カテゴリー: 未分類

  • ディジュリドゥ

    森田@最終日です。

    先日、KNOBさんという方のディジュリドゥの演奏を生で聞く機会がありました。

    ディジュリドゥとは、オーストラリアの先住民族アボリジニが神聖な儀式の時に使う楽器で、
    シロアリがユーカリの幹を空洞にしたものをそのまま使っています。
    太さ4〜6センチ、長さ1.2〜1.5m、TVなどで見たことはありましたが、生でじっくり聞いたのははじめてでした。

    それまでのディジュリドゥのイメージは、
    「面白そうだけどメロディもないし飽きそう」でしたが、
    この時のKNOBさんの演奏が始まった途端に、
    …なんと表現したらよいかわかりませんが、大きな気の固まりがどーんときてからだを満たし、
    からだのなかに渦巻きのような回転など、うねりのようなものが生じて
    演奏中ずっと気持ちがよくて「ふわわわわわ〜」と味わってしまいました。

    からだの中の器はアクティブかつパワフルにうねっていました。
    このままからだの歪みもとれていく、そんな感じです。
    いや実際歪みもとれました。

    実際、アボリジニの人々はディジュリドゥを治療にも使用していると後で知りましたが、
    楽器の演奏を聴いてこんなにからだの反応があったのは初めてだったため驚きました。

    吹き方は、唇を振るわせてその震えを筒の中に振動させて音を出すのだそうです。
    基本的には、1本のディジュリドゥで1つの音程しか出ませんが、
    リズムをつけたり頬のうごきでを音色や音質を変えることができます。

    そして一度に2つの高さの音を出します。倍音が出せます。
    この倍音を出すところに何か脳内麻薬が出る(トランス状態にはいる?)秘密が隠されているような気がしますがどうでしょうか。

    ここで思い出すのは、モンゴルや、トゥバ国の歌唱法ホーメイ
    声帯を振動させながら、気管や口腔で倍音を共振させ、
    同度に2つ(ないし3つ)の音を発する技法です。
    これは聞いている方も、やっている方も楽しい。
    私も数年前、超歌唱家、巻上公一さん(わが東京操体フォーラムの相談役)のワークショップでホーメイに挑戦しました。

    今でもちょっとできますよ。 い”よよよよん♪

    日によって喉が固くなっている(つまりからだに歪みがある)とできないので、
    うまくできない時は、からだを調整すると二つの音を出せます。なんとか(汗)。
    よくやるのは、バイクや自転車に乗っている時。

    睡眠不足でバイクでうとうとと寝そうになるときは、危険回避も兼ねて
    ホーメイや最快適音を味わって(『操体法治療室』参照)眠気を吹き飛ばしてます。

    声を使ってからだのチューニングをするのは飽きないし気持ちがいい。
    これでからだが整うなんて恩の字です。
    個人的には苦手だった低音がよく出るようになりましたし。

    巻上公一さんのサイトはこちら(ワークショップの情報があります)

    ところで、4/26の春のフォーラムのテーマは「発声」です。

    巻上さんは「生体から極楽を生む方法」のテーマで話してくださいます。
    今回は聞きたいこともありますし、参加者としても楽しみです。

    もちろんそれ以外のプログラムも充実していますから、
    ちらとプログラムをのぞいてみてくださいませ。

    春のフォーラムのプログラムはこちら

    ではでは1週間おつきあいありがとうございました。
    今週の「散歩で出会った半野良にゃんこ」でお別れします。

    多摩川河川敷にて薄い色の三毛猫

    明日からは山野さんにバトンタッチです。
    よろしくお願いします。

    森田珠水

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  • 次元をこえる

    森田です。

    昨日の続きになりますが、
    私の「講習体験者の声」には、「意識を変える、次元を超える」というフレーズを使わせていただきました。
    これらはある時から三浦先生がよく使われて気になっていたのですが、
    ことさらに気に入るようになったのは、こんなことがあったからです。

    今年に入り、龍村仁監督の「地球交響曲」を見ました。

    まだ未体験の方は、こちらをどうぞ。
    地球交響曲(ガイアシンフォニー)オフィシャルサイト

    この作品には、フリーダイバーのジャック・マイヨール、登山家のラインホルト・メスナー
    写真家星野道夫、元宇宙飛行士のラッセル・シュワイカートなど、
    現実ではできないような超越した体験をしている人々が出演しています。

    ある時私は、三浦先生に「こんな映画があるんですよ!」と熱く報告しました。
    また、その話の流れで、高校時代の同級生の山崎直子さんが、日本初のママさん宇宙飛行士になる、という話もし、
    「私の同級生も宇宙に出ることで何か超越した体験をするのかもしれません。」
    とうらやましがったのでした。

    そこで三浦先生が、
    「その映画にあることは特別なことじゃない。
    海に潜ったり、高山に登らなくても、次元を超える体験は日常の中で起こりうることなんだぞ。
    ただ、それがあることに気づくか気づかないかだけなのだ」
    と教えてくださいました。

    そうでした。
    操体の臨床で「快適感覚を味わうこと」や、
    「皮膚を通してからだの無意識に問いかけていくこと」が次元を超えた治しなのです。
    イノチは、宇宙や海中や高山のような極限の状態に置かれなくても発揮できる力が想像以上にもっている。
    それを経験する可能性をもっているのが操体だ、ということです。

