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  • 手の内と小手先

    操体を学ぶと今までと違った感じ方になったりする時がある。
    今までよりも、少しだけ敏感になったりする事がある。
    普通は通り過ぎるような事を少し感じたりするようになった。

    武術も操体も筋肉だけの動きじゃない。
    身体の内側の動きを感じないと上手くいかない。

    僕はそう感じる。

    そうすると手の内と小手先って言葉に何かを感じる。

    小手先って一部分しか使わないから力がない。
    本当の力だけじゃなくて仕事でも芸事でも
    目に見える部分しかやらないって事かな。

    そんなんじゃ上手くいかない。
    もっと真剣に内側まで見えない部分まで取り組むと
    全く別の結果になると思う。

    手の内って手を使う時に手の先まで何かの力があるって感じ
    僕はそんな風に感じる。

    身体全体を上手く使うと手の内が出来る。
    目に見える部分以外まで神経を巡らせる事をする。

    臨床でも仕事でも芸事でもきっと同じコツがあるのを感じる。

    操体でも介助を行う際にただ手で持ってもどうにもならない
    自分自身がきちんとした身体の使い方が出来なければ
    どうにもならない。

    手技を使うのに手だけではどうにもならないって僕は思う。

    武術で殴るという事も同じ
    ただ手で殴っても痛いだけ、相手を倒すには
    手の先にある力も使わなければどうにもならない。

    身体の中にある別な力、それは分かってくると当たり前
    の事になる。

    僕は武術と操体を学んで少しずつ感じて分かりつつある。

    患者と一緒に気持ちが良くなる。
    それは手の先の力がなければ良く分からないと思う。

    次回のフォーラムの実技では介助してる手の先に注目して
    ご覧になると面白いと思います。

    実行委員はみんな小手先の技術でない手の先の力を持ってますから
    手の内に気が付いてから実技を見ると凄く面白いって思います。

    身体の中の動きがあるから普通は出来ない事が出来るように
    なるような気がします。

    それは特別な事でも実はない。

    気が付くか付かないかそれだけなんです。

    気が付けば当たり前。

    気が付かなければ魔法。

    それが面白いんです。

    武術と操体には魔法のコツがあるんですよ。

    それは気が付けば誰にでも出来る魔法なんです。

    怪しくない説明出来る魔法。

    世の中にはそんなのが実はいっぱいあるんでしょうね。

    仕事でもスポーツでも成功してる人はそんな魔法を
    使ってるのかな。

    そんな風に気が付くと面白いです。

    平直行

  • ご縁に恵まれてるんです。

    僕は武術でも操体でも、何でも実力はそこそこなのですが。
    ツイテルとかご縁に恵まれてるのは自信があるんです。
    不思議と良い感じがやってくるんです。

    先日とある雑誌で柳生心眼流の先生と対談させて頂きまして。
    ツイテル僕は何故かそこの編集者と仲良くなって
    不定期に僕の勉強になる先生方と対談させて頂く事になったのです

    柳生と言えば伊達藩いまの仙台なんですね。

    それで始めから凄く面白く対談させていただきました。

    僕は仙台出身で操体も仙台ですから。

    対談では面白い話を沢山聞かせていただきました。

    昔は手技療法といえば柔術家の事だった。
    柳生では人体を家と見る。
    だから首がおかしいからといって首は診ない。
    家全体の歪みを診る。
    首だったら身体全体の歪みを診る。
    だから首が悪いのに足を診たりする。

    何か操体みたいです。

    柳生では整体とは書かないで正体と書く。
    これって操体に影響を与えた正体術と関係あるのかな。

    凄く面白い共通点があって。
    考えてみれば橋本先生は民間から学んだという記録があるから
    仙台で昔治療と言えば柳生だったとの事。

    きっとどこかに接点があってもおかしくはない。
    そう考えると面白いんですね。

    凄く面白い話でした。

    柳生は武術ですので、身体を治すだけでは足りない
    相手に勝つために治療以外の知恵が沢山在るんです。

    操体では手は小指、足は親指といった原則があります。

    柳生では手と足5本の指それぞれに意味があります。
    命を賭けた闘いの知恵は5本の指全てを大切にする必要が
    あったのでしょう。

    ツイテル僕は対談の後日に行なわれた。
    柳生の先生のセミナーに学びに行って
    休憩時間に何故か付きっ切りで教えていただきました。

    次回のフォーラムではショートプログラム
    武術としての指の考え方

    そして操体の現在、過去、未来といったテーマ
    に沿ってというか少し飛んで、操体前武術の時代

    をお話させて頂こうかと思っています。

    ご興味のある方にご参加頂ければ幸いです。

    平直行

  • 子供空手と操体

    色んなご縁に恵まれる、僕は近所で子供達に空手を教えています
    何となく始まった子供空手教室は沢山の楽しい時間嬉しい時間を
    僕にくれます。

    もともと普通に自分の練習で通っていたジムが近所にあって
    子供の友達やご両親とも仲良くさせていただいてるので。
    子供達が一緒に空手をやりたいと言い出しました。

    それで、始めは教室でなくジムの空いてる時間に場所を借りて
    みんなで遊ぼうかな、そんな感じでした。

    ジムの人に尋ねてみると。

    調度空手教室を開く為に、先生を探していたそうなのです。

    あっという間に僕はそこで空手教室を始める事になり。
    いまではお陰さまで沢山の子供達が通ってくれています。

    何となく上手くいくのが僕の得意技なのです。

    最近の子供達は習い事とかあって結構大変。
    月曜日の空手教室でもお疲れの子供もいるのです。
    おいまだ週の初めだぞとか思うわけです僕は。

    ある日の事、何となくいっぱい疲れた子供が目に付いたので。
    思いつきでこんな事をやってみました。

    「みんな、何か今日疲れてる子多いな。」
    「練習の前に面白い事やろうか。」

    こんな言葉に子供って反応するんです。
    次に何をやるのか興味津々になってます、

    「いいか、練習の前に寝てごらん。」
    「疲れたまま練習してもつまんないから。」
    「ごろって気持ち良く寝てごらん。」

    見学のお母さん達、普通は何をやってるんだろうこの先生は
    そう思うのですが、うちはいつもこんな感じなので普通に見てます。

    あーまた何か始めるな。

    そんな軽いのりで僕のする事を見てます。

    「寝るって言っても本当に寝ちゃダメだよ。」
    「ごろんって気持ち良く床に寝てね。」
    「それで、身体を自由にゆっくり動かしてごらん。」

    「きっと気持ちが良い時があるんだ。」
    「自由にゆっくりやってごらん。」

    「あっ目はつぶろうか。」
    「人の真似をしないでね。」
    「自分の身体だから自分が一番気持ち良いように。」

    「自分で自由にやって良いよ。」
    「凄い形になってもいいぞ。」

    子供達何となく真剣にやりだすんですよ。
    こんな遊びを。

    「手はどんな形が気持ち良いかな。」
    「足はどうかな、自分でゆっくり動かしてごらん。」

    疲れていた空気が段々動き出します。
    何となくまったりゆっくりの空気に全体が変わっていきます。

    子供達は自由が好きだから自由にさせときます。

    2分もするといびきとか聞こえてきました。
    (これ本当なんです。)

