生かされている事に感謝

本日で最終日となります。よろしくお願い致します。
これまで書いてきたように一人の人間としても、臨床家としても常に自分を支えてくれているものへの感謝の気持ちを持つことがとても大切なことです。
しかし人に対し感謝するにはまず自分の命を支えてくれている呼吸にしても、からだにしても普段なかなかその有難さを実感できないものへの感謝が必要になってきます。
その有難さを実感していくには自分のからだと素直に向き合うこと、そして一日わずかな時間でも自分の心と向き合うことが感謝に繋がる第一歩のように感じています。
私達が日々操体で学んでいる目的は何も臨床に繋がる知識を得ることだけではありません。
むしろそれはプロセスの一つであって、一人一人がこの操体を通じて学んでいることは自分の命、からだを使わせて頂ける有難さを実感出来る自分自身を形成していくことだと思います。
それが身についた時に見えてくる景色は想像出来ませんが、現在少しずつですが自分が当たり前に使ってきたからだに対し感謝の気持ちとそれまでの恩返しが出来てきているように感じます。
そういった私自身の変化も周囲はなんとなくかもしれませんが「感謝」の気持ちとして受け取ってくれているようです。
一週間ありがとうございました。明日からは半蔵さんが担当致します。お愉しみに。
最近聞いた話になりますが、生前橋本敬三先生は露草をこよなく愛されていたそうです。
私も子供の時に田舎で見たことがありましたが、その印象は夏に僅かな時間ですがとてもきれいに咲いていた印象があります(知らなかったのですが英語ではDayflowerと言うそうですね)
この歳になり、改めて露草の花を見てみると、その生き方における咲き方、そして枯れ方はとても人間に近いように思います。
しかし人間のように騒々しくなく、とても謙虚な生き方をしていて、それはまるで生かされている有難さを体現しているかのように力強く美しく輝いている。それが人を惹きつける理由の一つではないでしょうか?
そんな露草の生き様を橋本敬三先生は自身の生き方に重ねていたように感じます。
私が持つ生前の橋本敬三先生は何か露草のように謙虚で慎みを持って命を全うしていたイメージがありますが、実際その生き様も非常に植物的だったと聞きます。
そういった橋本敬三先生の生き方のヒントから三浦先生を始め、操体を学ぶ人には食物を愛される人が多いのですが、最近私自身も自然の植物の姿勢を見て学ぶようにしています。
そうすると自然と私達が無意識に呼吸をしていることも、飲食が出来ることにも全てがありがたいという気持ちになってくるのです。
このブログを読んでいる方の中にも人生を大きく変える人との出会いは少なくとも一人、二人はあったと思います。
私自身も自分の人生の方向性を大きく変える出会いは今まで二度ありました。
その一つがパリに行った時に偶然なのか、必然なのか今でもよく分かっていませんがデザイナーのヨウジヤマモトさんとの出会いでした。
当時、私自身は学生でしたが自分のやりたいことが見つけられず、その何かを模索している最中でフランスに行ったのも建築や絵画を見たいことも目的にありましたが、一番の目的は自分を変えてくれるような人達、物との出会いを探すことでした。
特にパリコレのシーズンだったこともあり、自分の趣味の範囲内で好きな洋服の仕事をしている人達から何か話を聞けたらと思い、色々と情報を集めていたのですが、フランス語もあまり喋れずに行った、こともあり、結局は自力では何も出来ずにいました。
そんな途方に暮れていたある時に向こうで知り合った人から誘われ言われるがままに付いていったのがヨウジヤマモトさんのファッションショーでした。
その場違いにも思えるような場所で僅かな時間ながらお話が出来たこと、またヨウジヤマモトさんの人柄に触れられたことがその後のファッション業界に身を置くことになった大きな要因です。
このブログを書きながら当時を振り返り思うことはこういった経験があったからこそ現在操体を学び続ける自分がいる。その出会いに感謝せねばならない。
あの時にヨウジヤマモトさんとお会い出来たことで自分の人生の方向性を示してくれる人(師や先生)を持つことの大切さが分からなかったと思います。
最近、受講生の方達と講義の内容や感想を話しているとこんな声が聞こえてくる。
「講習後のからだの状態がとても良い」
「講習前に痛かったからだの部位が痛くなくなっている」
こういった声が近頃は特に多くなってきています。
確かに私自身もあの学びの場に身を置くことでいつも身と心が癒され、生活に必要なエネルギーを頂いています。
あのエネルギーはあの空間から頂いているものなのか?
