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  • 日本全国ルーツの旅?

    ルーツと聞いて皆さんは何を連想するだろうか、缶コーヒーを連想する人や、マニアな人は昔あったアメリカのTVドラマを思い出す人もいるのではと思います。
     

    私が言うルーツとは“自分捜し”と言いましょうか、要はご先祖様ってどんな方であろうと空想したり、自身のDNAがどのような人達の構成要素から出来上がっているか?などというそんなルーツのことであります。私のルーツは何処にあり、どんな人達だったろうとふと思い、毎度の事ながら、先月ちょいと旅に出ました。

    基本的にルーツを捜す手がかりになるのはやはり、姓名ですが、福田は実は私の元々の姓名ではなく、旧姓は杉谷(すぎたに)と言います。
    この杉谷という姓名の全国分布を見ますと、関西・中部圏に多いというのが解り、更に調べを進めて行きますと、どうやら杉谷姓は滋賀県が発祥ではないかとの事、しかもどうやら現在の甲賀市(こうかし)になるようです。

    そう・・何を隠そう甲賀と言えば忍者発祥の地であり、伊賀と並び称される忍者の里であります(私も勘違いしていたのですが、甲賀の読みははこうがでは無く、正しくはこうかだそうです)。
    道理で私が未だ高校生の頃、尊敬して止まぬ千葉真一大先生のTVシリーズ影の軍団を見ながらフツフツと腹の底から絵も知れぬ感覚が込み上げて来るものがあり、ワクワクしながらTVにかじり付いていたのを思い出しました。
    その思いが強くなりJAC(ジャパン・アクション・クラブ)の養成所入団試験を受験しようと履歴書を送り、一次試験を通過した過去を思い出したりしました・・・

     

    その甲賀(こうか)の歴史を軽く紹介致しますと、元々室町時代の後期位に近江の国を治めていた近江 佐々木 六角氏と言う一族があり、幕府を軽視した所から当時の幕府の怒りをかい、諸大名動員の下に居城である観音寺城を攻められたそうです。
    そんな圧倒的な戦力に攻められる中で、六角親子は配下であった甲賀武士団”に命じて地の利を活かし、様々なゲリラ戦を展開したそうです。
    夜陰に乗じて本陣を攻めたり様々な手段を持って大軍を足止めし、3年近く抵抗を続けて、甲賀武士団はその武名を全国に轟かせたのだそうです。
    その結果、佐々木 六角氏は生き延びる事が出来たのです。

    それで、その時に参戦してくれた五十三家の地侍甲賀五十三家』と称して六角氏は厚遇しました。
    そして甲賀の里が織田信長に攻められ、追われる間、六角氏に仕えたようです。

    その“五十三家”の中の一つに「杉谷家」があったようです。この杉谷は現在も地名として残っており(甲賀市甲南町杉谷)、杉谷城跡やら杉谷砦も今は苔むした感じでひっそりと残っております。

    流石にこのあたりを車で走ると何やら懐かしいやら何やら、よく解らない感情が込み上げて来て複雑な感じでした。そこに根っこが有るというか、心の奥底に押し込めてあるものが燻っているような不思議な感覚でした。

    因みに大河マニアと言う実行委員の辻さんや、同じく実行委員でピンポイント歴史マニアの中谷さん、あ!それともう一人更なる歴史マニアである畠山先生には解ると思うのですが、昭和53年のNHK大河ドラマだった黄金の日日という大河ドラマ(現9代目 松本幸四郎 主演)の中で、織田信長が史実でも有名な浅井長政の裏切りに合い、這々の体で、京都から岐阜へ帰る途中に馬上で狙撃されるという事件が起きました。

    その信長を狙撃したのが甲賀一の鉄砲名手と言われた杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)』と言う人物、大河では今は亡き川谷拓三さんが演じ、川谷さんの当たり役となりました。
    この善住坊が杉谷一族の一番の有名人だそうです(かなり微妙ですが)・・・
    但し、最後は信長の逆鱗に触れ“鋸(のこぎり)引きの刑”(しかも木製の鋸によってジワジワと首を切られるという処刑の仕方で)によって殺されるという壮絶な生き様でしたが・・

    忍者も元を辿れば、山伏など修験者が心身共に鍛錬をする事で常人離れした能力を身につけ、時代の流れと共に野に下りて忍者という職業集団を形成したのではと思われます。
    ですから忍者は誰に飼われる事もなく、独立した組織であり、金で自らの技術を売るという、自分を高く買ってくれるなら、今日の友は明日の敵みたいな事をやっていた訳です。

     
    今回の春期フォーラム平相談役が武士や武術家が当時は医者の代わりもやっていたという事を発表されていたのですが、私も全く同感です。
    その中でもこの忍者に関しても武士や武術家同様の修行や鍛錬を行っていました。