    気持ちの良い場の空気が感じられます。

    「みんなじゃあ目を開けてごらん。」
    「気持ちが良かった人は手を上げて。」

    みんな手を上げてくれます。
    子供ってこういう感覚に敏感なんです。

    それを妨げる事を大人たちは本当はやってはいけない。
    僕は子供達に接してそう感じます。

    「良かったな。」
    「じゃあ隣の人、周りの人見てごらん。」

    「みんな形が違うでしょ。」

    「でもみんな気持ち良かったよね。」
    「面白いんだよ。」

    「みんなが気持ちが良いってみんなが自由にやって良い事。」
    「みんなが違ってるんだよ。」
    「でもみんな同じなんだ。」

    こんな事を僕は小学校の低学年や幼稚園児に言ったりします。

    分かったのか分からないのか、見学のお母さん達も
    どう感じたのかは関係ないんです。

    子供達は言葉じゃ分からないけど何となく
    言葉の奥の何かを感じてるのを感じるんです。

    僕は言葉で説明はそんなにしないんです。
    子供に分かりやすい言葉はあえて使わない時があるんです。

    そうやって言葉で説明出来ない何かを感じてもらうんです。
    大人よりも敏感な時期に何かを伝えたい。

    学校じゃないんですから空手を学ぶって事は
    だから学校ではやらない事しか僕は教えないんです。

    操体を学ぶとこんな事が面白いなってなってくるんです。

    自分が一番楽しんでるかもしれないのです。

    僕は人に教えながら凄く色んな事を学ばせていただいてます。

    平直行

  • 面白き変化

    今日はこちらは朝からシトシト雨が降っています。
    良い感じの朝です。
    昔は雨とか面倒臭いなとか思う人だったのですが。

    操体を学んで少し変わってきました。
    雨の日も良いなです。
    シトシトした感じが良いんですよね。

    今くらいの雨は少しだけ残ってる冬に

    そろそろお仕舞いだよご苦労さんでした。

    何となくそう伝えてるような感じを今朝感じたんです。
    そんな日々の変化が面白いんですよね。

    面白さや楽しさ気持ち良さって探すんじゃないんですよね。
    多分ある事に気が付けば良い。

    僕はそんな風に楽しい日々を過ごしてます。

    僕は道場で教える事も面白く変わってきてます。

    自分が選手だった頃って、痛みや辛さに耐える日々。

    耐えるよりも自分から進んでそんな道に行く。
    それが練習だったんです。

    それも大事な時間、プロだったからそんな事も必要だったのかな。

    僕はよくこんな事を話します。
    入門してきた人には大体こんな話をするんです。

    「朝元気に目が覚めて一日元気に過ごして。」
    「夜寝たら一日の疲れがちゃんと取れる。」
    「そんな毎日の中に道場がある。」

    「そうしたら自然に強くなってるよ。」
    「毎日疲れて辛かったら強くならない。」

    「そう思わない。」

    「だからここでは技も教えてるけど。」

    「昔の人の知恵を学ぶんだよ。」
    「何千年もかけて創りあげたものを。」
    「命がけで創ったものを学ぶ。」

    「これが武術だから。」
    「しかもいまは命賭けなくても良いんだから。」

    「楽しい時代に武術を学べるんだから。」

    「楽しさやありがたさをいっぱい感じると面白いよ。」

    「武術をきちんとやれば健康になっていくんですよ。」
    「その為の知恵が武術にはいっぱいあるから。」

    「ただ技だけやってもそれは中途半端。」
    「中途半端じゃ強くも健康にもならないから。」

    「だから健康になる事もここでは学ぶんですよ。」

    「そうすれば毎日面白くなる。」
    「その方が楽しいでしょ。」
    「強さは健康の上に載るものなんですよ。」

    こんな話をしながら僕は武術をそして操体を混ぜながら
    生徒達に教えてます。

    しかめっ面をして痛みに辛さに耐える。
    それも大事、でもそれはホンの一部分だけなんです。

    それは、沢山じゃない。
    それは、なくても実は大丈夫。

    それに僕は気が付き始めたんです。
    操体は色んな事を教えてくれるんです。

    知ってますか、プロ選手の控え室って笑い声が結構ある。
    試合前に笑顔が多い選手って大概勝つんです。

    控え室からリングに向かう花道に移る瞬間に
    選手の顔つきは変わるんです。

    控え室で顔が変わったら早すぎる。
    そんな選手は大概勝てない。

    みんなはリングの上しか知らない。
    だから練習も日常もリングの上を真似する。

    それじゃ勝てないし毎日辛い。
    だから、僕は道場でこんな話を良くするんです。

    面白い日々を、面白き変化を僕は日々味わっています。

    平直行

  • 武術と操体

    今週担当の平 直行(たいら なおゆき)です。
    3年程前に三浦先生の元に弟子入りしまして。
    1年程マンツーマンで指導して頂きました。

    その後も少しずつですが指導を受けて
    現在は大操体法研究所として開業しています。

    僕は格闘技の道を30年、プロとしては16年のキャリアで
    引退、それから不思議なご縁で操体と出会い現在に至っています。

    仙台出身の僕は何の根拠もなく、絶対に橋本先生と仙台の町で
    すれ違った事があると信じています。

    操体の施術をさせて頂きながら
    毎日柔術と空手を教えて日々を楽しく過ごさせていただいています。

    まだまだ人間を壊す方が得意というフォーラムメンバーの中で
    変わったキャラです。

    操体を通じて学んだ事を道場でも教えるようにしています。

    今週は武術と操体を学んでこんな教え方をしてる。
    僕の日常を書きたいと思っています。

    僕はこんな事を感じてます。

    橋本先生の施術をしていた時代の日本人と
    平成の日本人では全く別物と考えなければいけない部分
    もあるのではないか。

    当時の日本人の体格と体力と平成の日本人は別物である。
    朝礼で立っていられない小学生とかは昭和の時代は
    それだけで病的な小学生でした。

    でも平成の時代では普通になりつつあります。

    患者さんでも治すのではなく、普通に運動をした方が
    良い人もいます。

    どこに行っても治らない人が
    少し運動をさせたら治った。
    僕は結構経験してます。

    操法ではなく運動で治る。
    昭和の時代ではおかしな事でも平成では普通にあります。

    使いすぎでおかしいのではなく
    使わない事で症状疾患が起きている。

    この時代に僕が武術と操体を一緒にやっている意義が
    もしかしたらそこにあるかも。

    僕は勝手にそんな風に考えて。

    勝手に橋本先生に天から面白い奴がいるなって
    思って頂けたらそう考えて
    真剣に武術と操体に取り組んでます。

    それでは次回は入門した人に僕が良く言う言葉を
    書きたいと思います。

    今週飽きずにお付き合いいただければ幸いです。

    平直行

  • 操体庵ゆかいや物語(7)

    こんにちは、佐伯惟弘です。今日は、私が担当するブログ週間の最終日です。昨日は、10数ページの長編になってしまいましたので、今回は先日の臨床体験を、短めにまとめてみようと思います。

    <渦状波>

    クライアントは、52才の女性Aさん。昼間は西陣の帯を紡ぎ、夜は皿洗いのアルバイトをしています。小柄でやや小太り。肩胛骨から腰背部にかけてヨロイを付けたように、後彎曲しています。Aさんが、操体を受けるのは今回初めて、指圧等の民間療法も全く受けたことが無いそうです。

    過労のための腰痛。左体側を下の側臥位から、仰臥位になるとき、右腰に痛みが走るそうです。仰臥位になると、右胸郭がかなり膨隆し、下肢の左右差は1cm(左の方が長い)。

    下肢全体が張り、どこを触っても圧痛点がありそうな様子。案の定、膝裏屈曲部には、数カ所、米粒半分くらいの硬結が横断して点在。腓腹筋を上から下へ触診すると、触れる指すべてに圧痛点を感じるくらいに張りがあります。そのため、逃避反応は極めて顕著。アゴを反らし、右に左に腰を捻転。左足は指を底屈位。

