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みたて(2)
診立て、と言えばですが「見立て」というと、を連想します。松岡正剛先生が、あるインタビューで「子供の遊びのほとんどが、ごっこ遊び、しりとり、宝探しという三つの型にあるとすると、ここに、生命や歴史や文化の学び方の基本があるだろうと感じますね。」と話しています。(編集工学のお話です)この「ごっこ遊び」が、いわゆる見立てです。 -
みたて。(初日)
こんにちは。畠山裕美です。一週間よろしくお願い致します。今回のテーマは「みたて」ということですが、臨床の際の「診立て」を考えることは当然なので、少し別の方面から行ってみたいと思います。「見立て」という言葉を「歴史民俗用語事典」というので調べてみるとという意味があると書いてあります。私達が普通使うのは(1)の、判断、鑑定、診断のことですね。私は占筮もやりますので、「鑑定」も見立てに入っているのは、なるほど、と思いました。美術品も宝石も「鑑定」と言いますよね。(2)とか(3)も何となくわかります。(4)も、何となくわかります。言葉はよくないかもしれませんが、鑑定というか、どの子がいいか、品定めをしているわけです。(5)についてはまた明日。
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バランス感覚
診たては
今まで養ってきた思考がとても大切だが、
その思考ばかりに偏ってしまい、
目の前の情報をそのまま受け取れない状態に
なってしまうことがある。
そのまま受け取りつつ
今まで養ってきなものを創造的に
展開していく。
このバランスが取れてこそ
診たてがみたてになるのだと思う。
一週間、ありがとうございました。
明日からは、瀧澤さんです。
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便利であるがゆえに失われているもの
見立ては
「なぞらえる」「物を本来あるべき姿ではなく、別のものとして見る」という意味で
使われることがあるようだ。
私は茶道のことはよくわからないが、
千利休は見立ての心を生かし、日常使いの生活用品を茶道具として取り入れていたという。
今の時代は何不自由なく物が揃っており、不足していて困るということは
日常生活の中でほとんどない。
とても便利な生活に慣れているため、時々その物がないと、
大変なことが起きたかのような事態になる。
時にはパニック状態に陥ることさえある。
そんな時、
別なもので代用できる?
どうしたらなくても大丈夫?と
柔軟に想像力をはたらかせ
発想の転換ができれば、
パニックを起こすことが避けられることも多いだろう。
こんな日常も創造力を養うよいチャンスなのだと思う。
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妥協
ミタテは創造的思考が導くものだと思う。
思考している頭の中は
10個の視点での展開なのか?
100個の視点での展開なのか?
10,000個の視点の集合が展開されているのか?
どれだけの視点で展開しているのだろう。
どれだけの視点を活用して展開できているのだろう。
こんなことを考えていると
自分を磨くことに
妥協という言葉は
必要がないのかもしれない。

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味覚
最近、食べ物を口にした時の
味覚の変化を観察するようにしている。
味覚に意識を置いていると、
自分の食事の内容にいかに無頓着(無意識)になっているかが
よくわかる。
体感して、驚かされたことは、
好物で食べていた物の
味が濃くて食べれないという経験をしたことだった。
しかし、その濃いという感覚も、
少し我慢して食べていると、
次に同じような味付けのされているものを食べても
今度は、濃いとは感じずに食べれてしまうという経験だった。
こんなにも味覚は簡単に変化していく(順応する)ものだと体感した。
自分自身が変化の中にいる中で、
何かをミタテているという意識を持つことが
大切だと思う経験をした。
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ミタテ
今日から8月。
私はある経験をしてから
8月が1年間の中で、好きな季節になった。
私的なことだが1年間の中で
一番自分の変化に敏感になれるような感覚があるからだ。