    残っている文献などを見ると非常に面白い記述も沢山あり、諸説もありますが忍者には一人前になる際にこれだけは覚えとけみたいなものがあり、それが俗に言われる『忍者八門』と言う忍者になるための必須科目8種類の事です。

    1.骨法術(当身技を中心とした武術)
    2.気合術(催眠術や念力等も含めた気を練った技)
    3.剣術(日本刀、忍者刀などを使った武術)
    4.槍術(槍を用いた武術)
    5.手裏剣術(手裏剣を使った武術)
    6.火術(火薬や火を使った様々な術)
    7.遊芸(芸事のこと)
    8.教門(知識・教養など。さらに古来の軍学・兵学である兵法)

    最低でもこれらのものを身に付けて一人前の忍者として現場?に出たのだそうです。近年の研究では、オリンピック選手並みの身体能力を持ち、厳しい規律に律された諜報集団という面の他に、優れた動植物の知識や化学や医学の知識を持つ技術者集団としての一面があったということも解っています。

    梅肉を加工した加工食品を食べる事でノドの渇きを押さえ潜入した際に水を飲まなくてもよかったり、普段は腰紐として使用していたものを携行食として用いたり、猫の目を見て時間を計ったり、雲の流れや星の位置で正確な自らの位置をはかったりと、料理研究家や天文学者真っ青の知識を兼ね備えていたそうです。

    特に私が興味をひかれたのは医学というより密教からくる様々な治療法です。
    現在でも忍者八門の中の一番目にもありますが、骨法では治療も行われており、整骨・整体の源流となっているのもこれら骨法の中より派生したものも少なくないです。

    当然のことながら、人体の急所を熟知しており、三年殺し七年殺しトイレット博士を知る人には懐かしい・・)と言った三年後や七年後に人を死に至らしめる(一説には内臓が溶け出すとか・・・)と言われるような技活殺自在の技を身に付けていたようです。
    それだけ人体の急所を知り尽くしているのですから、治すといった作業も同時に可能だったようで、戦場での止血術や骨折、靱帯の切断への修復など、ほぼ数週間といった期間で完治させていたようです。
    現在、私が聞いている限りでもアキレス腱の断裂を数週間でほぼ繋げてしまう柔術家の先生もいますし、現在でも脈々とその流れは受け継がれています。

    話しは少し変わるのですが、私が住む出雲地方はいわゆる青森の恐山などに多く見られる“イタコ”さんの様な職業を生業としている方が数多く存在し、まぁ本物な方もいらっしゃいますし、眉に唾を付けたくなるような方も多々いらっしゃいますが・・・

    その中で先程も書きました密教神道の流れを組む拝師(おがみやさんなどと呼んでおりますが)、後、昨年漫画の原作を映画化したこと(オダギリジョー 主演)で話題となった、蟲師(むしし)なる職業の方もいらっしゃいます。

    これは実際に今の福田家の父が幼少の頃、経験しているようで“疳の虫(かんのむし)”で困っている時に親戚に蟲師の方がいて治療をしてもらったそうです。
    そのやり方とは掌(てのひら)に墨など何もつけていない筆で呪文を唱えつつ、何か文字を書いて暫くおいておくと、掌から白い糸の様なものが“す〜っ”と天井に向けて上がって行ったのだそうです。
    父曰く、それで疳の虫は治まったそうで、今でもその光景はしっかりと覚えているそうです。

    残念なのはその様な蟲師の方がやはり、後継者不足で現在は殆ど途絶えていることです。
    福田方の親戚の今年84歳になるおばちゃん(私のクライアントですが)が、かすかに密教真言を記憶していて、色々教えてはくれるのですが、残念ながら記憶が忘却の彼方へと向かっている様で、僅かながら覚えているのが裁縫などをしていて針を無くしてしまった時に唱える真言ですが音羽ヶ滝の失せたる針のあびらおんけんそわか あびらおんけんそわか』と唱えると針が見つけられるのだそうです。

    後は山などに入る時にマムシなど蛇に会わない様に『われ行く先に、にしきまだらの虫おれば 玉の御殿を回るごとくらん、あびらおんけんそわか あびらおんけんそわか』と唱えると蛇避けになるそうです。

    因みにこの“あびらおんけんそわか”とは『阿毘羅吽欠蘇婆訶』と書く大日如来(だいにちにょらい)に祈る時の呪文で梵字の音読みで阿毘羅吽欠(あびらうんけん)地水火風空を表し地上にあるもの全てという意味か?
    蘇婆訶(そわか)成就の意味があるそうです。