    その話を聞かせていただいてから、
    「意識を変える」「次元をこえる」という表現が気にいっています。

    お気に入りの言葉が増えていく。
    それは「正しく使えないといかん」という緊張感もありながら、
    ありがたいことなのです。

    森田珠水

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  • 学ぶということ

    私は東京下町育ちのため、大自然のなかで生活したことがありません。
    なので、おいしい空気ときれいな水のある場所に憧れます。

    しかしそんな東京でも、散歩をすると、小さな自然に出会えるとこころが安らぎます。
    車よりバイク、バイクより自転車、自転車より散歩することで見えてくるものがあります。
    植物でも、動物でも。
    こころがほわーんとほころぶものに出会えると幸せ。

    昨日は木と会話をする、という日記を書きましたが、
    先日代々木で出会った街路樹のプラタナスが美しかったので写真を撮りました。

    スズカケノキともいいます。
    一体どんな目的でこんなに美しい模様に皮が剥がれ落ちるのでしょう?
    人で言えば樹皮は皮膚ですよね。

    人目を引くためにこんな模様になったわけではないのでしょうが、
    どんな意味があるのか、知っている方はぜひ教えてください。

    今度あった時は絶対頭をひっつけて交感してみようと思います。

    ところで話はかわりますが、
    我々実行委員が学ぶ三浦寛先生の講習がまた5月から始まります。
    この機会に、実行委員や役員が「定期講習を受講して/先輩諸氏の声、定期講習の体験者の声」を書きました。

    共に操体を学ぶ仲間の、講習に対する熱い想いが語られています。
    語り手によって切り口はちがうのに、どれも「そうそう、そうなんですよね!」と、
    私自身の文章で語りきれないことを表現して下さっています。

    それぞれの立場で、迷った末にたどり着いた操体とのご縁。
    そして、これからも学びは続いてゆくという確信。
    そんなことを感じながら読みました。

    三浦先生の教えを通して、「橋本先生の成してきたこと、成さんとしてきたこと」が、
    我々実行委員の身にしみて行く様子も伝わるといいなと思います。

    講習を受講するか迷っている人だけでなく、
    ちょっと操体に興味ある人というにも、操体を知る一端になるかもしれません。

    ブログで自分の仲間を自慢するのも変かも知れませんが、
    どのメンバーも、自慢の仲間、同士です。
    どんな人間が操体にはまっているのか、どうぞのぞいてやってください。

    森田珠水

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  • 梅を味わう

    こんにちは森田です。

    今日は雨が上がったところで、池上梅園まで散歩しました。

    池上梅園は、戦前までは日本画伊東深水氏の自宅兼アトリエ、「月白山荘」
    でしたが、戦火で消失後は料亭経営者の小倉氏の別邸として使用されていたそうです。

    庭園の奥で売られていた吟醸甘酒(甘くない!酒飲み向け?)に舌鼓をうちながら
    梅見…贅沢な時間を過ごしました。
    今年は暖かいため、花は既に盛りを過ぎてしまいましたが、
    370本もの梅の木はそれだけでにぎやかで、まばらな咲き具合もよかったです。

    庭園を歩いていて思い出したのは、女優の五大路子さんが
    フジTVの「ごきげんよう」に出演された時の、「木とお話できるんです」という話でした。

    五大さん曰く、
    「できれば何百年もの樹齢の木がいいのだけど、一番いいのは800年くらいね。
    でもなかなか森に行けない時は、近所の公園の木でよいので、ここ(百会をさして)を木につけるんですね。
    で、木がドクッドクッと流れている声をずーと聞いてるんです1時間ぐらい。すると、この百会から、1時間が百会から色んな声や音が聞こえてきて、体中にパワーがみなぎってくるんです。」

    だそうです。

    以前の私だったら、「五大さんって不思議さん?」で聞き流すところでしたが、
    「感覚を聞き分ける」や、「感じる」ことがいかに大事かを学んでいるので、
    この時は、「あるとおもいます!」とテレビの前でうなづきました。

    五大さんは、自分の皮膚を木の皮に接触させ、
    音や言葉でない「感じる力」で木とコミュニケーションしているのでしょう。
    1時間頭をつけっぱなしは一見長いようですが、
    心地の良い時間はあっという間にすぎるので、
    我々が想像する時間の観念を飛び越えたてるのだろうな、とも思いました。

    また、
    「あともう一つは背中をくっつけるんです、木に。
    ずーっと空を見上げて、木の枝は、私は木になったんだって思って、枝は私の枝だって思って、木になったと思って話をするんです。
     そうするとね、なんだ悩んでる事なんて小っちぇ小っちぇ、木は何十年もここにじっとこうして命をつむぎ続けてるっていうのを木が教えてくれるんですよ。
     一番いいのは神社とか、森とかね、触れるだけでもいいので手のひらからもいっぱいエネルギーが。」
    ともお話しされていました。

     
    さっそく私も梅園のはじっこで、こっそり頭をくっつけてみました
    (本当は木に触っちゃいけなかったかもしれませんので、そっとですよ)。

    すると、これがなんだか気持ちいいのです。

    言葉でどう表現したら良いかわからないのですが、
    操体をからだに通している時のからだに生じる心地よさに通じるものがありました。

    さすがに梅と会話まではできませんでしたけど、
    回数を重ねるとできるようになるのかしら??

    しばらく味わってみようと続けていたら、団体観光客のにぎやかな声が。
    …やっぱり恥ずかしくてそこでやめてしまいました。
    こういうは恥ずかしがっていたら駄目なんですけど、
    こころの平穏が保てませんでした。

    修行が足らんな〜。

    操体の臨床には「感じる」ことが大事です。
    木に触れて何かを交感することは、渦状波をしているのと同じことだと気づきました。
    これからはどんどん触れてみようと思います。
    背中をくっつけるのも気持ち良さそうですよね。

    会話できるようになったらまた報告します。

    森田珠水

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  • 聴診器に学ぶ?