さて、自然の偉大さにふれるたびに、感動する。
その感動は何度あじわっても同じということはない。
同じ場所の風景であっても、止まっていない風景(空間)は
時には、感情より先に涙が湧き出る。
この感覚。
感情、思考より先に
からだが示す反応。
この感覚を
大事に、大切に
まずは自分と自分のからだとの信頼関係をきずくことを
大切にしたいと日々思う。
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日々
私たちは、変化の中に生きている。
同じ日付、時間というものは当たり前だが、二度と来ない。
しかし、日常の中でいつの間にか
日々、変化の中で生きていることを忘れてしまう。
忘れてしまう、無意識になっている小さな変化に
どれだけ自分が向き合うことができるだろうか。
意識していくことができるだろうか。
意識しているだろうか。
自分自身へ、問いかけ続ける姿勢が
必要な時に
ミタテという力になり
私を助けてくれるのだと思う。
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玉ねぎの根
7日間担当します、香です。
よろしくお願いいたします。
「ミタテ」について考えると、いつも思い出す方がいる。
私の髪を切ってくださる美容師の砂原由弥さんだ。
学生時代から切っていただいているので、10年以上、お世話になっている。
美容師として最前線でご活躍し、とても高名な方である。
砂原さんにご縁をいただき、髪を切っていただけることに、感謝している。
さて、なぜ思い出すかというと、
「目の前にいる人が似合うヘアスタイルが見える」ということを
以前、切っていただいている時にうかがったからだ。
「絶対に似合うベストラインが見える」のだという。
そこに向けて、一心不乱にハサミを動かす。
すると、その人が輝くラインが出来上がる。
そのお話を聞いた時に、
イメージできる、ミタテができる、先が見えることの大切さを
しみじみと体感し、感動を覚えた。
美容師として髪を切っていただくにとどまらず、
砂原さんの人間的な魅力がどこから生み出されているのかが
知りたいといつも感じる。
そのため、美容室へ行く日が近づくと、
小学生が遠足に行く前夜みたいにワクワクする。
お会いするたびに、
ミタテを生かすヒントが湧き出している。
「玉ねぎの根」に目が止まり、写真に収めた一枚

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「ミタテ」の考察⑦
ある本を読んでいて、このようなことが書いてあった。
原子物理学者のアルバート・アインシュタインは、死に際に自分の人生についての見通し、すなわち 「見立て」 ができなかったことを悔いていた。 アインシュタインが死ぬ前に、誰かが彼に尋ねた。 「もしあなたにもう一度機会が与えられ、あなたがこの世に戻って来ることを神が快く許されたら、あなたは何になりたいですか?」 アインシュタインは目を開けて言った。 「ひとつ確かなことがある ・・・・・・。 物理学者には二度となりたくない、そういった科学者には決してなりたくない! むしろ私は配管工になりたい」
これにはある理由がある、そこには偉大な体験が含まれている。 アインシュタインは自分の人生を無駄にしたことを、自分が広島・長崎の原爆の原因だということを、自分が人類にとってアドルフ・ヒトラーよりもさらに危険だということを熟知している。
いつ何時、世界全体が消滅してしまうかも知れない可能性がある。 しかも、その理由と原因はアルバート・アインシュタインにある。 だが、アインシュタインは、原子エネルギーを発見しつつあるとき、自分は社会に偉大な貢献をしていると考えていた。
アインシュタインは続けて言う、「どうか、あまり社会の役に立つことは避けて欲しい。 それより、もっとバラの木を植えて欲しい! 広島や長崎はもうたくさんだ! 小さな植物にも水をやって欲しい。 もう少し世界に緑を、もう少し世界に赤を、もう少し世界に黄金色をもたらして欲しい。 それから、ピアノを弾いて欲しい、ギターも弾いて欲しい、もう少し世界に音楽を、もう少し世界に調和をもたらして欲しい。 愛のために愛して欲しい。」
アインシュタインのように 「見立て」 ができないことで大きな罪を背負ってしまうこともある。 我々に求められることは、自分自身にも納得ができ、社会にも貢献できる、そういった 「見立て」 が必要なのではないだろうか。
明日から香実行委員の 「ミタテ」 が始まります、お愉しみに。