    この様に昔から語り継がれ今だに脈々と受け継がれているものと、もはや化石の様になり、殆ど無くなる様になってしまうものがあるのが悲しく、特に疳の虫を含めた幼児の治療に関しては蟲師の様な人達が居ればいいなぁ・・・などと
    現代医療だけに頼り、やれ環境によってストレスが溜まっているからどうとか、トラウマになるからどうとか、こうとかなど、まるで腫れ物にでも触るが如くの対応の仕方に、私が聞くと思わず?と思う様な幼児に対しての現代医療が展開されています。
    これは鬱などの心的疾患にも同じ事が言える様な気がします。

    病名を付けることが手柄ではなく、ありのままの状態を診て、更にその人そのものを診て判断する必要性が有る様な気がします。

    時代は変わっても人間そのものは昔に比べ手足が一本増えたとかは無く、変わらない訳ですし、これからは何かもっと操体で言う所の『ききわける』と言う作業がとっても大事な気がします。

    ゲノムの解析やミクロのカラダへの分析も良いのですが、もっとマクロに人間を診る事こそ、現代医療に必要とされているのではと思います。
    パソコンの中に有るデータの一部として、顔色も見ない、カラダも診ずに薬を出す様な医療では無く、もっと基本的な対人間としての医療が求められていると強く思います。

    最初と話しが随分逸れてしまい、忍者から最後は現代医療の話しまでになってしまいましたが、橋本先生“日本は宝の山だ”と著作の中で冒頭に書かれていますが、私もその通りだと思います。
    昔から語り継がれて来ているもの、昔から食べているものに間違いは無いと思います。

    とかく海外から入ってきたもの、西欧諸国から入ってくる科学的に分析されたものの方が良く見えて、昔から言い伝えて来られたものを“迷信”とか古臭いなどと呼んで煙たがるのもおかしな話しで、日本民族には日本民族に合ったモノがあり、ご先祖様達がカラダを張って築きあげてきた文化や伝統をどう育み発展させて行くかが、我々残された者の宿題だと思っております。

    そう考えると、正に操体東洋医学では無く『日本医学』であり、日本の様々な手技・武道などのエッセンスにより醸成された芳醇なワインの様なもので、それをどうお客様に味わってもらうかは私たちソムリエの如き臨床家の手にかかっています。

    最高の年代物のワインを出すのも、全然熟成されていない青いワインを出すのも臨床家のさじ加減一つで、出来得れば最高に熟成されたスペシャル・ワインで快の波に酔ってもらいたいモノです。

    甲賀者 福田 勇治

  • ギャップ大好き

    先週は春期東京操体フォーラムが東京であり、久々にネクタイなんぞ締めてスーツで街を闊歩しておりましたが・・
    今日の私はとっても素敵なスタイルです。

    頭にはパチもんのニューヨークヤンキースの帽子をかぶり、もう普段は着なくなった時代遅れのシャツと首にはタオルを巻きつつ、手には滑り止めの付いた軍手、紫色のズボンに足は膝まであるゴム長靴を履き・・・

    そう、昨日、今日、そして明日の3日間は毎年恒例の農事作業です。
    まあ、早い話が田んぼの手伝いという事です。私の家は現在、約8反ほどの田んぼを作っております。因みに1反が約300坪になりますので、約2,400坪程度の田んぼを作っている事になります。

    作っていると言っても実質上は両親が作っているわけで、私が1年間を通して参加?出来るのは主に5月のお米の苗を作る段階の種蒔きと今回行っております代(しろ)かきと言われる作業、後は秋になり稲刈りをするのですが、稲刈りをした後に稲を乾燥さすための干し場を竹で作るのですがその組み立ての補助、そして刈った稲をそこにかける作業。
    後はその乾燥させた稲を脱穀し、袋詰め、それをもみすり。
    大まかに私が携わるのは5月と秋の収穫期のみといった感じです。

    因みに今頃の農業は殆どの所で機械化が進んでおり、田んぼの水の状況を見たり、農薬を蒔いたり、草刈り等の細かいアナログな作業を除けば、ほぼ座った状態で米が作れるほどに進んでいます。
    ですが、大規模農家であればそれでも良いのですが、私の所のような毎年お米を作っても15万円位の赤字が出るような小規模農家では如何に金をかけずに最小限の人力で最大限の効果をあげるかが、大きなテーマとなって来るのです。

    よって、私の家ではほぼ昭和40年代後半の農業風景が未だに見られます。
    今週私が行っております“代(しろ)かき”なる作業も田植えをする際に水を張って田んぼの表面を平にして行く作業なのですが、私の家では以前は牛がやっていた作業を私がやっております(牛の代用品という訳で・・・)。