    こんばんは森田です。

    今日は耳鼻科で臨床を見学していました。
    花粉やインフルエンザなど、この時期は小さい子供連れの患者さんが多いです。

    ドクターはホッとさせてくださる笑顔の持ち主ですが、
    真剣に考え事をしている表情だと、どうやら子供には怖く見えるらしいのです。
    ただでさえ白衣の男の人には「きっと痛いことをされるに違いない」と
    子供はびくびく、きゅーっとからだを固くしがちです。

    ちょっと診察の様子をシュミレーション(?)してみますと…。

    お母さんに抱えられて椅子に座らされただけで恐怖にひきつる子供。

    鼻の穴に薬をスプレー。シュー!
    鼻にガラスのチューブを突っ込んで鼻水を吸う。ずずー!
    耳の穴に耳鏡を差し込んで中耳炎を起こしてないかチェック。
    のどを見ます。「お口あけて〜。あーん。」舌圧子で大きく口を開けさせられる。
    おえ〜、ごほごほ(涙)。

    ここまでで、最初は静かだった子供も大泣きします
    (もちろん、ずっと静かに診察を受ける子もいますけどね)。

    泣き叫んで暴れると、「動くと耳の中が痛くなるから、もう少し我慢してね」
    と、看護婦さんとお母さんがぎゅーっと押さえつける。
    本当は痛くなくても、母が守ってくれないことへの悲しみなんかもあいまって、
    子供は自分自身の恐怖心で痛みを倍増させてしまいます。

    実際、中耳炎を起こしていたりすれば、
    耳の中を触られれば想像以上に痛いので、暴れたくなる気持ちもわかるのですけどね。

    しかし、そんな子供たちですら、最後に胸と背中に聴診器を当てたとたん、
    「あれ?なに?」という顔でぴたっと静かになります。
    それはもう不思議なくらいに泣き止むのです。

    私は子供が来院するたびに観察していますが、十中八九、聴診器で泣き止みます。
    こころが落ち着くのか、安堵の表情でゆったりします。

    不思議に思って、聴診器をお借りしたところ、ゴムを皮膚に当てると非常に心地よいのです。
    それまで心にあった「恐怖感」や「痛み」を、ぴたっと止めるほどの威力のある「心地よさ」ってすごいと思いませんか?
    また、胸や背中など、感覚の鋭い所に触れるからこそ、その威力が発揮されるのかもしれません。

    そういえば、ころんでぶつけたところに手を当てただけで、少し痛みが治まるとか、
    ざわざわ、イライラしている時に、信頼してる人にそっと肩に手を置かれたら気が落ち着いた、とか、皮膚を通して「何かが治まる」ということは体験します。
    猫だったら自分で毛繕いをしてこころを落ち着けたりしますよね。

    そう考えると、普段身につけている衣服など、
    素材によってからだに常に緊張感を与えているのか、リラックスを味わう生活をしているのか、
    大きく違ってくるのかもしれません。

    皮膚はまだまだ知られていない可能性を秘めています。

    私も患者さんへの触れ方を、聴診器に負けないようにしたいなあ、と思った1日でした。

    森田珠水

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  • 猫の日

    こんばんは森田です。
    三浦先生からバトンを引き継ぎました。
    1週間、おつきあいよろしくお願いいたします。

    先生の足底筋の話、面白かったです。
    操体の臨床では重要な膝裏谷(ひかがみ)、
    またちがった意識で触れることになれそうです。
    どうもありがとうございました。

    さて、今日は2月22日。
    『にゃんにゃんにゃん』で、猫の日だそうなので
    今日は仕事先の猫の話をひとつ。

    先日の福田画伯の小太郎くんの日記(?)にもありましたが、
    操体の施術中に、猫が寄ってくることがしばしばあります。
    「私が猫にモテるから」ではなく、
    操体をやっている」波動に引かれて寄ってくるようです。

    ある患者さん(Aさんとします)の飼い猫のサンタ君は、
    Aさんが横になったとたん、
    足の間に『挟まり寝』をしにきたり、
    おなかや背中にのり、『香箱をくんだり』します。
    Aさん曰く、「普段はしないのに、操体を受ける時だけのっかってくる」のだそうです。

    「邪魔しないでね〜」とからだから下ろされては登り…の繰り返しを経て、
    Aさんの隣に横たわり、しっぽだけからだにくっつけて
    何かを味わっている様子です(しっぽだけでも触れているのが彼のポイントらしい)。
    いつも「2人と1匹で操体を味わっているのだな〜」と施術しながら感じています。

    以前このAさんのうちに、
    ブチャという、事故で半身不随になった猫がいました。

    彼はガッチリした体格のオス猫でしたが、交通事故の後、
    前足だけでからだを引きずって移動するため(スピードがでない)、
    この家の玄関に知らない足音が近づくと、すぐにこたつの中に逃げ込んで
    客が帰るまで、絶対に出てきませんでした。

    必要以上に音に慎重になり、家族の人にしか全く気を許さなかった猫。

    私は通いはじめの2年ほど彼の姿を見たことがなく、
    「最近ご飯を食べなくなって、食べても吐くばかりでかなり弱ってきた」
    という話だけ聞いていました。
    Aさんが皮下に栄養を点滴してなんとか生きていたようです。

    ある日Aさんがいつものように、操体を受けようとこたつのそばに横たわりました。
    そして施術が始まって数分。

    ごそごそ。

    なんと半身不随の猫が前足で下半身を引きずってこたつから出てきたではないですか。
    そして、まるで「僕も味わいたい」というように私の前に横たわりました。

    当時私は皮膚へのアプローチをはじめたばかりで、
    何をやればよかったのか正直よくわかりませんでしたが、
    とにかく落ち着いて呼吸になる触れ方で接しました。
    彼は目をつぶって、ただ黙って心地良さそうにしていました。