    これだけの逃避反応があると、動診から動きの操法へと導くのが、常道だと思うのですが、何故か頚椎の左右圧痛点の渦状波から入りました。

    仰臥位のまま、しばらく経過。
    「あっ、、光が見える。ブルーとむらさきの、、、、」
    「う〜ん、そうですか〜、、、、、、、、また、、、色が見えたら教えて下さい。」

    「あっ、明るいみどり、、、赤も、、、横から流れています。今度は、からだの中心から広がっています。」
    「ほっ〜、、、いいですねえ〜、、、」

    「今度は、からだの中心に向かって流れています。」
    しばらく経って、
    「今は、黄色から少しずつ白っぽくなってきました。」
    「なるほど〜、、、また、、変化があったら教えて下さい。」

    「灰色っぽい白になって、真ん中で止まったまんまになりました。」
    ある程度、光が見える現象がおさまってきたようです。

    Aさんの頚椎から、触れている両手をゆっくりと離しました。今度は、頚椎から最も離れた足元に回り、約10分間、足趾の操法(足指のマッサージ)。
    悲鳴を上げている腰からはなるべく遠回しに操法を行うのが原則です。そして、この操法の間に、クライアントのからだのメッセージを感じとることが肝心。
    Aさんの左足第4、5指間に圧痛点がありました。

    そこで、その圧痛点に再び、渦状波をすることにしました。すると、頚椎の渦状波と同様、Aさんの網膜には鮮やかな色の光が広がり、やがて白っぽくなり穏やかに治まってきました。その間、おおよそ10分。

    今度は、渦状波を当てている私の右手の第3,4指はそのままにして、Aさんの右膝に私の左手をあてがい、皮膚の走行感覚のききわけをおこないました。
    皮膚を上下、左右にゆっくり動かし、4方向の中で一番感じのよい動きを操法としておこないます。
    これは、右手による点の渦状波と左手による面の渦状波を同時におこなう操法を試みたことになります。
    すると今度は、光を感ずることはなく、ボ〜〜とするような気持ちの良さを感じるだけとの事でした。

    ある程度落ち着いてきたので、再び膝裏屈曲部の触診をしてみました。随分硬結がとれ、下肢全体が軟らかくなっています。ただ左膝裏屈曲部外側に逃避反応をしめす硬結があるため、そこに渦状波をすることにしました。

    今度は、黄色と白の光が飛び交い、次第に白っぽい光だけとなりやがて動かなくなっていったそうです。落ち着いたところで、施術終了。

    しばらく休み、ゆっくり起きあがって戴こうとすると、Aさんがかつて体験したことのない「立ちくらみ」があるそうです。
    もうしばらく休んでもらい、徐々に起きあがって戴きました。

    今度は大丈夫です。下肢の左右差もなくなり、随分足が軽くなったとニコニコ顔。

    このまま家に帰り、ゆっくりしていただければ良かったのですが、この日は、皿洗いのアルバイトがあるとのことで、急いで帰られました。

    ところが、、、、、

    翌日、座った状態から立ち上がると、ひどい立ちくらみ。
    「クラクラして、びっくりしたわ!」

    その翌日、
    「ちょっと、良くなったけどまだある〜!」

    そのまた翌日、
    「だいぶよくなったけど、まだある〜!」

    そこで、初診から4日後に再び施術をすることにしました。
    整ったはずの下肢の左右差が再び1cmありました。膝裏屈曲部、腓腹筋を触診すると、「前回ほどじゃないけど、痛い!(本人の弁)」という程度の圧痛点が点在しています。
    前回と同じ逃避反応も見られます。また、左体側を下の側臥位から、仰臥位になるとき、右腰にまだ少し痛みが走るそうです。

    今回は、動診から入り動きの操法をおこなうつもりでしたが、どうしても右胸郭の膨隆が気になり、そこの最大圧痛点に渦状波、右肘内側に面の渦状波をおこなっていました。

    「今は、どんな感じですか?」
    「なんともありません、、、、」

    渦状波の施術から7,8分後にこの返事。
    色の光を、多少期待していたのですが、、、全く予想がはずれました。

    ただ、圧痛点は消失し、右胸郭の膨隆もかなり治まっていました。

    そこで、動診を通すことにしました。
    仰臥位両膝1/2屈曲位で両足関節の背屈。
    仰臥位両膝1/2屈曲位で両手、両足関節の背屈
    仰臥位両膝1/2屈曲位で両足を操者の膝に乗せ、両膝傾倒
    仰臥位両膝1/2屈曲位で両膝右傾倒の状態から、つま先を支点にして踵挙上
    仰臥位両膝1/2屈曲位で両足先を操者両手で支え、宙に浮いた体勢から傾倒
    仰臥位右膝1/2屈曲位で左足関節の底屈および、右膝面の渦状波

    Aさんは動きの操法は、初めて。
    しかし、力みもなく自然にやれ、快適感覚もききわけられました。納得するまで気持ちよさを味わい、脱力も自然にできました。
    その後は、足趾の操法(足指のマッサージ)約10分間。

    前回と同じ、左足第4、5指間に渦状波を。

    「今は、どんな感じですか?」
    「なんともありません、、、、」

    最後に頚椎に渦状波。

    「今度は、どうでしたか?」
    「なんにもありません、、、私、光が見えると思ってたのに、、、、、一回だけ、青っぽい光が見えただけ。
    それから、前のときは、最後には、光の中に黒い点が数個飛び回って、、、、こんなこと言ったら、変と思われるから黙っていたけど、、、、」
    と前回は良かったのに、今回は全く面白くなかった、と言いたげでした。

    そこで、
    「あのね〜、Aさん。あまり反応がなくて光が見えなかったのは、かなり、からだのね、、、、バランスがよくなっている証拠なのよ。
    そして、初めての施術のあと、ふらついたでしょ?あれはね〜、、、からだが経験したことない施術を受けたわけでしょう〜、、、、驚いて、過剰な反応をしたんだと思うよ。」
    と告げました。ただ、あのふらつきは、施術後のアルバイトで、からだを動かし過ぎたのが原因かもしれません。

    その後、膝裏屈曲部の硬結をチェック。かなりゆるみ、逃避反応はありません。下肢の左右差もなくなり、腰痛もありません。
    この2回で施術は終了。後日、電話で様子を聞いてみましたが、ふらつきも腰痛もないとのことでした。

    Aさんのケースは、典型的な渦状波による臨床だと思い記載しました。
     (完)

    一週間のお付き合いどうも有り難うございました。
    来週は、何と!!超人気漫画「グラップラー・バキ」のモデルにもなった、格闘家・平直行さんの登場です。         お楽しみに!!