    作業はハシゴに紐をつけて、それを自分の腰に巻きます。そして田んぼの中をそのハシゴを引っ張って歩くのです。これが中々どうして結構にキツイ作業で、雨が降った日には足はとられるわ、泥の荷物は付いてくるわで、しっかりと腰を落とさないとひっくり返りそうになります。この様な時は色々なことを考え、妄想しながら作業をしていくと結構楽しめます。重心を何処において歩くと最も疲労が少ないか!とか、“むむ!”拇指球側に意識をおくとどうだろう・・などと様々な事を考えながら歩いているうちに大体終了してしまい、カラダの楽な使い方を覚えた頃には全ての作業が終了し、来年へと先送りになってしまいます。

    ただ不思議なことに年々歳は重ね、足腰も弱くなっているはずなのですが、不思議と作業自体は楽に成っている気がします。重心が安定してきて余り酷く足を取られなくなったのです。田んぼの中で足を抜く際もコツがあり、足を真上にズボッと抜いてしまうと足を取られるのですが、骨盤を意識し骨盤の前面を押し出す様にし、滑らす様に歩くと楽に歩行が可能になります。そしてやはり目線は真っ直ぐ正面を見て、下を向かないこと。こうすることで更に腰が坐り動きが安定してきます。

    ですが、それ以上に自分自身が田んぼに出ることで癒されていることにフト気付きました。このハシゴを引くという単純な作業の最中にも、自然が息づいているのを懐かしい様な思いで感じ、ノスタルジックな甘酸っぱい気分になるのです。

    足元を見るとアメンボウが水面を走り、カエルの卵がプカプカと気持ち良さそうに漂い、ヒルは足下をウロウロと独特の泳ぎでくねっています。
    ふと目線を田んぼの脇に外すと、蛇が慌てて逃げ出しています。

    そう言えばガキの頃は蛇を首に巻き付けて遊んでいたなぁとか・・カエルを餌にしてザリガニを釣ったり。
    自然の中で遊ぶことや旬も含め今の時期にどんな昆虫がいて、どんな動植物があるかも殆ど把握していたなぁ・・・など、思わず気分は昭和40年代にタイム・スリップしていました。

    私の家は現在、ありがたい事にお米、旬の野菜、家で飲むお茶(全部では有りませんが)など、食卓に並ぶ殆どの物が自給自足でまかなえています。但し、あくまでもこれは両親のお陰であって、私たち夫婦に至っては農業は殆どレクリエーション・レベルにしか有りません・・・

    今、両親がやっている作業を全てやりなさいと言われた日には、気を失うか、3でアホになるしかないのです。
    それ位、根気とプラス食べる人が喜ぶ姿が想像出来なければ出来ない事だと思います。
    ですから、両親には本当に感謝しています。少しでもカラダに良い物をという両親の気持ちや本当に土が好きで、農業が生き甲斐と語る二人を見ていると格好いい!って思います。
    私も出来る限りなら今後も両親に協力しつつ、日本の食糧自給率を上げるため、毒入り餃子を食べなくても良い様に最大限の努力を惜しまぬ様に地道にやっていきたいと、小さく心に誓います。小さくですよ・・・
    PS 今日も両親はお茶摘みに出かけております・・・・

    福田 勇治

  • オーラの泉谷しげる?

    3日目です、いよいよ三浦先生の事を書こうかなどと思っているのですが、三浦先生の事は当たり前に書いてもみんなが書いているので面白くないので、ちょっと変わった視点から私なりの三浦先生を書いてみようと思っております。

    私が三浦先生とご縁をいただいたのは何を隠そう前日に登場いただいた、私のお師匠 畠山先生からのご紹介でした。
    当時の私にとって三浦先生は本の中の人、雲の上の様な存在の方で、会うなんてとんでもなく、ましてや話しするなんて、想像すらしませんでした。
    ですがその時は、何の前触れも無く、突然やって来ました・・・

    畠山先生の講習が終わり帰ろうかなどと思っている時に、いきなり『福田くん、今日もう帰るだけでしょ?』って言われ、帰り時間までかなりあったので、元気よく『はい!』って答えましたら、何故か畠山先生の顔がニヤリと笑っていました・・(¬―¬) フフフ
    大体に畠山先生がこのいたずらっ子のような”にやり”の笑みを浮かべる時は何らかのサプライズがある時なのです。

    そして連れてこられたのがホテルオークラの喫茶店でした。しかも、こんな格好で入って良いのでしょうか?と問いたくなるような出で立ちで、緊張しながら先生の前に座ったのを覚えています。
    そして開口一番、低く鋭い声で『ん!橋本先生の本は何を読んだぁ』と挨拶もそこに聞かれ、余りの緊張と馬鹿っぷりにたまげたのですが、思わず操体法治療室ですぅ』って答え、間髪入れずに『馬鹿モン!それは俺の本だろおおおぉ』って突っ込み返しをされてしまいました・・
    『ひぇええ、おっかない先生だぁ』って思いながらも、目が優しく笑っていらっしゃったのが印象的でした。