    マッサージのようなアクティブな刺激よりも、
    ただ気持ちのよいというにふれているだけで良かったようです。

    腰骨が浮き出るほど弱り、自力で移動できなかった彼が、
    こたつからでてきて、家族以外の人に自ら近づくということ自体、Aさんには驚きでしたが、
    もっと驚いたことに、その日の夜は久しぶりに自分からご飯を食べ、
    しばらくの間元気を取り戻したということでした。

    私の施術が良かったからではなく、
    彼自身が気持ちのよさを聞き分けて、味わったことが治療になったのでしょう。

    また、Aさんが気持ちの良さを味わう波動を彼が感じ、
    それをもっと積極的に味わってみようと、
    勇気を出してこたつから出てきてくれたことも快適感覚のなせる技ではないでしょか。
    「イノチには気持ちの良さで治りたいという意志を持っている」
    という、三浦先生の言葉が思い出されます。

    その後、数ヶ月ほどしてその猫はなくなりましたが、
    余命宣告よりずっと長く生きました。

    猫は頭で考えたりしません。
    ただ、気持ちのいいことを選んで、味わって生きています。
    気持ちのよさを味わうことで、からだに治しをつけていたのでしょう。

    他人が「ああしてやろう、こうしてやろう」と考える治療は、
    イノチが必要していることと一致するとは限りません。
    施術者として、何がイノチにとって必要なのかを知りたければ、
    からだにきいてみればよいのです。

    私は猫から、そんなことを学んだような気がします。

    森田珠水

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  • ご立腹

    私は割と気が長い方だ、嫁に言わせれば気が短いと言われ、どっちやねん!って思わず一人突っ込みを入れてしまいそうな程、その時々で表情を変える。

    まぁ、基本人間ってそんなモノではないかと思ったりもします。
    サラリーマン時代はその殆どを営業職で過ごしていたので、感情を表に出さない訓練?と言いますか、感情を表に出した方がビジネスの世界では、負けであるという考えであったので、尚更、そうなってしまったのかもしれません。

    そんな私が珍しく、昨年末だったのですが、昨年の11月の末に最初は、怒髪天を衝く”怒りから、“腸煮え繰り替える”怒りに変化し、最終的には“哀れみ”に変わってしまった出来事が有りました。

    う〜ん、久々でした。。。久々と言いますか、これ程の感情の変化は今迄の人生の中でも、そうなかったかもしれません。
    今回、ブログに書こうかどうしようか迷ったりもしましたが、私個人が感じた出来事だと思ってふ〜ん、そんな事があったんだぁ位の感じで読んでみて下さい。

    一つのプロジェクトを完成させるということはプロジェクトの大小に係わらず、とても大変なことです。例えばダムを建設するなどというビッグ・プロジェクトであれば尚更で有り、設計段階から始まり、資材の選択から人の動きに至まで、用意周到、ミスは許されません。

    仮にアリ程のミスであっても人命に係わり、大惨事を引き起こし兼ねないからです。
    現に黒部ダムなど映画や小説などでもその壮絶さは伝えられ、容易に想像出来ます。
    “段取り七分の行動三分”など計画(段取り)が如何に重要であるかを説いた言葉であり、それ位、綿密且つ繊細な取りかかりが必要だということです。

    そして、どんなプロジェクトでも重要なのは“人”で有り、どの様な人達がそのプロジェクトに携わり、キーマンとして動くかに、かかって来るのだと思います。

    人にも色んなタイプの人がいて、素直な人、天の邪鬼な人、ムードメーカー的な人、などなど、数え上げれば切りがないほど人にはタイプがあって、適材適所、どんな人にも必ず合う場所がある筈なのです。水曜日のブログにも書いた様に、仕事は星の数ほど有り、全ての人が医者に成れる訳でもなく、学校の先生に成れる訳でも有りません。
    どの様な人にも、居るべき場所が有り、やるべき役割が有るのです。

    組織を作るというのは難しいことでは有りますが、何か事を成そうと思えば、“組織”の力無くして何も出来ないのです。
    どんなに個人その人に、素晴らしい魅力があったとしても、伝えるべき事を形にしようとしても、やはり人間一人では無力なのです。

    私達は昨年末、数年後に向けて一大プロジェクトを立ち上げました。イヤ、正確には立ち上げようとしました。

    目的はとても崇高なものであり、名誉や私欲などという下(げ)衆(す)なものでは無く純粋に、私達が日々大切に育み、慈しんでいるものの集大成を表現したい!という熱い思いからでした。

    それは現状に対しての危機感でも有り、私達だけが良ければいいというレベルから一歩抜け出し、このままでは大切なものが腐ってしまう!今のまま何もせずに手をこまねいていたら本当に手遅れに成ってしまう!