    佐伯 惟弘

  • 操体庵ゆかいや物語(6)

    こんにちは、佐伯惟弘第六日目のブログです。東京での修行中、一本の電話が、掛かってきました。それは、、、、、、

    ■出会いは「蔵」

    「もしもし、、、河鹿荘の中井です。」
    以前、京都・美山町(私の家があるところ)で働いていた宿泊施設の館長から電話。改装した大浴槽の横に、六畳の畳部屋があり、そこで、操体をしないか?というお誘いでした。

    有難いお話ですが、お断りしました。操体を勉強していくうちに、私の計画が大幅に変わっていったのです。当初は、一年間で修得し、アメリカで開業するつもりでした。ところが、操体の奥の深さと私の能力を考え会わせたならば、三浦先生のおられる東京で開業するのが一番良い、と思うようになっていました。

    それでも、報告がてら「美山での開業」の話を三浦先生にしてみました。すると、「やってみろ。」という意外な返事が戻ってきました。

    話は、トントン進んでしまい。いつしか、美山に帰ってしまいました。

    ただ、私の家はある家族に貸しているため、転がり込むことはできません。友人の梅棹マヤオさんの蔵(陶芸工房)二階にある物置が生活の場となりました。そこで、たまたま出会ったのがジョアン・ミロの画集でした。

    私が、操体を学ぶようになったのは、「ジョアン・ミロの啓示」を受けたからなのですが、この話は長くなるので省略します。とにかく、気になる人の画集が眼の前に、、、、

    画集を眺め、読んでいくうちに、文章を書いてみたくなったのです。こんなことは、滅多にありません。私は、もともと文章が苦手で、一日掛けて2〜3枚の手紙しか書けず、元妻からバカにされていました。
    そんな折り、東京操体フォーラムから文章依頼がありました。もうこうなったら「渡りに舟」とばかりに、コンピューターの前に座りこんだのです。

    その結果できたのが「ジョアン・ミロの記憶」。幸いなことに、この文章がきっかけで、スペイン・マジョルカ島ジョアン・ミロ美術館で二ヶ月のワークショップをすることになったのです。

    今回は、第一回東京操体フォーラムの文集に掲載した「ジョアン・ミロの記憶」を手直ししたものを紹介いたします。ただし、かなり長い文章(約10ページ)です。お急ぎの方は、次の機会にどうぞ、、、

    ジョアン・ミロの記憶」

    私は20年間美術の仕事に携わりましたが、自立不可能であることをやっと悟り、操体の道を歩み始めました。2年半ほど前のことです。操体を始めて間もない私が操体を語っても数行で文章が終わってしまいます。

    そこで、私の敬愛する美術家ジョアン・ミロを知識不足、経験不足、感覚不足にも拘わらず操体的観点から描きだそうという無謀な試みを企ててみようと思います。(橋本敬三先生、ジョアン・ミロ様、私の傲慢さをお許し下さい)

    ここで、ジョアン・ミロをご存じない方に、簡単な紹介を致します。

    1893年スペインのバルセロナに生まれ、ピカソ、ガウデイ(建築家)と共にスペインを代表する現代美術の巨匠。抽象美術、シュールレアリズムなどの潮流に身を置きながら、ユーモアと生命感溢れる作品をつくり続ける。彼独自の芸術活動を生命形態的形式と称される。1983年没

    <はじめに ― ミロとの出会い>

    私は、愛媛の片田舎にある神社生まれ。父親が中学校の美術教師であったことから、本棚には画集が数多くある環境で育ちました。小学校6年生になっても、神社の境内が最高の遊び場。日が暮れるまで、近所の友だちと過ごしました。
    そこは、鎮守の杜を背にし、境内を小川が流れ様々な小動物が生活する楽園でした。沢ガニ、エビ、ヤゴ、ハンミョウ、石垣からはコケの群生。それらをなめるように見つめるたびに、何ともいえない高揚感が、からだに溢れてきたのを覚えています。

    そんな私にとって、雨の日は少々憂鬱でした。仕方なく弟と相撲を取ったり、マンガを描いてみたり、、、、そんな時に、ミロとの出会いがありました。

    「大人になっても、こんな子供みたいな絵を描いてええんか、、、楽しそうじゃのう、、、、、」
    大人とは、祖父のように難しい祝詞や俳句を読み書きできる人。そう思いこんでいた私にとって、心をすっかり解放し、からだをゆるませてくれる出会いでした。ゆるみっぱなしのからだで、画集をボッーと眺めていたことを覚えています。

    幸いにも、ミロが知識人で思想家であることを、少年の眼からは見抜くことが出来なかったようです。ところで、ゆるみっぱなしのからだに一体なにが起こっていたのでしょうか?ミロの画集をめくりながら、当時の私を追体験してゆきたいと思います。

    <ミロと動きの操法

    1910年代のミロの絵は、様々な芸術家や絵画運動の影響を受け変貌をとげましたが、全ての絵は風景画、静物画、人物画という具象画の範疇に収まっています。

    3次元のものを具象的に2次元の画面に描く場合、自然の摂理を理解しなければ描けません。
    具体的にいうと、草原に一本の立ち枯れの樹があるとします。その樹は、空洞化が進み所々に穴が空いています。ところが、根本から新芽が顔をだし、勢いよく伸びておりその生と死の対比に感動。これを2次元の画面に表現しようとします。

    その時、描き手は自分の眼の位置を定め、太陽の位置を確認します。太陽と樹と眼の位置を把握した上で、樹とその周りの空間・位置関係を認識していきます。
    また、樹があるところまで行き、手で触れその材質感や構造を認識することは、重要なことです。

    そして、描き始めますが、太陽の位置は刻々と変化するため、見えた通りに描こうとすると収まりがつきません。そこで、太陽の位置を想定したイメージに従いながら空間を創造する力が必要になるのです。この時、自然の摂理を理解していなければ、空間が出来上がりません。

    この時の自然と向き合う姿勢は、操体における、問診、視診、触診そして動診に当たります。自然や人体をあらゆる角度から観察し理解する重要な過程です。

    そして、2次元に描く行為が、自然の摂理である連動を基本とする「動きの操法(第一分析、第二分析)」になります。1910年代のミロは、はっぱの葉脈までも克明に描くほど、自然の摂理を理解しようとしました。丁度その頃のミロは、「動きの操法」の真っ只中にいたわけです。

    1923年以降のミロは、対象物にこだわらず、生命そのものと向かい合い、描くようになります。いわば、「皮膚に生命感覚を問いかける操法(第三分析=渦状波)」へと移行していったのです。

    <ミロと渦状波 1>

    「デッサン・コラージュ」(1933)という作品。これは、すすけた黄土色を基調に、女性ともカタツムリともつかない黒い線のドローイングです。
    その上に風景画と静物画の絵葉書、幼い二人の女の子の写真、あとは機械の部品のようなものの写真が貼ってあります。

    一瞬「何これ?こんなのあり?」既成概念の打破による不安と解放、そして、全く異質な物のぶつかり合いから生まれるめまいのような状態。

    この感覚は、私が小学校6年のころ流行っていたテレビ番組・シャボン玉ホリデーで覚えがあります。植木等が番組の進行とは全く関係ない格好で登場した瞬間のユーモアと開放感、これに通じます。(番組では植木が場違いに気付かずしばらく演じ、気付くと絶妙の間合いで、「およびでない?これまた失礼いたしました!」という定番のコント)

    これは、渦状波(皮膚に問いかける操体法)における意識飛びの現象に通じると思うのです。意識飛びの現象は、癒されたいというからだの要求が瞬間的な眠り、しびれ感、浮遊感等をつけてきます。

    二つの物質(ドローイングと写真)の途轍もない距離を一瞬にしてうめようとする時に生ずる浮遊感。これは、アコヤガイが真珠生成する時、異質(核)を同化しようとする生命力そのもの。その違和感ゆえに生じる「生命力の美」を、ミロはコラージュで表現しようとしたのではないでしょうか?つまり、癒されたいというからだが瞬間的につけてくる快を「生命力の美」として視覚的に表現したのではないかと思うのです。

    <ミロと渦状波 2>

    「夜と朝の雨に歌うナイチンゲール」(1940)この作品は、灰色のザラザラとした画面に黒、赤、白、青の原色を使った記号のような形が踊るように散りばめられ、楽しくユーモアに溢れています。

    第二次世界大戦勃発、ドイツ軍のフランス侵入にともないミロ一家は、戦火をまぬがれるためフランス、スペインを転々としました。ミロがそんな時、ランプの炎の下で夜空を思いめぐらせながら描いた「星座」シリーズのうちの一点です。