それとも私達の学ぶ意欲でそのエネルギーを作り出しているのか?
どちらにしても操体を学ぶ空間の中で体調を崩したり、怪我をしたりする人がいないのは本当に不思議な現象で、これも操体の持ち合わせる不思議な力なのかもしれません。
一つ確信を持って言えることはこういった不思議な力を頂けるのも私達が目には見えないものに感謝しながら、臨床や学びに生かしていることが大きな要因だと思っています。
普段何気なく行っている呼吸、飲食、歩行、動作、これらが何の見返りもなく行えるのも目には見えないものからの恩恵であり、そういったものへの感謝が私達にはとても大事なもののように思っています。
プロのアスリートの引退会見を見ていると必ず自分を支えてくれた人達への感謝の言葉を口にします。
現役の成績はどうであれここまで自分が取り組んでこれたことは自分一人の力だけではなく、周囲の協力があったからという感謝の気持ちを会見の場をお借りして伝えているように感じます。
そういったものを見ていると感謝の気持ちを言葉にすることでやってきたことを一つ納めて、そして新たな未来への決意表明をしている気がします。
それは学びの場においても同様のことで「よろしくお願い致します」から始まり、「ありがとうございました」の言葉をもって納めます。
当たり前に皆がしているこの儀式も何か深い意味があるように思います。
毎週、毎月その言葉を繰り返し口にすることでその時に学んだことが納められ、そして未来へ繋がる学びの種が巻かれていく。
そこには「感謝」という絆があり、学びにはとても大切な要素のように感じます。
一日の中で何回「ありがとう」を口にしているのだろうか?
このブログを書きながら、こんなことを考えていました。
職業上、百、二百以上は口にしているであろう私自身の「ありがとう」の中に果たして本当の「ありがとう」は一体どれだけあるのだろうか?
いつも言葉にしている、言わなければいけないから仕事だからなのか、言っている「ありがとう」が機械的なものとなり、自身を取り巻く環境への感謝が薄れていっているように感じます。
また心のない「ありがとう」は相手だけでなく、私自身の身と心も傷つけているような気がします。
だからこそ自分が言葉にする「ありがとう」に重みを持たせねばならないように近頃は感じています。
例えその言葉に対して相手が素っ気ない態度、返事でも重みのある「ありがとう」は自身にとってかけがえのない財産になる。
操体の臨床においても感謝の言葉はからだにとって何よりの治癒力になっています。
それは診てもらう側の人間だけでなく、見る側の人間にとっても同じことだと思います。
もし本当に心から健康でいたいならば一日わずかな時間でも自分の心とからだに「ありがとう」と言葉にしてみるのが健康寿命を長く保てる秘訣ではないでしょうか?
三浦先生、一週間ありがとうございました。
今週からは三浦寛幸が担当致しますので、よろしくお願い致します。
今回のテーマは「感謝」となりますが、改めてこの言葉を自分自身に投げかけてみると、今まで沢山の人達に支えられ現在に至っていることに気が付きました。
家族、師、先生、友人、会社の同僚…、こういった常に意識の中に存在している人達だけでなく、それ以外にもわずかな時間を共にした人達へその出会いとご縁に感謝しなければならないように思います。
こういった挙げればきりがないほどの人達に支えられ、現在の自分がいるわけですが、意外と会いたくても会えない人ほど感謝の気持ちを伝えたくなります。
その中でも小学生の時の担任の先生には感謝を言葉にして伝えたい気持ちが強いです。
恐れずに何事にも自分から飛び込んでいく勇気。
自分が悪いと思った時に頭を下げる姿勢。
人の事を思いやる心。
周りの人達への感謝の気持ち。
こういった当たり前のことを自分の身を持って教えてくれたのが当時の担任の先生だったと思います。
昔は教わったことの大切さが分からず、何も言えませんでしたが、当時私に教えてくれたことは操体を学ぶことにおいてとても大切なことだったように思います。
自分もいつか当時の先生達のように自分が学んできたことを伝えていきたいです。