    今迄であれば知らん顔も出来ました、正(まさ)に外野から「アホやなぁ・・・バカじゃね?」などと他人事の様に笑っていることも出来たのですが、昨年末に係わってしまった以上、他人のふりが出来なくなってしまったのです。

    係わった以上は何とかしなきゃいけない!そんな思いと、今有るものはどうしようもなく腐ったミカンであったとしても、ミカンが腐っているからどうにもなんないから放置するではなく、これから係わって行く若い新しい人達に対して、この縁があったものがどれだけ凄いものなのかを掴んで貰いたい、そして一生涯を通して追求するべき価値のあるものだと、肌で感じて貰いたいとも思いました。

    それこそ用意万端、後は最後の一押しという所まで来ていた所で、このプロジェクトは頓挫してしまいました。
    どんなに素晴らしいものを作り上げても、これ以上もない、現状では最高であろうというものを段取りしても、叶わないことがあるのです。

    それは崇高な目的とはおよそかけ離れた、ショーもない鼻糞の様なプライドと嫉妬のために、私達の後に続くであろうと思われる多くの若者達の将来をも先延ばしにした様なものなのです。

    これは決して我々の自惚れとか奢りとかではなく、謙虚にそして背伸びをすることなく、今有る力で出来うる限りの最高のものを作ろうとした結果だからこそ残念でしょうがないのです。

    “公人”としての自分の立場と“私人”としての自分の立場を弁(わきま)えた上で、出した答えであれば納得も出来るのですが、ただ単純に“私人”としてのプライドのみ、子供が自分の欲しいモノが買って貰えなくて駄々を捏ねているに等しい醜態で、呆れるほどでした。

    私は操体と出会って今や人生を変えて頂きました。私が学び始めた当初から考えても、いわゆる同門の弟弟子とでも言うべき方々も数々誕生されています。

    その中で常に思うのは、良くも悪くも先に操体を知り、縁があった者として、後から続く人達が少しでも、操体の素晴らしさに触れ、動きやすい環境作りをして行くのが、我々先に縁があった者の役目で有り、少なくとも後輩の方達が自由に羽ばたける舞台を作ってあげるのが、先達の役目で有り、それこそが公人としての役割だと思います。

    手助けをし共に大きくなることを考えこそすれ、その芽を摘む様な行為がまかり通ってはいけないのです。

    信長は有名な“人間五十年”と舞う敦盛が好きだったようですが、人間よく生きて百年です。宇宙の営みから見れば針の一差しにも成りません。

    何の縁で同じ空の下、同じ空間に存在することか、そう考えると人、一人のプライドなんて糞喰らえです。

    先輩には先輩年長者には年長者なりの振る舞い、行動が有り、それを逸脱してしまえば只の“イヤな先輩”老害と言われてしまうのです。

    今、時代は混迷しており世界的に大きく変わろうとしています。絶対安心だと言われていたBIGスリーやトヨタでさえあの調子です。
    経済だけでなく、ここ数年の間に大きく世界は様変わりしていくだろうとも言われています。

    旧態依然として過去の遺物にしがみついている組織はやがて根から腐り、朽ち果て、跡形もなく消えてしまうでしょう。

    他方では新たに信念を持った柔軟性のある組織が発展を遂げる、そんな時代がやって来ると確信しています。

    これからの東京操体フォーラムも現状に満足することなく、常にチャレンジャー精神を持ち、前へ前へと進み、後に続いていく人達のためにも静かな汗をかこうと思っています。

    この一週間お付き合いいただき誠にありがとうございました。来週からはお待ちかね、私達の素晴らしき師匠、三浦先生の登場です。宜しくお願い致します。

    福田勇治

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  • プロアマ

    突然ですが、プロフェッショナルアマチュアって面白い垣根だと思いませんか?

    だって、やってることは変わらないのに、天地の差が有るのですから、笑えます。ほんとは笑えないんですけどね・・・
    何が違うんでしょうか?考えたこと有りますか、お金貰うから?仕事としてるから?考えれば考えるほど曖昧模糊と言いますか、個人の価値観によってもその基準は大きく変わってきます。

    私は未だに過去の夢が捨てきれず、やっていることが幾つか有ります、一つが野球です。小学校から始まり高校まで、高校を卒業してからは軟式の連盟に席を置いて、現在も野球をやっています。
    何でやってんの?ええ年してまで・・・などと外野からの声を聞きながらも、現在でも二月の末からキャンプイン?12月の初めまで試合と、それこそ試合数は違うもののプロ顔負けの“意気込み”で取り組んでいます。

    そう!ここでのキーワードは“意気込み”です。
    中には年間90試合前後もこなす猛者もいて、プロがざっと140試合前後ですから、プロ顔負けです・・・
    気持ちだけならプロには負けてへんぞ!という気合いと言いますか気持ちの面では、プロと言う“自称プロ集団”が我々軟式野球軍団”です。

    ですから、私は職業を聞かれるとよく半分本気、半分冗談で『臨床家でプロのGrass Baseball Player(草野球選手)です!』と答えます。これも自分的には冗談ぽく言いつつも7割8分(7割8分って・・)は本気でプロだと思っています・・・

    シーズン・オフには筋力トレーニング、ランニング等をして、次シーズンのために筋量を落とさない様にしてますし、それがそう!“プロ”としての私のプライドだったりします。

    自分の子供と言っても可笑しくない位の年齢の若い連中と同じグランドでやっていますので、彼等にパフォーマンスとして同等のモノが出せなくなれば、潔く“引退”しようと思っています。
    何故なら、“プロ”だからです。
    野球(草野球も含む)に限らず、スポーツにおけるプロの定義とは一線で活躍(成績を残す)出来るかどうかというのが大きなファクターだと思います。

    そしてこのプロの中にも“一流”と言われる方と、“二〜三流”と言われる方が存在します。この違いもかなり面白いです。

    以前、同門の平さんと、とある格闘技の試合の結果の話をしていた時に、有る選手が試合そのものには勝利をしたのですが、勝ち方に問題が有ると平さんが言われていて、平さんがボソッと言われたのが、『あの勝ち方は無いよなぁ・・・余裕も何もない、ありゃぁ弱いよ・・もっとプロらしい戦い方しなきゃぁ、駄目だよぉ』と言われました。