    ミロはこの作品に関して次のように語っています。
    「、、、ランプの油が、尽きようとしているのが眼に見えているのに、なお炎を聖化しようとするものがあるとすれば、それは何なのか、、、、これらの「響き」、、、最上、そして唯一の真の意味における、運命に対抗しうる力をもつように見えた、ひとつの神秘的な要求が生まれたのである。」

    ミロは、最も自己を追いやられている時、ある「響き」に導かれ生命力溢れる作品を生みだしたのです。戦場を暗示する灰色を基調に、黒で生命を記号化し描き込み、赤、白、青の原色を彩色することで生命そのものを吹き込んだように感じられます。また。赤を中心としたこれらに原色は黒と必ず隣接して彩色されています。

    このことに気付いた時、三浦先生著の「快からのメッセージ」裏表紙に描かれている絵を連想しました。その絵は黒の画用紙に、赤、白、緑のクレヨンで夜空に浮かび上がる魂(もし魂に色と形があるとすれば)のように円形に塗り込まれています。

    ある患者さんが渦状波時の「色をみせられる現象」を再現したものです。この現象により歪体化したからだが、快適感覚(快感度が強ければ、より鮮明な色が見えます)を得、からだの正体化を促し疾病が改善されていきます。

    ミロは、ランプの炎が消え入りそうな暗闇で、鮮やかな原色をイメージし、運命(戦争)に対抗しうる力を感じ、追い込まれていた自己を癒したのだと思います。実のところ、ランプを前に神秘的な要求として見いだした「響き」は、渦状波における「色をみせられる現象」だったのではないでしょうか。

    <ミロと渦状波 3>

    「花火3部作 2」(1974)この作品は、オートマチスムという偶発的、無意識的に線や色を描き潜在意識の世界を探る手法。立てかけた画布に、灰色と黒の薄めたペンキを柄杓(ひしゃく)でまき散らし、赤と黄の彩色を二カ所もうしわけ程度にしている作品。ただ偶発的にできた形を楽しんでいるだけに思えます。

    「絵画1/5」(1960)これは、霞がかったくもり空のような画布に、黒いシミと色鉛筆によるなぐり描きをしただけの作品。この2点は、ミロの強烈な個性を感じさせる多くの作品とは対照的。ミロの絵画を良く知っている人でも、この2点を見ただけでミロの作品であることを言い当てるのが難しいほど、没個性的です。しかし、肩肘を張っていない分、広がりと生命力が感じられます。

    これらの偶発的、無意識的に描かれた作品は、渦状波の「からだが無意識に動く現象」に相当するように思います。この現象は、からだが治癒に向けてつけてくる無意識の動きで、気持ちのよさを満たすことにより、生体のバランス制御、心の調和を促します。

    ミロの個性豊かな作品が整然と並んでいるアトリエを想像してみて下さい。几帳面なミロは「たまには、息抜きをした絵を描きたい」と、思ったかもしれません。そんな時、無意識のうちにこのような作品を生みだしていった、と考えても決して不思議ではありません。

    <ミロの芸術は生命形態的形式>

    1921〜22年に描かれた初期の代表作「農場」について述べてみたいと思います。これは、モントロイグというミロの父親の別荘があるところの農場を描いたものです。

    青い空と赤茶けた大地が画面の上下を二つに割り、左にはロバのいる納屋、右にはウサギやニワトリのいる小屋、中央には大きなユーカリの樹。壁のヒビ、トカゲ等の小動物、バケツやジョウロなどの日用品なども全て対等に精緻に描かれています。

    この作品はしばらくの間、ある画商の手元にありましたが、全く売れないため画商が小さく分割してばら売りにする事をすすめました。それを聞いたアーネスト・ヘミングウェイが、なけなしの金をはたいて買ったという逸話のある作品です。ミロは次のように言っています。

    「ひとつの風景を前にして仕事をするとき、私はまず、その風景に愛情を抱くことから始めます。そうしていると、ゆるやかな理解が芽生えるのです。それは太陽の恵みをうけた大きな色調の豊かさー濃厚な豊かさーへのゆるやかな理解です。風景のなかで、ひとつの葉脈への理解を願うこと、なぜ木や山と同じように美しい葉脈をさげすむことがありましょうか。原始人や日本人を例外として、何人もこれらの素晴らしい事物に興味を示さないのです。人は大きな樹海とか、山塊を探し求めて描いても、小さな花、葉脈、激流の小石がかもし出す妙なる響きを聞きもらしています。」

    これらの言葉に秘められたミロの思いを、私なりに描いてみようと思います。このなかで、ミロは原始人と日本人以外は、小さな花、葉脈、激流の小石がかもし出す妙なる響きを聞きもらしていると述べています。

    それでは、原始人と百年ほど前の日本人(残念ながら現代日本人とは、言えません)とが聞いていた妙なる響きとは一体何なのでしょう?

    それは、原始人におけるアニミズム八百万の神を信じる神道における自然崇拝や感謝の念を通して感じることのできる「波動」ではないでしょうか。

    ミロは日本人の感性で風景を構成している全てのものに思いを馳せ、愛情を抱き、太陽の恵みに感謝したのだと思います。事実、ミロは「モントロイグというところは、私にとって宗教のようなものです。」とまで言い切っています。

    そして、1920年以降、冬はパリで夏はモントロイグで過ごすようになります。パリでは最先端の流行を感じとり、モントロイグの自然のなかでは、自己を含むあらゆる生命と向き合う生活を送ったのです。このことは、ミロを理解する上で非常に大切なことだと思います。つまり、モントロイグという宗教のおかげで、大きな美術潮流の真っ只中に身を置いても、ミロの芸術は、揺るぎない変貌をとげることが出来たのです。

    モントロイグの自然から受ける波動を自己のからだ(ミロは、手であると言っています)を介して形にしていったのです。そして、「私は自分が植物であるかのように感じます」とまで言っています。

    植物は人類発生以前から存在し、人類滅亡後も存在してゆく生命の源ともいえます。つまり、太陽エネルギー、二酸化炭素、水を元に葉緑素で糖と酸素を生成する植物は、地球上唯一の生産者であり、物をとめどなく生産していると勘違いしている人類はじめ、その他の生物は、じつは消費者であるという事実を、ミロは感じとっていたのです。

    それゆえ、少々傲慢に聞こえる「自己の植物化」を敢えて宣言し、ミロの芸術は「生命形態的形式」であるという評価を得ることになったのです。

    <二人の巨人の共通点>

    ここで、話を操体に戻します。橋本敬三先生の思想はあまりにも深遠で私の頭では消化しきれません。そこで先生の著書「生体の歪みを正す(創元社)」の306,307ページより引用いたします。

    「波動は(+)(-)という二つの異質なものが存在する事によって、その引き合いや跳ね返しにより、そこに動きの波ができる、これがエネルギーとなるわけです。科学の最高の指導原理と言われる唯物弁証法は、(+)(-)の存在までは認めるが、(+)(-)は誰が決めたかということは言いません。

    ところが日本の古事記には、原初に成りませる神の御名は(アメノミナカヌシノカミ)とあります。次に成りませる神の御名は(タカムスビノカミ)(カミムスビノカミ)。
    この三柱の神は、御身をかくし給いき。在るというのはわかるのだが、お姿は見えないというのです。あとのお二方の神は別名(アメノヤノボリノカミ)(アメノヤクダリノカミ)とも言い、(+)(-)の神様というわけです。

