今週からブログのテーマが「健康と寿命」に変わります。
1週間お付き合いよろしくお願い致します。
長生きはしたいけど健康でありたい。
皆そう思っているけど何をしたらいいかわからない。
そう思いながら試行錯誤し生きているのではないでしょうか?
そのためにどのような食べ物を食べたらいいか?
そのためにどのような睡眠を取ったらいいか?
私たちが考えられる健康はパーフェクトなものではありません。
まずは60点取れるようなからだがあればいいと考えてます。
今週からブログのテーマが「健康と寿命」に変わります。
1週間お付き合いよろしくお願い致します。
長生きはしたいけど健康でありたい。
皆そう思っているけど何をしたらいいかわからない。
そう思いながら試行錯誤し生きているのではないでしょうか?
そのためにどのような食べ物を食べたらいいか?
そのためにどのような睡眠を取ったらいいか?
私たちが考えられる健康はパーフェクトなものではありません。
まずは60点取れるようなからだがあればいいと考えてます。
トイレの話ばかり続けて申し訳ない。
そういえば、三浦理事長の語ったトイレ掃除で思い出した。
スリッパの表と裏があるだろう、と。
トイレ掃除をしても、スリッパの裏(床につく汚れる面)をきれい
にする人はいるけれど、人の足を入れる内側の面、それも上下まで
しっかりきれいにする人は少ないよな、と三浦理事長は語っていた。
「おもて」は、上と下から眺めるだけで見つけられても、「うら」。
つまり、興味を持って「うら」を見出さなければ、全く無視している。
掃除は、一事が万事とも教えてもらったことがある。
どこを見て、どこまでわかるのか、わかった気になっていないか、と。
それからは、少なくとも集中して人間だけでなく、様々な生命も暮らす
この「環境」を、間の許す限り意識できるようになった。
皆様は呼吸をするとき呼気と吸気どちらを優先させてますか?
そんなこと考えながら呼吸はしていない!という方が大半なのではないでしょうか?
最近の操体法では吸気に着目しています
呼気がおもてであれば吸気はうらです。
うらの吸気に真実が隠されている気がします
皆様も自分のからだと向き合う時に
うらである吸気を意識していただければと思います
一週間お付き合いいただきありがとうございました
来週からは岡村さんが引継ぎます
どうぞよろしくお願いいたします
常識とは一体何でしょうか?
そんなの当たり前だ!と言われることが通説だと皆さんが信じてる
おもてのことが実はそのうらのことが正しいことはないでしょうか?
人から聞いたから情報を常識だと思っていたけど、
そのうらの非常識が真実なことはないでしょうか?
私は普段の仕事が営業なのでどうしてもその人がおもてに出さない
うらの真実の顔を確認してしまいます
人が見せる無意識の行動に真実が隠されていると思っています
よく裏をかくというと予想外の行動に出て相手を出し抜くことを示しますが
その行動こそ本当の自分の姿なのではないでしょうか?
根本的にそのような行動こそが本当に自分のやりたいことのような気がします
自分自身のからだはうらをかかずにおもてがキレイにみえるようにしたいです
最近、ふるまい(英語ではbehavior)が非常に気になります
おもてである発言や行動はしっかりしていても
うらである人が見ていない時の動作、ふるまいがダメな人は信用できません。
誰に見られても恥ずかしくない動作や動き。
そのことで本当の印象をアップさせるのではないでしょうか?
からだのおもてであるお腹や顔を見ることは多いですが、
うらである背中や後頭部はなかなか自分では見ることができません
おもてばかり気にしてうらは注意がいかないものです
たまにはうらのことを考えてみるのもいいのでは?
からだの不調は痛みとなっておもてに出てきますが、
根本的は原因はからだの内部であるうら側にあることが大半です
火事の原因である消防士は出火している火元を消さない鎮火しません
操体法ではそれと同様に操者は火元にアプローチします
今週からブログのテーマが「うらおもて」に変わります
1週間お付き合いよろしくお願い致します
最近、個人的にTwitterをよくやってます
Twitterは顔出しする人が多くなく、
ほとんど人がどのような顔かわかりません
その人たちのTwitterでのおもての顔と、
本質的なうらの顔はなかなかわかりません
しかし、うらの顔こそ本質である自分をさらけ出しているようです
おもてに出るものからもそれが見え隠れてしています
痛みの原因もそれに近いものだと考えます
子供の時、年に何回か学校から富士山が見ていたのを覚えている。
その景色の美しさに心を奪われていたのは昨日ことのように覚えているが、その時にいつも不思議に思うことがあった。
山はどこから見るのが正面で、どこから見るのが背面なのかということ。
当然ながらそれは山に限らず現象物体は人間の決め事の中での正面と背面はあるのだが、自然から見た表と裏は違ってくるように思える。
人のからだも構造から見た表と裏、動きから見た表と裏があるように最近は感じている。
何事も今までの捉え方から少し角度を変えて新たな視点から捉え直して見ていくことも学びにおいては大切なことである。