    プロらしい戦い方、観客有ってのプロで有り、勝利が大前提なのですが、お金を払って観に来てくれている観客にも喜んで貰い、自身の持っているパフォーマンスの最高な状態を出せるのが、プロで有り、余裕のない状態で、ただ闇雲にパンチを振り回し、ラッキー・パンチがあたって、はい!勝利みたいな、“子供の喧嘩”の延長戦の様な試合を格闘技のプロとして観客に見せるのはプロとしては恥ずべきことで有り、プロとして二流と言われても文句はつけられないと思います。

    野球でも元巨人の長島茂雄王貞治が一流と言われるのも、期待している場面で、期待通り若しくは期待以上の結果を出すからこそ、数有るプロ選手の中でも一流と言われているのであって、期待に応えて当たり前、期待以上を出してこその一流を超えた“超一流”なのだと思います。

    操体の世界でも当然のことながら“プロ”“アマ”が存在し、全国的に見れば残念ながら“アマチュア”が圧倒的に多く、どちらかと言うと“健康体操”的要素の多い、皆で楽しくやりましょう的な雰囲気が満載です。

    これに関しては否定する訳ではなく、 “天然自然の法則”橋本敬三のPhilosophy(哲学)に反してさえいなければ、ドンドン広げていけば良いのです。

    ですが!ですが!哲学とは真理で有り原理なのですから、後生に託された人間が勝手に改竄(かいざん)したり改訂してはいけないモノだと私は思います。それは“アマ”だろうが“プロ”であろうが同じで有り、アマだからこれ位は良いだろうとか、私達はこれで食べてないから関係ないとかで済まされる問題では無いのです。

    少なからずとも橋本敬三という一人の人間が自身の一生涯を懸け、命を懸けて追求し、体系付けてきたものが 操体で有り、一生、操体を知らずに過ごす人も居る中で、出会いがあったということは“縁(えにし)”で有り、人が人生と命を懸けて紡いだものに対して、いい加減な気持ちで取り組むのは橋本敬三に対しての冒涜で有り、許されることではないのです。

    アマチュアにはアマチュアなりの学びが有り、プロに負けないだけの“プライド”を持って追求するべきだと思うのです。

    そしてもう一つ決定的に“アマ”“プロ”とで大きく違う重要なポイントは“お金”です。
    早い話がその仕事で食えるかどうかです。
    よく操体の話をすると(特に全国大会などで・・・)、お金を取っちゃいけないんですよね?とか仕事としては出来ないですよね?とか聞かれることも有ります。

    と・・!とんでもない話です!何処の世界に儲けない仕事、儲けてはいけない仕事が有るのでしょうか?仕事で行う、要はプロになるということはその仕事で儲けなきゃ存在意義がないのです。

    特に我々臨床家が儲けるということは逆に言えば、それだけ痛み、或いは苦しみから救われた方がいるということの証でも有ります。
    お金を頂くということは“責任”を頂くということでも有ります。

    アマだからという甘えは一切なく、結果が全て、結果が悪ければ当然、売り上げが上がらず倒産するだけですし、結果を出すということは常に向上心を持って、クライアントの身体の声と向き合っていかなければならないという厳しさが背中合せだということです。

    そして、これから操体の門を叩こうという若い人達が“仕事”として操体をとらえたときに、『いやぁ、操体は儲かりませんからぁ』などという声しか聞かなければ、操体を仕事としてとらえようとは思いません。

    そうなるといくら操体が素晴らしい!と声高に叫んでも、独りよがりでしかなく、やがては廃れてしまうのだと思います。
    仕事として人生を懸けるだけのものが有る!それだけの結果も帰ってくる!と解れば若い人達も操体を真剣に取り組んで行くのだと思います。

    勘違いして頂きたくないのは、“アマ”が駄目で“プロ”が偉いと言っている訳では無いということです。
    操体で言うところのプロが仮に臨床家だとすれば、この臨床家の中にも“超一流”も居れば“二〜三流”も居るということです。

    橋本敬三の意志(哲学)を忘れ、自論に自己満足を見い出し、いつの間にか操体とは看板ばかりの、操体とは似ても似つかない施術を行ってしまえば、これはもはやプロの臨床家とは言えず、ただの自己表現で有り、パフォーマーでしかないと思います。

    有る方が、一流と二流の違いをこんな風におっしゃっていました。一流とは“貪欲(向上心)”で有り、二流とは“自己満足”で有ると。
    ここまでで、良いと思えばその人はそれ以上の成長はなく、挙句の果てには、このやり方では上手くいかないからこれをプラスしてやってみました。

    など、本末転倒、上手くいかないのは誰の責でもなく自身の“創造力の欠如”で有り、違うやり方や、違うモノをプラスする前に、橋本敬三の書籍を穴が開くほど何度も、熟読し、その上で自身の身体を通して実践することで、“気付き”を得ることが必要だと思います。

    何度も読んだ筈なのに読む度に、違う場所での新たな気付きが有る。それこそが創始者の意志で有り、行間に溢れる橋本敬三師の臨床ヒントこそが、臨床家としてのステップ・アップへの意志ではなかろうかと・・・

    プロの中のプロ、“超一流”の道は険しく、安易に行けないからこそ、目指すべき価値も有ると、富士山を・・・否、エベレストを目指す気分では有りますが、登って行きたいと思います。
    又、そんな集団が東京操体フォーラムで有ると信じています。

