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  • 波「MA」2

    何で波が起こるんだろう?

     

    寄せては返す波を見ていて、ふとこんなことを思いま

    した。

     

    もちろん風力やら引力の作用で説明がつきますが、

    そもそも風や引力は目に見えないのに当たり前のよう

    に「あるもの」として認知されています。

     

    その存在を、その仕組みを発見して証明してくれた人

    たちがいたからこそ、今となっては大して不思議とも

    思わずに当たり前のように受け入れられていますが。

     

    あたり前になると不思議じゃなくなるんですよね。

     

     

    今勉強している操体は、後どのくらいで当たり前にな

    るんだろう?

     

    寄せては返す波を見ていて、ふとこんなことを思いま

    した。

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  • 波「MA」1

     

    唐突ですが昔から海が好きです。

     

    さあ、夏本番だ!って感じで遊ぶのもいいですが

    何でもない時にフラッと一人で行く海が最高です。

     

    冬だろうが曇っていようが関係ありません。

    むしろ人がほとんどいなくてのんびりできます。

     

    で、何しに行くかというと、ただぼんやり海を見て帰

    るだけ。ただそれだけのことですが、自分にとっては

    最高のチルアウトです。

     

    数日前にも行ってきました。

     

    やっぱりただただ海を見てきただけですが、波の長短

    で変わる波間は単調なループにはならず、独特のグル

    ーヴ感を生み出していました。

     

    それが妙にきもちよく、視覚だけじゃなく聴覚でも海

    の「うごき」を感じていたようです。

     

    やっぱり一人で行く海は最高です。

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  • 東京操体フォーラムの「MA」

    香さん、一週間ありがとうございます。

    今週担当の瀧澤です。よろしくお願い致します。

     

    去る11月23日に秋季東京操体フォーラムを開催致し

    ました。

     

    ご参加いただいた皆様方に御礼申し上げます。

     

    ありがとうございました。

     

    来年は17年目に突入します。

    フォーラムに携わるようになり5年が経ちましたが、

    これからも

     

    まさかそんなことがということを

    まさにそうなっていると納得できるような

    まかふしぎなことを

    まっさらな状態で愉しめるような

    まっとうな「間」でありたいと思っています。

     

    次回は4月29日(昭和の日)に春季東京操体フォーラ

    ムを予定しております。

     

    またのご参加お待ちしております。

  • 気づく

    空間・間という字、

    実際の空間やイメージの空間に

    意識をおくようにすると、みえてくる景色が確実に変化してきます。

     

    主張の強いもの

    派手なもの

    興味のあるものに

    意識が無意識に働きすぎている日々があることにきづかされます。

     

    意識の向かなかったところに、

    意識をおく、光を当てることは、

    豊かな気づきを与えてくれる無限大の間につながるのだと思います。

     

    明日からは、からだのMAを活かしている瀧澤副実行委員です。

    一週間、ありがとうございました。

     

     

     

  • 乳歯から永久歯

    今朝、小学生の前歯がない子を見かけました。ちょうど乳歯から永久歯の生え変わる時なんだなあと思いながら見ていると、友達とニコニコ楽しそうに話をしていました。

    その表情を見て、「愛くるしいなあ」と感じました。

     

    その時、中年のおじさまで前歯が無い人を見た時のことを思い出しました。「この人、前歯どうしたんだろう」と感じたように記憶しています。

     

    「前歯がない」という現実は同じなのに、私はこれだけ違った見方を無意識にしているのだと実感しました。

     

    歯のあいだにも気づきが隠れていました。

     

  • いってきます

    今朝、太陽が昇るのを眺めていたら、ふと「行って参ります」と自宅を出る時に言葉にするけれど、この言葉って誰に向かって言っているのだろうと、なぜだか不思議に思いました。

    「行ってきます」「いってらしゃい」

    「行って参ります」「いってらっしゃい」

     

