝手な知識の動きを付け加えてしまうと、それは自然法則ではなくなってしまうんですね。かえってバランスが崩れてきます。自然法則の応用貢献にもつながりません。

    般若身経には、自然体としてのあるべき姿を問いかける、という大目的があるんですね。

     

    そして、その中で当初より位の一番にあるのが、重心を安定させるという事です。環境にある普遍的な重力との調和が、まずはじめに唱えられているのです。

    想いを巡らせれば、この重力というのは人間が地球の上で生活する以上、その影響は不変なんですね。どんなに人間の暮らしの時代背景が変わろうと不変ですし、家にいる時も、職場に行っても、働いている時も、休息している時も、いつも普遍的影響と恩恵をうけているんですね。

     

    春季東京操体フォーラムでも、先ごろ行われた操体曼荼羅でも、橋本敬三先生の高弟である三浦寛先生は、重心の不正は「息」「食」「動」「想」をはじめ全ての不正につながる、とおっしゃっていましたが、おっしゃるとおりであり、環境に普遍的な重力と、いかに善く調和するかはとても大事な事だと感じます。

    また、これからは重心の適正化をいかにはかっていくかだ、ともおっしゃっていました。身体運動の法則も、いつの時代でも人々が環境に順応していけるよう、深化させて進化させていくべきだという事なんですね。それでこそ応用貢献が成るのだと思います。

     

    2016年9月新規講座開講のご案内

     

  • 進化の求め・・・3。

    おはようございます。

     

    進化という事柄について、私は3つのことが思い浮かびました。

    一つには、環境に適応する為に自らの生態を変化させる。もう一つは、環境をよりよく共存共栄の世界へと自ら変えていく智慧とテクノロジー。そして、もう一つ挙げるとしたら、自然環境に自在する自然法則の究明、原究、そして応用、貢献のあり方にあると思います。

     

    世の中に自然法則と呼ばれるものは色々ありますが、大切なのは生き方の自然法則。人間の生き方にも自然法則が自在するのです。これは生かしてくれている「環境」と、人間が最小限責任をもって自分自身で営まなければならない生命活動である「息、食、動、想」の生命力学の生かされしバランスを説いたものです。

    この生命力学のバランスが崩れれば、健康は保てなくなります。逆に、調和したバランスであれば健康は維持されます。そして、更にバランスを善導して健康増進に向かわせることも可能なのです。

     

    人間のからだの設計にミスはなく、自然環境の変化に適応できる能力も、元々備わっているのです。しかし、人間の場合は知識もありますから、自然環境に手を加えて暮らしを便利にしてきたのは良いのですが、時代が進むうちに便利が当然化し、だんだん本来の能力は使われずに錆びついてきた感があります。そうなると、からだとの協調性は薄れてバランスを崩すことにつながります。

    やはり、この世に生きている限り、からだが無ければ生きられないのです。そのからだを自分で錆びつかせて上手く動けないようにしていたのでは、からだの全体的な調和や心とからだのバランスをも崩してしまい、健康は保てなくなってしまうのです。

    最近は、それほど病んでいるというふうに見えなくても、何をするのでも億劫で疲労感が抜けないといった感じで、自分から病気をつくりだしているというふうに見受けられる人が増えてきたように感じます。

    これも、自然環境よりも人為的、社会的環境への適応を優先してきた、生き方の時代背景を反映しているように感じます。そこに共通するのは、自分とからだをかけはなし、からだは道具のように扱い、自分勝手な使い方をして、頑張ってきたという事。

    からだは自然環境というイノチに生かされ、自分はからだに生かされて生きる存在でもあるのです。からだの使い方にだってルール、自然法則が元々在るのです。

    そういったことを蔑ろにしては、この時代やこの時代以降に生きる人達は、絶えずアンバランスによる色々な不調を抱えて生きるというような、生命力の弱体化が生じても不思議ではないのです。

    今、求められるのは、生き方の自然法則に基づいた生活(生命活動)に改めていくことであり、これもよりよく環境に適応する為の進化だと思います。

    操体は自然法則の応用貢献にあるのですから、これから益々その役割は重要になっていくと思います。

    2016年9月新規講座開講のご案内