    福田勇治

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  • 興味有るモノ

    ブログにこの内容ってどうだろうって思うのですが、与太話にお付き合い下さい・・・
    皆さん興味有るモノって何か有りますか?
    多分、個々に有るんだと思います、公言出来るモノから密かなモノ・・・様々だとは思いますが、密かなモノは又の機会に密かに教えて下さい・・・
    今日は息抜きで私の何とか、公言出来るモノにお付き合い下さい・・・

    興味ってまぁ、惹かれるものの事ですが、例えばその一つとして先ず、必ず買うモノ、買い続けているモノなどから話を進めていきたいと思います・・・
    東京操体フォーラム実行委員の中でも、推薦図書紹介みたいなものがあって、個々に自身が読まれ、良かったと感じた図書を紹介することが有ります(殆どが畠山先生からの紹介ですが…)。
    昨年の立川談春師匠『赤めだか』は良かったですねぇ…

    それから考えると今日の話しは心苦しいのですが、私自身買い続けているモノが有り、その代表と言えば私はやはり“マンガ”でしょうか、マンガと言えば低俗だ!下らない!と言う人もいるのですが、そこはそれ、マンガにもその人それぞれの立派なドラマがあり、時にはその人の人生を変えたり、行き詰まったときなどに又、見返すことで勇気を貰うことも有るのがマンガの素晴らしさでも有ると思います。

    マンガって見る時期によって全然、感じ方が違うんですよねぇ、当然と言えば当然なのですが、高校生の時に見ていて感じていた感覚と、40過ぎのおっさんに成ってから見るのとでは感じ方が全く違い、かと言ってつまらない訳ではなく、十分に楽しめるというのもマンガの面白さでも有ると思います。

    これは本も同じで、20代前半の頃に読んで自分の生き方に影響を与えてくれた竜馬がゆくもそうで有り、司馬文学の虜に成ったのもこの竜馬がゆくの影響でした。
    剣の達人で、女性にもてて、始めてあった人を魅了するその人間性など、男であれば必ずうらやましい!と思う様な痛快な生き方を描いたのが、この竜馬がゆくでした。
    竜馬の様な生き方が出来れば面白いと思い、胸弾ませて読んだ事が昨日の様に思い出されます。

    ですが、今、読もうという気になるかと言えば、数十年の時が経ち、“竜馬がゆく”の内容自体がかなり司馬先生のフィクションの世界も含んでいると言うことが解ってくると、今更どうかという気になったりして、今であれば間違いなく、読みかけの同じ司馬先生の坂の上の雲を最後まで読み終えたいと思っています。
    日本が長い鎖国体制から世界に追いつけ追い越せと、直向きに突っ走っていた時代の話で有り、この当時の日本の政治家や軍人達が如何に腐心して、日本国を不平等条約などの後進国のレッテルを貼られた状態から、先進国と言われる国に変わろうとしていたかを、日清・日露の大戦を通し、組織力で挑んでいった姿を描いた司馬文学の最高傑作だと思います。
    是非、今の某国総理大臣に読んで貰いたいと切に願います・・・

    え・・マンガを語るつもりが司馬文学を語ってしまいましたが、これ語り出すと終わらなくなってしまうので、今、興味があるモノを語りますが、私の“戦国・幕末マニア”振りは皆さん?ご承知のことなので、今更そこはほじくり返しませんが、現在、平行して買い続けている単行本が三冊あります。
    それが、『JIN-仁-』『センゴク』『へうげもの』という三冊です。
    一冊は架空の人物ですが、後の二冊は実在の人物を主人公として描いている作品です。読み出した切っ掛けは単純に幕末モノと戦国モノだったからという単純なものですが、この三冊だけは欠かさず買っています。

    その中でもJIN-仁-は幕末にタイムスリップしてしまった外科医の話で、架空の話であるのですが、実際の外科医の監修を元に作られているので、かなりリアルに描かれており、臨床家の血が騒ぐといいますか、色々な思いを持ちながら見られるのがこの作品の面白い所です。

    坂本龍馬とか緒方洪庵などその時期の歴史上の人物が様々な形で戸惑いながらも未来から来た外科医と係わって行き、この未来から来た外科医を手助けしていく・・・
    その当時不治の病だと言われていた脚気コレラなどを現代の医学の技術を駆使し、その時代で出来ることを考え、手作りでのペニシリンの製造を行ったりと、ワクワクしながら見ています。オススメです・・・

    センゴクはそのまんま戦国時代の余りにもマイナーな武将、“仙石権兵衛秀久”が主人公です。
    多分仙石秀久を知っている人は殆どいないと思います、私も辛うじて「出石の仙石氏?かな」位のイメージしか無かったので、チョーマイナー武将です。
    サブタイトルが最も失敗し、最も成功した男となっており、戦国時代が好きな方にはオススメです。

    そして、最後にオススメするのが、実は結構ハマッているんですが、へうげものです。読み方としては“ひょうげもの”が正解で、意味としては“ふざけている”とか“おどけている”などの意味となります、私達の地方では“ひょうげまつ”などと言って、ふざけた奴の意で使うことも有ります。

    先ず、シュールです!絵も然る事ながら、最初は何てふざけた絵だ!何てふざけたキャラクター構成だ!と怒り半分で見ていたのですが(加藤清正のモデルが元ボクシング世界チャンピオンの具志堅用高氏だったり、その他数々)読み進むにつれ、表情が生き生きしている、皺の一つ一つに何だか感情が表現されている様で、今ではお気に入りの一冊となり、この作品だけは単行本では待ったがきかずに、隔週で講談社のモーニングに掲載されていますが、どうしても読んでしまい、後で単行本を購入又、続けて読むといった感じです。