    その時にもう一つ印象に残っていたのが、先生の放つオーラの強さでした。何故か私は人に触れるという仕事を始めるようになってから、人のオーラを見たり色々と不思議体験をするようになりました。

    その不思議ちゃん体験、第一発目が三浦先生の強烈な燃え立つ炎のオーラだったのです。TVなどであなたのオーラは何色で云々と語っている人がいますが、オーラって人によって見え方もまちまちで色としてハッキリ認識出来る人もいれば、イメージとして頭の中に浮かんでくる人もいますし、様々です。

    初対面の人に会って圧倒されることや何となく近づきたくない人っていますよね、あれも人が動物として危険や何かを感じているということで、立派にオーラを感じているという事です。

    そんな中でも、オーラは日々、年々、変わっていきます。
    何故か私は強烈に三浦先生のオーラだけは感じてしまいます。
    初対面で三浦先生にお会いした時には正に炎と言った表現、しかもポカポカなどと言う柔らかいものでは無く、紅蓮の炎と言う表現がピッタリというような感じでした。

    側にいるのが苦しくなる位な程、人を近づけるのを拒む位のキツイ、情熱的で熱いオレンジの濃い色だったのを覚えています。先生と別れた時に掌にベッタリと汗をかいた位凄い熱さでした。
    まぁ世の中にはすんごい人がいるモンだ、などと感動したのを覚えています。

    その三浦先生のオーラに変化を感じたのは先生が手術をされてから後に初めての塾操体の時だったと思います。
    講習の時は解らなかったのですが、解らない理由は夜に理解出来ました。
    私はその夜、先生の講習所に泊めていただいたのですが、夜寝ていると背中に人の気配を感じました。

    今迄感じた事のない恐怖や恐れとは違う存在感が背中にあったので、何が出たかなぁと、そ〜っと覗いて見てビックリしました。三浦先生の姿がそこにあったのです、但しフレームだけです。暗闇の中に人影があり、人影の周囲だけが黄金色に輝き正座しているのです。
    ありゃりゃぁ・・先生又、変わられたぁ』って思わず呟いていました。
    人間の意識や感覚が変化していくとオーラも変わっていきます。特に生き死にや強烈な体験をするとそれを切っ掛けに大きく変わっていく事があります。
    特に黄金色のオーラって徳の高い方に多く、この時の先生はフンワリと包むような感じだったのを覚えています。この時に先生のオーラが昼に解らなかったのは周囲が昼で明るかったから、黄金色が解らないだけだったのです。

    そして、3回目に先生のオーラの変化に気付いたのは、今年の3月の塾操体の翌日、私と理事の佐伯さんと三浦先生と3人でデニーズで早朝、コーヒーを飲んでいる時でした。

    ニッコリと微笑む先生を見ながら、ん?と今迄とは違う感覚を感じ、す〜っと息を吸いながらよ〜く先生を見てみると又してもオーラの変化がありました。
    ありゃ、今度はブルーだ・・それもとっても深いブルー』ちょっと白味がかった様な凄みのあるブルーでした。
    マニアックな感じで言いますと、出会った頃の三浦先生を刀で言うと、同田貫子連れ狼の拝一刀で有名な?)の様な豪快な切れ味の刀であり、何でもぶった切りまっせ!的な力強さを感じ、今の三浦先生はどっちかと言うと妖刀と言われた村正の様な川の真ん中に刀を刺して置くと大木やら木の葉やら何でも、物の方から吸い込まれるように流れてきて流れるものを全て音も無く“ス〜ッ”と切っていく、そんなイメージに変わられたのを感じました。

    洗練された凄みと言いましょうか、余分なものが削ぎ落ちて、必要なものが必要なだけ存在する感じといいますか・・
    でも冷たい感じではなく、優しい深みと言いますか、深海の色、ディープ・ブルーですかねぇ。

    何だか心地よいのです、ただただ“じ〜っと”側に居たい感じで、側に居るだけで癒されるといいますか、兎に角心地よいのです。
    最初に先生とオークラで会った時とは正反対の全てのものを引き込むといいますか、心地よい懐に抱かれているのを強く感じるのです。先生って会う度に変化して行かれるので、こんなに変わる方も珍しいと言いますか、余り出会った事がありません・・・

    これも現在進行形なので、これからも変わっていくと思いますし、こういう類の話を信じない方にとっては白い目で見られるので、公にはしませんが私の中の一人の楽しみとして、これからも密かに驚き過ごして行きたいと思っております。