    世界中の神話で、こんなすばらしい神話は比類がありません。、、、、、、、、、、
    (アメノミナカヌシノカミ)とは宇宙現象創生の中心理念であって、(+)(-)を設定して、そのムスビーすなわち愛とその法則によって万象を具現したものだと、われわれの祖先はさとったのだと思います。、、、、、、、、、、陰陽波動から生命ある生物まで、どの世界にも神の理念が貫通しておりますから、私どものなかにはもちろん神(自然理念)が生きて働いておるわけであります。理念などというものは脳随細胞の産物だ、物質がすべてのもとだ、と頑張る唯物論者は、一ケタ足りないものだと思うのです。」

    学生時代キリスト教によって救われた橋本先生も、どの世界にも神の理念が貫通していることを悟った日本の神道のほうが一ケタ上だとおっしゃっています。丁度これは、ミロが「原始人と日本人だけが小さな花、葉脈。激流の小石がかもし出す妙なる響きをきいている」という件(くだり)にあたるところです。

    つまりミロは、からだの中に宿っている神(自然理念)をモントロイグの自然から感じとり、愛をもって、自ら同化しようとしたのです。
    スペインのモントロイグと日本の仙台を同時代に生きた二人の巨人。全く交流もなく美術と医学という畑ちがいの世界に身を置きながら、同じ方向を見つめそれぞれの世界で警鐘を鳴らし、今なお人々に影響を与え続けています。

    実のところ二人の巨人の影響を間接的ではありますが、まともに食らっているのが私です。この文章を手がけるまでは、ミロが神道的な思想の持ち主だとは知りませんでした。また、橋本先生とミロ(操体とミロの芸術)にこれほど共通点があるとは思ってもいませんでした。
    これも小学校六年、ミロ画集との出会いからはじまり、3年前、ニューヨークの画廊で出会ったミロの作品からの啓示で運命を標されたのです。あの瞬間から、私は操体の世界へ身を投じることに決めました。

    しかし、これも誰かに導かれた必然性を感じます。そして、慣れない文章と格闘する時間を通してミロ、神道、橋本先生との結びつきを学ぶことができました。これも、実行委員の方々の導き(文章依頼がなければ、決して気付きませんでした)のなかから生まれてきたものです。本当に感謝いたします。

    (そして、今回はブログ一週間担当ということで、この文章の手直しをしていますが、この「5年ぶりの再会」にも新たな導きを感じています)

    <最高のバランスが快の極地>

    ここでもう一度、少年の頃の私がミロの画集を見て、からだがゆるみ心が解放されるような体験をしたことに戻りたいと思います。

    これまでは、ミロ個々の作品について解釈をしてきましたが、総合的にミロの絵画を語ると、抽象と具象、必然と偶然、意識と無意識を同一画面に混在させバランス制御を原始感覚にしたがって行い、その結果が作品となると考えられます。

    その制作過程で、ミロは原始感覚を研ぎすまし、色と線が発する微妙な波動を感じながらミロ自身が波動を出していきます。植物が太陽に向かって生命を謳歌するように神(自然理念)の導きにゆだねいったのです。その最高のバランスが快の極地でありミロの求めるところだったと思うのです。

    また、快という感覚だからこそ少年にも伝わり、50才を間もなく迎えようとしている私(もう53才になりました)のからだにもその記憶が残っていたのでしょう。
    最後にポルセールという皮肉屋のインタビューを受けたミロの言葉を紹介して終わることにします。

    ポルセール:そうすると、絵を描く際、圧倒的な重要性をもってくるのは、
          一つの目的。必然性、、、、、
       ミロ:均衡というね。
    ポルセール:では、形式対中身、すべて。
       ミロ:然り、均衡です。

    (つづく)

    佐伯 惟弘

  • 操体庵ゆかいや物語(5)

    こんにちは、佐伯惟弘第五日目のブログです。私の修行も1年経とうとしていました。秋穂一雄さん(東京操体フォーラム理事)が入門し、二人で三浦先生の臨床を見学するのが日課になっていました。そんなある日のこと、、、、

    ■睡魔

    息を殺して静かに玄関のドアを開け、丁寧に靴をそろえ、音を立てないように治療室へ。もうすでに、臨床は始まっていました。秋穂さんがベッドの横で正座をしています。治療室はベッド1台置くと、その周りを大人一人がやっと歩けるくらいのスペースです。私の座る場所は秋穂さんの後ろしかありません。

    臨床の静寂な時空を壊さないように、ゆっくりと座り、目線を正面に見すえました。そこで、私の眼に飛びこんできたのは、秋穂さんの肩の左右差。左だったか右だったか、、、とにかくどちらかの肩が角張って膨隆。

    「あらら、、秋穂さんバイト(自転車の宅急便)で随分疲れてるな〜。」と心のなかでつぶやいていました。

    目線を上にすると、ベッドの上では、30才代で中肉中背の男性が腰掛位の状態。そして、目をつむりこちらを向いています。三浦先生は、患者さんの後ろに回り胸郭に左手で渦状波、右手は肩を抱え込むようにされていました。そのまま全く動かない状態。

    しばらくすると、気だるくなるような睡魔が襲ってきました。たまらず眼を見開き、我慢をするのですが、今回の睡魔は強烈。よくよく見ると、患者さんはもう完全にからだが睡眠状態です。先生も静かに頭(こうべ)を垂れ半睡眠状態、秋穂さんまでも、こっくり、こっくり。まるで、放射状の渦巻きとなった睡魔光線が、治療室を包み込んでいくようです。

    私も、夢と現(うつつ)の境を入ったり来たりし始めていました。この状態になると、時間の経過は定かではありません。

    どのくらい経ったでしょう?ふとベッドに眼を向けると、患者さんが、先生の両膝に脱力しきって横たわっています。先生は、患者さんを両手でしっかりと優しく抱きかかえ、ややうつむきかげん。その光景たるや、慈悲に溢れた動く彫刻。あまりの神々しさに

    「、、、、、こりゃあ〜ミケランジェロピエタだ!!」

    と我を忘れて、その静寂きわまりない「ピエタの聖像」に見入りました。

    <中世イタリア・ルネッサンスを代表する芸術家・ミケランジェロ(1475〜1564)が、24才の時、制作したサン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」は彼の代表作の一つ。「ピエタ」はイタリア語で慈悲を意味する言葉。この言葉通り、死骸となり横たわったイエスキリストを、聖母マリアが、慈悲の心で抱き上げ見守っている姿が、痛々しくも神々しい。>

    私は、実物の「ピエタ」は見たことがなく、比較するのはナンセンスなのですが、目の前で展開されている「ピエタの聖像」の方が、はるかに神々しいと思ったのです。なぜならば、それは静止と動きの狭間で、微妙な快(生命感覚)が織りなす調和美であり、慈悲にあふれた生命体そのものだったからです。

    その生命体から発する波動は、見る者をふたたび睡魔の世界へと追いやります。記憶のない時空から覚めたとき、生命体は新たな息づかいをしていました。

    ピエタから一転して、若州一滴文庫(水上勉さん主催)で見た竹人形文楽

    <水上さんは、地元福井県大飯町に、竹人形文楽(竹細工師、岸本一定氏制作)が上演できる日本家屋を建て、ご自身の蔵書2万冊を寄贈。水上文学と竹が生み出す見事な生命観を演出しています>

    もの言わぬ能面のような竹人形は、遣い手と黒子により、うねるような生命を吹き込まれ、時には人間以上の喜怒哀楽を表現します。

    竹人形になりきった患者さんは、遣い手である三浦先生にゆっくりと操られ、時に竹人形が遣い手を操り、見ているはずの秋穂さんと私は、黒子としてその空間を演じていまいした。その場の4人が何かに揺り動かされ、一体となって浮遊している。あるいは、何ものかが天から降りてきて、我々を包み込み浄化されているような感覚に陥りました。