    習慣で何気なく口にしている言葉。

    それに家族が「いってらっしゃい」と答えてくれる日々があります。

    今までやり取りをしていて、初めて疑問に感じました。

    少し調べてみたのですが、

     

    「行ってきます」は「行って、来ます」つまり行って帰ってくるということで

    「行ってらっしゃい」は「行って、来て」つまり行って戻って来てねということだと書いてありました。

    互いを思いやる言葉かけであるということを再認識し、特別驚くことはありませんが、ただ習慣で口にしているのと、相手への思いやりと意識して口にするのでは、その言葉のMAには、違いがあると思います。

     

    さらに、「行ってきます」と「行って参ります」は同じ意味で使われていますが、違いがあるというようなことが書いてあるものもありました。

    「参」には、「出会いの中で尊ぶべき物事を学び、向上して帰ります」という精神的な意味合いが含まれているということのようです。

    こう捉えると、見送っている家族に言っているようで、自分自信に言い聞かせるために言葉にしているようにも感じます。

     

    橋本敬三氏は、「言葉は人生のハンドル」とおっしゃったとのことですが、身近に使われている言葉、身近に使える言葉だからこそ、大切に大切にしなければならないのだと思います。

     

  • なぜ生きるのか

     

     昨年のちょうど今頃、師匠にこの一冊を紹介されました。

    その時、読み始める前に、まず「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」を一週間ぐらい毎日自分なりに考えてから、読み始めるようにと言われたことを思い出しました。

     

    生 死

    死 生 

    このあいだには、何があるのだろう。

    私たちの人生?生活?それとも・・・

     

    今東光大僧正は、「人生は冥土までの暇つぶし」とおっしゃっていたようです。

    極道辻説法 (集英社文庫)

    極道辻説法 (集英社文庫)

     

     

    どう考えるかで時間のMAは、自由自在に変化するのだと思います。

  • 木枯らし

    だいぶ寒くなりましたが、少し前は紅葉している木々がとても綺麗でした。

     

    なぜ美しいのか?と思いながら、しばらく見ていると、葉と葉はぎゅうぎゅうに枝についているのではなく、あいだが空いています。

    そのあいだには、枝や、他の木が入り込む空間が空いています。

    そこに、風が通ったり、光が差し込んだりしています。

    時々、小鳥が羽を休めていたりもします。

     

    空いているということは、「ない」ということではないのだなと納得している自分がいました。

     

     

  • 床の間

    最近の住宅は和室がない建物も増え、床の間がないことも多いようですが、旅先の旅館で、床の間を目にすると豊かさを感じます。

     

    華や掛け軸も美しいのですが、その床が掛け軸や華によって、より際立っていることです。華が主になっているようだけれども、実はそのまわりの間が主になっているのです。

    この空間のエネルギーには、いつも魅了されます。

     

     

    話は変わりますが、先日、「古都」という映画を見てきました。川端康成の名作「古都」を映画化したものです。

    京都で呉服店を営む家族のお話ですが、着物や茶道などを観ながら、美しいなあと心が豊かになりました。

     

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  • 干渉しない

    今日から一週間担当いたします、香です。よろしくお願いいたします。

    円のビジョンをえがきながら、書いていきたいと思います。

     

    MA

    最近、自分の常識は他人にとっては非常識であると感じるできごとがありました。

    詳細は書きませんが、私の中で「あたりまえ」と思っていたことで、相手に伝えた方が相手にとってもいいだろうと思い、私は相手に声をかけました。

    しかし、返ってきた相手の言葉は、想像していなかった一言でした。

    私は、一瞬、え?と思いましたが、相手にとって私の言葉は非常識だったのだと思います。

     

    私と相手のあいだには、ちょうどよい「マ」があるはずなのに、私はその「マ」を間違えてしまったようです。

     

    「マ」を大切にすることは、必要以上に干渉しないことにつながるのだと思いました。