    因みに今回のフォーラムの時に感じた三浦先生は又、変化していました・・・

    PS.今後、私のオーラはぁ何色ですかぁ・・などと私に聞かないようにして下さい・・そっとしてやって下さい。。。

    福田 勇治

  • でんじゃらす・びゅーてぃ〜

    え〜っと、二日目のブログでありますが、今迄の各担当者の方のブログで操体の魅力みたいなものが語り尽くされてきておりますので、私はもっとコアな部分で掘り下げて行こうと思っております。

    前回、私には二人の師匠がいると書いておりましたが、今日はそのお一人、畠山裕美先生との出会いから現在に至るまでについて書いてみたいと思います。私が操体に興味を持ち、本気で操体に取り組んでみようと思ったのと同時に、今の私が有るのは間違いなく、この畠山先生のお陰です。

    元々、島根で整体施術院を開業していた私が、“治す”という行為に限界を感じ、迷っていた時に整体時代の先輩に、「俺は整体をやりながら、こんなのも併せてやっているよ」と教えてくれたのが、別の?操体でした。
    三浦先生の下で学ばれ、開発?されたということで教えてもらったのですが、その当時の私の知識では解らない部分が多く、消化不良になっていました。その時に、悶々としつつ、たまたまWeb上で見たのが「TEI-ZAN」のホームページでした。

    最初の動機としては『同じ操体と名乗っているなら、解りやすそうな方からやった方が良いだろう』などと今考えると失礼千万な動機でした。そして直ぐに電話をすると、素敵な雰囲気のする?女性が出られ、講習の日にちやら何やらを説明されました。まぁ、それが私と畠山先生とのファースト・コンタクトだったのですが・・

    ビックリしたのは講習初日にお邪魔した時にいきなり、臨床を見せてもらった事でした。自分が自分なりにやっていた“操体もどき”とは大きく違いました。“タッチ”や“スピード”、誘導まで全てが大違いで、学ぶという事がどれだけ大事なのかを最初に“どか〜ん”と思い知らされました。
    それから約1年数ヶ月、島根から通いながら、畠山先生の下で学ばせていただき、操体のイロハと操体の魅力を教えてもらいました。

    語ると語り尽くせないほど、色々と1年数ヶ月の間にあったのですが、私は畠山先生の下で学ぶ事が出来て本当に良かったと思いました。

    ここまでだといい話で終わりそうなので、何ですが、ブログ上では畠山先生と書いておりますが、普段は未だに癖が抜けなくてその当時の通り名であった『いんちょ(院長)』と呼ばせていただいておりまして、弟子の私が言うのも何なのですが、女性としてもとっても可愛いく魅力的でキュートな女性です。
    本当に真っ直ぐな女性で、特に操体の事に関しては真っ直ぐ過ぎて人とぶつかって苦労してなどと周りにいる人間の方が冷や冷やする事も多々あります。

    師匠でありながら、年齢的に近い所もあり、色々と相談させていただいたりと多岐にわたりお世話になっており、手相が非常によく似ていたり、歴史マニアだったりと・・共通項も多く、話しがとても合うのですが、真似出来ないマニアはやはり、操体でした・・
    関連書籍は元より、映像やら何やら操体と名のつくものは古今東西ありとあらゆる物を収集していらっしゃるのではないのでしょうか?正に超マニアと言っても過言では無いと思います(絶版になって手に入らない様な物もオークションで落札したりと・・)。

    そんな、いんちょですが豪快?そうに見えてとても繊細な方で、私たち実行委員の事を凄く気にかけてくれていて、ことある毎に電話してもらったり、メンバーの事を心配したり、はたまた檄を飛ばしてもらったりと、そこまで気を遣わないで下さい・・って言いたくなる位、大きな愛を感じます。

    但し・・一点だけ・・酒が入りすぎてしまい、目が据わってしまった時の暴れっぷりは誰にも止められません・・松平健も真っ青の“暴れん坊将軍”多分、三浦先生でも止めるのはムリではと・・
    まさに“でんじゃらす・びゅーてぃー”って言葉がピッタリです。
    今後は天敵 佐伯氏との飲み会でのバトルの行方が楽しみ?です(次回いんちょと会うのが怖い福田でした)・・
    え〜っ、今日書いたブログは30秒後に消滅します・・ By イーサン・ハント(遅いっつうの!)

    福田勇治

  • 2008春季東京操体フォーラム(辻 知喜)

    先週、春季東京操体フォーラムが行われました。

    今回も雨のフォーラムです。
    いつもと違うのは2日間の開催ということ。
    操体の現在・過去・未来』ということで、普段は時間の都合もあってなかなか披露しきれなかった操法の進化の流れを堪能していただけたのではないかと思います。

    一日目が終わって気が付かされたのは、20年以上前の、楽を選択していた頃のものが操体法だと思っている方がまだまだ多いことでした。
    これには、実行委員一同、気が引き締まると共に、今回のフォーラムが意義あるものであったと実感できたのでした。

    そこでまず、一日目の質疑応答から紹介したいと思います。

    ◎瞬間急速脱力について。
    第一分析(楽な方を選択)において、脱力の際、息を吐きながら脱力とあったが、瞬間脱力と違うのか?