    「一体、なんなんだ!これは?」

    などと思いながらも、どこからともなく訪れてくる睡魔に身を委ね、また、こっくり、こっくり。

    いつのまにか、臨床は終わっていました。

    「いや〜、すごいものを見せていただきました。なんだか、からだが随分軽くなったような気がします。」と秋穂さんがニコニコしながら、軽くなった肩を回しています。

    私は、思わず眼を疑ってしまいました。あれほど膨隆していた秋穂さんの肩が、左右差がなく穏やかになっているのです。秋穂さんは、見ながらにして快(生命感覚)が織りなす波動をからだで受け止め、それに委ねていたのでしょう。そして、無意識のうちに竹人形文楽の黒子のように自ら演じ、浄化していったのだと思います。

    「あの、、、秋穂さん、実際、、、あのね、、よくなっているよ、、、うん。」

    ここまで言うのが精一杯。

    本物の芸術を鑑賞・体験したあとは、我を忘れ、ただ呆然とするだけのようです。そして、私はいつしか心の中で叫び続けていました。   

               
    操体は、生命体そのものが織りなす芸術なんだ!」

    (つづく)

    佐伯 惟弘

  • 操体庵ゆかいや物語(4)

    こんにちは、佐伯惟弘です。本日は、ブログ四日目。三軒茶屋に電車で30分のところ、桜上水に安いアパートを見つけ、いよいよ操体修行のはじまり、はじまり!

    ■眼力

    白髪まじりの長髪をオールバックにし、髭をたくわえた三浦先生は、子供のような美しい瞳をした男前。 様々な帽子とジーンズを大胆に着こなすファッション感覚は図抜けています。

    そんな三浦先生の治療所は、これまた異質な空間です。玄関を入ると操体東洋医学関係の本がずらりと並び、橋本敬三先生の写真があります。

    細い通路をすり抜けると、中国人風の老人が赤ん坊を抱きかかえた絵が左の壁一面に居座っています。ほとんど、壁画状態。その前にソファーがあり、へやの中央には木製の火鉢が、鉄瓶とセットで置いてあります。三浦先生は、つねに老人の絵が見える側に火鉢をはさんで座っておられます。

    と、ここまで書くとよくあるような空間に思えます。しかし、ここからが描写しづらいのです、なにせ、様々な品々と本が足の踏み場もないほど、空間を埋め尽くしているのですから。

    そこには、ある一定の規則性があるような、ないような、、、あるとすれば、すべて三浦先生のお気に入りの品々であること。それを秩序立てて置くことは、困難極まりないので適当な場所に置く。すると、いつしかその品が場になじみ始め、そこに無くてはならない物と化していく、、、、すると、必然的に秩序だった雰囲気を醸し出す、、、と言った感じだと思います。

    そういった品々のなかでも異彩を放つ物が二つあります。一つは、黒っぽい光沢を放つ木製のガイコツ。私の推測ですが、これはアフリカ産。おおらかな笑い顔で実物の2倍はある大きな憎めないヤツです。

    三浦先生は、このガイコツにたばこをくわえさせたり、帽子をかぶせたりと、好きなことをして遊んでおられます。しかもコイツ、三浦先生の横に堂々と鎮座しているのです。三浦先生と真面目な会話をすればするほど、ガイコツのひょうきんさが際だち、思わず吹き出しそうになることがあります。
    これは、多分余裕のない患者さんに外部からの刺激を与える演出だと思います。

    二つ目は、直径15cm高さ160cmくらいの円柱のような円錐形をした黄色っぽい物。
    「佐伯、あれ何かわかるか?」
    「うん、、、、、きっと、植物ですね。細長いひょうたんですか?」
    「ブウ〜、、、、違う!」
    「あっ、、、、違いますか、、、そしたら、へちま!、、、じゃないですよね、、、、」

    「佐伯、あれは、クジラのペニス!ワッハッッハ、、」
    「、、、、、、、、、、、、」
    私は思わず、近づき両手で恐る恐る触れていました。

    「ほらっ、先っぽには、ちゃんと穴があいてるだろう!」
    「たしかに、、、、」

    まああ〜みごとな「もの」です。

    初めて、ここを訪れた患者さんは、一瞬、骨董屋の店内に迷い込んだと錯覚し、三浦先生が骨董屋のオヤジさんに見えるはずです。そこで、冷静になる時間が生まれてくると、置いてある専門書に目をやり、

    「やはり、この方は操体の先生なのだ。」

    と胸をなで下ろすというパターンが殆どです。しかし、ゴクたまに専門書に気がつかず帰ってしまわれる方もいらっしゃいます。

    さて、そんな骨董屋風治療所での一コマです。
    私は、「先生の臨床を邪魔にならないよう、見学する。」という修行の場を戴き、週に2〜3日の割で治療所に通っていました。数週間たち、やっと手関節を外旋位、内旋位に決める介助の方法を教わり、その難しさに四苦八苦しておりました。

    三浦先生の治療用ベッドは、骨董部屋の奥の空間にあり、そこが治療室となっています。当時の先生の臨床は、皮膚に快適感覚をききわけさせる渦状波がほとんどでした。薬指を支えにし、軽く中指を硬結の部分に軽く触れ、からだの無意識がつけてくる快適感覚に委ねる操法。この操体による臨床の効果は目を見張るものがありました。

    先生は、渦状波の操法に入ると、一カ所で15分位の時間をかけ同じ体勢をとられます。ただ、操体駆け出しの身である私には、何をやっているのかさっぱり分かりません。

     
    ちょぅどあの日は、先生が私に背を向けてイスに座り、渦状波の体勢に入られました。敏感な左手での操法。左大腿部に硬いマクラを置き、その上に左肘を乗せ、かるく左手中指と薬指を患者さんのからだのどこかに触れておられます。ただ、私は正座位で目線を正面の一点にすえると先生の腰背部。まったく見えません。

     
    見えるのは、先生の背中と、マクラだけ。10分は時間がたったでしょうか?
    私は、ふと先日習った「手関節を外旋位、内旋位に決める介助の方法」を思い出していました。
    「そうだ、先生も見てないことだし、介助の練習をしよう!」
    先生に気付かれないよう、ゆっくりと右手で左手関節を外旋位、内旋位に取り始めました、息を殺して。
    2,3分程たった頃でした。突然、何かが私のオデコ目がけてぶつかって来ました。
    「あれ?どうしたの?何なの?前を向くと、相変わらず先生が同じ姿勢で渦状波の臨床をされています。何かの間違いかもしれない、そうだ、私の錯覚に違いない、、、、きっと、、、でも、そんなことってあるの?
    夢うつつの中、まじまじと先生の背中を見ると、何か足りません、、、目線を床に下ろすと、硬いマクラがころがっていまいた。

    「そうか、マクラが移動したのか。」やはり、私は脳天気。

    いつものように、臨床を終えた先生は、外でたばこを一服。患者さんは、その間、ゆっくりとベッドで休まれています。私はというと、骨董品の一つになったように、部屋のすみで正座。

    起きあがって来られた患者さんを、先生と私が玄関までお送りします。そして、患者さんが角を回って見えなくなるまで、その足取りを確かめるお見送りをします。これは、先生の玄関先での臨床最終チェックなのです。