    主人公は古田織部というこれ又、知る人ぞ知るといったチョーマイナー武将です。織部焼と言えば解る人もいらっしゃると思います。
    千利休が作り上げた茶道を継承しつつ、茶道だけではなく茶器・造園など多岐にわたり、安土桃山文化花盛りの頃、“織部好み”という流行を作った人物です。

    物語はその古織を中心に茶道や芸術を軸にしつつも、大胆な仮説を立て、物語が進んでいき、見ていて感心したり、頷いたりしています。
    エピソード・タイトルも、とってもファンキーで、洋楽が好きな畠山先生などは思わず吹き出すのではと思われます・・・
    会話そのものも結構楽しめ、見る人によって楽しみ所満載の面白マンガです。

    この三冊共に共通なのは主人公の直向きさで有り、その時代を“必死”で駆け抜けている事です。
    何だかその直向きさが自分の明日への糧になると言いますか、“フツフツ”と腹の底からわき上がって来るものが有るのですねぇ・・・まぁ、基本単純なんですねぇ、まぁ。。
    それで明日も“やるぞ!”っていう気になるのであれば、安いと思いませんか?

    “やるぞ!”とか“ヨッシャァ”とか自分なりのメンタル・コントロールをどうするかって意外と大事だったりするんですよ・・・

    本当は未だ、オススメしたいDVDとかオススメしたいガムとか色々有るのですが、今回は私の現在、愛すべきモノとしてマンガをオススメ致しました、是非、次回ブーイングが無ければご紹介したいと思います。。。

    福田勇治

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  • 働くって

    ニャァ・・・四日目だす、もう慣れてくれたかニャ、小太郎です。
    僕のお父さんが猫族を好きな理由をこうも言っています・・人間に媚びない自立自尊、自由奔放な風(ふう)が何だか独立独歩、自営業者的匂いが有って好きだと・・・

    七年前、お父さんもサラリーマンという立場から一念発起し、独立、明日も解らぬ施術家の道へと踏み出したのも、雇用という枠に囚われず、人生という真っ白なキャンパスに自分色で人生を描きたいという渇望だったそうでニャス。。。

    ♪ ナンバーニャンにならなくてもいい もともと特別なオンリーニャン ♪(注:猫族なのでワンには敏感なのであえてニャンに成っております)って歌にも有る様に、オンリーニャンに成れる仕事を探していたのだと思いニャス。

    サラリーマンで有る以上は会社という枠が有るので、売り上げNO.1とかあくまでも会社有っての自分であり、自分の力なのか?会社の影響力のお陰なのか?誰しもが会社勤めをしている人なら思うことが有ると思いニャス(僕には解りませんニャ)・・

    特に昨今、テレビなどを遠目で見ていると、米国のサブプライム・ローンに始まった金融危機、世界同時株安ニャど、煽りを日本も受け年末からの“派遣切り”や大手企業の赤字決算ニャど、サラリーマンの皆さんを取り巻く環境は厳しいものとなっておりニャス。

    “終身雇用”という日本ならではのビジネス・スタイルから実力主義成果主義という欧米スタイルへと変化し、株主・株価重視という流れの中で、“派遣従業員”などの新しい働き方の選択肢が増えましたニャァ・・・

    選択肢が増えるということは兎にも角にも自己責任が明確になり、昨今騒がれている“派遣切り”なども、失職しても文句は言えないということになりますニャ。
    職業選択の自由憲法にも定められている限り、色々な事情があるにすれ、自分が選択した職業ニャのですから、“残念!”

    一方で、世の中にどれだけ自分の本当にやりたい仕事をしている人がいるのでしょうか・・・考えたこと有りニャスか?子供の頃から目標を決めてコツコツと努力を続け、就きたい仕事に就く人、何となく学校を卒業し、何となく条件の良い企業に就職した人ニャど、人の数ほど職種も違えば、動機も違い、“夢のため”や“生活のため”などなどニャァ・・・人間って大変でニャンス。

    そんな社会状況もあってか、お父さんの業界に新たに入って来る人が最近益々増えているのだそうです・・・男性も女性も“手に職”を付けるというのが昨今のキーワードに成っていて、良くも悪くも“独立開業”ニャのだと。

    ニャット(ネット)で“独立開業”と検索すると有りとあらゆるビジネスが検索されニャス、それだけニーズが多いのも事実ですし、今の社会の閉塞感から逃れたいという人間様達の叫び声にも似た声が聞こえてきそうですニャァ・・・

    お父さん曰く、手に職が有ると食いっぱぐれないからとこの業界に飛び込んで来られるのは良いのだそうですが、やや勘違いした人々も多いのだそうですニャ、と言うのも臨床家が“技術職”だと思って業界の門を叩く人達も多く、技術さえ身につけば後は飯が食えるなどと思っている輩がいると・・・

    それこそ相手が機械ならば、技術(テクニック)が有ればどうとでもニャルのでしょうが、生身の人間であれば、教科書通りに行く訳もなく、やはり必要なのは対クライアント様への施術は元より心理カウンセラーの如く、コミュニケーション・スキルがどれだけ有るかだと思いニャス。

    臨床とは疾病を診るのと同時にその人の抱えている心の内をも察することが出来なければ、片手落ちニャのだそうです・・・

    見た目は同じ様なことをしていても、身体様を診させてもらっているという謙虚な気持と、真摯に身体に向かう気持ちがなければ、“仏作って魂入れず”で結果は正反対に成っていく可能性も有ります。『身体の歪みと同時に心の歪みもとっていく』がお父さんの合い言葉の様ですニャァ。

    ご縁有っての個々の仕事、大事に育てて自身のためだけでニャク、次世代や社会のために勤めあげられれば本望ではニャイですか・・・
    明日からはお父さんがスランプから復活でニャス…

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