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  • 操体における 「頑張るな」 とは ⑤「脱力」

     頑張ることでからだの一部の筋肉のみが暴走して、全身の関節や筋肉の動き、腕、腰、脚の協調性が乱れてくる。 すると、からだの重心移動や背筋のバランス、足底と地面の接地感覚などが崩れてしまい、まさに地に足が着かない状態になる。

     

     だからといって脱力すればいいというものでもない。 ただ無節制に脱力することは、決して健康的だとは言えない。 そこで操体では、力みではなく、脱力でもない、ほどよく調和した快適な状態を維持することを目的としている。 だから 「頑張るな」 という言葉を用いて戒めとしているのである。

     

     今、世間では 「脱力」 が主流になっている。 これは根性主義や精神至上主義といった時代の反動から来る頑張ることへの反抗なのかも知れない。 昨今の健康療法においてもやたらと 「脱力」 が強調されている。 しかし、脱力やリラクゼーションは、力んで緊張している人を一時的に癒すことはできるが、免疫力等を高めることは決してない。 すなわち、楽にはなっても自然で快適な状態ではないということである。 まさに操体でいう楽と快の違いはここにある。

  • 操体における 「頑張るな」 とは ④「力み」

     頑張るというのはからだが 「力む」 ということに尽きるが、これは周りをよく観察することや、自分の心身の状況を感じる余裕もなく、ただ目的に向かって猪突猛進していく状態である。 当然、からだは感情や意志に強く影響されるので、強烈な力が出るときもあるが、力んでいるので全身が硬直して、いずれ心身のコントロール不能に陥ってしまう。

     

     このような頑張ることで力むというのは、最も幼稚な身体反応であり、からだにとっては不必要な身体感覚である。 また極度の心身硬直状態になることで免疫力が低下して、疾病に陥りやすくなり、からだの感性も麻痺させて体調の変化に対しても鈍感になってしまう。

     

     力むのではなく心身の緊張を解き、からだの自然な要求に耳を傾けることで、感じる余裕が出てくる。 すると、全身的な無駄のない動きが生みだされ、リラックスとストレス解消によって免疫力を高めてくれることが期待できる。

  • 操体における 「頑張るな」 とは ③「根性主義」

     昭和の時代にNHKの朝ドラで 「おしん」 というのをやっていた。 このドラマは、歯を食いしばって堪え忍ぶことを美化したストーリーであるが、この時代は中学、高校のスポーツ系の部活においても、死に物狂いでやれとか、頑張り通せといった 「根性主義」 がまかり通っていた。

     

     全身を過度に緊張させて、心身を鍛え上げることで、病気に負けない屈強なからだを作ることができるのだと皆が信じ込まされていた。 このような精神至上主義は、迷ったり悩んだりしている人には単純で分かりやすく魅力的なものであったはずだ。

     

     ところが、この根性主義や精神至上主義は、一概にその効果がないというわけでもない。 それらの主義主張は確かに危機的状況の中にあっては自らが選択するやむを得ない身構えでもある。 しかし、危機的状況においての根性や忍耐は緊急避難と何ら関係するものではなく、火事場の馬鹿力の例えにあるように、こういったからだの自然な反応は内なる筋肉によるものである。

  • 操体における 「頑張るな」 とは ②「スポーツ」

     頑張ることを余儀なくしているのは、一体どのような人だろうか? はじめに思いつくのが西洋から入ってきたスポーツをする人達だ。 それはオリンピックをはじめとする競争性・競技性を重視したからだの動きのことである。 

     

     具体的にいうと、ある特定の筋肉を発達させることにより、より速く・より長く動くために特別の鍛錬法が推奨されている。 そこでは、勝つため、記録を伸ばすために、からだの運動能力の限界を超えることもしばしばあり、日常の自然な動きはまったく無視されることになる。

     