    いつものパターンで臨床を終えた先生が、おもむろに、、、、

    「佐伯、お前、マクラが飛んできた理由がわかるか?」と、鋭い眼光で問いかけてこられました。

    脳天気の私にも、この一言で全てが分かりました。

    「お前なあ〜、オレの後ろで、手をこうやって、動かしていただろう。うるさくて、仕方がなかった。」
    と、私がしていた右手で左手関節を外旋位、内旋位に取る練習をそのまま再現されました。

    「お前は、患者さんのことを思ったことがあったのか?あの時間と空間は患者さんのためのものだ。それなのに、お前は、自分のことしか考えてなかっただろう!」

    響きわたるその声が、落雷のように聞こえ血の気が引いて行きました。先生には、全てがお見通しだったのです。
    顔面蒼白で、引きつっている私の顔が、面白かったのか、、、、、先生は、

    「もっとも、オレが橋本先生のところにいた時も、先生の後ろにいるのに、先生にはオレの行動が見えていて、オッカナカッタけどな、、、、、」と吹き出し笑いをしながらのやさしいお言葉。卒倒しそうになる私もなんとかこの一言で踏ん張ることができました。

    後日、操体の先輩女性にこの話しをすると、「そうなのよ、先生には特別な眼力があるの。こんなことがあったのよ。ある女性の患者さんが、自分で描いた絵を先生にお見せしたの。その絵は女性が赤ん坊を抱いている絵なの。ところが、先生はその絵の女性のお腹を指さして、『ここにも、子供がいる。』って言ったのよ。」
    と矢継ぎ早にはなしてくれました。

    「実際には、子供なんて描いてないわよ。そうしたら、その女性は突然泣き始めたのよ。どうしてか分かる?、、、、その女性、流産したことがあったの、、、」

    我が師匠、三浦先生は、他人には決して見えないものでも見えてしまう特別の眼力をお持ちなのです。
    触診に関して、「眼で触れろ」と先生はおっしゃいます。このことは、網膜のような感覚の指先、皮膚になることの勧めだと思います。このような意識の連続が長年にわたり積み重なることで、先生のような眼力が生まれくるのだと思います。しかもそれは、臨床を通してしか学び取れないものなのでしょう。
    精進、精進。

    (つづく)

    佐伯 惟弘

  • 操体庵ゆかいや物語(3)

    こんにちは、佐伯惟弘三日目のブログです。アメリカを離れ、操体を学びに東京・三軒茶屋へと旅だった私。そこに待ち受けていたものは、、、、、、

    ■粋な演出

    突然ですが、私はNHK朝の連続小説「ちりとてちん」(福井・小浜の女子高生が上方落語に出会い、落語家になって行く泣き笑い人生)の大ファンです。

    いずれ「ちりとてちん」のことも書いてみたいのですが、それはさておき、
    このドラマの主人公・和田喜代美は、徒然亭草若の二番弟子・草々という強烈な個性の持ち主と出会い、結婚します。その草々とは、長身でもじゃもじゃ頭の、恐竜のような目をもつド迫力男。

    私の友人に、この草々以上のド迫力男がいるのです。名を堂迫隆久といい、大学卒業後、草刈り十字軍という過酷な山仕事を行う集団に所属。京都の山奥のそのまた山奥の手作りログハウス・八角堂に住んでいました。結局私もこの集団に入り、彼とリーダーと私の三人共同生活が1年ほど続くのですが、、、、

    彼は、ラグビーで鍛えた体力と明晰な頭脳の持ち主。酒を飲むとギョロとした大きな目がすわり、睨みつけたその姿は怒りに満ちた大魔神。その迫力たるや山をも動かす、、、、、と感じる程でした。

    そんな彼も、3年間の山生活を終え、大阪で花博の駐車場で働き、その後、東京のコンピューター関連の会社に就職。今は、三児のパパとなり幸せな家庭を築いています。

    随分、前置きが長くなりましたが、私は彼の家にアメリカから転がり込むことになりました。部屋を走り回る子ども達に、我が子を重ね合わせて見る私の目が、寂しそうに見えたのでしょう。彼は、三軒茶屋近辺の安いアパート情報を、コンピューターから検索し私に渡してくれました。有難いことです。ところが、なかなか簡単には見つかりません。

    そして遂に、まだ住むところが決まらないまま、師匠となる三浦寛先生に会うこととなりました。

    高鳴る胸を押さえながら、慣れない三軒茶屋を彷徨。
    「そういえば、昔の彼女は三軒茶屋にすんでいたなあ〜。」
    方向音痴の私は、相変わらずの脳天気。昔の彼女の家さえ記憶していません。

    そんな私ですが、なぜかフラフラと引き寄せられるように白い建物に近づいていきました。漠然とした確信をもって。
    「あっ〜、、、絶対ここだ!」
    生まれて初めて、たった一度で目的の場所を探し当てることができました。いまだにあの時の不思議な感覚は、よく覚えています。20mほどの通路をコツコツと歩き、一番どんつきに#105の焦げ茶色をしたドア。

    ドアの前には、杉の木の輪切りが置いてあり、黒いマジックで「生命あるものは、、、、、、」と書かれていました。その内容は忘れましたが、木にマジックで文字を書き、しかも玄関の前に堂々と置く事自体、普通ではありません。人の心に何らかの響きを与える芸術の領域です。

    もっと感心したのは、目線よりやや低いドアの中央に、よれよれの名刺が、透明のテープで貼られていることでした。そこには、人体構造運動力学研究所 三浦寛
    これを見た瞬間、何とも言えない安心感と、本物が醸し出す絶対的な自信をうけとることが出来ました。
    「間違いない、この先生は!!」
    アメリカにいるとき、三浦先生からお手紙を戴き、その文面と穏やかで才能のある文字を拝見したとき、100%の確信を得てはいたのですが、この「よれよれ名刺」で120%本物に出会えたことを確認したのでした。

    広大なアメリカの田舎都市からやっとの思いで大都会・東京へ舞い戻り、たどり着いたのが、この小さな「よれよれ名刺」。
    何という演出!
    私は、温かく震えるような満足感に浸っていました。

    ところが、先生はお留守のようで出てこられません。もうこうなったら、1時間でも2時間でも待つという覚悟が出来ていました。しばらくすると、お弟子さんらしき男性を携えた方が、突然私の目の前にあらわれ、ちらっと一瞥。その眼光の鋭いこと。
    「あっ、、、この方だ、三浦先生は!」
    それからは、ヘビににらまれたカエル状態で、ほとんど記憶がありません。たしか、近くのフレンチレストランに行ったような気がしますが、定かではありません。

    次回、お会いできる日を決め、私は三軒茶屋をフラフラ歩き回っていたように思います。突然、尿意をもよおした為、近くにあったキャロットタワーに入り、トイレを探し始めました。3階か4階にエスカレーターで上っていった時、
    「ああっ、佐伯さん!岩下さんは控え室にいるよ。」
    大学時代の友人で、NHK地球大紀行のテーマ曲を作った吉川洋一郎氏が、受付係。てっきり私が、友人の舞踏家・岩下徹氏に会いに来たと思ったらしいのです。私は、ただトイレを探しに来ただけなのに、、、、

    「おおっ〜、吉川君!トイレどこ?」

    何とも、バツの悪い会話。
    私の友人岩下徹は、山海塾という舞踏集団のメンバーで、たまたまキャロットタワーで公演があったらしいのです。彼とも、大学時代は生活を共にし、数多くパフォーマンスをやって来た間柄でした。そんな彼の公演を、東京に来て草々見ることが出来るなんて、、、しかも、全くの偶然に!

    神様は、なかなか粋な演出がお好きなようです。
    何か面白いことが、起こりそうな予感!?

    (つづく)

    佐伯 惟弘