    A:同じ。だが、気持ちよさに委ねた操法の場合、瞬間脱力にはなりにくい。

    ◎第一分析において、伏臥位で、可動域が広く、足がお尻につきやすい人の場合は?

    A:自分(自力)でつけてみて、選択させる。

    ◎椅座位において、足は床に着けるのか?

    A:橋本先生は臨床時、ほぼ床に着かない状態でやっていた。(着くのがないというわけではない)

    ◎実行委員の操法は?

    A:第一分析への興味が多いようだが、現在、少なくとも実行委員は第一分析は行っていない。
    からだの要求感覚に委ねるということ。
    患者が好き勝手にやって(頭を使って)こわしている訳だから、(からだの要求に応えてない)からだの要求を満たしてあげることが大事。

    ◎膝の傾倒における介助の際、示指が立って見えたが、武術において、示指は方向性を示すのでは?

    A:示指を立てるというよりは、中指を介して、小指側を使うということ。
    膝裏に指を添える為、示指まで使うと窮屈な動きになる。
    尚、この質問は翌日の平さんの発表と内容が被る為、詳しくはまた明日に、ということになった。
    (これについては、平さんのレポートに任せます。)

    因みに、操法の分析の種類はこちらを参照して下さい。
    『操体法大辞典』

    <第一分析>(運動分析)<第二分析>(動きの感覚分析)<第三分析>(皮膚の感覚分析)

    つづく

    辻知喜

  • 二人の師匠

    はじめまして、今週からブログの担当になりました神の國出雲の住人福田と申します。
    何の因果か、タイトル通り先週、来週とお師匠にブログの順番を挟まれ、やり難いったらありゃしない!などとぼやきながら、1週間お付き合いのほど宜しくお願い致します。

    因みに出雲地方と言えば全国的に縁結びの神様として出雲大社が有名ですが、今年は60年振りの遷宮で国宝の本殿が公開となっております、まぁ見事な物が拝めますので、大黒様のお留守の間にお家拝見と洒落込んでは如何でしょうか?って、私は観光大使ではありませんが・・

    横道に逸れそうなので、本題に入りますが、私には操体における師匠が二人いらっしゃいます。
    一人は私が操体の魅力を感じ、追求してみようと思う切っ掛けを作って下さった畠山裕美先生、もうお一方は言わずと知れた操体界の重鎮三浦寛先生です。何が凄いってこのお二人を師匠と呼べることがありがたいとしみじみ思う今日この頃です。人の一生は“どんな人にどんなタイミングで会ってどう活かす”かで決まると、私は思っていて、昔よく「チャンスの神様は前髪しかない」と言われたことがあり、その心はと問えば、「チャンスだと思った時につかまないと後ろ髪がないから掴めない!」ってそんなオチかよって思ったのですが、今考えれば何気に深い言葉であり、掴んだ自分を褒めてやりたいと、有森裕子ばりに自己満足の私です。

    この二人の最大の魅力は操体に関しての造詣の深さはさることながら、やはり人間性です。
    どんなに素晴らしい理論・技術を持っていたとしても、人間的魅力が欠如した人であれば、理論・技術だけ学べばその人の元を去ると思います。人間とは人と人との間に生きてこそ人間ですので(金八ばりに)最後は学ぶべき人の人生そのものが尊敬出来るかどうかにかかってくると思います。

    特に我々が活きている業界?には魑魅魍魎がはびこっており、何十年も臨床をしていない名人とか、セミナーだけを開いて臨床をせずにベンツに乗っている妖怪とか上げるとキリがないので割愛させていただきますが、そのような妖怪が沢山住む中で二人の師匠は当然のことながら未だに現役バリバリ(表現が古いのはATOKの変換の責ではありません)で臨床を行っていらっしゃる素晴らしさです。
    ですから会う度にバージョンアップされていて、XPを持っていたらVistaかよ!みたいな感じで、数ヶ月ぶりに東京に出た日には置いてきぼりを食っているような気にすらなってしまいます。
    でも、だからこそ“もっと精進しなきゃ!”って思うんですけどね・・

    私的には今のフォーラムメンバーの雰囲気は実行委員の隠れた歴史マニア中谷さんとも話していたのですが、幕末の奇跡と呼ばれる、『松下村塾』のようなイメージがあって好きです。
    吉田松陰的存在の三浦先生を頂点に多種多様なメンバーが集まり操体の旗の下、切磋琢磨する実践主義の塾みたいな、そんな集団が“東京操体フォーラム”の各面々だと思っています。