     そのためアスリート達は、不自然なからだの動きからプロ・アマを問わずからだの故障に悩まされており、こういったストレスでかえって心身の不調の原因になっている。 これも自分に対して無理なプレッシャーをかけて頑張ったことによる副作用なのである。

  • 操体における 「頑張るな」 とは ➀「日常動作」

     今回のタイトルは操体では馴染の深い 「頑張るな」 とは です。

     

     操体で 「頑張るな」 とは、自分に対して心身に歯を食いしばるような無理な負荷、すなわちストレスをかけるようなことをするな! というからだからのメッセージであると私は受け止めている。 

     

     健康を維持しながら社会生活の中で、日常動作を効率よくこなしていくためには、過剰な緊張や無理な訓練などの特別な動きを頑張る必要はまったくない。 本来、からだに備わっている自然な動きを使いこなして、きもちよく動くことにおいて日常生活の動作を安全に無理なく達成することができる。

     

     日常生活において、我々が最も純粋な幸福感を感じるのは、からだを通して感じていくものだ。 それはからだがスムーズに動いているということで、たった今この瞬間の姿勢があり、四肢末端から腰の動き、そして全身へと連動していく日常動作は、最も基本的な生きがいであると言える。

  • 操体における「頑張るな」とは  その7

    最近は相性の良くない人にはなるべく近寄らないようにしています。

    むかしの話ですが当時付き合ってた彼女がものすごい遅刻魔でした。

    その彼女を遅刻させてないようなんとか更生しようと必死でした。

    結局は付き合っている間は全く改善しませんでした。

    当時を振り返ると人をなんとか気持ちを切り替えさせることしか考えていませんでした。

    今考えると無駄なストレスでした。

    この人をどうにかしようとする気持ちこそが頑張り過ぎだったようです。

    もっと北風と太陽のように何か温かい対応すれば、その遅刻も治ったかもしれません。

    とくかく最近は無理なんとかしようと思わないようになりました。

     

    一週間お付き合いいただきありがとうございました。

    来週からは岡村さんが引継ぎます。

    どうぞよろしくお願いいたします。

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  • 操体における「頑張るな」とは  その6

    怪我しやすい人をよく見かけます。

    私が思うにそのような人は怪我するべきしてしているような気がします。

    その人の行動を見ていると頑張り過ぎです。

    行動そのものが危ないなと感じます。

    私もむかしから余裕を持って行動しろとよく言われていました。

    やりすぎはやはり何事にも危険を生むようです。

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  • 操体における「頑張るな」とは  その5

    最近は年のせいか勝手に早起きしてしまいます。

    むかしのように朝バタバタして時間がないということはありません。

    そもそも寝る時間も早くなり、テレビを見る時間も極端に少なくなりました。

    その空いた時間で何かメモすることをしています。

    これからの行動。やっておかなければならないこと。最近か気が付いたこと。

    どんな細かなことでも書くことで自分と向き合う時間を作っています。

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  • 操体における「頑張るな」とは  その4

    最近は積極的にサボるようにしています。

    サボるというと聞こえがよくありませんが、

    喫茶店や本屋などで時間を潰して自分を見つめ直す時間を取りたいと考えています。

    少し余裕を持つといった方がいいかもしれません。

    なかなか時間が取れないという人は積極的に時間を取ること、

    つまり積極的にサボることを避けているのかもしれません。

    日々の仕事をこなしているとなんとなく安心感が増してくることがあります。

    そこであえてサボる=頑張り過ぎないことを取り入れるようにして日々過ごしています。

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  • 操体における「頑張るな」とは  その3

    俺も頑張っているんだから、お前も頑張れとずっと思ってました。

    ギブアンドテイクで全ての物事が動いている世界では何も生まれないことを最近実感しています。

    人は一人では生きていけないことを認識しています。

    誰かの力を借りないといけない状況は多々あります。

    しかし、それを強要することはできません。

    操体でいう頑張るなとは努力をしないということではありません。

    適当に力を抜くと言った方がいいかもしれません。

     

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