    その一環として、三浦先生の講習終了者達の更なる研鑽の場として、第五日曜日が有る月の日曜日に各メンバーが集って、『塾・操体』として臨床の場での疑問や、新たなる発見に関しての考察など三浦先生を中心として、学んでいます。

    その時の会場の雰囲気たるや真剣そのもので、一瞬たりとも気を許せないような良い意味での緊迫感が有り、痺れるような心地よさが有ります。まぁ、塾の後の打ち上げと称した飲み会もおもろ〜!なんですけどね。

    私も早く操体高杉晋作の様になりたいものだと、思っております(私生活は十分に可能性有り)。
    個々の師匠の人となりに関しては今週、ブログの担当なのでブログの中で話して行こうと思っております。それでは今週宜しくでございます。

    福田 勇治

  • 2008春季東京操体フォーラム

    こちらは実行委員一同の集合写真です。
    結構大所帯になりました。

  • 「東京操体フォーラム開催 初日」

    <西田 尚史7>
    やっぱり最高!!
    今日は東京操体フォーラム開催初日!
    雨の出足となりましたが、本当に有意義な時間でしたね。熱気もあり操体ならではの温かい空気感もあり、
    たまに心地良い眠気も(笑)本当に気持ち良くてですよ!

    自分はビデオを取りながら聞いていましたが、回を重ねるごとに確実に良い物になってるなと感じました。内容にしてもとても興味深い内容がぎっしりつまった物でした。

    プログラムでは操体の歴史などにふれ、正直しらなかった事も学べたりと大収穫でした。懐かしい受講生のとの出会いもあり、実のある一日でした。

    詳しくは平さんの操体フォーラムレポートへ(便乗します 笑)

    明日も目玉となるプログラムが盛り沢山です、、、いまから楽しみです。

    さて、1週間投稿させて頂いたブログですが、本日最後となりました。
    つたない文章でお恥ずかしいですが、自分らしく書けたかなと思ってます。
    ありがとうございました。

    明日より畠山さんの登場です。おたのしみに!!
    ではまた!次回も宜しくお願いします。

    西田尚史

  • 東京操体フォーラム レポート

    今日雨の中、東京操体フォーラム一日目が行われました。
    雨の中いらして下さった皆さんに満足して貰えたかな。

    午前中の操体の歴史では、初公開、橋本先生の32年前のホテルオークラでの講演の模様の映像が公開されました。それ以外にも、盛りだくさんの内容です。詳細はまた後日に。

    最後に、「なぜ私は操体を勉強しようと思ったか」という、メンバー4名と三浦理事長によるディスカッションでメンバーが語った操体の魅力を。

    ◎息・食・動・想といったベースが基本にある単なる技術・テクニックではない生命法則に裏付けられたものであり、単純な治療ではない、その人の生き方にも影響を与えられる事が出来るものである。

    操体はきれいになおる。
    身体がきれいになる。
    悪い部分だけでなく、身体そのものがきれいになる。
    何で治るのか奥深いところまで考えるときりがない。

    ◎師と仰げるひとが居るというよろこびを感じる。
    いつも目からうろこが落ちる思い。
    俺はなんて勉強してないんだと思ってしまう。
    そんなところこそがよろこびである。

    操体は患者と治療者の関係が決まってない。
    治療をしながら癒やされていく、そんな時間を感じる。
    現場で学ばせて貰っていると感じる事がある。
    患者さんに帰り際に、「ありがとうございました」
    そんな気持ちになれる。

    どうですか。操体って不思議で面白いんですよ。
    明日は三浦理事長がメインで登場です。

    平直行

  • 「いよいよ前日!」

    <西田尚史6>
    いよいよ明日から東京操体フォーラム開催です!!

    実行委員の方は前夜祭の最中かな(笑)
    自分は行けないですが気持ちは一つに!って思ってます。

    今日はうって変わって雨ですね。
    まあ、雨なら雨の空気を味わってます。。。

    乾いた空気に潤いというか、考え方を変えると結構よいものです。

    何気に今日は朝から忙しくて、外に出ずっぱりでした。
    平日仕事の時は会社にカンズメだし、行ったり来たりの忙しさも
    心地良かったですね。そう考えると日々の仕事の仕方もたまには
    変えてみると良いのかもしれないですよね。

    合間に喫茶店で小説読みながら飲むコーヒーも格別でした。

    さて、今日は明日に備えて少し飲みます(笑)
    明日はリアルタイムのレポートもあるかも!?乞うご期待!!
    では明日、参加の方は明日!、出席できない方はブログを!!
    良い2日を共に感じましょうね〜

    西田尚史